第6話 クエスト2
視線は時に暴力と化す。
理知的な親分が見事な拵えの刀だとすると、ギラついた子分は剝き身のナイフか。いつ手元が狂ってサクっとなるか分からない危うさがあった。しかも、薄汚いので、こんなんで切られたら破傷風になっちゃうよ、ってな具合である。
そんな視線が無数に突き刺さっていたのだ。
折れた。ぽっきり折れた。煮るなり焼くなり好きにしてくれと、俺は両手足を投げ出したのだった――あれ? それはいつものばあぶうスタイル。うん、平常運転だった。
そんな俺の前に初老の女性が連れて来られた。疲れ果てた様子から、みすぼらしい印象を受けた。昔は美人だったと思われる。
親分は俺を顎で示す。
「どうだ」
元美人は泣き出しそうな声で言った。
「ええ……本当に……ええ…………」
それで元美人はお役御免となった。俺には全く理解出来ないやり取りだったが、親分にとっては十分だったらしい。
子分に連れられ、元美人が屋敷を去る際。
「あ、あの子をお願い致します」
「失せろ。計画を成功させたいなら」
ヒュー。クールゥ。
元美人の懇願など知ったこっちゃねぇと親分はにべも無い。
元美人の姿が消えると、一段落ついた雰囲気が漂う。
この誘拐の着地地点は未だ見えない。だが、計画が進んだのだとすれば、アレは首実検だったのだろう。
彼女は俺がレントヒリシュ・レアムンドだと保証したのだ。
ここで疑問が一つ。
……で? アレ誰よ?
残念ながら俺の疑問に答えてくれそうなリリトリアはいない。彼女は娘の顔を見に行っている。薄情な奴め。娘の顔見て、死ぬのが怖くなってくれりゃいいが……
男子三日会わざれば刮目して見よという。
まさしく赤子のツラなんて、日々変わるものだろう。
元美人があそこまで確信を持っていたのだ。つい最近、俺と顔を合せているハズなんだが……いや、見た事ないんだよな。
俺が寝ている最中にヴェスマリアが連れて来た……?
ああ、ないない、ないわ。もし、ヴェスマリアと会っているなら、元美人があんな負のオーラを醸し出してるはずがない。
なんだかんだ理由をつけて屋敷に逗留させるぐらい、ヴェスマリアならやる。んで、帰るときにはきれいさっぱり負のオーラは払拭されているっていう。母様の癒しオーラは凄いのだ。
テレビでチンピラが「へい、ママのおっぱいが恋しいかよ、ヘヘ」とか言うのを見かけると、俺は思ったものだ。なんと、バカにした物言いだと。
おっぱいが恋しい?
当たり前だ!
だが、ママのじゃなくて、ごにゃごにゃ……だけどな、と。
でも、今は無性にママのおっぱいが恋しい。
そうか……お腹すいたんだな。
今では離乳食を食べていたが、それでも前世の記憶があるからなのか、母乳は俺にとって格別なものであった。
ああ、母様……心配してるだろうな……
ジェイドの尻を引っぱたいて、兵を出している頃合だろうか。
しかし、ジェイドかあ。リアルチートの代表格だ。英雄級迷宮がどの程度か知らないが、滅茶苦茶強いんだろうなあ。普通であればジェイドに任せ、大船に乗った気分でいればいいのだろうが……泥舟としか思えないのは何でだ? 全く安心感がないのだ。
……ああ、そうか。
俺の身体が成長していないのが悔やまれる。してたら手を鳴らしたのに。
これがクエストだからだ。
プレイヤーがノータッチでクリアできるクエストがあるか?
ない。反語。
クソ神曰く、俺は道化師らしいし? はっ、分かってますよ、道化師は虚仮て踊ってナンボさ。せっかく舞台を整えてもらってんのに、裏口から退場なんて許してもらえるはずがない。
と、するとこの場を自力で乗り切る必要があるってことか。
……自力で、ねぇ。
……いやさ、無理だろ。
だって、ハイハイすら出来ないんだぜ? 異常な成長速度と感じられないよう、のんびり過ごしてたから。ともすると、逆に普通の赤子よりも成長速度が遅いかも知れん。
くそっ。公園デビューしてたら。
アレだなあ。
出来ないってコトと、やれないってコトは違う。爪を隠すのも大概にしとけって事か。イザって時に困る事になるんだから。まー、ハイハイで無双できるかよっつーハナシだが。
そんな事をつらつら考えていたら、俺は地下室にいた。当然、俺が歩くはずもないので、運ばれたのだ。鷲づかみにされて放り投げられる事を運ぶと呼ぶのであれば。
お、おいぃぃ!
