第14話 炎毛の王3
戦場と化したソロンの森。
そこに一風変わった場所があった。
言わば闘技場である。
円状に拓けた森はコロッセオ。観客は八体のアウディベア。何よりルール無用の戦場にあって一対一が順守されているが故に。この場を立ち去れるのは勝者のみ。
赤々とした腕が振りかぶられる。
禍々しい爪は月をも切り裂かんとしている――そんな風に見えた。
「……ふッ」
リスティは爪をサイドステップでかわす。
見え見えの大振りだ。当たる筈がない。
とはいえ、示威としては効果的だ。
地面が陥没する一撃である。目の当たりにしたら心が挫けてしまうだろうから。ユーフでくすぶっている二流の冒険者なら楽になりたい一心から避けるのを止める。
不屈の闘志を持つ一流の冒険者であっても、触れられる距離に死があるのは恐ろしい。知らず距離を取るようになり、攻め手を欠いた防戦の末に――死ぬ。
だが、ここにいるのは――
「ハァッ!」
吹きあがった土砂から、大きな石を拳で弾く。
敵の顔面に直撃。巨体である。身じろぎもしない。だが、追撃を思い留まらせた。
リスティは白い歯を見せる。斧の切っ先を地面に下ろす。うなじに張り付いた髪を手で払う。何気ない仕草。だが、命のやりとりをする中での事だ。
その余裕はどこからくると言うのか。
――ここにいるのは、いずれ英雄と呼ばれるであろう人物だった。
対峙するのは燃えるような毛をしたアウディベアだった。
通常の個体とは毛の色が異なる上に、体格が一回りは大きかった。三メートルはあるか。
アウディベアの王である。
供のアウディベアはいる。八体だ。だが、彼らはリスティが逃げ出さないように、周囲で見張っているだけで、王との一騎討ちに手を出そうとしない。
嬲っているのか?
リスティは最初そう考えた。
だが、こうして長時間――最早時間の感覚ない――戦っていれば見方も変わる。
計っているのだ、冒険者を。
リスティは知らない事であるが、王はホールヴェッダの冒険者から逃げ出して来た経緯があった。ホールヴェッダから漂う不穏な気配を察し、顔も見ないままに撤退したのだ。
戦うことなく逃げ出した。
それは本能が屈したと言う事だ。
まだ若い王にとって看過しえる事ではなかった。
歳経た道具が付喪神になるように、王になるのは歳経た魔物が多い。しかし、王はまだ生まれたばかりの若い個体。偶然にも魔素溜まりから魔素を吸収する事が出来たのだ。
そんなところへウルフエッジが現れた。
王が畏怖した気配と同種の存在――冒険者が。
王と遭遇したリスティは、まずステンとトルウェンを逃がそうとした。
王が一騎討ちを望んでいたからだ。リスティと王がやり合っていても、供が手を出さなかったのである。だが、ステンが加勢する様子を見せると供も参戦の構えを見せた。
三対九よりも一対一のほうがいい。
ならば、と二人を逃がした。
供は二人を追わなかった。
リスティは自己犠牲の精神を発揮したのではない。
邪魔だったのだ。
足手纏いがいたら死ぬ。
そう思ったのだ。
二人とはパーティーを組んで長い。
これと言って不満も無かった――と思っていた。
だが、違っていたらしい。
死線を何度も越えたパーティーメンバーを容易く足手纏いだと断じる。そんな自分の性根を苦笑一つで飲み込むと、リスティは王との戦いに挑んだのだった。
「ガァァァァァ!」
再開を告げる咆哮。
「はいはい、せっかちな男は嫌われるわよ」
魔物相手に通じる訳はないと分かってはいる。
だが、リスティを破ったあの少年は、窮地に立たされてもヘラヘラ笑っていた。そうすれば最悪の状況も容易いものへと変わると信じているかのように。
リスティは駆ける。
獰猛な笑みを顔に張り付けて。
王と一合交える度に強くなっている実感がある。同時に王も冒険者との戦い方に慣れていく。蹂躙しか経験してこなかった王は、並みのアウディベアよりも戦い方が稚拙だった。互いを高め合い――未だ拮抗している。先の見えない戦いにあっても、強くなっている実感に喜びを覚える。もっと。もっと強くなりたい。
人と魔物。
相反する二種。
利害だけが一致していた。
勢いの乗った一撃は王の腕に防がれた。あくまで牽制。とはいえ、血の一滴も流れないのは、いよいよ厄介な状況になって来たと思わざるを得ない。
王の戦い方はアウディベアの枠を超えたものではない。だが、頑強さは別格だった。
氣を練り上げた一撃も普通に受け止めるのだ。
おかげで斧の刃は完全に潰れてしまったらしい。
