第4話 デウス・エクス・マキナ
青髪は地毛らしい。
んな、バカな。
どう見たって染め――てるようには見えないな。
あれぇ?
美顔は生まれつきらしい。
はあ? この、イケメンめ! どうか、どうか! 姉妹がいたら紹介してください!
残念、いないとのこと。
テラ、帰ってよし。
と、挨拶代わりにイジっていたら、いつの間にかタメ口になっていた。
元々《AGO》でもタメ口だったので、そのイメージに引っ張られた事もあるだろう。アバターそのまんまの顔なわけだしな。俺はVRMMOでは誰にでもタメ口派なのだ。アバターを好き勝手弄れるVRMMOでは誰も彼もが年齢不詳だからだ。
決して――
口説いていたお姉さんアバターの中身が、実は園児だったと知ったからではない。
後日、お母さんそっくりにアバターを作ったんだーと園児が話してくれ、ほうほう、将来はあんな美人になるのか、ロリコンも悪くは――なんて、思ったりなんてエピソードも無い。
な、無いのだ。
俺が好きなるのは同年代の女の子だ。
そう言えば、元気かなあ? 桜上水さん。中学の頃の同級生で、運命が変わっていれば、付き合えたかもしれなかった人だ。相思相愛まで後一歩のところで、俺の引越しがあり、恋は実らなかった。
テラとの話題は主にアニマグラムの事だった。
一問一答だ。
俺が質問し。
テラが答える。
コーディングのコツや、デバッグの注意点など。
テラが組んだアニマグラムを例にとって教えてくれるので、非常に分かり易かった。俺もお世話になったアニマグラムなので飲み込みやすいのだ。フローティングのコードを読んだ時にも思った事だが、俺にプログラムの才能はないらしい。凝った言い回しを許して貰えるなら、才能が無いと気付けてしまう程度には才能が有った。そして、テラは天才だった。嫉妬すら抱けない程、隔絶した差が有った。
でも、僅かばかりのプライドを振り絞らせてもらうと。
今はまだ、どれだけ遠くにいるか分からない。
だが、いつかは。
そう、思う。
まー、そん時まで《AGO》が続いていればだが。息の長いMMOになってもらいたいもんだ。
「ファウンノッドが実在したら行ってみたい?」
初めてテラから切り出してきた話題だった。
少し考える。
「アニマグラムが使えるなら。やっぱ《AGO》はアニマグラムがあってナンボだろ」
魔法もナシに異世界で生きていける気がしないし。
「それならもう一つ。もし一つだけアニマグラムを持っていけるとしたら? キミが作った物でなくても構わないよ。必要なら《AGO》にあるアニマグラムをリストで出すよ」
「ふむ。なかなか心躍る設問だ」
初期魔法を選ぶ。
もし冒険者LV1としてファウンノッドの大地に立ったして。
所詮は仮定の話かも知れない。だが、これでわくわくしないなら、最初からゲームをやってない。
リストを見せて貰うまでもなく、使いたいアニマグラムが浮かんでくる。
《羅喉招來》、《カラミティブレード》、《神威・絶掌》、《赫鼎八卦》、《ブラムロアの光槍》、《イグニスフィア》、《ケリュケイオン》、《背の目》――
いや、待て、落ち着け。
俺は一体何と戦おうとしているんだ? どれもこれも強力なアニマグラムなのは間違いない。が、限られたシチュエーションでしか使えない。ゴブリン相手に地形を変える魔法をぶっ放すわけにもいくまい。オーバーキルにも程があるって話だ。
よし、落ち着け。
クール、クールにだ。
順序だてて考えていくんだ。
まずは攻撃魔法から。
攻撃魔法があれば冒険者ギルドに登録して、日銭を稼ぐ事が出来るだろう。
ただ、強力な攻撃魔法はダメだな。MPが足りない……そうだよ、考えて見ればMP足りねえよ。なんでアニマグラムをリストアップしていた時には気付かなかった? いかに盛り上がっていたかが分かるというものだ。
そうすると初歩的なものになるが……それ、魔法屋で買えるんじゃないか? 折角のボーナスを店売りのものにするのは勿体無いか。
じゃあ、回復魔法?
