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第5話 クエスト1

 転生から一年経った。

 ついに俺の名前が判明した。


***


 最初は、レン、レンと両親が呼ぶので、レンという名前だと思っていた。貴族だと言うので家名にも興味があったのだが、残念ながら教えてくれる人はいなかった。

 

 言葉はもう理解出来る。

 訓練すれば喋れるかも知れないが、墓穴を掘りそうなのでやってない。もし、目の前でボケられたら、ツッコまずにいられる自信が無いのだ。天然の母親という強敵がいるのである。くそっ、体質が俺を苦しめるぜ……


 では、どうやって名前が判明したのか。

 くく、俺のチートでだ――というと凄そうだが、何のことはない、ステータス画面見ただけ。リングの操作ミスってステータス開いたら、名前が出てきたのだから目を疑った。

 なんでまずそれを確認しなかったんだよ、と思うだろう。いやはや、浅はかな考え。俺が確認してないはずがないだろう? だが、転生直後に見た時は空欄だったのだ。

 名無しである。

 名前は自他を分ける大事なものだ。コギト・エルゴ・スム。我思う故に我あり――だったか。自我がバッチリ目覚めている俺に、この仕打ちは案外堪えた。

 お、俺は誰っ!? てな具合だ。

 が、ステータス画面の悪辣さはこれだけに留まらない。むしろ軽いジャブだったというのだから驚きだ。

 HPが無かったのだ。数値が見えなかったのではなく、項自体が無かった。MPも無かった。経験値や、パラメータ、当然LVだって。

 存在する項は名前と種族で。

 読み取れたのは種族――人間のみという使えなさ。なまじステータスが項目として存在するだけに、肩透かし感が半端なかった。物凄く丁寧な包装を開けたら、中身は空でした――みたいな。

 そりゃあ、クソ神を散々罵倒したさ。

 このリング不良品じゃねぇか、と。

 唯一のチートがこのざまってなんだ、と。


 でも、ふと思った。


 例えばだ。

 《AGO》では最低ダメージが約束されていた。この仕様がそのまま生きているとすると、赤子の俺でも父親に1ダメージを与えられると言うことになる。「ダーダー!」と父親をポカポカしていると、「ぐふっ」と事切れる父親――なんてことになりかねない。

 ええ、迂闊にスキンシップ取れません。


 まー、そうだよな。

 ゲームじゃないんだ。完全に再現出来ないよな。

 されても困るし。粘着したぐらいで異界の牢屋に閉じ込められてもなあ?

 爪先も見えない暗い牢屋でログアウトも出来ず床のタイルを数える……アレはトラウマだ。GMコール連打したが誰も来なかった。聞いたら、普通はアバターが牢屋から一定期間出れないだけで、ログアウトは出来るらしい。今にして思うと、クソ神の仕業だったんだろう。


 ……無いよな? 牢屋。

 クソ神がいるんだし、あってもおかしくは……いや、ないな。あいつ、人間には興味ないし。

 

 そういう考察を経て、名前の空欄も納得したのだが……たぶん、あの時点ではまだ名前が決まってなかっただけなのだろう。謂われない事でテラを罵倒した事になるが……全く謝意は湧いて来なかった。最初に注意しとけよ、ぐらいの心境だった。


 あ、分かるとは思うが、クソ神とはテラの事だ。

 奴とは色々あった。だが、ここ一年はとんと音沙汰が無い。奴も言っていた。いい来世を、と。ならば、もう過去にあったことは忘れ、未来を見据えるべきだと思うのだ。

 だからこそ(・・・・・)親愛の情を込めてクソ神と呼んでいるのだ。


 では、改めて。

 

 レントヒリシュ・レアムンド。

 それが俺の新しい名前だった。

 中二病も真っ青である。

 通称はレン。

 俺としてはレントヒリシュと呼んで欲しい。レンだと日本名として通用するので、むずむずするのだ。銀髪の美男美女が、「ねえ、花子さん」、「なあに、太郎くん」と言っていたら嫌だろう? やはり、世界観は大事にするべきだと思うのだ。