鋭さの変わらない爪に、鈍器と化した斧を合わせる。力負けする。弾かれるのに逆らわず、その場で旋回して斧をお見舞いする。
一瞬でも王から視線を切るのは恐ろしい。
しかし、無理に体勢を維持しようとすれば、リスティの硬直を見逃さず、王のラッシュが待っているだろう。リスティが普段やっている事だ。結果は簡単に想像出来る。
死なない為には攻め続けるしかない。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
爪。避ける。
「ハアァァァァッ!」
斧。弾かれる。
一進一退の攻防。
リスティはひたすら上半身を狙う。
不自然な程に。
王の腹部を狙うのがもっとも力が入るのだ。だと言うのに斧は徐々に高度を増す。上へ上へと。容易く王に捌かれるようになる。王がリスティの攻撃に慣れて来たのだ。
――慣れ。
その瞬間、リスティは斧を振り下ろす。
狙いは王の足先。
虚を衝かれた王は反応出来ない。
「グオオオオオオオオ!」
王からすれば柱の角に足の指をぶつけた程度の痛みだろう。
しかし、隙が出来た。
月下で交わされた訓練が生きていた。あの時はいなされるばかりで、身になっている実感は薄かった。だが、王と戦っているうちに訓練が血肉となっていった。
それがようやく結実した。
戦いとはまず主導権を握る事。
そして――
「ハァッ!」
斧を使って棒高跳び。
小柄な体躯が宙を舞う。
「アアアアアアアアアアアッ!」
痛みで歪んだ王の顔に蹴りを放つ。
――畳みかける事。
「倒れろォォォォォ!」
仰け反る王の顔に両足で着地し、上に飛ぶ。リスティと斧の加重がかかっては、王も倒れるしかなかった。
大の字に倒れた王。
その真上――両手で柄を握り締めたリスティ。
見るものが見ればリスティの身体が発光している事に気付いただろう。あたかも月光を吸収しているかのように徐々に強く。飛んだ瞬間から氣を練り始めていたのだ。
「食らえぇぇぇ!」
――ドンッ!
手応えはあった。
だが――
「くはッ」
リスティは吹き飛ばされた。何回転かしてようやく止まる。
腹部が熱かった。手を当てるとぬるりとした感触があった。
八体の供がリスティを囲む。
殺気だった様子でじりじりと距離を縮めて来た。
くっ。キビしいわね。
流石にそう思わざるを得なかった。
リスティが生きていられたのは、王が一対一に拘ったから。負傷を抱えての八対一は死刑宣告と変わらなかった。最も諦めるつもりは微塵もないが。
事態は意外な展開を見せる。
供が散っていったのだ。
拓かれた視界の先には健在の王がいた。
「…………あーもー、かったいわねっ」
乾坤一擲の一撃だった。
王も無傷とはいかなかったようだ。左腕が妙な方向に曲がっていた。防がれたのだ。つまり、守勢に回った王を打倒する力をリスティは持っていないと言う事だ。
王は黙ってリスティを睥睨していた。
トドメに来ない。
「……まだ……かはっ……やる気……なの……」
何とも勤勉な王である。まだ学ぼうというのだ。
「……よかった……割れてない」
赤ポットを飲み干す。
最後の一本である。
「さすがは母さんね」
傷は瞬く間に塞がった。
しかし、すぐには立ち上がらない。
少しでも体力を回復したい。
さて、どうするか。
考える。
正直なところ打つ手がない。リスティが頭部を狙っているということがバレた。これからは頭部への警戒を怠る事は無いだろう。頭部以外への攻撃は致命傷には成りえない。
腕は折れた。ならば、もう一方も――とは思うが、二つの理由から出来ない。まず氣を練る暇がない。次に――もうあれだけの威力は出せない。
氣が尽きた。
維持は辛うじて出来るが。
全部を使い切ってもあの一撃には届くまい。
確実な死を間際にして抱いた感情は――不思議な事に申し訳なさだった。折角得た好敵手だというのに、一足先に自分が限界を迎えてしまったのだ。
王が赤ポットを飲むのを見逃したのは、好敵手の復活を信じてだというのに。
……うん、決めた。
戦おう。
限界まで。
強敵を育てる行為かも知れない。
育った強敵がリスティの次に引き裂くのは、ステンとトルウェンだったとしても。
一度認めた相手を裏切る真似は出来ない。
相手が魔物であろうと。
それがリスティという少女の矜持だ。
いや、生き様か。
とはいえ――
「もう減らず口も出てこないわね」
直感が告げていた。
もう長く持たない。
伸びしろを無くしたリスティは程無く王に追いつけなくなる。
それでも――
「……アイツなら何かいうのかな」
何気なく呟いた一言に、リスティは動揺した。
なんで、アイツの事を?
