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第十四話 「天才料理人シロ 出世する(後編)」

 ガウが勢いよく突進する。その速度は以前の数倍で、床が軋む音を立てた。拳には獣人特有の鋭い爪が光り、一撃で人を殺せるほどの威力がある。


 しかし、次の瞬間――

 指で止めた?


 僕は目を疑った。体重百キロはある大型獣人のガウを、ミレスは指一本で止めている。まるで壁にぶつかったかのように、ガウの突進が完全に止まっていた。その指は微動だにせず、ガウの拳を受け止めている。


「な、な、う、嘘だろ?」


 ガウの声に動揺が混じっている。自分の全力の攻撃が、指一本で止められるなど信じられないのだろう。


「嘘じゃないわ」


 ミレスの声は相変わらず冷静だった。まるで何でもないことのように。


 ミレスがピンと指で弾く。


 ただのデコピンだった。しかし、その瞬間、ガウの巨体が宙に舞った。

 ガウが部屋の隅まで吹っ飛んだ。壁に激突し、石が砕け散る。その衝撃音は雷鳴のようだった。


 あれ、ただのデコピンだよね?


 しかし、その威力は尋常ではなかった。一体どれほどの力が込められていたのだろう。


「あぐっ!?」


 ガウが起き上がろうとするが、体がふらつている。明らかにダメージを受けている。


「やりやがっ――はがぁ!」


 再び立ち上がろうとするガウに、ミレスは再びデコピン。今度はさらに勢いよく飛ばされた。


 ガウが飛び出すたびに、指で弾いていく。まるでピンポン玉で遊んでいるかのような軽やかさだった。しかし、その度にすごい音が響いている。指一本でどれだけの力が込められているのだろう。


 壁に穴が開き、床に亀裂が走る。建物全体が揺れるほどの衝撃だった。


「はぁ、はぁ、はぁ、ど、どうなってやがる?」


 ガウの声に恐怖が混じっている。


 すごい。あのガウがてんで相手になっていない。ミレスは余裕綽々だ。実力を微塵も出していないのだろう。この人、身分だけではない。確かな力がある。


 ガウは息も絶え絶えなのに、ミレスは汗一つかいていない。涼しい表情だ。見かけは可愛い女の子だけど、間違いなく強者だ。下手したら暴将オルティッシオと同格かもしれない。


 僕は改めてミレスの容姿を観察した。年齢は十六歳前後に見える。長い髪を後ろで束ねており、知的な印象を与える。制服も完璧に着こなしており、一分の隙もない。しかし、その美しさの裏に隠された力は計り知れない。


