第15話 デート1
《大樹の梢亭》の裏手には水廟がある。
水を司る上級神アクエルカを祀った廟だ。建築基準法でもあるのか。宿屋付近には大体ある。祀ると言っても壺を抱えた女性の彫像があるだけ。寄進する事によって清浄な水を得る事が出来る――平たく言ってしまえば水道である。
魔素を注ぐ事で壺から水が出る仕組み。
水廟の壺を動かせるなら、淵狼石は不要になる。
かつて冒険者のためを思い、壺を動かした人物がいる。するとたちまち天罰が下り、加護を失ったという。それだけでも散々なのに水廟から離した壺は機能しなかった。
加護を失った人物は、不信心だと村八分にされ、失意に内に亡くなったらしい。
加護は神様に認められた証だと考えられているからだ。
貴族の見合い写真(実際は絵だが)では、必ず所持する加護を書くそうだ。沢山加護を持っている人物程、出来た人格と認められるらしい。
加護と人格は関係ないと思うんだけどな。ブラスがいい例だ。大半の人は加護を持たない。なら、加護を三つも持ってりゃあ、真人間だろう。ところがニートだもんな。
俺からするとバカバカしい限りだが、これがファウンノッドの現実である。
一エルを注いで水を出す。
両手に溜めて水を飲む。
「……うまい」
嘘か本当か。美人な彫像程美味い水が出るとか。
更に十エルを注ぎ――裸になって水を浴びる。
「ぃぃぃっ、冷てぇぇ」
宿屋付近に水廟がある理由がコレである。
水量に不足はない。が、冷たいのが難点か。
宿屋に言えばお湯で貰えるが、幾ばくか手間賃がかかる。タオルも借りれるが、やはり金がかかる為……ここは寝具として利用しているブランケットで身体を拭く。
ユーフで買い求めたものだが、旅路で汚れてしまっている。
どうせ洗おうと思っていたので一石二鳥である。
汚れたモノで拭いたらまた……なんて無益な突っ込みは無しだ。
生前の衛生環境を整えられるのは、一部の貴族ぐらいのものだろうから。
水廟から出ると少女が待っていた。
水廟は男女の別なく利用する。利用者を覗くのはご法度だ。
「お待たせしました。エル、結構注いだんで暫く出てると思います」
顔を合わせるのもそこそこに去ろうとする。
チラッと見た感じかなりの美少女であった。
この場にいたら良からぬ思いと戦う事になる。
覗きはご法度といっても俺は十歳。覗けないなら入ればいいじゃん――をやれるのだ。
忘れ物しちゃった、とか理由をつければなお問題なし。
リスティが同じ宿に泊ってなかったら、少し考えてしまったかも知れない。
……流石に覗きに命はかけらんない。
あ。でも、覗きはダメだけど。
濡れた髪って色っぽいよね?
……ふぅむ。時間おいてからもう一回来ようかな。
「……待って」
ブランケットを絞りながら去る俺に声がかかる。
「……はい?」
「……一言ぐらい言ってから行きなさいよ」
……そう言われましても……何を言えば?
少女は気恥かしげに佇んでいた。
「……その、赤いワンピース似合ってます」
「そ、そう? なら、いいわ」
……なんだかよく見るリアクションだな。
世の美少女にはツンデレが多いのかねぇ、なんて思いつつ踵を返そうとし――
「じゃあ、食堂で待ち合わせね」
――繋がった。
「――――ッ!」
勢いよく振り返る。
が、もういなかった。
……信じられない。
…………あれ……リスティだ。
雰囲気が違い過ぎて分からなかった。
彼女が着ていた赤いワンピース。一度も見た事が無い。実家にいたころでさえ冒険者としての格好だったのだ。年頃の女の子なんだから服装に気を使えばいいのに……と思わないでもなかったが口にした事はなかった。服一着もバカにならない値段するからな。
さて、ここで本日の予定を紹介しよう。
エントウルフの素材が売れ、多少余裕も出来たので、休暇という事にした。うん、建前な。休みたいってのが本音。
ブラスは子供達の子守り。
子供達は俺達に出会うまで、一ヶ月近く森をさ迷っていた。それも死の危険に怯えながら、である。溜まりに溜まった疲労は、一日やそこらで抜けるものでは無い。
リスティは観光。
見分を広めるため旅に出たのだし、当然と言えた。
俺はと言えば観光案内を買って出た。俺もホールヴェッダは初めてだが、リスティよりは旅慣れている。リスティを一人で街に行かせるなんて……怖くて無理。
約束してからふと思った。
女の子と二人で街を歩く。
これって……あれじゃね、と。
とはいえ、深く考えるのは避けていた。
だって、意識してるの俺だけだったら悲しいもん。