 では、俺の名前を紹介できたので、続いて家族の紹介へと移ろう。

 まずは一家の長、父親からだ。

 ジェイド・レアムンド。

 彼について理解していることは少ない。

 領主。美形。美声。

 それぐらいである。

 仕事が忙しく滅多にやって来ないのだ。来ても短い間で帰ってしまう。

 だが、語れる事は山ほどある。

 彼は若いころ、冒険者として活躍していた。戦士タイプらしい。パーティーメンバーにも恵まれ、英雄級迷宮を二つ踏破している。迷宮を踏破すれば一財産になるので、二つも踏破しているのは珍しい事例らしい。引退時にはSランクとなっていたとのこと。領主となってからは善政を敷き領内を発展させ、今ではレアムンド公爵領の賑わいを表わすのに、王都が引き合いとして出されるほど。平民からの陳情にも目を通す為、領民からは慕われている。

 どこの主人公だよ、っつー経歴である。

 これは一部でしかなく、まだまだ逸話はあるそうだ。

 出来過ぎていて、いっそ胡散臭いが、全て真実なのだろう。

 これを語ってくれたのが母親だからだ。一番接しているだけに、母親の人となりは把握している。彼女は嘘を付かない。というより、赤子に嘘をつく必要がないし。

 追記。両親の仲は非常に良好。来年には妹(だと信じている)が出来るかもしれない。

 はっ。お盛んなこって。


 ところで。

 俺は格上には心が狭い。直す気はないし、転生ぐらいで直るような悪癖でもないと思うが、不思議とジェイドには寛容だった。

 地位も財力もあり、イケメンだ。

 なのに、嫉妬は感じない。頼り甲斐があるなんて言葉じゃ生易しい、どんな時でも味方してくれるという確信――この生暖かい気持ちは……きっと、チョロい虎を見つけた時の狐の心境なんだろうな。

 なるぜ、俺は。虎の威を借る狐に。「だぁだっ!」とやってやれば、ジェイドは俺にメロメロだ。本能で胡麻をする相手と見定めているから、反感を覚えないのだろう。

 今から権力を振りかざすのが楽しみだ。

 わたくしを誰だと思っているのかしら!?

 言ってみたい。

 なんかキャラ間違えたが。高飛車な貴族っていうと、なんでか女のイメージでね。


 次に母親。

 ヴェスマリア・レアムンド。

 金髪のソバージュ。穏やかな風貌と相まって、まるで天使のようである。彼女が声を荒げたところを見たことがない。

 性格は天然。その一言で全てが片付く。ぽやぽやしながら、とんちんかんなことを言う。頭の中は確実にお花畑だ。嫌みではない。ここまで清らかな性根だと、きっと美しい花が咲き誇っているはずだ。だが、花というのは愛でるからいいのであり、育てるとなるとまた苦労があるのだろうと思う。がんばれ、ジェイド。

 歌が物凄くうまい。子守唄として日々、美声を聞かせて貰っている。

 後は――そう、大事なことがあった。美乳である。その双子の丘に顔を埋めることは至福の一言。


 ――と。

 おいおい、ジェイドの紹介と毛色が違うな、と思うだろう。

 まあ、仕方がないのだ。

 だって、俺の情報源はヴェスマリアなのだ。その本人が自分の武勇伝を語るだろうか? ジェイドの情報が詳細なのは、ここにはいられない父親に、親近感を持って貰いたいと言う気持ちの表れらしい。

 そんなわけでヴェスマリアについて語れることは少ない。

 が、些細なことだ。

 もっと大事なものを貰っている。

 愛情だ。

 前世の両親の事を忘れたわけではない。だが、もう母親と言えばヴェスマリアになっていた。ジェイドはまだ父親という続柄として認識しているだけ。いかん、いかんなあ、ヴェスマリアを見習って精進したまえ、ジェイド君。

 

 そして最後に一人。

 厳密には家族ではない。メイドだ。

 だが、現在、俺のちっちゃい世界では、両親とそのメイドしかいないのだから、家族と言ってもいいと思う。出入りする人間が少ないのは、制限しているからだろう。だとすると、メイドは両親からかなりの信頼を勝ち得ていると言うことになる。


 リリトリア。

 シックなメイド服が似合う、美人さんである。

 出来るメイドさんなので無駄口を叩かない。だから、私生活は謎に包まれている。


 そのリリトリアが俺の前で難しい顔をしていた。


 ……なんだろう?