子供嫌いにしても程があんだろォがよォ!
内心で絶叫し、華麗に受身。良かった。上手くいった。
それを目撃した親分は目を見開いていた。やばい、警戒させたかっ――咄嗟に「だぁ、だあ、だっ」と無邪気を装い、親分と睨めっこ。探るような眼差しに内心冷や汗モノだったが、やがて親分は「不細工な……」とこぼすと、はっ、と雷に打たれたかのように身体を震わせていた。
そうだった。
子供は猿なのだった。
コレぐらい出来て当然。
なあんだ、驚いて損したぜ。
……おい。
去り行く親分の背中に、どこでそう結論付けたのか、聞きたかったがぐっと堪えた。
お、俺の顔は天使だって母様は言ってくれたんだぜっ。母様は何をしても褒めてくれるけど。でも、いいんだ。俺は褒められて伸びる子なんだいっ。
地下室は隠し部屋のようだった。あると知らなければ、まず入口に気づけない。なんか床をカコってしたら、パコって床が外れて、パタンって閉じられた。
何いってるか分からない?
大丈夫。俺も分からない。
ここは有事の際の脱出路なのだろう。奥に通路が伸びている。最近、通路に誰か入った形跡がある。屋敷に来た際の地下の物音はこれか。脱出路を整備してたのだろう。
かなり埃っぽい。窓もないのだ。
親分が蝋燭を残していっていた。おかげで暗闇の恐怖から逃れられている。助かる。タイルを数えずに済む。
俺のためではないだろうから、脱出路を使うつもりなのだろう。でも、最初から逃走する気満々でどうすんだ? ああ、いや、単に通路として使うのか。表から人が出入りしたら、ここで悪巧みしてますよ、と宣伝するようなものだろう。
俺は唯一の家具である机の上にいた。
落ちたら確実にケガするな。死んでも自己責任って事か。
どうも親分は積極的に俺を害そうとはしてないが、大事に扱おうとも思っていないようだ。
ホント、どういう計画なんだろうな?
とはいえ、この放置はありがたかった。見張りをつける様子もない。むしろ親分は子分の目を盗んで、俺を地下室にブン投げたのだった。俺がここにいると知っているのは親分だけ。その親分にしても、様子を見に来るとは思えない。
俺が何をしていても連中に気付かれる事は無いのだ。
思わずほくそ笑む(こんな顔も母様は褒めてくれます)。
くっ、くくくく!
バカめ!
連中は俺を侮っている。
何もできない赤子だと。
放置していても計画の妨げにならないと。
俺が前世の記憶を有しており、魔法を扱えると知らないのだ。
くくくくく、ふわぁーはっはっはっはー!
ふはーははは、くっく、げぅ、げほっ、こほ、えふっえふっ……
……はあ。
では、ここで絶望的なお知らせを一つ。
俺はアニマグラムが使えない。
剣と魔法の世界へやって来て、魔法を使わないのは嘘である。転生直後、ヴェスマリアの目を盗んでコーディングを繰り返したものだ。見つかってもバレないだろうが、不気味だろうから。しかし、結果は芳しくなかった。どれもこれも発動しなかったのだ。コードを何度見返しても、おかしな点は発見できなかった。
では、何が問題なのか?
