第10話 月下
リスティは夜になるとふらりと消える事がある。
なんの予兆もなく消えるのだ。ご機嫌で夕食を食べていたかと思えば。俺に絡んでいたかと思えば。番犬に肉を放っていたかと思えば。ふと、目をはなすともういない。
後になってあの時に消えていたのだと思うのだ。
ナナも気にした様子はない。
となると、親公認の夜遊びだろう。
ま、遊んでいるワケではないだろうが。遊ぼうにも娯楽がないのだから。
興味はあるが秘密を暴こうとも思わない。
そんなスタンスでいたある日の事だ。
「……リスティ?」
店を出て行くリスティの後姿があった。
散歩から帰ってきた俺には気付かなかったようだ。
ふむ、今日の散歩は延長だな。
女の子の夜歩きは危険だからね。
え、十歳児はどうなんだって? ははは、危険なんてありませんて。ユーフ一と言われる実力者をあしらった事もありますから。あれ、その理屈で行くとリスティにとって一番の危険人物って俺なんじゃ……はは、バカな。俺はエスコートしてるだけ。
無用な気遣いを与えたくないから、
一定の間隔を取って、
気付かれないように、
エスコートしてるだけ。
そんな紳士の事を世間ではどう呼ぶか――
うん、ストーカーだね。
《AGO》で似たクエストがあった。
麻薬の密売人を追ってアジトを突き止めるクエストである。流石にゲームということか、密売人は視覚反応だけで音反応はナシ。真後ろでタップダンスを踊っていても気付かれないのだ。アレはシュールな光景だった。勿論、俺もやった。
リスティは真っ直ぐに歩く。
三十分程で町の外に出た。でも、まだ足を止めない。
……どこまで行くんだ。この先にあるのは北の森だけ。クエストを受けていた様子もなかったし、愛用の斧も持ってきていない。あ、剣は持ってるか。
――困った。
ストーカーごっこを続けている場合でもなさそうだ。
ここから先は平原になる。遮蔽物がないので距離を取らざるを得ない。これではいざという時に助けに入れない。せめてリスティの目的が分かればな。頼みの綱であるマップも役に立つかは微妙である。平原に生息する魔物は多い。とはいえ、大半は人を見れば逃げる程度の魔物。マップでは有象無象と危険な魔物を判別する事が出来ないのだ。
――合流するか?
安全には代えられない。
でもな。索敵能力で言えばリスティのほうが上。加えて迷いの無い足取りは通い慣れている証拠。そう考えれば……危険は無い、のか?
しかし、絶対ではない。
ううむ。
今更だが……本当に今更だが……尾行を続けていいのか悩む。
誰にも言わずに出て来たということは秘密にしたいと言うことだ。
興味本位で暴いてもいいものか。
いずれにせよ、
「……見なかったフリは出来ない。行くしかないんだけどな」
意を決して平原へ足を踏み出した。
***
茫漠たる平原を月が淡く照らす。
草木は眠ったように静かだ。
吹き渡る風が髪を靡かせる。
変わり映えの無い景色が続く。
行けども、行けども。
時間の感覚が曖昧になる。
見上げれば満天の星空がある。
ふと、思う。
思えば遠くへ来たものだ、と。
前世では山奥に行かないと拝む事が出来なかった星空を、まさか日常的に眺める羽目になるとは。ブラスに連れられて旅を始めた直後はロマンチックな光景に見えていたものだが、今では月を気にするだけになっていた。視界の確保はね、大切なんですよ。
しかし、改めて眺めて見れば――ああ、綺麗な星空だなと、思う。
転生してから日々を生き抜くのに必死だった。
感傷に浸る余裕も無かったのだ。
つまり、余裕が出来たと言う事か。
それもそうだろう。
明日の食事に頭を悩ませる必要がないのだから。一ヶ月後も。一年後も。俺が望めばナナは居候を許してくれるだろう。だからこそ、考えなければならない。
――未来を。
これからか。
俺はどうしたいのだろう。
ここのところ何度か脳裏に過ったが、問題を先送りにしていた。
魔法の習得が叶うならば魔法学校への入学を目的に据えるのだが……そうそう、この世界には魔法学校があるらしいのだ。ここ、グアローク王国にも一つある。
店員を続けるのか。
冒険者になるのか。
う~ん。
正直なところ、ここに至るまでの道程は苦難の連続だった。ようやく見つけた安住の地に、「もうお酒を用意しなくてもいいんだ!」と思考が停止していたのは否めない。
ああ、そう、苦難ってブラスの酒の問題ね。
飲みすぎも身体に毒だから、止めさせるべきなのだろうが……今はいいか。
俺のこれからだ。
でもな――
俺と世界との間には溝がある。
クソ神のせいだ。
誘拐事件のクエストがトラウマになっている……のだ? なんで疑問形よ、という質問には、認めたくないからだ、と答えます。トラウマ。まるでクソ神に負けたようで受け入れがたい。しかし、ふとした拍子にトラウマになっているのではないかと思うのだ。
何をしても無駄だという無力感。それが澱となって心に沈んでる。
たまにぽかっと泡になって出てきて俺を投げやりな気持ちにさせる。
いかんな、とは思うよ。
でも、どうしようもない。
だからこそ、トラウマって言うんだろう。
この九年、クソ神からの干渉はない。
だが、俺が幸福になるのを待っているのだとしたら?
幸せの絶頂から落とすのを目論んでいるのだとしたら?