 

「レン様。これから抱えさせて頂きますが、お騒ぎになりませんよう」

「ばあぶう」

「……ご了承頂いたということでありましょうか」

「ばーぶっ!」

「…………」

 

 何故かリリトリアは微妙な顔だ。なんだよ。そっちが話し掛けて来たから返事してやったって言うのに。ワガママな奴め。

 

 しかし、何の用だ?


 リ……なんだっけか。やっぱり「リ」が付くリリトリアの娘。それに会わせようってことだろうか? 以前、リなんとかと俺はきっといい友人になれるとヴェスマリアが無邪気に喜んでいた。身分の差を思ってか、リリトリアは口を濁していたが。


 向こうは何歳だったか。まあ、多少上でも精神年齢はこっちが上だ。仲良くなれるだろう。

 幼馴染。

 いい響きだよな。

 前世じゃ幼馴染はいなかったので、立てられるフラグは貪欲に立てて行きたい。目指せハーレム……は俺の甲斐性じゃムリっぽいか? ちょっと想像して見る。何人もの女が俺を取り合っているところを。う~~~~~~ん。ない。ないな。胃に穴があきそうだ。

 

 リリトリアに連れられて部屋を出る。

 誰ともすれ違わなかった。屋敷の規模を考えると実に寂しい限りであるが、しかし、よくよく考えて見れば俺は何人が屋敷で働いているかも知らなかった。


 オムツを変えるのも、風呂に入れるのも、寝かしつけるのだって、ヴェスマリアの仕事だ。いや、いい方が悪いな。好きでやっているのだろうし。

 俺の生活はほとんど自室で完結している。自室っつーか、両親の寝室か。

 ベッドの脇に揺り籠が設えており、俺は日がなそこでうとうとしている。

 快適な空間だが、ただ一つだけ欠点。夜中に部屋がギシギシと軋むのだ。おかしいな、領主の屋敷だぜ? 建てつけが悪いとかあり得ないだろう。ああ、そうそう、俺にもうすぐ妹が出来るかもしれないってさ。

 と、貴族は子供の世話を乳母に任せる印象があったのだが……俺の生活は全て母様(喋れるようになったらそう呼ぼうと思っている)で支えられている。

 部屋から滅多に出ない。

 だから、閑散とした屋敷を見ても、「そんなもんか」と感想を抱くだけだった。

 休憩時間かもしれないし。

 姿の見えないヴェスマリアに召集されているのかもしれないし。

 本当に偶然(・・)誰も居ないだけかもしれないし。

 判断が出来ない。

 すっかり一年にわたる赤子ライフで分からないことは考えないクセがついていた。

 だって、質問出来ないし。


 屋敷の外に出た。

 我が家に負けず劣らない屋敷が並ぶ。そこここに番犬宜しく立つ衛兵。顔見知りなのだろう、衛兵はリリトリアに会釈こそすれ、誰何されやしない。多分、ここは貴族街とでも言うべき場所なんだろう。

 

 少し行くと雑然としだした。煩いくらいの活気である。

 そこに広がるのは中世ヨーロッパの街並み。

 見慣れた景色ではある。

 だが、新鮮な景色だった。

 矛盾はしていない。似た景色なら《AGO》で見た。しかし、どれだけ綺麗さが売りのゲームでも現実には敵わない。あくまで限りなく現実に近いだけ。越えることは無い。

 何よりも日差し。

 この温かさは《AGO》では感じられなかった。

 肌に感じる熱がこれは現実なのだと訴えかけてくる。

 その熱に当てられたように、胸の奥が温かくなった。

 

