表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/40

1-16 運命と言えばかっこわるいけれど

 透は、次第に昏くなっていく窓を背景に、あぐらをつきつつ僮僕(しもべ)と向かい合っていた。

「あいつがどう来るか分からないだろう?」

 板が敷かれた床はところどころ湿り、くぼんでいる。

 内容が分からない段ボール箱、棚、ストーブが乱雑に散らばっている。

「僕だって最初から期待してるわけじゃないさ」

 透の頭は逆光で闇に染まっている。しかし、重たい気色(つらがまえ)でいることは間違いない。

「もう僕は昔の夷川透じゃないんだ。あいつに手加減をかけるつもりは毛頭ない。あいつだって同じはずだ」

 事実(ほんとう)は、まだ信じられずにいる。この魔物の言葉に連れられ、ついていったら自分でも意味不明な事態に。

 頭が少しでも足りていたら、こんなことになっていないはず。しかし、透はもう悔いてはいない。

 行使者とは基本意味不明な存在なのだ。理性でその存在意義をとらえてはいけないのだ。人間の知性が逮ぶ範囲を越えたところに、僕は立っている。

「なあ刺竹」 焦りにも似た調子がそこに。

「どうした」

「僕らの闘いに、何の意味がある?」

 透は、その(とき)を待ちかねていたのだ。維光がやって来る、まさにその期を。

 待ちあぐねるあまりに、無関係風(かんけいなさげ)なことを口にしていた。

「……それは、俺たちが決めることじゃない……」

 刺竹は、珍しく謎めいた閑情(おちつき)を帯びる声で。

「俺たちを越える何かが、それを決めるんだ」

 もれる透の笑い。

「刺竹らしくないな。お前がそんな幽霊めいたものを口にするなんて」

「俺だって確証があるわけじゃない」

 刺竹は、遠い目で透を見つめる。

 俺は永い間、無数の行使者と行動を共にしてきた。

 何度も主を見つけては失う連鎖。――そこに何がある?

 しかし行使者の奴隷として、行使者の生死に連係(つながり)のないことを考えることに何百年も踟蹰(ためらい)を抱き続けてきたのだ。

 今でも、いざ考えようとすると恐怖がさし迫る。それはお前の職務を外れている、と誰かが責めるかのように。

 しかし、ずっと薄々奥底にあった直感は告げる。

 俺たちは闘っているのではなく、闘わさせられているのだ、と。

 刺竹はそれを知ってなおも、行使者のために尽くし続けた。なぜなら、自分は所詮行使者の僮僕なのだから。

「どうした刺竹、そんなに黙っていて」

「俺たちは、確実(たしか)に何かの目的のために戦っているんだ。それが何なのかまだ理解できないが」

「僕たちの戦争(たたかい)には意味があるんだな」

「ああ」

「だがお前は異世界からやって来たくせに、その正体がまだつかめないと」

 透は微妙な気分。じゃあ、僕は何のためにここにいるんだ。

 維光を倒すことは、その一部分に過ぎないのか。維光を倒した先に、一体何が――?

「主よ、俺は数百年前にこの世に顕れた。だがそれ以前の記憶が何一つない。何一つ思い出せんのだ!」

「そこがいかにも魔物らしいな。人間なら、まずその記憶を奪還(とりもど)そうとするくせに」

 刺竹の輪郭が一瞬、ノイズのようにとがり、収まる。

「いや……主よ、これは俺たちの知らない方がいいことだ。俺たちにはそれより優先すべき責務がある」

 待てよ、それこそ僕らがもっとも追求しなければ――と頭が言葉をつむぎ終える前に、電流に似た衝撃が透の頭を貫徹(つらぬ)く。

 一瞬の、静かな出来事であったからこそ、透は違和感も覚えずにその事象を受け入れてしまった。そう、これを疑うことは行使者としての逸脱。今はただ、維光を破るという大きな目的だけに着目すればよい。それ以外のことは撥置(ほっと)け。

