第十八話 「天才料理人シロ 帰郷する」
「おチビちゃん、何しているの?」
昼前の厨房から通路に出ると、唐突にエディムから声をかけられた。
オルティッシオの襲撃以来だろうか。エディムはいつも何かに追い立てられるように、せわしなく動いている。たまに通路で見かけるが、普段は眼中にない様子だ。僕が頭を下げても、いつも無視される。
そんな彼女が、どうして今日は話しかけてくるのだろう?
猫なで声で気味が悪い。
とにかく上官から声をかけられたのだ。返事をしないと。
「はい、食材の買い出しに行こうかと思っていました」
「そう。それより話があるのよ」
「で、でも……」
「いいからいいから、大佐命令よ。光栄に思いなさい。この私がランチを奢ってあげるわ」
なんという力だ。強引に腕を掴まれ、半ば引きずられながら食堂に移動させられる。
食堂の扉を開けると、湯気と香辛料の混じった熱気が顔を包んだ。平日の昼時、軍団員たちが三々五々とテーブルを囲んでいる。
食券売り場の掲示板に目が止まった。ひときわ目立つのが——
「特大ステーキ定食 1200ゴールド」
黄金に輝く文字が、僕の目を釘付けにする。隣には厚切りの肉が湯気を立てている絵まで描かれていた。
目移りしてしまう。
高級食材を使っているだけに値が張る。高給取りになった僕でも二の足を踏む値段だ。
食堂の料理人たちも、自慢ではないが僕の指導でだいぶ腕が上がった。厨房の向こうから聞こえる包丁の音、フライパンを振る音。漂う香りは確実に僕が教えた香草の使い方だ。
味見はしているが、料金を払ってきちんと食べたことはなかった。
食べてみようかな?
メニューボードの前で立ち止まっていると、後ろから並んだ兵士たちの視線を感じる。「おい、あれシロじゃないか」「料理長が客として来るなんて珍しいな」そんな囁き声が聞こえてくる。
ん?
エディムが目つきを鋭くして睨んでくる。唇が薄く一線になり、明らかに「贅沢は許さない」という意思を示していた。
はいはい、わかりましたよ。
無難な値段のうどんにしよう。食券を購入し、番号札を受け取る。
「あら、そんなのでいいの? 遠慮しなくていいのよ。ほら、こちらのデラックス定食なんかおすすめよ」
エディムが指差すメニューを見ると、確かに豪華だった。メインディッシュに前菜、スープ、デザートまでついている。値段も相応に高い。
「僕、少食なんで、そんなに入らないんです」
愛想笑いでごまかす。
遠慮した方がよいだろう。このタイプは「遠慮するな」と言っておいて、本当に遠慮なくやられると切れるタイプだ。
「ふうん、まあいいや。ほら、それ持って、ここに座りなさい」
エディムが指差したのは、食堂の奥まった場所にある二人用の小さなテーブルだった。周りの喧騒からは少し離れており、会話をするには適した場所だ。
エディムが先に奥の椅子に座り、指でとんとんとテーブルを叩いて向かいの席を示した。
こんな人でも大佐で雲の上の上司だ。逆らうわけにはいかない。
指定された椅子に座り、運ばれてきた温かなうどんをすする。出汁の香りが鼻腔に広がり、確かに僕が教えた通りの味付けになっている。しかし、エディムの視線を感じながらでは、せっかくの味も半分も楽しめない。
「ここには慣れた?」
「はい?」
思わず箸を止め、相手の顔を見上げる。エディムの表情には作り物めいた笑顔が張り付いているが、眼だけは笑っていない。
「ここには慣れたかと聞いているのよ」
今度ははっきりと、まるで詰問するような口調だった。
「慣れました」
短く答えながら、内心で警戒を強める。
この人が気遣いの言葉を僕に?