ムカつくヤツなのに。
すぐウソつくし。
ハッと我に帰る。柄を強く握っていた。
戦いの最中に気を抜くとは。
なんて命知らずな――
……おかしい。
リスティは目を疑った。
王は変わらずにいた。
しかし、こんなに巨大だったか?
考え込んだのはほんの一瞬。だが、決定的に何かが変わっていた。
いや、変わってしまった。
戦いに集中するべきだ。僅かな隙が命取りになる。
――だが、堰を切ったかのように、
分かっている。分かっているのだ。駆け出しの冒険者ではないのだから。
――回想が止まらない。
切っ掛けは冒険者ギルドの受付嬢だった。こういう少年知ってる? と聞かれたのである。なんでもリスティを捜しているのだと言う。過去を知っているようだったとも。
――ついに追手が来た。
真っ先にそう思った。
ナナマリアが過去に重大な裏切りをして、追われる立場だという事を聞いていたからだ。なぜ裏切ったのかは硬く口を閉ざしていた。だが、リスティもうろ覚えながら、誘拐された事実は覚えていた。当時の自分が強かったら、誘拐される事も無かったのに――そんな思いがリスティに強さを追い求めさせた。
リスティは強くなった。
冒険者ランクはC。
並みの追手なら追い払える自信があった。
だが、並みの追手でなかったなら――手段を選んではいられない。
少年は冒険者ギルドにエントウルフを持ち込んだと言うのだ。
エントウルフ――Bランクの魔物だ。
ユーフ付近ではまず見ない魔物だが、どこかから流れて来たのか、街道に出没するというので、討伐クエストが発行された事があった。リスティは受けて見たいと言った。だが、ステンが反対した。エントウルフの最大の長所は敏捷性だ。しかも、弱いところを的確につく厭らしさがある。トルウェンを庇いながら討伐が出来るのか、と言う事だった。
そのエントウルフが持ち込まれた。
リスティは受付嬢から詳細を聞いた。
美人な受付嬢の前では少年も口が軽くなったと見え、知りたい事は全て知れた。
討伐したのは少年の父親。
エントウルフは二体いたらしい。
少年と言う荷物を抱えながら、一人でBランク二体を討伐。
――敵わない。
リスティも腕には自信がある。
だが、一体なら兎も角。荷物を抱えながら二体に勝てるといい放てる程新人ではない。
どう考えても父親が本命の追手で、少年はその手先だった。追手だと言うのなら本当に親子関係か怪しいところだったが、リスティに残された手段は一つしかなかった。
――少年の誘拐。
そう、少年の身柄で父親と交渉しようとしたのだ。
それがまさかあんなハメになるとは――
思い出したらなんだかムカムカしてきた。
倉庫。向かい合った時は平凡な――いや、少し頭のおかしい少年に見えた。だが、少年から浮ついたところが消えると、直感がかつてない危機であると騒ぎ立てた。
黒髪。黒目。
珍しい容姿。
だが、それだけ。
リスティの観察眼ではそうだった。
しかし、躊躇うことなく直観に従い叫んだ。
――殺せ!
正直やり過ぎだったと反省はしている。殺す気でやらないと捕えられないと思っただけで本当に殺す気は無かったのだ。たぶん。
それなのにアイツは。
いつまでもネチネチと。
あたしをからかって。
学が無いのは分かってる。
子供のクセに。
人をバカにして。
母さんには凄く親切で。
でも、あたしにはやっぱりバカにした態度。
凄く強いのに。
口にするのは女々しいことばかり。
あたしよりも強いのに。
「……なんでよ」
熱いモノが頬を伝う。
慌てて拭う。
泣いているところなんて見せられない。
見せられない?
