第20話 再会の宴
《大樹の梢亭》は酒場の様相を呈していた。
酒を酌み交わす人々の顔には笑顔があった。諦めていた子供が戻ってきたからだ。保護していた子供の両親である。ネーアから生存を知らされ心構えが出来ていたのか。感動の再会は思いの外すぐ終わり、飲めや歌えの宴会が始まっていた。
深夜かと見まがう光景だが、実はまだ早朝なのである。
昨晩のうちに再会を――という話もあった。
しかし、治安の問題を指摘すると、ネーアが折れた。
いや、やろうと思えば実現出来たんだけどな。魔物の脅威と比べれば、チンピラは物の数じゃないし。子供を避難所まで送って行くのは容易い。しかし、再会は《大樹の梢亭》でやるべきなので翌朝に持ち越させた。避難所には子供を失くした人も多い。目の前で感動の再会をやられたら、穏やかな気持ちではいられないだろう。
という、深い理由があったのだが。
リスティには当然伝わっておらず文句を言われた。
誤解は解いたが、「最初からそういいなさいよ」と怒られた。
理不尽だ。
ネーアの前で言うワケにはいかなかった……という言葉は飲み込むしかなかった。感情的になったリスティに理屈は通じない。感情的でなくても……いや、言うまい。
――親と仲良くするな。
俺が危惧している事を平たく言えばそういう事になる。
子供が親に甘えて悪いハズが無い。
俺の気遣いは取り越し苦労かも知れないし。
気付かれないならばそれで構わない。
「ありがとう、本当にありがとう」
ニメアの父親が涙ながらにブラスの手を取っていた。
酒を飲んでいるところだったのだろう。ブラスは決まり悪そうに、片手のコップをさ迷わせていた。
おろせよ、コップ。
「気にすんな。巡り合わせだ」
ブラスが言うとニメア父が力なく首を振る。
「私はあの子が生きていないと思っていた」
「あの惨状見りゃァな。誰だってそう思うさ」
「違うんだ。そういう事じゃないんだ。騎士団が生存者の捜索を止めるといった時。私はホッとした。情けない。やっと諦められるとそう思ったんだ」
歓喜に沸いていた宴が静まり返った。
身に覚えのある事だったのだろう。
「…………父さん。仕方がなかった」
震える父親の肩をネーアがさする。
様子を見守っていた商人の一人が口を開いた。
「いいか? 部外者だが。なあ、諦める事の何が悪い? 俺は商人だ。荷が届かない事もある。そーゆー時はスッパリ諦める。なんでかってーと……あー、そっちの嬢ちゃんと、奥さんは無事だったんだろ。なら、アンタは一家の主として生きてかなきゃいけねぇ。振り返っていたらいつまでも前には進めない。そう、思うぜ」
「………………ありがとう」
「なに、ただ酒のお代さ」
《大樹の梢亭》には無理を言って祝宴を開かせて貰った。
事情を説明すると店主は全面的な協力を申し出てくれた。ただし、一つだけ条件がつけられた。それが宿泊客にも同様に酒を振る舞う、という事であった。
商人の言葉には含蓄があった。
ニメア父の気持ちも多少晴れたようだった。
これ幸いと酒を飲もうとしたブラスだが――次から次へとお礼を言いに人が集まり、それどころではなくなっていた。一応、最初にお礼を言われているのだが。子供からブラスの武勇伝を聞いて、感謝の気持ちが再燃したらしい。
「あの……謝礼はどうしたら?」
おずおずとニメア父が口にした。
「いらねぇよ」
「……ですが」
ブラスは何度も断るが、ニメア父は引き下がらない。言葉に甘えるワケにはいかない。そういう殊勝な気持ちだけでなく、ブラスに対する疑心が見てとれた。
「ブラスさん。受け取って貰えますか? そのほうが安心できると思います。少しでいいので」
フォーロにまでそう言われては、ブラスも苦笑する事しか出来なかった。
冒険者はタダ働きを嫌う。
タダより高いものは無いと言うし。
裏があるのではと勘繰られても仕方が無い。
常識ハズレな事を言っているのはブラスのほうだ。
「フォーロは賢いな」
ブラスに頭を撫でられ、フォーロは顔を赤くしていた。
あ。アレがフォーロの両親か。表情の変化で分かったわ。父親は非常に苦い顔になり。母親は柔和に微笑んでいた。正反対な反応だ。フォーロが両親に何と言ったか想像出来る。外堀から埋めてくとか策士だな、フォーロ。ブラスに張られたロリコンのレッテルが真実になる日は近いか。
ブラスは俺を一瞥してから、溜息を吐くと言った。
