第15話 炎毛の王4
夢を見ていた。
転生直後の記憶だ。
俺はヴェスマリアの腕に包まれて眠っていた。
安堵。
慕情。
記憶と共に混じりけの無い感情も蘇って来る。当時の俺は前世の記憶を取り戻しておらず、ただの赤子として母の愛を享受出来ていた。
「……母様」
「アンタ、母親いたの?」
母親?
いますとも、世界一の母親が!
でもね、もう何年も会ってない。会っても息子だって名乗れない。だからさ、邪魔しないでくれないかな。夢でも母様に会えるのは嬉しいんだ。
「はー。寝顔は可愛いのにね」
可愛ねぇ。母様に言われたなら嬉しいが……リスティに言われると微妙だな。男としての自尊心の問題だ。ん? リスティの声だったよな? いやね、夢と現がゴッチャになってんだよ。温もりに包まれながらまどろんでいるのが心地よすぎて――
…………ん?
ん、んんぅ?
つ、包まれて?
……目を開けた。
リスティの顔が目の前にあった。
間近で見るとよく分かる。本当に整った顔立ちだ。
「おは、ようございま、す」
「夜だけどね。もう少し寝ててもいいけど」
周囲は薄暗い。洞窟らしかった。
「……あー、多分、目が醒めてしまったので……ムリ、かと」
「アンタ、たまにかたっ苦しい喋り方になるわよね。なんで」
「……な、なんでと申されましても」
俺からすればリスティの神経を疑う。
なんで平然と会話出来るワケ?
洞窟。
二人きり。
脱がれた服。
そう、服。
温かい。
人肌。
思わず情報を再確認。うん、間違いないな。でもって夢でもない。
あんな夢を見た理由が分かった。
――俺はリスティに抱かれて眠っていたのだ。
真っ裸で。
お互いに。
「…………」
「…………」
……い、いかん、フリーズしてた。
こんな時の為に妄想を繰り返して来たのだ。今こそ出番である。アレが使えるハズ。情事の後に女の子を気遣うシチュエーション。え、キモいって? バカ言うな。童貞なんてそんなモンだ。だってのに、どうしたらいいのかまるで分からない。
温もりが思考にノイズを走らせる。
特に掌。
目を覚ましてからずっと……なにか柔らかいものを……
……なんだろうな。
ホラ、好奇心が旺盛な年頃じゃん?
確かめて見るべきだと思うんだ。
……でも、踏ん切りが。だって、確信犯だしね。
理性が絶叫する。
――今更いい人ぶるな!
本能が号泣する。
――ヘタれないで!
あ、ゴーサインでた。
よし。
ふにゅん。
「あ、んっ。もう。くすぐったいから」
リスティが悶える。
……色っぽくは、無かった。残念ながら。
残念。
ふむ。
ならば、もう一度。
今度は感触も楽しんで。
おお、揉み応えのある――
「バカっ」
ゲンコツが返って来た。
そりゃあ、痛いが……それだけ。
胸揉まれたのに……これだけ、なの?
正直、半殺しにされる事を覚悟していたのだ。
「調子にのんないの。マセたガキね」
……あー。そう。そういう? 俺の事を男と認識してないってゆー。
十歳ってぇと……小学校四年生当たりか。自分の身に当てはめて考えるとよく分かるな。「うんとね、将来お兄ちゃんのお嫁さんになってあげゆー」って言われても、「はいはい、五年後にまた同じ事いってね」ってなるものな。うん、なるなる、なるんだよ。
……だから、ショックを受ける必要……ないんだ、よ?
……ないんだから。
……うん、萎えた。
くそっ、へたれというなら言え。
異性として認識されていないのをいい事に、イタズラするのはホラ、犯罪チックというか。散々年齢を盾にやりたい放題やって来た俺がいう台詞じゃないな、ってのは分かってるさ。でも、出来る事なら合意の上でこういうのはやりたいって言うか。
うるせぇ!
童貞で悪かったな!
……え、悪いなんて言ってない? 気持ちはよく分かるって……?
すまん。誤解だった。そうだよな。童貞は兄弟だ。大切にしないと。
……ところで兄弟。キミ、女の子の胸揉んだことある? 柔らかいんだぜ?(ドヤ顔)
「起きたなら離れて」
「…………え、なんで」
混乱も収まったので分かる。川に飛び込んで服が濡れたので、人肌で温め合っていたのだろう。実に合理的……だよな? うん。なんで、つっても、問題ないよな。
なんで?
ねえ、なんで?