そんな思いが拭えないのだ。
とはいえ、あんな悪辣なクエストはもうないと踏んでいるのだが。
俺の現状はこう言える。
クソ神がGMを務めるTRPGをプレイしているようなモノだと。
俺がダイス振ってクリティカルを出しても「はは、ごめんね。このボスはクリティカル無効なんだ。言い忘れていたね」などとホザかれたり。必死の思いでボスを倒したとしても「勇者の剣がボスの心臓を貫く。その瞬間だった。ボスは第二形態へと変身するのだった」などとやはりホザかれたり。GMの権限を持ってすれば可能なのだ。
でも、そんなゲーム、プレイしたいと思うか?
投げ出すだろ。
クソ神は俺で遊びたいのだ。
プレイヤーにゲームを放棄されては困るのだ。
《AGO》は面白かった。運営に関与している(と確信している)クソ神が、プレイヤーの心理が分からないはずがない……と信じたい。
生まれはどう考えたって恵まれ過ぎていた。あのままなら順風満帆な人生が待っていた事だろう。それはきっと、クソ神にとってつまらない事態なのだ。
だから、レールから外した。
なら、最初から平民で良かったよ、と思うが……手違いか。悪意か。
……手違いであって欲しいな。
何の干渉も無いのも、自ら手を下すまでもなく波乱万丈だったから――とも考えられる。まあね、俺も他人事だったらゲラゲラ笑える人生だったと思うし。
でもさ。
所詮は予想でしかない。
結局、俺の運命はクソ神の思うがまま……なのかも知れない。
そう考えるとね……
クソ神が俺の運命を改竄出来るのは確かなのだから……
リスティの足が岩棚で止まった。
この岩棚が目的地だったらしい。
一体何をしに来たのか。答えは直ぐに示された。
片手を胸に添え歌い出したのである。
平原である。しかし、堂々たる態度がそれを忘れさせる。あたかも月光は照明のようで、岩棚はステージのようだった。それもリスティのために誂えられた特別の。
「……上手い」
あの乱暴者のリスティから、こんな綺麗な声が出るとは。
正直、意外だ。
――歌姫。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
歌声は暗闇を吹き飛ばす勢いで響き渡る。ビリビリと身体が震える。いや、多分、他のナニカも震えた。だが、実感している暇もない。震えは現在進行形で進んでいるのだ。
冒険者の活躍を歌った勇壮な曲だった。
迷宮に挑んだ冒険者がいた。
誰もが彼の挑戦を笑った。
そこは英雄級迷宮だったのだ。
帰って来た時、彼は満身創痍だった。
パーティーは壊滅。
ただ一人の生き残りが彼だった。
再び剣を取れるようになるまで一年かかった。
それでも彼は諦めない。
仲間を募る。
しかし、人は集まらない。
彼の名は広まっていたのだ。
悪名として。
仲間を見殺しにして逃げた男だと。
改名は簡単だ。
だが、彼は名前を頑なに変えない。
一年が過ぎた。一人の戦士の信頼を勝ち得た。
二年が過ぎた。一人の魔法使いと情を交わした。
そうして五年が過ぎた。
かつて、喪ったのと同数の仲間が出来ていた。
仲間と共に迷宮へ挑む。
誰もが彼の挑戦を笑った。
冒険者は帰って来た。
仲間は誰一人欠けていなかった。
誰もが彼の無様を嗤った。
踏破を諦めて帰って来たと。
冒険者は仲間を連れ、国を去った。
そして隣国で。
歓呼の声で迎え入れられる。
そう、彼は踏破を成したのだ。
彼は語った。
仲間に恵まれた。十名の仲間に深い感謝を、と。
この瞬間、彼は名実共に英雄となった――
リスティの頬が赤らんでいた。
喜びを噛み締めるように微笑んでいる。
ああ、歌が好きなんだな。
と思った次の瞬間には、俺も歌が好きになっていた。
音は響く。
ならば歌に乗って気持ちも、また――
一緒になって歌いたかった。しかし、歌詞が分からなかった。
メロディが掴めてきて、鼻歌なら乗れるかな、と思った時、歌が終わった。
歌の内容にあてられたのか。
リスティが眩しかったのか。
興奮が冷めるに従って、気恥ずかしさが俺を襲ってきた。
俺はさっきなんて考えてた?
クソ神にちゃぶ台返しされるかもしれないから、何をしても無駄だって?
ああ、そうさ、一寸先は闇。
でもな、その言葉が当てはまるのは俺だけじゃないだろう?
