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異世界のデウス・エクス・マキナ  作者: 光喜
第1章 流浪編
20/54

第12話 炎毛の王1

 魔物は臣従しない。

 群れを形成する事はある。しかし、群れのボス同士は同格だ。従わせたいのであれば力を証明するしかない。だが、唯一の例外がある。同族を無条件に従わせることが出来る存在――それが王だ。


 王はいずこから現れるのか。

 歳経た魔物が魔素を大量に取り入れる事で王へ変化する――というのが有力な説だ。

 現象が仮説を裏付けていた。

 王の出現は察知できる。放埓な魔物に規則が生まれるからである。群れない魔物が一箇所に集まったり、人を襲わない魔物が襲って来たり――という具合である。或いは縄張りを重視する魔物が生息地を飛び出し――年端のいかない少年に討たれたり。

 冒険者ギルドは魔物の異変を受けてクエストを発行する。

 まずは調査。王が発見出来れば討伐クエストという流れ。

 この際、発見される王は必ず成体なのだ。

 故に王は生まれるのではなく、変化したものだと考えられている。

 

 王の性格は個体によって違う。

 極端な話をすれば争いを厭う王が誕生すれば、凶暴な魔物とて残虐性を押し殺すのだ。

 王が危険視される理由だ。

 生態を無視した命にすら服従させることが出来るのだから。

 権謀術数が渦巻く人の王よりも、余程王という言葉が相応しい。

 

 そんな王がアウディベアに生まれた。

 

***


 ソロンの森。

 ユーフの住人はただ北の森と呼ぶ。森は北にしかない為、それで事足りるのだ。

 森を北に行くとチネルの町がある。クロスも立ち寄った市壁の整備に失敗した町だ。

 更に北へ進み森が途切れれば、見えてくるのはホールヴェッダ。領主が居を構える都市である。


 アウディベアの王発見の報を伝えたのは、そのホールヴェッダの貴族であった。

 狩りをしている最中に襲われたのだと言う。

 貴族は一命を取り留めたが、護衛の騎士の大半は帰らなかった。

 冒険者ギルドで緊急クエストが発行された。

 緊急クエスト。強制的に冒険者をクエストに参加させる事が出来る。

 王が発見されたのはホールヴェッダの付近である。かつ、動けるBランクパーティーが複数あった。

 事情に通じているものほど、王の命運は尽きたと信じて疑わなかった。

 しかし、王は討たれなかった。

 冒険者が動かなかったのである。

 危険を察知した王はいずこかへと消えた。


***


 チネルには幾つもの不幸が重なった。


 一、冒険者と騎士の不和。

 ホールヴェッダの冒険者が王を討てなかったのは、騎士団から待ったをかけられたからであった。王の最初の犠牲者となったのは騎士である。体面を気にする騎士団が、雪辱を晴らす機会を欲したのだ。しかし、騎士団は腰が重い。ソロンの森に騎士団が到達する頃には王は姿を消していた。


 二、チネルの冒険者の減少。

 冒険者は金の無い場所には寄りつかない。加えて冒険者がクエストを行わないと、自然魔物の討伐が滞り危険地帯が出来あがる。冒険者は危険には聡いので、更に寄りつかなくなる――という悪循環であった。このため、ソロンの森の様子がおかしいことに誰も気付けなかった。


 三、市壁の存在。

 町民にとって市壁は貧困の象徴である。目に入れるのも忌々しい。そんな気持ちを誰しも抱いていた。運が悪い事にアウディベアの一群は、市壁の方角から進んで来ていたのだ。町を守る筈だった市壁が魔物の接近を隠したのだ。皮肉な話としか言いようがない。


 四、金の欠如。

 全ての不幸を生み出した根本とも言えるが、最も割を食ったのが衛兵だった。金がないと言う事で半数の衛兵が解雇されていた。それだけでも問題だが、一方的な解雇に腹を立てた衛兵は見回りを怠るようになっていたのだ。


