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2-7 鳩首会談

 透と維光はまるで何かをたくらんでいるかのように、ほとんど話し合おうとはしなかった。

 別に気が立っているわけでもないようだったが、どこか他人の視線をこばむ気難しさを、二人とも全身に満たしていたのである。永歌は透の気持ちを忖度して、自分からその真意を聴きだそうとはしなかった。

 事実、秘めているものがあったのだろう。昼食の時間になると、透が維光の手をつかんで、誰の注目も引かぬようにそそくさと部屋を退出してしまう。

 永歌はひどく心細かった。透が、自分のものでなくなったかのような気分。

 ――透くんは、まだ何かを引きずっているのだろうか。

 あの事件の記憶がいまだ鮮明なために、どうしても色々な雑念が生じる。

 ――維光くんもあやしい。まるでよくないことをたくらんでそうな様子だった。

 思い出したかのように、横にやってくる俊船。

「わっ、俊船くん!?」

「別に驚かせてなんてねえよ」

 とがっかりしたみたいに小首をかしげる。永歌はつばを飲んで、次の展開にのぞんだ。

「な、何をするつもり?」

「そういうことじゃねえって、なあよく聴けよ。――これはあいつらとも関係のあることだ」

 ひそひそとささやく声をものともせず、低い声で永歌に耳打ちし始める。

「楓がなんでいなくなったか、俺にはなんとなく予測がつく」

 永歌は俊船の息遣いに緊張。

「何が、言いたいの」

 俊船がそんなことを話題にするとは意外だった。

「維光の持ってたあの書があやしいってことだよ。楓がおかしくなったのは維光があれを見つけてからだ」

「楓が、維光くんの本のことを知ってから?」

 俊船は真顔に近い表情で語り続ける。

「ああ。あの時から楓は維光のことをきつい目で察るようになった。くそまじめな性格のせいで、なかなか危なそうな眼光(めつき)だったよ。気づかなかったのか?」

 それは永歌にとって関心の埒外にあることだった。透が無事に還ってくるように祈るばかりで、他のみんなの様子などまるで気にしていなかったのだ。

「ごめん、私は何も……」

 ――そんな問題、透くんが生きていることに比べればたいしたことないじゃない。

「でもだな、俺はあまり他人にそこまで関心がないおかげで逆にそういう細かいことまで気づいちまうんだぜ」

 自分のひたいに指をあてて、どこか悪そうなしたり顔をうかべる竹屋町。

「気づくって、何を?」

 永歌の要点をつかめていなさげな態度で、少年はより得意げな口調に。

「あの書だけじゃない何かが、透も餌食(まきぞえ)にして事態をかき回してるってことさ」


「また会ったな……維光、そして惑書」

「生きてたのね、あなた」

 惑書が軽い笑いをこめた声で言い放つ。

 透は決まりの悪い顔で横に立つ青年を見上げた。

 ――魔物を目の前にいる時に感じる雰囲気は、やはりどうしても好きになれるもんじゃない。

 維光は金蛇に対して、微妙な気持ちだった。

 人間とは違って何千年も生きる魔物だ。生き伸びていることが必ずしも幸運なわけではない。なにしろ、行住坐臥、常に危機的な状況に置かれているようなもの。

 行使者がそばにいてくれない時は、特に。――大体、いつ敵に回してもおかしくないんだし。

「昨日、僕の家に転がりこんできた魔物だ」

 透は不安な声で身の上を話す。

「正直、もう二度とこの世界には関わりたくないんだけど」

 惑書を脇に手をあて、胸をはる。

「あら、おかしいわね。一度行使者になったらもう二度と元の人間には()れないのよ?」

「ああ……聴いた」

 血の気の引いた顔でうなずく透。

「金蛇からか?」

 無言で、しぶしぶうなずいた。

 維光はどこか同情的で、しかし決して共感には至らない言葉で。

「僕だって、今行使者としていることがたまらなく嫌だよ。でも、時たま自分自身が行使者そのものになることがある。まるで僕以外の誰かが乗り移ったように」

 単なる事実として語った。

 若干の間をおいて、やや狼狽する透。

「な、なんで維光はそうやって安閑(おちつ)いていられるんだよ!」

 自分の経験から照らせば、維光の

「わけもわからず戦いに巻きこまれるんだぞ。気が変にならない方がおかしい」

 惑書は維光より一層露骨に軽蔑の意を表した。

「行使者は基本的、程度の差はあれ」

「たまに……そういう自覚を得ないで行使者になっちゃう奴も時々いるのよね。まさかあなたは……その一人?」

「それは困った」

 金蛇でさえ、歯を見せて口を曲げる。

「わ、笑うな!」

「――すまない」

 透の叱咤で、今度は歯を閉じて逆方向に口をしかめる。

「その表情もなかなかオーバー……」

 無粋とは思いながらも、つっこむ維光。

「透、僕も別に進んで戦いたいたいわけじゃないよ」

 青白い透の表情を見すえながら。

「でも、なぜか心の中では、戦わなければならないという義務感が迫ってくる。どうしても、そのために腰を挙げなくちゃならない。その心が、僕に実際に行使者としての行動をとらせるんだ」