誰に?
決まってる。
「……ウソつき……危険……しない、って言った」
唐突に降って来た黒い影――クロスは肩を竦めた。
そう、いつもの通りに。
「そりゃあな、危険なコトはしたくねぇ。よりにもよって王に目ぇつけられてるとかね、なんだかなって思うし。逃げ出したくても配下の熊さんが何か知らんがキレてるわ。もう絶体絶命だろ、コレ。でもさ、俺も男の子なんだよな。結局、男の子ってのは――」
クロスは剣を抜きながら自嘲的に笑う。
「――英雄に憧れるんだよ」
***
俺は王に向き直る。
予想以上にデカい。一回り大きいと証言があったが、恐怖から目算を誤ったのだと思っていた――と言うか思いたかった。うん、ダメだな。いつものやり方で仕留めようにも俺の身長が足りない。そもそもガス欠で出来ませんけども。
腕が折れている以外に目立った外傷はナシ、と。
ますます絶望的である。
魔物討伐に関しては一日の長があるリスティでコレなのだ。
ガス欠の俺が乱入したからといって……ねえ?
しかし、一体全体どうしたら王とタイマンはる事態になるのか。
強者同士ビビっと来るものがあったのか? ビビっと。
……俺は……そうですか、眼中に有りませんか。だと思ったよ、くそっ。
「……………………バカ」
背後からか細い声。
……バカって。助けに来たのにバカって。
本当にやめて? 俺が一番思ってる事なんだから。
なんで考えなしに飛びだして来たかな。せめて退路を確保してから乱入すべきだろ。
でも、言い訳をさせてくれ。全部リスティが悪い。リスティの姿を視認してホッとしたのも束の間、彼女が決死の覚悟を固めていることに気付いたのだ。そこからは無我夢中で走って、気付いたらここにいた――という次第である。
リスティ、潔く散ろうとしてたんだろうな。
武人というか。アホというか。
いや、アホだな。
アホアホだ。
意地汚く生き足掻けよ。
ったく……ホントに……ああ……文句は山程あるのにっ……なんだ……もう……くそっ。
……間に合ってよかった。
リスティから決死の覚悟が消えていた。
減らず口を叩いた甲斐もあったというものだ。正直、足がぶるぶるしてたし、上手い事言えるのかな、って不安だった。でも、一旦口を開いてしまえば立て板に水だった。
クソ神に殺されても俺の口は減らなかったのだ。
この程度の窮地でどうにかなるはずがなかったのである。
たとえ身体が動かなくとも。
口だけは回ってる。
そんな確信がある。
……何の足しにもならない自信ですね。
ずっと燻っていた焦燥感が消えている。
絶体絶命の窮地を脱したワケではない。
しかし、不思議となんとかならーって気分だった。
「リスティ。これに火を点けてくれ」
「…………コレって」
「ステンからの預かり物」
「……無事だったの」
リスティのホッとした声。
……なんか、俺の時と反応違くない?
ヒロインのピンチに颯爽と現れるヒーローの図だっただろう。ぽっ、ってなっちゃわなかったの? リスティがツンデレだったらデレ期が始まるトコなんじゃないの? ここまでやっても好感度上がってないの? え、上がってる? けど、最初に下げ過ぎたって?
リスティに渡したのはステンの丸薬だ。三つ。
魔物の鋭敏な目と鼻をダメにし、追撃を振り切るためのものである。
「道具は?」
「ある。でも……」
「分かってる。時間は俺が稼ぐ」
王との距離を詰める。王の号令一つで俺の命が散るのだと思うと生きた心地がしなかった。だが、仕方がない。距離があると反応してくれないのだ。
「さて、お集まりの皆様方。古来より人と魔物は争ってきました。鶏が先か、卵が先か。何故このような図式になったのか、それはクソ神にでも聞かない限り明らかになる事は無いでしょう。しかし、分かり合う事は出来ないのか。それは試す事が出来ます」
「……アンタ、なにを……」
手を上げて応える。
先日もやったな。
「まずリングでパーティーを開き、パーティー作成をタップ。臨時パーティーなので、パーティー名は暫定でいいのですが、折角なので決めましょう。《神様に見放されたい十歳児と、赤いのは返り血? はは、まさか地毛ですよ、森の熊さんズ》。如何でしょうか。気に入って頂けたでしょうか。では次に詳細の設定を。《AGO》ではドロップアイテムの分配方法を決めたり――」
「ガァァァァァ!」
王が俺に突進してくる。
山が迫って来るかのような圧迫感に腰が引ける。
短気な野郎だぜ。
空気読めよ、もー。
「逃げてッ!」
リスティの切羽詰まった声。手を振って安心させてやりたいが――そうもいかない。
俺のおててにはやる事があるのだ。
リスティと手を繋ぐ?