恐らくと注釈がつくが、言語が違うのだと思う。
――プログラミング言語が。
そう思う根拠はリングにある。
《AGO》のリングとこの世界のリングは似て非なるものだ。ステータス画面の違いからもそれは明らかだ。
この世界が誕生から数年という事もないだろうから、この世界のリングを基に《AGO》のリングは生み出されたのだろう。その際にゲームとしてのエッセンスが付加された。それがLVやパラメータではないのか。
《AGO》のリングから遊び心を削ぎ落した無骨なリング。
それこそが俺の使う、オリジナルリングとでもいうべきものだ。
どちらのリングが優れているとは一概には言えない。
例えばマップはオリジナルリングが勝っている。MMOにつきもののラグがないのだ。だが、逆にオリジナルリングには、ある便利な機能が欠けていた。
インベントリである。
ドロップアイテムを亜空間にぽいっ、が出来ないのだ。残念至極。
とはいえ、便利な事には間違いない。もし、公開されているなら、一般まで普及していることだろう。しかし、ヴェスマリアが使っているところを見た事が無い。
だとすると、とある一族に伝わる秘術という設定は、案外真実を語っていたのかも知れない……もっと、公式の設定を読みこんでおくべきだったか……でも、まさかファウンノッドへ転生するなんて予想出来る筈が無いだろう――
ああ、話が逸れた。
以上の点を鑑みると、オリジナルリングと《AGO》リングは別物と見ていい。ならば、プログラミング言語とて別物ではないか、という考察が成り立つワケだ。
プログラミング言語とはコンピュータと会話する為の言語だ。こっちが日本語で話し掛けたとして、向こうが英語しか解さなければ言葉は通じないのだ。
では、一体、何語であれば解してくれるのか?
ノーヒントで当てるのは不可能だ。
だが、俺は楽観視していた。魔法屋(というのか知らないが)で魔法を購入し、そのコードを解析してやればいいからだ。全く知らない言語だったとしても、規則性から解析することは可能だろう。
つまり、現状俺が使えるアニマグラムは無い。
しかし、将来、アニマグラムを使える可能性は高い。
問題は――
「親分。あのぼっ、坊主は殺るんですかい」
「お前が知る必要はない」
……俺にその将来が残されているかだ。
えぇ、もうやーだー。
その質問したの三人目なんですけどー。
人気者はつーらーいー。
屋敷がボロイからだろう。地下室にもガンガン声が響く。
しかし、今のところ有益と思える情報は無く、むしろ聞くんじゃなかったと後悔する内容ばかりであった。へへ、親分さん、耳寄りな情報がありますぜ。アンタを出し抜こうとしてる勢力があるんでさあ。へへっ、ナイショで俺を殺っちまえばいいってサ。
親分さん、子分の手綱はきちんと取っていてもらえやすか。ええ、ええ、我が身の事ですからね、アッシも協力を惜しませんよ。アッシに出来る事があればなんでもいってやってくだせぇ――っと、そうだった。子分達、俺の居場所知らないんだった。
はっ、子分の掌握もできないなんて、親分の格も高が知れていますね。
しかし、なんだろう。親分と子分の間で温度差があるな。
子分は何でか知らんがレアムンドが憎いらしい。スラムの問題かな? あいつらスラムの住人っぽいし。
かつて、バイト先で中間管理職の悲哀を語られた事がある。下からは何でこんなことも出来ないんだと突き上げを食らうが、権限を持っていないから出来る筈がないのだと。手を縛られた状態で何が出来るって言うんだ、と嘆いていた。
ジェイドは辣腕なのだろう。でも、王ではない。
スラムの問題を解消できないのも、政治的な理由が絡んでいるのかも知れない。流民がどうのこうのいってたから、ここのチンピラ達は公爵領の人間ではないのかも。
と、前世の教養がある俺なら推測が出来るが、ロクな教育も受けていないだろうチンピラでは、
問題がある。
解決されない。
誰が悪い?
一番偉い奴だ!
それは誰だ?
レントヒリシュだ!
と、なっているのかもしれない。
情熱だけは溢れる子分に対し親分は……何というか芯がない。
こうしようというヴィジョンが見えないのだ。これでは人はついてこない。
手下が口々に俺への怨みを口にするという事は、金銭で雇用関係にあると言うわけではないのだろう。目的が一致していて、かつ、親分のほうが格上だから上に収まっているだけで。従っていてもラチが明かないと思えば子分は反乱を起こすのではないか?
ああ、マジで手下の手綱はきちんととっとけよ?