「で、でたらめな強さじゃないか?」


 ガウが床に這いつくばりながら呟く。


「あんたが雑魚すぎるんじゃないの?」


 ミレスの答えは実に辛辣だった。しかし、事実でもあった。


「どうしてこんな真似をしやがる」

「だから、いじめだって言ってるでしょ。いじめに理由はないわ」


 その言葉の冷たさに、僕は背筋が寒くなった。


「く、くそ」


 強者にはとことん弱いガウだ。権力もあり、かつ自分よりはるかに力を持つミレスには逆らわない方がよいと判断したらしい。


 しばらくして、息を整えたガウは態度を一変させた。これもまた、ガウらしい。


「へっへ、悪い人だ。そんなにお強いなら初めから言ってくださいよ。先ほどの無礼は許してください。他でもない、あなたにお仕えしますよ」


 掌を返したような態度の変化だった。強者には媚びへつらい、弱者には傲慢に振る舞う。それがガウの処世術だった。


「結構よ」


 ミレスの返答は素っ気なかった。


「そんなこと言わないでくださいよ。これでも役に立つ男ですぜ。何だってします」


 ガウは必死にアピールしている。しかし、ミレスの表情は変わらない。


「お断り」

「そんな弱虫よりぜってぇ役に立ちますぜ」


 ガウは僕を指差した。その目には軽蔑と憎悪が混じっている。


「役に立つとか立たないとか、どうでもいい。でも言ってあげるわ。シロ君の方が、あんたの百倍有能で役に立つわ」


 え? 僕のことを知ってるの? しかも、そんなに高く評価してくれるなんて。


「なぜ、そこまでこいつを! 俺が何をしたっていうんだ!」


 ガウが叫んだ。その声には理解できないという困惑があった。


「あんたのような下種が嫌いだからよ。簡単でしょう?」


 ミレスの理由は実にシンプルだった。好き嫌いという個人的な感情だ。


「そんな個人の感情を優先していいのかよ。こんなの許されない。オルティッシオ様に、いや、もっと上の、ティレア様に訴えてやる」


 ガウは最後の手段に出た。邪帝の名前を持ち出したのだ。

 邪帝の名前が出た瞬間、ミレスの表情が一変した。それまでの余裕が消え、殺気が部屋を満たす。


「ティレアさんを巻き込むのは許さない。いや、もう殺すか」


 その殺気は本物だった。空気が重くなり、呼吸が困難になる。


「ひ、ひぃ」


 殺気が部屋を満たした。今度は本気だ。ガウは今度こそ本当に怯えた。死の恐怖を感じ取ったのだろう。代わりの恨みとばかりに、僕を殺気立った目で睨んできた。


「く、くそ。ミソッカス、覚えてろよ。この屈辱は何倍にして返してやるからな」


 ガウは捨て台詞を吐いて去ろうとする。しかし、ミレスがそれを許さなかった。


「待ちなさい」

「な、なんだ」

「あんた、もうここに来ない方がいいよ」


 ミレスの声に警告の響きがあった。


「俺はお払い箱ってことか? 俺の身分はジャシン法で保障されてますぜ。いくらあんたが大将だからって」


 ガウは法的な権利を主張した。確かにジャシン法では、正当な理由なく軍団員の権利を剥奪することは禁じられている。


「ふぅん、いいの?」

「どういう意味だ!」

「私がいじめるからよ。あんたを見かけるたびに、ぶんなぐるって今決めたわ」


 なんという宣言だろう。大将という地位を使った、堂々たる脅迫だった。


「な、なんじゃ、それ。横暴な!  ふ、ふ、ふざけ――ひ、ひぃ」


 ミレスはぽきぽきと拳を鳴らしている。その音が部屋に響く度に、ガウの顔が青ざめていく。


「さっさと失せな。一度目は警告、二度目はないわ」


 その言葉には有無を言わせぬ迫力があった。


「ひ、ひぃ」


 ガウはほうほうの体で部屋から出て行った。扉を開ける手すら震えており、その後ろ姿は完全に打ちのめされていた。あの様子なら、二度と地下帝国に戻ってこないだろう。いや、ジャシン軍そのものから逃げ出すかもしれない。


「偉ぶるのは好きじゃないんだけどね」


 そう言って、ミレスさんは地面に這いつくばる僕に手を差し伸べてきた。微笑みを浮かべて、ガウを見ていた時とは真逆の天使のような顔だった。その変化はあまりにも劇的で、同一人物とは思えないほどだった。


 ミレスさんに手を貸してもらい、僕は何とか起き上がった。彼女の手は小さくて柔らかかったが、そこには確かな力があった。


「ありがとうございました。助かりました」


 心からの感謝の言葉だった。あのままでは確実に殺されていただろう。


「いいのよ、これくらい。それより、怪我の具合はどう?」


 ミレスさんの声には本当に心配している様子があった。上官が部下を心配するのは当然だが、それ以上の優しさを感じる。


「平気です」


 実際は腕が痛み、関節も完全ではなかったが、これくらいは我慢できる。

 いつもこれくらいの暴力は受けている。村にいた頃から、僕は格好の標的だった。戦闘能力が低く、反撃もしない僕は、ストレス発散の道具として使われることが多かった。ひねられた腕も、常備している湿布でも貼れば問題ない。