「ここか?」

 第三者の言葉に、透は打ち震え、刺竹の姿はモザイク状に乱れた。

 少年の響きだ。透のよく見知っている、あいつの。

 四条維光が、足音を小さく鳴らしながら、玄関を上がっていく。

 四条維光が、廊下を曲がって、この部屋に入っていく。

「てめえ――なぜここが分かった!?」

 刺竹が声を荒げて維光に怒鳴る。

 その言葉を、透は目くばせで止めた。もう戦闘は始まったも同然。

「いや、ずっとここで合ってるかどうか不安があったんだ」

 透は目を挙げて侵入者を察る。

 学校の制服姿には懐かしささえ覚える。左手にはかばん。そして右手に、魔物。

 不気味なことに、魔物からは驚くほど気配がない。消せるということはそれほど高級な魔物、という意味か。

「よく来たな」

 言いながら透は、忸怩とした面持ちの刺竹の肩に手を載せた。その直後、棒切れにも似た形となって刺竹は行使者の掌中。

「もう少し手荒い作法かと思ってたんでね。なるほどそこはお前らしいな」

「いや、こっちも奇襲されたらどうしようかと心配だった所だよ」

 だろうな。どっちも心を許しあってはいない。

「それより、服は案外汚れてはいないようだが」

「洗濯するだけの金はあったさ」

「歯磨きは?」

「家の中に残ってたよ」

 どれだけ僕が家の中でいい生活を送ってきたか、ということだ。独居(ひとりぐらし)がここまできついものとは思わなかった。

 ……こいつも、その(とき)を見計らっているというわけだな。

 もう、相手の質問に惑わされるつもりはない。

「いや、お前がどんな汚い格好をしているかと気が気でなくてさ」

 維光はあたかも親密(きさく)な口調でささやきかける。

「そんな心配してたのか」

 透はあきれ顔で、つぶやく。

「だからセーターを持ってきたんだ。昔お前んちからもらったものを」

 維光は優しげにさえ聞こえる声を出して、かばんを床において服を取りだす。藍色の、やや小さくはあるが大人びた感じの色合い。

 刺竹をにぎったまま、透はそれを慎重な動きで着た。もう戦いは始まっている。

「おっ、意外と適合(にあ)っているじゃないか」

「そうか?」

 傍目(はため)ではどこかしゃれた会話(かけあい)のようだが、透の心は寒々と。

「お前がもとは着てた服だからな」

 維光の感情が全く読み取れない。維光に人間的な緊張感が全く抜けきったわけではあるまい。

 しかし、行使者になろうとする運動が肌身で感じられる。

「……で、後は分かってるだろ」

 透は維光の顔をできるだけ直視せずに告げる。

「じゃあ、目的地に行こうか。お前が連れてってくれるんだよな?」

 維光は、敵意をほとんど見せないまま、この一幕に終止符を打ちたいらしい。

「もちろん」

 透もやはり、まだ決着のための準備を仕上げてはいなかった。


 維光は驚いた。体では一切感情を見せてはいない。

 しかるに、心が迷うのをなぜ止められようか。

 以前、学校で遭遇した時には、だいぶ荒れた服装、髪型だった気がする。そこから、透が家に帰っていないという確証は得られた。

 けれど、今ここにいる透はいたって快調気味。

 この隠れ家での生活が快適だったというわけではあるまい。恐らく、透は行使者の力を悪用したのだろう。金と道具を冦掠(ぶんど)るために。

「今すぐとどめをさしなさい。盛永様は決して敵に容赦なさいませんでしたから」

 実は、透に対してやけに平穏な態度だったのには理由がある。ここを訪れる前から、惑書は何度も残忍な言葉で主の心筋を寒からしめた。はっきり、ぶちぎれてもおかしくはなかったのだ。しかし、透がどう出てくるか予測がつかない以上、惑書の助言を切り捨てるわけにはいかなくて。

 透と(はな)している時にも、この下僕は無言のうちにとげとげしい雰囲気。だからこそか、予想していたより重圧は(すく)なかった。惑書に神経を集中させたおかげで、透への重荷はさほど感じずにすむ。

 とはいえ、ここまで来ると。

「学校で、僕のことはどう思われてる?」

 人気のない道路の上、維光は面食らった。今それを問題にするのか。

 空はすでに光を失った雲が覆い、地平線近くに日の光が弱々しく照りつけるばかり。

「竹屋町が言ってたぞ。『透はもう(かえ)ってこない』って」

 突如吹き出す透。維光は必死に押し寄せる緊張をのけようと。

「ぷぷっ……ま、そう思われても仕方ないさ」

 それだけ、透は本気というわけだ。もう逃げ場がないと悟っている。

「楓さんや永歌さんは?」

 これには、つい維光の顔も破れそうになる。

「永歌はちゃんと心配してたよ。お前を捜そうとする魂胆らしい」

「申し訳ないな。罪だ」

 こと永歌に至っては、騎士が貴婦人に抱くような慕情を。

「でも、僕はもう元の場には復れないんだ。こんな身になってしまった以上は」

「僕だってこんな身になりたくなかったよ!」

 隠していた激情をいきなり暴露(あらわ)

