私の悪趣味な友人
「ここに、煮沸したS型細菌がある。これを、R型細菌に混合させたら、死んだはずのS型細菌が生き返ったというんだ。君はこの現象が起こった理由は何だと思う?」
私の書斎に入ってきたアンリは、振り向いた私にそう訊いて、ソファの背に腰かけた。
先程までアンリは物理学の本を何やら熱心に添削していたようだ(彼の趣味は他人の学説に難癖をつけることだ)ったから放っていたのだけれど、飽きてしまったのかもしれない。
「それはエイブリー翁が形質転換を証明するために行った実験の手順だろう? R型細菌のDNAが遺伝情報として組み込まれて、S型細菌の遺伝形質が変化したからさ。君は僕を馬鹿にしているのかい?」
「ふふ。馬鹿になんかしていないよ。君らしい、実に模範的な回答だね」
アンリは口元だけで笑うと、身体を投げ出したソファの模様を指で撫でつけながら続けた。
「しかしねぇ、君。それが完全正答だと思ってはいけないよ。物事とは広い視野で捉えなければならない」
アンリの説教癖はいつものことだ。私は羽ペンを置いて回転椅子を回して、彼の方を向き直る。
「それじゃあ、君はどう思うんだね」
「簡単なことだよ。R型細菌なんか関係ないんだ。―――S型細菌が、それ自身で蘇生したのさ」
アンリは得意気に言って簡単だろう?と片眉をあげて見せた。私は言葉を失ってしまった。その間に彼は、更に言葉を続ける。
「S型細菌が蘇生したときが、たまたまR型細菌と混合させた時だとどうして考えないんだい」
「そんなの、強引すぎるじゃないか。たまたまR型細菌があったんじゃない。R型細菌があったから蘇生したことは、確率的にも間違いはないよ」
私の言葉にアンリは不機嫌になるかと思いきや、さも愉快そうに目を細めて笑い出した。
「確率、統計、凡例、………そんなものをあてにしているようでは、ある一線でそこから進めなくなるよ。生命と言うものは、僕らが考えているよりもずっと、遥かに神秘的で超越的な存在だからね」
「………しかし、それじゃあまるでオカルトじゃないか」
「そうやって事物をさげすむことも、賢明ではないよハワード君。オカルトも、その深底ではこの世の中の『真理』を暗示しているかもしれないだろう?」
「かもしれない……なんて、ずいぶん曖昧じゃないか」
何事にも白黒つけなければ気が済まない性質のアンリにしては実に
「らしく」ない物言いだ。私はうまく言いくるめられたせいもあって、そう聞き返す。適当な返答がきたなら、嫌味の一つも言ってやるつもりだ。
「さっきも言ったように、僕たちなんかには想像が出来ない深い存在なんだ。まして僕はこの方面の専門家でもないからね。断言しろと言う方が無理な要求だよ」
アンリは相変わらず涼しい顔で肩をすくめてみせた。嫌味を言ってやるどころか、彼の持論を完結させるに適した問いかけを与えてしまったようだ。
「想像してご覧よ、ハワード。そのうちに死のない時代が来るかもしれないぜ。ふふふ、何て悪趣味な事だろう!」
悪趣味だ、なんて言いながらアンリは実に楽しそうに言葉をつむぎだす。私は溜め息を一つついて、今まで知り合って来た中で最も悪趣味な友人の話を聞いてやるのだった。
to be contined...?