う~~~~ん。微妙。攻撃魔法がないなら剣で戦うしかない。が、素人の俺じゃ、ゴブリンにだって負けそうだ。回復魔法があるから安全じゃんってコトでもない。殴られたら痛い。痛いのは嫌だ。
同じ理由で補助魔法も無しだな。
ああ、回復魔法なら医者の真似事も出来るか? そうだ、後衛でもいいし。と、ふと気付いたが、なんでソロ前提なんだ? 作ったらいいじゃん、仲間。組めよ、パーティー、築けよ、ギルドってな具合で。
「なあ、MPは? アバターのステータス引き継いでたり」
「ないよ。チート嫌いって言ってただろう」
「ちっ、つかえねぇ」
やっぱ冒険者LV1か。
いっそ大器晩成を目指してみるのもアリか。神からの加護で得るような、ダンジョン潜って手に入れるような――そんな魔法を選び、ぶっ放すの楽しみに、ちまちまレベルを上げるのだ。ふむ、俺の性に合ってる気がする。ニンジンをぶら下げられたら頑張れる子なのだ、俺は。
でもなー。
確かにゲームでチートをするのは嫌いだ。
だが、リアルでならチートは欲しいと思う。
「リスト。出して来ようか?」
コーヒーを口にしながらテラ。仕草がいちいち優雅だ。うぜェ。
つか、やけにリストに拘るな。なんかあんのか?
「うんにゃ。結構。てか、テラよ。サラっと言ったけど、普通はリストなんて出せないから。運営なの?」
「想像にお任せするよ」
「いいのか? 想像させて」
「いいよ」
軽い返事。テラは何も分かっていない。想像させる事の恐ろしさを。
ならば、俺が教えてやるしかないだろう。
「分かった。あれは一ヶ月前の事だったか。ヘイルセイルがレアアイテムをドロップしたんだよ。いつ沸くか分からねーから、まず遭遇できればラッキー。すばしっこいから倒せたらハッピー。そしてレアアイテムをドロップしたら死ぬって言われてる奴だ」
「それはまた大げさな」
「リアルラックを使い果たすぐらいじゃないと、ヘイルセイルのレアドロップは手に入らねぇってことだ。俺も眉唾だと思っていた。が、都市伝説みたいなもんかな、今じゃ本当かもしれないって思ってる」
「でも、キミはそれを手にし、死んでない。違うかい?」
「待て待て待て」
手を上げる。ドウドウドウ。
「因果を間違えるな。リアルラックを使い果たすから死ぬんだ」
テラの瞳に理解の色が浮かぶ。
「キミの身に途方も無い不幸が起こったと?」
「そう、その通り。意気揚々と町へ帰ろうとした俺の身に悲劇が起きた」
ああ、思い出すだけでイライラして来る。俺は運が悪いというか、時折、物凄い妙なヒキをする事があるのだ。大抵は不幸になる方向で。
ヘイルセイルの時もそうだった。
「ロールバックだ」
町へ帰ろうとしていた俺は障害が起きたとかで強制的にログアウトさせられた。メンテ明けにログインするとアイテムボックスからレアアイテムが消えていた。
データが巻き戻されてしまっていたのだ。
「何が一番ムカつくかって言うと、ログインした俺の目の前にヘイルセイルがいたことだよ。どうせ立て続けにレアドロップはないだろうと思って見逃してやった。ロールバックに気付いてなかったんだ。ハッ。あんときゃァ、泣けたぜ。そして怨んだ。運営を。何で後十分後のデータにロールバックしなかったんだ、ってな」
「気持ちは分かるよ」
「いいや、分かるはずがないね。なぜなら、あの時間にロールバックするって決めたのはお前なんだから!」
テラはポカンとしていた。
「それはキミ、言いがかりというものだよ」
「そう、言いがかりだ。でも、テラは言ったろう。想像にお任せすると。だから、俺の中じゃ、これが真実だ」
一本取られた。そういうように、テラが顔を手で押さえた。
「分かった。僕は運営ではない。でも、近しい位置にいる。これでいいかい?」
「最初からそういえっつー話だ」
「まさか言いがかりをつけられるとは思わないだろう。本当。キミと話していると退屈しないよ」
「そーかあ? スカした顔だが」
「こう見えてもいい歳でね。感情が表に出づらいんだ」
「…………」
あー、こういうところだよなー、テラがいけ好かないのは。いい歳? ハァ? どう見ても二十歳前後だろ。あれか? アンチエイジング頑張ってるとか? はー。そりゃあ、すごいや。そのやり方をテレビで紹介して御覧なさい。一夜で億万長者間違いなし。
「話を戻そう。決まった? 持って行きたいアニマグラム」
「まだだ。暇か?」
「そうでもないさ。ゆっくり考えて欲しい。大事なことだから」
大事なこと? はて? まるで本当に異世界にいくような物言いだな。それぐらい真剣に選べってことか?