……なんだって俺が誘拐犯の事情まで心配してやらにゃあならんのだ。
***
リングの機能は六つある。
1.魔法
リングの花形である。
だが、魔法を持っておらず、プログラミング言語も判明しない以上、出来る事は無い。
厳密に言うと魔法は一つある。そう、リングだ。しかし、リングはブラックボックス化していて、コードを参照することも出来ない。眺めていると物悲しくなって来るので、プログラミング言語が判明するまで開かないようにしている。
2.ステータス
ガッカリ項目その一。
語る事は無い。
3.マップ
《AGO》で見ていたマップそのまんま。だが、精度も高く、ラグもない。
自分の周辺にいる人間をマーカーで表示する。自分は白、敵を赤、味方を青、中立を黄色だ。
設定によって表示のON/OFFが可能。現状は人間しか設定出来ないが、プログラミングによって拡張出来る事が判明している。今後の発展に期待である。
4.クエスト
ガッカリ項目その二。「NPCがいないのに、なんで有るんだろう」という一年に渡る疑問は本日解決された。
この項目が有るってことは、オリジナルリングを操る一族ってのも、テラに振り回されていたりするんだろうか。すげぇ会って見たい。なんて一族の名前だったっけ……思い出せん。《AGO》ではチュートリアルで出会う一族なのだが……取りあえずチュート族と呼ぼう。
そういや、この世界の人々は、神からクエストを受けたりするんだろうか? あー、どうだろ、「ですわ」のいい方からして俺だけっぽいような……特別であることを自覚しろ、見たいなことを言っていた。特別ねぇ……特別つったって、道化師だろう? 全く嬉しくないと言っても、「ですわ」は聞き入れてくれなそうで嫌だが……
5.パーティー
何が出来るか検証出来ていない。ヴェスマリアにパーティー申請をして見たが、気付かれないまま承認ウィンドウがタイムアウトしたのだ。リングを持った相手にしか、この項目は機能しないのだろう。チュート族と出会えれば化けるかもしれない。
やはり、今後に期待。
6.加護
得ている加護が確認出来るだけ。ステータスと合体させてしまえばいいと思う。
深い理由があるのかもしれないし、実は何も無いのかもしれない。
以上、六つの機能である。
残念ながらインベントリ、フレンドリスト、メールボックス、ログアウトは無い。
さて。
このように非常に多機能なリングである。
だが、しかし、現状、大半の機能が死んでいた。
したがって俺に出来る事と言えば、マップを開く事だけだった。
流石に屋内の地図は出ない。だが、周囲の人数を探るだけなら十分だ。
……え?
目を疑った。
二度見する。
……は、はあ? 真っ赤?
まさかバグなのかと一瞬焦る。マップが赤一色に染まっていたのだ。
……ああ、縮尺か。幾らマップが高性能とはいっても、高低差は表示しきれない。あくまで平面の地図なのだ。つまり、頭上に大量のチンピラがいるのだろう。
ちょっと憂鬱になりながら、拡大をしていった。
ひのふのみのよーの、ああ、もうすっげぇいるわ。
てんでバラバラに動くので、数えるだけ無駄だった。
で、親分は……どこだろう。むう、個別に識別できないのは難点だな。濃淡で敵の強さを表してくれないモンかなあ。
しかし、よくよく考えれば物凄い能力だ。
マップを眺めながら、俺は感心していた。
分かるだろうか?
