第18話 デート4
酒場に入ると微かに空気がざわめいた。
子供が珍しいのだ。飲酒は何歳からと決まってはいないが、俺の年齢で酒を嗜む子供はまずいない。続いてリスティが入って来るとざわめきの質が変化した。
客の大半はオヤジだ。
と、言えば分かるな?
「酒場はどこも変わらないわね」
防具屋での勘違いが頭にあるのだろう。警戒している様子なのが微笑みを誘う。
「店はな」
「店は?」
「客が違う」
顎でリスティに向けられている好色な視線を示す。
「当たり前でしょ。なにいってるのよ」
……え? 俺、おかしい事言った?
余りにもリスティが平然としているので、自分の発言に自信がなくなった。
リスティは不機嫌そうに「なによ」と言った。
……本当に分かってないらしい。
前世のクラスメイトの女子は。オヤジの視線がキモいとゲラゲラ笑っていた。それはもう徹底的に叩いていた。男子連中が居た堪れない顔で、俯いていたのを覚えている。同性として同情の念を禁じ得なかったのだ。いや、だって、美人がいうならまだしも、お前がそれを言うか……みたいな……ね?
女性はその手の視線に敏感じゃないのか?
世界が違うから?
いや、リスティだから……かも知れない。
彼女はユーフでは有名だった。
視線を集めるのは当然だと思っている……のかも。
だとしたら、それは――
「なに笑ってんのよ」
「リスティはそのままでいてくれって事だ」
リスティがジロジロ見られていても、俺は彼氏でもないし咎める謂われは無い。無い……のだが。俺には五年後という約束がある。他の連中と比べたら一歩先んじている。だから、これは正当な憤慨……ああ、取り繕う程に本質からズレてる気がする。
要するにだ。
――俺のリスティ、ジロジロ見るんじゃねぇ!
という事である。
ユーフでは腕の立つ冒険者として。
ここでは可愛い女の子として注目を浴びている。
だと言うのに別種の視線を混同しているのだ。
取りも直さず眼中にないと言っているに等しい。
溜飲も下がると言うものである。
「ミルクを。リスティは?」
カウンターに座り、注文する。
「竜殺し」
「……を、水割りで」
「え~」
「見ろ、リスティ。立派なカウンターを。かなり年代モノだ。なのに傷一つ無い。歳経たイルトレントから作られたものだろう」
「それが」
「弁償したら幾らになるんだろうな」
「……う~~~。分かったわよ」
……ふぅ。危なかった。
いやね、唇を尖らせるのが可愛かったから。危うく仕方がないなあ、と言ってしまうところだった。
家具の素材として流通しているイルトレントは非常に高価だ。巨木であり、かつ、原型を留めていなければならないからだ。外見から核の場所を把握するのは困難である。立派なイルトレントと遭遇し、偶然にも一撃で核を破壊した――とかでなければ出回らない。
そりゃあ、高いわな。
パカッとなった冒険者ギルドのテーブルの二の舞はゴメンだ。
「どうぞ、クロス君。リスティさん」
注文した品がカウンターに乗せられた。
顔を上げると大人の色気を漂わせる男性――マスターが微笑んでいた。
「俺名乗りましたっけ?」
「失礼ですが試させて頂きました」
おい、待て、リスティ。乾杯してねぇぞ。
嬉しそうに酒を飲むリスティを横目に捉えながらマスターから話を聞く。
「神に見捨てられし子供がギルドマスターに認められたと噂になっています」
「……ああ」
長い事放浪していたが、黒髪を見た事は一度もない。クソ神に色を変化させられた事を考えれば、黒髪は世界に俺一人であっても不思議ではない。
ま、バレるか。
「ギルドマスターを倒したというのは本当で?」
「胸を借りただけです」
ほう、とマスターが目を瞠る。
ああ、しまったな。確証を与えたか。否定するべきだった。ただでさえ、くそったれな加護で厄介事が舞い込ん来ますし? 折れるフラグは折っとかんとね。
「俺としては目立ちたく無いんですけどね」
「安心してください。信じている人は稀です」
「そうですよね、子供がギルドマスター倒すなんて誰も思いませんよね」
「それもあるかとは思いますが、その黒髪が原因ですね。黒髪の冒険者は大成しないと言われています。理由はご存じだとは思いますが」
髪の色は親愛の証として神が贈ったものだと言われている。マーキングみたいなものかも知れないな。この人は自分のものだと髪の色を変えるのだ。まあ、貴色そのものを贈られる人は稀で……というか、それ使徒だし。大抵は貴色に近い色を贈られる。
神様と言っても人格がある。
贔屓するのは気にいった人物になる。
濃い色の髪を持つほど加護を得やすいわけで。
黒髪が蔑まれるのは分からないでも無い。
ただ、思う事としては、
「初耳ですが」
「……意外ですね。黒髪の冒険者がギルドに行けば、まずからかわれるものですが」
「あ~。俺、冒険者じゃないんで」
「……冒険者でもないのに、ギルドマスターを倒したと? ああ、少々お待ちください」
リスティのお代わりを作りながらマスターが言う。
ああ、リスティが静かな理由は……言わないでも分かるよな?