それは大事だ。でも後でだな。
さて、ポチっとな。
「…………はっ、はあ?」
リスティの呆けた声。
ま、分からないでもない。
王は爪で俺を引き裂かんとした格好のまま――止まっていたのだから。
「リスティ、長くは持たない。急げっ」
「あっ、う、うんっ」
我に返ったリスティは火打ち石で火口に着火を試みる。火口に火が付いたら更に導火線に火を付けると言う手順だ。トルウェンの火種の魔法に頼りきりだったのか、道具はあってもうまくないようだった。
俺と王の間に障壁のようにはだかるものがあった。
コレこそが王が動きを止めた理由。
――パーティー申請画面。
人にパーティー申請を送っても画面が見えない。だが、何故か魔物は画面が見えるようなのだ。俺には見えない画面がもう一枚開いていると思われる。魔物の目の動きからそう推測した。何も無い虚空を目が泳ぐのはかなり不気味な光景である。
パーティー申請された魔物は一時的に敵対を止める。
申請がタイムアウトされるまでの三十秒間である。
「げへへへ、ダンナ、ちっとアッシとパーティー組んでみやせん?」
と言っている程度のものなので、ヘイトを稼ぎ過ぎていると、問答無用で襲ってくるので過信は禁物だ。
また、敵対を止めるといっても油断してくれているワケではないので、奇襲も通用しない。加えてタイムアウトした暁には、騙された事に気づいた魔物が怒り狂って襲ってくるので、本当にただ単に三十秒間時間を稼ぐ事が出来るだけなのだ。
だが、加勢がアテに出来る状況だと有用である。
これをパーティー申請バグと呼んでいる。
なんで分かったかと言うと。
俺のジョブは実は魔物使いだったりしねぇかなぁ、なんて夢見て試してみたのだ。
結果は狼にお尻をガブガブされそうになった。ブラスが間に合わなかったら、俺のお尻に蒙古斑が増える事になるところだった――って、ないけどね、蒙古斑。
口上は必要だったのかって?
ないよ。
でも、喋ってないと不安じゃん。
だが、これで三十秒は稼げ……はっ、はあああ?
目を疑った。
+――――――――――――――――――――――――――+
《パーティー名》クロスのパーティー
《リーダー》クロス
《人数》2~4
《罰則》なし
《戦利品》各自拾得
+――――――――――――――――――――――――――+
全ての項目はデフォルトで作った。パーティー名云々と言っていたがあれは嘘だ。ノリだ。バーチャルキーボードでカチャカチャやってるヒマなんて無かった。
王の手は動いていない。
だというのに、
+――――――――――――――――――――――――――+
《パーティー名》炎毛の軍勢
《リーダー》クロス
+――――――――――――――――――――――――――+
と、書き変わっていた。
おかしい。
パーティー名はリーダーしか……つか、設定弄れるのはリーダーだけなの。
と、思っていたらまた変わった。
+――――――――――――――――――――――――――+
《パーティー名》炎毛の軍勢
《リーダー》炎毛の王
+――――――――――――――――――――――――――+
あー、なるほど。
リーダーが王なら設定が変えられるのも当然ですね――とでも言うと思ったか!
は、え、なに、どういうコト?
組めるの?
パーティー。
魔物と?
にらめっこで終わりじゃなかったの?
王相手だから、こう言う事に?
つか、え? リーダー、え? 王って。
俺メンバー扱い? この暴君の下で働けと?
