1-18 望まない勝利
「最初から分かってたんだ……こんな展開になるってのは……」
維光の言葉には感情がない。まるで肉をそぎ落とされ、骨だけになった弱弱しい声。
四肢を伸ばして、コンクリートの地面にぐったり。
何で最初から行使者になろうと思ったんだ……その素質もないのに……。
後悔しかなかった。父さんがもしこんなことを知ったらどうするんだよ。
行使者は結局、破壊と死しかもたらさない。人生を滅茶苦茶にするだけでしか。
「いつまでぐずぐずしてる、主よ」
刺竹が人間の形になって、茫然とした透に呼びかけている。惑書に劣らず、人間をよく模倣した動き。
服飾は白がかっており、本当に肉が入っているようにも見えるが――やや、古風。
「お前のやるべきことはそうして屍みたいにすくんでいることじゃないはずだ」
透は黙ったまま、立膝をついて維光の顔を眺めている――らしい。維光の方からは、光源のためかあまり顔が見えないのだが。
「分かってる……分かってる……」
今にも泣きそうな声だった。いや、単にそう聞こえるだけなのか。
しかし透も、気力が抜けてしまったかのように立ち直る気配がない。
「僕はここで行使者として振る舞わなきゃならない。それができなきゃ、僕は君に見放されるわけだ」
透は、あきらめようにもあきらめ切れないという感じでつぶやく。
「だからここでこいつを討たなきゃならない……でも今は」
維光は目を地面すれすれに向ける。
透の足元に惑書。何も語りかけてはくれない。
「おい、お前は忘れちまったのか?」
人間みたいに怒鳴る刺竹。
「こんなクソみてえな生活から抜け出したくて行使者になったんじゃないのか? 今さら友人関係などにほだされるとがどういう了見だ?」
「分かってる!」 声を荒げる透。誰も彼もが、張りつめていた。
数秒経ったか疑う内に、突然刺竹の輪郭がノイズのように崩れる。
液晶の乱れと同じ形で、一瞬だけその顔が伸びた。
「駭いたな、こんな惰弱な奴を俺は選んだというのか!?」
するとまた、刺竹の体が荒波にもまれる。
病気にでもなったかと疑わせるほどに、落ち着きを失っていた。
「待てよ。今は待て……」
透の言葉にそれでも唯々諾々として、刺竹は惑書に手を出さない。
言葉だけで、不服を申したてる。
「俺は今までそうやって敵相手に温情をかける奴なんて見たことがねえよ。この行使者という稼業で惰弱を見せるのは恥なんだからな。どれほどの行使者がそのせいで命を絶ったことか」
長い沈黙を破って口を開いたのは、僕に対してではなかった。
「なあ維光……なんで冷静でいられるんだよ」
刺竹の言辞は、全くの正論。反論の余地がない。
透は今まさに、自分の短所をさらけ出していた。
「おい……答えろよ」
透も維光も、原因の分からないまま魔物の跋扈する世界にほうりこまれたことに変わりは亡い。
同時に、大きな異点がある。
維光の父は行使者だった。透にとって過去の行使者など全員赤の他人に過ぎない。けれど、維光は彼らとの境界線の上に立っていたのだ。
どうして、父さんは騙っていたのだろう。
何を、その温かい笑顔の裏匿していた? 何を、心の中で企んでいた?
何を成し遂げるために――僕を棄てた!? やり場のない怒り。
いっそのこと、僕なんて生まれなければよかった。もし父さんが母さんに出会わず、不可知ところで戦い続けていたなら、今さら僕が父さんの魔物を受け継いで闘う結果になってない。
分かれる悲しみも、行使者になるという悲劇も!