……水で割っても、量飲めば一緒……なんだけどなあ。
「黒髪って俺以外にもいるんですか?」
「いないと思います」
「……あれ、黒髪の冒険者はからかわれるって」
「いえ、真実黒髪だと思い込んでいる人は多いと思います。ただ、クロス君の髪の色を見れば、思い違いに気付くと思いますね」
「……黒に近いだけ、か」
思うに加護は贈られるものと、取得出来るものがある。
使徒の加護なんて前者で、自然治癒力向上なんかは後者。
加護を得づらいからと言って大成しないとは限らない。
そもそも加護が無くてもやれない事は無いし。
俺も気付いてないだけで、蔑まれてた事あったのかも。
神様に見捨てられし色だぜ?
カッコイイじゃん。
そんな先入観あったからさ、もっと言えって思ってた。
後はアレだな。俺、信仰心無いし。はあ。神様に見捨てられた。いえ、前世でもそうでしたし、構いませんけどってな具合だった。つか、髪で悩んでいる人に言ってやりたい。毛根は大事に……じゃなくて。下手な神に目を付けられるより、見捨てられたほうがマシだ、と。
「なぜ当店へ? お聞きしても?」
「商隊の人から話を聞いて。歌が聞けると」
「……歌?」
リスティが顔を上げた。
ほんのりと頬が朱に染まっていた。
「ああ。ここの酒場では吟遊詩人が歌ってくれるんだと」
「他の酒場でも聞けますがね」
「え」
驚く俺にマスターはしてやったりと笑う。
「二人はユーフの出身でしたよね。知らなくても無理はないと思いますが、吟遊詩人は酒場を流れるものです。ホールヴェッダでは歌わせてくれと訪れる吟遊詩人は後を絶ちません。ですが、うちを選んで頂いたのは正解です。フェンダートの加護持ちの歌姫ですから。本物の吟遊詩人です」
「フェンダート?」
「おや、ご存じない? 歌を司る上級神です。本来、吟遊詩人はフェンダートの加護持ちを指します。ですが、歌い続ける事で加護を賜る事が多いそうで。加護を持たない方も吟遊詩人の卵と言ってもあながち間違いでも無く。自称吟遊詩人は多いですね」
「へー。加護持ちは歌がうまくなるの? いいな。あたしも欲しい」
リスティは羨ましそうに言う。
マスターの眉根が寄ったので、俺は分かってると手で示す。
――歌が上手くなるなら加護が欲しい。
不敬に当たると言いたいのだろう。「様」をつけていない事から、マスターはフェンダートを信仰していない。しかし、神様を便利な道具扱いするのは癇に障ったようだ。
これ、俺のせいなんだろうな。
リスティは加護を持っておらず、神の存在を実感した事がなかった。そこへ条件を満たす事で加護は取得出来ると俺が吹き込んだもんだから。
「はじまりますよ」
マスターが店の奥のドアを指差す。
出て来たのはドレスに身を包んだ女性だ。
「気難しい女性ですが。歌は金を払う価値はあります」
二十代前半だろうか。ドレスが気に食わないのか。しきりに裾を弄っていた。
「あれを着て歌うのが条件なんです。いつまで経っても慣れないようで」
「男の客が多いワケだ」
おひねりとして冒険者カードを投げる訳にもいかんし、どうやって歌姫に金を渡すのかと思って聞いて見ると、チャージ代に含まれているとの事。
ただし、直接歌姫にエルを譲渡するのは構わないそうだ。
なるほどな、と思っていると、
「クロス、うるさい」
「……へいへい」
リスティは真剣な眼差しで歌姫を見ている。連れてきた甲斐があったというものだ。
「ミリオーネ」
ぶっきらぼうに歌姫が言った。
歌の名前だろうか。説明が足りない。場を盛り上げる気がない。人としてどうかとは思う。だが、芸術家としては協調性がないほうが期待が持てる。
歌姫が口を開く。
心に染みいる歌声が店内を満たす。
バラードだった。
主人公を歌の名に冠するのが一般的だ。
恋焦がれる主人公の名がミリオーネなのだろう。
ミリオーネは恋をしていた。
パンの君と呼ぶ男性に。
うっかりパンの君と呼んでしまった事から物語は始まる。
男性は呼び名の由来を尋ねる。
ミリオーネは顔を真っ赤にし謝罪する。
彼女は貧しく、食事と言えば安い焦げたパン。
男性の髪は焦げ茶色で。
いつも食べるパンの色だった。
男性は快活に笑い、二人の親交が始まった。
パンの君は下位の神官だった。
髪の色からも出世は望めない。
将来を誓い合った矢先。
ミリオーネが大怪我を負い、息を引き取る。
男性は現実を受け入れず、魔法をかけ続ける。
雨が降り。
風が荒れ。
地が渇き。
いつしか男性も死の淵にいた。