「それはよかった。不満はないのよね?」
「不満なんてありません。衣食住が確保されて好きな料理ができる。それだけで十分幸せです」
「まあ当然ね。獣人如きが栄えある邪神軍の一員になれたのですもの。幸せすぎて、天にも昇る気持ちでしょ」
最後の一言で、エディムの口元が僅かに歪んだ。優越感を隠しきれない冷笑だ。
「はい、その通りです」
下を向き、うどんの汁を一口飲む。熱い汁が喉を通る間、必死に表情を制御していた。
「よしよし、わかってるじゃない」
エディムは満足そうに頷き、指先でテーブルを軽く叩く。規則正しく、まるで時計の針のように単調な音。
間があく。
食堂の他の客たちの笑い声や食器の音が、沈黙を際立たせる。
「あのそれで何か僕にご用でしょうか? 新しい任務ですか?」
僕がようやく口を開くと、エディムの指が止まった。
「任務じゃないわ。ただの世間話よ。おチビちゃん、色々あったみたいだから心配してたのよ」
心配という言葉を口にしながら、エディムの表情には一片の心配も見えない。
さっきからなんだなんだ、この人。全然心配していない様子で心配しているセリフを吐いてくる。
「それでね、提案があるのよ。たまには里帰りするなんてどう? あなたも今や邪神軍の准尉、故郷に錦を飾りなさいよ」
エディムが僕を気にかけてくれている?
嘘だ。僕にはわかる。
この人は僕を好きでもなんでもない。いつも僕を路傍の石のように見ているくせに。なぜ僕なんかを気にかけているのかわからないが、何かを企んでいるようだ。
嫉妬? 違う。
憎しみ? 違う。
何かに利用しようとしている?
正解、これかもしれない。
獲物を見つけた捕食者の眼だ。嫌だな。まあ、ガウのように敵意満々で接してこられるよりはマシだけど。
「帰りたいけど、無理です」
「どうして?」
「わかってると思いますが、僕は皆に嫌われています。故郷に帰ったとたん村の戦士から殺されるでしょう」
「ええっ、そんなことないと思うけどな」
エディムは大げさに驚いてみせたが、その演技はあまりにも白々しい。
「あの、もういいですか。食材の買い出しがあるので」
立ち上がろうとしたが——
「ちょっと待って。じゃあさ、私がついていってあげるよ」
「ついてくるんですか、どうして?」
「鈍い奴ね。おチビちゃんの護衛をしてあげるのよ、大佐の私が直々に。本来はありえないことよ。涙して感謝しなさい」
「危ないですよ。僕と一緒にいれば、あなたも村の戦士から危害を加えられます」
「……見当違いの心配をしているわね」
エディムの眉がぴくりと動き、ゆっくりと口を開いた。その声は氷のように冷たい。
「私があんな雑魚共に遅れを取るとでも?」
邪神軍の大佐、なかなかの地位だ。オルティッシオに文句を言える立場であるが、言動があまりにも小物っぽい。
この人の実力を知らない。
ミレスさんと違って、実力ではなく血筋で地位を上げたんじゃないのかな?
「あの、本当に危険ですよ」
「はあ? お前、まさか本気で私が獣人如きにやられると思ってんのか?」
エディムが怒りをあらわにする。
本当に強いのか?
いや、でもあの時、村の戦士たちを倒したのはオルティッシオだ。この人はただ見てただけだった。疑わしい。
でも、まあ、上官の機嫌を損ねるわけにはいかない。話は合わせて、この話は断ることにしよう。
「すみません、信じます。エディム様の腕なら獣人の群れなど一蹴するでしょう」
「当然だ。では早速おチビちゃんの故郷に帰るとしましょう。すぐに準備しなさい」
「ち、ちょっと待ってください。確かに個人的に帰りたい用事はありますが、急すぎます。まだ、自分の料理任務も終わってないんですよ」
「料理任務ならモチキチとやらに引き継がせた」
「えっ? そんな勝手に」
「勝手ではないぞ。ここに来る前に、略式だがお前を少尉に昇進させておいた。私の預かりとしたから、面倒な手続きもいらずにここを出られるからな」
なんだ、どういうことだ? 僕を昇進までさせて、すごい手の回しようだ。
少尉以上であれば、面倒な手続きなしに国外移動が可能だ。この人は多分、気軽に他人を出世させるような性格ではないはず。
今回の帰郷、僕が思うより危険かもしれない。断るのが安全だろう。
ただ、おばあちゃんの墓参りはしたい。僕を育ててくれた、たった一人の家族。おばあちゃんのお墓だけは守りたい。ガウはミレスさんが散々脅していたから、当分ちょっかいはかけてこないと思う。だけど万が一里に帰られてお墓を壊されたら……
おばあちゃんのお墓は、山中にひっそりと建てた。その場所は、僕以外にも何人か知っている。お墓参りする際に目撃されてるから。
ガウが村民を脅し続ければいずれ見つかるだろう。