 だが、俺が感動していたのは街並みにではなかった。

 前世でも海外へ行けば似た景色は見ることが出来ただろうから。

 俺の心をキャッチしてリリースしてくれないのは人だ。

 

 剣。斧。槍。武装した人が散見される。力で方便(たっき)をたてる人というのは、独特の雰囲気を醸し出していた。まるで自身が力場と化し、迂闊に近付く事を許さないというか。俺が荒事の気配に尻込みしているだけかもしれないが。

 前世では拝む事が出来なかった人種――冒険者だ。

 男がいる。女も。老いも、若きも。

 そして、猫耳さえも――


「ばあぶっ! ばっ、ばぶっ、ばーぶっ!」

 

 ……おっと失礼。取り乱した。

 でも、リアル猫耳だぜ? そりゃあ、興奮もするってば。

 エルフは……いなそうだな。残念。

 しっかし、クソ神も言っていたが、こりゃあ、目が痛くなるわ。赤青黄。人間の頭で信号機作れるぜ。でも、確かにテラ程真っ青な髪はいなかった。

 

 ……ん?

 ……あれ、もしかして……俺、屋敷の外に出るの産まれて初めて……?

 な、なんてこった……


 俺の初めて(の外出)は母様に捧げると決めていたのに……


 ヴェスマリアは俺の事になるとシャレがきかなくなるからな。だ、大丈夫だよな、リリトリア……ヴェスマリアに頼まれて、俺を外に出した……ん?

 ……んんぅ?

 

 生まれて初めて外に出たことで舞い上がっていたらしい。

 上がっていたテンションが一気に冷却。お腹がきゅぅっと痛くなった。

 

 おい、リリトリアよ。


 ……どこだここ(・・・・・)


 光があれば影が出来る。その当たり前のことを体現した、スラムがそこにあった。

 雨風を防げない廃屋にも人が住んでいるようだった。道端に座り込む人の目に、精気が感じられない。日差しは差しこんでいるのに薄暗い印象を受ける。

 ……イヤな雰囲気だ。


 そういえば聞いたことがある。レントヒリシュ公爵領は栄えている。だから、流民が流れ込んで来ると。ジェイドが対応に苦慮しているとヴェスマリアが言っていた。

 

 これか。

 まあ、幾らジェイドでも全てを救うことは出来ないだろう。目の当たりにしてもジェイドの評価は下がらない。ただ、俺が大人になった時、まだスラムがあるようなら、出来る限りの事をしようと思った。権力には義務が伴うのだから――

 

 っと、キャラじゃねえな。ジェイドは優秀なんだろう? なら、平気平気。サクサクっと解決してくれるさ。俺は図体ばっかりでかくなりやがってって邪険にされながら脛を齧る大人になんのさ。

 

 ……で。

 ……まあ。

 ……リアルで寄生する為にはこの場を乗り切る必要があるんだが……


 どうしたものだろうか。

 人気のない路地。前後を強面が固めている。

 チンピラだ。スラムの人間なのだろうか。服も粗末なものだ。テレビ番組なら、一言いって直ぐやられてしまうような程度に見える。とはいえ、異世界のチンピラである。腰にはナイフ。うん、逆らったらサクッとやるんだろう。おっかねえ。クソ神がもう一回転生させてくれるとは思えない。死んだら終わりなのだ。当たり前か。

 

 俺にできることと言えば泣くことぐらいだろう。赤子が泣くのは自然なことだし、窮地を報せることが出来るかもしれない。

 いいアイデアに思えた。

 

 猿ぐつわをはめられてなきゃだがな!


 なんだよ!

 おい!

 リリリトリア! あ、リが一個多い! ってそんなことはどうでもいい!

 

 問題は猿ぐつわをはめたのがリリトリアだってことだ。

 俺の頭がすっと冷える。

 お前……ヴェスマリアの信頼を……裏切ったってことか?