自殺すべく刃を手に取り――気付く。
髪が紫に変じていたのだ。
それは祝福か。或いは呪いか。
男性はミリオーネを蘇らせる。
使徒となった彼には可能だった。
強い抱擁を交わす二人。
だが、教会が信奉する神の使徒を手放すはずがなかった。
男性の将来を願い、ミリオーネは身を引く。
これはミリオーネの物語。
語るべき事はもう何も無い。
彼女の人生は幕が下りた。
ただ一つ添えるのならば。
教会からの援助で裕福になったミリオーネ。
彼女は生涯パンを食べ続けた事だけ。
そう、焦げたパンだけを――
ささやかな拍手が鳴り響く。
不興だったワケでは無い。
拍手を送る人の顔を見れば分かる。
俺もあんな顔になって――ん? 頬が熱い。手で触れる。濡れていた。
「《魔視》」
……やはり、そうか。
歌姫の身体から魔力が出ていた。呪歌と言うべきものなのだろう。リスティの《オヴェリオ》が魔物を呼び寄せるものならば、《ミリオーネ》は悲しい記憶を呼び起こす。
だとしたらこの涙は――いや、そうじゃないな。
もしも涙が流れたのだとしたら。
それは魔法で操られてではない。
素晴らしい歌声に感動しただけ。
そう、あるべきだ。
悲恋を歌われたからか。
思い出したのは桜上水さんの事だった。昨日の事のように別れの瞬間が蘇って来た。当時は若かった事もあり……っていうと話がおかしくなるか。今のほうが年齢としては下なわけだし。ま、今も昔も青春中だってことで。青臭い台詞を吐いていたものである。
「呪うよ。俺達を裂く運命を」
………………うん、ね。なんていうか、もう、ねぇ。
桜上水さんも負けず劣らずだったし。
「二人を裂くのが運命なら、私達はもう一度巡り合う」
はあ。青かったね。青かった、青かった。そういう事で。一応なんか理由があって……言ったような気がするんだよ。根拠、みたいなの? でも、それを思い出すとさ。芋づる式に……ねぇ。てことで、よし、埋め戻せ。もう、終わった恋だ。
そう、今俺の隣にいるのは――
「クロス」
……怒りっぽいリスティ……なんだよなあ。
てか、え? なんで? 怒ってるの?
「あたしが歌っても泣かなかったのに」
「アホか! 泣ける歌を歌ってから言え!」
おお、とリスティがコクコク頷く。
……リアクションでけぇな。これ、酔っ払ってないか。うん、可愛いけどね。
折しも歌姫は号泣するオッサン達にせがまれ、アンコールを開始。
モノラルですら泣けて来たのに、歌声がステレオになったのだから堪らない。しかも、一つのスピーカーはやたらと近いですし。リスティは俺の腕を抱きしめていたのだ。あ、なんか柔らかいものが……なんて、考えられたのも一瞬だったね。至近から呪歌をブチ込まれて見ろ。怒涛の如く回想シーンが始まるから。くそ、勿体ねぇ!
最初、歌姫は入って来たリスティに嫌悪感を示した。
だが、直ぐにリスティを認めたのか、先程よりも楽しそうに歌い出した。
酒場は阿鼻叫喚の巷と化した。
相乗効果が発揮されてるっぽい。
マスターは延々とグラスを拭く。延々と涙が零れるので、拭いても拭いても綺麗にならないのだ。なら、グラスをどければいいじゃん、と思った人挙手。はー、凄いですね。失恋シーンをリフレインさせられて、目の前の作業を狂い無く出来るんだ。へー。
オッサンは女の名を呼びながら滂沱の涙を流す。
時系列なんてあったもんじゃない。だが、薄々察せられる事がある。おい、オッサン。それ、前の女の名前じゃね? 奥さんいるんだよな? バレる前に正気に戻っておけ。
数少ない女性の客は。
恋人と上手くいっていないらしく、ああすれば、こうすれば、と反省していた。だが、傷口を抉られ過ぎちゃったんだろうな。壊れた笑みを浮かべながら、危ない事を口走っていた。刺すとか。監禁とか。後を追うとか。見た事ねぇけど彼氏! 彼女には優しくな! 冷たくしたらそれがお前の命日だ!
……リスティもフェンダートの加護持ってんだろうな。
好きこそものの上手なれ、とはいうけどさ。幾らなんでも一回聞いただけで歌詞も音程も完璧ってあり得ないと思うんだ。
そんな事を思いながら、リスティが満足するまで地獄絵図は続いた。
酒と歌でテンションがハイになったリスティ。
滝のような涙……まあ、涙を描写する表現じゃないと思うけど。つまり、そんだけ涙が流れたってコト。ぺちゃぺちゃになった俺の顔を拭きながら、
「泣いたー。泣いたー」
と、喜んでいた。
リスティ君。
はしゃぐ君は非常に可愛らしい。
ですが。
それ、イジメっ子のセリフですよ?




