主人公登場
おみくじの話じゃないぞ。“中吉”と書いて“なかよし”と呼ぶ。平中吉、俺の名だ。一般庶民ながらも代々引き継いできた“吉”の字に、“中道”という尊い思想から頂いた“中”の字を組み合わせた、お袋のいうところの『どこに出しても恥ずかしくない立派な名前』である。実際はガキんちょのころはそんな尊さなんぞケツふく役にも立たず散々からかわれたものなのだが、さすがに高一ともなると、さらには引越しというファクターが加わり出会うやつらが皆、初対面だということになると、彼らは“なかよし”をネタ扱いすることを控えるという年相応に常識的配慮をみせてくれた。せいぜい、ていうか、代わりに「おーい、ちゅうきち」とか「チューキチ、にゃんにゃーん」、あるいは「ハーイ、チュー」とか、たんに「ナカ!」とか、好き勝手に呼んでくれる程度である。うがったことをいえば、つまりは“なかよし”という言葉は、歳を重ねたら少し気恥ずかしい、口にしづらい言葉なのかもしれないな。
「おい、“なかよし”」
「……」
こいつ絶対いま俺の頭の中テレパスしただろ、となかば信仰めいたことを思いつつ振り返る。そこに俺を見上げるチビスケが、少し皮肉な笑みを浮かべて、いるのが当たり前のようにそこにつっ立っていた。
「……来たんか、三島銭右衛門瑛」
この名を呼ぶときは、『せんえもん』と『あきら』の間に、気持ち読点を打つのがコツである。そんなことはどうでもいいか。うん――
整い、冷たい感じのする目鼻口。肩までの髪。……逃げないでさっさといっちまおう。美形である。道を歩けば、女の子の十人中九人は振り返る……なんて慣用句があるが、そんなの生ぬるい。百人中、その百人全員が振り返る。もっといおうか。千人中、千人が振り返る……かも、だ。なんならお金を賭けたっていい。根拠があるからな。
くそ面白くないことに、スタイルがいい。ぱりっとしたグレーの制服ブレザーに清潔感あふれる紺のネクタイ、すらりと長いチェック柄のズボン。ぴかぴかの黒革靴。腕時計やらハンカチーフなどの小物類は言うに及ばずブランドものである。
現、三島家当主、二十代目銭右衛門、優の、たった一人の実子だった。つまりは次期当主の最有力候補である。三島家の興りは天正14年(1586年)。条件が整えば、瑛はその二十一代目銭右衛門を正式に襲名する。
俺は一般人で雲上の世界は知らないから単純に思う。恵まれすぎだ。これでタッパまであったら俺はこいつとツルむのを、やんわりとご遠慮申し上げていたことだろう。
そやつの後方十数メートル先の路上に、こやつが乗ってきたバカ長い、鯨のようなリムジンが停車しており、今もまだ、運転手がこちらに向かって最敬礼している。
そのまま乗って登校したらいいのに、と思う。ついでに、俺のこと拾ってくれたらいいのに、とも。俺は遠慮なんかせずほいほい乗り込んでやるんだが。
「なかよし――」
「二度もいわんでいい。それと、おはよう」
「――すてきな名前だ」
「ヤメロ、お前にだけはなぜかいわれたくない」
「つまり君だけが自分の名を気にしてるってことさ」クククッ、と笑う。
「……朝の挨拶がまだだぞ」
「君が今しただろうが」
「俺はお前が俺に返す挨拶がまだ聞いて――」
「急ごう。バスとやらに乗り損ねるぞ」
「おま、えぇ――」聞く耳持たず颯爽と歩き始める。おい。
俺のルートで登校するのは初めてだろが、と、ちょっと舌打ちし苦笑を浮かべると、俺は運転手に向かって片手で挨拶を送り、一転、ヤツの背中を追いかけた。急がねばなるまい。なぜなら、ヤツはいま、曲がるべき四つ角を直進しているからだ。ちったあ迷った素振りでもしてみせりゃ可愛げがあるのに、絶対そんなまねしない。ていうか、自分の赴く先に目的地があると信じて疑わないんだな。ふふん、だ。
俺は追いつくと、両肩を挟むようにつかみ、うぃいいん、うぃいいん、がっしゃーんと、正しき道へと方向転換させたのだった。ガキんちょか!