「よかった。でも無理しないでね」


 めったにない優しい言葉をかけられ、僕は照れてしまった。こんなに心配してくれる人がいるなんて、夢のようだった。


「ほ、本当に大丈夫ですから」


 それでも僕は強がった。弱みを見せることに慣れていないのだ。


「それより、いいんですか? ガウはオルティッシオ様に、あることないこと吹聴すると思います」


 僕はミレスさんの身を案じていた。ガウの性格上、必ず報復してくるはずだ。


「大丈夫よ。ああいう手合いには、暴力が一番効くから」


 そう言って、ウィンクしてくるミレスさん。


 可愛い。美しく、そして強い人だ。ガウを歯牙にもかけない。圧倒的強さからくる自信の表れなのだろう。


「そ、そうですか」

「えぇ、暴力は嫌いだけど、ああいう手合いは虫唾が走るから、ついね」


 ミレスさんは誤魔化すように、ペロッと舌を出した。その仕草は年相応の可愛らしさがあった。


「それよりあなたがシロね。探してたのよ」

「僕を知ってるんですか?」


 なぜ大将が僕のような底辺の兵士を知っているのだろう。


「うん、ティレアさんから聞いたわ」

「ティレア様ですか」

「そうよ、すばらしい料理人なんですってね」


 ティレア……ジャシン軍の皇帝であり、この軍団の絶対的支配者だ。


 ティレアか……。


 厨房での出来事を思い出す。ティレアは確かに料理について執拗に聞いてくる。料理を学びたがる。好奇心旺盛な子供のように熱心だった。


 料理の腕は、ジャン以上モチキチ以下ってところかな。僕から見れば、まだまだ修行不足だ。基本的な技術もそうだが、応用力が特に不足している。食材の組み合わせや調味料のバランス感覚は、もっと磨かないといけない。


 ただ熱意は、他の料理人以上かも(モチキチは除く)。


 料理が好きで僕を褒めてくれる。暴力も振るわない。それは確かに救いだった。

 だけど、ティレアはジャシン軍の総帥だ。軍団員二万人を統括するトップだ。いくつもの獣人の里を蹂躙して手中に納めている。


 ティレアの命令一つで、村の財産はもちろん命さえも自由にできる。

 僕の村も彼女の支配下にある。村人たちの生活は、彼女の一存で決まってしまう。そんな絶対的な権力者が、料理に興味を示すことの意味を考えずにはいられない。


 これだけの権力を持ってて、ただの料理人と言う。飢餓も貧困も不当な差別も受けたことがない、箱入りのお嬢様だ。僕にないものを全て持っている。


 正直、いい感情を持てない。妬ましい。


 プロの料理人と豪語しているけど、僕から言えばお遊びだ。


 真剣に取り組んでいる?


 料理で死ぬ思いをしたことがないくせに、料理で悲しい思いをしたことがないくせに、気楽に料理ができる身分のくせに、その能天気な言動に苛立ちを覚える。


 僕が料理を覚えたのは生きるためだった。食料が不足する中で、限られた材料から最大限の栄養を引き出す必要があった。


 一つ間違えれば、村人が飢えてしまう。少しでも味を損なえば殺されてしまう。そんなプレッシャーの中で技術を磨いてきた。


 一方で、ティレアは恵まれた環境で料理を楽しんでいる。最高級の食材が好きなだけ使える。失敗しても誰も困らない。そんな状況で料理の楽しさを語られても、説得力がない。


 いけない。


 ぶんぶんと首を振る。ジャシン軍のトップに、このような負の感情を向けてはならない。何がきっかけで勘気に触れるかわからない。邪帝に対する不満や批判は、即座に処刑の対象となる。


