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1-8 一人ひっそり陰にまぎれて

「なぜ僕を止めた、刺竹?」

 透は、けげんな声で尋ねる。

「策があるからさ」

 どこからともなく、人の言葉。

「何の策だよ」

「奴は間違いなく惑書の方向に向かって行った。その気配を強く感じる」

「となると、やはりあれと契約を結ぶだろうってのか」

「その通りだ。いや、もうなってるかもな」

 (たお)さなきゃならないのか……。悪寒を感じる透。維光に対して敵意があるわけではなかったにしろ、その関係になるのは避けようがない。

「どうした、何をじっとしてる」

 透が考えているより時間は(はや)く過ぎたらしい。

「ああ! ……なんでもない」

 なりたての行使者は、ぎょっとしつつ振り返った。

 鈍い色の雲が、闇へ堕ちゆく空をほとんど蔽いつつある。地平の向こう、その境界でまぶしく輝く帯が麗しい。

 透はそこに、今まで気づかなかった何かを感じ取った。僕には使命が与えられたんだ。この使命こそ、僕が人生を生きるための希望を与えてくれる。それは決して棄ててはならない……。

「とりあえず、本拠地に帰る」

 のべ棒を口に近づけ、低い声で。

「維光をどうにかするのは後で決める。今は休むことにしよう」

「主が望むなら」

 刺竹もほぼ同じ大きさの声。

「僕には仕事がある。それをこの一時でいたずらに費やすわけには可かない。じゃ、頼むぞ」

 透は次の瞬間、ふっとその場から弾け飛んだ。常人とはかけ離れた速さでここをあとにした。

 しばらくして、透は自分の隠れ家にいた。道路の曲がり角に建っているそれは、かつては人が住み、生活の痕がところどころにありながらも、今や打ち捨てられ草やつたに襲われつつある一軒家。

 二階建てで、決して貧相な家ではないけれども、荒れた庭や割れたままの窓からして、あまり近づきがたい雰囲気。

 しかしその内部を、透は一応生活ができるように整えたのだった。床は木材がむきだしで、暖房や照明の類もないが、路傍(みちばた)に捨ててあったごみや道具を集めて、ここに一つのアジトを造りつつあった。

「……魔物と言うのは一体どこから来たんだ?」

 安い菓子パンを咀嚼しながら、まだ十分使える椅子にすわる透。

「よく分からねえな」

「分からないだって?」

 透は意外な顔つきをした。もっともほとんど暗闇のせいで、相手には知られなかったろうが。

「お前みたいな魔物は他にもいるんだろ? そういう奴に聴いたりしなかったのか」

 刺竹は、壁にもたれ、あたかもかわいがられなくなった人形のよう。

「……関心がないな。覚えているのは、五百年ほど前にこの地球に現れたってことだけだ」

 魔物は人間とは違う。その寿命は、人間に比べれば驚異的なもの。

「五百年も生きてるのなら、それこそ伝記を書くのに何十冊もかかっちゃうかもしれない」

 透なりの冗談。そもそも、この男――の姿をした化物が人間のように名誉や記憶に執着しないことを透はいくつかの会話でよく理解していた。

「昔のことなんてよく覚えておらんよ。百年前とかはほぼ忘れている」

「でも、感情はあるだろ。その感情の強さで、よく憶えている出来事とかあるはず」

「そのへんはやけにこっちの奴らと似ているらしい……もっとも細かい部分ではやはり違いが目立つわけだが」

 すると、刺竹は脚をちぢめてしゃがみ、それから立ち上がった。

 何をするのだろう、透がいぶかっていると、突然闇をうがつように火の球がともる。

「刺竹!」

 魔物は、ライターで火を起こすと、部屋の隅に置いてあったろうそくにつけたのだった。

 あまりに突然のことだったので、透は感心するよりまず愕然。

「危ないじゃないか。こんな暗黒(くらがり)なのに」

 ろうそくも透が買いこんだものだ。もっとも、そのせいで財布に割ときつい消耗をきたしているのだが。

「お前、魔物が人間みたいに物を見ると意うか?」

 刺竹は、相手の正気を疑うような眼で透に向かう。僮僕(しもべ)とはいえ、かなり対等に近い態度。

「人間は光とか影とか言うのを目で認識するらしいが、魔物にはそういう器官がないのさ。根本的に世界の観点(みかた)が異う。言葉で説明するには難しいが」

「とにかく、光とかとは別の何かでろうそくとライターを見つけたってわけか」

「そう」

 人間としての刺竹には無論目があるが、恐らくそれは単なる虚飾(かざり)