歌の冒険者だってそう。
リスティも。
ナナだって。
俺の場合は闇の方が能動的に俺にパクつく可能性があるだけで。
未来なんて誰にも想像できやしないのだ。
出来るのはよりよい未来を掴むために努力をすることだけ。
だから……うん、そうだな。クソ神への不信感を理由にして、将来の展望を描けないのは違う。単に俺にやりたいことがなかっただけだろう。それをクソ神をダシにして、自分を憐れんでいるのでは……ああ、ヤダヤダ。なんか暑くなってきた。
大きく息を吐く。
この熱を少しでも逃がそうと。
しかし、やりたいこと……ねえ。
頭を空っぽにする。
思考する事を放棄。ただ欲求に任せる。
やがて答えは出た。
――魔法。
……だよな。
それしかない。
はああ、つまり転生してから一切ブレてなかったってことだな。
氣闘術か。惜しいが……培った技術まで失われるわけではない。培ったと言えば《AGO》のアニマグラムを再現出来れば、氣闘術に頼らずとも魔物を倒すことだって出来るだろう。いやいや、もしかしたらチート的なものが俺にはあって、魔法剣士になれる可能性だってあるのだし――
って、待て、待て。
結論ありきになってる。
魔法が使いたいからってリスクを軽視するのはバカのやることだ。
魔法使いになる。
もういいだろう。
コレは決定事項だ。
結局俺はそこにしか生きがいを見いだせないらしい。ま、元々アニマグラムが使えるならファウンノッドいってみたいって答えたワケだしな。この世界で過ごしていてあのアニマグラムがあればと考えたのは一再ではない。その度にロジックを夢想した。後はコーディングするだけ。そんなアニマグラムが一体幾つあると言うのか。
氣闘術を失えば、俺の戦闘能力は激減するだろう。
どうすればリスクを減らせるのか。
まずはブラスと相談して見るか。
……そのうちね。
ブラスの反応が怖い。というより……気まずい。
「師匠! 今までありがとうございました! アンタの指導は合わないんで、別の師匠につきたいと思います、オス!」
ってカンジだものな。
相談するのはブラスの機嫌がいい時がいいだろう。ブラスにくれてやる酒の銘柄をリストアップしていると、
「……なんかいいなさいよ」
リスティに声をかけられた。
いつの間にかリスティが俺を見ていた。
「……気付いてたのか」
「……はあ? あんなぼーっとついてきといて……アンタ、バカなの?」
バカねえ。普段ならお返しをしてやるところだが……確かにぼーっとしてるのかも知れない。
「よかったよ」
素直にそう言っていたのだから。
「……それ、本気でいってる?」
「人に感想聞いといてそれかよ。じゃあ何か、リスティ。お前の歌は俺一人感動させることもできない、安いものだったと?」
「あたしの歌は安くないっ!」
「だからさ、それが答えだろ。疑り深いのも大概にしとくんだな。良かったって意見を容れられないのは、自分の歌を信じてないから。そういうことになるんだぜ。お前が、お前こそが自分の歌を信じてやらないでどうする」
「……ありがと」
上気していた頬を更に赤く染め、リスティがそっぽを向く。
なぜだろうか。初めてリスティと出会った。そんな気がした。同居を一ヶ月以上続けておきながら……今更だとは思うが。似た感覚をリスティも覚えているのだろう。
な、なんか、ムズ痒い。
リスティが横目でチラチラ見て来る。
手放しで褒めたことが段々恥ずかしくなってきた。
なにか。なにか、貶さないと……いやいや、貶さなくてもいいけどっ。
「……あー。まー。ただ、曲の選択が……」
「し、しかたがないでしょっ。酒場でしか聞けないんだから」
「ああ……」
だからか。チグハグな印象を受けたのは。バラードのような、歌声を生かす曲であれば、もっと素晴らしいものになったはずだ。今のも悪いとは言わないが。
「い、いつもここで練習してるのか」
どもるなよ。トルウェンの事を笑えねぇ。
「歌いたくなったら」
「わざわざ遠出しなくても酒場で歌えばいいんじゃないか。オッサンたちも喜ぶだろ」
「イヤよ。思いっきり歌えない」
「……声を抑えろってのは……愚問か……」
どれだけ美しい歌もボリュームを間違えれば騒音でしかない。
「ところで。いつからついてきてたの」
気恥ずかしさを飲みこんだのか。そう問い掛けて来たリスティはいつも通りの――不貞腐れたような顔だった。残念な気持ちもあるが……落ち着く……
でも、仕方がないだろ。
コイツ、忘れがちだけど、美少女なんだもの。
……減らず口を叩いている間は忘れていられるんだけどな。
「家の前からだな」
「…………アンタ、気配消すのホント上手いわね」
「リスティの歌もうまかったよ」
「……ありがと……って、話! 逸らした!」
「いや……今のは素直な気持ちだったんだが……まあ、普段が普段か」
「……アンタ、今日は素直ね」
闇は距離を曖昧にさせる。星空だって掴めそうだ。俺とリスティの距離もまた――
「お互い様だろ」
リスティはうっ、と呻くと、岩棚に腰を下ろした。
顔を合わせまいとするリスティの気持ちがよく分かる……というか、同じ気持ちだったので、どーしたもんかねーと佇んでいると、リスティが俺を見上げた。
「座れば?」
「……では、お言葉に甘えて」
「なんで距離あるのよ」
「斧が降ってこないか心配なんですよ、姫様」
リスティはきょとんとすると「ふふっ」と軽やかに笑う。
くっ、かわい――くない。いくないし。普段とのギャップに騙されそうになっただけ。
……もう、なんだよ。やっぱ今日暑いわ。
俺の顔が赤くなってるのバレてないだろうな。大丈夫。その為に距離開けたんだし。
「……なんだよ」
「アンタはそれぐらいがいいわ」
「……ナナさんにも似たようなこと言われたよ。なんでかね」
「似合わないからでしょ。アンタだって真面目に働く父親みたら同じこというんじゃない」
