第十話 「ティレアの至高のメニュー作り 弐」
なんだよ、なんだよ。
ふざけんなよ、マジで……!
この「アライのスープ」を作ったのは、一体誰なんだよ。
喉奥から熱が噴き上がるような衝動を抑えきれず、俺は興奮のまま厨房に飛び込んだ。
「このアライのスープを作ったのは――誰よぉおお!?」
怒鳴り声が厨房に響き渡る。
感情のまま叫んだ俺の姿に、料理人たちは皆、動きを止め、唖然としていた。
――静寂。
まるで時間が止まったかのように、沈黙が支配していた。
突然現れた美少女――俺――を前に、誰もが言葉を失っている。
けれど、いる。絶対にいる。
この中に、“あの味”を生み出せる者が。
俺の舌は、ごまかせない。あのスープの味は――ただの美味ではない。
一匙ごとに、記憶の奥底をかき乱し、感覚を総動員させられるような……料理人としての魂そのものを揺さぶられる、そんな味だった。
厨房の奥へと歩を進める。
空気が変わった。重たく、そして、濃密に――。
ぶわっと鼻を撫でるのは、幾重にも折り重なったスパイスの香り。
クミン、カルダモン、シナモン。香ばしくて、温かくて、異国めいた誘い。
鍋の縁にわずかに焦げ付いたカレーソースが、ふと香る。甘く、しかし後から喉奥を刺激するような辛さが抜ける芳香。
間違いない。
これは、市販品やそこらの店では絶対に出せない“本物の匂い”だ。プロの現場特有の、手間と情熱の結晶。
そして……見える。
料理人特有の、あの独特の“オーラ”が。
某バトル漫画で言うなら「ゴゴゴゴ……」って感じの、空間を揺らすような圧。
この中にいる。
俺の魂を震わせた、あのスープを生み出した“料理人”が。
誰だ? 誰なんだよ、出てこい。味仙人でも、料理神でも、なんでもいい――。
辺りを見渡す。
見覚えのある顔もちらほら。
お嬢経由で知り合ったA級料理人たちが何人かいる。彼らの料理の味は知ってる。腕もある。尊敬もしてる。
――けど、違う。
あのスープは、彼らの限界を超えていた。
ってことは……まだ俺の知らない、“未知の天才”がこの中にいるってことだ。
再び厨房内を睨むように見渡すと、ざわざわと場の空気が動き始めた。
「……あれが、女帝ティレア様か?」
「美しい……」
「なんという気高さ……っ!」
「惑わされるな。あの方は、大地を真っ二つに割れる剛力の持ち主ぞ……」
――あーもう。料理に関係ない話ばっかじゃん!
やれ「覇王」だの「魔神」だの……絶対、軍団員が余計な噂を流してるなコレ。ったく、どこまでも面倒を増やしてくれる。
今は違う! 問題はそこじゃない!
俺は――この料理界に革命を起こす者、その正体を突き止めに来たんだ!
「さあ、誰? 君? あなた?」
近くの料理人たちを順に指差す。が、誰もがふるふると首を振るだけ。
「もう、誰なのよ!? 作った人、手を挙げて!」
焦れったくて思わず声を張るが、返事はない。
……だが。
誰かが視線を向けている。ある一人へと――。
その人物は、こちらを見たまま震えていた。
中性的な顔立ち。
ぴょこんと飛び出した獣耳。獣人だ。
少年か、少女かもわからない小柄な体。
……まさか、この子が? あのスープを……?
もっとこう、年季の入った仙人みたいな人を想像していたんだけど。
いや、外見に惑わされるな。料理は“年齢”や“顔”で作るもんじゃない。
俺はしゃがみ込んで、目線を合わせる。
「君が、このスープを作ったの?」
「は、はいっ。ぼ、僕が作りました。な、何か……ご、ご不満が……ありましたでしょうか……?」
――厨房の空気が、凍りついた。
……嘘だろ。
この子が、あの……?
「君、名前は?」
「ふ、フェンリル族……族長の、シ、シロと申します。そ、それで、ご、ご不満が……い、命ばかりはお助けを!」
ああもう、完全に怯えてる。
耳と尻尾がブルブル震えてるし、土下座までし始めた!
そんなに俺、怖いか!