行使者としての自覚が、感情の爆発を抑えていた。
「……維光」
透はせかす口調でその名を呼ぶ。
「これが盛永のせがれか? あまりに情けない奴だ」
刺竹はさぞかし苦虫を噛み潰した顔でいることだろう。
「こんな奴と俺は闘っていたのか? そんなはずはない……」
この事態を打開しなければならない。同時に、妙な安心感。
もうこれ以上はどうにもならない。透は僕をどんな風にもするだろう。
いずれにせよ、結局全てが無意味。
「なりたての行使者。そして、使役しているのは数千年を越えて生きている人外だ。なるほど、惑書を善用せなかったわけだ」
刺竹を包む雰囲気は一気にとげとげしくなっている。今にも、維光と惑書を始末したがっている。
維光はまだ、地面に臥したまま。
抵抗するためもがく気配さえない。その代わりに出る言葉は、
「父さんのせいだ……」
「何……?」
維光には勝敗の結果などどうでもよかった。父への恨みが現実の問題を振り攘ってしまっていた。
「もし父さんが勝手にあんなことやこんなことせずにいたなら、こんな醜態をさらさずに済んだのに……」
「しゃらくさい奴――」
刺竹がその頭を思いきりひずませた瞬間、
「止まれ、刺竹!」 鋭く制止をかける透。
立ち上がって、維光に足元を見せる。
「なあ、維光、お前は本当に何も感じていないのか?」
透も、刺竹と同じくらい感情を害しているらしい。
「負けて悔しいとか、逆転したいとか、思わないのか?」
行使者が、他の行使者に憐憫をかけるなどありえない。そんなことがあるとすれば、生かしておいた方が利益になる、と見越した場合だけ。
けれど透にしても、いまだ私情を。
「……もしそれをやれば、僕は父さんに輸けるな」
「どういう意味だ」
刺竹の口には、思いきり軽蔑が顕れている。
しかし、維光には二人の心の中など推察するひまはなかった。
時間をかせぎたいという理由がないわけではない。けれども、大部分では理不尽への怒りから、独言を只管垂れ流している。
「あの日、父さんは僕と母さんを捨てて家を出ていった。あの時はどうしてか理解できなかった。でも全ては結局、この時のためだったんだって」
今まで、あの出来事にはただただ悲しみしかなかった。けど、全ては理由のあることだったのだ。
「この時が来るのを避けるために、父さんは僕を捨てたんだな」
「……女々しいっ……」 刺竹の髪の生え際がちらつく。
それなのに、僕は父さんの意思に背いた。
父さんの魔物の要求に、僕は屈したのだ。だって、友達を止めなきゃならないから。
くだらない理由で、僕は行使者になった。そして現に、友達に輸けている。
父さんがもっとも望まないことを、僕は実行してしまっている。
なんという不孝。
「我が主! 早く決断しろ!」
さけぶというより、わめく刺竹。
立ちすくみ、迷い続ける透。
「僕には君の心情が分からない。僕にとって行使者なんてただの他人事だったから」
片手で口を押さえ、気持ち悪さにたえかねる様子で。
「君は偶然にも、知らない時から関わってしまった人間なんだな。僕は自分から進んでこの世界に足を踏み入れた」
透の言葉にはもう敵意は微塵も。いや、もはや自嘲に近い。
「それより、その書を何とかしてくれ」
「君が決めてくれよ」
維光の中で、何かがふっきれた。
明日も授業があるのだ。いつまでこんな不毛な会話に打ち解けているのだろう。
早く帰らなきゃ。
「……じゃあくれてやる! 惑書を!」
急に立ち上がろうとし、その半ばで痛み、再び座りこむ。
「おい、こいつの言い分に耳を貸すな!」
腕を振って説得に欠ける刺竹の動きがだんだんぎこちない、不気味にかくばりを見せる。
「行使者として、二度と得られない好機なんだ。今こいつを、ここで討たなければ!」
ああ……そうだよな。結局僕は行使者なんだから……。
なぜ迷い続けてるんだ……?
透は、身震いを始めた。行使者とか友達とか、そんな区別は問題にならない。今ここでこの少年を排除しなければ、いずれ大きな禍を呼ぶ。
けれど、それでも、と逆接の接続詞が雑念として心をかき乱す。
「透」
維光は小さい声で。
「僕たちは進めなきゃならない。このまま、ぐずぐずしているわけにはいかないんだ」
「進めるって……何をだ?」
維光は行使者と高校生という二つの意識の間で板挟みになっていた。全く両立しえない同一性に、朽ち果てそうになっていた。
これ以上、苦しんでいたくはない。
「とにかく、僕はもうお前に敗れたよ。多分、学校に間に合うことも、遅刻することもないはずさ。だって、お前は行使者だろう?」
透は、まるで迷いがない目をしている。
普段から感情が読めない顔の持ち主だが、多分覚悟のできてる性格なんだろう。そりゃ当然だろう、永歌を命がけで救ったくらいの肝の太さなんだから……。俺と来たら、こんな思い切りの良くない、臆病……。
