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1-15 はりつめた心は魂のおりもの

 昔、ある一日のことだった。

 まだ、盛永と一緒にいた頃。

 夕日がオレンジ色の空に臨み、人々の騒ぎ声も静まりつつある時。

 地面に敷き詰められた煉瓦の上、噴水が湧き上がる泉の端に、三人の人影が座っている。

「こんな一日がいつまでも続けばいいのにね」

 子をはさんで、母が父に語りかける。

「そうだな。時間の流れは決して待ちはしない」

 父親はささやかな言葉で返す。

「ねえ、父さん」

 子が父を見上げて尋ねる。

「こんな日の繰り返しに――何があるんだろう?」

 父は苦笑。

「難しい質問だな」

 野鳥のさえずりが軽薄(のんき)そうに、後ろから聞こえてくる。

「維光……あなたらしくない」

 母はたしなめる口調で、子にさとす。

 子は、不安な表情だった。恐怖ではない。しかし、場に溶けこめない不安感が顔中に芽生えて来ていた。

「誰もが知らなくちゃいけないことさ、七海」

 すでに父親は真剣なまなざしになっている。

「僕もいつか()かなくてはならない」

 と、二人から目を背け前方へ。

「いや、分かってたんだ。最初から僕がここから離れなきゃならないってことは……」

 脇には、金の装飾を施した黒い表紙の書をはさんでいる。

 書をそこに抱えたまま、父親は立ち上がって数歩歩いた。

「……どこに行くの?」

「いつか、君たちが(たど)りつけない場所に」

 父は、振り返った。そして、顔は真黒だった。

 違う。闇が覆いかぶさっている。

 これも違う。父の姿の代わりに、果てのない穴。まるで、全てを吸いこむかのように、二人の目の前に鎮座。

 次の瞬間、闇は維光の上に覆いかぶさり、自分の空間の中に吸いこんだ。

 維光は、叫ぼうとしたが口がきけなかった。少年の体は闇の中をものすごい速さで落下していき、その勢いに耐えきれず、少年自身の意識ももうろうとしていった。


「起きて。朝よ」

 維光は転寝(うたたね)のつもりだったが、気づくと随分深く眠り込んでしまっていたようだ。

 窓から温かい陽光が照り付け、空は雲一つ持たず鮮やかな水色をたたえる。

「起きて……」

 維光の頭と両腕は机の上。鉛筆と教科書の二つをまず確認。

 そして――この声。

「起きなさい」

「あと少しだけ……」

 何か重要なことを忘れているような気がした。起きてまだ間もないからだ……。必死に頭を動かす作業も、いまだ用意できない。

「起きなさい」

 惑書は二度目の布告を発した。そう言えば魔物も寝るということをするのだろうか。心の方は人間とよく似ているのかもしれないにしても。

「うがっ!?」

 尋ねるよりも前に頭をつかまれ、両手で首をしめつけられる。

 惑書はそのきつい力とは裏腹の、けだるい表情で維光をながめた。

「あのさあ……今何時だと思ってるの?」

「な……七時かな?」

「違う。八時よ」

 しめつけをゆるくしながら、惑書は答える。

「いっ!?」

「今からでも十分間に合う。……しかし――」

「維光! 遅いわよ!!」

 下から七海の叱咤。

「すぐ行くから!」

 と叫んでから、低い声に変え、

「なあ、行使者の力をもってすればあの程度の距離はなんとかなるだろ?」

 だまってうなずく惑書。

「よし、やろう」

 惑書の手をふりほどき、筆箱やファイルをかばんの中につめこもうと急ぐ。

 ああ、と維光は頭をかく。こいつとの生活は実に波乱に富んだものだ。前の強盗退治にしても……。

 かばんを片手にもって立つと、目の前で光に包まれた惑書の体が維光のわきに収まる。


「ちゃんと食べれる暇はあるのかしらね?」

 七海がけげんな様子だったのは、維光が異様なくらい閑寂(おちつ)きはらっていたからだ。