 透はまた一つ、今までの自分が破壊されていくのを感じる。この世界に属さないものを知ること……。

 けれど、重要なのはそんな問題ではない。このアジトはいつまでも余裕を提供してくれるわけではない。

「……金がない」

 行使者とはいえ、普通の人間と同じように生活しているわけだ。それこそ、何も食べなければ腹は減る。

「人間のさがだな」 ははは、とかすれた声で刺竹。

「一人で暮らすっていうのがどんなに大変か知らされるよ。これじゃ数日で三食くえるか分からない……」

 うつむく透。やれやれ、かっこつけていた自分が恥ずかしい。

「じゃあ、どうするつもりだ。いったん家に撤退(ひっかえ)すか?」

 ぎょっとして、無意識に声を荒げる。

「やめろよ。合わせる顔がない」

「だが、生きるためには耐忍ぶことも必要だ」

「け、けどさ」

 確かに刺竹の言う通りなのだ。ここでじっとしていても、何の進展もない。維光があっちから動いてくれない限りは。

 金の問題がある以上、短期決戦に持ちこむしかないのだ。目的は、惑書という魔物の討伐。維光はあれを何日も所持していた。そして、今日のあの行動。契約していないわけがない。

 惑書については、もう刺竹から聴いている。何百人もの行使者とともにこの世界を渡り歩き、ところどころで混乱を巻き起こした悪名高い魔物。

 彼の口が行使者に教える呪文ははかりしれない威力を持ち、いくつもの魔物を討ちとったとか。

「それとも――奪うか?」

 敵の恐ろしさに頭をめぐらせるあまり、刺竹の言葉の最後しか聴きとっていなかった。

「誰から?」

「おい、もちろん見ず知らずの他人から奪うのさ」

 困惑。どうやって維光以外の行使者を探してそいつに戦闘(たたかい)をしかけろというのか。

「他の行使者なんてこの街には……」

「違うだろ? 魔物を知らないただの一般人からだ」

 透の目も口元も固定してしまう。

「何の関係もない人を巻き添えにしろってのか」

 ようやく顔の筋肉が緊張から解けた時の言葉が、それ。

 刺竹は静かに透の側に歩き、その隣に座る。

「ん? まだそんな邪道(よこしま)なこと考えてたのか」

 間近で観る刺竹の顔は、まぎれもなく人間そのものだ。だが、どこかに、完璧な人間とは思わせない不気味さが漂っている。

「俺たち魔物と行使者はこの世から(はず)れた人間だよ。だがこの世に何一つ干渉しちゃいけないなんてことを意味はしないだろ」

 不意に、後ずさる透。

「も、もちろん、あくまでこの世にいるしな」

「大体わかるだろ。俺たちは奴らのことを知っている。だが奴らの方では俺たちを知らんのさ。だから俺たちが少しくらい色気出した所でばれはせんよ。仮に行使者とかの名前が知られたとしても……」