「かわいくないから」
「…………」
……なあ、俺はワガママなのかな? かわいいって言われても嬉しくないつったよ? でも、いざいわれて見ると傷つく俺がいるんだ。
リスティは置いてあった服を着始める。
あ、ああっ、勿体ない。せめて最後の瞬間まで――
「ぶっ」
服が俺の顔面を直撃した。
「アンタも着たら」
「…………はい」
暫くしてから張り付いた服剥がす。んで、着る。
リスティの顔を見るといつも通りで……くそっ、読み違えたっ。いいタイミングで服が投げられたので、「見るなっ!」って意味かと……でも、違ったらしい。
なんと惜しい選択を間違えたのか――
「……どうしたの」
「……………………ああ、いや、服が濡れてて……気持ち悪いな、と」
勿論、違う。
濡れた服。肌に張り付く。浮き出る膨らみ。
……なんだ、全然これもアリじゃないか。むしろこう、色気が増した気すらしないか。増した? 違うな。コイツ、色気ないもんな。たった今、色気が出たんだ。
やはり、色気というのは憂い――そういう感じのナニカアレだ。
リスティは健康的過ぎるのだ。
なら、なにが似合う?
水着か。
あー。ビキニとか凄い似合いそう。
プロデュースさせてくれねぇかな。いいよ、いいよ。こっち向いて。そう、そこで笑顔。違う。そのスマイル違うから。アイドルはそんな肉うめぇみたいな笑顔しないからね。はい、谷間作ってー。え? ナニ、その手刀。ははあ、俺の? 顔面に? 谷間を? それ、陥没って言うから。あっ、ああ、近付いて来ないで――グシャッ。
……おかしいな。アイドル育成ゲームをやってたハズなのにバッドエンドって。
「……何か聞こえる」
リスティの顔が引き締まる。
やや遅れて俺も思い出す。
「……そういやラブでコメってる場合じゃなかったな」
……本当に。
命がかかっているのだ。
あ、そういえば吊り橋効果ってので――
待て。
待て。
待て。
だから、本当に待て。
頭を切り替えないと本当に死ぬ。
前世の分も含めると二十八年分か? あれ、七だったか。まあいい。積りに積もった煩悩は、「もー、今もんもんしなかったらいつするのー」と退散を拒絶する。
……くっ。荒療治になるが、やるしかないか……
とある情景を思い描く。
日に焼けた肌。無防備な寝顔。引き締まった足。一糸纏わぬその姿。視線を上に上げれば……弛んだハラ。そう、犬小屋のブラスだ。
……煩悩は去って行った。大切なナニカと引き換えに。
洞窟は高さが無い。
二人して這って出口へ向かう。
「……人だ」
アウディベアから逃げ惑う人がいた。三人。格好からして……チネルの町民だろう。
思わず腰を上げた。腕をリスティに掴まれた。
「行って。どうするの」
「……どうって……助けないと」
リスティは暫し目を閉じ――開く。決意が宿っていた。
「あたしが行くわ」
決断が早い。つか、早すぎる。思わずリスティの腕を掴む。
「なに? 行くなら早く行かないと」
「……勝てるのか?」
「あのね、やってみないと分からないわよ、そんなの」
「…………」
……確かにそうだ。
俺はバカか? 勝てると言って欲しかったのか? 何の保証にもならないのに?
休息を取った事で多少疲労は回復している。しかし、肝心要の氣の回復は、体感では二割といったところか。
「……だったら、行かせられない」
「いいの? 助けないで」
リスティと目が合う。透徹した眼差し。耐えきれず目を逸らす。
「……彼らには悪いが……リスティのが……大事だ」
「そっ」
リスティは朗らかに笑うと剣を下ろす。
奥へと戻るリスティを呆然と見送る。
「どうしたの、こっち来なさいよ。見つかっても知らないんだから」
リスティが焦れたようにいう。
「……俺の都合で見殺しにするんだ。最後を見届けるのが義務だと思うから」
アウディベアは足が速い。二本足では危険視する程でもないが、四本になると逃げ切るのは難しい。戦闘時は二本足で立っているので、四本足は滅多に見ない。
本気で疾走するアウディベアを目撃する――
「…………?」
――ハズだったのだが、アウディベアは二本足で走っていた。
逃げ戸惑う町民とどっこいの速度である。
まあ、いずれは追いつかれるだろうが……
「おわっ」
声が裏返ってしまった。考えごとをしていた。完全に不意打ちだった。
くすくす、と朗らかな声が、俺の耳元から聞こえて来た。いつの間にか、俺はリスティに後ろから抱きすくめられていた。
冒険者などやっている割に、リスティの身体は女の子らしい柔らかいものだった。しなだれかかって来るので、豊満な胸が惜しげもなく俺の背中に当てられていた。
……前向こう、前。
きっと、顔真っ赤になってるから。
「アンタってヘンな考えかたするわよね。義務ってなによ。あの人たちが死ぬのはあの人たちが弱かったから。関係ないんだから無視しときゃいいのよ」
「……俺達なら助けられるかもしれない……それを……」
リスティの考えはファウンノッドにおけるスタンダードなものだ。
弱者を助ける。それは自分が強者であるからこそ成り立つ考えだ。だが、ファウンノッドでは圧倒的な強者などいない。ジェイドだって竜にボコられたら死ぬかもしれない。
俺がズレているのだろう。ドライなんだな、と皮肉げに思ってしまう俺の方こそ。ブラスと旅をして来たから、矯正される機会も無かったのだ。弱者を守るのが模範とされるのは騎士で、ヤツはその騎士だったっぽいし。
「えー。あたしはいやよ。知らない人のために命かけんの」
「…………え? 助けに行こうとしてた……よな?」
堂々と手の平を返されたものだから、思わず自分の記憶を疑ってしまった。
そうだよ。俺の記憶は正しい。じゃないと、あんな恥ずかしい台詞を……リスティは生半な言葉では止まるまいと思って……本音をポロリしてしまったのだ。
「はあ? それとこれとは全然違うでしょ。さっきはアンタが行こうとしてたから」
「…………はい? ええと、それはどういう?」
また、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
……なんだろうな。リスティが素直だ。
ま、まさか。フラグが立った……のか?