 昨日のことで気分が動転していたこともある。しかし母親として、子を普通の人間として察る度量も備えていた。

「もちろんあるさ」

 維光の目はいつも以上に鋭い。生徒として以上に、行使者としての姿が顕れている。

 やらねばならないことが多すぎる。数学の宿題の提出にしろ、透との対決にしろ……。

「なんだか、他に集中していることでもあるみたいね?」

 七海は、その理由を知っていた。運命の(とき)が近づいているからだ。親友と闘わなければならないと告げる、その期が。七海は、激情を押し殺していた。

 維光も、第二の盛永になってしまうのだろうか。まさに、断腸の思いが深まるばかり。それでも、決してこれを息子に明かしたりはしない。行使者ではない一般人として、彼女は矜持を維持したかった。少なくとも、行使者たちの過酷な世界にただ単にむせぶだけのまねはしたくない。

 維光も、ただ母に対して大人しくするつもりは微塵もなかった。

「少ない方が良い?」

 念を推すようにして問うと、

「やっぱりパンで済ませた方が良いかな」

 真剣なままで、そう返事を直すところには、妙な雰囲気がある。

 維光は食パンを一つ取りだして、バターをぬった。母が棚の一つからオーブントースターを取りだすと、

「……それだけ本気なら私は、何も止めはしない」

「うん」

 眼をまっすぐ維光に向ける七海。

「ただ……どうか、生きて帰ってほしいの。まさか、そんなことなるなんて、ないわよね?」

 生きて帰る、か。そんなこと、考えられもしないな。

 だってあいつは、もっと本気なんだから。と話そうとして、急に維光は自分自身に違和感を覚えた。

 母さんになんてことを言おうとしているのだろう。あるいは、行使者の自覚がそこまで心をむしばんでいるってのか?

「大丈夫だよ。ただあいつにさとしてやればいいだけだから」

 同様を(ばら)すことはない。ただ、やや後ろめたい気持ちが、僅少(わずか)に頭の向きを母からそらす。

「できたわよ」

 七海が食パンを中から出した。

 時間が経つのは疾い――維光は、日常との時間の流れの違いを痛感する。普段からどれくらいの時間を無駄に過ごしているか。

 維光は軽く「ありがとう」と言ってパンを受け取るとばりばり食べながら牛乳を飲む。いつものような食事でないということが、この日に特別な意味をつけたすかのよう。

 一刻も早く透と闘わねばならない。透の方から先制攻撃をかけられるかもしれない。こっちから仕向けなきゃならないんだ。維光の目は、どうしても行使者的な色を帯びてしまう。

「車で送った方がいいかしら」

無問題(だいじょうぶ)だって」

 今日にでも透のところに向かうかもしれないのに、母さんをむやみに干渉させてはならない。

 これはあくまでも、僕たち自身でかたをつけるんだ。

「大丈夫?」

「僕には僕だけで間に合うだけの力があるんだから」

 維光はしかしあせっていた。パンと牛乳を食べ尽くすと、家の外に出て自転車を搬びだす。惑書を通例どおり前のかごに載せて。

 少年は持ち手を握りしめて、ペダル踏む足に力をかける。

「ね、ねえ、やっぱり車で送った方が――」

 あわてて駆け寄る七海に、

「今日は晩くなるけど、ごめん!」

 叫び終わる前に、維光は空中に向けてこぎ出していた。


「うわっ、落ちるっ!?」

 自分の造りだした状況におびえる維光。

「あなたが自分で起こしたことよ!」

 数十メートルを超える高さを二人――あるいは一人と一匹――は通っていったのである。一体、堕ちればどうなることやら。その速度たるや、まして尋常なものではない。

 下を自動車が往来。(かたわら)では自転車を止め、頭を挙げる人。

 行使者としての特性にいまだ慣れない維光は、眼前に表出した現実に対応しきれずあわてふためく。しかし、何とか理性を維持しつつペダルをこぎ続け、進むべき方向を意識し保つと、だんだん動きが安定していく。