「なあ、テラよ」
「なんだい?」
「そもそもなんで一つよ? や、縛りプレイとしては悪くねぇ。分かる。けど、実際にいくって事を真面目に考えりゃ、俺も無双をしたい年頃なワケ」
「つまらないからさ」
「誰が?」
「僕が」
「なんで」
「苦労してもらわないと」
「おいおい、なんだよ、今日はオフ会じゃなかったのかよ、ゲームマスター。いつTRPGに?」
テラは微笑を浮かべるばかり。引く気は無いらしい。
こうなるとお手上げだ。
「……分かった。考えますよ」
テラが何で拘っているのかは分からない。だが、俺ばかりが質問するのも気が咎めていたのは確かだ。
ただ、釈然としないんだよな。
妙な雰囲気が漂っているというか……
そう思うと、気付く事もあった。マスターも看板娘も俺を注視しているのだ。やけに真剣な目なんだが……やっぱり、アレか? テラは偉いのか? 店を貸切に出来るぐらいだし。看板娘の態度は謎だが……世の中にゃ社長に反抗的な社員だって珍しくはないか。
お偉いさんの客だから、粗相がないようスタンバって……んのか?
……分からん。
なんだ。似た雰囲気としては面接だな。ここにいる面子が《AGO》の運営だと仮定しよう。だとすると、俺を引き抜こうとしているのか?
いや、メリットないだろう。誰にとっても。
……ダメだ。
下手の考え休むに似たりだな。
テラが期待のこもった眼差しで見てくる。
でもな。自発的に考えてた時は楽しかったのに、やらされてる感が漂った途端、なんか萎えちゃったんだよな。適当に決めちゃうか? いや、それも負けたみたいでシャクだな。果たして誰が勝って誰が負けたんだっつーハナシだが。
……しゃあねえ。考えよう。
とはいえ、もう一通り考えたんだけどな。
チートなアニマグラム……なんかあったかなあ。もうこうなってくると、神がかった性能程度じゃ満足出来なくなってきた。最初にリストアップしたアニマグラムでさえ、物足りなく思えてくる。
う~ん。ハードル上げ過ぎたな。
……思いつかん!
