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2-2 暴露された常識

 突然、「あっ」と衝撃に満ちた声を挙げ、そのまま行使者は立ちすくんだ。

 まだ準備体操が終わってもいない時に、脈絡のない動き。

「おい、どうしたんだ維光」

 横の竹屋町が運動を止めないまま訊く。

「……とんでもないことが起きた」

 維光は、感情のない声で。

「忘れ物か?」

「いや、違う。もっと重大な……」

 ここにいる奴ら全員にとって、関係のないことだ。

 しかし維光にとってはどれだけ強調してもしたらない、問題。

「維光、ちんたらしてんじゃねえぞ」

 まわりを歩いていた先生が、すぐこれをみとがめる。

 維光は、なお言葉を出すのに難しかった。それが解決したのは、数秒も後。

「あの……思い出したことがあるので、しばらく戻ってもいいですか!?」

 必要以上に、血走った口。行使者の秘密がばれかねない事態だ。

 維光は先生の了解を得る前に、地面を足で踏みしめた。そして、誰の目にも止まらない速さで校庭から蓄電。

「おい、何なんだ!?」

 先生だけでなく、他のクラスメイトが唖然とする目の前で、維光は姿を消していた。


「楓!」

 行使者の力で、現場にかけつけるのに数分もかからなかった。

 楓がそっぽを向いて突っ立っている。その足元で、惑書が、火をふいて燃えている。

「な、なんで……」

 維光の体がわなわなと震える。まさかこれほどまでに疑われていたとは。楓は、信じられないくらい落ち着きはらっていて、自分の行為にいかなる呵責も。

「あの書を見つけてから、あなたはおかしくなったのよ」

 と言いながら、楓は振り向いた。自分に正当性があることを、ちっとも疑ってはいない顔。

「あなたは……この書と話してたわよね? まるで心が宿ってたみたいに」

 予想外の言葉に、返す言葉がなかった。

「ど、どうしてそんなこと!」

 楓は一切維光の調子には合わせない口調。

「ずっと前から見張ってたの。何かその書に惑わされてるんじゃないかって。こんなのがなくなっちゃえば全ては元にもどる。もどさなきゃならない」

「待てよ、意味不明だ」

 楓の生真面目すぎる態度に、維光は衝撃しか示せない。

 まるで洗脳されているのと同じだ。吹きこまれているとしか思えない。

「それどころかあなたには不思議な力が備わった。竹屋町をちょっと触っただけで床に叩きつけたり。今だって、あんな遠い校庭からよくここまでたどりつけたわね」

 目を細める。人でも殺せそうな鋭利(するどさ)だ。

「それもひょっとして、こいつのせい?」

 人差し指で、本をさす。

 真実を教えてやるべきか。いや、それも不可能だ。楓は日常にいる人間。非日常に係わらせるわけにはいかない。だがその侵入を許している!

 維光のこめかみから、どんどん汗がしたたる。

「違う、違うんだ!」

「私の推測(よみ)はあってる!」

 楓の叫びは、それ以上の説得力を以て、維光を黙らせた。

「前、カフェで強盗が捕まった事件があったでしょ? ネットで調べたらあったのよね。その時、私たちの高校にいる生徒が、そいつにやけに居丈高に構えてたら、そいつはへなへなになっちゃったって」

 維光は楓の話などほとんど聞いていなかった。

「それってまさか……あなたでしょ? だって、あのカフェに行ったって言ったじゃない。まして、詳しく訊かれた時のあの動揺。ばればれなのよ」

 楓は使命感に燃えていた。この書が一体どこから来たのかも調べなければならない。だがそれ以前に重要なのは、維光を正気にすることなのだ。大禍(おおごと)になる前に、事態を収拾しなければならない。