いそいそと水浴びを済ませてるあたり、語るに落ちてる気もするが。
だが先程の様子からすると――
「…………」
俺は呆然とリスティが消えた水廟を眺め続けた。
***
《大樹の梢亭》の一階は食堂になっていた。
早い時刻だというのに大勢の商人が食事をとっている。
しみじみブラスを追い出しておいて良かったと思う。
根本的な解決にはなってないけどな。
ブラスが泊まった宿では予想通りトラブルが起きたそうだし。
殴り合いで解決したそうだ。
アホだな。ブラスも、その相手も。
不意にざわめきが収まった。
視線が一点に向けられていた。
リスティが階下へ降りて来たのだ。
小汚い格好をしていても、リスティの美しさは隠せないのだ。旅路の垢を落とし、真新しいワンピースに袖を通した彼女は、貴族の令嬢と言っても通用しそうである。
息を呑む商人に混じり、何人か仲間と頷き合っていた。お前が行け、みたいな仕草。ああ、水廟に行くトコ見られてて……ナンパしてこいってことなんだろうな。
牽制しあう雰囲気を破ったのは俺だ。
リスティの元へ行き、腰を折って一礼する。
「本日はご指名頂き有難うございます。クロスと申します。お嬢様の期待に応えられるよう、誠心誠意尽くさせて頂きます」
「なんのマネ?」
半眼でリスティがいう。
顔が引きつるのを感じつつ、
「普段と違うと思われるやも知れません。ですが、これもひとえにお嬢様に相応しい自分になろうとしての事。生憎とお嬢様のような綺麗な服は持っておりません故。せめて態度だけでもと思った次第であります」
「いや、キモいから」
……ぐっ。相変わらず、鋭い切れ味だぜ。
「普通に喋って」
「……分かった……一緒に……観光……行く?」
「……なんでカタコトになるの?」
「……うるせぇな。匙加減が難しいんだよ」
「ハァ!? いつもどおりでいいでしょ!」
「……いつも……オレ……こんな……」
「違うから!」
「おいおい、ツッコミでけぇな。見ろよ、お食事中の皆様が驚いてるだろ。食べ物を詰まらせたらどう責任取るつもりだ?」
「悪口だけ! 普通! なんでっ!?」
「まあまあ。行こうぜ。追い出されたくない」
率先して歩き出すと、リスティがついて来る。
ん? 背中がムズムズする。
ああ、視線が刺さってんのね。
負け犬連中の視線がさ。
優越感に浸る余裕はなかった。気を抜くと手足が一緒に出ちゃう。
宿を出るとリスティが睨みつけて来た。
「クゥロ~ス~。どういうつもり? なんのマネだったの」
「……マネ……違う……」
「また!?」
ホストのマネだけどな。
説明しても分からないだろう。
改めてリスティを見て……あれ、と思った。
「……髪、下ろしてるのか」
「た、たまにはいいでしょ。かっ、母さんに言われたのよ。この服着るときは髪下ろしたほうがいいって」
自分じゃ分かんないけど、とリスティは小さく付け加えた。
思わず足を止め、リスティを見返す。
先に目を逸らしたのはリスティの方だった。
「……いつまで見てんのよ」
咎めるような。
拗ねたような。
可愛らしい棘で我に返る。
「……あ。そう、だな」
胸が震えていた。
だって、そうだろう。
あのリスティが?
あのリスティが!
俺のためにオシャレしたんだぜ!
大事なことだから二回言った?
はは、違う。
よく見てくれ。
一回目は疑問系だろ?
自分でも信じられなかっただけだ!
水廟でも見たろって?
そう言えるのは自分に自信持てる人だけ。だって単にオシャレしたかっただけかも知れないじゃん。だが、先程のリスティの反応。俺を意識してオシャレして来たのだ。
ナナの入れ知恵っぽいのがやや残念だが。仕方がないんだけどな。ファウンノッドは鏡が普及してないから。オシャレをしようと思ったら、信頼できる相手の意見を容れるのが早い。
ま、自発的にオシャレしてくれただけで十分か。
女が仕事してくれたのである。
男の仕事はただ一つ――褒めるのだ。
……つってもな、どうなんだ? なんかあざとくない? 下心がミエミエっていうかさ。下心って見えた途端、萎えるよね。いや、似合ってるし問題ないのか。本当の事をいうだけなんだし。そこに下心を挟む余地は……ありまくるのが困ったトコなんだよなー。
「……朝飯、どうする?」
……すまん。へたれた。
水廟で似合ってるって言ったのを思い出したのがマズかった。なんか義務を果たした気分になっちゃった。てへっ。ハァ……あん時は軽くいえたんだけどなあ。
目は口よりも物を言う。
ガン見してたワケだし。
いったようなもの……だな!