ムリムリ。
ブラック企業で働いた方がマシ。
あ、でも、パーティーメンバーだからって、見逃してくれるならこのままでも――
+――――――――――――――――――――――――――+
《パーティー名》炎毛の軍勢
《リーダー》炎毛の王
《人数》2147483647
《罰則》抵抗:苦痛 反抗:死
+――――――――――――――――――――――――――+
……げ、ぇぇ。
なにこの人数? え、本当に? コレがもし本当なら国が滅ぶレベルだろ。あ~ビビらせんなよ。パーティーの上限か。にしても……この数値、どこかで見たような……
ああ、分かった。
Integerだ。
整数型だっけか。
データを保持するためには変数ってのが必要で、どんなデータを保持するか宣言する必要がある。Integerはその型の一つ。数値を保持するための型。で、保持できる最大値が21474……という感じ。あ、後半は省略しただけで、覚えてないとかじゃないんで。
数値を保持するのは大抵、Integerで事足りる。メモリが少なかった昔のゲームだと、255なんて数値が散見されるが……それはByte型の最大値なのだ。Byte型はメモリを食わないので、昔はそうやってやりくりしたのだ。タメになるねっ。
……ふぅ。現実逃避終わり。
心の安定を取るためにフザけてしまった。
……いや、だってさあ。
――罰則。
反抗が死、だと?
抵抗は苦痛があるって言うし。孫悟空の輪っかかよ。
王が同族を従える事が出来るハズだ。
タマ握られたら従うしかないもんな。
あ、でも……お供の様子を見る限りではそうとも言えないのか? 忠誠心のパラメーター振りきれてるみたいだし。他の連中もイヤイヤ従ってるって感じもない。
《AGO》でも罰則の項目はあった。VRMMOなので美人を見るとコナかけてくる男が多かったからだ。主にセクハラ対策として罰則はあった。どうせパーティー組む相手もいないんだし、と調べもしていなかったが……まさか、こんな設定だったとは。
取りあえずキャンセルをしよう。
……出来ないか。
やっぱりな。
リーダー奪われた時点でそんな予感してた。
パーティー画面には次々と新しい項目が出来て行く。
文字化けして読めなかったが。
……魔物の先兵になって働いたら、衣食住は保証して貰えるのかなあ、とお先真っ暗な将来を夢想していると、
「ついたっ!」
リスティの合図があった。
「……あ、こっちに投げてもらえます?」
「はっ、はあ? なに落ち込んでんのよ、アンタ!」
「……ごめんなさい、俺就職するかも知れません。真っ黒な企業に」
「バカ!? アンタ、バカなの!?」
「……はは、止めてください。本当の事だからこそ傷つく事もあるのですから」
火の点いた丸薬が俺のところへ転がって来る。
一つ。
煙幕が――
二つ。
もうもうと――
三つ。
――立ち上る。
多いよっ。
「げほっ、げほぅ」
あっ、煙い。目がっ、目がっ。は、鼻も、く、くさっ!
……これはもう、俺が魔物の一員になってしまった証拠なのか……
そう思うと熊達にも愛着が……
おお、王よ。おいたわしい。鼻を抑えて悶えて。
おや、お供がこっちにくる。やあやあ、これまで王につかえてきて御苦労。だが、これからは我こそが第一の側近として王に侍る所存である――
くっ。煙がっ。
目がチカチカする。
本当に人体に害はないんだろう……ん?
ちげぇや。
チカチカしてんの文字だった。
――パーティー申請が受諾されませんでした。
お。パーティー申請が。
タイムアウトしてら。
ははあ、最後の最後で決定を押せなかったんだな?
ざまァ。
「よくやった、リスティ! これで熊嫁ルートは回避だっ!」
「はあ!? もう、なんなのよっ! アンタはっ! バカ、バカ、バカっ!」
そう言われましても。
妄想が走り過ぎていただけですが? この俺が熊軍団に加わるのだ。当然、快進撃を繰り広げるだろう。築いちゃうよ、帝国。俺の地位もぐんぐん上がる。宰相になるところまでは良かったんだけどな。まさか、貴族たちがこぞって俺に嫁を押し付けようとするとはね。まー、その嫁ってのがさ。分かるだろ? 熊なんだよ。みんな。美人だっていうんだけど、俺からすると熊なんだよ。断る時も相手を傷付けないよう配慮するのが大変。肉球を褒めるといいらしい。そんなテクニックを三つも編み出してた。この短時間で。
俺、すげぇ。
ここのところシリアスだった反動だろうか。
ちょっと自分でもヒクぐらい妄想が走ってたな。
いや、ようやく平常運転になったと言う事か。
……これが平常運転か……うん、いいな。
「リスティ、目を閉じてろ。この場は俺がなんとかする」
リスティは文句を言うでもなく目を閉じた。
……え、なにこれ。素直ォ。逆に怖い。
ま、やってやろう、って気にもなるが。
女の子から期待をかけられて、発奮しなかったら男の子じゃない。
転生はしたが性転換した覚えは無いんでね。
「……ぐっ、ぐぅぅ~~~~」
痛い。イタい。イタい、イタっ、痛い!
