第1話 十歳
主人公の無双とヒロイン(?)の登場は4話からになります。
三人称の箇所は別人の視点だと思って頂ければ。
基本的に主人公が出てこないシーンゼロでやるつもりです。
あれから九年が経った。
俺は十歳になっていた。
***
町が病んでいる。
古くからの住人はそう語った。
原因は町長の失策であると言われている。税を取ろうと町の周囲に市壁を張り巡らせようとしたのである。幾つもの商隊が通るこの町では、あながち間違った施策ではない。
ただ、見栄からなのか。
今後の拡張を意図してか。
大きく市壁を張ろうとし過ぎた。
集めていた金は溶け、町長はどこかへ逃げた。
残ったのは作り掛けの市壁と、不景気な町である。
町外れに一軒の屋敷があった。
偏屈で有名な老婆が住んでいた。
「ふんっ、二度と近寄るんじゃないよっ!」
彼女は箒を振り、集まった子供を追い返す。町の子供だ。家では満足な食事が取れないので、裕福な老婆のところへ恵んでもらいに来るのだ。
町が病んでから、こういう子供が増えた。町に活気がある頃はまるで寄り付きもしなかったくせに、いざ困窮すれば掌を返す浅ましさに苛立ちを覚える。
子供には罪は無いかも知れない。
だが、親には罪がある。ならば、親の罪を子供も背負うべきだ。
大体、本当に助けて欲しいのならば、親が頭を下げにくるのが筋だ。
とはいえ、これは邪推だった。
老婆と町の住民の感情はこじれ切っているので、親が老婆のところへ行って来いと言うはずがない。老婆のところは裕福だから、とこぼしたのを子供が聞き付けただけ。
屋敷に戻ろうととした老婆だが、まだ一人残っている事に気付いた。
「お、おねがいです。ごはんをください」
十歳ぐらいの少年だ。
町の子供ではない。一目で分かった。それは外見的な特徴からで――
と、眺めていた老婆だが、考えを振り払った。
町の子供でなかろうと、やる事は一緒なのだ。
「お前にやるごはんがあるもんかね!」
箒を少年に振り下ろす。
少年は身体を竦めたが、箒を避けなかった。
「ほれ! 早く消えな!」
何度も打擲するが、少年は「ごはんを」と繰り返すばかり。
老婆がより一層、強く叩こうとした時だった。
「ま、まだか」
髭面の男がやって来た。手には酒瓶を持っていた。
「親かね。さっさとこのガキを持ってきな」
しかし、酔漢は老婆を無視して少年に向かう。
「は……早く持ってこいって、いった、ろう!」
「ご、ごめんなさい。まっ、まだ……です。も、持って行きますから、けらないで」
老婆の箒は手加減はしていない。それに苦悶の声一つ上げずに耐えきった少年が怯えていた。
老婆は髭面の男に不気味なものを感じた。
どう見ても乱暴者なのに、根っ子の部分は優しそうな――ちぐはぐな印象なのだ。言葉も酒で呂律が回っていないから、というよりも台詞を喋っているかのようだ。
だが、そんなはずは無い。
少年があんなにも怯えているのだ。
「お、俺は持ってこい……っていったんだっ……」
「けらないで、けらないで……」
「う、うるさい!」
髭面の男が少年を蹴り飛ばし――老婆は口をポカンと開けた。
少年の身体が五メートルは吹き飛んだからだ。明らかに折檻のレベルを超えていた。
老婆は髭面の男が消えるまで、膝の震えを抑えるのに必死だった。
じろ、と見詰められた時、ひぅ、と息を飲んでしまった。
「あ、あんたっ。生きてるかい?」
子供は嫌いだ。だが、目の前で人が死ぬのを見過ごせはしなかった。
なんて親だと憤りを覚えた。
あの髭面に文句を言ってやりたいが――正直に言えばあの男が恐ろしかった。
「う、うう……ご、ごはんを……」
「わ、分かったから」
少年の目が光ったような気がしたが――気のせいだろう。あれだけの蹴りを受けたら、意識を保っているので精一杯のハズ。
「お、お酒ももらえますか。も、も、もら……えないと、また……」
「わ、分かったからっ」
思わず約束してしまっていた。
やはり、少年の目が光ったような気がしたが――
「うっ、うう……と、父さん……お、酒、持っていくから……けらないで……」
――気のせいだろう。
***
俺の前世での名は黒須刃と言った。
カタカナに直すと横文字っぽくなるので、《AGO》ではクロスで登録していた。字面こそ同じだが、イントネーションが違う。黒須の方は「ろ」を上げて発音する。
実名をもじって登録する人は案外多かった。
アバターの容姿こそ設定出来るものの、自分で自分を見る機会は少ない。
ゲームの世界に入っても、主観は自分なのである。
そこへ、
「やあ、レントヒリシュ」
などと言われても、「はい?」ってなる事請け合いだ。
まあ、俺の場合、名字を気に入っていただけかも知れないが。
俺は一度名を失った。
だが、いつまでも名無しのままではない。
では、改めて自己紹介を――
「おう、クロス」
……分かっただろうか。
そう、前世と一緒である。
理由は……言うまでもないか。クソ神とパーティー組んだ事あったしな。
名前を付けられた直後は、名を呼ばれる度に「ああ、俺って結局、クソ神の掌の上なんですね」とへこんだ。だが、一年、二年と経つと、ロクでもない名前付けられるよりは余程マシだった、と思えて来た。アイツ、ホントにそういうこと出来るんだから。
感謝するはずないが。