 ――透の恐怖は理解できる。事実、行使者ではない自分は、まさにその恐怖で一応、耐えているところなのだ。

 しかし、僕には行使者としての自分がいる。その自分が意識を奪取(のっと)った(とき)、恐怖は一切退いてしまう。あの生々しさと来たら……。

「お前だって、僕と闘ってた時はそんな恐怖なんて感じなかったろ。行使者として活動していないから、そんな怖がった様子でいられるんだ」

 ――維光は、何一つ僕のおびえを理解してくれていない。失望から、腹がすえかねる。

「おい、何だよ、その余裕のある顔は……」

 透は不条理に対する静かな怒りをたずさえている。その怒りに対して、維光は理不尽さを感じていた。

「余裕なんてない。楓か、あるいは別の行使者が絶対襲ってくるに違いないんだ。その矛先は、お前にも向けられるかもしれないんだぞ」

 蒙昧児(わからずや)とでも罵りたい気分が、高まってきてならなかった。


「書が、大きな何かに関わってる……?」

 永歌は、何度でも訊き返したかた。竹屋町の、根拠ありげな推測に。

「ああ。楓は、あの書に原因があると決めつけてるんだ。そして、それは理由のないことじゃない」

 竹屋町は一種のスリルを感じつつ、この話題に耽溺(うちこ)んでいたのである。自分が追求している真実が本当だとしたら、と怖ろしさを感じていないわけではない。しかし、その冒険を犯している自分自身に何か誇り、もとい優越感を感じてならなかったのである。

「あれと同時に透も一時的にいなくなった。この二つの出来事は関係があるに違いない。一瞬だけ透が学校にやって来た時、維光は驚いて逃げまどったそうだよな。つまり、あの二人は一時的に対立してたんだ」

 竹屋町の不思議な説を、ほとんど信じるつもりにはなれない永歌。

「でも、あの二人があんなにきつくけんかするなんて、とても信じられない」

 ――二人は仲が悪くなっても、そのすぐに和解(なかなおり)するのが普通だったはず。でも確かに、維光くんがあんな化物を見たような逃げ方をするなんて異常だった。

 疑問をいだいていなかったわけではない。しかし、維光の心にも透の心にも深入りしたくなかったから、それまでずっと言い出さずに。

「ああ。だからそれはささいなことなんかじゃない。俺たちみたいな一般人が知ることのできない、いや知っちゃいけない分野に俺は践みこんでるのさ。このやばさが、ますます興味をかきたてる……」

 竹屋町の笑顔は、それこそやってはいけないことを公然と行う背徳感に酔いしれている人間のそれ。永歌が心配しそうなくらいに。

 しかし永歌が心配した目で見つめているのに気付き、すぐ真顔で。

「そういや……お前、維光があの書を読んだり、(ひら)いたりしてる光景を目にしたことは?」

「維光くんが? あっ……」

 その時、永歌は急に両手で頭をかかえこむ。

 電撃のように頭痛が響く。頭の奥で、何かが反応しながらも、しかし何か分からない。

 心のどこかがうつろなのだ。

「おい、大丈夫か?」

 あわてて肩をつかむ竹屋町。顔が近づいた気がして、永歌はどきりとした。

「だ、大丈夫……なんだろう」

 それはまるで夢みたいに、思い出そうとして思い出せるものではなかった。

『ある』ことは知っていても、『何が』までは答えられない。

「維光くんと廊下で会って……そこからよく思い出せない」

 永歌はもどかしさを越えて、得体のしれない物に憑かれた感覚に触れていた。

 それが自分から外れれば、完全に思い出せるのに、と。

「そりゃまさか、書の力とか?」

 竹屋町は、期待と不安の混淆(いりまじ)じった声でつぶやく。

「あの書に、そんな力が? ……」

 ――よく考えれば、あの書に誰も関心を持っていないことが変なんだよ。それもきっとあの書のしわざに違いないんだ。

 竹屋町の深まる執念。

「さあな……だが、疑ってみるに越したことはない」

「……でも、そんなこと推理して、何か意味があるの?」

 永歌は、維光が抱えている秘密に対してあまり興味を持てなかった。維光とその人間関係が健全であれば、それでいい。何一ついぶかるべきことなどない。

「別に? 俺はただ好奇心であいつらの探ってるだけだよ」

 竹屋町にとって、維光はすでに一人の人間ではなく、話題の種だった。

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