「…………」
……バッサリ切ってくれちゃって。
しおらしくしてても鋭いんだよ、言葉が。
「ユーフの外ってどんなかな」
後ろに手をついて、空を見上げながらリスティが言う。
あー。やめて。その格好だと……身体のとある一部分が強調される。
「……漠然と言われてもな。具体的に言ってくれ。答えられない」
「え。教えてくれるの?」
「……お前、ホント……もう……俺のコトどういう目で見てたか分かるわ」
リスティの最初のお題は旅について。
……漠然というな、と思ったが、ま、いいかと思い直す。
外といっても俺も大して知っているワケではないのだ。目的があった。町に長く留まる事は無かった。カネも無かったので、流行りの店も知らない。詳しく語れることがあれば冒険者ギルドの事だけという、なんとも色気のない旅路を歩んで来たのだ。
しかし、そこはそこ。
話術でカバーするのが話上手というものだ。
「そうだな。旅に出るには大雑把に分けて二つ方法がある。まず徒歩。俺とブラスはこれだな。次に乗り物を利用する方法。商人は馬車を使う。一般人なら乗合馬車だな。これは冒険者しか使えない手だが、乗合馬車や商隊に雇われて目的地へ旅する事もある。カネがあれば乗り物を利用するのがいいだろうな。楽だし。人数が多ければそれだけ危険も減る」
「危険なの?」
「んー。多分、リスティが想像してるのとは少し違う。盗賊が出るんだよ」
「あー。たまに見るわ。討伐クエスト」
「それは盗賊団の討伐クエストだろ。団ともなるとまた話が変わって来るんだが」
「そうなの?」
「盗賊団なんて滅多に出会わない……ああ、違う、俺とブラスだからか……」
「なによ」
「いや、盗賊団なんて滅多に出会うものでもないから、無視して考えてもいいって言おうと思ったんだが……盗賊団の獲物になるのは大抵は商隊とかで、だから、俺は見たことがなかったんだなって思っただけ。どう説明すべきかと思ってね。まあ、少数で旅をして出会うのは、同じく少数の盗賊だってことか」
「ふぅん」
なんだかゴチャゴチャした説明になってしまった。リスティが盗賊は危険だと思っているようだったので、アウディベアに比べたら楽な相手だといいたかっただけなのだが……いや、待て、盗賊団なら確かに強敵だよな……とか思ったらワケが分からなくなった。
余談だが俺が徒歩で旅をしていたのは、カネがないと言うこともあるが、ブラスのイビキに他人を巻き込まない為である。カネは払い戻すから出て行ってくれ、と街道に放り出された苦い経験がある。
「不死身のフォルカって知ってるか。あれ、俺の事なんだ」
「ウソつき」
「……あのさ、先入観で言うのやめてもらえます?」
「だってウソでしょ。フォルカは女の人だもの」
「あ、そうそう。なんだ。知ってたのか。ま、それはリスティが俺を男だって知ってるから言えること。俺ぐらいの年齢だと男も女もよく分からないからな。だから、俺は盗賊に襲われたらフォルカを名乗ることにしてる」
「は? なんでよ」
「警戒してくれるだろ。実際、勝率は半々ってところだ。盗賊なんてやってるのは、大抵は冒険者崩れで、それもランクは大したことがない。Bランクとやり合おうなんてバカはいないのさ」
「バレないの?」
「リスティはもう慣れっこになっちまってるからそう思うんだろうが。こんな流暢に喋る十歳児なんてそういないぜ。ま、バレたらその時だな。名を騙ってるぐらいだ、弱いんだろうって油断してくれてる。バレてもよし、バレなきゃなお良し。そんなトコだな」
「……アンタ、ロクな死にかたしないわ」
リスティは本当にユーフの外を知らなかった。逃避行の記憶は非常に曖昧だと言う話だった。五歳あたりならそんなもんかな、と思っていたら、辛そうにしている母親のイメージが強すぎて、他の事が印象に残っていないのだと言う。
思わずホロリと来た。
元気かな、ヴェスマリア。
他の町の話をと乞われたので、迷宮都市の話をする。
特色があるので語り易い。
「俺が立ち寄ったのは下級迷宮がある迷宮都市だった。今にして思うと駆け出しの冒険者が多かったな。冒険者ギルドじゃパーティーの勧誘が多くて、専用の窓口が作られてるぐらいだった。ああ、後はオークション。迷宮からは希少品が出るからな。俺もよくは知らないが、魔法のかかった武器とかも出るらしい」
まんまダンジョンである。
鉱山であれば取り尽くされると言うこともある。しかし、迷宮ではそういった話を聞かない。一体、どのようにして冒険者へのエサを調達してきているのか。
「総じて迷宮都市は活気が溢れてるらしい。ま、迷宮の成り立ちから考えると当然かも知れないが。そうなるべくして迷宮はあると言えるんだし? 一攫千金を狙って冒険者が来る。その冒険者相手に商人が集まる。そうやって迷宮都市は出来る。なあ、リスティは迷宮がどうやって出来るか知ってるか」
「神様が人を試すために作ったって聞いたことがあるけど」
「それは神級迷宮だな。難度が高すぎて踏破は不可能って匙投げられてるヤツ。迷宮にも階級があるんだよ。製作者で階級が決められるって言われてるが……俺は眉唾だと思ってる。この迷宮は誰それっていう神様が作りました、なんて書いてないしな。ま、それはいいか。ともかく、この世にある迷宮の大半を作ったのは人だ」
「またそんなウソを……ウソ、じゃないの?」
再び脊髄反射で否定してくれようとしたので、俺はさぞかし仏頂面をしていた事だろう。そのおかげでウソは言っていないと信じてくれたようだが。
「迷宮は加護で作れるんだとさ」
「…………」
「正確には加護を得ることでのみ使える魔法で、だな。代償として唱えた術者は死ぬ。ああ、こう言えるかも知れない。迷宮に転生するための魔法、ってね」
「…………」
リスティは言葉もないと言った様子だ。