 かくして悲劇が生まれた。

 アウディベアの接近に気付いた時には既に手遅れになっていた。冒険者ギルドが緊急クエストを発行する事も出来なかった――と言うと、混乱ぶりが良く分かる。

 Cランクの魔物に対し、有効な手を打てるものはいなかった。

 頼みの綱の冒険者はいち早く町を脱出していたのだ。

 町は蹂躙された。

 大勢の死傷者が出た。

 町民は這う這うの体で町から逃げ出す。

 組織だった行動など取れるはずがない。それぞれが思う方向へと逃げた。

 アウディベアは町を壊滅させると、最も大勢が逃げた方向へと進みだした。

 即ち、南へ。

 そう、ユーフの方角である。

 町民は襲撃を受ける度に散り散りになり、ユーフに到着出来たのは僅かだった。

 たったの十一名。

 クロスの気転によって救われた彼らである。

 彼らはチネルの町民だった。


 僅かな休息を取ると町民は口々に訴えた。

 チネルの町の壊滅。そしてユーフの危機を。

 町民の話を総括すると王が率いているとしか思えない事態だった。

 冒険者ギルドの職員の気持ちは総じて「まさか」というものだった。

 冒険者ギルドでは近隣で発行された受注履歴を確認出来る。ホールヴェッダの幾つものパーティーが王の討伐クエストを受注しているのを確認済みだ。王が出たと話のタネにするだけで、動向を探らなかった彼らを責める事は出来ない。

 王は生きている。

 その前提に立ち改めて話を聞くと、一人が王らしき姿を目撃していた。

 

「一際大きなアウディベアがいた。体毛は燃えるような赤だった」

 

 炎毛の王率いる一群がユーフに接近していた。

 

***


 アウディベアの一群が南進中。一両日中にユーフへ到着の模様。

 一報は瞬く間にユーフの町に広がった。

 ただちに緊急クエストが発行され、冒険者ギルドに冒険者が招集された。職員から簡単に概要が説明されると、冒険者達の合議により、町の北部で迎え撃つ事が決定。数時間後にはユーフの北部に簡易キャンプが完成していた。南進の速度が予想出来ない以上、日をまたぐ可能性もあったからだ。

 平行して衛兵は哨戒を開始。冒険者は協調性に欠けた人物が多い為、団体行動に長けた衛兵に御鉢が回ってきたのだ。北の森に変化があれば、最速でユーフへ伝達出来るよう人員が配置された。


 簡易キャンプでは主だった冒険者で方針が話し合われていた。

 しかし、船頭多くして船山に登るの通り、一家言を持った冒険者が意見を譲らず、会議は収拾する様子を見せずにいた。元より彼らはパーティー単位でしか話し合いを行ったことがないのだ。進行役を出さなかった冒険者ギルドの不手際と言えるかもしれない。

 或いは――

 

「魔法使いを主軸に据えるべきだ」

「ハッ。腰砕けになってる連中に何が出来る。奴らが魔法を使えんのは俺達が身体張って魔物を足止めしてやるからだって事を忘れて貰ったら困るぜ」

「それよりアウディベアの弱点は」

「ねぇよッ」

 

 ――絶対的強者の不在である。


 アウディベアはCランクの魔物。ここにいる冒険者もCランク。1パーティーでアウディベア一匹と対等に戦える事を意味する。平時であればパーティー単位で勝手に戦うのも良かった。しかし、今回はアウディベアの王が誕生し、群れで行動していると言うのだ。冒険者もまた組織として戦わねば勝ち目はない。

 だというのにこの低落。

 ユーフに高ランクの冒険者がいなかった事が響いている。

 中にはBランクの冒険者もいる。だが、パーティーで平均してしまうと、Cランクに落ち着いてしまうので、明確な上下関係が付けられないのだ。

 

