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怒りと我慢と忍耐

 視界がぼやけて見える。足も思うように動かない。手先の感覚が薄れてきている。一体なんだっていうんだよ。

 突然の身体の変化に考えが追いつかない。このままふらついた状態で立っていたら、あいつの攻撃をもろに食らってしまう。それが分かっているのに、身体が言うこと聞いてくれやしない。


「あがっ!?」


 そうこう頭ん中でボヤいていたら、奴の蹴りが当たったみたいだ。腹のあたりか。右手で攻撃の当たった辺りを擦りながら後ずさっていた。痛いけど、そのおかげが少し意識がハッキリとしてきたよ。視界の方もうっすらと。

 唾を吐いてから顔を奴の方に向ける。何とか拙い足で動きながら、攻撃をふらりふらりと捌いていく。それでも限界があった。


 対処がだんだんと間に合わなくなってくる。


「おいおいどうしたんだ。さっきの勢いは」

「んぐぅ!」

「どうしたんだよ!」

「がはぁ!?」


 今度は左頬と……腰の辺りだろうか。奴の攻撃が無防備になっていた俺の身体に直撃する。それで立っていられなくなり、倒れ込んでしまう。それでも左手の赤いリストバンドは取られまいと、左腕を床と自身の身体で挟むようにして置く。


 そこに奴は、歩いて近づいてくる。かすかにだけど、奴の余裕の表情がうかがえる。


「俺はなぁ……結構イライラしてんだ。何処かの誰かさんのせいで」


 俺の方を、ゴミでも見るような目で見下してくる。


「立場もわきまえない生意気な小僧のせいでなぁ!!」

「!!」


 横たわっている俺の腹を、背中を。怒りをぶつけるかのように、間髪入れずに蹴ってくる。


「お前みたいな、世間も知らない、周りの見えちゃいない、弁えもない。力のない下賎のお前がなぁ!!」


 まだ俺のことを蹴ってくる。溜まったストレスの全てを俺にぶつけてくる。

 蹴られた痛みで、悶える声でさえだんだんと小さくなっている。それを聞いたやつが、何故か俺から離れていくのが、足音で分かった。


「なんで動けないか教えてやろうか。まぁ分かったところで、このままあんたは惨めに、何も出来ずに負けるんだ」


 別にいいよ。言ってくれなくってさ。わかってるんだよ。なんで苦しくなってたんだって。

 蹴るのをやめて二メートル位離れてから、奴は誇らしげに語ってきた。


「想定ついてるかもしれないが、俺の能力だ。すれ違った時に、お前の身体に毒を流してやったんだよ。まぁそんな絶望した顔しなさんなよ。ちょっと身体が動きにくくなる程度で、人を殺せるほどのもんじゃあないからさ。それにお前が負けを認めれば、ちゃんと解毒はしてやる」

「(毒?あぁそうかい)」


 わざわざありがとうございます。盛大に能力だと打ち明けてくれて。



「毒?」


 黒宮の動きが急変したことについて北島の推論が、真琴と希愛に語られる。


「それだという確証はないけど、大方考えられるのはそれよ。さっきすれ違った時、奴の左手が黒宮の身体に触れたその時に、何かしたんでしょう。黒宮の調子があの後突然悪くなったのは、奴の能力以外には考えられない」

「そんな!? このままじゃ……」

「えぇ。奴の独壇場になる」

「!!」


 真琴は振り返って、向こうの方で倒れている蓮の方を向き、一心不乱に叫んだ。


「蓮!! 何をやってんのよあんたは! 紅葉のこと守ってやるって言ったんじゃなかったの! 早く立ち上がりなさいよ! アイツをぶっ飛ばして来なさいよ! このまま負けるつもりだって言うなら、私はあんたのこと一生許さないんだから!!!!」