俺もブラスから聞いた時は絶句したものだ。
未だに理解出来ない。死ぬと分かっていてなお迷宮を作ろうとする気持ちが。
「不思議に思ったことないか。英雄級迷宮っていう名前に。英雄ってなんだって。踏破出来れば英雄。そんな意味で捉えてる人が多いよな。間違っちゃないんだが。因果が逆転してるというか。ま、タネが分かれば不思議でもなんでもないんだが。つまり、英雄が作ったから英雄級迷宮っていうんだよ。英雄が自分の後継者を見出す為に作った迷宮なんだ」
英雄級迷宮を踏破すれば、英雄が持っていた力を受け継ぐ事が出来るという。実際にはパーティーでの踏破になるので、力は分散して継承されるらしい。
ジェイドはこの迷宮を二つ踏破している。そりゃあ、強いワケだ。
踏破された迷宮は消滅する。
後継者を見出すためにあるからだ。
潔い。
ただ、コレは英雄級迷宮に見られる特色だ。
迷宮の等級は次の通り。
神級迷宮:神が作った迷宮。
龍級迷宮:力ある存在が作った迷宮。
英雄級迷宮:英雄が作った迷宮。
上級迷宮、下級迷宮:魔法使いや、魔物が作った迷宮。
上級、下級あたりの迷宮になると、踏破されても消滅は滅多に無い。多分、売名行為として迷宮を作ったからだ。自分の名を後世に残したい――そんな魔法使いが作った。
ただ、発展した迷宮都市にあるのは得てして上級、下級迷宮だ。
踏破されても消滅しないからだ。
英雄級迷宮に依存していた迷宮都市は踏破と共に衰退するのである。
魔物も迷宮を作ることがあるらしい。魔物も加護を得られるのだろうか。
龍級迷宮以上になると、実体は謎に包まれている。
踏破者? いない、いない。
浅い階層を狙う冒険者はいるらしいが。それでも危険らしく、龍級迷宮に潜る冒険者は命知らずと呼ばれる。
迷宮の成り立ちから考えてもそれは正しい。
「なんでか分かるか?」
「なんで?」
「……質問に質問で返すなよ。しかも即答ってな。ちったァ考えろよ」
「だって、アンタは知ってるんでしょ。なら、聞いた方が早いじゃない。時間を省略してあげたのよ」
「……はいはい、姫様の仰る通り」
リスティはふふん、と鼻高々だ。別に論破されたワケではないが……いいか。
見ているこっちまで楽しくなるような、カラッとした笑みは嫌いじゃない。
「英雄級迷宮以下は概ね踏破される事が前提だ。では、龍級迷宮は? 誰が何のために作ったのかも不明。極端な話を言えばな。たまたま迷宮の形をした処刑場だったとしてもおかしくないのさ。なぜならまだ踏破者が現れていないからだ。万が一、迷宮に潜れと言われても龍級迷宮はごめんこうむるね」
……なんだろう。段々とリスティが不機嫌になっていった。
リスティは深々と溜息を吐いた。
「アンタ、つっまんない男ね」
「……は?」
「踏破者が出てない? いいわ。いずれあたしが踏破してあげる」
リスティは遠い目をしていた。
まだ見ぬ龍級迷宮に思いを馳せているのか。
ふと、その目が俺を見据えた。不覚にもたじろいでしまう。
「アンタは?」
「…………」
「……はー。なんでアンタみたいなのがあたしよりも強いんだか」
「……だから言ったろ。死にたくないからな。分不相応な夢は見ないのさ」
本音である。
なのになぜ目を合わせられないのか。
「立って。手合わせよ」
リスティは既に立っていた。鋭い眼光が俺を見下ろしていた。
「……は? なんでだよ」
「今のアンタなら勝てそうな気がするから」
「……ほお、つい先日手も足も出なかったのを忘れたみてーだな」
安い挑発だと思う。だが、流せなかった。いや、芽生えかけた感情を直視したくなかっただけか――
立ち上がり、リスティと向かい合う。
すぐにかかって来るかと思ったが、リスティは何か躊躇っていた。
やがて、言い辛そうに切り出した。
「アンタ、追手じゃないんだって?」
「……最初からそう言ってるだろうが……」
「そうじゃなくてっ! 母さんに! 悪さ! するつもりないんでしょ」
なんだ?
リスティが断定口調だ。
「なんでそう思うんだ?」
「母さんが言ってたから」
「……あ、そう」
それでいいのかよ。
いや、待て。リスティがアホの子だからって、決め付けるのは良くない。ナナの事だ。キチンとリスティに説明しているハズだ。リスティがそれを噛み砕いて話せてないだけ。
とはいえ、説明って……何を話したんだ……?
まあ、警戒が解かれた事実を喜ぼう。
「ふむ。今だから言うが……話をややこしくしたのはリスティだからな。お前が追手だなんだって騒ぎださなきゃ、俺は穏便にユーフを去るつもりだった」
「なっ、なによっ、それっ! あたしが悪い……みたい……じゃない」
最後のほうはごにょごにょっとなっていた。
……自覚あったのか。
「で、それがどうした? 今する必要がある話なのか」
挑発して来たのはリスティのほうなのに、待ったをかけられる身にもなって欲しい。
でないと――
龍級迷宮。踏破。それは夢見過ぎ。とはいえ、冒険者として。活躍。名を売る。かつては俺だって。転生した直後は。冒険者を見て胸躍った。力。氣闘術。リスティをあしらえた。俺の力はどこまで通用する? 条件さえ整えば、Cランクの魔物だって――
――余計な事を考えてしまうから。
「言っておきたかったのよ。アンタがムカつくってコト」
「……すまない。俺の頭が悪いのかもしれないな。全っ然っ話が見えないんだが」
「お店も人がたくさん来て、儲かってる。あたしが冒険者やらなくてもご飯が食べれるわ」
生活費どころか……他店舗も検討出来るぐらい、カネは溜まってるはずだが……親子だからってカネの話はしないのかな。まあ、言わないでおこう。今いうと火に油を注ぐ結果になりそうだ。
「だからムカつくのよ」
「……おお。不思議だな、意味が全然分からねぇのに、結論だけはよく分かりやがる」
俺が追手じゃなくて?
