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2-4 せりあがる秘密

 夷川の機転は何の役にも立っていない。楓さんが学校を中退することになった、と下手な演技で先生に説明した所で、うまくごまかせるとでも意っているのか。

 維光はやはりいつも通りの帰り道をたどっていた。当然ながら気分は浮かない。

 母はあの一件以来、ますます息子を何か神々しいもののように思いこんでいるらしく、ずっと静かな物腰でいるのだが、維光はなんだかそれでは本来の母親ではないように感じてならなかった。

 非日常に巻きこまれた人間の宿命と思っても、仕方がない。

 自分だけでなく、自分以外の人間も、その瘴気に()たってしまったかのよう。

「あなたは、もはや彼らとは違う、不死身の存在なのですよ」

 惑書は冷たく言い放つ。

「そう言われても、実感が持てないさ」

「いいですか、もうあなたは百年生きようが千年生きようが、死ぬまでその姿でいなければならないのです。周囲の人間が次々と年老いて死に続ける中で、あなたは生きなくてはならない」

 行使者の自覚がまだ押し寄せていないのだろう、維光はそれを聴いて心の底からおどろおどろしく。

「うす気味悪いな」

「だからお父さまは家を出なさったのです。自分の素性をさぐられないように」

「それは僕らを想っての行為じゃなかったわけだ」

 維光は、その点に関しては父に許しを下すわけにはいかなった。

「だとしても、千年も生きてたら気がどうなるか分かったもんじゃないな」

 ああ、何と甘いお方だ。人生をはかなみ、有限の生命を望むなど、人間に特有の悪癖に過ぎない。

 何千年過ぎても、人間界の道理にはほとんど変化が見られない。その愚かさを楽しむのを、なぜ奴らは理解しない。

「いいですか。私は四千年も生きていますが、それでもこの人生に虚無(むなしさ)を感じたことはありませんし、むしろこの世はどれほど生きても飽きることのない、最高の楽園なのですよ!」

 そんなあほな。

「魔物の心は人間には理解が――」

 つっこみは途中で停止。

「――後ろを!」 惑書の叫び。

 その瞬間、機体にブレーキをかける。

 背後を向くと、空中を、一人の人間が飛ぶように走り抜ける。

 急に地面に下降して、激しくうちつけるように着地し、こちら側を向いて立つ。

 そして両目が維光をにらむ。口を深く弧に曲げて。

「あんた行使者だな」

 反射的に維光は問うた。敵意に満ちた瞋り。

「惑書の主、四条維光だね……?」

 疑問を口にするほど、維光には心の余裕などなかった。

「名を()れ」

 若干色気のある、やさしげな容貌が、いっそうその危険性をかきたてる。

滑脚(すべあし)の主、佐井(さい)崇勝(たかかつ)。君のお父様のことはうわさで知っている……」

 突如として、無理やり音調を上げたみたいに甲高い声が続いた。

「くけけ、あんたが四条維光でげすか! 想像より見劣りした小僧でげすなあ!」

 佐井はかっとした顔になり、うつむいて叱りつける。

「よせ、滑脚! この少年をむやみに怒らせるな」

 よく観ると、佐井の脚から腰までを、青白い筋が無数に集まって覆っている。かいこのまゆにも似た外観だ。

「僕に何をするつもりだ」

 いつの間にか、維光の腕に惑書。

 けんかを起こしたきり、透とはまるで絶交にも近い状況だ。なぜそんな時にこんな厄介な相手が。

「君の父親の行方を知りたくないか?」

「父親の……行方……?」

 命の争奪(とりあい)が日常茶飯事の行使者の世界。死んでいるものと、無意識に維光は思いこんでいた。もう、解決のめどなんて立たないものと。

 それをこの男はまるで生きているとでも言いたげな雰囲気。

「父さんは……生きてるのか……!?」

「いや、僕も実は知らんのさ。何よりもそのためには――」

 数秒の間をおいて、

 佐井は空中に飛びあがり、維光の頭上へと。

「惑書を」

 無意識に口が動いていた。

「吹き飛べ、そこの跳魚(とびうお)風情」

 佐井は維光のふところに至る前に、衝撃波の洗礼を受ける。

「ぐっ……!」

 佐井は脚に力をこめて、圧力をやわらげつつ後ろに吹き飛んだ。

「主よ、こいつ強いでげす!」

 行使者の体にからみついたまま、驚きをぬかす滑脚。

「赤い炎よ薄く広く、あの鳥男挟みつぶせ」

 いつもとよりよく響く声で、歌を唱える維光。

 佐井が空中にとどまろうとした時、火の粉が密集してできた紅の壁が、前後から迫る。

「や、やばいでげす!」

「そうやっていつもお前は――」

 佐井は、全身を軸にして、思いきり回転をかける。

 回転が速度をきわめると同時に、その空間を竜巻が吹き荒れ、炎の壁を霧のように消し飛ばした。

 竜巻と化した佐井はそのまま地面に着地し、大して疲れてもいないかに腕を鳴らして見せる。

「ははっ……合格だ。四条維光」

「何がだ」 相手の意図が全く読めない理不尽に、不機嫌をつのらせる。

「さすが四条盛永のご子息なだけある。先ほど述べた通り、僕の目的は惑書を奪うことだ」

 佐井の笑みは、まるで獣が獲物をだます時の芝居としか見えない。

「私を奪って、どうするおつもり?」

「銀の正体が知りたい」

 維光は驚く。両手に抱えた惑書が、赤い稲妻を放ったから。

「なぜ……あなたたちがその名を!」

「そこまで教えてやる義理はないかな。こっちも奴を逐う覚悟は半端じゃないんでね」

 銀……? 新手の魔物か? 維光はすぐに僮僕に訊いた。

「なあ惑書、銀って何者なんだ」

 しかし、言葉はない。沈黙がその返事。

 まさか、こんな時に惑書に反逆されるとは!

「どうも惑書はその主人には答えたくない様子でげすな!」

 一体、何がどうなっているのか分からない。頭をどれほど回転しても、心当たりなど全く見つからない。

「気づいたな? これは行使者の世界を揺るがしかねないことなのだよ」

「おい、惑書、教えろよ!」

 再び、惑書の表紙からほとばしる赤い稲妻。

「よろしい、なら今日はここで去ってやる」

 佐井は、すっかり冷めた声で維光の混乱に拍車をかける。

「だが、次は決して容赦はしないからな。首を洗って待っていることだ」

「ちょっと……待ちやがれ!!」

 しかし維光が足を踏みだす前に、佐井は真上へ一直線に飛びあがり、空の向こうへと消え去っていた。

 けむに巻かれ、その行方は結局つかめない。

「……惑書、あいつは一体、何者なんだ」

 書の背を顔に見立てて、またも訊いた。

 だが、やはり。

「私は……何も……」

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