 リリトリアは俺に睨まれていることに気づいていない。何かを待っているらしい。チンピラも囲むだけで、何もしてこない。


 憤懣やるかたない俺が「ばぶばぶ」言うだけの時間が流れた。


 チンピラが左右に分かれた。そこから壮年の男が歩み出て来た。貫禄がある。ツラもいい。よし、こいつ嫌おう。

 目があったので「だあっ」と手を振ってやる。すると、ふん、と鼻を鳴らされた。

 ……こっ、この野郎!

 

「この子がレン様よ」


 リリトリアが俺を男に差し出す。

 

「偽物じゃないだろうな。赤子などどれも猿にしか見えん。偽物ならば相応しい対応を取ることになるが」

「本物よ」

「アジトに行けば顔を知るものがいる」

「本物よ」

「そうか、分かった」


 ようやく男が俺を受け取る。小脇に抱えられる形で。こいつ……絶対子供嫌いだろ。


「私もつれていきなさい」


 去ろうとした男の前にリリトリアが回り込む。


「事が済めば子供は返す」


 男は面倒臭げだった。定時ギリギリに仕事を頼まれたサラリーマンみたいだ。


「嘘よ。そういって返さないつもりだわ」

「ついてきたらお前、どういう扱いされるか、分かってないのか?」

「どのみち旦那様を裏切ったのだから、生きて帰れるとは思ってないわ」

「そうか……なら、屋敷にいる連中の相手でもしてろ。うまく立ち回れば身体を許すこともないだろう」

「その代わり、リスティには手を出さないで」


 リスティ! そうだ、リスティだった。

 ……話が見えて来たな。分かりやすい構図だ。


「お前が屋敷の連中を満足させてやればいいだろう。それならガキに手を出そうとは思わん」

「約束よ?」

「子供は気にかけてやる。お前は知らん」

「十分よ」


 リリトリアは思い詰めた顔だ。

 ああ、くそっ。まずい。こいつ、死ぬ気だ。

 リリトリアへの怒りが鎮火したわけではないが……でも、事情を知ってしまったからには、死なれるのも後味が悪い。子供を人質に取られたら、逆らえるはずないよな……ダメなんだよ。こういう愛情とか出されると……

 ちっ。喋る練習をしておくべきだった。

 そうしたら、リリトリアを擁護することも出来たのに……一歳児の弁護人ってのもシュールな光景だろうが……

 今からでもするべきか?


「ならば、行くぞ。気は進まんが」

 

 なら、帰してくれませんか?

 ダメですか。そうですか。


「貴方、名前なんて言うの?」

「親分とでも呼べ」

「そうじゃなくて」

「お前は死人か? 教えるはずがないだろう」


 親分が先頭を行く。その隣にリリトリアが。金魚のフンとしてチンピラが続く。


 ドナドナされながら俺は考える。

 

 まず推測したのは親分の素性だ。コイツが主犯――実行犯っぽいし。

 恐らく……親分は騎士なのだろう。どことなく気品がある。いやいややっている様子なのも、命令だと考えれば辻褄が合う。


 リリトリアを解放しようとしていたことがそもそもおかしいのだから。確実を期すなら、俺を受け取った時点で、殺すべきだ。ああ、そうか、まだ偽物を掴まされたって可能性があるのか。でも、アジトには俺の顔が分かる奴がいると言っていたんだし、そいつを最初から連れてくりゃ早かった……と思うが、連れてこれない理由があるのか。

 ふむ。


 リリトリアを解放することでメリットがある?

 誘拐が発覚した際、リリトリアがいない事で、そこから辿られる事を恐れた? ないな。今でさえ顔を真っ青にしているリリトリアだ。ヴェスマリアに追及されたら簡単にゲロっちまうだろう。


 そもそも目的は?

 身代金目当て? 或いは脅迫?