 真琴はガラスの向こうに倒れている蓮に向かって、泣きながら、ガラスを拳で叩きながら叫んでいた。


「真琴姉……」


 こんな姿を見たのは一体いつ以来なのだろうと希愛は思っていた。二人がこちらに戻ってからは一度も。それ以前の、数年も前のことだろうかと。

 それを見た希愛も、彼女の方に駆けつけ、彼女のようにまた叫んでいた。


「お兄ちゃん!! お兄ちゃんはこんなことで負けるような人じゃないもん!! だからお願い、勝って!! 紅葉先輩のこと助けてあげて!!」

 真琴の姿を見ていた蓮の義妹の希愛も、ガラスの向こうにいる蓮に向かって叫び始めた。その後、二人は言葉もタイミングも違えど、それぞれが思い思いに蓮に向かって叫んでいた。


「(そうよ。こんなことで負けるような黒宮じゃないだって、私は知ってるのよ。それにしても、アイツにはそうやって思ってくれる人がいるのね。幸せ物じゃないの)」


 二人を離れたところから見ていた北島は、一瞬だけスマホの画面に視線を向ける。


「(重要なのはこの後ね。皆上手くやってくれるといいのだけど。いや。その前に我自らの心配をするべきか)」





 なんだろう。声が聞こえてくる。幻聴なんかじゃない。確かに声が聞こえる。俺の事を呼ぶ声が。

 意識がまたぼやけてくる。今度は激しい痛みによって。でもそうはさせまいとせてくれる声が、伝わってくる。


「……」


 奴が向こうのガラスの方を見てニヤリと笑っていた。そして勝ち誇ったような顔で、倒れている俺の方を見る。 


「お前のご友人が何か叫んでるみたいだが、どうせお前が負けることには変わらない。わかったら……」

「!!」


 そうか。あんたにしちゃ珍しくいいこと教えてくれるじゃねぇか。幻聴なんかじゃないってハッキリとわかったよ。

 言われるまでもねぇ。ここで倒れるつもりもねぇ!


「誰が……負ける……だって!」

「!?」


 俺はそう叫んだ後、ゆっくりと立ち上がり、構えをとった。

 蹴られた時のダメージもあって、意識がハッキリしてんのか、今にも飛びそうなのかもさえわからねぇ。でもまだ倒れる訳には行かない。だってまだ、目的を果たしちゃいねぇ。俺はまだこいつに勝ってない。

 そうだ。まだ負けてない。負ける訳にはいかない。負けたくない。いや、勝つんだ絶対に! アイツを倒して!


「立てるだけの気力が残っているなんてな。驚いたよ」

「ハッキリとは……わかんなかったけどな、負けんじゃねぇよってのは、向こうにいる二人から伝わってきたんだ。聞こえてこないなんてことは無い。ちゃんと、伝わってんだ!」


 かすかにだけど、真琴と希愛の言葉が聞こえてきた。このまま終わったら紅葉だけじゃねぇ。アイツらにも会わせる顔がねぇ。

 でも安心してくれ。なんて言えた道理じゃねぇが、負ける気はないからさ。


「それにどうせ負けるならさ……最後にお前を一発殴ってからじゃあねぇと……俺の気がすまねぇんだよ!!」


 俺の言葉を聞いたやつの顔は怒りに充ちていた。顔にはかすかに血管が浮き出ているようにも見えた。


「だったら……」


 奴は右手の骨をパキパキと鳴らしてから、爪が食い込みそうなくらいの勢いでその手を力強く握った。


「二度とその口聞けないようにしてやるよ!!!!」


 俺に向かって真っ直ぐに走ってくる。右の拳を引いて構え、この一撃で決めてやろうという現われか。

 飛んできたその一撃を俺は左前に、力が抜けて身体が倒れたような形で避ける。そして俺と奴の身体が密着するほど近くなったその時―――



 左足に力を込めて倒れぬよう踏ん張り、俺は力の全てを込めて奴の腹に右拳の一撃を、これまでの怒りと我慢の全てを込めて、抉り込んだ。

 痛てぇんだよ、この野郎。散々蹴ってくれやがって。俺の事を馬鹿にしてくれやがって。

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