もういいや。最悪、愛着のある自作ので。
あ、でも。自分で作ったから自作というわけで。また、組み直せばいいんだから、それこそ勿体無いか。
ふと、何かが引っかかった。
……自分で作る? どうやって? 作るにはアレがないと。
そうだ。そもそも、自作だけじゃない。カスタマイズだって――
委託の方法は公開、部分公開、非公開の三つ。非公開はナンセンス。パラメータを弄れないから。つまり、自分専用のコーディングでもない限り、アニマグラムは必ず調整を必要とする。全ての母ともいえるアニマグラムを使って、だ。
なのに、選べるのは一つだけ。
どれだけ強力なアニマグラムだろうとも、生まれてこないんじゃあ意味が無い。
ならば、選ぶのは。
最強には程遠い、だが、限りなくチートなアニマグラム。
「リングだ」
テラは首をかしげる。可愛くないからやめれ。
「あれはメニューインターフェースだろう」
「《AGO》として見るならそうだろうさ。でもな、ファウンノッドだとしたら? 分かるだろう、テラ。アイコン出したり、メールを飛ばしたり。できるはずがないんだよ、手ぶらの人間にゃあ。なのにそれが可能ってことは、そうだ。リングはアニマグラムってことなんだよ」
「それは知っているよ。公式に書いてあるから」
「うぐっ」
やめてくれ。QEDっちゃった俺が恥ずかしいじゃねぇか。
あーまー、俺だって知っていましたよ。公式サイトの世界観の項で、リングはアニマグラムで出来ています、って書かれていることぐらいは。選ばれし一族のみが扱える秘術なのだ。プレイヤーが当たり前に使っているから、秘術という印象は薄いのだが。
でも、ここは「どやっ!」ってやるべきところだろう。
お、俺は悪くないもんね。
空気読まないテラが悪いんだ。
「驚いたよ。強力なアニマグラムは沢山ある。それらを投げ出してまで選んだのがメニューインターフェースとはね。やはり、キミは僕の想像を超えていってくれる」
「白々しい。想像の範疇だろうが」
「どうしてそう思うんだい?」
「普通、アニマグラムは一つの機能しか持ってない。ぶっ壊すならぶっ壊すだけだし、治すんなら治すだけ。リングは違う。アニマグラムのカスタマイズにマップ、メールやら。一つしかアニマグラムが選べないんなら、複数の機能を持つリングを選ぶのは理に適ってる。だろう?」
何故、最初に思いつかなかったのか。やはり、ゲームのインターフェースと思っていたからなのだろう。目からウロコとはこの事だ。
「驚いたと言ったのはね、キミが正しく答えに辿り付けた事さ。事前にコードを見せておいたのに。あれで大分思考が自作のアニマグラムに縛られただろう?」
「……性格……悪いなあ。アレはそういうことか。なんで俺試されてんの?」
「失敗しない勇者はつまらない。すぐ死ぬ愚者は先が無い」
「……はあ」
俺が首を傾げていると、
「では、決まったのだから、行って貰うとしよう」
はい?
テラさん、今なんて?
「ファウンノッドへ行って貰おうと言ったんだ」
またまた冗談を。
冗談は青髪だけにしとけよ。どこのブリーチ使ってんの。
「全く……キミときたら。この髪は地毛だと言っただろう。この世界には青髪がいないから、信じられないかい?」
な、なんか違う世界じゃ普通にいるみたいな言い方だな。
「ここまで見事な色はいないかな」
おい!
「はは。早合点しないでおくれよ。この色が僕にしか許されていないだけだから。この世界よりはカラフルな髪の色だよ。《AGO》のNPCもそうだっただろう」
……ん?
「おや、気付いたみたいだね。残念。もう少し楽しみたかった」
テラが微笑む。先程までと同じ、胡散臭い笑み。
たぶん、テラは何も変わっていない。だが、俺の見方が変わってしまった。
ぞっとした。
「……なんで………………喋ってないのに会話が成立してんだよ」
「それは……ああ、なんだ。キミ、悪い癖だよ。答えが出ているくせに答えを言わせたがる。ただ、そうだね。信じられないという事もあるだろうから、答えてあげよう。僕はキミの心を読んでいる。どうだい? うまく勿体つけられたかな? キミの真似して見たのだけれど」
「……テラ。お前何者だよ?」
「うん? だからキミ、悪い癖だと――」
「分かった! 分かったから。お前の口から聞かせろ」
「神だよ。退屈を厭う神」
ファウンノッドの、をつけろよ。
「それはもう分かっているようだったから」
だから当たり前のように心読むな! んで、会話するな!
混乱するだろう。
「分かった」
と、テラの言質を取ったところで、すっかり止まっていた思考を再起動させる。もしかしたら心を読まれているかもしれないが……ええい、疑心暗鬼になっても仕方が無い。
俺は今、物凄くやばい状況にいる。
本当にテラが神なのかは知らない。興味はある。だが、好奇心は猫をも殺す。
真偽は一先ず棚上げだ。確実なのはテラが心を読む事が出来て、俺に何かをしようと企んでいるということ。テラの微笑みが胡散臭いこと。テラの微笑みがスカしたカンジで気に食わないこと。逃げ出す理由にこれ以上が必要か? いいや、ない。
よし、逃げよう。
方針は決まった。
と、腰を浮かしかけた俺は、絶望的な光景を目にする。
すすすっと、マスターが勝手口を、看板娘が入口を塞いだのだ。
「ごめん。でも、忠告したろ。運命からは逃れられない」
苦虫を噛み潰すように看板娘が言う。
くそっ。
三対一かよ。
イジメかっこ悪い!
