其の捌
十二時間とは一日の半分の時間であって、決して短くなどなくむしろ長い。その間にやるべきことは多かった。町のあちこちにある公園の中で一番広い場所を探すこと。自転車で走り回ったが、結局は南凰公園が一番広く、美鬼の言っていた条件にぴったりだった。
その頃には夕日が地上を真っ赤に染めて、反対の空には欠けた月がうっすらと姿を見せていた。雲一つないカラッとした空は、何処か寂しさを感じるのは自分だけなのだろうかと思った。
今日の夕食の当番は紗理奈だったので、あきこと買い物をして教わりながら料理をする。さと美は怪訝な顔でそれを見ていた。
「お姉ちゃん、いつになったら上達するの?」
「うっさいボケ! 私だって知りたいわ」
「味見してね。でも何しても無駄かぁ。お姉ちゃんの料理、美味しくもないし、不味くもないし」
「一番気にしていることを言うなぁ!」
「喧嘩はやめなさい。紗理奈手順通りに作れば良いのよ」
あきこの手解きがあるにも関わらず本日も微妙な空気が流れる食卓となってしまったのは言うまでもない。しかし、本番が近付いているので寛いでいる余裕はない。
いつでも外に出られる服装でベッドに横になったが、寝不足なので瞼が重くなってきたので、リビングに行ってテレビを見て時間を潰した。
「おやすみお姉ちゃん」
「おやすみ」
さと美が十時半には二階に上がった。いつも通りの時間である。その後すぐにあきこも
「じゃあ、あんたも早く寝なさいよ」
「うん。これ見たら寝る」
「おやすみ」
「おやすみお母さん」
十一時になってそろそろ時間だと思い二階に向かった。さと美の部屋のドアを静かに開けると、電気が消えているのを確認した。それから部屋で暫くその時を待っていると
【妹御は寝たか?】
頭の中で美鬼の声がスピーカーのように共鳴して響いた。
【どうやって返事するのこれ?】
【考えただけで、もう返事をしておる。妹御は寝たのか?】
【うん、多分寝てると思う。部屋の電気消えてたし】
【では窓を開けてくれ】
紗理奈はベランダの窓を開けると家の前の道路に美鬼と竹刀袋を持ったはじめ、瑠美がそこに立っていた。美鬼は二人をそれぞれの腕に乗せてジャンプしてベランダに飛び乗ってきた。
「糸電話って便利だけど何か怖いですね」
「僕もいつまで経っても慣れないから大丈夫だよ」
はじめは美鬼の腕から降りて靴を脱いだ。瑠美も靴を脱いで部屋に上がってきた。
「美鬼ちゃん、どう? 感じるかい?」
「まだ感じんせん。でも、今日も来るはずでありんす」
瑠美は時計を見て時間を確認して
「今は十一時、待つしかないってことですね」
「でも、本当に今日も猫又は糸電話してくるの?」
美鬼は胸を張って
「妹御が言うとった。最近ずっと変な夢を毎日見るとな。安心せい。言ったじゃろ? あれはおぬしらの家族だと」
「……まだ確証がないじゃん……本当に――」
「来たぞ!」
全身の毛が総立ちして少しだけ震えた。美鬼が境界を作ったのだろう。美鬼は涼やかな風のように部屋を飛び出してさと美の部屋へ入って行った。それに続けて三人も後を追うとさと美のベッドの端で蹲踞していた。そして、さと美の頭から伸びているのは
「糸だ」
紗理奈の言葉に瑠美も
「また話しに来たんだね」
「さとみちゃん……ここ……がんばるから……」
さと美の口から洩れる言葉は呂律が回っていない。あの猫又と同じ喋り方である。
「これを追うぞ!」
紗理奈の部屋に戻ってベランダに出た三人は、はじめが右手の上に、瑠美が左手の上に、紗理奈は美鬼の背中にしがみ付いた。
「行くぞ」
美鬼は隣の家の屋根にジャンプして糸を追って屋根から屋根を走り出した。
「うわぁぁぁ!」
紗理奈が叫び声を上げると美鬼が
「うるさいぞ! 静かにせんか!」
「だって! うわぁ! だってぇぇぇ! うわぁぁぁ!」
思いっ切り抱きついたら右手にまるで豆腐でも触ったような柔らかい感触が伝わってきた。
「んんっあっ!」
色っぽい声を出して美鬼が少し態勢を崩したがすぐに持ち直した。はじめも瑠美も一瞬「うわっ」っとびっくりした声を出した。
「おぬし何処を触っておる! 何処を!」
「あ! ごめん! 美鬼ちゃん大きいね」
「うっさいボケ!」
最初は怖くて腰が抜けそうになっていたが、次第に慣れてきて、ジャンプする度の風を切る感覚が心地良いと思えてきた。まるで空を飛んでいると思えるようなそんな感覚だった。