「……なにがあるの」
「……分からん。歩きながら探す?」
「……うん」
コクン、とリスティが頷く。
……助けてくれ。リスティが……可愛い。
ああ、もう、今更恥ずかしがるなよな。俺がなんだっておどけてたと思う? こうなるのが目に見えてたからだぜ。意識したらまともに喋れなくなるから。
しかし、胸を掴まれても平然としてたってのに……リスティの羞恥心がどこにあるのかよく分からん。
大通りを無言で歩く。
すれ違う男達がリスティに見惚れている。
デート中の女の子を見るたーふてえ野郎どもだ。
ガンをつける。
微笑まれた。
チッ。
俺の事を弟とか思ってるんだろうな。
分かっちゃいたが少しへこむ。
男達の好色な視線を見ていると、逸って付き合わないで良かったと思える。リスティがショタだと思われるのは俺も望むところでは無い。ん? 誰かが……同じ事をいってた……ような? あれ、誰だっけ? そう昔の事では無かった気が……
「クロス」
回想はリスティの声で中断された。
「露天か」
どこをどう来たのか。俺達は広場にいた。
広場には無数の露店が出ていた。雑貨から食べ物まで多岐に渡る。
場所は早い者勝ちなのだろう。いつから場所取りをしていたのか。一等地の売り子は軒並み寝ていた。
コミケを思い出す。
一度だけ友達と一緒に並んだ事がある。
ゲームやってりゃすぐだと誘われ。
電池が切れたら暇で暇で。
アイツらは元気かな。
働きたくねぇとかいいながら、社会人やってるんだろうな。
俺は早く大人になりたいって思ってんのに。
……数奇な運命だ。全く。
「……ん。なに?」
リスティがマジマジと俺を見ていたのだ。
「……なんでもない。それよりあそこ」
「串焼き? まだ準備中みたいだけど」
「その右」
「瓶が並んでるな」
「回復薬じゃない?」
「かもな」
「買わないの? 減ったでしょ」
ナナからの餞別で一人当たり、赤ポットを三本、青ポットを一本貰っていた。
既に半分近く使ってしまっている。
回復薬を仕入れるのは急務と言えたが……デートですることかな?
ま、行くけどもさ。
「……いらっしゃい。勝手に見な」
売り子はやる気の無い青年だった。
日光を避ける為、庇の下に回復薬が並んでいた。
瓶を手に取る。透明な瓶に緑の液体。うわー、マズそう。
「これ、誰が作ったの」
「俺だ」
「効くの?」
「配合はオーヘム商会の回復薬と同じだ」
「へぇ。オーヘムの店員さん?」
「……破門された、な。俺の回復薬を並べて欲しいって言ったら、先輩にハメられた。絶対俺の方がいいモン作ってんのに」
「でも、売れない、と」
「…………ああ」
子供に愚痴るぐらいだ。何日も露店を出しているのだろう。あまりにも売れないのでやさぐれてしまったってトコか。
「普通の回復薬に見えるけど。なんで売れないの?」
回復薬を眺めながらリスティが言う。
「信頼性の問題。どこの馬の骨が作ったかも分からないんだぜ。本物かどうかも怪しい」
おっと。辛辣な言い方になってしまった。
青年がリスティに見惚れてたからさ。
つい、な。
「……試すならナイフを貸す」
「いや、自前のが……ああ、貸してくれ」
青年がパチパチと瞬きした。
定型句としていっただけで、試すとは思っていなかったのだろう。
ディジトゥスを使わなかったのは……なんか、怖いじゃん。俺の血の味を覚えたら……もっと! もっと! とかなりそうで。
「これ、そのまま飲んでいいのか?」
「……売れねぇしな。いいんじゃねぇ」
……やる気ねぇな。まー、好都合か。
ナイフで指に傷をつける。
回復薬を一口飲むと、傷が塞がっていった。
うん、マズい。
「本物だな」
「当たり前だろ」
青年がむっとする。
「おいおい。気分を害したのかよ。売れない理由いっただけだろ。わざわざ試さないと本物かも分からないんだぜ。冒険者だってマゾじゃねぇんだ。痛い思いするのはクエストの時だけでいいに決まってる。オーヘム商店よりも効果があるっていうけどな。それも本当の事かも分からないし。冒険者は実績のあるオーヘム商店行くって」
「……その通りだ。よく分かった」
「悪い事はいわない。先輩に謝って店に戻りな」
「……なんでガキに諭されなきゃいけねぇ」
「ガキ? 違うぜ。客だ」
ニッと笑う。
「買ってやってもいい」
「……ほ、本当かっ」
「ただし、値段次第だな」
そこからは値切り合戦だ。
青年が提示したのは一本、一万エル。高すぎると難を示すと、オーヘム商会を例にとり、いかに安いかの力説をされた。オーヘム商会では一万五千エルで売っているらしい。
一万エルというと赤ポットと同じ値段だ。