 考えるな。ただ、たんたんと受け流せばいい。


 暴力を振るわれない。暴言を吐かれない。強者の機嫌次第で、命の危機にあうのはいつものことだ。嫉妬するなんて贅沢だ。ここ以上の場所はないぞ。


 自分に言い聞かせる。うん、大丈夫。感情を殺し、表面上は従順な部下を演じる。それが僕の生存戦略だ。


「それで僕に何か用ですか?」


 いつものようにへらへらと笑みを浮かべる。怒り、不満、そんな感情は表に出さず蓋をする。殺されないために、僕が培ってきた処世術だ。


 作り笑顔は完璧だった。長年の経験で、どんな感情も隠すことができる。


「シロ君……」

「どうしたんですか?」


 あれ? ミレスさんの表情が曇ってる。


 さっきのティレアへの不満が表情に出たのかな?


 まずい。それなら何か言い訳を考えないと。心の中の動揺を隠すため、さらに笑顔を強くする。


「ううん、なんでもない。ようこそ邪神軍へ。あなたを歓迎します。よかったらお茶でもどう?」


 ミレスさんの表情が元に戻った。しかし、まだ何か考えているような様子だ。


「お茶ですか」

「うん、あなたとお話がしたいなと思って」

「はい、僕なんかでよければ、いくらでも」


 上官の誘いを断るという選択肢はない。しかし、同時に興味もあった。この人はどんな話をするのだろう。


 ミレスさんに促されて部屋に入る。


 きれいな部屋だ。


 部屋は想像以上に豪華だった。高級な家具が整然と並び、壁には美しい絵画が飾られている。しかし、どこか温かみも感じられる。個人的な小物も置かれており、住人の人柄が垣間見える。


 書棚には、文学書や料理本も並んでいる。意外な一面を発見した気分だった。


 ミレスさんは、心優しい人だ。怪我の痛みで疲れていたけど、僕も少しお話がしたかったってのもある。まぁ、上官の命令に断るという選択肢はないけどね。


 それからミレスさんが淹れてくれたお茶を飲みながら簡単に村を出た経緯を話をした。

 最初は当たり障りのない話をするつもりだった。


 あれ?


 ミレスさんが優しい人だといっても上官だ。何もかも話すつもりはなかった。余計ないことはいわないように、心に蓋をしていたはず。当たり障りのない話をして、少し仲良くなれたらいいなって軽い気持ちだったのに。


 なんだろう、この人には全てを打ち明けたくなってくる。


 気持ちが溢れてくる。抗えない。この人に聞いてもらいたい。僕のこれまでの半生を、おばあちゃんとの思い出を。


 苦しい。助けてってこの人に縋りたい。僕は独りなのに、独りで生きなければいけないのに。村のために、僕を助けるために、死んでしまったおばあちゃんのことを知ってもらいたい。