糸を辿った先には小さな古墳がある公園で、名前もそのまま古墳公園である。糸はそこに続いていて、その先に猫又はジャングルジムの上にいた。
「にゃんだ?」
公園の砂場に着地すると砂埃が舞った。それからすぐにみんな美鬼から降りたその瞬間に猫達が「フミャァー」っと鳴きながら周りを囲んだ。月明かりに照らされた猫眼は不気味に光っていた。
「「「「フゥーシャァー!」」」」
猫達は威嚇していて、ジャングルジムにいる猫又も四つん這いになってこちらを睨み付けていた。
「ふぅー!」
そんなことはお構いなしに美鬼は
「旦那様、わっちを褒めておくんなまし! 見つかりました!」
はじめに抱きついて猫なで声で甘え始めてしまった。
「後でね。紗理奈ちゃん」
「はい」
紗理奈はゆっくりと一歩前に踏み出すと猫達が
「シャァー!」
っと鳴いて今にも飛び掛かってきそうだったが
「やめるにゃ! にゃにもしにゃいでほしいにゃ!」
猫又がジャングルジムから飛び降りて猫達を制止した。紗理奈はゆっくりと猫又に近づいて行った。
「ココ……なの?」
「おねえさま……」
「あなた、本当にココなの? あなたの家族は誰?」
猫又は紗理奈の目を見て
「ココのかぞくは、さとみちゃん、さりなおねえさま、あきこママ、やすこばあちゃん。ココがみんなを、かぞくをまもるんだにゃ」
猫又がゆっくりと紗理奈に近づいて行くと公園の照明灯の下で姿がはっきりと見えた。長く綺麗な髪は白と黒にオレンジの色でその模様は三毛猫と同じだった。
猫又は紗理奈の足元に来ると鼻をくっ付けてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。他の猫はそれを見て威嚇をやめて静かになってそれを見ていた。
「ココ!」
紗理奈はココを力の限り抱きしめて
「ココ! 守ってくれてありがとう! いっぱい怪我したよね? 大丈夫ココ!?」
「きずにゃんて、すぐにゃおるから、にゃにもしんぱいにゃいにゃ」
「ココ! どうして私が解ったの?」
「ずっとさがしてにゃ。えきでみつけたときはうれしかったにゃ」
「ココ!」
万感の思いで涙が溢れそうだったが、はじめが話を切り出した。
「紗理奈ちゃん、ごめん。邪魔するつもりはないんだけど、ココに聞いてくれないかい?」
「すいません。ココ、あなた達はどうして襲われてるの?」
ココはゴロゴロと喉を鳴らすのをやめて、怒りを露わにして
「やつをとめるんだにゃ! そしたら、やつがきて、にゃかまを! ココはまもるってきめたんだにゃ!」
「ココ、どういうこと?」
「やつは、にゃかまににゃれっていったにゃ! ココはわるいことしたくにゃい!」
はじめ達が真剣にココの話を聞いているが、解って聞いているか不明である。紗理奈には何を言っているのか全く解らない。
「やつはココがじゃまににゃったから、ころそうとしているにゃ!」
「ココが邪魔?」
「あのみつ――」
ココが何かを言いかけた時、空から雷鳴が響き渡り、遠くに真っ赤に燃える炎が見えた。
「やつだにゃ!」
鳴動を感じた後に太鼓の音が聞こえ始め、火車が姿を現した。その隣にはイペタムを持った男性がいて、白目を向いているがこちらを見ているように思った。地上が近づくと男はゆっくりとイペタムを抜いた。
「ココ! 私達を信じてくれる?」
「にゃあ?」
「美鬼ちゃん!」
「解っておる! はよう来い!」
そして、美鬼にまた三人は担いでもらい
「猫! わっちについてきんしゃい!」
そう言うとが近隣の家の屋根まで驚異的な脚力でジャンプした。ココは
「にゃあ! みんにゃくるにゃ!」
美鬼の後について家の屋根までジャンプしてきた。
「行くぞ!」
美鬼は次から次に屋根を飛び越え、その後ろにはココが猫の群れを引き連れていた。火車はそれを空からずっと追ってきていた。
南凰公園に降り立った美鬼からはじめ、紗理奈、瑠美はすぐにその場から離れて屋根付きベンチの所まで非難した。はじめは竹刀袋から無名を取り出してすぐさま抜いた。
そして、ココ達猫も南凰公園に降り立ち空を見上げた。火車は蒸気機関車の上に止まって、男はそこに降り立ちイペタムをゆっくりと抜いた。火車はそのまま蒸気機関車の上空でじっとこちらを見ていた。
「ふうー!」