なんてね。リスティに限ってそんなコトあり得ない――
「ねえ、クロス。アンタが命をかけるならあたしもかけるわ」
思わず振り返る。
リスティと目が合う。微笑を浮かべていた。気負ってもいない。美しいと思った。
「あー。ちょっと違う。アンタが命をかけるぐらいなら、あたしが命をかける。うん、こうかな。こんなカワイイ子が命をかけてあげるっていってるんだから、感謝しなさいよね」
「…………あー、うん」
心臓がうるさい。本当にうるさい。あれ、うるさすぎるな、と思ったらリスティの鼓動も混ざってた。最後、冗談めかしたのは彼女も恥ずかしかったから?
「……いつまで見てんのよ」
「……あ、悪い」
やはり恥ずかしかったようだ。
だが、俺を抱きしめるのを止めるつもりは無いらしい。
……は、ハズい。悶絶しそうだ。が、身じろぎしないのは、せめてもの見栄。ぺったり張り付かれているので、俺の動揺はダイレクトにリスティに伝わってしまうのだ。
「でも、なんで? 急に?」
「さー。アンタが考えれば」
……まさかの投げっぱなし。
そこが一番大事なトコロだろうがよ。
コイツ、無自覚に男を誑かすトコあるからな。期待し過ぎると痛い目に合う――
「……へ、へぇ。じゃ、じゃあ、俺に惚れてるとか思っちゃうけど」
――って、分かってながらなんでいっちゃうかな、俺は。
……言ったそばから後悔した。
出来れば数秒前に戻ってやり直したい。
まあ、結局は言っちゃうんだろうけども。
「いいわよ、それでも」
「…………っ」
もし面と向かって言われていたら、随分軽く言ってくれたな、と落ち込むところだ。
自慢ではないが、彼女いない歴十年プラス前世である。女心なんてちっとも分からない。だが、言葉から読み取る事が出来ずとも、今はどくん、どくんと――高鳴る鼓動が俺に教えてくれる。リスティが決して軽く言ったわけではないと言う事を。
「……付き合ってくれっていったら……付き合ってくれんのか?」
少し間があった。
振り返りたい。
でもな。
表情から。
ダメだって。
分かってしまったら――
「そうね、五年くらいしたら」
「…………」
………………おおぅ。
アレか。
コレはアレか。
「うんとね、将来お兄ちゃんのお嫁さんになってあげゆー」
……あげゆー……あげゆー……あげゆー……あげゆー……
……俺……コレと同じコト言ったのか。あしらわれ方も、俺が想像したまんまだったし。そーいや、リスティはませたガキだっていってもんな……そうだ、そうだったよ。リスティは俺の事を異性だって認識してなかった。
ま、まあ、アレだ。スタート地点さえ間違えてなければ、彼女の気持ちを推測するのは容易い。女心は分からなくてもね、ピースさえ揃ってればパズルは得意なのだ。
命をかけてくれるのは、俺が彼女の命を助けたからだ。
ここがポイントなのだが、多分この事に彼女自身気付いていない。
アホの子なので、結論が出てるなら、過程何それおいしいの? ってなってるのだ。
だから、俺に理由をブン投げたのも俺を惑わせようなんて意図は無かった。リスティは俺の事を過信してくれているので、自分でも気付かない理由を教えてくれると思っただけ。
一部の隙もない完璧な推理である。
「あたしはアンタが見た目と中身が違うって知ってるけどさ。アンタすぐぺる、ぺっ……とかワケ分かんないコト言ってウソつく。アンタの事を知らない人から見たら、あたしがアンタを誑かしたように見えるのよね。なんか、それってすごくムカつく。だから、五年くらい――」
リスティが何か言ってる。
あー。あー。あー。聞きたくない。てか、聞こえませーん。
無自覚に男を誑かす悪女の囁きなんか耳を貸しませーん。
大体さー。勢いに任せて言っちゃったけど、俺自身はどうなの?