赤ポットに慣れると、それすら高いと思う。
勿論、マリア薬剤店と同列に語る事は出来ない。材料となる薬草は冒険者がクエストで集めて来るが、領都とユーフでは冒険者への報酬も変わる。ナナの人柄……つーか、下心? もあって格安の値段で収めてくれる冒険者も居た。
マリア薬剤店は実質ナナ一人の店だったから人件費もかからなかった。
結局、一本二千エルで五本購入した。
「……くそったれ。商売あがったりだ」
「よく言うぜ。原価くらいだろ」
「……なんで知ってんだよ」
「俺も作れるんでね、回復薬」
ナナから作り方を教わっていた。
「……なら、自分で作れよ」
「そう不貞腐れるな。俺が作ったんじゃここまでいいものは作れない」
回復薬は作成過程で魔力を使う事で効果が上がる。
しかし、肝心の魔力を籠めるタイミングが分からない。
ナナの作る回復薬は逸品だ。だが、師匠としては不適格。加護があるからだ。セオリーを無視した回復薬作りをしてる。
「ここでおいしくな~れって神様にお願いするのよ」
……どこのメイド喫茶だ。
ん、そういや、元メイドだった……ってそういう事じゃねぇか。
「じゃあな。先輩への謝罪を考えておけよ」
「……さっさと行け。クソガキ」
露店から離れたところでリスティに服を引っ張られた。
何か聞きたそうな顔をしていた。
「分かってる。本当に効果があるのか、だろ?」
「そう」
「正直、加護無しではなかなかのものだと思う。赤ポットの三分の一程度の効果は見込めるんじゃないか。これ、魔力が籠ってるんだが、分かるか?」
ウエストポーチから一本回復薬を取り出す。
リスティが目を細めて、回復薬をジッと見詰める。
「……分かんない」
「だろうな。《魔視》で見てやっと分かる程度だ。回復薬の効果は籠められた魔力の量に比例するみたいだから。赤ポットの三分の一程度の魔力が籠ってるってコト」
「は~。便利な魔法ね」
「思ったよりも応用力があって作った俺も驚いた」
「あっ。ねっ、ねぇ!」
不意にリスティがはしゃぐ。
それはただの女の子のようで。
ドキッとしたのバレてないといいな――
「その魔法って武器の魔力も見えるの? 新しい剣が欲しかったのよ」
「……あ、左様ですか」
見て見て、あのアクセサリー可愛いー。
みたいな感覚で、剣を御所望ですか。
俺のトキメキを返せ。
「そりゃあ、あんな訓練してりゃ、すぐ剣もダメにならあな」
「アンタ、ブラスが大剣使ってる理由知ってる?」
「壊れにくいからだろ。つっても、あれ、何代目か分からねェぜ」
「あれ、壊すの? ホント馬鹿力ねー」
「アイツ、素手の方が火力あんじゃねーか」
ブラスは武器に拘りを持っていない。リーチを伸ばせればなんでもいいらしい。
だから、その時々で一番安い物を買い叩いている。
今の大剣は長持ちしている方だが、そろそろ限界が来るだろう。
「それで。出来るの? 出来ないの?」
「出来ると思うが」
「が、ってなによ」
「まずメシ食おうぜ。串焼き準備終わってる」
「ふふっ。そうね。お腹すいたもんね」
串焼きの盛り合わせを買って木陰に座る。
あ。支払いは俺がした。勿論、俺の奢りだ。リスティが気づく事はないだろうが。冒険者カードを出す様子がなかった。必要経費だと思い込んでいる。そのうち請求があると思って……忘れるんだろうな。ま、いいけどね。
「美味いな。何の肉か分からねーが」
「色々言ってたでしょ。聞いてなかったの?」
「そういうリスティは?」
「アンタが聞いてると思ってたから」
「人任せかよ。清々しいな。あ。これ、エントウルフだ。食った事ある」
「一口ちょうだい」
食べかけの串にリスティが食いつく。
これが恋愛モノなら間接キス! とかいって盛り上がるところかも知れない。でもな。一緒に旅をしていればこんなシーン腐るほどある。てか、ふと思ったけど、順序がおかしいよな。一緒に旅して来てるんだぜ。今更デート如きであたふたするとかさ。
「なにクロス笑ってんの」
「少し気負い過ぎてたなって思っただけ」
ようやく心の底からデートを楽しめるような気がした。
ただ、自分を取り戻す切っ掛けが、回復薬だったり武器の事だったり。なんとも殺伐としてるよなあ、と思うけども。結局、リスティと共通の話題となると、そういった事になってしまうのだ。ロマンチックな事を言っても、リスティだってはぁ? ってなるだろうし。
「隙ありっ」
「あっ。てめっ。食い過ぎだっ」
リスティの手が伸びる。
俺のガードをすり抜けて。
あっ。くそっ。最後の一本がっ。
俺が本気を出せない事をいい事に。