「俺はかつて騎士だった。まー、バカやって騎士団にいられなくなったんだが。誓いの剣まで折ったつもりはない。義務を果たしただけだ。謝礼は貰えねーよ」
ん? なんか、ブラスがチラチラこっち見てる。
「いや、お前が騎士だって気付いてたし。なあ、リスティ」
「ねぇ」
「……そ、そうか。なら、いいんだがよ」
「あっ。すまん。驚くのは驚いたんだぜ。バレてないと思い込んでたお前の浅はかさに」
ブラスは「グッ。俺だって……もにゃもにゃ」と小声で言っていた。反論したら倍の反撃が来ると思っているのだろう。そーか、そーか。期待されては仕方が無い。後で散々イジってやろう。俺だって場の空気ぐらい読む。あんま立役者をコキ下ろすのはマズいと思ってたんだぜ。口は災いの元という言葉を実感して貰わにゃな。
「……飲む! 俺は飲むぞ、クロス!」
「はいはい、飲め飲め」
祝いの席だ。
わざわざ断らんでも。
ホラ、俺を見る目が微妙なモノになってるし。
「いいのか? クロスがリーダーなのに」
ニメアが俺の袖を引く。
「いいさ。感謝されたかったワケじゃない。感謝はリーダーにしなきゃならない、なんて決まりもないしな。それにブラスが立役者なのは間違いないんだ」
「でも! 大人達はクロスも助けられた子供だと思ってる。ニメア達みたいに」
「助けられてるぜ。ブラスには、いつも」
「そうなのか?」
「本人には言わないけどな」
「なぜだ? 喜ぶと思うぞ」
「ハズかしくていえない。そういうことあるだろ?」
「……ある! あるぞ!」
……うぉぅ。食い付かれた。
なんだ? ああ、ネーアの事かな。まー、苦手は苦手なんだろうが。一緒になって泣いてたし。素直になれないだけで、嫌ってはいないのだろう。
お、丁度、ネーアが。
「……クロス。ニメアはいないといってくれ」
「……どうせ家……つーか、避難所行けばイヤでも顔合わせるぜ」
「………………戻らないとダメか。ニメアも一緒に行ったらダメか」
「おま……ネーア避けるだけでそれはないだろ」
「………………分かった。クロスのバカ」
ネーアだがリスティに用があったらしい。
「リスティ、いいの?」
「なにが?」
「ここのお代。リスティが出したって聞いた」
「ああ。手持ちがあったから」
「立て替えてくれたってこと? みんなに言ってお金集めて来る」
「待って、ネーア」
駆け出しそうなネーアをリスティが押さえる。
「立て替えじゃない。あたしが出したの」
「でも……ここはあたし達が出すべき」
「あるの? お金」
「…………」
「ないでしょ」
避難所では衣食住が保証されている。しかし、金は支給されない。稼ごうにもまず働く場所が無い。避難民は貯蓄を切り崩してやりくりしているハズだ。
と、俺は情報から懐事情を推測した。
だが、リスティは――
「あたしも故郷を失ったから。生活が苦しいのは知ってる」
――実体験から導き出した。
ネーアは瞳を潤ませ、言った。
「教えて、リスティ。あたしはあなたに何をしてあげられる?」
「え~。別になにも……って。聞きやしなそーね。なにかある、クロス?」
「……なんでそこで俺にふるかね。して貰いたい事いやいいだけだろ」
「だって、ないし。して貰いたいコト」
「リスティ、あたしはリスティにお礼をしたいの」
「う~~~。分かってるケド。クロス!」
「あ~~。分かった、考えます。リスティの為になって、かつ、ネーアの負担にならないようなお願いだな。ったく、ハードル高ぇっての」
正直、俺達からするとお礼なんていいから、復興を頑張ってくれというカンジだ。ああ、でも、今すぐ履行を求める必要も無いのか。目標を与えたほうが頑張れるという事もあるし。ふぅむ。生活基盤が出来た時、気軽に果たせるお願いか。
「こういうのはどうだろう。ユーフにいるチネルの避難民と会って貰う」
「は? 会ってどうするの」
リスティが首を傾げる。
「選んでもらう。ユーフで生活を続けるのか、ホールヴェッダに移るのか。知らない町で一から始めるのは難しい。だから、新天地へ向かうのに二の足を踏む。案内人がいれば選択肢は増える。勿論、今すぐの事じゃない。暮らしが落ちいてから。行くのだってネーアじゃなくてもいい」
「ふ~ん」
リスティが気の無い相槌を打った。
あ。バカ。
「クロス君、いい話だとは思う。でも、リスティにお礼をしたいの」
案の定、ネーアが噛み付いて来た。
……はああ。なんで俺が責められなきゃならんの?