 刺竹はまたも笑う。下手な笑いだ。声はかろうじてまねしているが、顔はほとんど無表情。

「どうせそれを知った奴はまわりから変人扱いされるだけ。結局俺たちの秘密は知られずに済む。どうだ、それも悪くないだろう?」

 一理ある。とはいえ、少しためらってしまうのも事実。

「……理由がなきゃね……」

 何の罪もない人を襲うわけにはいくまい。と考えている内にも、『では、罪がある人間なら襲っていいのか』という思考が入る。

「お前たちの言葉では何と言ったかな。『コージツ』か?」

「口実……」

 痛い所をつく奴。これが魔物とかいう生き物――いや存在のさがなのか。

「口実なんてどうでもいい。とにかく自分が見苦しく感じなきゃそれでいいんだ」

 念を推して告げる刺竹。

「人間はそれによって動く。それ以外じゃ動かない。お前でさえもな、透」

 たとえば、悪い奴に対してやるとするなら。

 透は、口実を考えた。一瞬で、それを本音にすりかえていた。

「ただ成功すりゃいい。うまく行けば、お前はやましい想念(おもい)をせずにすむ」

「わかった。なら行こう」

 透は立ち上がった。ろうそくは、銅が溶け始めるときのような色で赤赤と然えている。人間みたいにしなやかなうごき。

 刺竹は突如として煙に身を包み、一点に収束して透の掌中におさまる。


 夜、あやしげな文字が電光を放ち、物騒な空気に呼吸しつつ人々が往来する中、かばんを片手、身を忍ばせてあるく一人の少年。

 察る限り、たった一人だ。無防備にさえ思われかねない。であるにも拘わらず、毅然としておびえる所はなく、そこに。

「あの野郎、丸腰だぜ」

 横に伸びた路地で、数人が息を殺しそのさまを眺める。

「こんな真っ暗闇だってのにあんな服装。何も知らねえな」

 茶髪で肌の浅黒い青年が、その首魁らしい。

「なあ、次の目的はあいつにしないか?」

 不審な様子もなく通り過ぎた少年を、後ろからずっと。

以前(まえ)襲ったガキはやけに強かった。今度はそうはいかねえ」

「へえ、八つ当たりだな」 首領が低い声で笑う。

「あの時はメンツをつぶされたんだ。今回のは絶対鼻面を明かしてやる」

 また別の一人。

「おうおう、やってやろうじゃねえの」

 三人か四人、いるのだろうか。

「そのための拳だからな」

「やっちゃいましょうよ」

 悪党たちはそのまま、釣られる風に少年の後をつけた。あのかばんには何か入っている。照明(あかり)を通して垣間見ても、重たそう。

 きっと金目の品を隠しているに違いない……。そそられる奴らの射幸心。

 数歩、また数歩近づく。抵抗の隙を与えず、奪い取るために。

 だが悪党が声をかける直前に、少年はいきなりふりむいた。

「僕に何か用があるのか?」

 少年はあくまで真面目な態度。

「ええ。こっちはなかなか生活も苦しいもので」

 青年は最初から居丈高に構えていた。

「どうせなら、そのかばんごとまるごと私どもに……」

 少年は静かにたたずみ、しばし沈黙。

 異様なまでに余裕を見せる。

「なら最初からくれてやる。元からこんなものは欲しかったものでもない」

 青年は面食らった気持ち。相手のおびえる顔が見たかったというのに、これではまるで相手に小馬鹿にされているとしか。

「……へえ、お前、やけに俺たちをなめてるようじゃねえか」

 仲間の一人がいらだちに満ちた声。

「それくらいの勇気があるのなら力で示せや。喧嘩勝負(とっくみあい)をいどんでみろよ」

 少年の表情はまるで鉄鋼のように固い。

「君たちの抵抗は無駄だ。僕は君たちとは――」

「やっちまえ!」

 青年が叫び、一斉におどりかかる。

 だが、少年に肉薄しようとしたその時、かばんの中から得体のしれない『何か』が飛び出した。

 それは青年の胸に突進して、これを数メートル先の地面へ叩きつける。

「あがっ……!」

 痛みと怒り、もう一度立ち上がろうと前を視て、その表情は一気にひきつる。

 少年は片手に鋭い槍をにぎって、仲間を殴り飛ばしていたのだ。その大きさとはふさわしくない位、少年は武器を軽々とふりまわす。

 そのまま青年に抵抗する時間も与えず、あおむけに倒れこんだ手下の一人の首筋に向かって、尖端(きっさき)を突きつける。

「て、てめえ……」

「まだ反抗(てむかい)するようであればこいつを刺すぞ。いいか?」

 こうなると、青年たちはとてもつけ入る時を探すことなどできるはずもなかった。

 何より、少年の瞳からはまるで人間を越えた存在であるかのような恐怖感が放たれてくる。先ほどの動きからしてもそうだ。こっちが動きだそうとする色を少しでも見せたら、平気で殺しにかかるはず。