見た目だけなら美少女なのに。
やっぱりコレ、軍団員たちの悪い影響だな……。「地獄帝国の覇王ティレア」とか、そういうやつ。くっそ、あとで全員並ばせて説教だ。
「シロって言うんだ。ううん、文句じゃないよ。ただ――」
「も、申し訳ありませんっ! 命だけはお助けを!」
……もう完全にダメだ。会話が成り立たない。
そこへ。
「横から失礼します」
凛とした声。赤毛の少女が現れた。
「邪心軍の王、ティレア様ですね?」
「いや、それはちょっと……まあ、うん、はい、そうです」
もう面倒だから流しておこう。
「アタイはジャンと申します」
「あなたが……ジャン」
一目でわかる。
彼女もまた、一流の料理人だ。空気を歪ませるような“料理人の気配”がある。
「ジャン、あなたの料理も素晴らしかった」
「ありがとうございます。ですが、アタイには褒められる資格なんてありません」
「謙遜しないで。あのガラガラ鳥のソテー、私にも作れない。尊敬してる」
「違うんです。あれは――シロの助言がなければ完成しなかった料理なんです」
ジャンの指先が、震えるシロを指す。
「香草の使い方、温度の調整、すべて彼が修正してくれた。アタイは、ただそれに従っただけ」
「正直ね。黙っていれば、あれはあなたの手柄だったのに」
「そんな卑怯な真似はしません。アタイは、プロの料理人です。嘘をついて実力を飾っても、意味がない。本物の実力は、ごまかせませんから」
その瞳はまっすぐだった。自信と誠実さ、そして料理への敬意が宿っている。
この子……いい。すごく、いい。
料理人に必要なものを、ちゃんと持っている。
「ごめん、話が逸れたわね。それで話っていうのは?」
ジャンはシロをかばうように一歩前に出て答えた。
「こいつ、最初に出した料理……あれ、失敗作だったんです。でも、ちゃんと理由があって」
「理由?」
「機材がなかったんです。火も、水も、調理道具も。まともな食材すらなくて……それでも、彼は料理を諦めなかった。ゴミ箱を漁って、残飯から食材を見つけて、必死で料理を作ったんです」
「俺も見てた」
横から、他の料理人が加わる。
「マジで、残飯から拾って調理してた。そりゃあ失敗もするって」
――衝撃だった。
スープの中身が、廃棄食材……!?
だが、そう考えれば説明がつく。
あの香りの奥にある、妙なクセ。あのコク。あの濃厚な深み。
先入観で切り捨てていた。まさか……。
「スープの構成が、見えてきた。いや、見えかけている……」
再びスープをすすり、舌で探る。
黒酢。そして、プラスアルファ。香りが控えめに抑えられている。
ブラックナスのヘタ――あれは、毒がある。だが、きちんと処理すれば芳醇な旨味を引き出せる。
常人なら避ける食材。だが、手間を惜しまず、きっちりと抜いた毒と癖。
さらに……香りだ。何か、極めて微細な香り成分が加えられている。
それが、廃棄食材の臭みを覆い隠し、香味を昇華させている。
「この香り……草苺? いや、ちがう。月葡萄の雫? それとも……」
わからない。わからない……でも、ここまで来た。
「ねぇ、君――」
「も、申し訳ございませんっ! 偉大にして崇高なるティレア様!」
……まだ中二言語で返してくるか。
会話にならない……と思ったその時。
「貴様、ティレア様のお尋ねだぞ! とくと答えんかぁああ!」
横からオルが怒鳴りつけてきた。
……おお、オル追いついてきたんだ。
「は、はいぃ! す、すぐにお答えいたします!」
ようやく会話が成立した。
シロは背筋をピンと伸ばし、きびきびとした態度に変わる。
……急に真面目になったぞ。
オル、鬼軍曹のようだ。
そのオルにビビったシロが、びくびく震えながら説明を始める。
「料理の構成ですが……木の実を、下地に使いました」
「へぇ、なるほど。あの食感、木の実だったのか。でも、それだけじゃないわよね。この香り……そう、出汁ね。木の実を摘んで出汁に漬けた? それで香りと色をつけて……あっ、わかった! ツユに混ぜたんでしょ」
「そ、そのとおりです」
「よし、ビンゴ! で、問題は木の実よ。木苺でも、すぐりでも、さくらんぼでもない……コケモモでもない……」
「あ、はい、それはですね――」
「ステイ! 言わないで!」
シロの口をぴしゃりと制した。
全部答えを聞いちゃうのは、プロの料理人としてプライドが許さない。
考えろ……感じろ……。
ここまでヒントをもらったんだ。最後は自分の舌で当ててみせる!
目を見開き、ビシッと指を突き出す。
「桑の実ね。そうでしょ!」
「ち、ち、違いま……いえ、そ、う……いえ」
「どっち?」
「違います……」
「えぇー、マジで!? 絶対当たってると思ったのに……」
でも、シロが嘘をつく理由はない。なら……もっと深く味わってみるしかないか。
アライのスープをもう一口、すする。
…………
…………………………
……やっぱり違う。
桑の実より、なめらかでコクがある。これは一体、何の実だ……?