「……なあ、モメてる場合じゃねぇと思うんだが」


 見かねて発言した男がいた。正論だ。だが、いった人物が悪かった。

 何しろその人物の手には――


「はァ!? 何言ってやがる! 酒飲んでるヤツに言われたかァないなッ!」

「そうだそうだ、テメェは引っ込んでな」

「なんだってお前みたいなヤツの為に俺達が働いてやらなきゃならねぇんだ」


 火に油を注いだだけだった。


「…………酒の事は悪いとは思うが……でもよお」

「止めとけ、ブラス。分が悪い」


 男の隣にいた少年が制止するが、遅かった。


「ガキ連れかよ。あん? マリアんトコのガキか。ガキはマリアんとこに帰んな」

「大体、テメェなんでここにいる。呼ばれたのかよ」

「おい、待てよ。それより先に聞くことあんだろ。お前さ、ランク幾つよ」


 男は真っ直ぐに冒険者たちを見詰めながら、


「Dだ。でもよ、ランクで全部決まるってワケじゃ――」


 爆笑。

 冒険者達は指を指して酔漢を嗤う。

 一しきり罵倒の台詞を浴びせかけると、


「誰かッ。コイツら連れてけッ」


 男と少年が会議の場から連れ出される。

 簡易キャンプから離れた場所で、男が肩を落とす。

 

「…………説得出来なかったなあ」

「説得なんてするからだろ。半殺しにしてから命令しとけ。お前なら出来ただろ、ブラス」

「多分な」

「なら、やれよ」

「酒飲んでる時点でダメだ。俺に人の上立つ資格は無いんだ、クロス」

「……チッ。クズが。だから、酒止めろっていつも言ってんだろ」

「…………荒れてるな」

「……うるせぇな。平常運転だよ」

 

 少年がガシガシ頭をかく。耳が痛い、というように。


「リスティちゃんが心配か。でも、今はダメだ。森に入れば間違いなく魔物の大群と戦うハメになる。お前の欠点はな、持久力の無さだ。確実に死ぬと分かっている場所に行かせるワケにはいかねぇ。こんなんでも一応親代わりなモンでよ」

「……お前ならどうだよ、ブラス」

「俺が抜けたら誰が町を守る」

「冒険者が守るだろうさ。つか、リスティ見捨てるのかよ。大を助ける為に小を殺すってか。ハッ。お偉いこって」

「違う。彼女が冒険者だからだ。町にいるのは戦う力を持たない人だ。そこを履き違えるな。守るべきモノが間違っている時、自分の道も違えているモンだ」

「…………経験談か?」

「んー。酔っ払いの愚痴さ。ま、そのうちひょっこり戻って来るかもだ。今はただ無事を祈ってようぜ。あの連中を見る限りだと、ユーフ最強ってのも満更嘘じゃねぇ」

「…………ああ」


 緊急クエストが発行されたからといって全ての冒険者が集まる訳ではない。

 発行された事を知らなければ集まり様がないからだ。

 クエストで町を離れているパーティーは何組かあった。

 その中にウルフエッジの名もあった。

 受けたクエストはアウディベアの討伐。

 アウディベアの生息地は森。

 そしてユーフで森と言えばソロンの森しかない。

 

 少年が北を向く。

 夕陽が彼の険しい顔を赤く染める。

 もうすぐ夜が来る。

 

***

 

 夜。爪先すら見通せない暗闇。

 篝火が闇を淡く滲ませていた。浮かぶのは無数の冒険者達だ。普段なら酒場でクダを巻いている時間である。しかし、張り詰めた緊張は疲れと化し、快活な彼らから言葉を奪っていた。元々冒険者は攻めに長けているのだ。いつ襲いかかられるやも知れぬ恐怖は、思った以上の緊張を冒険者に強いていた。

 その時だ。

 冒険者は武器を手に一斉に立ち上がった。

 簡易キャンプに何者かが突入して来た。

 一騎だ。


「降りろ!」

 

