偉大な男が望んだもの
その場所はとても静かであった。しかし人影がないわけではない。その部屋のソファに座って、書物に向かう者が一人。その近くでお茶を入れる者が一人。聞こえてくるのは開いた窓から吹き込んでくる、風の音だけであった。しばらくしてその空間に、ドアを叩く音が混じった。
「失礼します。お呼びでしょうか」
「忙しいところ済まないね、メリベール。ひとまずそこに腰かけたまえ。紅茶を淹れよう」
「お気遣い、ありがとうございます」
一人の女性、メリベールという名の人物がその部屋に入ってきた。そして書物を読んでいた男に案内され、彼の向かいにある赤いソファに向かった。
彼女はソファに腰かけ、出された紅茶を一口すする。男は読んでいた書物を閉じてテーブルの上に置くと、話を始めた。
「ここ最近、君には前以上に苦労させてしまっているな」
「これも致し方ないことと理解しております。それと、先日は申し訳ありませんでした。彼には私から、当面の間の謹慎処分を言い渡しておりますので」
「過ぎたことを掘り返さなくてもいい。そういえば、彼から何か連絡は聞いていないか。つい最近地上に行ったというのだから、そちらの生活に慣れていればいいが」
「数日ほど前に彼を訪ねましたが、生活する分には問題はないかと。悪い意味で慣れてはいますが。それと、先日の騒ぎ以外は特にこれといったことはなかったと」
「といってもその原因は、我々の未完の研究が悪用されたことだというのは悩みものだな」
「焦っているのですかね。あれがなくなってからもう五年ぐらいは経つんじゃないですか。ですがそれが、反乱軍の手に渡っていないというのは言えるのではないですか」
「あれは最高傑作ともいえるべきものだからな。それ一つで戦況を揺るがしかねないものだとも我々は考えているよ」
「ご意見よろしいですか」
「いいだろう」
メリベールの申し出を彼は黙って頷いた後、一言だけそう言った。
「私は彼が、あれを戦いのための道具、兵器として作ったとは考えておりません」
メリベールのそのあとの言葉に、男は黙って聞いていた。彼女が意見を言い終わった後、あなたはどうお考えかと聞かれ、それに答えた。
「あの資料には、君も目を通しているんだったな。確かに君の言う通り、あれは戦いのための道具ではない。あれが作られた本当の意味は、あの資料だけではわからないんだ」
「それは、此処を出て行ったきり三十年と帰ってこない理由と、関係があるのでしょうか。その直前のあの人の顔はどこか失望しているような、そして何かを探し求めている顔だった。私が特派員として駆け出しだった頃に、先輩からそう聞きました。あの人の目指すものと、私たちの目指すものは、相反するものなのでしょうか。それとも……」
「それがどうかは私にもわからない。それにしてもいまだに見つからないというのは考え物だな……」
「ハウエル様。もしよろしければ、あの人についてお話をお聞かせいただけませんか。私はあの人について、まだあまり知らないことばかりです」
「わかった。今は時間もある」
ハウエルという名の男から語られたのはある男の話であった。
「あの男。ルディエル・アインヒベルクは、夢を求め続けた男だ」
ルディエル・アインヒベルク。彼は五十年も前に、この世界で彗星のごとく名乗りを上げた研究者であった。革新的な功績を多く上げ、発展に貢献してきた。
彼には一つの夢があった。全ての者と分かり合うことであった。それを掲げ、自身をリーダーとした研究チームを立ち上げ、日々研究に没頭した。
そんな彼が姿をくらませた十年ほど前のこと。一つの発明が彼の手によってもたらされた。それは彼が求めていたものを体現させるものだった。それを持つ者のココロを映し、様々なココロを共鳴させるものであった。しかしその成果は公にされることはなく、一部の者だけがその存在を知ることができたという。
それからというもの、彼は一層研究に没頭していた。同じものを作ることではなく、さらによきものを目指し、研究に時間を捧げていた。しかしその時の彼には、名をはせたころの輝きは失われつつあった。気づけば方向性でさえ見失っていた。
それから数年後。彼はチームの仲間とともに、姿を消した。
”ヒトの持つ可能性を探す旅をすることに決めた。”
彼が長年使い続けた一冊の書物。最初は綺麗な新品であったが、彼の長い研究人生においてボロボロになったそれの最後のページに、その一文が書き残されていた。
それ以来彼は今に至るまでの三十年もの間、一度もこの場所に返ってきたことはなかった。そのあとは彼の偉大な研究を体現させようとする者たちが後を絶たなかったが、いずれも皆それを果たすことはなかった。
彼の信頼できる友人に最高傑作は預けられていたというが、しかしそれは五年前に、忽然としてなくなってしまった。誰に持ち去られ、今は誰の手に渡っているのか。それを知るものは、今は誰一人としていない。
「それが彼の求めていたものですか」
「あぁ。分かり合うこと。それこそがルディエル・アインヒベルクの求めるものだった。そこに書物が置かれているだろう。彼が失われたそれとともに、私に預けていったものだ。」
ソファの間に置かれたテーブルのその上に、ボロボロの赤い本が置かれていた。
「恐れ入りますが、拝見してもよろしいでしょうか」
「構わないさ」
承諾をもらってその本を手に取り目を通していると、男がこんなことを言った。
「何者であろうと、争うということは決して無くなることはない。それがこの世界において生を受けたものの宿命である。だからこそ、分かり合うための道を模索し続けている。それは果たされるべきことであり使命でもある。彼が昔、私に言った言葉だ」
それを聞き、メリベールは開いていた本を一度閉じた。
「またこうも言っていた。他者と分かり合うことは容易いことでもあるし、同時に至難なことでもある。だからこそ分かり合うことにはそれ相応の価値があると」
「それだけ強く望んでいた事なんですね」
「彼はその道を見つけることができたのだろうか。いや、それなら私に一度顔を出してもいいものか。だとすれば今もまだ夢を追い求めているのか。それともまた違う可能性でも追いかけているのだろうか」
「もしかすれば、私たちのようにヒトの持つ能力について考えているのかもしれませんね。”能力”の存在がヒトにとって公となったのも、彼がここを去った頃でしたね」
「それもあるかもしれぬな。何にしても、彼はまた偉大なことをしてくれると私は思っているよ」
「我々も尽力しなければいけませんね。いつ何が起きるものか、わからないものですから」
「そうだな。君と話していたら、いい気分転換になった。もし君がよければ、またこうして話をしようじゃないか」
「ハウエル様がそう仰せられるのであれば」
場所は変わって。
「麗奈ー。あの子と蓮君に頼んで、蕪城ゆずを演じて貰えないか頼めないかしら」
「確実に断られるからやめておけ」
「何よー」
「(少しは黒宮のこと労われんのか)」
拒否権を行使。




