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2-6 下される使命は突然に

 夷川家は外から見ると何か博物館か旅館ではないか、と思わせるほどに由緒正しさをしのばせる外観(つくり)をしている。

 切妻様式の屋根はレンガをしっかりと積み上げ、その隅には雨どいとして悪魔の石像が警護するみたいに置かれている。漆喰で白く塗られた家は、見れば見るほどよくある陳腐な設計の住宅とは見違えて立派な代物。

 事実この家の長夷川芳郎(よしお)はある製薬会社の重役を務めているのである。それで家も高名な建築家に設計を依頼してもらったわけ。

 ……しかし、家が豪勢だからといって、そこに住む人々までもが上機嫌というわけにはいかない。

 一室で、御曹司の透はベッドの上にしゃがみこみ、押し黙っていた。

 ――そんなこと、お前に言われなくたって分かってるんだよ。

 トイレの中で維光に言われた言葉がどうしても蘇ってくる。耳をふさいでも、已むことはない。

 ――自分が一度踏み外してしまった道は、決して退(もど)ることはできない……。

 刺竹は、魔物がなぜこの世にいるのか、行使者がなぜこの世で闘うのか、多くを語ってくれなかった。というより、透自身が『惑書を倒す』という目的に熱心なあまり、積極的に尋ねなかった責任もある。

 しかし、刺竹と契約したあの時、目にした幻影は、透に行使者という言葉の意味を(しら)しめるのに十分だった。

 数百年の時間をこの世で過ごしたあの魔物の記憶。

 過去の行使者たちは、彼とともに駆け、そして散った。

 彼らはその僮僕以外の何もかも捨てて、わけもわからず殺しあいの運命に身を投じて行った。

 ――ところが、僕はその責務から外れてしまった。他でもない、自分の僮僕を棄て去って。

 恐怖が湧いてきた。――一体いつまで、僕はその運命に巻きこまれ続ける? その最後は、どうやって?

 知らない内に、自分の頸を両手でしめかけていた。

 透は、自分の選択に、ただ戦慄。死んで、この運命から逃げきれるとでも言うのか?

 維光も、楓も、もうこの世界に足を踏み入れてしまったのに!