 馬から降りたのは顔面を蒼白にした衛兵だった。

 ようやくたどり着いたかと思えば、無数の武器が付き付けられているのだ。

 彼は口をパクパクさせるだけで声にならない。

 だが、それで伝わった。


「……来たか」

「……の、ようだな。おい、誰か。衛兵に水をやれ」

「…………夜は勘弁して欲しかったぜ」


 出来れば日中に迎撃したかった。

 簡易キャンプを離れ、平地に展開する。魔法使いが前面。戦士がその背後につく。

 罠の類は一切ない。

 なるほど、有効に運用出来れば罠は有用かもしれない。

 だが、雑多な冒険者では同士討ちが関の山だ。

 つまり、純粋な力比べが始まる。

 

「くそっ、逃げてぇ」

「……口にはすんな」


 たしなめた冒険者も気持ちは同じらしい。

 緊急クエストは強制ではあるが、逃亡までは防ぐ事は出来ない。罰則はある。少なくとも逃亡すれば、冒険者として名を売る道は閉ざされると考えていい。

 だが、命あっての物種である。

 とはいえ、逃亡した冒険者はいない。

 良くも悪くも彼らはユーフの冒険者なのだった。家庭を持っている者も多いのだ。

 

「家族を守れて。緊急クエストの報酬を頂ける。運がいい。そう考えな」

「ちげぇねぇ」


 十分が経ったか。或いは三十分か。

 曖昧になった時間感覚の中、冒険者は減らず口を叩く。

 ふと会話が途切れた。意図した訳ではない。単なる偶然である。

 静寂を埋めるかのように、聞こえてくる音があった。


「お出ましだ」

「……あ、あ痛たたァ……は、腹が痛くなってきやがったぜぇ」


 地響きだ。

 来る。近い。

 

「よォし、打ち上げろォ!」

「あァん!? なんでテメェがし切ってんだ、コラァ! こっちもだ、上げろォ!」


 合図と共に魔法使いが天に杖を向ける。


照明(ライティング)

「照明」

「照明」


 煌々と輝く光が無数に生まれた。

 ここに集まった冒険者の内訳は魔法使いが十名に、戦士が四十名である。後は酔漢と子供がいたが、これは除外する。

 照明は明かりを生み出す魔法である。一旦、生み出してしまえば暫くの間は持つ。持続時間と明るさは術者の力量に依存。つまり、空に輝くのは十個の光。等間隔に生み出されているが、明るさに濃淡があった。

 

「……五十は……いそうだな」

「…………くそッ……くそッ……」


 彼我の数は拮抗していると思われた。

 冒険者よりも巨大な体躯である。その威圧感たるや、町民なら逃げ出す。


「つまり、二人で一匹ってトコだな」


 繰り返すがアウディベアは冒険者と同数はいる。

 だが、冒険者はこういい――そしてそれは真実だった。

 何のために前衛が務まらない魔法使いを前に出しているか、という事である。


「出し惜しみはナシだ! 各自、一番でけぇのを一発ブチかませ! 魔力の温存は考えなくていい。カマしたら後ろに下がって待機。分かったなッ」

「だから、仕切んなッ! あーまー、でも同じだっ。言いたい事はッ!」


 返ってきたのは大音声。

 魔法使いが各々、呪文の詠唱を開始。

 そうしている間にもアウディベアの大群は近付いて来る。

 誰かが逸った。舌打ち。まだ早い。だが、焦りは連鎖し、魔法が立て続けに飛ぶ。

 

 火の玉が爆発する。

 風の刃が切り裂く。

 氷の槍が貫く。

 石の杭が突き刺す。

 

 悲鳴。怒号。歓声。悲鳴。悲鳴。


 もうもうと土煙が立ち上がっていた。

 煙のカーテンを破って、アウディベアが一匹、一匹と飛び出して来る。四本足で走っていた。全身から血を流しながらも、闘志をまるで失っていない。

 煙が晴れた。

 予定通りアウディベアの半数を倒していた。

 十名の魔法使いで二十から三十を削ったのだ。

 火力職の面目躍如である。

 魔法使いの仕事はここで終わりだ。魔力は青ポットを飲めば回復する。しかし、乱戦では魔法使いの火力が大きすぎるのだ。夜で視界が悪いのも響いている。

 