帰郷してお墓を誰も知らない場所に移動しておきたい。機会があれば帰りたいのだ。
……でも、この人は信用できない。
「あの、エディム様のお手を煩わせることは心苦しいです。帰郷はミレス様と一緒にします」
ミレスさんなら腕もあるし信用できる。わがままを言うことになって申し訳ないが、仕事が一段落したら頼みに行こう。
「残念ねえ。ミレスはドリュアス様が密命を与えたみたいで遠国に出張してるわよ」
「そうなんですか!」
「そうなのよ。だからミレスに頼るのはやめなさい」
「じゃあ、ミレス様が戻られてから帰郷します」
「ち、ちょっと待て」
そう言うと、慌てたようにエディムは僕に帰郷するように説得を始めた。
◆ ◆ ◆
食堂の同じテーブル。
チビ獣人を誘導して帰郷させようとしたら、危険だから帰らないという。ならこの私が護衛してやると言えば危ないなどと言ってきた。私の腕をまるで信用していない。
まったく舐めてるわね。本来ならぶっ殺して力を見せつけてやりたいが、任務優先だ。
手っ取り早くその辺の奴を殺して腕を見せたいが、この食堂は邪神軍関係者しかいない。死闘は禁じられている。
それなら……
「私の力を見せてやる。ほら腕相撲するぞ。私は小指でお前は両手を使え」
テーブルに右腕を置き、小指だけを立てる。
「……村の女の子にも腕力で負ける僕とですか? 料理に支障が出ないように優しくお願いしますね」
チビ獣人が困惑した表情で、私の小指を両手で包むように握った。完全に呆れているわね。
「始めるぞ」
小指に力を込める。チビ獣人が両手で私の小指を押そうとするが……
弱い。あまりにも弱い。これでは力を見せつけても意味がない。むしろこれ以上力を入れたら、こいつが壊れてしまうかもしれない。
「ど、どうだ、参ったか?」
一応勝利を宣言してみるが、チビ獣人の表情は「そりゃそうでしょう」という感じ。全く効果がない。だめだ、弱すぎて話にならない。
腕相撲ではだめだ。外で魔弾を魔獣にでも放って威力を見せてやるか? いや、それは時間がかかる。
「あの、もういいですよね?」
チビ獣人が立ち上がろうとする。
「だから待てって。帰郷をだな——」
「それは任務ですか?」
まずい。痛いところをついてくる。
任務ではない。これはあくまでプライベートでなければならない。任務のログを残すわけにはいかないのだ。
「に、任務じゃない。だが、休暇の過ごし方の提案をだな」
「ご提案感謝します。ですが、結構です。食材の買い出しをしないと」
何か、何かないか……そうだ。
ガウがチビ獣人への仕返しで言ってたな。墓をぶっ壊すとかどうのと。これは使える。
「ガウが何か悪だくみをしていたようだぞ。故郷に帰って確かめなくてよいのか」
「本当ですか!」
チビ獣人が見るからに動揺を始めた。
効果ありだ。
ガウとのつながりをできれば示したくなかったが、こいつが帰りたがらないから仕方がない。まあ、どうせこいつは不慮の事故で数日後には死ぬのだ。死人に口なし、問題ないか。
「本当だ。奴は腹に一物を抱えているぞ。面倒になる前に早く帰らないと」
「そうですね、帰りたいです」
「じゃあ行くぞ」
「ミレス様は本当にいないんですよね?」
「ああ、嘘を言ってどうなる。ミレスは遠方のヤッコイまで出張中だ。しばらく帰れないぞ」
「わかりました。帰ります。ただし、オルティッシオ様も一緒なら考えます」
「はぁ? ここでなぜオルティッシオ様がでてくる?」
「オルティッシオ様がいらっしゃれば、村のみんなも大それた行動はできないと思いますので。この条件は絶対です。僕も命は惜しいです。僕とエディム様だけでは帰りません」
「うぐぐ、だがあのバカがいれば……」
「では帰りません。どうしても帰郷をお勧めするのであれば、任務としてご命令ください」
「くっ」
あのバカにはいつも苦労している。今回も何かしら足を引っ張ってくるに決まっている。
バカティッシオを連れていくなんて論外——いや、待て。物は考えようだ。
このチビ獣人は少尉の肩書がある。バカティッシオに殺させれば、ジャシン法に従い軍法会議で処刑にもっていける。ティレア様もお気に入りを殺されれば庇うまい。
これでチビ獣人もバカティッシオも、まとめて始末できる。
「わかったわ。オルティッシオ様がいれば帰郷するのね」
「……はい」
チビ獣人に帰郷の準備をするように伝え、食堂を後にした。再び邪神軍本部の廊下を歩く。今度の目的地は、邪神軍第二師団詰所——バカティッシオの居住区だ。
さて、次はバカを説得する番ね。
厚い鉄製の扉の前に立ち、一瞬躊躇した。扉の向こうからは、何やら金属音と、くぐもった笑い声が漏れ聞こえてくる。
今度は何をしているのだ、あのバカは?