今ではこの名前も気に入っている。
前世の俺と今世の俺。どちらとも矛盾しない名前。
「どーだー? ちゃんと貰えたか?」
赤ら顔で木に寄りかかる男に、俺は酒を掲げて見せてやる。
「なかなかいい酒だとよ。連れ合い亡くして飲む機会もなくなったんだと」
「おお、そらあ期待が持てる」
「お前には過ぎた酒だ、ブラス」
ブラス。
それが俺の養父の名だ。
誘拐犯のアジトで一緒だったあの髭面である。
赤子を見捨てるのが忍びなかったのか、それともヴァンデルと密約があったのか。アジトに残された俺を、ブラスは育ててくれた。
とはいえ、ブラスが旅の同行者に選んだのが赤子だったというだけで、あまり育ててもらったという感じでは無い。飲んだくれが赤子を連れていると、どこの町でも恵んでくれる人がいるのだ。そういう人たちは決して裕福なわけではないから、ある程度お世話になったら次の町へ向かうという繰り返しだった。
ブラスは働かない。
一応、俺を拾った直後は働く気概を見せたが……俺がいれば恵んでもらい易いと知ってしまってからは……堕落ぶりは目を覆いたくなるものだった。何度か一念発起して重い腰を上げた事もあるが、三日坊主で終わるのが常であった。
今では立派なアルコール依存症である。
ヴァンデルと話してた時の男気はどこへ消えた?
問い質したい。
いや、ホント、マジで。
でも、それをやるとあの時俺が自我を持っていた事がバレるのだ。
あー、まー、手遅れな感もあるが。明日の食事すら覚束ない事に身の危険を感じた俺は、拾われてから半年経った頃から、クズニートに助言をしていたのだ。突然意思をもって喋り出した赤子にブラスは驚いていたが、案外簡単に飲みこんでいた。「おめぇ加護が?」といっていたので、もしかすると成長が早くなる加護があるのかも知れない。
神様、父親が働いてくれる加護はありませんか?
ブラスは俺の事を町で拾ったと語った。
突っ込んで聞いてみたらしどろもどろになったので、それ以来詳しく聞いていない。元々、聞く必要も無い。ただ、あまりにも興味を見せないのも、不信感を抱かせるので聞いてみただけだ。俺が一部始終を覚えていると告白すれば、恐らく俺の知らない裏事情も含め、全部教えてくれそうな気もするが――止めておいた。
俺はブラスを責めたい訳ではない。
だが、ブラスはそうは取らないだろう。
どのようなしがらみが有るかは知らないが、ブラスが俺を助けようと動かなかったのは事実だ。
「待て、待て待て。ステイだ、ブラス」
酒を奪おうと立ち上がりかけたブラスを手で制する。
チッ。用が無い時は冬眠した熊の如く動かないクセに……
「酒をくれてやる前に説教があります」
「……み、短く頼むわ」
説教を受ける事は容易く受け入れるブラス。俺達の関係が透けて見えようというものだ。
「お前、なんで手加減した? 俺、言ったよな? 本気で蹴れって」
「……蹴ったつもりだった……んだが……」
「言い訳はいい。お前の本気の蹴りはあんなんじゃねぇ。あのバアさんが騙されてくれたからよかった。けどな、八百長だってバレてたら、絶対に恵んでもらえなかった」
この町はハズレだった。
もしリングにスキルがあれば間違いなく「寄生」とかかれているだろう俺である。十歳の見た目を武器にすれば、無下にできる人は少ない。裕福な相手を狙っている事もあって勝率は高い。その点、この町は裕福な人自体が少なかったのだ。
「いいか、俺が完璧な計画を立てたって、実行者がザルじゃ話にならねーんだ」
「で、でもよお……俺は演技……苦手でよ」
「演技?」
目を細める。
するとブラスの野郎、目を伏せやがった。
「おい。こっち見ろ。そう、上だ。いや、酒は見るな。俺のほう見ろ」
なんだかどっと疲れが湧いて来る。
なんで俺がこんな事をと思うが、言ってやらないといけない。
「さて、ブラス君」
「…………お、おう」
「自分では働きもせず、十歳の子供におこぼれに与かる大人。世間一般ではこういう人物の事を、何と言うか分かりますか?」
「……親孝行な子供だと思うんじゃねえか」
「おい、誰がヨイショしろつったよ。やめて。褒められると俺もふふん、ってなっちゃうから。あ、だから、酒見るなって。どうしようもねェクズだな。っと、うっかり答えを言ってしまいましたね。そう、貴方はクズです」
「…………俺……クズ……」
ブラスがショックを受けている様子なのが納得いかない。
俺が語ったのは全部本当の事なのだ。
え? なに、自覚なかったの? って具合である。
「ブラス君。キミは?」
「……く、クズ」
「声が小さいです」
「クズだっ!」
「はいっ、もう一度!」
「俺はクズだッ!」
俺は鷹揚に頷く。
「では、子供を蹴る親は?」
「そりゃあ、お前、クズだろう」
かつての男気の一端を垣間見せ、義憤に駆られた様子で即答するブラス。
うんむ。うまく言質が取れた。
「じゃあ、もういっぺん聞く。なんで本気で蹴らなかった?」
「…………俺は……ダメな、親なんだろう……クロス、お前がいなかったら、どっかで野たれ死んでたんだと思う。誇りだって、とっくの昔に捨てちまった。情けねーとは思ってんだ。俺もよ……でも、なんか、ダメなんだ……そんな俺でもクズになりたくねぇ」
いい台詞だと思うよ。でも、酒から視線を外してから言おうな?