「行くぜぇぇぇえ!」

「お、おおおおおおおォ!」

「くたばりやがれぇぇぇ!」


 冒険者とアウディベアが衝突。

 列を乱されたのは冒険者のほうであった。氣闘術を使えばアウディベアとだって、五分の打ちあいも出来たかも知れない。しかし、アウディベアには助走があったのだ。

 冒険者は旗色が悪くなれば逃げるのが常だ。

 それが躊躇いを生んだ。

 明らかな失策である。

 

「おいおいおいおい。じょ、冗談だろぉ」

「待て、引くな! ちっ。こっちに人寄こせ!」

 

 結局、これが全てを決した。

 連携が取れなくなった冒険者に勝ち目は無かった。


「ああッ!? なんで後ろから……誰もいねぇのかよっ!」

「魔法使い! なんでもいいっ、撃てっ!」

「離れろ! 巻き込む!」

「それができねぇからいってんだろーがッ!」


 個々の力で勝るアウディベアが、局地的な勝利を積み重ねる。一矢報いた者もいるが、戦況を覆すには至らない。敗れた冒険者は赤ポットを飲み、再び挑むも結果は同じ。死んではいないが、戦列への復帰は難しい。アウディベアに打ちすえられて即死しなかったのだ。上手くすれば対等な戦いが出来ていたのは間違いない。


「王はッ!?」

「いないみてェだがッ! クソっタレッ!」

「ぎゃああっ、痛てぇ、いてぇ!」


 地に伏した冒険者達。

 祈りを込めて、他の冒険者の戦いを見る。

 彼らがまだ生きていられるのは、生きのいい冒険者が残っているからに過ぎない。王に従えられたアウディベアは極めて軍と似た気質を持っているようだった。本能を満たすよりも先に、まず王の命令を遂行しようとしていた。

 一人、また一人と冒険者が倒れる。

 もう半分はやられてしまった。

 祈りは届かない。

 

「……くそっ」

「…………死にたくねぇ。死にたくねぇよぉ」


 痛切な泣き声。しかし、言語を解さない。アウディベアは。

 そう、アウディベアは。


「チッ。うぜェ」


 少年だった。まるで闇が形になったような少年だった。髪も、目も、黒かったのだ。

 この場にマリア薬剤店の店員を知らないモグリはいない。

 誰もが気付いた。

 クロスだと。

 そして誰もが思った。


 ――誰だ?


 それほどまでに彼の纏う雰囲気が違ったのだ。

 簡易キャンプに来ている事は知っていた。ポットを届けに来ただけで、戦いが始まれば町に戻るのだと誰もが思っていた。しかし、未だにここにいる。

 無傷で。

 

「……ったく、頼むぜ。たかが前座で俺を出さないでくれ」

 

 クロスが消えた。

 彼を狙っていたアウディベアも、拳の振り下ろし所を見失っていた。

 

「まずは一匹」


 ドウッ。

 アウディベアが倒れた。胸をかくようにして事切れていた。

 冒険者は目を疑った。自分達が苦戦していた魔物をいとも容易く仕留めたのだ。

 年端もいかない少年が、である。

 

「二匹」


 再びアウディベアが倒れた。今度は即死のようだった。


「三、四匹っとォ」

 

 アウディベアが倒れる。だから、そこにクロスがいる。まるで因果が逆転したかのような光景だった。クロスの気配は希薄な上、巧みに闇を利用して姿を消していた。

 クロスが手にした剣からは、新鮮な血が滴り落ちていた。


「…………す、すげぇ」

「…………何モンだよ、あの坊主」

「いいぞ、やれぇ! やっちまえ!」

 

 感嘆の声が上がるもクロスは渋面だった。

 見た目程、余裕がある訳ではなかった。

 