いや、言い訳では無くて。
激しく振れば、そりゃあ、肉汁も飛ぶ。
ワンピースに染みをつけるワケにも。
リスティが気にしないので、俺が注意しないといけない。
あ~~。汚ねぇ。可愛いって汚いわ。
こんだけやられてもさ。
美味しそうに食べられると。
仕方がねェなぁってなるもん。
色気よりも食い気か。
五年後って言葉はさ。
俺の為だけにあったんじゃないな。
「人が増えてきたな。なんか思い出す。王討伐の祭りを」
「ねえ。領都っていつもこんなに人がいるの?」
「流石に毎日露店開いてるわけじゃないと思うが。ただ、珍しい光景じゃないのは確かだな。ルフレヒトはここよりもっと栄えてるってブラスが言ってたぜ」
「ここより!? へぇー。楽しみね」
「自分が田舎モンだって自覚したか」
「クロスぅ。アンタねぇ。なんでそういう言い方しか出来ないの。ユーフが田舎だって知ってたわよ。昔、大きな街にいた事あるんだから。母さんに聞いたら王都と同じぐらい大きな街だって言ってた。でも、あんまり良く覚えてないのよね」
「そんなもんだろ。子供の頃の記憶なんて」
「レントヒリシュ公爵領。トゥール。知ってる?」
「……ああ」
ヴェスマリアがいる街だ。あ、後、ジェイドも。
一応俺が生まれた街でもあるのだが。屋敷に引き籠っていて、いざ出たと思ったら誘拐である。生まれ故郷という感じがしない。
「アンタもいたの? トゥールに」
「それはブラスに聞いてくれ。俺を拾ったのはアイツだから」
「聞いてないの?」
「聞くとアイツ、キョドるんだよ。だから、聞かないようにしてる」
「……ふぅん」
らしくないな。なんか、含みがある?
疑問に思ったので、問おうとすると、
「さてとっ」
リスティは立ち上がり、裾の砂を払う。
「行くわよ。掘り出し物探し」
太陽を背にリスティが笑う。陽光に負けない輝く笑み。先程の表情は見間違いだったのか。いや、気分を切り替えたんだろう。ああ、そうだな、折角のデートなんだし。
俺も負けじと、殊更おどける。
「へいへい。かしこまりました、お嬢様」
リスティが噴き出しそうになった。
だが、表面上はしかめっ面で、
「なによ。イヤなの」
「有益だとは思う」
「でしょ? なら、行くわよ。アンタに任せるから」
「はいはい。仰せのままに」
二人して破顔する。
デートだと気負っていたが。
俺達の距離感はこんなもんでいい。
憎まれ口を叩き合うぐらいで。
人の流れに乗りながら、露店に目を通していく。思った以上に武器を扱っている露店は多かった。農具と一緒に武器も置かれるような世界だし、不思議ではないか。魔力を帯びた武器も少なからずあった。ただ、値札を見たらとても手を出せる値段では無い。いかにディジトゥスが格安だったか分かる。五本で十万エルとかだったぜ。
武器屋は呪いでやられてたからな。
利益度外視だったのかも。
並ぶ魔法武器は十万エルから。
露店に出すような魔法武器でコレか。
一応衛兵が見回っているが、露店は盗難の危険性がある。本当に価値のあるものは並べていないだろう。
「リスティ。あっち行こう。ここはダメだ」
武器に目を輝かせるリスティを引っ張って端へ移動する。
「うぅ。もう少し見せてくれてもよかったじゃない。魔法武器たくさんあったのに」
「ああ、確かにあったな。だが、一等地の売り子は商人だ。極端な値引きも出来ない。探すのは掘り出しものだろ。だったら、外れのほうの露店を見たほうがいい」
一等地の露店はホールヴェッダに店を構える武器屋の出店だろう。
「ふぅん。露店ってそういうものなの」
「露店がそうっつーより、ここに来た時の様子から。あそこら辺の連中寝てたろ」
「そうだっけ」
「そうなの。夜から場所を取ってたんだろ。町民にそんなマネ出来るか?」
「出来るでしょ。やらないと思うけど。あー。だから、外れのほうで店出すってコト?」
「よくできました」
「また、バカにして」
リスティが柔らかく苦笑する。
「ほら、行くわよ」
リスティに手を引かれ、広場の端へ向かって歩く。
剣ダコの出来た手だ。お世辞にも女の子らしいとは言えない。
しかし、不意打ちに俺の胸が高鳴る。
リスティが前を行くため彼女の顔は窺えない。
どんな顔をしているのだろう。
いや、見えないで良かったか。
深い意味なかったらへこむから。
俺、人混み苦手なんだよ。まだまだ身長低いから。露店を見ながら歩く大人は足元が疎かになっている。鍛えているし、衝突しても吹っ飛ぶのは相手だ。だからって、全員ふっ飛ばしながら進むわけにもいかない。
だから、手を引いてくれたのかも知れない。
