第3話 ファウンノッド
場末の喫茶店。
暗めの照明とクラシックな音楽で、落ち着いた空間が演出されている。ムーディーなマスターはグラスを磨いていて、看板娘は溌剌とした印象とは裏腹に静かに控える。
いい雰囲気の店ではあるが……
コーヒー一杯千円ってなにさ。ファーストフードの十倍かよ。
多分、目が泳いだのが分かったんだろう。
「御代はテラ様から頂いておりますから。お好きに頼んでくださいと言付けを頂いております」
……テラめ。こ、こんなんで俺の好感度が上がると思うなよっ。
でも、マスターは気付いていないのだろう。俺は値段におののいたのではない。びっくりはしたが、これだけのいい雰囲気なのだ。千円程度出すのに否は無い。
問題は。俺の舌だ。
十倍の値段のコーヒー。十倍美味しく感じられるか!?
俺の舌は今、試されている!
いざっ!
……ぐぬっ、苦い。
くそう、敗北だ。
この苦味が美味いとは、どうしても思えない。
何だってみんなはコーヒーを美味そうに――
あれ?
おかしいぞ。
そう、みんなは、だ。
俺は、じゃあ、ない。
……あっ。
よくよく考えてみれば、俺は戦う前から負けていたのかも知れない。俺はファーストフードで頼むのは大抵炭酸飲料だったのだ。いや、コーヒーは苦いから苦手なんだよ。友人が全員コーヒーを頼んだりする時だけ、俺もコーヒーを選んでいた。昔から不思議だった。コーヒーってどうして、こう、大人っぽいっていうイメージがあるんだろう。
喫茶店の雰囲気に飲まれ、コーヒーを頼んだ時点で俺の敗北は決まっていたのだ。でも、大人の色気を漂わせるマスターに向かって、「コーラで」なんていえるはずが無い。後は「お味はいかがでしたか?」と訊ねられない事だけを祈るのみだ。
小さくなってちびちびコーヒーを啜る。マスターと目を合わせたらいかん。
ふと、俺のテーブルに誰かがやって来た。
ま、マスターか?
だが、伏せた目に入って来たのは美脚。
おお、看板娘さんではありませんか。
おみ足にご挨拶をば。
看板娘はしかめっ面をしていた。
はて?
俺は己の行動を思い返す。
俺はもの凄く好かれるか、物凄く嫌われるかの二択。ニュートラルな関係を築けた試しがない。良かれと思ってしたことが、なぜか怒りを買う事も多い。
だが、流石に接点の無い人から嫌われる事は無い。……はず。
「青髪が遅れるって」
「……はあ。青髪ですか?」
……誰だ?
看板娘は、ああ、というと、
「テラだよ、テラ」
「テラ、さんですか」
「ないない。さんとかない。テラでいい」
手をヒラヒラ。
なんかやけにフレンドリーだな。こっちは距離感決めかねてるっていうのに。
「いえ、でも、年上ですし」
「いいかい少年。年食ってるってだけでふんぞり返ってる野郎を丁寧に扱ってやるコトないんだ」
美人が凄むと怖ぇ。
「わ、分かりました、テラ。テラですね」
「本人にもその調子でやること。見てるから。いいね? どうせ、直ぐにアンタもクソヤロウとか言うようになるから。敬語使ってた俺ぶっ殺してェ! とかなるから」
「……え、えぇ。じゃ、じゃあ、帰って良いですか?」
「良いけど。無駄だよ。運命からは逃れられない」
まじまじと看板娘の顔を見る。真顔で運命とかって。
しかし、看板娘は一向に照れた様子も無く、
「じゃあ、暇つぶし。出してくる。待ってて」
と、スタッフオンリーの扉の向こうへ消えた。
あんな美人に蛇蝎の如く嫌われているテラ。どんな人物なのだろうか? マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる感覚で、逆に興味が沸いて来た。
いや、知ってるっちゃー知ってるが、あくまで《AGO》での話で。リアルで会うと物凄く横柄な人物だったりするんだろうか。物凄い丁寧な……逆に丁寧すぎてバカにされてんじゃねえかっていう人柄だったが。
テラと看板娘が知己なのは不思議ではない。
この喫茶店を指定したのはテラだし、そもそも店の名前から「ファウンノッド」だ。ファウンノッドは《AGO》の舞台となる世界の名前である。看板娘も《AGO》のプレイヤーなのだろう。青髪って言ってたし。テラのアバターの髪は真っ青なのだ。マスターはゲームをするようには見えないので、雇われ店長ではないのだろうか。
ちなみに俺はリアルでもゲームでも変わらないと言われる。
こんな逸話がある。
それはまだ俺が低レベルだったときの話だ。
先行プレイヤーに寄生して、アイテムを恵んで貰う日々を過ごしていた。
俺はチートが好き無いじゃない。地道にレベルを上げ、少しずつ装備を整えていく。あのカンジが好きだった。だから、先行プレイヤーに「おう、お前初心者だろ。育ててやんぜ、ガハハハ」と言われても、正直なところ余計なおせっかいでしかなかった。だが、そいつもかなりの豚タイプで、煽ててやるとガンガン恵んでくれる事に気付くと、ブーブー鳴かせることが楽しくなった俺は、ロールプレイだと割り切り、太鼓持ちライフを満喫してしまっていた。
冒険?
