平家の歴史(2)
さて。
三代目煙丸、一吉。
おひとよしだよ。もう名前からして、俺はシンパシーを感じるね。それはいいとして。
三島の血が流れ始めたこの爺ちゃんこそ、平家毛抜き術の真の開祖だと俺は評価してる。この爺ちゃんが、基本技108毛を完成させてくれたのだ。大変な仕事だったと思うし、伝承者として心から称えたい。
「……」
このあとも、各爺様がたが、それぞれ技を少しずつ追加してくれていったのだが、それもこれも。
ふふん。
第三次世界大戦があらかた虚空へと奪い去ってしまった。
存命だった四、五、六代がいっぺんに命を失った。
「……」
頑張ったのが、六代平吉の妻たる婆ちゃんだ。戦争時、七代親父はまだ乳飲み子。六代は死に、ふつうなら失伝が当たり前の状況だったのに、そこに婆ちゃんがいたのが奇跡的なまでの、天の配剤だった。婆ちゃんは、破れかけた代々技術覚え書きと、一部の画像メモリー、そして自身が身につけていた技20毛ほどを、親父に伝承してくれたんだ。俺はもう、婆ちゃん思うと涙が出る。
親父、七代目煙丸、和吉は、息子の俺がいうのもなんだが、頑張った。奮闘の生涯だった。
部分的記録と、実技20毛から、曲がりなりにも108毛、すべてよみがえらせたのだ。
ただし、半数以上は、初期の技ナンバーと整合性がとれなかった。データ不足に尽きる話だ。
例えば、一桁ナンバー。すなわち、一吉時代の基本技、二ノ毛から、九ノ毛が、現在の何番に当たるのかわからない。
ひょっとして、現在の“十七ノ毛”。銘、“月舟”が、実は“九ノ毛”なのかもしれないのだ。まあ、いまの十七ノ毛は、正解だったようだが。
どうでもいいことかもしれない。新しい親父のナンバーで、家業を再開すればいい話なのかもしれない。
だけど、そこはホラ、当事者としては、気になるコトだろう。異なっていることを全く知らないまま毎日を過ごすのと、異なっていることを知りながら異なったまま過ごすのとじゃ、同じ異なったまま過ごしてるんだけど、伝承者の魂的に全然大違いだよ。なにより先祖の誇り。伝承者としては正しく、ご先祖様のその思いっちゅうか、意義というか、つまりは、その時代に確かに生きていたんだという証しを、数に狂いがない、ということで立てたいんだ。ああ、つまりだな――今と昔とで、数と銘が合致してるっていうことで、繋がりたいんだ。俺はそう思ってんのさ!
親父は俺に後を託し、去年。
婆ちゃんとともに、あの世へいってしまった。
去年たら俺はまだ中学三年生。伝統技をさらに磨き上げるとともに、番号を整えることこそが、一生の仕事だと捉えていた。だけど――
大黒柱を失い、この世の中、お袋とこれからどう生活していきゃあいいのか、という現実。
窮地に陥ったところに救いの手をさしのべてくれたのが、遠いご先祖様の縁。
現、三島家当主、優。二十代目銭右衛門さまなのであったのだよ。