「いやでもお前、クズだろ」
「……お?」
「自分で認めたろ。クズだって」
「…………あ、あれは……」
「なら、蹴れよ! 本気で! 演技!? バカいってんじゃねぇ! お前はクズなんだからクズらしくしろってだけだろ! 簡単だろうが。素の自分を見せてやりゃァいいんだッ! クズはガキ蹴るのがお仕事だろッ!」
「……お、おぉ」
一瞬、ブラスが納得しかかっていたが、流石に強引な理屈に気付いたようである。
ちっ。大人しく騙されてろ。実際クズなんだからよ。
演技でも躊躇なく子供を蹴る養父は俺も嫌だが。
たまにこうして男気を見せるから、俺としても憎み切れない。
これでなんで働けないのか……心の病なのだろうか。
元々はそれなりに立場もある人物だったっぽいし。ヴァンデルと顔見知りだったことから、騎士だったのだろうか。やる気を根こそぎ奪うような事が職場であったのかね。
まー。それでも子供育てようってんなら、働けよとは思うんだが……
溜飲も下がったし、そろそろ許してやろう。
八つ当たりなのだし。
もし八百長がバレて、蔑みの目で向けられたら、と思うと胃が痛くなる。だからこそ、失敗の原因を作りかねなかったブラスにイラついたのだ。
俺は精々チンピラ止まり。
マフィアは無理っぽい。
器が小さいね。
「ほらよ。酒だ。メシはまた後な」
「……悪ぃな……クロス……」
酒を受け取ると、ブラスは俯いてしまう。
「そう思うなら働いてくれよ、父さん」
俺は北の方角を見る。
レアムンド領の方角だ。
コンパスは無いがマップで分かる。
遠くまで来たものだ。
アレ以来テラからのちょっかいは無い。
もしかして忘れてくれたんじゃ――と思いたいが、思わないようにしている。前こんな事を思っていたら、クエスト巻き込まれたからね。
レアムンド領に帰りたいと思わないかといえば嘘になる。
しかし、タイミングを逸してしまった。誘拐直後、レントヒリシュ領に戻れとブラスにいいたくても、喋れるようになるまで半年もかかってしまったのだ。最初の半年は豚公爵の目を気にしてか、ブラスも移動を繰り返していた。おかげで、戻るにしても時間が経ち過ぎてしまっていた。
もうレントヒリシュといえば俺ではなく、トーピアさんちの子供の事だろう。
テラが選んだ替え玉なのだ。
さぞイケメンなのだろう。でもってヴェスマリアに可愛がられて?
死ねばいいのに。
レントヒリシュと会ったら、自分が何をしでかすか、恐ろしくて仕方が無い。
ヴェスマリア恋しさに、帰りたくなる日もある。
だが、ぐっと堪える。
目的があるのだ。
「クロス。次はどっちへ行く?」
酒をちびちび楽しんでいるブラスが問う。
この町はハズレだった。
パラサイトするのにもハズレだったという意味に加え、本来の目的からしてもハズレだった。
ブラスは俺の旅の目的を知らない。何も聞いて来ないからだ。ブラスには目的もないようで、行先は俺に任せられていた。
「ええと……」
俺は地図を広げる。
リングのマップではなく、ごく普通の地図だ。
非常に正確である。
どこの地図会社からの提供だと思ったら、神様からなのだそうだ。
ファウンノッドには非常に多くの神がいる。
その中の一人が地図を司っているのだそうだ。
マップのほうには町の名前の記載が無い為、旅をする分には普通の地図がいるのだ。
地図には俺の書き込みがある。以前、聞き込みした際に、書き込んでいたものだ。名前の隣に人数が書かれている町が幾つもある。それらを線で結んだものが、現在の旅のルートだった。
この町では情報は得られなかった。
やや情報は古いが、無計画で回るよりはマシだろう。
「また、南だな。ユーフ。それが次の町だ」
そこに一人いるらしい。