なにそれ?
太鼓持ちよりも面白いの?
ってな具合である。
しかし、そんな夢のような日々も終わりを告げる。
友人に見つかってしまったのだ。
流石に友人の前で「げへへぇ、兄貴はスゲェすわァ」とか言うのはハズい。
友人には《AGO》をプレイしている事は伝えていたが、アバターの容姿は教えていなかった。だが、友人は一目で分かったという。これが友情か、と思った。
「何で分かったかって? おだて方の程度が低かったから」
友情は無かった。
俺は寄生して得たアイテムを手に、友人の制裁に踏み切った。が、返り討ちに有った。まあ、普通にプレイしている奴が、戦いもせずに遊んでた奴に負けないわな。
俺は牢屋で思ったものである。
……リアルじゃ太鼓持ちなんてした覚えは無いんだが、と。
《AGO》ではPKはアリだ。なのに俺は牢屋にいた。つまり、GMコールされたってことだ。俺がどんだけ粘着したか分かろう話である。
え? それで関係が悪化しなかったのかって? はは。俺達はいい大人だよ。過去の事は水に流すさ。ザザーっとね。パーティーだって組む。でも、大抵失敗するんだよな。俺と友人以外のパーティーメンバーが全滅するから。なんでかな、やけに誤射が多くて。
それはさておき。
シ~~ン。
客は俺一人だ。
約束の時間は過ぎている。まだ、誤差といえる待ち時間でしかないが、迷子になるといけないからと、早めに出たら一時間前についてしまっていたので、かれこれ一時間は客は俺一人という事になる。
いい加減、おかしいと思う。
何度か店頭に客らしき人が来ているが、何故か引き返していくのを目撃していた。そういえば、俺が店内に入るのと入れ替わりで看板娘が外に出て行き、板っぽいのをひっくり返していたのを思い出す。確か「おぺん」と書かれた板だったような。はは。俺の読解力じゃ、何かいてあったか分からない。ましてや、裏返すとなんて書いてあるかなんて。
……新手の詐欺じゃないよな? お腹たゆんたゆんのオッサンから「こんだけエエ店貸しきったんや、代金耳そろえて払ってもらいまっせ―」とか凄まれないよな?
あー、気付きたくなかった。
落ち着いた店がいいとオーダーしたが、貸し切りにしろとは俺は一言も。まさか、人の話を聞いているようで聞いてないタイプじゃないだろうな?
キミのオーダーじゃないか、と言われなきゃいいが。
「お待たせー」
看板娘が戻ってきた。
ドサドサドサ。
テーブルに積みあがるコピー用紙。凄い枚数だ。
「……プログラム? いや、アニマグラムのコードか」
声が上ずる。見たことの無いコードだ。整然とした記述が美しい。
「ご名答ぉ。何のアニマグラムか分かる?」
「……待て待て。何枚あると思ってんだ。一目見ただけで分かるかよ。二つ。三つ? 混ざってるな。分けとけよ」
興奮のあまり、素の口調になる。
「むっ。用意したのあたしじゃないし」
「そうか。なら、済まん。テラか?」
「そっ。青髪。用意周到だよね。ハナっから遅刻する気だったんだよ。アイツ。人を呼び出しておいてナニサマのつもりだよ。そう思わない?」
「……ああ……まあ……そうだな……」
俺がコードに没頭しているのが分かったのだろう。看板娘は呆れ顔で「ごゆっくり」というと立ち去った。
それは宝の山だった。
無駄の無い再起関数に宣言。開始地点が分かれば全体を把握できる構造。無駄なロジックは一つも無く、だからこそ、ブラックボックス化している箇所でも、前後の文脈さえ捉えれば中身を推測できる。美しい。はあ。俺はまだこの領域に達していない。
まさか、無味乾燥のコードでハアハア出来るとは。
分かるだろうか?