 この気持ちは何だろう。まるで久しぶりに故郷に帰ったような安心感がある。この人の前では、偽る必要がない気がする。


 あぁ、なんてこと。

 ……包み隠さず話してしまった。


 まるで魔法にでもかかったかのように心の内をさらけだしてしまった。おばあちゃんとの思い出、村での生活、料理への想い、そして祖母の死の真相まで。


 ミレスさんは真剣な表情で、僕の話を最後まで聞いてくれた。途中で口を挟むこともなく、ただ静かに耳を傾けてくれた。その姿勢に、本当に理解しようとする意志を感じた。


「すばらしいね」


 ミレスさんは、いとおしそうにそう言ってくれた。


 うれしい。おばあちゃんを褒められるのは、とてもうれしい。


「そうなんです! おばあちゃんは、凄いんですよ。僕なんか足元にも及ばない料理の天才なんです」


 興奮して早口になってしまう。おばあちゃんのことになると、いつも感情が高ぶってしまう。


「そうね、もちろん料理人としても素晴らしいんでしょうけど、私が素晴らしいと言ったのは、心がよ」

「えっ!?」

「勇気があって何より優しい素敵なおばあ様だったのね」


 ミレスさんは僕の話をちゃんと理解してくれていた。おばあちゃんの本当の価値を。


「ミレス様……」


 胸が熱くなる。おばあちゃんの心を理解してくれる人がいるなんて。


「ミレスでいいよ。シロ君」

「で、でも」


 大将に敬語を使わないなんて、軍規違反になるのではないか。


「ふふ、ごめんなさい。こんな遅くまで付き合ってくれて、シロ君と話せてよかった」

「僕もよかったです」


 本心からの言葉だった。久しぶりに心を開いて話すことができた。


「それとね、ティレアさんもシロ君とゆっくり話がしたいって言ってたよ」

「ティレア様のような偉大な方に誘われて光栄です」


 模範的な返答をしたつもりだった。しかし、

 まただ、またミレスさんの表情が曇った。


 どうして?


 ティレアの話題になったときだ。何か間違ったことを言っただろうか?


 いけない! あぁ、僕としたことが失態だ。


 ジャシン軍のトップに、料理の腕を褒められたのだ。お礼の言葉が足りなかったのだろう。何度頭を下げても足りないのだ。


 ミレスさんは優しい人だが、ジャシン軍大将である。僕の不遜な態度に眉をひそめていたのだ。

 けじめをつけなければならない。ミレスさんのためにも、ティレアへの賛辞なんていくらでも言ってやる。痛くもかゆくもない。いくらでも言える。


「ティレア様への御恩、命をもって報いたいと思います」


 こう言っておけばよいだろう。


 土下座もしたほうがいいかな?


 自分の感情はおくびも出さない。権力者への対応を間違えてはいけない。このところ運がよかったからって、浮かれてはいけない。


 僕は弱い。少しの油断が死に繋がるから。

 しかし、ミレスさんの反応がよくない。さらに表情が曇ったようだ。


「ミレスさん?」


 ミレスさんの眼は悲しそうだ。なぜ悲しんでいるのだろう。


 何か対応間違えた?


 ミレスさんが突然立ち上がり、僕のほうへ歩いてきた。

 

 えっえっ、もしかして殴られる?


 馴れ馴れしかったかな。だって、ミレスさん聞き上手すぎてついつい話がはずんでしまったのだ。

 

 殴られる!?


 ぎゅっと目を瞑る。

 しかし、予想していた痛みは来なかった。代わりに、温かな感触に包まれた。


 なぜか抱きしめられていた。


 えっ!? えっ!? どういうこと?


 この状況が理解できない。大将が一介の兵士を抱きしめるなんて、前代未聞だ。しかし、その抱擁には敵意がない。むしろ、慈愛に満ちている。


「あなたが権力者に偏見を持つのも理解できる。そうせざるをえなかった、その原因に心を痛めてる」

 

 ミレスさんの声が耳元で響く。その声には深い同情があった。


「あ、あの、その」


 状況が飲み込めず、言葉が出てこない。


「そうね、正直に言うわ。ティレアさんと友達になってほしい。ティレアさんの傍に、あなたのような心優しい人がいると心強いわ」


 友達!?


 その言葉に驚いた。


 邪帝と一介の兵士が友達?

 そんなことがあり得るのだろうか?

 もしかしてティレアがミレスさんに頼んだのかな?


 はは、何も知らない箱入りのお嬢様が言いそうなセリフだ。現実を知らないからこそ言える理想論だ。

 

 料理が得意で気に入られている。他の軍団員達の目がある。いつでもは無理だが、友達のふりぐらいはできる。ティレアは単純そうだ。適当に料理の腕を褒めたたえておけば簡単だろう。


