第11話 加護
公園のベンチに座り空を見上げていた。
流れる雲に見覚えのある形を見つけては、あれはクマ、あれはウサギと連想する。雲の流れは早い。ああ、ウサギがクマに食われた。一回り大きくなったクマが、我が物顔で大空に鎮座する。と、思ったら寝転んだ。ん、ブラスに似てるかもしれない。
キャッキャッと黄色い声が聞こえてくる。
視線を地上へと戻せば、戯れる幼い男女がいた。
……リア充め。
「お前……ここで何してるんだよ」
見覚えのある四人組がいた。いつも一緒だな、コイツら。
「見て分かりませんか?」
「あの二人に手を出すつもりなら、ユーフ愚連隊が相手になるからな」
「貴方達でもいいですよ」
「なっ」
四人組が妙なフォーメーションを取った。一人を中心にして三人がそれを囲む。
なんだ、やる気か? でも、ダメだな。一人浮いている。やるなら四人同時だ。見方を変えれば、一人を守っているようにも見えなくも――あれ? 真ん中の女顔だな。
……ああ。
物凄い脱力感が俺を襲った。
「……いや、別に手は出しません。それと僕が好きなのは女の子です」
「お前はウソつきだからな。隊長もそうだっていってた」
「……もう、それでいいです」
「じゃあ、ここで何してたんだ」
「サラリーマンの悲哀を実感していたんです」
「……さ、サラ?」
「あるところに仕事を生きがいにしてきた父親がいました。家族は……そうですね、四人で。娘二人は既に嫁に行き、夫婦水入らずの生活。そんな折、父親が定年退職になります。仕事を辞めたんだと思ってください。父親はこれまで家族の為とがむしゃらに働いてきました。退職したらあれをやろう、これをやろうと、夢想をしていたんです。ですが、いざ退職してしまうとやる気が出てこない。火の消えたようになった彼は、いつしかボケが始まい……って、いねぇし」
逃げる四人組が目に入った。
ダメだ。
追いかけてからかう気力が湧かない。
なんだ、コレ。
ボケるには早すぎるぜ。俺まだ十歳なんだし。
……はあ。
取りあえず移動しよう。
リア充は目に毒だ。
***
気が付くと道具屋にいた。
「薬剤店の坊主。いいところに来た。追加のポットを持ってこい。売り切れだ」
「…………分かりました。でも、今日は休暇なんで。明日持ってきます」
「休暇ならなんで来た」
「…………言わないでください。目下、へこんでいるところなので」
店主は苦い顔で髭を撫でる。
「坊主が減らず口を叩かんと……こっちまで調子狂ってしまうな」
「……はは。イヤですね。まるで僕が普段は……いや、何でもないです……」
「…………何か悪いモノでも食ったか」
「いえ、休暇を取らされただけです」
「なら、こんなジジイを相手にしてないで、遊びに行け」
「……僕も……遊んでもらおうとは思ったんです。が、逃げられました」
「……何をした」
「……特に……何も……ああ、そうか。何かしなくちゃいけなかったんだ。でも、俺は何もしなかったから……逃げられた……はは、そうか、そうか……」
「…………」
完全に関わるのを避けた店長はカウンターでゴソゴソやっていた。
俺は据わった目で店長を睨む。
「……なんで聞いてくれないんですか。へこんでる理由。子供がへこんでるんですよ。聞いてやるのが大人の甲斐性じゃないんですか。ねえ。ねえっ」
「……めっ、メンドウな坊主じゃな。都合のいい時だけ子供のフリしおって」
「いやですね。子供じゃないですか。どこからどう見ても。目が悪いんですか」
「坊主には子供の可愛げがない」
「分かりました。可愛げがあればいいんですね」
「……ないじゃろう」
「任せてください。やればできます」
ふぅむ。どういう感じで可愛げを見せれば良いだろうか。つか、目の前で演技するって言っちゃってるからな。生半な演技じゃあオーケーは貰えないだろう。と、なれば、いっそのことわざとらしいぐらいがいいか。おじいちゃん、ぼくね、おちこんでるのね、だからね、おはなしきいてもらいたいの。コレだ。
おお、なんかテンション上がってきた。
よし――
「待て」
んだよ、ジジイ。
これから俺のオンステージが始まろうかってのに。
俺の演技は安くない。今更いいとか言われても、愚痴は聞いてもらうぜ。
「聞いてやる。聞いてやるから、待て。夢見が悪くなる」
「おじいちゃん、ぼくね、最初からそう言ってもらいたかったの」
「…………」
店主は苦虫を噛み潰した顔をしていた。
そんな顔に充足感を覚える俺は、どうかしているのだろうか。とはいえ、微塵も悪いと思っていないが。むしろ、やってやったぜ、とすら思っているのだが。俺のテンション落としたのはナナなのだから、文句があるならナナに言えと思っているが。
お?