ネーアに同調して「ちゃんとした提案してくれないと困る」といいたげなリスティを見ていると、もーやめよっかなーと心が折れそうになって来るね。
「……リスティのため。これ、ホントに。あ~~。面倒くせぇ。ぶっちゃけるわ。厳密に言うとリスティのっていうより、ナナ――リスティの母親の為だな。リスティは知り合った人にゃ甘いが、見ず知らずの他人は知らないと思ってる」
「そうね。というか、悪意ない? それ。普通でしょ」
「ああ、悪い。そう聞こえたか」
やれやれ、俺もまだ青いな。
リスティの考えは一般的なものだ。悪く言えばドライだが、良く言えば現実的。認めているつもりだった。だが、相容れない考え――本心ではそう思っていたらしい。
「ま、ネーアの思ってる通り。チネルの避難民への援助はリスティの意思じゃない。ただ、それがリスティのためにならないかと言えばそうじゃないってコト。ナナは避難民を助けたがってる。でも、雇用するにも限りがある。どうにもできないって嘆いていた」
「言ってたわね」
ナナもユーフの住民に助けられたようだし。
受けた恩を誰かに返したいのだろう。
「だが、ナナに出来る事があるとしたら?」
「母さん喜ぶ」
「ネーアが手伝ってくれるとしたら?」
「あたしが喜ぶ。やってくれる? ネーア」
ネーアは戸惑っていた。
「リスティはそれでいいの? クロス君、あなたを誘導してた」
「コイツはウソつきだけど。人が不幸になるウソはつかない」
……なるほどな。チョロいと思ったが。一応、考えはあったのか。
ったく、もう。止めろよな。やる気になるだろ。
「…………分かった」
「ありがとう、ネーア」
リスティが微笑むと、ネーアの頬が赤くなった。
了承して貰えたのなら、段取りを整えるのは俺の役目だろう。
さて。
真面目に考えて見ますか。
「遠からずユーフ、ホールヴェッダ間で輸送隊が組まれる。まだ俺の予想でしかないが十中八九当たる。というか当てる。ハインツを焚きつけりゃいいんだから簡単だ。輸送隊に案内人を混ぜて貰う。乗合馬車を使うより余程安全だ。周り全員冒険者だろうから。希望者がいれば交流させてもいいか? ま、そこまで考えるのは時期尚早か。と、言う感じに調整しようと思うが? 何か意見があればどうぞ」
「いいんじゃない」
ネーアが目をパチパチさせていた。
「……出来るの?」
「出来る」
断言すると、ネーアが息を飲む。
「……クロス君。キミ、何者なの?」
「元マリア薬剤店の店員だ」
「…………」
ネーアはただのお礼が一大事業になって驚きを隠せないようだった。
元々、土台は出来ていたのだ。
そこへ便乗させて貰おうというだけである。
「リスティも一筆書くか?」
「はあ? イヤよ」
即答に思わず笑ってしまう。リスティが渋い顔になるものだから更に笑ってしまった。
「はっ、はは。悪い、悪い。違うんだ。拗ねるなよ。ハインツはナナのとこ行くんだぜ。手紙持っていってもらったらどうだ、って思っただけ」
「…………書く」
憮然とリスティが言った。
リスティからの手紙はナナの心象を良くするだろう。ただで……金を払ってでも、運びたいと思うに違いない。
ネーアは親に話して来ると言って去って行った。
宴会は最高潮を迎えていた。
赤ら顔で歌う人がいた。子供に酒を飲ませ、説教される父親がいた。子供達は飽きが来ていた。だが、酒のツマミを大人達が逃す筈がない。逃げては捕まり、抱えあげられ、席に戻される。今まで出来なかった分、スキンシップを取ろうと言うかのように。
ブラスは控えめに自身の活躍を語り。
フォーロが身振り手振りで盛り上げ。
ニメアが「クロスだって!」と割り込み……失笑を買っていた。