嫌な予感がする。いつものパターンだと何か害を被りそうだが、任務のためだ。意を決して扉をノックし、中に入る。
部屋はいつものように整然と片付けられていた。書類は整理され、武器は専用の棚に収められ、床には一片のゴミも落ちていない。私とギル様が管理しているおかげだ。バカティッシオがどれだけバカでも、少なくとも部屋だけは上級将校に相応しい状態を保っている。
しかし、その整理された空間の中央で、バカティッシオは何やら奇妙な鞭を持ってニヤニヤとしていた。
表面に細かな魔法陣が刻まれ、青白い光がかすかに脈動している鞭。柄の部分は漆黒の木材で作られ、全長は約一メートル五十センチほど。
バカティッシオは鞭を軽く振りながら、まるで新しい玩具を手に入れた子供のような表情を浮かべている。
どうやらバカに磨きがかかっているようだ。
私やギル様は忙しくててんてこ舞いだというのに、こいつは本当に暇そうだ。腹が立つが、かといってバカが出しゃばって来られても困るので、大抵放置している。
室内を素早く見回した。
よし、ギル様は近くにいないようだ。あの人は洞察力が鋭い。今日のような怪しい行動を取れば、すぐに気づかれてしまうだろう。
バカティッシオの部下たちもいない。バカだけを引っ張ってこなければ。
表情を作り、興味深そうな顔でオルティッシオに近づいた。
「オルティッシオ様、何をされているんですか?」
「おお、エディム、いいところに来た」
そう言ってバカティッシオの眼が一瞬輝き、鞭を振り上げた。魔法陣が急激に明るくなり、青白い光が鞭全体を包み込む。
「うっぎゃああ!」
鞭が空気を切り裂く鋭い音と共に、私の肩を直撃した。まるで雷に打たれたような衝撃。皮膚に焼けるような痛みが走り、一瞬視界が白く染まった。
「何をするんですか! 痛いじゃないですか!」
本気で抗議の声を上げた。体がふらつき、壁に手をついて支える。肩から血が滲み出ている。
肩を押さえながら抗議すると、バカティッシオは満足そうに鞭を眺めた。
「ふふ、死んでおらんな」
いや、死にそうだったわ! 吸血鬼の体を切り裂いてきたのだぞ。当たりどころが悪ければ死んでたわ。心臓にでも当たっていたらアウトだ。ふざけんな。
いますぐバカに飛び掛かるか部屋を飛び出したいが我慢だ。任務のためにこいつと会話をする必要がある。
「……オルティッシオ様、いきなり酷いですよ。何がしたいのですか。説明してください」
「これはな、魔力を調整して手加減ができる武器だ。どんなに力を入れても生命力一だけ残して完璧に制御できる。見事な魔法工学の傑作よ。わが部下ジャパンニーが一晩で作った渾身の作品だぞ」
「そ、そうですか、それはすごい鞭なんですね。で、その鞭を振り回した理由は?」
「貴様も言っていただろ。家畜とはいえ、ティレア様の持ち物だからな。思えば家畜を殺しすぎた。今後はエコを実践する。これで資源を消費することなく、家畜を働かせることができる。まぁ、貴様に振るったのは家畜に試す前のテストだ」
バカティッシオは再び鞭を軽く振り回しながら説明を続けた。魔法陣が魔力に反応して淡く光り、鞭の先端がしなやかに宙を舞う。
こ、殺したい。だが、これはいい口実になる。
「なるほど、それなら実地でテストしましょう」
肩の痛みを堪えながら、バカティッシオの興味を村に向けさせるために提案した。
「ふむ、そうだな。こうしている間にもあいつらさぼっているかもしれん。怠惰な家畜には鞭の味を教えてやる必要があるな」
思った通りの反応ね。あとは上手く誘導するだけ。
「そうでしょ、そうでしょ。早速獣人の村へ行きましょう」
「よし、ギルを呼んで部隊を——」