ココは威嚇しながら少しずつ後ずさりしていたが、美鬼が髪飾りを金棒に変え
「猫! こっちに誘き寄せよ! 来い!」
「にゃあ!」
ココは美鬼のいる池近くの場所までチーターのような素早さで駆け寄った。
「さぁ、来るんじゃ! こっちに来い!」
男の手元からイペタムは「カタカタ」と音を立てながら離れ、宙を駆けて美鬼とココのいる場所まで高速で飛んで行った。
「わっちに任せんしゃい!」
美鬼が金棒で一度薙ぎ払ったがすぐに転回して次の攻撃を仕掛けてくる。しかし、ココにもイペタムは向かってきて鋭い剣先で突き刺そうとしたが
「にゃあ!」
ココは爪を針のように伸ばしてそれを防いだ。はじめはスマホの一分一秒まで見られる時計を見て叫んだ。
「美鬼ちゃん! あと三十秒だ!」
時計の針は間もなく十二時を指そうとしている。美鬼とココはイペタムの攻撃を防ぎながら美しく乱れているように見えた。それは前にも見たことのある踊っているような光景だった。
「猫! わっちに捕まれ!」
「にゃあ?」
「廿!」
はじめは声を張り上げて美鬼に時間を伝える。
「はようせんか!」
「拾伍!」
「にゃあ!」
ココはジャンプして美鬼が差し出した左手の平に乗っかった。
「拾!」
美鬼は片手でイペタムの攻撃を受けていたが、余裕の表情でそれを薙ぎ払っていた。
「玖!」
固唾を飲んで見守る紗理奈は手が熱く汗が滴るのではないかと思っていた。
「捌!」
瑠美は火車を見た。何もしようとせずにじっと傍観者を貫いている。
「漆!」
美鬼の手の平の上に乗っているココにもイペタムは刺そうとしたが長い爪で弾いた。
「陸!」
美鬼は金棒で突きを仕掛けるイペタムを遠くに突き放した。
「伍!」
イペタムはコンクリートの地面に突き刺さった。
「肆!」
美鬼はココを手の平に乗せて大きな池を飛び越えた。
「参!」
すぐにイペタムは「カタカタ」と音を立ててコンクリートの地面から抜け出した。
「弐!」
「さぁこっちじゃ! 妖刀!」
「壱!」
それに釣られてイペタムも水面を抜けようとした瞬間にその時は訪れた。
「さぁ! 極楽に行く時間じゃ!」
池の中央から大量の水が噴出してイペタムはそれに包まれた。十二時の噴水と共にライトアップが水面の下から照らしていた。
イペタムはまるで痙攣したように空中で震えて噴水の池に落ちた。その瞬間に男は蒸気機関車の上で後ろに倒れ、それを見た火車は「ギャォー!」っと叫び太鼓を叩きながら空へと消えて行った。はじめは
「美鬼ちゃん! イペタムをお願い!」
「合点小吉!」
っと言って蒸気機関車の上で倒れいる男性の元に走って行った。それを紗理奈と瑠美も追いかけた。
ココは美鬼の手の平から降りて紗理奈を見つめた。美鬼は金棒を髪飾りに戻しながら、池の水面を神の所業の如く歩いて沈んだイペタムを掴んだ。もう「カタカタ」とした音は聞こえてこなかった。
はじめは蒸気機関車に上って男性に近づき、彼の胸に手を当てた。紗理奈と瑠美も登って来て男性の安否を気遣った。
「その人、大丈夫なんですか?」
瑠美の問いかけにはじめは
「大丈夫だね。妖力を感じない」
丁度その時、美鬼はイペタムを持って蒸気機関車の上までジャンプしてきた。
「良かったぁ」
紗理奈の少し大きめな声で男性が唸って目を覚ました。
「うーん? ここは? あれ? 俺は……警備を?」
それに対して、はじめが
「あなたは操られていたんです。もう大丈夫ですよ。刀はもう破壊しました」
「え? え? 何が? 刀? 君達は、誰? 俺は? あの時見たのは?」
「見たって何をですか?」
はじめの質問に男性は
「あれは……人間じゃない! 助けて! あれは! あれは!」
はじめを掴んで混乱している様子だった。すると美鬼が
「おい! 貴様! わっちの目を見ろ!」
男性が美鬼の目を見ると、まるで心がここに無いような遠くを見ている目になった。紗理奈が美鬼を見ると角が仄かに朱色に光っていた。美鬼は男性に向かって
「おぬしは何を見たのじゃ?」
「俺は……あの時見たのは……三つの目が……俺を見てた……三つの目が……俺を……」
「三つの、目?」
はじめは美鬼を見たが、彼女は首を横に振った。しかし、その言葉に対して瑠美が男性を乱暴に掴んだ。
「三つの目を見たんですか!? そいつは鏡の中から来たんですか!?」
「……」