「誰もなりたくないはずだ。こんな、人間なのか人間じゃないのかよくわからない奴にな」

 透はすでに行使者的な表情。

「けど、なってしまった以上はその使命を尽くさなきゃならない」

 維光は、こらえきれずに大きな声になっていく。

「どういう使命だよ」

 二人はそこでふと立ち止まる。沈黙と停滞が暗闇の中に生じる。

「他の魔物を討ちとって、行使者として生きていくことだ」

「それが何を意味するか知ってんだよな」

 大して返事を期待していなかった。その必要すら。

 透は感情を薀奥(おくそこ)に秘めた顔で、維光を凝視。

「すまない、話が重くなり過ぎた」

「……話題を変えなかった僕も悪い」

 維光は、可能(できる)なら透とだけ穏便にことを搬びたかった。

 もしかしたら、言葉で説得できるかもしれない。言葉だけで透を屈服させられるかもしれないのに。

 どれだけ身勝手なことか。自分は行使者をやめようともしないのに。

 まさしく、自分が行使者をやめるなど維光には考えられないことだった。つまり、行使者の職務を忠実に実行する心づもり。

 維光は薄々その矛盾に気づいていたが、もう良識じみた考え方に囚われたいとはしなかった。

 行使者としての僕と、人間としての僕が混在してるみたいだ――表現しようのない不快感。どちら側についても、維光の心から維光らしさは損なわれる。

 だが、そもそも僕らしいとは何か。

「この道は昔、塾に通ってた時にとおった道だな」

「懐かしいね」

「ま、もうその塾はないんだけど」

 透はたとえ口調が静かなものであろうと、決して気をゆるめてはいない。

 きっと今にも維光を刺したい気分だとしてもおかしくないだろう。

「デパートの中にあったのか? それって」

「ああ。いつ頃デパート自体がなくなったのか知らないけど」

 この会話の内、二人ともたがいを試しあっている。

「そうだ、僕が君と初めて会ったのがいつか憶えてる?」

「小学校の時だったっけ?」

 部外者から見れば、敵意などあるわけない、と錯覚しかねないものだ。

「うん。確か、給食の時に同じ分担(かかり)だったっけ」

「その時に意気投合して、色々と会話が弾んだよな」

 維光は笑顔でさえある。

「ああ……」 事実、懐かしさは心の中に存在していたのだ。

 同時に、敵意が割りこむ形で屹立している。矛盾だ。両立できるはずがないのに。


「さて、ついたぞ」

 二人は左右へはるかに伸び、数階ほどある建物の前についた。ぼんやりした視界、壁にひびがいくつも走っているのがなんとなく。

 すでに夜の一歩手前だ。中は相当暗いに違いない。

「確か、上の階だったよな?」

 不安げに尋ねる維光。

「ああ。どうだろう、マッチは持ってるけど」

 透も似た感じに。

「大丈夫、これに儲備(そな)えて懐中電灯を持って来たのさ」

「それはよかった」

 透は刺竹に命じて槍を具現化すると、頑丈に閉まった自動ドアを叩き割る。

 コンクリートから大理石へと、踏む音は響きを高く。

 想像どおり、中は真闇(まっくら)。もし維光の照明(あかり)がなければまさしく五里霧中であったろう。

「予想外だな。僕たち二人がこんな目に遭うなんて」

 すでに停止したエスカレーターを陟りつつ、波風のない声をひもとく。

「まぎれもなく僕たちの責任さ」

 もはや動くことのない階段以外には、完全な空虚が二人をつつみこむ。足音と言葉以外、全くの静寂。

「とは言っても、魔物が地球に(あらわ)れてなきゃこんな事態になってない」

「それもそう……」

 みるみるうちに、自分の顔が固くなっていくのを感じる維光。

 行使者としての維光に、心が侵食されつつある。

「やれやれ、昔行ったことのあるはずの場所なのに、まるで違うみたいだ……」

「そりゃこんな状況じゃな……」

 維光の声は依然として屈託がない。

 何回、同じ調子のまま駆けあがっただろうか。

「ここだ」 透は急に高い声で叫ぶ。

 維光はすぐ懐中電灯の明度を上げ、床に置いた。

 まさしく、何もない場所だ。灰色の床、灰色の壁に囲まれた世界。いくつか柱が並んでいる以外には何の障壁ない。

 度を越した殺風景。空間の果てを確かめようとしても、光の限界のため、夜が支配している。

 まさに、戦うためには理想的(もってこい)の場。

 そして、透は刺竹の尖端(きっさき)を維光の首筋に。

「維光、命令だ。いますぐ惑書との契約を解除しろ」

「言ってやりなさい」 惑書がついに口を開く。

「無理だ。君の魔物との契約を解除させることならできるかもしれないが」

 もうその時点で、透が発する雰囲気は一転していた。顔も唇も、いささかも動いてはいないが、二人の会話はすでに一線を越えた。

「……そうか」

 透の感情を説明するのにもはや片言隻句も必要ない。

「やはりこうなるよな」

 維光の瞳を見すえ、静かに後ずさる。

 維光の心の中でも、最後までつなぎとめていた何かが離れつつ。

「言え。次の返事は?」

 透が厳しい声になる。

 そこに甘さを感じ取ったのは果たして錯覚か。

 答える代わりにすぐ、行使者は声を大にして唱える。

「後ろへじかに飛んで行け! 光の外へ、闇の中へと!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