おいおい、ニメア。ズバーでスケルトンを数百倒したって? んな表現で大人が信じるハズないだろ。ま、仕方ない事かも知れないが。だってお前その時気絶してたもんな。
……気持ちはありがたいよ。でもさ、ニメア、大人達の顔を見て見ろ。逆効果だって分かるから。なんかねぇ。俺の人物像がどんどん胡散臭くなってきてる気がするんだわ。
「…………」
遠巻きに歓喜の輪を眺める。
俺は見向きもされない。だが、それで良かったのだと思う。誰もが欠けることなく輪に入れたと言う事なのだから。
そう。
子供達の家族は全員無事だった。
予想していた通りに。
――デウス・エクス・マキナ。
まだ確証には至っていない。だが、偶然で片付けるのも難しい。
だが、それは――と、ダメだな。埒の無い事を考えそうになる。
……ふむ。外の空気でも吸って来るか。丁度いいし。
喧騒から逃れるように外へ出た。
陽光に目を細めていると、
「どこ行くの?」
いつの間にかリスティが横にいた。
「冒険者ギルド」
「何しに」
「さっきの話をハインツに通す。元々、行くつもりだったしな。子供達の家族が見つかったって言っとかんと」
「ふぅん。一人で平気?」
苦笑を返そうとし――顔が引き攣った。
「…………少し一人で歩きたい気分かも」
「そっ。早く戻って来なさいよ」
「…………ああ」
歩き出す。
何かを振り切るようにして。
だが、ものの数分で無意味さを悟った。
……ダメだな。頭から離れねぇ。
元々、蓋をしていた思いだった。知らぬ間に育っていたらしい。ソレは出る機会を待ち望んでいた。仮説に一つ裏付けが成された事で、緩かった蓋から出てきてしまった。
ソレはとある可能性だ。
俺に運命を変える力があると言うのなら。
あの時、俺が上手くやれれば――
流民に混じり落ちぶれていたブラス。
騎士として捨て駒になったヴァンデル。
己の命で贖うと嘆願するリリトリア。
子供を取り違えた事にも気付かない――気付けない両親。
生まれた幾つもの悲劇を――
「…………ハッ。何様のつもりだ。全ての悲劇は自分のせいだってか。ないわ、ないない」
過去を変えることは出来ないのだ。
くよくよしてもクソ神を喜ばせるだけ。
悩むのであれば未来に目を向けるべきだ。
しっかし、ルフレヒトに行く理由が重くなったかね。や、魔法を覚えるってのは変わらずだが。だが、誰かを助けようって意気込んでも、俺に力がなきゃ話にならない。
悲劇を喜劇に変えられるというのなら。
俺は力を振るう事を躊躇わないだろう。
ま、俺も聖者ではないし。
人によく見られたいとか。
見返りがあるだろうとか。
利己心を捨てられないだろうが。
だが、足踏みをする聖者より。
前に進む偽善者で俺はありたい。
ただ、やはり解せないのは――
「…………クソ神は俺に何をさせたいんだ?」
右往左往する俺で愉しみたいのは確かだと思うけどね。運命を改変する力は過剰な気がする。仮にも主神の使徒なんだし、これぐらい出来て当然なのかも知れないが。
「アンタ、またクソ神って言ってる。天罰落ちても知らないんだから」
……驚いた。
気付くとリスティがまたいた。
あたかも《隠形》を使われたような……というか、俺がボケっとしてたダケか。
「……戻ったんじゃなかったのかよ」
「……やっぱりあたしも行く」
「……そうか」
「……そうよ」
不器用な優しさに触れ、気持ちが浮上してくる。
思わず苦笑が漏れた。
幾つもの悲劇が生まれた。
そう俺は思った。
だが、気付いたのだ。
そこに両親と引き離された息子は含まれていなかった事に。
感動の再会を見た直後だ。ヴェスマリアは恋しい。
しかし、別れは避けられないものだったと受け入れていた。
道を外れたから出会えた人がいる。
俺が歩む道はここだ。
そこに迷いはない。