じゃ、なくて!
やばい、やばい。
どうしよう。
そ、そうだ。
携帯で警察を――
「この店は電波入らないよ」
……
…………
………………
「お、おまっ、て、テラ! 約束! 約束! いいのかよ、神様が約束破って!」
「約束?」
「心読むなっていったら、『ええ、昨今はプライバシーの侵害とか色々と難しいご時世ですからね、いいでしょう、心は読みません』って約束したろ!」
「ははあ。千千に心乱しながら、よくそれだけ口が回る。でも、おかしいですね。また言いがかりでしょうか。僕、約束しました?」
「いえ、テラ様は『分かった』と理解を示されただけ。約束と取ってしまったのは彼の早とちりというものでしょう」
「うっぜぇ。こっちにフんな」
後者の言葉は俺ではない。看板娘だ。
看板娘さんよ。それだけテラが嫌いなら、俺を一丁助けてはくれまいか?
と、思っていたらマスターと看板娘がモメだした。
「神に向かってなんて口の利き方ですか」
「仕方ないだろ。得体の知れないモノが人間の真似事してるみたいで気色悪いんだよ」
「………………………………テラ様。申し訳ありません。使徒を送る栄えある場にこの者を同席させたのは私のミスでございます。どのような処罰でもお申し付けくださいませ」
マスターが頭を下げる。誠心誠意の謝罪だ。
だが、テラからの反応は無い。無視しているのではない。目に入っていないのだ。
「ちっ。だから神は」
吐き捨てずにいられなかった看板娘の気持ちが俺にも分かる。
テラの興味は俺にしか向けられておらず。マスター達に声をかけたのは、俺の真似をして場を盛り上げようとしただけで。興味を失ってしまえば、いる事にも気づかない。
ああ、確かに。
テラは神なのかもしれない。
こんな人でなし、神じゃなきゃなんだって言うんだ。
思い起こせば。
《AGO》でパーティーを組んでいる時も、テラは俺にしか喋りかけてこなかった。モデルを軽く凌駕した美形である。女からのアプローチが凄かった。しかし、テラは返事すら返さない。甘い顔すると付け上がるからなんだろうな、と思っていた。そんなスカした態度が気に食わない男連中(俺も含め)はそもそもテラに話しかけようとしなかった。
テラから反応が無いにも関わらず、マスターは未だ頭を下げ続けていた。
正直怖い。狂信者という言葉が頭に浮かぶ。
あれだけテラに反感を抱いている看板娘だって、テラが神であることを疑っていない。
あれ?
まさか、このまま手をこまねいていたら、本当にファウンノッドへ行かされる?
ははは。笑い飛ばそうとして――出来なかった。
……おいおい、なんだよ、この超展開。
剣と魔法の世界で力の限り生きてみたい。
そう思わないかといわれれば嘘になる。
だが、俺は異世界が発見されたと寡聞にして知らない。
で、あればファウンノッドへ行くのは可能としても、戻ってくるのは不可能と考えたほうがいい。
両親は幼い頃亡くなった。俺を育ててくれたのは祖父だ。その祖父も先日息を引き取った。探せばいるのかもしれないが、連絡を取れる親戚もいない。
天涯孤独の身である。
だが、友人がいる。
ゲームで知り合った人も。
それは未練だ。
ふと、閃いた事がある。
もしかすると《AGO》はファウンノッドへの適性を計る為の装置だったのかも知れない。でも、なんで俺なんだ? 確かに俺のアニマグラムは大勢に愛されているが、コードはとても綺麗だとは言えない。プレイヤースキルは中の下だ。クエストの消化率も大したことが無い。俺よりも優秀なプレイヤーは腐るほどいるはずだった。
俺には、俺でさえ気付いていないような、隠された力が秘められていて――
「さあ、ファウンノッドへ行くんだ。僕を愉しませる道化師として」
……え?