俺も、なまじ《AGO》のマップと同じに見えるだけに、当たり前のように受け入れてしまっていたが、改めて考えてみるとオーバースペックなんてもんじゃない。
まず、人物の位置を把握出来ていること。
これが凄い。
例えば闇夜に乗じて暗殺者がニンニンしにきても、移動している場所が丸見えなのだ。
次に人物を敵味方で分類していること。
なんと頼もしい。
例えば商人に扮した暗殺者がニンニンしてきても、真っ黒な腹の中身が丸見えなのだ。
マップを常時展開していれば、不意打ちを受ける事はまずない。
それだけでも大した事だろうが、俺が社交界デビューすれば、受ける恩恵は計り知れないことになる。権謀術策が渦巻く伏魔殿でも、敵味方が明確であれば、容易く泳げるだろうから。俺の明るい貴族ライフに寄与すること間違いなしだ。
だが、それは相手からすれば心が読まれているのに等しい。
クソ神に心を読まれた時の嫌悪感を思い出す。
掌で弄ばれているような不愉快さ。
マップはそれを疑似的に再現可能なのだ。
明らかに人が扱える魔法の範疇を超えている。
そして、何より恐ろしい事実。
なんとリングにMP消費がないのだ。
これだけ人知を超えた魔法を行使していながら、俺は全く疲労を感じていない。
もしかすると、微妙にMPを消費しているのかもしれない。が、数値としてMPを把握できない以上、検証するのは難しく――つまりはその程度ということだ。
オリジナルリング。
なんと得体が知れない。
だが、これほど頼りになるものもない。チート万歳。
なるほどだ、テラ。コレは正解だった。
そうして考えて見ると、いかにテラが大人げなかったかが分かる。初期魔法選びの際に、コード見せたり、リスト出そうとしたり、どんだけミスリードを用意していたのか。
試しにマップを物凄く拡大してみたら、マーカーが消えた。
オーバーフローか? 表示できるマーカーの数に制限があるのかも知れない。
縮小していったらまたマーカーが出て来た。つか、真っ赤になった。
胃が痛くなった。
なんだよ。なんなんだよ。モンスターハウスかよ。
ああ、マップ兵器が欲しい。
一発で全滅だ。
リリトリア?
巻き込まれても知ったこっちゃねぇ。俺を巻き込んだのはアイツなんだし。
……心が荒んできた。
いやさ、仕方がないだろう。
俺が動かなきゃ、クエストは達成できない。きっとこの推測は正しい。
でも、俺に何が出来る?
何も出来やしない。
それでも、何かしなきゃ。
でも、何が?
俺に出来る事はただ傍観している事だけ。
なのに、クソ神は俺に動けと仰る。
もしこの世界で一つ偉業を成すとしたら何がいい?
そう聞かれたら俺はこう答える。
――神殺し、と。
オレ、アイツ、キライ。
五里霧中だったが「ばぶばぶ」いいながら考えた。
でも、打開策を練っているハズだったのに、いつの間にか「たられば」を弄んでいた。
リリトリアの様子がおかしい事に気づいていれば、とか。
外へ出た時にマップを展開していれば、とか。
バフで身体能力強化出来たら、ハイハイで通路から逃げられたのに、とか。
赫鼎八卦が使えたら身の安全だけは確保できるのに、とか。
《AGO》で世話になった転移石があれば、とか。
リリトリアにセクハラしたら、牢屋に連行されないだろうか、とか――
……うん、後半は妄想だね。
後から考えるとこの時、俺は少しおかしくなっていたのかもしれない。現実を正しく把握しようとするのは立派だが、その現実と相対しているのは、所詮一歳児の心身なのだから。
トチ狂ってでもなければ、あんな事を認めるはずがない。
ふと、思い付き、クエストを開く。
「ですわ」の駄文を読み飛ばし、目的の部分を探す。
あった。
《達成条件》誘拐犯の手から逃れる。
と、ある。
やはり、そうだ。
もし、これが《AGO》リングなら対になる条件がある。
失敗条件である。
念の為、頭から読み返すが、見落としては無かった。失敗条件はない。ないのだ。では、何故、無いのか? それは……失敗がないから? 失敗しないと分かっているから、記載が無いのではないか?
ふと、光が射した思いだった。
そして、思ってしまった。
俺はテラの道化師。
こんなところで死ぬのを、テラが許容するはずもない、と。
***
かつて、俺はテラにこう問いかけた。
何故、俺は試されているのか?
テラはこう答えた。
――失敗しない勇者はつまらない。すぐ死ぬ愚者は先が無い。
英雄譚を好むのは人間だけ。
神が愛でるのは愚者。だが、愚者は愚かだから、すぐ壊れてしまう。矛盾した言い方になってしまうが、神が求めているのは賢い愚者だ。
だから、テラは俺の事をこう呼んだのだろう。
――道化師。
高潔な精神を持っているワケでもない。
頑強な肉体を持っているワケでもない。
勇者ではない。あくまで一般人に毛が生えた程度。
それでも、時に長い物に巻かれ、時に泥を啜ってでも、生に執着する。
その意地汚さこそが、愚者を先へと進ませる。
――故に。
もし、この場にテラが居たならこういっていただろう。
――そんな考えだと、キミ、死ぬよ?