「つまり、こいつはあなたに変な力を与えたってわけ。まさか何も知らないなんて言わせないから」

 消せ。この女を消して、日常を修正すべきだ。

「本当のことを言いなさい。私たちに何を隠してるの?」

 維光は、自分の口が独自(ひとりで)に動くのを感じ、それを全力でとどめようとした。

 しかし、行使者としての自分が、嫌でも心の中をかき乱し、『適切な処置』とやらをとらせようとする。

「何も、隠してなんかない。あんたにこのことを問い詰められる筋合いなんてない」

 楓の方もとうとう緊張し始めた。

「いよいよ本性を現したわね。維光に危害を加えるのなら、ただじゃすまさない……!」

 ああ。これが日常にいる奴の反応か。まさしく、行使者を親しい人たちは理解しない。

 どうでもいい。こいつをさっさと摘出(つまみだ)さなければ。

 ついに、維光は口に呪文を解放した。

「……鎖よ縛れ。地面に落とせ」

 その時、白い霧の形をとる鎖が虚空から突き出し、楓をぐるぐる巻きにした。

「やめて! 離して!」

 維光はそれから、どうするか悩んだ。

 さすがに殺すのはためらわれるが、かといって放った所でただですむとは思えない。

 何より、女体がこのように束縛に堕墜(おちい)り、あえいでいるのを目の当たりにすると、行使者としての維光であってもそこに眼福を感じざるを得なかった。

 このまま観ているのもいいかもしれないな。楓の悲鳴に性的な要素をみてとり、かすかに笑嗤(ほくそえ)む。

「な、何をしているんだ」

 僕としたら、何と愚かなことをしているんだ。楓にひどいことをしているではないか。

 実に万死に値する!

「は、放てっ!」

 吐き捨てるように唱えると、楓は急にがたりと地べたに倒れこんだ。

 なんたる品性下劣。行使者としての自分に文句の一つでも言いたい気分。

「この……野郎!」

 楓は必死に上半身を起こすと、憤怒の形相で維光をにらみつける。

 本当に、怒っていた。憎んでいた。全ての負の感情は維光に。もう、後退(あともどり)不可(できない)

「ちょ、待てよ!」

 楓は走った。維光を怪物に見立て、全力で離れ去った。

 本来なら行使者の力で追いつけるはずが、心の整理があまりにつかないせいで脚が働かない。

 数歩を踏みしめてもなお楓を捉えられないその時。

「お待ちなさい!」

 背後で、厳しい叱咤を維光は聞いた。

「惑書……お前……」

 煙のわく灰をあとに、ぴんぴんした惑書が固い表情を。

「魔物の体はこの世界の影響を受けぬものですから。それより――」

「楓は知ってしまった! 僕らの秘密を!」

 まさにそれこそ、惑書が指摘することだろうなと思って。

「そう、あの方に知られてしまった。なぜ口封じをなさらなかったのですか」

 惑書の態度は、酷薄といってあまりある。

「それは、あいつが……」

 分かっている。自分は、詰めが過甘ぎると。

「ええ。楓様は以前から我々の活動についてご存知のようでした。しかし主が温情にあふれた御仁(おかた)であればこそ、私もその件については追求せずに来たのです。けれどもう、一線を越えてしまった」