「ちっ!」


 クロスが足を止めた。

 アウディベアもここまで同族を殺されれば手口に気付く。

 剛毛で覆われた腕で喉元を隠していた。これでは致命傷を与えることが出来ない。

 つまり、


「……はあ。お手上げだな」


 弱点が狙えない以上、剣を振るっても無駄だ。

 一応、試しに狙ってみるが、やはり腕を斬り落とせなかった。

 

 まるで諦めたかのような発言を耳にした冒険者はクロスを叱咤する。彼が最後の砦なのだ。彼にアウディベアが集中しつつあるから、他の冒険者達も戦えていた。

 ある者は宥め。

 ある者は褒め。

 ある者は叱り。

 戦わせようとするが、クロスは剣を振るわない。

 諦めたのか。

 ある意味ではそうだ。

 勝ち目が消えたのか。

 それは違う。


「おせぇよ、ブラス」

「…………う、うえぇ。く、食ったモン、全部戻しちまった、ぜ」


 身の丈はある大剣を引きずり、ブラスが現れた。


「ちょっ、待てよぅ。酔っ払い! 止めとけ! 死ぬだけだぞ!」

「構うか! 死んでも惜しくねぇ! 自殺したいならしてもらえ!」

 

 冒険者が騒ぎ立てる中、クロスとブラスは平静だった。

 血の匂いが漂う戦場にあっても、普段と変わりの無い態度である。


「吐くならもっと早く吐いとけよ」

「…………平気かなあ、ってよお」


 嘆息すると、クロスはバックステップ。

 寸前までクロスがいた空間にブラスが飛びこむと大剣を振るう。


「…………」

「…………」


 赤が弾けた。

 アウディベアは変わらず立っていた。

 だが、死んでいる。

 誰の目にも明らかだった。

 なぜなら、頭が吹き飛んでいたのだから。


「……はあ?」

「……ンなっ!?」

「……へっ、へぇ!?」


 戦いの場に似合わない頓狂な声が幾つも上がる。

 

「…………ああ、気持ちワリぃ」


 愚痴をこぼしつつ、ブラスは次の標的へ向かう。

 アウディベアは両腕で頭をガードしていた。並みの冒険者の一撃であれば、防ぐことが出来ていただろう。しかし、ブラスは並みでは無かった。


「おらよ」


 ガードごと頭部を粉砕した。

 これには冒険者も声を失うしかない。クロスが戦っている際には、声援を上げていたのに、である。それほど展開されている光景は常軌を逸していた。


 Sランクの冒険者が戦う時こういった雰囲気になる。だが、Sランクならばまだ納得もできる。常軌を逸した連中だと頭にあるからだ。しかし、ブラスはDランク。本人がいっていたのだ。間違いない。


 もう冒険者は呆れたらいいのか喜んだらいいのか、何が何やら分からなくなっていた。

 大半の冒険者達はブラスの活躍を歓迎していた。

 称賛。憧憬の眼差しがブラスに向けられていた。

 だが、数名、死人のような顔色の冒険者がいた。

 会議でブラスを馬鹿にした連中だった。


 自分達が手も足も出なかったアウディベア。

 それを歯牙にもかけず屠って行く。

 格の違いは明白だった。

 その彼に何と声をかけた?

 

 ――阿呆か、テメェ。Dランクなんてなぁ、女子供のランクじゃねぇか。

 ――DランクならDランクらしく、草摘みでもしてんだなっ。

 ――冒険者名乗るんならせめてCになってから出直してきなッ。


 罵倒されてすごすごと去った男と、勇猛果敢に戦う男とが結びつかない。

 いや、結びつけて考えたくないのだ。

 本当に同一人物だとしたら――仕返しされる。

 建設的な意見を上げず、主導権を握るのに躍起になっていた連中だ。

 見栄は人一倍だった。

 だからこそ、そう考えた。

 

 ――仕返し。


 つまり、もう疑っていないのだ。

 ブラスがアウディベアを駆逐する事を。


「おお、まだやんのか。止めとけつっても、分かんねーんだよな」


 向かって来るアウディベアの上半身を粉砕した。

 肉片を避けながらクロスが他人事のように言う。

 

「哀れだな。酒代になりに来たか」

「おー、おうおう。なら、酒で供養してやるさ」

「どうせ吐くんだろ。供養にもなりゃしねぇ」

「かてーことゆーなよ」

「かたい? ハッ。全然だろ。言ってやろうか。普段からなんでこの働きが出来ないんですか、父さん、ってな」

「うー、すまん。もうすまん。すまんったら、すまん」


 のほほんとした会話をしながらも、ブラスの猛威は続く。

 防御?