リスティの事好きなの?
…………
……………………
………………………………あ。
な、なんてこった。
まさかの大前提をスルーしていたとは。
好きとかよく分かんないけど、何か好意持ってくれてるっぽいし、取りあえずキープしとけ――みたいな? え。もしかして俺、そんなクズになってた……の?
だ、だけどさ、男の子だし、誰だってそういうトコ、あるよね。
好いてくれるんなら、こっちだってそういうキモチになるだろうし。
え? なる。ああ、よかった。そうだよな……え? あ、続きがある。はい、どうぞ。
思う事と? 実行する事は? 別である、と……
……ですよねー。
は、はははは……
死にたい。
誰か穴掘ってくれないかな。
入るから。
本当、何年ぶりだろうか。思った。
ログアウトボタンプリーズ。
赤面モノだが、少しホッとした。
これが失恋ってことなら落ち込むさ。でも、ちょっと先走ってしまっただけ。ホラ、落ち込む必要なんてどこにもない。
……ない、ハズなんだけどな……
……なんだろ、このキモチ。モヤっとする……
「付き合うっていってもさ。なにするのかよく分かんない。愚連隊の子がね、いうのよ。そういうのは自然と分かるものだって。あたしも分かるようになるのかな……って、アンタ、聞いてる?」
初対面の印象が最悪だったからだろう。
リスティの事を好きとか嫌いとか考えた事が無かった。
好きか……引き合いに出せるのは、桜上水さんとの思い出だ。あの時と比べると……比べ……らんないな。
俺がリスティに抱く感情は酷く複雑なのだ。
価値観は真逆で話が噛み合わない事も多いが、たまに見せる笑顔は酷く魅力的だ。多彩な天才ぶりには嫉妬を覚えるが、歌声はいつまでも聞いていたいと思う。
俺の感情を派手に揺らしてくれるので、振り子はいつもふらふらしている。今は……流石に好きのほうに振られているが、何かあったらキライに振れそうな予感もあり――つまり、よく分からないのだ――
「……いいぃぃっ、てえぇぇ」
耳つねられた。い、痛いっ、って。
「ふんだっ、聞こえない耳ならいらないでしょ」
「いるっ、いるからっ」
「……ま、いいわ。じゃ、五年後ね」
……五年後?
ん、まさか、案外、真剣に考えてくれていた……待て待て。
短い間に何度も同じトラップに引っ掛かってどうする。
深いイミはないの。
そもそも――
「あ、追いつかれるわね」
そう、そっち。大事なのはそっち。
体力が尽きたのだろうか。町民は足を止めていた。
全てを諦めたような茫洋とした眼で、アウディベアの接近を眺めていた。
「……は?」
「……え?」
アウディベアが町民を無視して去って行った。
思わず振り返ると、身を乗り出していたリスティの顔が、非常に近い位置にあった――のはいいとして。彼女も始めて見た光景らしく、小刻みに首を振っていた。
町民が無事だったのは喜ばしい。
だが、解せない。
アウディベアがこうした行動を取る時は決まって王絡みだ。
マップを出そうとした瞬間である。
「げぇっ!」
大声が出た。げぇ、げぇっ、と俺の心を表わすかのように、洞窟内にこだました。リスティが後ろで何か文句を言っていたが、それどころではなかった。
リングが展開されていた。
指パッチンはしていない。
「……来たか、来たのか、このタイミングでっ」
クエストのアイコンがチカチカ光っていた。
見なかった事にしてマップをタップ。あれ、開けた。マップを確認し……あ、なるほど。段階を踏んで俺を絶望させようと。
……一点を中心として魔物の包囲網が出来ていた。
包囲網の中心には見た事の無いアイコン。魔物のアイコンがベースなので、王を示していると思われる。ボス扱いなのかも知れん。
俺達? 当然、包囲網の中だ。
そりゃあ、俺達を捕まえる為の包囲網だろうしな。
パーティー申請バグで王のヘイトを煽り過ぎたか?