「――よし、なんとか均衡(ばらんす)がとれる!」

 自転車は虚空に浮いている。高い。しかし、冷静につれ、維光の(こころ)から次第に恐怖が退いていく。

「見られてたけど? どうするの?」

 惑書の唐突なつっこみ。

「あいつらはきっと自分の目を信じないさ」 維光のそっけない返事。

 それよりも、維光は次第に快感を覚え始める。坂を陟降(のぼりおり)したり、青信号を俟ったりする必要がない通行路は、なんと楽しいことか。

 なんだか、空中と地面の距離が極めて近いように見える。維光は一時、自分が見られていることを忘れかけていた。

 気づくと、白いコンクリートで覆われた校舎、細長く続く自転車小屋が近く見えてくる。維光はその時がっかりした気分になった。もうこれ以上空を走る喜びを味わうことはできない。だが、それより大切なことは確かにあるし、こんな状況にかまけてはいられない。

 維光は体を前に押し出してその方向を傾けた。そして滑空するように、下の道路にぶつかるかのように。

 着地したら大きな衝撃が来るに違いない、と思って速度を落としてはいたが、道路のアスファルトに接した時の振動で維光の体はあまり揺れなかった。

 自転車は悲鳴を挙げてのたうつように跳ね、けれど維光は転落することなくこの自転車を自分の力の下、治めてしまったのである。

「よし、行くぞ!」

 遅れをごまかすように急ぐ生徒たちの姿。維光の不可思議な現象に気づいている者は少なかったらしい。

 誰もが自分の現実だけを認めて小屋の中へ走り出している。

 維光はわずかにだけ、いっそのことみんなをこの力でおどかしてやりたかったのに、と自己顕示欲を感じる。同時に、まだ僕はそんな(あお)い奴のままなのか、という羞恥(はじらい)。小屋の中では自転車を入れる隙間を見つけるため時間をかけたが、もうそれからは並大抵ではない速度で校舎内部へ駆けこんでいく。

 一分経つか経たないかの後、維光は自分の教室に歩を進めていた。

「遅かったわね……」

 楓があきれた顔で肩をすくめている。

「ごめんな」

 維光は何でもない顔に努めたが、しかし違和感を禁じ得ない。

 まるで、異物を観ているような視線なのだ。恐怖がそこにある。あるいは、嫌悪感? いずれにしても、級友に対するものとは思えない感情が、顔の裏には隠れている。

「透から……何か連絡はなかった?」

「いや、何も」 詮索をしているのは過誤ない。

 楓はもう『それ』に気づいているのだろうか。行使者という存在に……?