ギル様が来たら全てが台無しになる。
「ち、ちょっと待ってください。その必要はありません。ギル様はお忙しい身ではないですか。お供は私がいたしますので」
「お前だけでか、手落ちが発生しそうだな」
くっ、この単細胞め、素直に従いなさい。
「善は急げですよ。ちょうどチビ、シロとかいう獣人が帰郷するって馬車を準備しております。部隊を整えていたら時間がもったいないじゃないですか」
時計を見ながら、焦りを演出した。
「ふむ、そうだな。早く効果を試したいところではあったな。よし、不本意だがエディム、お前が供をしろ」
「はっ」
イライラとむかついたが、我慢だ。表向きは恭しく頭を下げた。
あとは馬車で待つだけ。全て計画通りね。
くくく、バカめ、これでチビ獣人のついでに貴様も墓場送りにしてやる。
それから数時間後——
邪神軍本部の中庭に、一台の黒い馬車が用意されていた。夕日が石畳に長い影を落とし、出発の時が近づいていることを告げている。
馬車の内部は意外に豪華で、深紅のビロードで張られた座席と、小さな魔法灯が温かな明かりを提供している。私は奥の席に座り、チビ獣人は扉側に向かい合わせで座っていた。
バカティッシオに準備があるから先に行けと言われ、馬車の中で待機していた。
時計を見る。約束の時間まであと少し。
遅いわね、あのバカ。
「何をとろとろしているのよ」
窓の外を見ると、本部の入り口付近で人影が動いているのが見える。
バカティッシオ、やっと来たか。そのとき、馬車の扉が開かれた。
「テ、ティレア様、ど、どうして?」
これは完全に予想外の展開だった。
なぜティレア様が!?
「聞いたよ。シロが里帰りするんだってね、私もついていっていいかな?」
「え、えっと、それは……」
「急だったし、だめかな?」
『だめですよ。急に来られても困ります。こっちにも計画があるんですから。ティレア様は料理でもしていてください』
そんなことを言おうものなら——
後日——
「あはは、エディムについていくのを断られちゃった。てへっ、ペロペロ:BY ティレア様」
「ふむ、この邪神軍にティレア様を最優先にしない不忠義者がまだおったか、死刑:BY ドリュアス様」
「死刑ですな:BY ニールゼン様」
「右に同じ:BY 幹部の皆様」
「エディムよ、よくも我に恥をかかせてくれたな。貴様は二度殺してやる。(死刑)×(死刑):BY カミーラ様」
「お待ちください。ただの死刑など反対ですぞ。さあ私が鈍刀を持ってまいりました。これでリョウチ刑としましょう。あ、この切れ味の悪い鈍刀ですか、ジャパンニーが一晩で作りました:BY バカ」
脳裏に、恐ろしい光景が次々と浮かんだ。
生きて帰れない……
「も、もちろん、どうぞ。ティレア様のお言葉が最優先です」
震え声でそう答えながら、内心で計画の修正を迫られていた。
「いやあ急にごめんね。私もシロの里に行ってみたくて」
「……いいんですよ。ちなみに誰からお聞きになられたのですか?」
必死に冷静を装いながら質問した。
「私だ」
バカティッシオの低い声が馬車の外から響いた。続いて彼の大柄な体躯が馬車の入り口を塞ぐように現れる。
バカティッシオ! 余計な真似を!
「これから家畜支配の成果をお見せするのだぞ。ティレア様にお越しいただかないでどうするか!」
バカティッシオは得意げに胸を張りながら、ティレア様に向かって頭を下げた。
最悪の展開……計画が……完全に狂った。
ティレア様がいるとせっかくの作戦が……下手したらティレア様が軒並み獣人たちを全滅させてしまう。バカティッシオと違ってティレア様はジャシン法の外にいる方だ。誰を何人殺そうがお咎めされることはない。
ん? なんだ?