復調して来たみたいだ。
「ナナさんが酷いんですよ。俺が要らないっていってるのに休暇を取れって」
「…………」
「聞いてます? 持って来るポットの本数減らしますよ。作業しながら聞くとか、不誠実な態度は止めてくださいね」
「……たかだがグチで脅すかよ。タチの悪い坊主じゃと思っとったが……甘かった」
「ははは、止めてください。そんなに褒められたら益々口が回ってしまいます。あ、貶されてもやっぱり回るので、つまり、何を言おうが無駄だってことですね」
事の起こりは昨日の夜だった。
「明日はあたしが店番するわ。クロス君はお休み! 店長命令です」
当然、俺は抗議をした。
ナナが店番をするという事は、ポットの生産が止まるからだ。しかし、「子供は遊ぶの!」の一点張りだった。遊ぶと言っても俺に友達はいない。いっそのことリスティ達について行こうか、と検討してしまう程に。あの手この手でナナを説得しようとしたのだが、ナナは気まずそうにしつつも、主張を譲らなかった。僕はもう用済みなんですね、と泣き落として見たがダメだった。くそっ。そうだった。裏表がある事を見せすぎた。
そんな次第で俺は取りたくもない休暇を取らされたのだ。
「俺の為だっていうなら、俺の意見を汲んでくれてもいいとは思いませんか」
「…………坊主の為ではないからじゃろう」
「えっ」
「マリアが店番をしたかっただけだと思うが」
「店番を? 朝から晩までポットを作れる体制を捨ててまで?」
「分からんのか。そこじゃよ。朝から晩まで。息が詰まるとは思わんか」
「でっ、でも。だったら、初めからそういってくれれば……」
「サボりたいと言ってるみたいで、言いだせなかったんだと思うが。坊主が店の事を第一に考えて発言してると分かっとるじゃろうから」
「…………あ、あぁ」
目からウロコが落ちた。
後ろめたそうな様子はそれか。
アレか。俺は知らず、日本人気質を発揮していたと言う事か。
ワーカーホリックですね。
ははあ、この間店番を頼んだ時の晴れ晴れとした顔もそういうことか。
俺は不貞腐れるばかりで、ナナの気持ちを考えてやれなかった。
でも、水くさいと思う。言ってくれればいいのに。
難しいのか。俺は子供だし。
あるいは失望されると思ったのか。ナナは名実ともに店長である。俺はそう思ってそのように扱ってきた。しかし、彼女からすれば指針を決めて来たのは俺なのだ。
雇われ店長。
そんな感覚があるのは薄々察していた。
もしかしたら俺が張り切るほど、店長の自覚を奪っていたのかも知れない。
俺は程々にすべきだったのか。勿論、今までは仕方がなかった。だが、これからは? 未来のマリア薬剤店に俺の存在は必要なのか?
ナナの代わりはいない。
だが、店員は幾らでも見つくろえるのだから。
あ。そもそも店を出す必要すら無いのか。
道具屋と提携してるのだから。
……そろそろ魔法使いになりたいってブラスに相談しないとな。快適な番犬ライフを満喫してるアイツを見るとイラッとしてしまい、伸び伸びになっていたのだ。
「愚痴、聞いてもらえて助かりました。明日、ポットを持って来る時には、一本オマケしておきます」
「おっ。本当か……うん? 意味ないのぅ。納品の本数が増えただけでは。売り上げの二割が貰える事になっておるんじゃから」
「ははっ、バレましたか。というのは冗談で、オマケは好きにしていいですよ」
「坊主のグチに付き合った甲斐があったの」
「目の上の方には敬意を払う事にしているんですよ、僕は」
「よく言う」
勝手に決めてしまったが、ポットの一本ぐらい融通してくれるだろう。何しろ、俺は給料を貰っていないのだ。ナナは払うと言ってくれたのだが……ブラスの……酒代がね……
「なんじゃ。騒がしいの」
「ええ、冒険者ギルドのほうですか」
「町に魔物が入りこんだか」
「あるんですか、そういうこと」
「稀にな。強い魔物ほど人里を避けおる。大抵は群れからはぐれた、冒険者でなくとも討伐できるような魔物じゃが」
「悲鳴も聞こえてきませんし、そういう感じでもなさそうですが……ま、見て来ます」
腕をビシッと突き出して、分かれの挨拶をする。
ジジイはビビっていた。
流行の兆しは未だ見えない。
***
冒険者ギルドに入るなり、血生臭い匂いが鼻をつく。
匂いの正体はすぐに知れた。
十名程の男女が横たわっていて、全身傷だらけだったのである。彼らは呻き声を上げ、野戦病院の様相を呈していた。ギルドの職員が駆け回っていたが、応急手当以上の事を出来ずにいる。
「あっ。クロス君!」
寄って来たのはリスティの事を教えてくれた受付嬢だ。
「これは?」
「分からないの。魔物に襲われたって言うんだけど」
「それよりも治療が先ですか」
「ええ。話が早くて助かるわ。持ってないかしら」
彼女は俺がマリア薬剤店の店員である事を知っている。主語が抜けていても意味は分かる。
ただ、
「すいません。手持ちは……」
「そうよね。ありがとう」
受付嬢は足早に冒険者ギルドを出て行った。
マリア薬剤店に向かったのだろうか……あれ、店の位置知ってるのかな?