もう熊にバクバクされた方が楽でいいんじゃね、って思いながら神眼を開く。
「グググオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
王が吠えた。やあ、キレた。
折角俺が歩み寄りの態度を見せたのに、無茶な契約結ぼうとしたのそっちだろ。
逆ギレもいいところだな。
「悪いが逃げさせて貰うぜ」
俺は右手で剣を掲げる。
戦う?
まさか。
剣に意識を逸らしての――指弾。
「はっ!?」
顔面を狙ったのだが防ぎやがった。初見で防がれたのは初めてだ。
警戒させただけで良しとしよう。王は煙幕を嫌って後ずさっていた。俺の参戦もあって、お供に任せるつもりなのだろう。
リスティが三つも投げくさってくれたので、周囲一帯は白い煙で覆われつつあった。
多分、ステンは三回に分けて使え、というつもりだったのだろうが……まあ、結果オーライか。拓けた場所だ。三つ使わなければ効果を発揮出来なかったかも知れない。
剣を収める。リスティに駆け寄り、
「ひっ」
小脇に抱える。
「…………俺、だよ」
……肘が腹に入った。声かけなかった俺が悪い……のか? くそっ、ドサクサに紛れて胸揉んでやる!
八方向からお供がやって来ている。
この包囲網を抜けるのは容易くない。
が、煙幕に突っ込んで来たというのなら話は別だ。
「ガアアアアァ」
「ゴオオオォ」
やはりな。
忠誠心で耐えてはいるが、煙幕はキツいらしい。悲鳴が上がっている。
俺はリスティを抱えたまま、お供目掛けて突き進む。
互いに無視界。
条件は五分――かというと、そうでもない。
俺にはお供の位置が見えている。
そう、神眼だ。
密度の薄い場所を縫って煙幕を抜ける。
目を開ける。
……痛い。
ダメだ、目が開けられねぇ。
「リスティ、目ぇ開けて指示くれ」
下ろしてと言うので下ろすと、今度は俺が小脇に抱えられた。
「こっちのほうが早い」
「あっ」
「なにかあった?」
「……いや」
……揉むチャンスが。
「リスティ、余力は?」
「ないわね。アンタは?」
「……正直、今下ろされても走れるか……微妙……」
緊急事態なので文句は言わないが……リスティは俺を荷物か何かと勘違いしてないか。ガックン、ガックン、気持ち悪いんですが。とか思いつつもウトウトしてきてしまうのだから疲労は推して知るべし。自覚していた以上に、気力だけで動いていたっぽい。
「分かった。休憩しましょ。近くに洞窟があったから」
「バレないか? せめて匂いを落とさないと」
あ、でも。熊達は鼻がバカになっているのか?
いつかは回復するだろうが……いつかっていつだ?
「……そーね。川も確か……近くに……」
「悠長に水浴びしてる時間は無いけどな」
水浴びか。平時なら嬉しいイベントだけどな。
水のせせらぎが近付いて来る。
……ん?
お、おやあ?
リスティが減速する様子がない。
「お、おい、リスティ」
「ひゃっ、ほおーーーーーいっ」
「水浴びの掛け声じゃないよねっ、それっ!」
着水。がぼっ。水を飲んだ。く、苦しい。パニックになる。上も下も分からない。あれっ、俺って泳げたっけ? 前世では泳げてた。あ、転生してから泳いだこと……あったか? ないな。落ち付け。経験はあるんだ、出来るハズ……あれ、足付く? つか、あ……マズい。神眼の反動も来た。頭が痛い。あ、もう何考えて……揉む……なにを? ……ワケが分かん……身体が……重い……鉛みたいに……疲れ、だな……ああ、ダメだ……
「――――っと! ねえってば!」
リスティの焦った声を聞きながら、俺は意識を手放した。




