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2-14 道を踏み外れた三人

 当然ながら透は、夷川邸じきじきに赴けと維光に頼みはしなかった。

 あの場所は庶民が立ち入るには敷居が高すぎる。事実透が維光の家に遊びに来たことはあっても、その逆は一度としてない。

 通例どおり、今回も透が維光のがりやってきたわけ。

「あなたが一度、維光と闘ったというのは事実(ほんとう)なのね?」

 七海のどこかうつろな視線に、緊張しながら透は答える。

「……はい」

 ――不思議だ。数ヶ月前の七海さんだったらこんなに心の中が読み取れない感じはなかった。

 透は疑念にかられ、そしてみずから衝撃を受ける。

 ――そうか。行使者にまきこまれるというのはこれほど重大なことなんだな。透は感慨深い気分で、七海がすすめてくれた席に座る。

 惑書、金蛇、そして維光がほかの三つの椅子に鎮座。ただ金蛇だけが座るという動作に慣れていないらしく、三角座りの形で椅子に乗っていたが、脚が不完全に関節で分離し、ちぎれたようになっている。

「あなたが夷川透の魔物?」

 訊く惑書。

「……その通り」

 金蛇の話し方は相変わらず抑揚にとぼしい。人間ではないのだから、奥深くに真意を秘めているというより、もしかしたら口下手なだけではないのかと、維光は余計に恐怖を覚えた。

「いつ契約したんだ?」

「……闘ってる最中に」

 透はおそるおそる事実を語ろうとする。

「……誰と?」

「とても強そうな行使者だった。歳は若そうだったが、気迫は何十年も生きてる人間って感じだったな」

 行使者に年齢は存在しない。外見はなんの参考にもならない。

「それはもしかして、佐井崇勝のことですか?」

 ――しまった、もしかして名前は聞いてないのか。もしまた別の行使者だったら……愁える維光。

 しかし、その心配は間もなく霧消する。

「僕が維光くんと親朋(ともだち)であることを見抜いてやがった」

「だとするとやっぱり佐井だ。だってその前は僕を襲ってたんだからな」

「まあ、透くんも?」

 棚から小麦粉を取りだそうとしていた七海はすぐテーブルを越えて立ち上がり、眉間にしわをよせ透の顔を凝視。

 透は、佐井に対して並々ではない恐怖をもちろん感じていた。それ以上の心残りがもう一つ。

「でも、もっと不利(まず)いことがある」

 金蛇も、眼窩を無理に顔から移動させ、その返答を待つ。

「それは?」

「百合奈と杏お姉さんが目撃してしまったんだ。僕の契約を」

「……目撃してしまった……」

 母子と魔物が顔を見合わせる。これで非日常がどんどん広がっていく。

 これ以上この世界のことが知れ渡れば、どんな不条理が起こるか分からない。

「まさか、お前が行使者として闘ってるのを二人も見たってのか? そんな理不尽な……!」

 維光の緊張は高まる一方で、やむことはない。

 ここに永歌のことをさしはさんだら、どんな顔をするか。

「やむをえなかったんだ。あの男から急に襲いかかって来たんだから」

 透はいくらでも自己弁護に走りたかった。たとえどんなに虚しいことであるとしても。

「で、そいつをあなたは無事に追いかえした、と」

 惑書は冷静さにあふれた、流麗な言葉で確かめる。

「らしいな……」 透のはだに、震えがゆれている。

 ――これくらいのことで、おびえているのか。私の契約者たちは、もっと危険な目に遭っても、まばたき一つしなかったものを。

 惑書は、透を内心あざけってから、

「金蛇。あなたの権威は何なの?」

 金蛇はそれを聞くと、脚を急に下に伸ばしだす。その二つは、床あたりでどこか骨折に近い形で屈折して止まる。

「鎖をどこまでも長く伸ばしていく。伸ばして、まきついたり捕まえたりする――それが僕の権威さ」

 維光はそこでどうしても気になって仕方なくなった。

「どうして、自分の権威が分かるんだ?」

 顔をそむけて、

「知らん」 虚空をながめつついう金蛇。

「気づいたら、記憶の中にそうあったんだ。人間が僕をそういう武器として使うように、『何か』が定めたんだ」

 壁沿いのレンジにより、ケーキを焼いていた七海が、

「『何か』の意味する者って? ……造物主とか?」

「ゾーブツシュ?」

 七海は、そこでやさしく言いかえる。

「この世界全てを造った……神様みたいな存在」

「……分からない。ただ、正体不明の力が僕らをみんな動かしてるってことだけは確実だ」

 維光には、依然として金蛇の素性がよくつかめなかった。

 それでも、どこかでうす気味悪さは感じる。――つまり僕ら行使者の世界は誰かによってしくまれてるってことだ。行使者同士の戦争も。

 ……一番明かさなきゃならないのはそいつの正体なんじゃないのか? 佐井とかいう奴の思惑よりも!

