そうげん
朝日と晴天の下、小鳥のさえずりが聴こえてきます。
見渡す限り、草原と密林が広がっています。
「ひええ……。誰か、いませんか……?」
何か動くものが見えます。慌てて近くの岩に身を潜めました。
一陣の微風が動くものを揺らします。
薄い栗毛のふさふさした獣の耳が見えました。
獣耳からは、白い耳毛がとびだしています。
全身を観察するため、おそるおそる頭を出そうとしました。すると、獣耳が岩の稜線から、ぴん、と立って、こちらを向きました。
見つからないように、頭を引っ込めます。
隠れたのはいいものの、足がすくんで動けません。
見つかりませんように……、僕は悪い子じゃないです……。
けれども、獣耳さんは太陽を背に跳び上がり、岩の上にすとんと着地しました。
「ひえっ! すみません! ごめんなさい!」
「うひゃあ! うごいたー!」
小鳥が飛び立つほど悲鳴を上げると、獣耳さんは引っくり返ってしまいました。
しばらく待っても反応がないので、岩から顔を覗かせます。
草原の端では、猫のような獣耳をした女の子が転がっていました。
「あの、大丈夫ですか?」
小さく問いかけると、獣耳がぴくりと動き、すっくと立ち上がりました。
「うん。平気だよ! 頑丈だから!」
「はあ、そうですか。あの……あなたは?」
「ボクはフェリス・メディア。気軽にメディアちゃんって呼んでね!」
メディアさんは屈託のない笑みを浮かべて、右手で猫の手のポーズをとっています。
「あ、はい。メ……メディアさんですね。よろしくお願いします!」
「えー、ひどいよ!」
「ひえっ、ごめんなさい……」
メディアさんの耳は、風に揺られて小さく左右に振れています。
「まあいっか。キミは?」
「ええっと……わかりません」
「黒い毛並み、黒い目……。見かけない姿だけど、獣人じゃないの?」
メディアさんは僕の頭をわしゃわしゃと撫でます。
「いえ、違います。たぶん。僕にはメディアさんみたいに大きな猫耳……獣の耳がありませんから」
「そっか。キミ、名前はなんていうの?」
「名前……ですか」
あれ、僕の名前、何でしたっけ。……思い出せません。
「えっと……すみません。覚えていません」
「ええっ、覚えてないの? どこかに書いてあるかも?」
メディアさんは僕の身体をぺたぺたと触ってきます。胸の辺りに振れたとき、硬い感触がありました。
「何かあるよ! キミの手がかりが見つかるかも!」
メディアさんは、僕の懐のポケットから手帳のようなものを取り出して、ぱらぱらとめくります。逆さまです。
「何か書いてある。でも、なんて書いてあるのか、わかんないや!」
「あの、見せてもらってもいいですか?」
メディアさんから手帳を受け取り、ぱらぱらとめくります。
カレンダーとメモ欄には、こまごまとした文字が散りばめられていました。
表紙を見ると、名前が書かれています。
「麦野、梢……むぎの、こずえ? ……はぇっ!」
顔を上げると、メディアのきらきらした栗色の瞳が目と鼻の先にありました。
「ええっ、すごいや! キミ、文字が読めるんだ!」
「あはは、まあ……。メディアさんは、その……文字が読めないんですか?」
「うん。ぜんぜん、よめないや!」
メディアさんは、にこやかに言い放ちます。笑顔のまま、小首を傾げました。
「うーん。むぎのちゃん? こずえちゃん? むぎのこずえちゃん?」
メディアさんはしばらく呻って、僕の肩に両手を置きました。
「こずえちゃんだね! ……いい?」
「はい。こずえ……みたいです。たぶん、よろしくお願いします」
こうして僕はこずえになりました。