人波から抜けると手が離された。
掌に目を落とす。まだ、温もりが残っている。
「クロス。あそこ」
「ん、ああ」
敢えてリスティの顔を見ないようにして。
リスティの脇を抜け、指された場所へ向かう。
老婆が売り子をした露店――そこに剣が二本並んでいた。
「《魔視》」
……なんだ、これ。
息を飲む。
一本は拵えからして騎士剣。
もう一本は飾り気のない長剣。
二本とも魔力を帯びている。魔力の量で言えば長剣が上だ。だが、俺が気になったのは騎士剣のほうだった。妙な魔力なのだ。上手く言えないが……そう、そっぽを向かれているような。強いて言えばディジトゥスから感じる魔力に近い。禍々しさは感じないので危険はないと思うが……俺の鑑定眼なんて高が知れてるか。ディジトゥスの危険性を見抜けなかったんだし。
ちなみにチネルの一件以来、ディジトゥスが発する魔力は禍々しいものに変化した……ような気がする。本性を知って色眼鏡で見ているのか判断に迷うレベルなのだ。
「見せてもらってもいい?」
ふと、気付くと真剣な顔をしたリスティが横にいた。
「どうじょ」
……じょ?
いや、ツッコまないけど。
リスティが長剣を手に取る。ゆっくりと剣を鞘から抜く。
「なっ」
あ。しまった。声が出た。
切られた鯉口から溢れ出た魔力に驚いた。
ディジトゥスを五本束ねても勝てない魔力の量だったのだ。思っていた以上である。明らかにディジトゥス以下の魔法武器でも数十万していた。と、なれば……これは一体幾らの値がつくと言うのか。
やばい。
興奮して来た。
そう簡単に掘り出し物があるかよってタカを括ってたが。
うまくすれば逸品を手に入れる事が出来る。
「ありがと」
「いえいえ。どうでしたくぁ」
「いい剣だと思う」
「夫が使ってたものなんでひゅ」
「いい人だったのね。剣を見れば分かるわ」
「ひゃひゃ。夫としては失格でひたが。家庭を顧みない、よくいる騎士でふね」
老婆はほとんど歯がなく、上手く発音出来ないようだ。
寂しげな遠い目になっていた。亡き夫を偲んでいるのか。いや、それだけではないだろう。家庭を顧みる事がなかった。そういっていたのだ。
「どうしたんだ?」
リスティが悔しそうにしていた。
「旦那さんはお婆さんを愛してた。なのに……お婆さんがそれを信じてない……なんかもやもやする。アンタ、口がうまいでしょ。なんか考えなさいよ」
「は? 無理だろ。大体、剣見ただけで何が分かる」
「分かったんだもん」
「もん、ってなあ……あ~~~。絶対?」
「絶対」
「……分かった」
ディジトゥスには王の魂が宿る。
ならば、魔法武器に使い手の魂が宿ってもおかしくはない。
膝立ちになり、老婆の目線で語る。
「旦那さんは騎士だったんですよね。それで家を空ける事が多かった」
「はひ。昔は……冒険者も程度が低く。騎士が討伐行く事も多かったのでしゅ」
「なら、こうは考えられませんか。旦那さんは貴方を守る為に、討伐に向かっていたと」
「思ってましゅが」
ふむ。
そうか。
思ってるのか。
よし、と頷いて、立ち上がる。
「ダメだ、リスティ。これ、根が深いわ」
「…………役立たず」
……そう言われてもなあ。
頭で理解していても、実感出来ない事がある。たぶん、老婆が抱えている思いはソレだ。頭では家を空けるのは街を――ひいては自分を守るためだと分かっているのだ。
ならば、頑なになってしまった老婆の心を解きほぐす事が出来るのは旦那のみ。
しかし、旦那は既に死去している。
詰んでる。
……いや、待てよ。そうか? まだあるだろ。
「これ、抜いて見てくれ」
騎士剣をリスティに渡す。
ディジトゥスにも通じるあの魔力。あれが……魂なのだとしたら。旦那の魂が真に宿っているのは騎士剣になる。俺には無理だろうがリスティなら――
「抜けばいいの?」
「それで何かが分かるかも知れない」
リスティが剣を抜き――眉根を寄せた。
「クロス。これも魔法武器?」
「……ああ。まあ、そう。魔法武器」
……言わせてくれるなよ。これで買い叩けなくなった。
も、っていっちゃったから。
……はあ。まあ、いいか。老婆から騙して巻き上げるのも気分悪いし。でもなあ……適正価格なら、俺達が逆立ちしたって手に入らないような値段なんだろーなー……
と、落ち込んでいると……目を疑う光景が。
リスティが老婆に剣を突き付けていた。
老婆は目を丸くして、切っ先を見詰めていた。
「り、り、リスティ! や、止めろっ、バカっ! 人、人が見てるから!」
すると、邪魔だと言わんばかりに、切っ先が今度は俺に。
ハッとする。
まさか。
騎士剣に操られて?