 空には、すでに白い雲がいくつか漂っている。薄暗い色を真下にたたえているものも。

「数学の宿題、もうやってきたから」

 悟られないように関係のない言葉。

「あら、じゃあ提出してね」

「分かったさ」

 面倒くさそうな声。

 だが、一度目を開けば、そこから出る雰囲気はかなり重々しいものだった。教室の雰囲気とはそぐわないような、深刻な事態に頭をめぐらせているかのごとく。

「維光くん!」

 永歌が行使者の前に寄ってきた。

「透くんを(さが)しに行こうよ」

「さ、索す?」

 永歌の眼はつりあがっている。恐らくは、本気。

「もう俟ってるだけじゃ何にもならない。維光くんと同じで、透くんにも私は恩があるから。だから今こそ……返さなくちゃって」

 維光は、楓の様子もあいまって言葉をだせない。

 涙が出ていると知ったのは、言葉が終わった直後。

「おい、永歌、やめろよ」

 竹屋町が後ろから否定。失望した表情、維光に。

「あいつが今どこにいるか見当がつかないのにどうやって索すってんだ。もしかしたら……ってこともあるかもしれないのに」

 楓がきっとした口調で、すぐさまこれに叱りつける。

「透に何を言ってるの?」

 不服な態度で、竹屋町は自分の非を認めない。

「俺は最初からあいつが帰ってくるなんて思ってなかったさ。大体何だ……維光が一番心配しているべきだろうが」

 背中を深くあずけ、腕は組み、苦肝をかみつぶした表情、低い声。

「あいつは昔からそういう陰気な奴だったさ。どうせ俺たちが心配していても何とも思ってないはずさ」

「俊船――」

 楓がその顔に殴りかかろうかとする直前、

「だろうね。君みたいな人間をもう気にしてはいないだろう」

 維光は冷たい声で言い放った。

「ちょっと、維光くん!」

 永歌が瞳を小さくする。

 維光は表には出さなかったが、内心憔悴していた。

 どうやら行使者に取り憑かれてしまったようだ。何かの体感として現れてくるのならともかく、こんな言葉をつぶやいて平然といられる自分が、少し怖くなる。

 けれど、全て彼らには関係ないこと。

「おい維光、どういうつもりだ」

「いや、何でもないよ」

 透についてはもう知っている。今さら、何を気にするというのだ。これからの行動もすべて決まっているというのに。

「維光、怒りなさいよ!」

 楓は竹屋町を指さしてまくしたてる。

 永歌もその方向に向かって目をつり上げる。

 しかし維光は泰然自若。

「いや、僕はそういう口論につきまとわれてる暇はないんだよ」

 こんなことに関わっているのは正直、空虚(むなしさ)しか感じない。その冷徹な心が、一種非情ではないかと疑いもする。それくらいには、まだ人間的な感情。

「僕は数学の宿題がある。まずそれを提出しなきゃならない」

 竹屋町は茫然としたようでもあり、あきれているようでもある。

 維光自身がさして透に関心を持っていないと勘違いしているのかもしれない。

「……維光くん」

 永歌は竹屋町からそむけて、維光に視線。悲しげな目つきだった。

「変わったね」 どれほどの感情が、そこに凝縮されていたろう。

 二人にはもう深い溝ができてしまった。日常は、確実に侵食されている。

「案外、自分では気づかないものでね」

 維光の苦笑。

「……お前ら」

 竹屋町も、楓も、維光の変態(かわりぶり)に口を開けることしかできない様子。

「ほら、見てくれよ。昨日必死で問題を解いたんだ。よかったら、合ってるかどうか察てほしいんだけど」


 あの子を調べ上げなけれなならない。楓は透と維光に疑いをかけた。

 二人の異常には間違いなく相関がある。維光は間違いなく、透の秘密を知っている。

 無論、維光にいどみかかる勇気は彼女にはない。だからこそ、彼が一人になった時をねらわねければならない。

 幸運(さいわい)にも、楓はその状況にでくわした。

 この日の昼も、維光は教室で弁当を食べることはなく、廊下に出て外へ歩き始めていた。楓は、すかさずこれを尾行。

 校舎の外に二人は出た。一体、維光がどこに行くのかといぶかしんでいると、だだっぴろい校庭と接した、花壇が並ぶ通路でふとたたずむ。

 空の半分、灰色の雲の海、砂利をあちこちに浮かべる青い川。

 角の陰から彼の行動を窮めようと見守る楓。

 少年は、例の黒い本を両手に抱えていた。あの、読み終わることがないという不思議な本。

 魅惑されたかのようにじっと読み進んでいたが、突然ある言葉をつぶやいた。

「今すぐにかたをつけなきゃならない」

 一体、何に?

「ああ。今すぐにも透と決着をつける」

 透の居場所をまさか知っているというのか。

「当然だろ。今日やるんだ」

 維光は、本に語りかけていた。いや語るどころか分明(あきらか)に会話をなしている。

 楓は、彼を止めようとする心にひたすらふたをして、会話の果てを見届けることにした。

「僕はもちろん甘く察てなんかないさ。いや、そうなることは無論避けたい……だがあいつがどうしてもっていうなら……」

 透と維光がいつの間に刃を向け合う事態になっているらしい。楓は戦慄した。

 しかし、手が出せない。自分を巻きこんだらどうなるか分かったものではない。

「惑書、そんなことは僕の興味ではないよ。これは僕たちだけの出来事だろう。なんでみんなに教える必要があるんだ……」

 維光の声がかげり、そして顔がこちらに動く。

 生命の危機と楓は感じた。

「……誰かが、観てるだって?」

 少女は息を殺して、陰の向こうへと。

 大変なことを知ってしまった。ありえない、しかしありえざるをえないこと。

 可能性はただ一つ――維光は、気がおかしくなっている!

 狂わされているのだ、あの(ほん)に。

 楓は、書を燃やさなくてはならないと決心した。あれのせいで維光も透も惑ってしまったのだ。今の内に対処しなければ、取り返しのつかない事態に。

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