俺とリスティ以外は無視していいと通達があったのだろう。でも、なんて? アウディベアは確信を持って町民を無視していた。悪いが俺は熊貴族に紹介された熊子も熊代も見分けがつかなかった。あ、妄想の話ね。王はどうやって捜せと命じたのだろうか。そこさえ明らかになれば包囲網もアッシも町民でございますと抜けられそうだ。
あっ、町民。
そうか、冒険者か。
魔物も人の強弱をある程度察知出来るらしい。
冒険者からはスタコラするくせに町民には襲いかかる魔物もいると聞く。
それを利用しているのか。
マップを使って包囲網の薄い個所を抜くのが上策か――
マップが勝手に閉じる。
クエストのアイコンが光っていた。さあ押せと言わんばかりに。
……そうだった。クエスト出てたんだった。
クエストの内容は見るまでもない。どうせ王を討伐せよ、というものだ。このタイミングでクエストが発行されるとしたらそれ以外に考えられない。
先程からリスティがうるさい。
何してんの、ねえ、ねえっ、ってな具合だ。
リスティにはまだまだ分からないようだ。そういう態度を取られるほどに、男と言うのは口が重くなっていくと言う事を。だってさ。ねえっ、っていう度に、胸が押し付けられるんだぜ。
ただ、流石にそろそろ斧が怖い――あれ、斧ないな。置いて来たのかな。
「さすわよ」
代わりに剣がありましたね。
「おまじないだよ」
「……ウソつき」
いつもの通り俺を罵倒する声……じゃなかったな。拗ねた声。
……あー、調子狂う。
「……神様と交信してんだよ」
「加護持ちだったの」
「あー、まー、一応使徒?」
疑問形にしたのはせめてもの抵抗だ。
「へー。えっ、じゃあ、あるの、使命!?」
「なにそれ」
「はあ? なんでアンタが知らないのよ。使徒は使命が生きがいなんでしょ」
……生き甲斐って。安い響きだな、オイ。
「使命は無い。ついでに恩もない。ただ怨みならある」
「……なにそれ。聞いたことないんだけど。ホントに持ってるの、加護?」
あるよ。呪いっていっていい内容だけど。
「クソ神の使徒だって事はバレたくない。内緒にしといてくれ」
「ふーん。なら、今度なんか奢って」
「……お前な、結構真剣に……あ、いや、奢る、奢る。好きなの奢るから」
「な、なによ、急に」
それってデートじゃね、って思っただけ。
まー、さっきはすげなくあしらわれたワケだけどさ。正直、シチュエーションに流され過ぎだったって反省した。さっき吊り橋効果が云々言ってたけど……アレ、よくよく考えて見れば俺にも適用されるんだよね。だから、まずは友達から始められたらいいと思う。
健全にね。
しかし、使徒ってのは重たい存在だと思っていたのだが……口止め料が安すぎて逆に不安になって来る。国家機密の口止め料がパフェだと聞いたらどう思う? 皆がこんな反応を示すのなら、加護の登録をしても問題ないが……きっとリスティだからなんだろうな。
「でっ、でっ。神様はなんて?」
リスティがはしゃぐ。
ふふん、ってなった。へへーと畏まられるのも嫌だが、興味を持たれないのも悔しいのだ。
「待て待て。これから読むところだ。多分、王の討伐だろうな」
「読む? あたしには何も見えないけど……って、それが使命なんじゃないの?」
「ああ、言われてみれば」
なまじクエストなんてゲームチックな形式で来ているから考えた事も無かった。言われてみればリスティの言う通りだ。クソ神がこうしてと言って来て、俺がそれをこなすという意味では、使命といっていいのかもしれない。
広い視野を持ちたいと思っているが、固定観念というのは崩しづらいものだ。他人の視点でみればなるほど、と思うような意見が出てくる事がある。
ふむ。信頼出来る相手に秘密を打ち明けるのもいいかもな。
リスティは……悪気なくポロっていいそうだから、リングの詳細については言えないが。
クエストをタップし、情報を表示する。
+――――――――――――――――――――――――――+
【クエスト】
《名称》魔法を作って使って見よう。
《説明》ファウンノッドの人々は魔力を持っています。当然、ハイエルフによって才を見出された貴方も。MPを消費する事で魔法を使う事が出来ます。貴方はまだ魔法を習得していません。&lk:ではハイエルフより伝授されたリングで魔法を作成する事が出来ます。魔法はコードによって成り立っています。今回は#rlk:sのコードが記載されていますので、/qm,;をタップする事で魔法の作成が完了します。続いて魔法を_?3ru0に向けて放ってください。
《達成条件》作成した魔法を_?3ru0に放つ。
+――――――――――――――――――――――――――+
クエストだ。
うん、クエストだな。
でもさ、これって《AGO》のだろ。
これ書いたの誰よ。
「ですわ」か? いや、クソ神か。だな、クソ神だ。誇りたくもないが、イラッと来る度合いで判断出来る。これはあんまりイラッてしない。どちらかというと脱力した。
だってこれコピペだぜ。
手抜きすぎだろ。