「ミレスさんが望まれるのでしたら」


 上官の命令なら従うしかない。それが僕の立場だ。


「勘違いしないで。強制じゃない。感情は、他人が決めるものじゃないから。ティレアさんがどういう人なのかあなた自身で判断して」

「え、えっと……僕は忠実なるティレア様のし、もべで、す」


 慌てて忠誠を誓う言葉を口にする。これが安全な返答だ。


「シロ君、お願いよ。ティレアさんにも、チャンスをあげて」


 ミレスさんが真剣な眼で僕を見つめてくる。吸い込まれそうな眼だ。その瞳には、偽りがない。本心からティレアのことを思っているのがわかる。


 ガウを圧倒し、暴将オルティッシオとも伍する腕を持つだろうミレスさん。腕にものを言わせれば、僕なんかいくらでも言うことを聞かせられるのに、ただお願いするだけだ。


 真摯な態度に戸惑ってしまう。


 何がここまでさせるのだろう?

 これが人族の忠義ってやつ?


 わからない。言えるのは僕は死ねないというだけ。おばあちゃんが残してくれたレシピ、至高のメニューを完成させなければならない。こんなところで権力者の機嫌を損ねて死ぬわけにはいかない。


 取り繕うことはできる。だけど、頭を下げ続けるミレスさんを見てると、


「ティレア様がそんなに大事なんですか?」


 なぜそこまでティレアを思うのか、その理由を知りたかった。


「えぇ、そうよ。大切な親友なの」


 親友という言葉に、深い絆を感じた。


 僕なんかよりはるかに強くて権力を持っているミレスさんが簡単に頭を下げている。本当にティレアを思っての行動のようだ。そこには、打算も計算もない心温かい感情だけが伝わってくる。


 そうだね、ミレスさんには、ガウから命を助けてもらった。そのお礼をしなければならない。何より大好きなおばあちゃんを認めてくれたのだ。


 権力者に本心を晒す、嫌だけど、ミレスさんが望むのなら……。


「わかりました。ティレア様と話をしてもいいです。だけど、期待しないでください。最高権力者と友達なんて馬鹿げている。ありえません」


 正直な気持ちを伝えた。偽善的な返答よりも、本音の方が良いだろう。


「ふふ、今はそれでいいわ。ありがとう」

「いいんですか?」


 僕の率直すぎる発言に、怒りはしないのだろうか。


「えぇ、十分よ。心を開いてくれて嬉しい」


 心を開く……そうか、僕は確かにミレスさんに心を開いていた。いつの間にか、偽りの仮面を外していたのだ。


 それからミレスさんにおやすみと言われ、僕は部屋を出て行った。



 自分の部屋に戻り、僕は今日の出来事を整理した。


 ガウとの再会、そして絶体絶命の危機。もしミレスさんが現れなければ、僕は確実に殺されていただろう。彼女は僕の命の恩人だ。


 しかし、それ以上に印象的だったのは、彼女の人柄だった。絶大な権力と実力を持ちながら、弱者である僕に対して思いやりを示してくれた。そして、親友のティレアのために頭を下げることも厭わない。


 こんな人がジャシン軍にいるなんて、信じられない。


 僕はこれまで、権力者に対して不信感しか抱いていなかった。力を持つ者は必ず弱者を搾取する。それが僕の中の常識だった。


 しかし、ミレスさんは違った。彼女は力を持ちながら、その力を正しく使おうとしている。少なくとも、僕にはそう見えた。


 もしかしたら、ティレアも同じような人なのかもしれない。ミレスさんがあそこまで信頼する相手だ。きっと何か理由があるのだろう。


 でも、まだ信じきることはできない。これまでの経験が、簡単に信用することを許さない。それでも、少しだけ期待してみてもいいかもしれない。


 僕の新しい生活が始まろうとしている。おばあちゃんとの約束を果たすため、そして自分なりの道を見つけるために。


 ミレス・ヴィンセント。

 強く優しく、そしてこの軍団で、誰よりも信じられる──僕の最高の友達との出会いだった。

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ふと女の子なの男の子なの・・?
ミレスとかいう超絶苦労人好き
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