あのチビ獣人が危ないからとティレア様が来るのを必死に止めている。
もしかしてチビ獣人はティレア様のお力を知らないのか?
まあ、基本ティレア様は料理が中心であまり戦闘はしないから。これは……むしろ好都合かもしれない。
いいぞ。私は反対していない。チビ獣人がティレア様のお言葉を最優先にしていないのだ。
シロの行動を利用できる。このままチビ獣人に説得を任せてティレア様がついてこなければ——しかし、ティレア様の次の言葉が、新たな希望を打ち砕いた。
「ふうん、そんなに治安が悪いところなんだ。じゃあ今回は諦めて次回はミレスちゃんも連れて一緒に——」
それは絶対にだめだ!
ミレスが一緒に村に行けば、私の計画は完全に破綻する。あの女ほどしたたかな女はいない。私の作戦などすぐに看破して邪魔してくるだろう。
もう後戻りはできない。是が非でも今回行くしかない。次の機会は絶対にミレスが帯同してくることになる。
最悪ティレア様とバカティッシオなら、話を誘導してチビ獣人を一人きりにさせるのはそう難しいことではないはず。
深呼吸し、最後の賭けに出ることを決意した。
私の相棒、黒兎馬の出番ね。カミーラ様からいただいた愛馬だ。
馬車の窓を開け、口笛を吹いた。私と黒兎馬だけの合図だ。
遠くから蹄の音が響いてくる。規則正しいリズムから、徐々に速度を上げて近づいてくる音。
「エディム様、何か?」
御者が振り返って声をかけてくる。
黒兎馬が中庭に姿を現した。漆黒の毛並みに、黒炎のような黒いたてがみを持つ美しい馬だ。
「さすがね、私の相棒」
馬車の窓から身を乗り出し、御者台へ飛び移る。御者を蹴飛ばして引きずり下ろした。
「エディム様、何を……」
「どきなさい! この馬はあなたには扱えないわ」
素早く普通の馬を外し、黒兎馬を馬車に繋いだ。黒兎馬は私にだけ従順で、普通の人間では到底制御できない。私のような怪力でなければ、この馬の手綱を握ることすらできないのだ。
ミレスが一緒に行く前に、今回の件を片付けなければ。
御者台に上がり、黒兎馬の手綱を握った。この馬の力強さが手に伝わってくる。
「出発!」
手綱を振り、黒兎馬に号令をかけた。黒兎馬は即座に反応し、石畳を蹴って駆け出した。普通の馬とは比べ物にならない速度だ。
馬車は激しく揺れ、車輪が石畳を叩く音が雷鳴のように響く。
「きゃー! エディム、ちょっと速すぎない? 止めて止めて!」
ティレア様の声が後ろから聞こえてくるが、聞こえないふりをした。風の音にかき消されたということにしておこう。
そのまま聞こえないふりをして全力で飛ばしていると、
「エディム! ティレア様のお言葉だぞ。止めろ!」
バカティッシオの大声が響いた。さらにこちらに乗り込んでくる気配が見える。ここまでか。
「はい、失礼いたしました」
渋々手綱を引き、黒兎馬の速度を緩めた。
馬車の中を振り返ると、チビ獣人が青い顔をして目を回していた。そして、そのままぐったりと座席に倒れ込む。
「エディム、もう少し安全運転でね。危ないじゃない」
「申し訳ありません、ティレア様。以後、気をつけます」
「本当に気を付けてね。シロなんて目を回して気絶しちゃったよ」
ティレア様が大丈夫とチビ獣人を起こそうとしている。
「あ、起こさないほうがいいですよ。シロ疲れているようですし、このまま寝かせて村に向かいましょう」
「それもそうね。あ、でもシロが治安が悪いって言ってるからミレスちゃんも一緒に今度行こうかって言おうとしてたのよ」
「大丈夫ですよ、治安が悪いといってもごろつきの雑魚しかおりません。私とオルティッシオ様、何よりティレア様のお力があれば問題ございません。このまま故郷へ急ぎましょう」
「まぁ、吸血鬼のエディムがいれば大丈夫よね」
ティレア様はそう言って納得された。
気絶したチビ獣人を見ながら、内心でほくそ笑む。これで反対する者は誰もいない。このまま村に着いてしまえば作戦は達成されるだろう。