ファウンノッドに即していない個所は文字化けしているんだな。
MPはせめて魔力に書き変えろ。ちょっと前は魔力ってなってるだろ。
《AGO》でこのクエストをやった事がある。
キミの魔法はキミが作る――と言う事で、チュートリアルのクエストだ。俺はかなりテンションが上がったものだが、単純にゲームを楽しみたい層には不評だったようで、一回目のアップデートで単に魔法を使うだけのものに変更されたと言う。
コードは既に記載されているので決定ボタンを押すだけなのだが、コードを見てバグだといってクレームが殺到したらしい。確かに知らない人から見れば、文字化けしているように見えたかもしれない。
相変わらず達成報酬書いてないし。
書けよ。
後一行加えるだけだろうが。
まあ、いいけどね。
報酬覚えてるし。ここまでコピペってくれてるってことは、報酬も《AGO》と一緒なのだろう。チュートリアルのクエストなので大したものでもない。
ハイエルフか。
文脈からするとチュート族の事だろう。チュートリアルで出会うからチュート族と呼ぼうと決めたのは……何年前の事だったかね。
でも、ハイエルフねえ。
エルフっていったら、耳の尖がった美形だろ?
幾らゲーム開始直後でテンション上がってるからと言って、エルフを見かけたなら記憶していると思うのだが。最初のエルフを見かけたのは、同じプレイヤーだった。いかにもファンタジーというのは興奮するので覚えているのだ。
ハイなエルフだというのに、忘れていると言うのは……分からん。
いいか。
それよりも大事なのはなんでこのクエストかってことだ。
正直、狐につままれた気分だ。
王を倒せ! でいいだろう。
それにこのキレのなさ。クエストを見た時は身構えたものだが、九年でクソ神も耄碌しちゃったのかね。アリを突いて遊ぶような、無邪気な悪意がまるで感じられない。いや、喜ばしい事なんだけどさ。悪友が亡くなった途端、張り合い無くしてポックリいっちゃう老人みたいな気持ちっつーか。そっか、あの頃のテラはもういないのか。ぼんやりとクエストを眺めていると、昔取った杵柄ではしゃぐ老人を見ているような痛々しさを覚えた。
クソ神は死んだ。
今度からはテラって呼んでやるよ。
魔法を開くか。
クソ神の遺言だ。
見てやらないとな。
ここを見るのも九年ぶりになるのか――
「ぐごごごごごっごごぅぅうぅおぉぉ!」
何言っているか分からない?
すまん。口を抑えたんでくぐもってしまったな。
ちなみにこう言ってた。
――ああああんんのぉぉぉぉぉ、クソぉぉぉ神ぃぃぃぃぃぃ!
はい、もう前言撤回します。
クソ神はクソ神でした。清々しい程にクソ神。
分かる、分かるぜ、今クソ神はキャッキャしてる。してやったって顔をしてな! ああ、はいはい、そうとも、してやられましたとも! 気付けるヒントは幾つもあった。それを突き詰めて考えなかったのは俺の落ち度だ。それがまた非常に腹立たしいのである。
クソ神が耄碌した? とんでもなかった。
俺が何のために転生したと思ってやがる? それを知っていながらこの仕打ちたァ。
コレを悪意と呼ばずして何と呼ぶ?
九年間、音沙汰がない?
あーまー、連絡は無かったよ。でも、ずっと見られてたんだな。
にやにやしながらいつ気づくのかと眺めていたのだ。
懐かしいわ。良心の呵責なく憎悪出来るこの感覚。
現在、危機的な状況にある。一つでも多くの武器を手にしようと、俺がリングの再精査を行う可能性があった。そうしたら自力でコレに気付けていた。
ただ、それだとつまんない。
だから、先に教えちゃえ、と。
はー、流石神様。
本当に手を変え品を変え……人をイラッとさせるのが上手い。
――だってさ、《AGO》では身体強化は魔法の一種だったんだぜ。
――《AGO》なら当たり前のように魔法剣士になれたのに。
――氣闘術の応用だと思うのだが……魔法使いにも出来る事らしい。謎だ。
+――――――――――――――――――――――――――+
【魔法】
《身体強化》
+――――――――――――――――――――――――――+
……知らぬ間に魔法を覚えていたらしい。
何年も前から。
そう、ずっと前から。
身体強化とは氣闘術の事だろう。ああ、正確には無詠唱の身体強化が氣闘術と呼ばれるのだ。氣と魔力は色が違う。氣は光で魔力は闇だ。それが俺に勘違いさせた。体内で練り上げる事で魔力は色を変えるのかね。
さて、詠唱は三種類ある。
普通の詠唱。
呪文を唱えない詠唱破棄。
最後に何も唱えない無詠唱。
無詠唱は非常に難しい技術らしい。
かつ、不安定なのだと言う。
新しい魔法を覚えると、無詠唱が出来なくなる事があるのだ。
……これだな。
氣闘術と魔法が両立できないとされている理由。
魔法を使っても氣闘術――身体強化は失われはしないのだろう。ただ無詠唱で使用が出来なくなったから、失われてしまったのだと勘違いされて来たのだ。
俺みたいに魔法をリストアップ出来ないだろうからな。
コレ、明らかになれば魔法学会に革命が起きるんじゃないか?