店が繁盛してるから?
ムカつく。
ははあ。理解したくないトコだけが良く分かりますね。
「それに――」
まだあるのかよ、とげんなりする。
「あたしより強いのがムカつく」
「……そうかよ。それは……分かりやすくていい」
俺は獰猛に笑う。
ああ、いかんな。
冒険者の事を散々否定して来たが……俺もまた己の力を恃みとする一人だったらしい。自分よりも強いヤツの存在が許せない。その気持ちは十分に理解出来た。
そう考えるとリスティはちょうどいい相手かもしれない。
リスティが魔物討伐に特化しているように。
俺もまたブラス相手の訓練しか行ってきていない。
踏む場数は多いにこしたことは無い。
俺は自然体で待ち構える。町中の護身用として鍛えてきたので、無手では返し技が主体なのだ。武器を使う場合には真逆になるのだが……今はいいか。
「来い。どこからでもいいぜ」
「……その余裕、なくさせてあげるわ」
よし、騙された。チョロいな。
万が一、負けたとしても面目が立つ。攻め手が無いだけなのだが。
セコいとか言ってくれるなよ。こういう本能丸出しなにゃんにゃんには、上下関係をキッチリしておかないと後で痛い目を見るのだ。
ふむ。様子見か。
いきなりかかってくるかと思ったが。
それならこっちも様子見だ。勿論、見る場所は決まって――
「ハッ」
リスティが飛び掛って来た。
ハァ? 思い切り良すぎ!
マズい、不意をつかれた。
マズい、揺れてる。
あっ、ああっ、思考にノイズがっ。
襲い来るストレート。回避した――と思ったが甘かった。襟を取られた。
リスティは左手で襟を掴み、右手を振り下ろす。ギラギラした目がこれなら避けられないだろう、と叫んでいた。はは、情熱的な視線をありがとう、セニョール。
ああ、確かに避けられないかも知れないな。
リスティの目を見据えながら、心中でそう返事をし、
「えっ」
足を刈った。
はい、一丁あがり。
「ぐっ」
リスティを岩棚に叩きつける。
「足元がお留守だ」
避けられないなら避ける必要を無くしてしまえばいい。あえて目を合わせた事で、リスティの意識は完全に上半身にいっている。後は無防備な足を刈ってやるだけ。
とはいえ、タイミング的にギリギリだった。
マズいな。
武器ないほうが強くないか、リスティ。
倉庫での大雑把な戦い方は忘れたほうが無難だな。リスティは格下だ。だが、隔絶した差があるワケではないらしい。
「コレが実践ならコカした後踏むから」
呆然と寝そべるリスティにいう。
忠告するだけ俺は優しい。ブラスなら無言で踏む。そのやる気を訓練だけじゃなく、仕事でも発揮していただきたい。
「わ、分かってるわよっ」
リスティは跳ね起きるなり、飛び掛ってくる。
今度はどんな手で…ってぇ、足ぃ。蹴りかよ。ひょいと避けて足を刈ってやる。二本でも耐えられなかったのに、わざわざ一本にするなんて下策だろ。
「分かった、リスティ。お前……攻撃が避けられると思ってないんだ」
「…………」
リスティは無言で俺を睨む。
……図星だったからって、そんな目で見るのやめろ。へこむ。
でも、俺なら、
「ハッ。普段貶されてるからって発奮してくれちゃって。年端も行かない子供を虐待するのは楽しいですか? ああ、すいません。楽しいですよね、だって貴方クズですもの」
ぐらいのことはいっている。
……すまん、ブラス。
遠い目になっていたお前の気持ちが少し分かった。
でも、また同じことがあったら、減らず口叩いちゃうと思うんだ。
「一撃に賭けるのも悪くは無い。でも、ハズれたら死ぬぜ」
アウディベアへの一撃を思い出す。あれだけの威力が出せるのだ。下手に小細工をするよりも、ゴリ押しすべしというのは、ある一面では真実である。
体勢を崩せるからだ。
いわばスタンだな。
スタンを連続発生させれば反撃の恐れも無い。
でも、スタンって当てないと発生しないのよね。
リスティは自分よりも素早い相手と戦った事がなかったのだろう。
だからこそのクセか。
とはいえ、戦術としては間違っていないから、こうしろとも言いづらい。俺の本来の戦闘スタイルは……特殊すぎて参考にならない。
「ま、いいや。どうせ口でいっても聞きゃァしないだろ」
ちょいちょい、と手招き。
コレ、やってみたかったんだよね。
お、釣れた。
両手で腕を掴まれた。
「これで逃げられないだろう、って? 甘いよ」
「なっ」
俺が練り上げた氣が見えたか。リスティが悲鳴を上げる。リスティとてこれぐらいの氣は練れるだろう。だが、俺ほど瞬時にというわけにはいかない。
「自分の底は易々と見せないもんだ、ぜっ!」
力任せに宙に放り投げた。
リスティは岩棚に四つんばいで着地。ホント、ネコみたい。
「……アンタ、どれだけ実力を隠してるの」
「さてね」
もう大半を見せましたが、なんて本心はおくびにも出さない。
その後もリスティは何度も挑んできた。
段々と手合わせの時間が延びた。スポンジが水を吸い込むかの如く、欠点が修正されていくのだ。俺が教えるまでも無かった。自身で気付き、修正するのだ。