「お前がやることは俺を殺すことだろう? 可能だろ? もう勝ったんだからな」
今にも地面に倒れそうな両脚を、全力で支える。
「それから……明日の用意もできないまま、遅刻するんだろうな。あとはどうせ、いつもと変わらない日常だ……俺だけを抜いて……」
飽和して、混濁する二つの意識。維光の理性は限界に達しつつある。
透の気持ちなんて興味ないから、早くこの場を後にしたい。
「黙れよ!」
透は明確に、否定する意志を暴露。
「僕は惑書を奪えればそれでいい。君の命を取ることまでは考えてないさ。だって君は、僕の――」
「おい、我が主!」
表情の見えない刺竹。いくつもソースをかけられたように無数の色の渦が巻き起こっている。
「それは――あいつの利益に反することだ。あいつの利益に反すれば、俺は――」
「何でもいいからさっさと始末してくれえええ!!」
どうして、こいつらはこうも相性が悪い。
刺竹が形のあやふやな右手で透に殴りかかろうとして、コンクリートの上をもんどり打った。
すでに脚さえもノイズで溶けかかっている。
「主よ、なぜ聞き入れない!」
口元さえ区別がつかない刺竹の声は、憎しみに遷移わっていた。
行使者は、俺の利益に反している。
俺の利益は、四条盛永のせがれを討つこと。
だが、主は、俺に反している。
刺竹は絶望した。この世の人間らしい感情に、なぜ惑わされている。
同時に、その絶望の馬鹿馬鹿しさに、さらなる怒りを燃やす。
「俺は、この盛永のせがれをどうにかしないことには、奴を――」
刺竹は体を完全に分散して、気体に。維光を襲おうと飛びかかるが、そのすれすれを通り過ぎ、離れた位置で人化する。
「主よ、もう一度確約しろ。お前は、惑書と四条維光を斃せ!」
なぜ、みんな理解が悪いんだ。心の中悪態で満たしつつ、維光は向こうにいる惑書へと手を伸ばす。
「で……できない」
あともう少し。あともう少し。
数歩いけば行ける――そう期待できるところに、突如靴で深く踏みこまれていた。
「がっ……!」
鋭い痛みと圧力が妨害してくる。見上げると、刺竹が首元から黒い火花を噴き上げて見下ろしてくる。
「俺は魔物だからな……この程度の力、何ともねえよ……!!」
もしさらに強まれば、手が使用品にならなくなるほどの。
「もう……やめろ!!」
すでに透は泣きかけていた。維光もできれば号泣したかった。
片手を後ろから繰り出して、惑書を手にしようとするが――。
刺竹が足を離した。
腫れ上がり、出血していた。痛みが逆に強まっていく。
ああ、また踏みつけてくる――。
まさにその瞬間、刺竹の動きが止まった。
「命令だ……刺竹。維光に手を出すな!」
刺竹は、周囲をゆらす轟音でほえる。
「黙れ……俺はこいつを殺すまではたたかあアアアア!」
もはや刺竹は胸から上がなくなっていた。それでも、人間ならもう命がない格好で、まだ暴れ続けようとする。
胴体の空白が、透に恐怖を与える。
「維光――」
このままでは、維光が耐たない。そうだこいつは、僕の友達じゃないか。守らなきゃ。
透は肩からつっかかり、その時の全力、後ろから刺竹を体当たり。
刺竹は腰さえなくなり、両脚があらぬ方向にくっついた姿で、塵を巻き上げながら反対側の地面に吹っ飛ぶ。
無我夢中。この場面を切り抜けることしか、二人の頭にはない。
「行くぞ刺竹!」
維光は激痛をこらえながら、惑書のあるページを開いた。
そして、取り落とす。がたりと本がコンクリートと音を立てる寸前、維光から自意識は滅せていた。
惑書の角に足を気づかないまま、エクスタシーに入った維光は叫ぶ。
「今こそ崩れろ、その体! 水より冷たく、炎より熱く!」
背後から突風が吹いて、前のめりに行使者は倒れる。
目をなんとか前方に移すと、胸から上のない刺竹がひざをついて、左右に震えている。
まぶしい光をたずさえ、無慈悲に襲い来る赤と青の波に、無防備に体をさらして。
熱風でその様子を確かめることすら難しい。
人ではなく、金属が叫んでいるように悲鳴は聞こえた。
「朽ち果てぬのなら、さっさと空気に!」
その呪文を最後に、気がどこかへと遠のいていく行使者。
最後に見たものは、焼けつくような光の中、無数の青白い火花に分散して蒸発していく刺竹の姿だった。
体中の痛みで、すぐに維光は覚醒めた。
ずきずきくる。果たしてこのままデパートから脱出できるかどうか。
懐中電灯はやはりばの雰囲気には無関心そうにあたりを照らしている。
その範囲に友人も入っている。黒くえぐりとられたコンクリートのひび割れ模様をじっと眺めている。
「おい……透! 大丈夫か!?」
そう叫ぶだけでも、維光は声帯が枯れた。
透は維光の言葉を聞いた。
ただし、親友としてではなく、行使者として。
僕は行使者だ。それならば、やるべきことはただ一つ――。