 はいはい、お疲れさん。

 そんな感じでアウディベアが砕け散る。

 

 それを眺めながらクロスは苦虫を噛み潰していた。

 火力の違いをまざまざと見せつけられては、至らなさを実感せざるを得ない。身体が出来あがればこの程度出来るようになるとブラスは言っているが、「本当かよ」と首を傾げずにはいられない。よしんば出来たとしても、真っ向から防御を突破する方法では、倒せて三体が限度な気がした。氣の総量は遅々として増えないのだ。

 未だブラスの底は見えない。

 化物め。

 

「……やっぱ常識外れだったか」


 冒険者の様子を見れば分かる。

 コレを基準にしていた俺はどうかしてたんだな、と思う。

 ブラスの実力はAランク、或いはSランクに相当するのではないか。

 なんでこれでDランクなんだよ――という思いは冒険者だけでなく、クロスも共有していた。

 冒険者はブラスが実力を隠していたと思っているだろう。

 その幻想は壊したくは無いが……遅かれ早かれ知るだろう。単に働けないだけだと。

 アウディベアが容易く見えて来る。

 だが、あくまでブラスにとっては優しい相手なだけ。

 囲まれればクロスとて命の危険はあるのだ。

 もっとも、囲まれる前に逃げるのだが。

 さて、頃合いか。


「行くのか、クロス」

「ああ。大分減ったろ」


 リスティを助けに行くか――ずっと迷っていた。

 自力で帰って来てくれるハズ。その望みが捨てられなかった。

 クロスは冒険者ではないのである。町で待っていてもよかった。しかし、この場を動かなかった。ソロンの森から帰って来るとしたら、まず簡易キャンプに辿りつくからだ。

 だが、もう誤魔化すのも限界だ。

 自力でリスティが帰還する事は無い。

 そして我慢の限界だ。こうしている間にも――


 ナナマリアは助けに行く必要はないと言った。


「クロス君。キミが強いっていうのは聞いた。だから言っておくわね。リスティは助けないでいいわ。あの子だって覚悟して冒険者を続けていたんだから。それと止めなかったあたしもね。こんな事を言うのは卑怯かもしれないけど……あなたの事、息子みたいに思っているのよ」


 強い人だと思った。

 拳を握りしめていたのは、自分が助けに行けるなら、そう思っていたからだろう。

 

 リスティを助けに行く。

 それは決定事項としてあった。

 しかし、クロスが助ける必要があるのか。

 これは未だに答えが出なかった。


 とはいえ、クロスには隠密行動には最適な《隠形》があって、

 アウディベア一体程度であればあしらえる実力があって、

 マップという大きなアドバンテージを持っている。

 

 助けに行かない理由もないように思えた。


「俺も行きてぇが」

「分かってる。まだいるかもしれない。だろ?」

「気をつけろ。王はいねえみてーだ」

「……会わない事を祈りたいが……まー、ダメなんだろうなあ」


 互いに腕を突き出す挨拶。

 顔を見合わせ、声を上げて笑う。


「行って来る、ブラス」

「おう、気をつけていけ。俺が道を開くっ!」


 ブラスが突進すると、アウディベアの死体が積み上がる。


「どきなッ! 女の為に命張ろうってぇんだッ。盛大に祝ってやろうじゃねぇかッ!」


 屍山血河で出来た赤い道をクロスは走り去った。

 振り返りもせず。

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