……え、ええ?
待て待て待て。あんまりにもあんまりな理由に、思わずフリーズしてしまったわ!
ああ、そーいや、退屈を厭うっていってたっけ? はいはい、なら、分かるぜ。俺は見ていると面白いって言うからな。傍から見ている分には。関わるのは面倒くさいそうだ。
ひでぇ話だ。
しかしさ。
魔王が復活するから勇者が欲しくてとか。
そういう理由で連れてかれるんじゃないの? 異世界って。
なんだよ、道化師って。
でも、おかげで心が決まった。
逃げる!
この運命から絶対に逃げ切ってやる!
出口が塞がれているなら、それ以外の場所から逃げてやる。
座っていた椅子を窓ガラスに叩きつけ――
ガタン。
何の音だ?
ああ、椅子が落ちた音か。
ズズッ。
何の音だ?
……ああ……俺が倒れた……音だ……
「かはッ」
俺は胸を押さえて地面に転がる。な、なんだ? 痛い。コレは……心臓か?
「転生の準備が整ったようだね」
転生?
はあ? 行って来いってトリップじゃねぇのかよ。
無いぜ、テラ。ことごとく最悪の想像を超えてくれる。
てか、いつの間に準備とか。心が読めるくらいだ。距離は関係ないのか。いや、待てよ。あったな、それらしい兆候が。握手か。一瞬、意識が遠のいた。あそこで何かを仕込まれた?
ちっ。最初から詰んでたってことかよ。
転生は死んで生まれ変わる事を言う。なら、ここでいう準備とは……はああ。何が準備が整っただよ。こんだけ殺意の無い殺人者も珍しいぜ。
俺は……死ぬ、のか?
冗談だろう? 実感が湧かない。
でも、段々と意識は遠のく。
くそっ。
テーブルの足を殴る。痛みで覚醒を試みたのだ。
……痛く、ない? 血ぃ出てンのに……マジかよ。
なっ……胸の痛みも、消えた?
違う。感覚が……
床から俺の身体が抜けた。そう感じられた。かすれた視界で床が目に入るから、錯覚なのだろう。今まで感じていた体重が消失したからそう思えただけ。
……感覚がもう……
やばい。
もう、やばいしか浮かんでこない。
あ……目の前が……暗く……
テラが俺を見下ろしている。
俺が苦しんでいるというのに、相変わらずの胡散臭いツラだ。
ふと、猛烈な衝動が湧き上がってきた。
テラに一矢報いたい。
声は出ない。でも、テラは心が読める。
だが、何を思えばいい?
怒りをぶちまける? それとも命乞いを?
だが、俺の転生は既に決められたことであり、死は一つのプロセスに過ぎない。痛い、ふざけんなと訴えても「もう少しで終わりだから」というだけだろうし、助命を嘆願しても「後で生き返るから」というだけだろう。
そりゃあ、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ掛けてやりたい。
だが、もう時間が無い。
たったの一言だけ。
それが俺の遺言となる。
遺言?
そうだ。
いい考え。
浮かんだ。
ああ、くそっ……もう、意識が……
おい、テラ。
「なんだい」
頼みがある。
「聞こう」
俺は遺言を告げた。
薄れゆく意識の中、テラの笑い声を聞いた気がした。
「いいよいいよ、どこまでも愉しませてくれる。それでは良い来世を。僕の道化師」
ああ、ああ、分かったとも。ここまできたら、来世をエンジョイしてやるさ。
だから、頼むぜ、テラ。必ず遺言を実行してくれ。
浮世離れした感じがあるから、物凄い不安なのだ。でも、あの場にはマスターも看板娘も居た。特にマスターはテラがした約束を違えさせることを肯んじはしないだろう。神様が言ってくれるなら、狂信者ほど頼りになる相手もいない。
まあ、そうでなくても、罪悪感を抱いているらしい看板娘がやってくれそうな気がするが……手続きとか煩雑かな……? 供養と思って頑張ってもらおうか。
俺が頼んだのは一度はやってみたかった、でも、やる機会が無かったこと。
――俺の遺産は全て募金してくれ。
そして俺は死んだ。