「佐井崇勝はまだまだあきらめないでしょう」

 惑書の魅惑するような目つきが、一瞬で維光を現実に。

「彼に仲間がいるかどうか分かりませんが、すでに透様が契約なさった以上、さらなる圧力をかけてくるのは動かせない事実です。我々も、奴がいる場所を突き止め、行動に出ねばならない」

「あ、ああ、そうだ」

 惑書の澄んだ瞳のせいで、維光は下僕の言葉をよく聞き取れなかった。

 佐井崇勝。僕を襲い、透を襲った。魔物がその近くにいることをかねてから知っての上の

「なあ維光くん、聴いてたのか?」

「……いや全然」 申し訳なさげに頭をかく維光。

「いいか、これは佐井を僕たちの力だけで倒さなきゃならないってことだ。どれほどの厳しいことになるか予想もつかない」

「つまり、二人ともただじゃすまないってことね?」

 手袋をはめた七海が、こんがりと焼けたケーキをもってくる。パンに似たそのこうばしいにおいについ、食欲にこの悩みを消させようとしてしまう。しかし、今はそんな状況ではない。

 維光は慄然とした。透の場合は気の合う仲同士だったからよかった。しかし今相手にしようとしている行使者は、正真正銘の敵。

「か、母さん」 七海の表現は大変抑えた言い方だ。死ぬかもしれないんだから。

 その逆、殺すことも。

「私は、もうあきらめているの。みんながこの先普通の人として生きていくことなんて」

 なんとはなしの寂しさが維光を蓋う。無謀なことをしでかさないように、母が大声で叱ってくれることをちょっぴり期待していたのだ。だがもう、母は悟りきってしまっている。

「七海様……」

 ――主が決断を下そうとされないのも理解できる。人間の道理として、温情があまりに辛いほだしとなっているのだ。

 そしてそれを無残に踏み倒すことは、魔物としてもできることではない。

 変わらずただよう、ケーキのいいにおい。かつて神々に捧げたものとよく似た、隔絶した雰囲気のある煙。食べたいと思うが、まずこの人間たちの雰囲気をどうにかしないと。

 意外な人物が、沈黙を破る。

「……主よ、何をじっとしている。維光どのになぐさめの一つや二つでもかけてやらないのか」

「金蛇、何だそりゃ? 覚えたての同情アピールか?」

「ふざけるな。僕は維光くんがそういうなぐさめを嫌うと知っているからな」

 維光は、きざったいものをそこに受け取った。

「透、その心がけが僕の心をますますかき乱すんだぞ」

 ケーキのにおいに、じわじわと親近感がわきだす。やはりこの類の欲求には我慢できない。

 今だけは、平穏な日常にひたっていたい。たとえいつかはなくなるものだとしても、いいから。

「食うぞ、惑書」

 維光は、惑書を人間としてさそった。うっかり重要な事実を忘れたまま。

「私は食べない身と申し上げたはずですよ?」

 惑書はその言葉の直後、主ののどぶえに人差し指を差しこんだ。主は悶絶し、あやうく倒れ掛かりそうに。


 透は、臨戦態勢で帰路についた。右腕に金蛇をはめ、いつ攻撃しても対処できるために。

 自転車をこぎつつ、頭で盈たされていく悩み。

 ――僕は行使者になってしまった。もはや行使者を殺して生きる以外に術はない。会社に貢献するなんてまして眼中にないはずだ。けど、やはり……。

 永歌さんが、もうこの事実に気がついてしまった。お姉さんも百合奈も……。僕は、一体どの面さげてあの方々にまみえれば――

 道路を通る時、一人の少女がそこに立っていた。

「……楓さん」 急ブレーキをかけ、自転車を降りる。

 千本楓。透が誰よりもよく知る少女。それだけなら何の問題も。

 しかし今、楓は以前の楓ではなかった。

 常人がまとうはずのない雰囲気を、彼女は放っていた。

「維光との会話はどうだった?」

 鋭い目で、質問を投げかける。透が、もっとも予測しない質問を。

「ど、どうしてそんなことを!」

 瞳が一気に小さくなり、後ずさりが勝手に始まる。

「小川さんから知ったの。あなた、佐井さんを一度退けたんだってね?」

 頭の回転に理解が追いつかない。うそだ、楓さんは行使者のことを不正確煮しか知らなかったはず。

「私は何も知らなかった以前の千本楓とは違う。私は真実を知って、行使者になった!」

「なんで楓さんがそれなんて!」

 楓はそれには答えず、手のひら、虚空から白い光柱をほとばしらせる。

 柱はすぐ上下にのび、次の瞬間には刀の形に。

「これが――私の武器」

 透は、がくりとひざをついた。

 まさか、こんな展開になるなどと、誰が予言できたろうか。

 状況に現に遭遇している不運。

「や、やめてくれ! 僕は楓さんとは闘いたくない!」

「勘違いしないで」

 刀を大いに横に振ってから、その刃をふたたび虚空へと消し去る。

「私は、維光くんを止めるために、この宿命を選んだの」

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