2-20 帰路にて
月曜日の朝がやって来た。維光は、以前のような元気を失っていた。
楓との一件もあるが、自分が置かれていた状況に、理解力が追いつかず困惑していたからである。
ここ最近、少年にはあまりの多くの事件が起こり過ぎた。惑書との邂逅。透との決闘。佐井の襲来。
一体、何が起きているのか、そして起こるのか全く予想がつかない。何より、待ち受ける宿命を忍ぶ覚悟もいまだつかない。
――僕はそれでも、生きている。目が覚めた時、ただ一つ思ったこと。
四条維光は確かにここにいて、苦しんでいる。これだけは不可動真実。
机の上には、ぶ厚い、黒い本が一冊。金の模様をはりめぐらした、怪しげな雰囲気の書だ。
こいつが変身して、黒髪に紫の衣をまとう美少女となるとは、誰が思いつくだろう。
よく考えれば、ありえないはずの世界に維光は住んでいる。自分でも、まだ驚きが鎮まらない。
――夢なんかじゃない。これは、現実なんだ。
初めて惑書と契約した時は、決して認めようとはしなかったその事実を、今では当然のように受け入れている。――僕は本当に正気なのかどうか……。
「惑書」
「はい」 少女の透きとおるような声。書の方から聞こえてくる。
一言だけでも、声をどこまでも聴きたくなる奥ゆかしさ。
「僕は夢を見ているんだろうか?」
しばらく間を置いて、意地の笑い声が部屋に響く。
「今更何をおっしゃるのです。まさか楓様との一戦を御忘却で?」
「……ごめん、まだ気がはっきりしてなくてさ」
維光はそこで上半身を起こす。
――まるで昨日が遼い昔のことみたいだ……。
「魔物は人間と違って睡眠を必要としませんからね。ずっと起きたまま主のお心を推察致していたところです」
――魔物の精神構造ってどんな感じなんだろう。まるで人間そっくりだけど、実際には別物に違いない。
何しろ、数千年も生きてるんだ、普通の人間だったらどうかしちまう……。
だとすると、僕も惑書は、理解しあってるんだろうか? 不安な感情を欠いたまま、そう考える。
「そこがうらやましいよな……」
何気なくつぶやき、目をこする。
次に目を開いた時には、すぐ一歩前の位置に美少女がいた。
濡烏の髪を胸までたらし、金色にかがやく線模様をめぐらした紫色の胴着をきて、下半身には紺色の袴。
綺麗だな……維光はなかば無意識に息を吐いた。
「私が気を確かに致しましょう……」
惑書の両手が、維光の首を絞め上げる。
激痛と安心感。ああ、まさに僕は惑書の行使者なんだ。こいつを僕は従えて――
「ちょ、やめっ! やめ……」 悲鳴をおさえつけることで精一杯。
「あもうございますよ」
しもべは冷酷に吐き捨て、主から手を離す。
床に倒れこむ少年。
「ががっ……何度やってもこの感覚には慣れないなあ」
にやりと笑う惑書。
「では、もう一度受けなさいますか?」
心底おびえ切った声、平手を突き出す。
「いや、やめろよ」
――こいつの絞首を次食らったら間違いなく死ねる……。
「それより、これからのことだ」
惑書のやけに
「もし楓様に遭われたら、いかがなさいますか? あの時の様子だと斬りかかってくるとも分かりませんよ」
維光は空元気で笑う。
「安心しろよ。何も無知奴らが大勢いるところじゃやろうにもやれないさ」
「実に楽観的ではありませんか?」
惑書は眉をしかめる。
「かりに透がいる。いざという時に楓を止めてくれるだろうよ」
我ながら悠長すぎるとは思う。しかし、目の前にいる惑書はそんな状況を百回千回と切り抜けてきたのだ。維光は、謎の安心感をいだいていた。
二人は、おのが運命を、まだ何も知りはしない。