記憶している全食材と調味料を脳内で総動員。仮説を立てては崩し、また立てては崩し……。
どれもしっくりこない。
まったく見当がつかない。
プロとしての自信が……揺らぐ。
シロに文句を言いたいわけじゃない、でも――
そんなとき、シロがぶつぶつと呟き始めた。
「崇高で偉大なティレア様……天上天下唯一無二のティレア様……大地を割る創造神、ティレア様……お許しください」
うわぁ……出た、中二病語録のオンパレード。
って、ちょっと待てよ。このフレーズ、どこかで聞いた覚えが――
オルだ。あいつがよく言ってるやつだ!
ははーん、さてはオルの入れ知恵か?
ここまでこじらせてるとなると、もともとシロは邪神軍の構成員だった可能性も……いや、違ったとしても中二病レベルは最上級。
くぅ~~……俺の父さんを超える料理人が、まさかこんな痛い子だったなんて……!
イライラが募る。
……悔しい。
めちゃくちゃ悔しい!
「わからない……わからないよぉ~自信なくしちゃう」
苛立ちがどんどん膨らんでいく。
思わず、語尾が強くなる。言葉が荒ぶる。口調が乱れる。
もちろん、シロに文句を言いたいわけじゃない。
あの子が悪いわけじゃないってことは、ちゃんとわかってる。
だが、廃棄食材を使って、プロの舌を欺くなんて……!
これは、料理界そのものへの宣戦布告だ。食用として除外されてきたものが、主役になっている。積み重ねてきた定石、鉄板のセオリー……そんなものが軒並み崩されていく。
この子、見た目は小動物みたいなのに……本性は料理界の破壊神かよ。
こっちが一つ理解したと思ったら、次の瞬間には二つも三つも謎が増えてくる。
なんだよ~このスパイラルジレンマ。
「むむむ……(中二病のくせに)このティレアの嗅覚と味覚を試すとは……」
「ティレア様を試すとは何事だぁぁああ!!」
うわ、反応はやっ!
つぶやいた途端、オルが目を剥き、大声で叫びながらシロに飛びかかった。
胸ぐらを鷲掴みにして、ぐいっと持ち上げる。
「オル、やめなさい!」
「しかしッ!」
まるで親の仇にでも出くわしたかのような剣幕。
歯を剥き、怒りに燃えるオル。
その姿に、シロはますます顔を青くして震えだす。
「いいの。うん、試されても、それは個人の自由……たぶん。べつに構わないわ。どんどん試して……いや、本当はちょっとイヤだけど……」
「やはりィィィ! 貴様! よくもティレア様の御前で恥をかかせたな。許せぬ。 生皮を剥いでやるぞ!」
いやいや、ちょっと待て待て。
“恥”ってそんな問題か?
“生皮”って、表現が怖すぎるわ!
たぶん、さっき「自信なくす」とか口走ったせいで、余計に火がついちゃったんだな。
オルの手に力が入り、シロの首元がきりきり締まっていく。
「ひぃぃぃ……!」
と情けない悲鳴が漏れるシロ。
そして、オルはその手を、ついにシロの顔へ――
って、さすがにもう放っておけない。
「あーもう! やめなさいってば!」
勢いよく二人の間に割って入り、力づくで引きはがす。
「しかし、この家畜は恐れ多くもティレア様を――」
「わかってるよ。でも私は気にしてない。だから、暴力はダメ!」
「ティレア様、それはなりませぬ。家畜風情がティレア様を試すなど、天地が引っくり返りますぞ!」
「落ち着いてってば」
「いえ、いけませぬ! 我が軍団にそんな不遜な家畜が混じっていたとは、由々しき事態でございます!」
そう言うと、オルは再びシロへにじり寄る。
「貴様、ティレア様を試す……この意味がわかっておるか!」
「ひっ、そ、そんなつもりじゃ……」
「言い訳は無用ッ! ティレア様を試すとは、大罪なのだぞ。万死に値するのだぞ!?」
「だから落ち着けって!」
「なりませぬ。なりませぬぞ!」
俺の声もまるで届いていない。
鼻息を荒げて、興奮状態のままヒートアップしていくオル。
「この家畜めぇ! この口か? この不遜な口がティレア様を試したのか!? 許せぬ……おぞましき家畜が、よくも試したな、試しおって、試しやがって……!」
「うるさいうるさいっ。さっきから“試す試す”って、試験管かおまえは!」
「ほげぇええええ!」
ドカンッと、回し蹴りをオルの鳩尾にぶち込んだ。
……もう限界だった。
言葉じゃ止まらないときは、物理。
これがいちばん手っ取り早い。
オルはそのまま痙攣しながら床に崩れ落ちた。
……ふぅ。
ようやく静かになった。
さあ、仕切り直しだ。