ま、いいか。んな、後日検討出来るような内容はさ。
「この世界の謎が一つ解けた」
そんな些細なことよりも――
「はあ? なに? いきなり? 謎?」
「リスティ。お前も魔法使いだってってことさ」
《身体強化》を編集。
タップする手が震えていた。だせぇ。ここぞという時に締まらねぇな、俺は。
出た。出た!
コードが出た!
へえ……基本的に《AGO》と変わらないな。ただ、スペルが微妙に違う。英語っぽいけど英語じゃないこの世界の言語みたいに。知らない人が見れば文字化けした文字列に見えるかもしれない。だが、俺にとっては宝の山だった。文字が輝いているような錯覚すら覚える。
よし。
アルゴリズムは一緒みたいだから、スペルの修正で事足りるな。
神眼の時は見た事もない命令文だったが……あー、あるな。やっぱり、見た事の無い命令文。でも……前後の文脈から読み取れそうだ。
魔力を操っているのはこの部分だな。
この変数は……出力か。参ったな、デバッグが出来ないと、値が取れない。
あー。すまん。ワケ分からないよな。ちょっと興奮しすぎてたみたいだ。
でも、勘弁してもらいたい。
だってさ。
この為に転生したといっても過言ではないのだ。
この十年の記憶が走馬灯のように蘇る。いい事もあった。辛い事もあった。
だが、全てはこの瞬間に。
そう思える。
前世を含めてもここまでの高揚感を感じた事は無い。
ずっと魔法使いになりたかった。
だってのにずっとお預け食らってたんだぜ?
お預け。そう、正しくそうだな。ずっと俺は飢えていたんだろう。魔法に。人は食わなきゃ生きていけないってのにさ。そういう意味じゃ、俺は死人のようなものだったのかも。コードが血へと変わり、血管中を駆け巡り、細胞を新しくする――そんな感覚を味わっていた。
クソ神には言いたい事が山ほどあるが……後だ。文句言ってる時間も勿体ねぇ。
ついに。
ついに出来るのだ。
アニマグラムの作成が――
***
さて、俺が作ったアニマグラムは一つだった。
ストックしてあるコードをファウンノッド仕様に書き変えて、無双が始まる――ってなワケにはいかなかった。残念ながら。まあ、薄々察してはいたからそこまで落胆はしなかったが。
理由は二つある。ただでさえコーディングには非常に時間がかかるという事。しかも、今回は初見だ。スペルミスを防ぐ為にコピペで対応していた。そして、一番重要なポイントはコーディングをする為の材料が少な過ぎたためである。
身体強化の魔法は身体に関する命令文で構成されている。
すぐさま《羅喉招來》を組むという訳にもいかないのだ。《羅喉招來》なら火の命令文、土の命令文、状態異常の命令文が少なくとも必要になる。
身体強化の命令文から作れるのは、やはり身体に関するアニマグラムだけ。
俺が制作してきたアニマグラムはぶっ放し系が多い。
それは俺がぶっ放しが好きだと言う事もあるが、プログラマー同士住み分けた結果でもあるのだ。身体強化系には神拳・零夜というプレイヤーがいたのである。神拳・零夜が作ったアニマグラムを駆使すれば、拳一つでドラゴンを討伐する事も可能だった程だ。
早々に敵わないなと見切りをつけたので、身体強化系のアニマグラムで俺が作れるのはただ一つ。
《墜火葬》と言う。
直撃すれば王だって仕留められる。
やり遂げた心地よい疲労感に浸っていると、リスティが顔を上げた。
「……ん? 終わった?」
「ああ、待たせたな」
そういうと俺は青ポットを飲む。氣が充満するのを感じる。トルウェンに渡そうと思っていたのに忘れていたものだった。氣が……魔力が回復する。確かに実感出来た。ううむ、なんで魔力と氣が同一のものだって広まってないんだろうな。まあ、魔力回復薬は高いからな。わざわざ戦士に飲ませて見ようっていうヤツが少ないのは確かだろうが。
「どうするの。これから」
「王を倒す」
「分かった」
即答である。信頼が重い。
「……いいのか、それで」
「倒せるんでしょ」
「……ああ」
当たればね。
「なら、いいじゃない。なんかやってたの、それなんでしょ」