 ……どうだろう。この推測もやはり、リリトリアの解放で噛み合わない。何らかの要求を公爵に伝えるとしても、メッセンジャーが必要だ。そこで公爵家と誘拐犯との間に接点が生まれる。メッセンジャーが捕縛される恐れがある。矢文でも撃ちこむのか? いや、あの警備ではまず、射程距離に入ることすら出来ないだろう。直接行くしかない。だが、そこらのゴロツキを雇うにしても、信頼性に欠けるワケで……メッセンジャーとして、最も相応しいのはリリトリアということになるのだ。

 

 ……あ。


 ふと、気付く。


 ……一つ、だけ……矛盾しない可能性……が、ある、が……

 ……でも……………………それは……………………

 ……………………え…………いや、まさか……………………


 思考が回る。

 ぐるぐる。

 ぐるぐると。

 あ。

 やばい。

 と、思ったが、止まらない。

 

「ちょっと!」


 甲高い声で俺は我に返った。リリトリアか、助かった。


「なんだ」

「レン様を丁寧に扱って。見て。酷く苦しそう」


 俺の顔を覗き込みながら、不安そうにしているリリトリア。


「……? お前がキツく噛ませただけだろう」


 いやまあ、猿ぐつわはキツいですが、それが原因じゃないです。


「ちっ……力一杯……やっちゃったかも……だけど。ゆ、緩ませてよ」

「騒ぐな……なんだこの硬さ。殺す気か?」

「うっ、うっかり。あ、あるでしょっ」

「良く結婚できたものだ」

「……旦那に逃げられたわよ」


 ……ああ、うっかり屋さんなんだね。そんなプライベートは部屋で聞きたかったぜ。

 でも、うん、少しは落ち着いた。


 思い付いた可能性。

 それは怨恨だ。

 もし公爵家への怨恨なら、リリトリアを解放しても構わない。

 俺を殺してどこか適当なところに遺棄すればいいのだから。


 その考えに思い当たった瞬間、前世の死の恐怖が蘇って来て――目の前が真っ暗になったのだ。目ェ開いてるハズなのに、本当に何も見えなかった。お先真っ暗とはこういうことか、と普段なら言っているであろうツッコミすら出てこなかった。

 人間、危機的な状況でも、ウィットを忘れたらいけないね。絶望が加速してしまう。

 

 今も……まだ怖い。

 だが、怨恨と決まったわけでもない。

 そうだ。落ち付け。

 

 と、その時だ。

 リングが起動した。


 ……は?


 リングの起動は指で鳴らす方式に切り替えていた。うっかり指を鳴らしてしまったのだろうか――って、待て待て、違う。指を鳴らしたからといってリングは起動しない。音を感知してリングが起動するのではないのだ。リングを起動しようという意思と、指を鳴らす仕草がトリガーとなって起動するのである。実は指が鳴らなくてもいいのだ。


 なのに、リングは俺の意思を無視して起動した。

 呆気に取られる俺の前で、リングは次々と展開していく。


 ……お、おおぅ。


 俺を置いてけぼりにして事態が進む。

 この、人を人とも思わない押し付けには――覚えがあった。

 大体、他人のアニマグラムに干渉するなど人間に出来ることではない。そう、神様でもない限り。

 ならば、これは。

 もしかして俺の事は忘れてくれたのかもしれないな――と思っていた俺の浅はかさを嘲笑うかのように、リングは奴の声を代弁する。まったくもって、ロクでもない声を。


+――――――――――――――――――――――――――+

【クエスト】

《名称》誘拐犯の魔手

《説明》頼り甲斐のある父親と優しい母親に囲まれて、すくすくと育っていた貴方。何不自由ない暮らしが、このまま続いていくと信じていた。ふふん、確証なんて何もなかったのに。

 貴方は大きな勘違いをしていた。

 加護である。テラの愛し子。これは誰にでも与えられるというものではなかった。加護を得たことに涙し、日夜神へ祈りを捧げる。それだけの価値――いや、加護を得た者にとっては当然の義務――があったのに、貴方は気付けなかった。だから、思索を怠ったのだ。

 ――この加護を得た者は数奇な運命を辿る。

 貴方は死人だろうか?