くそっ、迂闊だった!
俺とした事が……リスティの言葉を鵜呑みした。老婆を愛していたのなら、旦那は清廉な人物だったのだろうと。だが、長剣を抜いた時点で操られていなかったとなぜ言える?
見ろ。
切り裂き魔の魂が宿っていたのか。
白刃を手にしたリスティの物騒な笑みを……笑みを……
「…………あ、あの。リスティさん?」
「なに?」
……うん、いつものリスティだった。
むむぅ。
先入観って恐ろしいな。想像力が現実を歪めてしまう。平常運転のリスティを見て……切り裂き魔だと早合点してしまう程に。好きな人と一緒にいれば、くすんだ街でさえ輝いて見える。人に感情というものがある以上、ありのままの現実を認識する事は出来ないのかも知れない……キリッ。
「クロス、腕出して」
「へ?」
後ろめたかったので素直に腕を出す。
「えいっ」
「………………………………なあ、リスティ。えいっ、ってな。うん、ちょっと可愛いかな、って思った。でもさ、やってる事は結構えげつないよな。バカかお前はァァァァ! いぃぃ、痛いってぇ! なんで斬るんだよ! 見ろ、血がダラダラ出てる! あ~~! え~~? も~~!」
場が騒然となる。
ですよね。
いきなり刃傷沙汰ですし。
分かる。
俺、どっちかっていうと、アンタらと同じ気持ち。
なのに……リスティはジッと剣を見詰めている。俺の事は見向きもしない。
……えぇ? 俺に……この場を収めろ、と?
「は、ははは! 皆様! お騒がせして申し訳ない! これは手品です」
俺が声を張り上げると騒ぎが和らぐ。
被害者自らが擁護しているのだから、聞く耳を持ってもらわないと困る。
「……手品って……坊主。血、出てるだろ」
「……衛兵呼んで来た方が」
まあまあ、と両手を上げる。
なんで俺がこんな事を、と思いつつ、
「本当にお騒がせして申し訳ない。ウチの相方が段取りを間違えてこんな場所で。では、これから手品である証拠をお見せします。ただ、手品とはいっても、少々刺激の強い光景。子供連れの方。子供には見せないようにお願いします。また、心臓に持病のある方も見ない事をオススメします。いいですか、うまくいったら拍手をお願いします」
傷ついた腕を突き出す。
指先から血がだらだらと滴り落ちる。
わっ、と声が上がる。
「では、これから血を止めてみせます」
高々と掲げた腕――その傷口を手で覆う。
血が滴るのは止まった。服に染み込んでるだけだが。
「いやいや! 無理だろ!」
「止まらないって!」
「回復薬売ってたわよ」
観客が口々にいう。
「ああ、期待通りの反応、ありがとうございます。そう、あれだけの怪我です。そう簡単に血が止まるハズもない。ならば、逆説的にこう言えます」
一拍置く。
観客に言葉が浸透したのを見計らい、ミスリードを産む一言を発する。
「血が止まったのなら……怪我なんてなかったと」
先程と同じように腕を突き出す。
指先からは血が……滴ってこない。
五秒。十秒。
何秒経とうとも血は垂れてこない。
「お、おお!」
「ほ、本当に止まった!」
「すげぇな。見ろよ。服切れてんのに」
さあ。
ここが正念場だ。
にこやかに笑うと、指を一本立てる。
「お忘れですか。お願いしたはずです。上手くいったら?」
一拍置いて、観客は笑顔になり、
――拍手喝采。
ああ、コレが本当に手品なら、すげぇ嬉しかったんだけどな。
俺が一礼してここまでだと示すと、集まっていた人が三々五々に散って行く。お捻りのエルをくれようとした人もいたが、練習中の手品で受け取れないとお帰り願った。
……はあ。凌いだ。
げっそりしながらリスティのところへ戻る。
「なんであんな事をした」
「え。アンタ、加護あるから平気でしょ」