いや、専門用語が多すぎだと思うが。
せめて雰囲気が伝わってくれればと思う。
「……これは……フローティングか?」
持っていないプレイヤーは存在しないと断言出来るアニマグラムである。何故ならこのアニマグラムは空を飛べるのだ。実際は飛ぶのではなく浮くのだが、出力を上げれば打ち上げ花火になる事だって可能。戦闘に寄与しないからか、価格もお手ごろなものである。買わない理由が無い。
そのコードに間違いない。
だが、そうすると奇妙な点がある。
委託では三種類の公開方式を選べる。
① 公開
コードを全て提供する方式。この方式で委託しているプログラマーは少ない。コードの一部を変えただけで新しいアニマグラムとして認識される為、盗作が容易なのだ。しかし、国民性か、俺が被害をこうむった事は無い。俺の全てアニマグラムは公開で委託しているのにも関わらず、である。
② 部分公開
最も一般的な委託方法。コードの、パラメータに関する部分だけ書き換え可能な形で提供する方法。
③ 非公開
読んで字の如く。まず取られる事は無い方法。パラメータの調整が出来ないからだ。
先のフローティングを例に取ろう。体重が百キロと三十キロ。どちらを浮かせるのが大変かは分かるだろう。もし百キロ用に調整されていたとしたら、三十キロのプレイヤーはどうなるか。そう、たーまやーだ。
さて、フローティングだが。
部分公開で委託されている。だから、全てのコードがプリントアウトされているのがおかしいのだ。プログラマーと直接交渉して手に入れた可能性もあるが……
そもそも《AGO》内のデータを持ち出す事は出来ないのだ。
チートツールを使えば可能だが……無いだろう。
物凄い勢いで運営が飛んできて、バンされると聞いた事がある。
やはり、テラは運営と関係があるのだろう。俺にコードを見せた意図は分からない。だが、部分公開となっているコードを幾らでも印刷出来るのなら――
――俺は全力でテラをヨイショするだろう。
俺のプライドなんて安い物だ。
それで未知なる技術が手に入るのなら。
……なら?
……ハッ!?
こ、これか。
た、確かに!
俺はなんと容易く太鼓持ちを選択したのだろうか。まるで普段からやりなれている事のように。これは絶対学校でもやっているな。ば、バレるワケだわ。
そんな時である。
「お待たせ」
頭上から軽やかな声が降ってきた。
俺を顔を上げ、ハッと息を呑んだ。
その人物の名を呼ぶ。
「……テラ」
《AGO》内でテラと直接会い、今日の事を相談した際、目印を決めたらどうかと俺は提案した。するとテラはその必要は無いと言ったのだ。
見れば分かる、と。
半信半疑だった。だから、喫茶店が貸切になっているらしいと気付いたとき、なるほど、と思ったのだ。これなら、次に入ってきた相手がテラということになる。
まあ、コードに熱中しすぎて見逃していたワケだが。
だが、違ったのだ。
見れば分かる。
そのままの意味だったとは。
そう、
「……マジで青髪なのかよ。リアルで見るとうさんくせェ色合いだな」
「その暴言は僕の遅刻と相殺ということにさせてもらうよ」
テラが苦笑した。
その顔にも見覚えが――あった。アバターの顔そのままなのだから。
「冗談キツいぜ。行き過ぎた美形はゲームだから許せるんだよ。リアルでもそれって……あ、すいません、並ばないでもらえます? 俺が見劣りしちゃうんで。てか、パーティー組んだときも言ったろ。バフかけるときだろうがそのツラ並ばせんなって」
「相変わらずだね、キミは。誰にでもそうなのかい?」
「美形には大体」
「キミもそれなりだと思うけれど?」
「……お、お前……それなりって、慰めになってねェからな?」
抗議もどこ吹く風でテラはマスターに「ブレンドを」と頼んでいた。
「では、改めて。招待に応じてくれて有難う。今日は楽しい一日になると確信しているよ」
テラが手を差し出す。多分、美形って奴はポイントを顔面に注ぎ込んでいるから、知能が低いんだろう。手ェ出して何やってんだか。新手の運動か? 楽しいのかね?
内心でディスっていても、テラの胡散臭い笑みは一向に陰らない。
ちっ。
これじゃあ、俺がちっちぇ男みたいじゃないか。まあ、そうなんだけど。でも、それを認められるかは別問題で。だからこそ、ちっちぇと言うべきか。
くそっ。
仕方が無いので握手してや――得体の知れない感覚が身体を突き抜け――る。
あ、れ?
立ちくらみか?
いや、座ってんだけど。
遠ざかっていた感覚が、次第に戻って来る。すると、掌が温かい。
「……いつまで握ってんだよ」
ごめんごめん、とテラが手を離す。
そんな一幕を。
看板娘が痛ましそうに見ていた。