昼間である。冒険者は既にクエストで出ている。冒険者がいればポットも持っていただろうが……タイミングが悪い。
前世であれば医者を呼びに行く場面である。しかし、ファウンノッドでは医者は外傷の治療が不得手な場合が多い。回復薬があるからだ。医者のメインは病気の治療なのである。回復魔法は神官が秘匿している。ユーフに神官はいない。
怪我人を見渡す。
血まみれなので一見派手な怪我に見えるが、重傷者は少なかった。
「誰か、誰かッ……助けてください! 息子がっ、息子がッ」
ただ、一人を除いて。
……これは。マズいな。
母親が泣きながら取り縋る少年。彼だけは見るからに致命傷を負っていた。血を流し過ぎたのか、意識が朦朧としている。目を閉じたが最後――そんな予感があった。
俺ですらそう思うのだ。
母親の絶望は言うまでもない。
……胸の痛くなる光景だ。
誰もが助けを求める母親から目を逸らしていた。
それが答えだった。
「お願いッ! 誰でも、誰でもいいからッ! 私はどうなってもいいからッ、この子だけはッ!」
「…………っ」
我に返る。
しっかりしろ、俺。
まだ、彼は死んでいない。
彼の運はまだ尽きていない。この場に俺が居合わせたのだ。
他の町だったらダメだったかもしれない。
だが、ここはユーフだ。腕は生えてこないかもしれない。若返りはしないかもしれない。しかし、重傷者を助け得る可能性を持った回復薬があるのだ。
そして俺はそこの店番。
ここでポットを売らずしていつ売ると言うのだ。
俺は大急ぎで道具屋に戻る。
「ジジイ! ポット出せ!」
「……なっ、ななななんじゃあ」
店主が目を丸くしていたが、落ち着かせてやる余裕もない。
「重傷者がいる。一刻を争う。早くだせっ!」
「ないっ。ないわっ。売り切れといったぞ!」
「あっ、あああああああああ!!」
俺は頭を抱えた。
そうだった。
間抜けだ。
受付嬢が冒険者ギルドを出て行った時、マリア薬剤店にいったのかな、と思った。つまり、その時点では道具屋にポットは無いと覚えていたのだ。だが、瀕死の少年を見てしまった瞬間に、綺麗サッパリ頭の中から消えていた。
ラッキー、近くにポット置いてる店あるじゃん。
それぐらいの気持ちでいた。
なんてウッカリ。ナナを笑えない。
くそっ。タイムロスだ。
とはいえ、どうする?
あの少年は本当に一分一秒を争う。マリア薬剤店からポットを取って来るとして。俺が氣闘術を使えば、受付嬢よりは早く往復出来るだろう。だが、持つのか? マリア薬剤店は遠い。加えて住宅街にある。全力が出せない。氣闘術を使った体当たりは、トラックに轢かれるのと変わりない。二次災害を生むわけにもいかないのだ。
往復で――十分。
十分はかかってしまう。
……持つとは思えない。
だが、ここで時間を潰すは最も下策。
行くか。
ふと、とあるモノが目に入った。
それは果たして天啓だったか。無数の情報からある可能性が示された。
まさか。
いや、でも。
可能性はある?