そう、血が止まったのは自然治癒のお陰である。
自然治癒の加護は冒険者が持つと先入観があるんだろうな。
コロっと騙されてくれた。
「……あってもな。痛いものは痛いんだ」
「……う。悪かったわよ。後であたしを斬っていいから」
「斬れるかっ、アホぅ!」
……脱力した。謝罪の仕方がおかしい。脳筋め。
ユーフで行っていたリスティとブラスの訓練。この程度の怪我は日常茶飯事だったのだろう。だからこそ簡単に斬ってくれるし、斬られてもいいとか言う。でも、もう赤ポットは有限になってしまったんだし、出来る限り怪我しないように心がけてもらいたいものだ。
「で? なんの意味があったんだ? 見ろ、お婆さん、固まっちまってる」
「あ。うん。ねえ、お婆さん」
リスティは膝立ちになり、騎士剣をお婆さんに見せる。
「この剣の切れ味見たでしょ」
「…………」
老婆が声もなく首肯する。完全に怯えきっていた。
真剣だって知ってるもんな。老婆だけは。
声が出るなら「剣は持っていっていいから命だけはお助けを」――とか言いそう。
今は手品の延長だと思われてるからいい。
でも、早くしないと流石におかしいと思われる。
衛兵呼ばれる前に片付けてくれと祈るばかりだ。
「お婆さん。腕を出して」
「…………」
恐る恐る老婆が腕を出す。
リスティが白刃を老婆の腕に当てる。
「大丈夫。安心して。この剣はお婆さんを傷けない。絶対に」
リスティが柔和に微笑む。
老婆の身体から硬さが消えた。
それはリスティの言葉を信じたのか。
それとも触れた剣から何かを――
「だって、旦那さんの魂が宿ってるから」
剣が真横に引かれる。
「――――ッ」
老婆の服の袖に赤い一筋。
……まさか、失敗か。
心胆が寒くなったのと同時に老婆が声を上げた。
「……いっ……痛くなひ……」
「ね。言ったでしょ。旦那さんは奥さんを愛してた」
老婆はお、おお、と嗚咽を漏らす。
リスティは小さな老婆を抱きしめる。
程なく、老婆の押し殺した泣き声が聞こえて来た。
それは長年のわだかまりが解消した感動的なシーンだった。ともすれば貰い泣きしてもおかしくない。だが、今の俺に限ってその心配は皆無だった。
斬られた腕がじくじく痛んでるからな!
「リスティ。剣。仕舞っとく」
「あ、うん」
渡された剣を見て気付く。
俺の血がほとんど拭われている事に。
ああ、そういう。
老婆の袖についていた赤い筋は俺の血だったって事ね。
服で血を拭うと、剣を鞘に収めた。
旦那の魂なんてまるで感じられなかった。
剣が老婆を傷つけなかったのは確かだろう。袖についた血から剣を押し付けて斬ったのは間違いないから。だからといって、旦那が老婆を愛していたと言う証明にはならないと思うのだが。ああ、ダメだな。冷めた目で見ちゃう。でも……悪いの俺じゃないよね。
しかし、自然治癒が働くのは毎回リスティ絡みだな。
ディジトゥスといい、リスティといい。
俺の敵は大概が身内だな。
***
老婆が落ち着いたのは十分後だった。
店仕舞いをする老婆を引きとめ、場違いな申し出だな、と思いつつ長剣の購入を打診。
すると老婆はふにゃふにゃした喋りを更にふにゃけさせ、
「持っていってくだしゃい」
と、言った。
元々、長剣は相応しい人物に譲って欲しいと遺言があったらしい。だが、老婆は戦いと無縁の人生を送って来た。相応しい人物と言っても見極める事が出来ない。遺品を手放す事も出来ず、長剣は長らく死蔵されていた。
だが、老婆は自分の死期を感じ取り、旦那の遺言を思い出した。
見ず知らずの人の手に渡るくらいであれば――と、露店に出て来たのだという。
そして初めて訪れた客がリスティだった。
剣の銘はカドゥリア。
リスティが愛剣を手に入れた瞬間だった。