 自分を火で焼く、か。確かに人間の考えつきそうな浅薄(あさま)しいことだ。

 どっちも愚かな人ではないか。主は不可解な人間だ。行使者の性分をあらわしながら、急に私人としての自分に改心(たちか)えろうとするのだから。

「多分楓様の活動は収まりがつかなくなるでしょう。いや、もしかすると私たちのことが周知の事実にもなるかもしれない。そうなれば実に厄介」

 惑書の言葉は、耳に入れることさえ火傷(やけど)を負いそうだった。

 ただうなだれることしかできない主。一体、よくそんな正直さで人生を歩んでこれたもの。賞賛できない。

「まだはっきりとした予測はできませんが、じきに楓様も行使者の世界に足を踏み入れるでしょう。この世界に関わったら、結局この世界全体に身を浸すことになる」

 そういう人間を実際、惑書はよく見てきた。この世界を偶然知ってしまったことでやむをえず行使者になった人間は数多い。事実、この少年がそうだ。

 維光はすでに全身に打撃。惑書に相づちをうつ気力も今はない。

「非日常は止まらないってわけか」

 自分が招いた事態のひどさ。正視に堪えない。

 泣こうとしても、涙腺が機能しない。

 目を閉じて、泣く真似をするばかり。

「あんたが甘い奴だからよ……四条維光……!」

 とうとう懲りた惑書は、維光の胸倉を片手でにぎりしめ、その全身を空中に持ちあげた。

 維光は、その苦痛で目の前の現実を忘れてしまいたかった。


 制服に着替えるや、維光は机に頭をあずけ静止していた。

 楓が教室に帰ってこないことで多くの生徒たちが心配しているところ、

「なあ、何があったのか教えてくれ、維光」

 何も知らない竹屋町は、頭をかかえこんでやまない維光に問い詰める。

「わずか五分くらいのことだぞ。それなのにお前は見学も同然の状態だった。何がそんなに衝撃だったんだ?」

 うるさい。お前らに言っても、理解されるものか。

「前よりも内籠性(ひきこもりがち)になったな、維光」

 維光は竹屋町の無知に満ちた文句を言うのが嫌でならず、ますます頭をそむける。

 透は維光を決して見まいとした。もう、あいつとは関わりたくない。

 あの非日常は昔のことだ。過ぎ去ったことだ。全力でそう思いこもうとした。

 維光に困難(くるし)んでるのは確かにそっとしておけない。けれど、もはや行使者の話題について振られるのはごめんだ。

 維光がびくっと上半身を起こした時には顔中冷や汗をたらしていた。惑書の言う通り、楓が行使者になるという可能性は十分にある。そうなればますます非日常がこの日常を侵食することに。

 それが当然の展開としても、楓が行使者になったら何をしでかすのだろうか。全く見当がつかない。

 だからこそ、事情を知っている透にこのことは絶対相談せねばならないのだ。

「透。トイレに行こう」

 維光は透に低い声で話しかけた。

「……またあのことか」

 悟られている。当然だ、否定する証拠もない。

「頼む、今出したくてたまらないんだよ」

 当然ながら周囲(まわり)から珍妙がる声。

「おいおい、あの二人が一緒に?」「どんなことを始めるのやら……」

 維光は自分自身の恥ずかしい感情を抑えて、透を人気のないトイレ室に連れて行った。

 便器のある個室に閉じこもる透と維光。

「……昨日しゃべったじゃないか。もう僕はあの世界とは無縁な存在なんだよ」

「無縁ではいられない。永遠に俺たちは非日常の人間なんだ」

 二人はできるだけ声を小さくしてしゃべったが、そこにははりつめた空気がみなぎっている。

「でも僕は何の魔物とも契約してないぞ」

「だとしても、一度契約した以上あいつらとは違う」

 血の気が退き、透の瞳孔はどんどん小さくなる。

「あの悪夢を僕によみがえらせて、どうする?」

 維光はその言葉を、当然であるかのように返す。

「楓が、惑書に手を出した。焚やそうとしたんだ」

「は……!?」

 透は動揺した。なぜ、楓さんが出てくる。

「何もかも前からあいつに察られてたんだ。楓がこの非日常に手をつっこんでしまった」

「楓さんは自分でそれをつきとめたのか」

 この間の事情を無論知らない透は、あっけにとられている。

「分からん。けど、絶対あいつはいずれ非日常の真実を知って舞い戻ってくるに不異(ちがいない)

 時間があまりにも足りない、と維光はあせっていた。何としてでも、透から協力を抽出(ひきだ)さねば!