男の人は何も答えようとせずに黙ったままで、それでも瑠美は強く揺すって質問をやめようとはしなかった。
「そいつに願いを言ったんですか!? どうなんですか!? 答えて! お願い! ねぇ!」
しかし、突然に瑠美はフラッとなり「あっ」っと言って倒れそうそうになったので紗理奈が咄嗟に「瑠美ちゃん」っと言って受け止めた。紗理奈はすぐに美鬼を見ると彼女は
「眠らせただけじゃ。これじゃあ埒があかんからな。その男はわっちの質問に答えるだけじゃ。三つ目は何処から現れた? 鏡か?」
「暗闇から……突然に……鏡ではないです……そして……刀が勝手に動いて……」
「他に見たものはあるけ?」
「……何も……」
それ以上何も男の人が言わないので美鬼は
「あい解った。おぬしも眠っておけ。ふっ」
男の人も崩れ落ちように眠ってしまった。それからはじめは考えていることを言葉に変えた。
「……やっぱり全て繋がっているのか? あの時から……まだ続いているのって言うのか?」
「旦那様……」
美鬼は考え込むはじめを後ろから抱きしめて悲しそうにしている。紗理奈は何も解らないまま、ふと思い出した。
「あ! ココ! ココは!?」
紗理奈の言葉にはじめと美鬼も周りを見たが、もうすでにココ達の姿は何処にもなかった。それからはじめは男性の腰の鞘を抜いてイペタムを収めた。イペタムにはお札が貼られ、はじめが竹刀袋に無名と一緒に収めた。美鬼が男性を「警察署の前に置いてくる」っと言って男性を担いで夜に紛れていった。
はじめは「母さんに電話してくる」っと言ってその場を離れたので、紗理奈は瑠美を起こそうとしたが一向に起きる気配がなかった。暫くして美鬼が帰ってきたので
「瑠美ちゃんが起きない!」
「ちょっと待っておれ」
美鬼がフッと息を吹きかけると瑠美はゆっくりと目を覚ました。
「……あれ?」
「瑠美ちゃん!」
「黒木さん?」
事の経緯を説明すると瑠美は
「そう……ごめんなさい。取り乱して」
美鬼は紗理奈も気になっていることを口にした。
「気にせんでえぇ。しかし、鏡の中から現れる三つ目とは何の妖怪変化じゃ?」
「それは……また次の機会に話します。今は言えません」
俯いた瑠美に美鬼は追及するのかと思ったが、彼女は優しい表情で笑っていた。
「良いでありんす。言えない秘密を持っていた方が、おなごは綺麗じゃ」
凜が来て瑠美は車で家まで送ってもらうことになり、紗理奈は美鬼とはじめと夜道を歩きながら家に向かった。その道中で紗理奈が
「宮部先輩、火車の目的って何なんでしょ?」
「解らないけど、猫又は火車がさらっているのを食い止めようとしているんだと思う。イペタムは邪魔をする猫又を殺すために解き放たれた」
「イペタムはもう大丈夫なんですか?」
「これからお祓いをするけど、どうなるか解らない」
「それも宮部先輩がやるんですか?」
「姉さんがやるよ。僕より姉さんの方が妖力強いから」
美鬼はやけに静かでずっとはじめに寄り添っているだけだった。その瞳は何かを考えているように思えたので紗理奈は
「美鬼ちゃんどうしたの?」
「……全部わっちのせいでありんす……」
そう言って立ち止まって
「わっちがこの町に来なければ良かったんじゃ! 旦那様! ごめんなさい! わっちのせいで! わっちが――」
「美鬼ちゃん!」
はじめは美鬼を抱きしめてそれ以上言葉を紡ぐことを止めた。
「旦那様……」
「美鬼ちゃんのせいじゃないよ……これは僕のせいでもある……」
「そんなことありんせん! 全部わっちが――」
「美鬼ちゃんがこの町に来なかったら、僕達出会ってなかったじゃないか。幸福な分のツケが来ただけだよ」
「旦那様、わっちと出会って幸せでありんすか?」
「言わなくても解るでしょ? 美鬼ちゃん、自分を責めるのは簡単だけど、変わるのはとても難しい」
はじめは美鬼と見つめ合って
「僕達で何とかするしかない。奴を止められるのは僕達しかいないんだ。一緒に罪を背負ってくれるかい?」
「……はい、旦那様……」
そう言って抱きしめあった二人を見ていて悲しくなってきた。本当に美鬼を繋ぎとめているだけだったとしたら、それは綺麗事を並べた残酷な言葉だ。
美鬼は孤独の暗闇の中を彷徨って、光の指す方に向かってやってきた夜光虫のようだ。光に触れれば散ってしまうことが解っているのに、美しさに惹かれていく。そんなことを思ってしまった。