思い出せ、あの時の話を。
大丈夫。状況は合致している。
賭けだ。
違う、保険と考えて。
マリア薬剤店に走る。それは確定。
あくまで間に合わない場合の。
ならば試す価値は、あるか。
「人命がかかってる。ここの貰ってくぜ」
「……わ、分かった」
棚の商品をごそっと抱えて冒険者ギルドへ戻る。まさか、棚の一部をまるまる持って行かれると思っていなかった店主は唖然としていた。
泣きじゃくる母親に乳鉢を押し付ける。母親は目を白黒させていた。
「息子を助けたいか」
「えっ、ええ」
「なら、これをすってろ」
足元に投げ出された草を指し示す。ガサっと持って来たので、種類が混ざり合って、何が何やら分からない。
「キミ、それは……何だか知っての――」
寄って来たギルドの職員を手で制止する。
「俺はこれがなんだか知ってる。マリア薬剤店の名にかけてもいい。これから俺は薬剤店に走って回復薬を取って来る。それを飲めば重傷者だってたちまち回復し、ハラが減ったと騒ぎ出す。そんなシロモノだ」
後半は瀕死の少年に向けた言葉だ。気力が尽きるのが一番恐ろしい。反応は見えなかったが、聞こえていると信じたい。
「だから、これは保険だ。俺の到着が間に合わないと思ったら、すったものを飲ませろ」
「…………え、でも……これは……」
職員の言葉を気にしてだろう。母親は煮え切らない態度だった。
「悪いが説明している暇は無い」
踵を返し、俺は外へ飛び出した。
***
全速力で駆け続けて来た俺の足が止まった。
目的地に到着した――だけではなく、不穏な気配を感じ取ったためだ。
上を下への大騒ぎをしていたはずの冒険者ギルド。
何の音も聞こえてこない。
静かすぎる。
まるで事が終わってしまったかのように。
不吉な予感を振り払い、冒険者ギルドに入る。
「…………っ」
息を飲む。
血まみれの怪我人がいまだいたからだ。
別の場所へ搬送されたのではないか――との期待が裏切られた。
別ルートでポットが間に合ったのかと思ったが、その様子も無かった。
怪我人は安らかな顔をして、苦悶の声を上げるでもない。瀕死だった少年なら分かる。でも、なんで他の怪我人まで? 分かるのは全てが終わった空気が流れている事だけ。
あの母親は泣き疲れたのか、少年に縋るように寝入っていた。
思わずポットを取り落としそうになった。
「……ポットは」
「もう必要ない」
答えたのは俺を制止しようとしたギルド職員だった。
と、言うよりも答えられるのは彼しかいなかった。
……他はもう……
「……間に合わなかったのか」
「そのようだ」
「……くそっ、俺がもっと早く戻ってこれればっ」
「キミは最善を尽くした。それはこの場の全員が知っている」
「……全員って言ったってッ――」
……ん? なんか……妙な、ニュアンスだったような……
疑問が形になる前に、職員が更に言う。
「シー。静かに。起きてしまう」
「…………起きて?」
流石におかしいと思った。
耳を澄ませば聞こえて来た。そこここから寝息が。
……は、はは。
なんだよ。
……保険が働いたってコトか。
脱力した。
ドッと疲れが押し寄せて来た。
大の字になって寝転ぶ。
あ、キチンとポットは床に置いてね。
「聞いていいかな?」
「聞きたい事は分かってます。何故、回復薬が作れたのか、ですよね」
「ああ、キミが持って来たのは――」
待て待てと、手で制止する。
折角の見せ場なのだ。言わせて欲しい。
「毒草だった」
職員が頷く。
「処理をすれば薬になるものもあったが」
流石は冒険者ギルドの職員。あの一瞬でよく毒草と見極めた。採集クエストで日ごろから見慣れていたから出来た芸当だろう。
彼が毒草である事を過剰に主張し、母親の判断を迷わせるのを懸念していたが……杞憂だったようだ。どうせ死ぬのだ。ならば、やってみればいいと思ったのか。
時間が無かったとは言え、配慮が足りていなかった。
毒草をすって飲ませろ。
字面にすると酷い。
もう少し説明してから行くべきだったかもしれない。まあ、今だから思える事だろうが……
結局、マリア薬剤店の名を出したのが良かったのかも知れない。
ポットを販売して来た実績があるから信頼してくれたのかも……
……ん? もしかして勘違いされてる? アレがポットのレシピだと?
いや、それは無さそうだったが……コレはまずいな。もしここが王都であれば、ここぞとばかりに叩かれているところだ。「号外、号外、ポットの材料は毒草だった!」と。本当に毒草からポットを作れるなら話は別だが……毒素の無効化も限度があるらしい。
ここはキッチリ説明して、噂の目を潰すべきだな。
どこから話すべきか。
俺が毒草を試させた理由からか。でもな。俺も半信半疑だったし。上手く説明できるとは思えない。
たまたま思い出したのだ。
そう、リスティを助けたというナナの話を。
死にかけた子供。助けようとする母親。我が身を投げ打つ覚悟。周囲の助けは得られない。絶望的な状況で手にしたのは、薬とも毒ともつかないモノだけ。
状況が似通っている。
ならば、出来るのではないかと思ったのだ。
慈悲深い神のようだ。見捨てはしない。そう信じたのだ。
とはいえ、一体どれが条件だったのかは定かではない。
よし、結論から言うか。
「彼女は加護を得たんですよ」
***
一命を取り留めた十一名。
彼らは目を覚ますと、負傷の理由を語った。
その報せはユーフの町を巻き込む大事件の幕開けだった。