「な……何も……するな……」 思ったより小さな声しか出せない。

 こうして少年は他のごろつきどもの体をまさぐる。うち一人のポケットから財布をぶんどった。

「最初からおとなしくしくしておけばよかったものを……」

 凄味を利かせながら、にらみつけて。


「殺すことは法律で禁止されてる」

 透は、魔物の粗野な倫理観に対して恐怖どころかさえ憫笑(あきれ)さえ感じていた。

「つい四百年とか前はわりと軽かったかな?」

 壁に背をもたれつつ、頭をかしげる刺竹。どうやらこいつにとってはつい昨日かおとついの話らしい。

「僕がやったことは正義じゃない」 もうこんなことにはかかずらうまい。

 不思議な気分だ。ちょっと前の自分なら、あんな蛮勇は恐くてできなかったろう。

 行使者という自覚が、そこまで僕を変えているのか。わずかに、悪寒が生じる。

「けど、もっと大きな目標をなすためには仕方なかったんだ。どんな時だっていい人であることはできないんだから」

 自分に言いきかせる。いずれ維光と闘う必要が生じた時の前準備。

「俺にはよく分からんな。どうせ復讐(しかえし)に来るに決まってるだろうに」

 刺竹は、相変わらず透の決意には無頓着。

「だから言ってるだろ。僕はそんな不毛なことで血を汚したくない」

然則(なら)維光相手にも手加減するってことか」

 透は黙りこくる。

 今回はごろつき相手だからあの程度で済んだ。だが行使者となると、そうはいかない。

 戦争と何が違うのか。今僕がさしかかっているのは、本物の相戮(ころしあい)だ。

 行使者という存在について思いをめぐらした時、透の悪寒は急にきつくなる。それこそ、平常(いつも)どおりの心の在方であれば、とても堪えられないものだ。

 之をしのぐには変身するしかない。戦いを業務とし、悩むことなくうちこむ機械に。

「寝よう!」

 叫ぶ行使者。

「つべこべ考えてても仕方がない。今日ももう終わりだ。行動は明日にゆだねる」

「主が望むなら」

 刺竹の体が霧に包まれ、闇の中にまぎれこむ。床に、金属のころがる音。

「ああ。僕は寝るぞ。何しろあいつらの顔を拝むだけでも不愉快だったからな。眠る間に忘れることとしよう」


 維光は経験したことを、どのようにしても人に伝承(つた)えることはかなわないだろう。

 惑書の手のひらに手を重ねた瞬間、維光はもう別世界にいた。その頭の中さえ変わり果て、全く別の想念に支配されてしまった。

 無数の色の光がこれまた無数の束となって迫ってきた。と思うと、白色に収束してそのまま維光をつつみこんだ。

 維光は、自分が大いなる歴史の一つであることを自覚した。歴史の一つどころか、歴史そのものであることも。『維光』という物質の集合体が、すでに万物の流れを包合しているのだ。

 魔物は、この宇宙に本来存在しない、いや存在してはならない概念。しかし、この宇宙に生じたものである維光の意思が魔物が本来持っていたであろう『流れ』に結合することで、維光は自分がそれ以前とは全く異なる人間であることを直接認識していた。その時のあまりに恍惚とした感情といったら……。

 だが、それ以上は語るまい。維光はもちろん維光であり続ける。しかし、行使者になるという一点において、維光は異なる存在となるのだ。もはや以前の維光は死に、新しい維光がこの世に生まれてきた。

 ――父さん?

 維光の意識がわずかに理性を取り戻しかけた時、色とりどりの幻影と鋭い感覚が襲いかかってくる。

 神殿、砂漠、森、街、廃墟。

 炎の熱、風の動き、人の声、干戈の鳴り響く音、水の冷たさ、怒り、悲しみ、笑い、喜び……。あまりにたくさんの感覚を、あまりに短い時間通り過ぎていった時、維光は激しくもだえた。

 それからは、まるでどらと太鼓を百個重ねたような轟音が耳をつんざく。それもリズムをかろうじて保っていると認識できるほどの、巨大な騒音。

 れっきとした人間の声だと分かった時、維光の意識は突然中断した。

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