 生きていれば未来は無数にある。そのうちの一つを掴む。掴んだものを運命という。あー、まー、食って寝るだけの貴方は死体みたいなものですわ……ものですが……生命反応は……あった。一応。

 だから、運命はある。そう、数奇な。

 かくして貴方は運命の岐路にいた。

 謎の男に誘拐されてしまったのだ。

 自身の事すら分からない。いわんや、他人の事など分かるはずが無い。怨みを買っていたのか? 公爵家への八つ当たりなのか? まだ、表に出ていない深慮遠謀の一端か?

 何も分からない。

 確かな事は一つだけ。

 これは加護を軽視した神罰であろうということ。

 果たして貴方の運命は?

 それは神のみぞ知る――

《達成条件》誘拐犯の手から逃れる。

+――――――――――――――――――――――――――+


 ……………………あンのクソ神ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!


 ばっ、バッカじゃねぇの?

 ないない、ないってば!

 なあ、俺に何を求めてるの? ねえ、ねぇ!

 俺が何歳か知ってる? 一歳だよ。そりゃあ、前世の記憶があるし、普通の一歳児とは違うさ。でもな、肉体は至って普通の一歳児なんだよ。チンピラと出会っただけで、ゲームオーバー。LV1にドラゴン倒せって言ってるようなもんだって。や、もっとタチ悪いけど。だって、俺はまだ歩けないんだ。レンは逃げ出した――しかしまわりこまれてしまった! なんて、事すら出来ないんだぜ。


 それだけじゃない。

 なんだよ、この説明!

 テラか? テラが書いたのか? 待て待て分かったぞ、マスターとか、そういう狂信者が、テラの意を受けて書いたんだな? そう、そうだよな。そうに決まってる。じゃあないと、こんなピンポイントで俺をイラつかせることは出来ない。あいつボッチだもんな。人の気持ち分かんないもんな。良く見りゃ一か所、「ですわ」って……書いたの女か? 会ったこともないのに、俺への悪意をひしひしと感じるよ。

 加護を軽視したから? なら、謝るよ。ごめん。加護を没収してくれていいから。

 つか、最後の一文。

 ――それは神のみぞ知る。

 これって。「お前がどうしようとこっちで好きにするからヨロシク」と捉えていいの? 違う? もし、違うのだとしたら、これだけはいっちゃいけない一言だよ。多分、「ですわ」が雰囲気で付け足しただけなんだろうが――だって、お前、ホントに神なんだぜ?

 

 はー。もう、テラ。何なの。あいつ、何なの。

 

 クソ神とは我ながらよく言ったモンだぜ。

 アイツとの関係……水に流してぇ。


***


 アジトへの道中、俺は敵勢力の把握に努めていた。何が出来るとも分からないが、まず情報が無くては作戦も立てられない。敵勢力は親分とチンピラ1、2、3。俺の顔を知っている奴がいる発言から、少なくともアジトには追加で一人。中立がリリトリア。敵の武装はナイフ。余程自信があるのか、逆に親分が非武装だった。

 

 十分程度で誘拐犯のアジトについた。

 土地勘の無い俺は場所に見当が付かない。だが、スラムにしては立派な屋敷だった。


 この時点で何となく嫌な予感がしていた。


「親分。お帰りなせぇ。首尾はうまくいったようで」

 

 屋敷に足を踏み入れると、奥からチンピラが湧いて来た。

 ワンリトル、ツーリトル、スリーリトル、チンピラ……って、十人……はいるか? いないか? うん、沢山だね。

 スラムにしては立派といってもボロい。床とか抜けちゃいそう。なのに、地下を使用しているらしいのだから驚きだ。何故、分かったかって? 床から物音が聞こえて来たからだよ。

 へ、へぇ……まだいるんだ。

 

 俺は天を仰いだ。

 汚ったねぇ天井が目に入った。

 

 ――これ、なんて無理ゲー?

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