俺の動きに最適化されて行く。
僅か十四歳で氣闘術を修め。
類稀なる嗅覚を有す。
これだけで天才と呼ぶに足る。
しかし、真にリスティをリスティたらしめているのはコレらしい。
そう、最適化。
俺が血反吐を吐いて体得したコトを、彼女は僅か一日で得ようとしている。尋常なことではない。何しろ、俺は途中から欠点を指摘するのを放棄していたのだから。
戦えば戦うほど強くなる。
それも格上の相手と。
主人公体質だな。
彼女ならば戦いの最中に必殺技を編み出しても、俺はへーと思うだけだろう。
モウ、ヤダ。
キライ。
テンサイ、キライ。
「ここまでだ」
リスティをあしらったところで俺は宣言する。
「はぁっ、はぁっ……なんでよー。面白くなってきたのにー」
「氣がもう練れない」
「ウソだあ」
「いや、本当に。俺の氣の総量は少ないの。なんならブラスに聞いてくれてもいい」
「なら、ちょうどいいじゃない。ギリギリまで戦えば増えるって」
「あのな。町じゃないんだぜ。余力を残しとけ」
身体を動かしていたせいか、リスティのテンションが高い。
へたり込んだまま、荒い息を整えている。
「うー。ダメ?」
「……ダメ」
あ、危ねぇ。な、なんと可愛らしいおねだりか。
上目遣い。破壊力高し!
これがさ、
――もっと戦え!
なんて殺伐としたものじゃなけりゃいいのにな。
「ま、いっか。アンタも暴れて気が晴れたでしょ」
「……リスティ。まさか、俺のために……」
「何が?」
だよね。
トルウェンと同じ轍を踏むところだった。
「ねえ。アンタの父親」
「う、うん?」
やべ、声が裏返った。
う、ウチの駄犬が……何か?
「どれぐらい強いの」
リスティが俺を凝視していた。
言葉以上の意味がその視線には込められている気がした。
「全く遺憾ながら……ん? 強いのは疑ってないのか?」
「ビビってきたから。強いの分かってた」
ビビっねぇ。
ま、いいか。
俺もたまには空気読もう。
「今、リスティが俺に抱く感情が理解できる、といえば分かるか」
「分かんない」
……えぇ。
くッ、こいつには勝てないっ、て思ってるんじゃないの。
こんだけやっても格付け終わってないの?
まー、確かにそろそろ一本取られそうだから、氣をダシにして終わりにしたんだが……
「……はあ。ブラスは強い。俺よりも遥かに。遠すぎてどんぐらいって言われても」
「……やっぱり」
「ま、そのうち俺が勝つけどね」
「へー。すごい自信」
勝ち目の無い相手に対し、いつかは勝つと吠える。
その姿勢は好ましく映ったようだ。
でも……
「……アイツ、そのうち内臓やられるだろうから」
オチをつけずにはいられない自分が憎い。
ああ、姫様。ダメでございます、そんな蔑んだ目で男性を見たら。興奮させてしまいます。
「世界は広いわ」
リスティは夜空を見上げながらいった。
彼女の瞳が煌めいて見えるのは、星の輝きを写しとっただけなのか。
「そうだな。世界は広い。でも、辿りつかない場所もない」
俺は辿りついた。リリトリアと。そしてお前にな。
「アンタもたまにはいいこというわね」
リスティは笑うと、少し寂しげに、
「けど、歩き出さなきゃ辿りつかないわ」
「……そうかもな」
リスティが抱える悩みに見当がついていた。
だが、相槌を打つ以外、俺に何が出来ただろう。
これはリスティの――いや、彼女の家庭の問題なのだから。生まれ育った町があって。彼女が冒険者をやっているのは、ナナのためだとステンもいっていたではないか。
龍級迷宮を踏破するんだろ、とか焚きつけるのは容易い。というか、容易すぎる感じがして、むしろ容易に口が開けないというか。
「ねえ、アレ」
リスティが指差す。
「……アウディベアだな」
一瞬目を疑ったが、間違いない。アウディベアだ。
「どうなってんだ? 生息地は森のはずだろ」
「斥候かもしれないわね」
「……せ、斥候?」
魔物と斥候。単語が結びつかなくて、馬鹿正直に繰り返してしまう。
「ギルドで言ってたのよ。アウディベアの王が現れたって」
「……王って?」
初耳だった。
「アウディベアよりも強いアウディベアよ」
「……へぇ、ふ、ふぅん」
コイツ、ダメだ。説明に向いてない。
明日になったら冒険者ギルドに聞きに行こう、と思った。
マップで見ると一匹だけだった。
「……アンタ、今なにしてたの」
リスティが眉間に皺を寄せていた。
リングの操作が見られていたらしい。
「おまじないさ」
どうせリングは俺以外には見えないのだ。下手な言い訳よりもこのほうが早い。
案の定、リスティは納得していなかったが、追求してこなかった。
アウディベアがいるしな。モメている場合でもない。
「どうするよ。やるか?」
一匹なら倒して速やかに町へ戻れば、危険は無いだろう。
そう思っての提案だったのだが、リスティは首を振った。
「やんない。斧ないし」
「喉狙えばなんとかなるだろ。剣でも」
「そう簡単に狙えたら誰でもマネしてるわよ。でも、誰もやってません。分かりますかあ? この意味?」