「……お前……見てないようで、見てるところは見てるんだな」
「ふ~~ん。クロス。あたし、知らなかったわ。アンタ、殴られたいのね?」
「……斧からゲンコツになっただけ、丸くなったなと思う俺はどうかしてる」
「ふふっ。そうね。まー、いいわ。許したげる。アンタ、すぐに人をバカにするんだから。そういうのやめなさい。というか、あたしばっかりバカにしてるでしょ、アンタ」
「……お前、気付くだけの知能があったのか……あ、ウソウソ。冗談」
リスティが殴る姿勢を見せたので、俺は大仰に降参して見せた。
マップを開く。
「……包囲網が狭まってるな」
「クロス、説明」
「はい。えっとな、俺は魔物の位置が分かる。加護で。で、だ。アウディベアの包囲網が俺達を囲む形であった。それがさっき見た時よりも小さな輪になってた。この場所もそろそろヤバい。まー、何よりもヤバいのは、まだまだアウディベアは腐るほどいるってことだろな。なあ、王が倒されたら従ってた魔物はどうなるんだ?」
「大体逃げるって」
「……大体ってトコにそこはかとない不安を覚えるが……」
せめてリスティだけは逃がすか?
俺が王を倒すと決めたのはクソ神の干渉が考えられるからだ。どうせ運命を改竄されるぐらいなら最初から戦うと決めておいた方がいい――というのは建前で。
あ、いや、干渉は本当に有りそうだけどな。
本音は違うというコト。
試してみたいのだ。いますぐに。アニマグラムを。
クソ神と俺の利害が一致しての、王討伐という決断だ。
初めて氣闘術を使えるようになった時も、ブラスの制止を振り切って魔物と戦いに行ったな。あれが戦士としての初陣だとするのなら、これからやろうとしているのは魔法使いとしての初陣か。わくわくする。まー、後日、浅はかな決断だったと後悔するんだろうさ。間違いない。あん時もそうだった。それでも。止まらない。
アニマグラムを手にして俺は原点回帰したのだと思う。
新しいアニマグラムを開発したら試さずにはいられないプレイヤーに。
魔法使いになる。
あの選択は必然的に俺の将来も決めていたのだろう。
冒険者だ。
俺は冒険者になる。
危険な事はしたくない。その考えは今も変わっていない。根っこの部分だから変えようもないし。だが、リスクに見合うものがあれば、危険を冒すことに否は無いのだ。
俺のアニマグラムはさ、威力があり過ぎるんだよな。試そうと思ったら魔物を相手にするしかない。
だから、王討伐は俺のワガママでしかない。
それにリスティを巻き込んでもいいものか。
と、考えていると、
「手伝うわよ。王を倒すのが使命なんでしょ」
「…………でも、それは俺の都合で――」
言い掛けた言葉を飲みこむ。
たぶん、これをいったらリスティは怒る。
案の定、リスティは好戦的な笑みを浮かべ、
「ク~ロ~ス~。なんていおうとしたの? 口にはしなかったから許してあげるけど、次はないから。アンタがやるって決めたんなら神級迷宮にだって付き合ってあげるわよ」
「付き合ってもらうだけじゃ足りねぇな。一緒に踏破して貰わないと」
「ふふっ。当たり前よ」
男前だな。
女の子に対しての褒め言葉ではないが。俺の寝顔は可愛かったらしいし? 痛み分けっつーことで一つ。
「それで。どうするの」
「リスティは? どう思う? お前もパーティーじゃ、リーダーだったんだろ」
「あたしとアンタなら、アンタがリーダーよ。あたしはリーダーとか柄じゃないし。ステンがやってくれっていうから、仕方がなくやってただけだもん」
……可愛くいってくれたけどさ。思考を放棄するのは違うぜ。
「大前提として王に勝つには俺と王の一騎討ちに持ち込む……ああ、こっちは二人でもいいけど。問題は王のお供だ。王は一体で待ち構えているよーだが……何かあればお供が取って帰って来るのは目に見えてる。コレ、なんとかしないと勝機は無い」
「それならなんとかなるかも」
あまりにもアッサリ言うので聞き間違えかと思った。
だが、リスティがニヤニヤしているので違うと分かった。
「歌うのよ」