「どういう意味だよ……そりゃ……」

「魔物になって、行使者になる。くそっ、僕が惑書を拾いさえしなければ、今さらこんなことには……」

 またこの言葉。何万回はこうが、はき切れそうにない。

「だから懇願(たの)む。お前も行使者として僕に力を貸してくれ。友達だろ?」

 ふざけるな、と透は心の中叫んだ。もう一度あの地獄に手をつけるなど、できない相談だった。

 それを平気で持ちかける維光は、どれほど恨めしい奴か。

「で……できるわけない」

 と両手を握りしめつつ透。

「君が友達なら……こんな残酷な依頼なんて出さないだろ? 一体何様なんだよ!」

「今はそれどころじゃないんだ。お前だって楓のことは心配でならないだろ!?」

 相手の情にうったえようとするが。

「楓さんと行使者の間に何の関係があるんだ!」

 楓さんが、あの過酷な非日常につながるなどありえない。

 なぜなら、楓さんは容貌も優れているし、性格も上品だ。魔物と行使者などというどすぐろい世界からはもっとも(とお)い。

「維光、お前は自分が嫌な事を人に圧迫(おしつ)けるのか!? そんな仕事は他の気にくわない奴にやらせろ! 僕は絶対その(はなし)には乗らないから」

 透は顔をかなり赤くして、トイレから荒々しい足取りで出た。

「おい、透!」

 トイレ室の中にはただ、維光一人がとりのこされた。

 現実の救いのなさに、心底泣きたくなった。透の次は、楓がこの世界に足を踏み入れてしまった。

 そして、どうすることもできないふがいない自分。

 憤懣やるかたない維光は、しかたなく便器に座り、排便した。最初の口実に反しないため。

 見事な赤茶色だった。

「もし、この世に希望と言う物があるのなら……」


 一体何なのよ……!!

 楓は目に映る道を走り続けた。怒りのあまり、学校に戻ることさえ忘れてしまっていた。

 気づくと、あたりは一面人気のない、薄暗い森。高い木々が葉をしげらせ、その間から、青白い空があわい光で見下ろしてくる。

 さっさと学校に退散しておけばよかった、と後悔。そして、維光に対する激情。

 その境界線に立って、冷静に現状を考察。

 あの時、維光は呪文のようなものを唱えた。その時私の体は見えない縄のようなものでしばられ、動くことができなくなった。街灯夜亭でも強盗は同じ風に崩れ落ち、無力化したそうな。

 間違いなく、二つはつながっている。あの怪しげな書の所業(しわざ)だ。維光はあの書で強盗をうちのめしたに違いない。

 だが、喫緊の課題は。

「ここは……どこ……?」

 恐らく山に面した森だ。そこまで深く入りこんではいないに違いない。

 いや、ひょっとしたら。

 なんたる浅慮。自分で自分の墓穴を掘った。じわじわと押し寄せる恐怖心。

 道のないここから、どう出ればよいのか。まるで、熊でも出没しそうな気配。

「ひ、ひっ……」

 らしくないうめきがもれでたその瞬間、

「恐れるな、そこの乙女!」

 陽気な叫びが響いて全身に鳥肌。

 向こうから、誰かが近づいてくる。人間だ。

 距離が縮まるほどに、若そうな外見、にこやかな顔、と情報が分かってくる。

 しかし、こんなところになぜ自分以外の人間が。

「ど……どなたですか……?」

 その男は、背広を着て、茶髪に黒縁に眼鏡をかけている。

 けれど、目の奥に野心をこめた――ぬけめのない顔つきだった。

「君をずっと見ていたさ。いやはや四千年も生きる魔物相手に火をふっかけるとはね、大した蛮勇!」

 行動を監視されていたのだろうか。恐怖のうち、不審に思う。

「だが魔物を倒すにはね、そんな人間の力だけではだめだよ。魔物の力をやどした行使者だけが魔物を殺すことができる」

 意味不明だ。意味不明なたわごとをまき散らしつつ、こっちに、こっちに。

「こ……来ないで!」

「惑書の主、四条維光の級友らしいね。いや、驚かせてすまない」

 なぜ、その名前を憶えているのだろう。とにかく、予想外の連続で心の整理がいまだつかない。

「君は、もう彼の仲間なんだ。同時に、私たちの仲間でもある」

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