「……分かったが……バカにされた気がするのは気のせいか」
「へっへー。あたしの気持ち分かった? アンタの口調マネして見たのよ」
「……ああ、そうかよ。クソ神よりは上手かったよ」
「……クソカミ?」
「二度と会いたくねぇスカしたヤロウだ」
アウディベアを眺めていたリスティが不敵に笑った。
「それともアンタが倒す? かんたんよ。喉狙えばいいの」
「いいぜ。剣を貸してくれるなら」
リスティが目を丸くする。
「……危ないことしないんじゃなかったの」
「そういうことだな。あの程度なら危険はない」
「……へえ」
リスティが獲物を狙う目になる。
ちょっとそこのお嬢様。獲物はあっちの熊でございます。
「アンタの実力見せてもらうわ」
「はいはい、剣貸してくれ」
剣の切っ先を確認。うん、切れ味はありそうだ。素振りをして、感覚をチェック。
いけそうだな。
では、熊退治と行きますか。
「ちょっと! アンタ!」
リスティの声に俺は手を上げて答える。
分かってる、と。
俺が無警戒にアウディベアに近付いて行くのが見過ごせなかったようだ。
――無警戒。
コレが大事なのだ。
俺の戦闘スタイルを知らなければ、自殺に行くように見えるのも致し方がない。
「よう」
アウディベアに挨拶をすると、
「グ、オオォォ!」
「ハッ。元気のいい挨拶ありがとよ」
アウディベアが俺を獲物と認識した。
注意は俺に集中している。
だからこそ、好機。
――《隠形》。
「グアアッ!?」
アウディベアが叫ぶ。瞳は焦点を失っていた。俺を見失ったのだ。
目の前から唐突に人が消えたのだ。パニックになっていた。デタラメに腕を振り回し始める。大ぶり、かつ、見当違いの方向。ならば、掻い潜るのも容易い。
アウディベアの懐に入る。
真正面から挑めば命が三つあっても足りない距離を――気付かれる事もなく。
コレこそ《隠形》の真価だ。
ストーキングに使うスキルだと思ってもらっては困る。
「ガッ!」
アウディベアの動きが一瞬止まった。
見つかったか。この距離だしな。
でも、もう遅い。
既に剣は鞘から解き放たれ、銀の弧を描いていたのだ。
肉を断つ感触が手に伝わってくるのと同時にバックステップ。俺がいた場所に大量の血が降り注ぐ。
「浅かったか」
倒れたアウディベアが俺に手を伸ばしていた。
「背が足りねぇな、どうも」
大きなアウディベアの喉を狙うとなると、小柄な俺では剣の切っ先で切る形になり、力が十全に伝わらないのだ。その為、こうして仕留めそこなうことがままあった。
とはいえ――
「……グアァォ」
アウディベアの腕が地に落ちた。
――時間の問題だが。
漂って来る魔素を見ながら、「ブラスの酒代程度にはなるか?」と考えていた。
魔物を倒すことで得られる魔素は人によってまちまちだ。ブラスが倒すとかなり効率がいい。逆に俺はほとんど魔素が得られない。命をかけてるのに酒一杯分とかね。
理由は分からない。
クエストの報酬と比べたら、誤差の範疇なので真面目に検討されていないらしい。
驚愕の表情を張り付けたリスティが駆け寄って来た。
「……なにしたの。アンタ、消えたように見えたわよ」
「俺みたいな没個性者は影が薄いんだろうな。魔物からすると見えなくなることがあるらしい。殺気ギラギラさせた冒険者ばっかり相手にしてるからだろう」
「素直にいうつもりはないってコト」
俺は肩を竦めて返事とする。
「アンタ……どれだけ……」
リスティは慄いていた。
ふむ、いい気分だ。
これなら本来の戦闘スタイルを見せた甲斐もあるというものだ。
誰も俺を褒めてくれないからな。
俺は褒められて伸びるタイプだと思うんだけどなあ。
まあ、褒められたくてやったワケではないが。
――次来た人は気付かないかも知れないから。でしょ? 冒険者は助け合わないと。
確かにな、リスティ。
あの時そう思った。
だから、俺もそれに倣ったまでだ。
俺の戦闘スタイルを一言で言うなら暗殺者である。
一撃必殺のクリティカル重視といったところか。
《隠形》で気配を断ち、死角から接近し、急所を切り裂く。まず俺をタゲらせると効率がいい。ただこれを出来るのは夜だけ。日中だと流石に目の前で消える芸当は出来ない。
まさしく暗殺者。
攻撃の瞬間だけ氣を練り上げているので燃費がいい。俺は氣の総量が少ないのでこういった戦い方をしないと、すぐにガス欠になってしまうのである。
言わば苦肉の策で生み出された戦闘スタイルだ。
しかし、俺の性格とも相まって非常にやり易い。
「帰ろうぜ。斥候が死んで本隊が来るかも知れない」
アウディベアに本隊があるか知らないが。
「討伐部位は?」
「時間が惜しい」
「そうね」
言うが早いかリスティは駆け出した。俺は土地勘がないのでリスティに続く。
ぴょこぴょこ揺れるツインテールを目で追っていると、
「ねえ」
「ん?」
物凄く嫌な予感がした。
振り返ったリスティは――
「アンタ、やっぱりウソついてたわね」
――歯をむき出しにして笑っていたのだ。
「次は氣が尽きたなんて言い訳聞かないから。覚悟しとくのよ」