「くそっ……逃げるんじゃない……逃げるんじゃない……」

 どうしようもない自分自身への怒りで、頭をかきむしる。あの世で刺竹が笑っている

 そして、部屋の外に異様な気配を。

 人間でもなければ、風でもない、こちらに近づく何か。

「く、来るな!」

 叫ぶ透。容赦なくかきみだしてくる嫌悪感。

 この感覚を、透は覚えていた。刺竹と寄り添っていた時と同じ、この人間らしくない感触。

 床に立って激情をはく。

「僕はもう二度とあんなことに関わりたくない。だから逝ってくれ!!」

 しばらく間を置いて、返答。

「……君は行使者、だな……?」

 風に乗っているような、ささやき声。

「昔のことだよ、そんなの」

 早口で反論する透。

「魔物と契約してしまえば、行使者はもう元には戻れない……」

 血の気の引いた顔色で、透は後ずさる。

 電灯の色は青白く、窓には黒一色がはりつくばかり。

 誰も、外から助けには来てくれない。

 ついに扉をすりぬけて、白い霧が中に侵入する。

 まるで自我でも持ってるみたいに、部屋の中央で球体にまとまって静止。

 透は、憎しみさえこもったひきつり気味の顔で、その霧をにらむ。

「やめろよ。これ以上僕に何をしろってんだ!」

「どうであれ、行使者と魔物は離れることなんてできやしない」

 霧から、かすれた声が響く。

「それに僕も、今とても追いこまれているんだ……。わらにもすがりたい気分なのさ……」

 魔物、だ。

 それも契約者のいない。透は一瞬で察した。

「僕なんかに佑助(たすけ)を求めてどうするんだ。僕は一度行使者に負けた敗北者なんだよ」

 壁にはりつき、その声はもうすっかり弱弱しい。

「君の友……四条維光に」

 すると、透はこの時純粋に驚いた。恐怖がややひき、疑いの目つきに。

「なぜ、その名を知ってるんだ」

「一度遇ったことがあるのさ。学校でね」

 霧がだんだん上下に伸び、白さが濃くなる。

「一体、いつ」

 ――維光の奴、僕に何をはかってる。

「君の魔物、刺竹が倒れる前にだ。かつて君に僕は狙われていたのだよ」

 最悪だ。まだ悪夢が続いている。

 透はもう誰にでも悪態をついてやりたい気分だった。

「そしてまた、別の人間に今は狙われている。僕の状況は何一つ改善されていない」

 目の前の魔物は、切実そうに語った。そして行使者は、やむにやまれず彼から事情を訊かねばなるまいと思った。

「いいから、話を聴かせてくれ」

 透がしぶしぶそう告げると、棒状にまとまっていた霧が自分をとりはらい、人間の姿が顕われる。

 眼鏡をつけ、藍色のコートをはおった気弱そうな青年。ただ、時折もやがその表面に出るのが気にかかる。

「僕の名は金蛇(かなへび)。気づいたらこの世界にいた。そして他の魔物どもにつきまとわれている。それ以外のことは何一つ知らない」

 透は、魔物がうまく人間の姿に化けていると感心するとともに、金蛇の変装がやや刺竹に劣ることに少し落胆。

 しかし再び、一つの明るい感情が唐突(だしぬけ)に。

 ――何だ? この期待感は? 僕はもう、こんな世界と向き合っていたくないのに。

「……今日は僕の部屋にいてくれていい。細かいことはあすに頼む」

 ふざけるなよ。もうこんな奴らとつきやってやる義理も道理もないんだ。

 透は、妙な感情に戸惑いつつも、状況を冷静につかもうとする。

「そうか」

 金蛇はその相づちの直後、霧で体を覆い、短く太い鎖の姿でベッドの上に寝転がる。

「……父さんや母さんが見たらいけないだろ。せめて引き出しの中に隠れていてくれ。魔物の姿を見られたら困るから……」


 永歌は透がかりかりしていたことで気をもんでいた。維光と早く仲直りさせたいと彼女は望んでいた。

 しかしそれ以上に悩んでいたのは、楓の欠席だ。いきなりクラスの優等生が授業から脱け出したのだから、かなり深刻な事態が生じているのだろうとは他のクラスメイトもつぶやいていたことである。

 楓の家に電話もかけてみたが、結局答えらしい答えは得られないまま。まるであの事態の再来。

 永歌は、透の不機嫌さと楓の欠席のことで頭がいっぱいだった。

 ――もし、楓がこのまま戻らなかったらどうしよう。これじゃ透くんに申し訳ない。そのことでさえ、自分の罪ではないかと思えてしまう。

「よう、維光」

 その時透が教室に入ってきた。あの気色ばんだ様子はどこふく風。

「昨日はすまなかった」

 維光はさして気にしていない様子。

「別に? この程度のけんかは年に数回くらいあるだろ」

 気にしていないだけでなく、他のことに気を取られているようにも見える。

「こっちは母さんと色々話し合ってたんだよ。昨日の夜はそのことでずっと寝れなかった」

 しゃべりつつ、虚空を向く顔。

「……何を?」 不思議がる透。

 ――そうだ。維光くんに

「ねえ維光くん!」

 ぎょっとする二人に、永歌は大声で問いかける。

「楓が今どうかしてるか知ってる? もしかして、維光くんがちょっとの間校舎にもどったことと関係が……?」

 ほとんど抑揚のない口調で返事する維光。

「僕の書にちょっかいをかけただけのことさ」

 永歌のほおがふくれる。

 ――おかしい。維光くんは、何かを匿してる。

「でも、校庭から校舎までけっこう遠いよ? どうやってあんな短い時間で向こうに――」

 透が無理やりその流れの腰を斬る。

「君に話しておかなきゃならないことがある。とても重大なことなんだ」

 まんざらでもない顔の維光。

「昨日はあんなに(いや)がっていたのにか?」

 永歌はどうしても欲求を抑えきれなかった。

 ――そうだ、透くんなら絶対に知ってる。維光よりも透くんは楓に近いんだから。

「どうしたの、もしかして楓のゆくえを知ってるとか!?」

 腕を振って催促するも、通じない。

「待て待て、永歌さん」

 手のひらを見せて、透は少女を鎮める。

「これは僕たち二人の問題なんだ。誰にも聴いてほしくないことでさ」

「じゃあ、そうしておくか」

 維光はうなずくが、その時の口調はさきほどまでとはうってかわって低かった。

「何よ、維光くんのいじわる!」

 心臓がきりきりするのを受けて、永歌はほおを赤くしながら怒った。


 ――維光くんだけじゃなくて、透くんまでもが秘密を共有しようとする。こんなこと、今までになかった。透くんはずっと私にどんな悩みでも話してくれたのに。それなのに、今回ばかりは違う。一体どうして。

 永歌は腑に落ちない。もしかしたら自分に失点(あやまち)があるのではないかと疑いもしたが、何一つ確証はない。

 すると急に、肩を叩かれた。

「なあ永歌」

 すぐ目が丸くなり、体が震えだす。

「どうしたの、俊船くん?」

 透以外の人間には慣れていないことだったから、震えている。

「俺には、あの二人に裏があるように思えてならないんだ。それだけじゃなくて、楓もな」

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