第九話 「ティレアの至高のメニュー作り 壱」
本日、料理屋ベルムは定休日である。
料理の仕込みもない。普段なら朝の四時から市場に足を運び、その日一番の食材を選び抜く。魚の目の澄み具合、野菜の葉の張り、肉の色艶まで、すべてに妥協はしない。それが料理人としての矜持というものだ。
仕込みの後はいつもであれば、邪神軍地下帝国の厨房にいる。この広大な地下空間は、まるで迷宮のような構造をしているが、厨房だけは俺が後出しで追加設計してもらった。火力の強いコンロ、大容量の冷蔵庫、そして何より、調理台の高さまで俺の身長に合わせて調整してある。
そして日頃お世話になっている皆にお礼の意味で、ご飯を作ってあげていた。朝は軽めのスープと焼きたてのパン、昼は栄養バランスを考えた定食、夜は一日の疲れを癒やす温かい料理。
軍団員たちの好みも覚えて、ドリュアス君は甘めの味付けを好み、変態は香辛料の効いた料理を好む。オルは意外にも繊細な味を好むことがわかった。
ここで、お世話になっている?
お世話しているの間違いだろ?
とつっこむかもしれない。確かに毎日三食、時には夜食まで作っているのは俺だ。
だがしかし、だがしかしだ。
この地下帝国は、オル父の所有物だ。それを長期にわたり無料で使わせてもらっている。まともに家賃を払っていたら、とんでもない額になっていたよ。王都の一等地にこれだけの広さの施設を借りようものなら、月に金貨数百枚は軽く飛んでいくだろう。
さらに言えば、料理屋ベルムは開店資金から材料費まで、多額の資金をオル家から援助してもらっている。最初に厨房設備を揃えるだけで金貨五十枚、毎日の食材費も金貨十枚は下らない。高級食材を使おうものなら、一日で金貨二十枚なんてあっという間だ。
料理屋の経営だけじゃない。奴隷騒動やオークション等、トータルで考えたら、俺のために軽く【億】を超える額を使わせてもらった。オークションでの一件だけでも、あの時の落札額は……考えるだけで頭がくらくらする。
普通に頭が上がらない。
もちろんオル家だけではないよ。軍団員たちには、妹のティムがとても仲良くしてもらっている。最初は「カミーラ様、カミーラ様」と慕ってくれるのに、多少思うところもあった。俺の妹なのに、なぜか俺より彼らに懐いているような気がして、少しだけ寂しい思いもしたものだ。
それを差し引いたとしてもだ。
妹が見知らぬ土地で頑張れたのも、気心の知れた仲間がいたおかげである。
ティムが悪役令嬢のエリザベスともめた際には、命懸けで戦ってくれた。あの時の軍団員たちの結束力と、ティムを守ろうとする必死さは、今でも胸が熱くなる。
照れくさくて本人たちの前では言わないけれど、彼らには心から感謝しているのだ。
中二病で困らせる時もあるけれど、大切な仲間だ。オルの「ティレア様最強伝説!」という謎の雄叫びも、変態の「鉄壁のニールゼンここにあり!」という決めポーズも、今では愛おしく思える。
だから、ご飯ぐらい作らせてってね。
それなのに……。
今日は、俺の代わりに軍団員たちが料理をしてくれるらしい。
以前「素人が料理するものではありません。食材の無駄でしょう」って注意したことがあった。あの時は本当に見ていられなかった。オルが卵を割ろうとして殻ごと混ぜてしまったり、変態が塩と砂糖を間違えて甘いスープを作ったり。せっかくの高級食材が台無しになる様子を見ているのは、料理人として耐え難いものがあった。
それから俺が料理するのに何も文句は言わなかった彼らが、今日はなぜかしつこかった。
「ティレア様のお手を煩わせない。ティレア様の舌をご満足いただける食事を提供できます」って自信満々に言い放つのだ。
オルはもちろん、ドリュアス君や変態、軍団幹部たちが、一同揃ってそんな感じだった。
いつもなら「ティレア様の料理が一番です!」と言ってくれる彼らが、今日に限ってこの自信。一体何があったというのだろう。
お前ら、なかなか言うじゃない?
俺の代わりに料理をするって、どういう意味かわかっている?
それって、俺以上の料理を作れるって言っているようなものだよ。料理の世界は甘くない。長年の修行と経験、そして食材への深い理解がなければ、本当に美味しい料理は作れないものだ。
あまりプロの料理人を舐めてもらったら困る。
とまぁ、むむむってところもあったが……時間とともに、徐々に考えを改めた。
あまりつれなくしても彼らが可哀想だ。きっと俺一人で料理をするのは大変だと、俺のためを思って行動してくれたのだ。毎日三食分の料理を作るのは、確かに重労働だ。特に軍団員の数が増えてからは、一度に百人分以上の料理を作ることもある。
料理人の矜持も大切だけれど、今日ぐらいは彼らに甘えるか。
俺を驚かすために、ひそかに料理の練習をしてきたみたいだし……。きっと夜中にこっそり厨房で練習していたのだろう。そう考えると、なんだか微笑ましくなってくる。
さっきから、オルがやんややんやとアピールしてくる。第二師団が一番だと、他に類を見ない最上級の料理を用意しているってね。手振り身振りを交えながら、まるで子供のように興奮している。
料理担当の軍団員同士で、料理を競い合っているんだろう。各師団のプライドをかけた戦いというわけか。
そうであるならば、練習の成果を俺に見せたいに違いない。
オッケイ、オッケイ。
皆の気持ちを汲んであげよう。
素人が高級食材を扱うのは、正直まだ抵抗はある。アマンダ牛の最高級部位や、幻の魚と言われるセレス鮭など、一食材で金貨数枚もする代物だ。ただ、もともと俺がどうこう口出しする権利はなかったのに気づいた。食材は、オル家の資産で購入しているのだから。毎日食材を無駄にするならまだしも、今日ぐらいはいいだろう。
たまには、誰かに食事を作ってもらい食事を楽しむのもありだな。料理人だって、たまには作る側ではなく食べる側に回りたいものだ。
★☆
テーブルに着き、料理を待つ。
さてさて君たちは、何を作ったのかな?
目玉焼き?
それとも卵焼き?
素人料理だから期待はしていない。でも、大丈夫。焦げていても食べるよ。きっとオルあたりは火加減を間違えて、真っ黒こげの何かを持ってくるかもしれない。それでも笑顔で「美味しいよ」と言ってあげよう。
皆の気持ちが嬉しいからね。
ただ、味の批評はする。作った人もプロの料理人からどう評価されるか気になるだろうし。どこをどう改善すれば美味しくなるか、具体的にアドバイスしてあげたい。
採点は、甘めにする。プロ目線で評価すると、だめ出しばかりになるからね。それではやる気をなくす。「ここはよくできているね」「この発想は面白い」と、まずは良いところを見つけて褒めてあげよう。
できれば、これを機会に料理に興味を持ってくれたら嬉しい。一緒に厨房に立って、基本的な包丁の使い方から教えてあげたい。
そして……鐘の音がゴォーンと鳴る。
食事の時間だ。
続々とテーブルに料理が運ばれてきた。
麻婆豆腐、チンジャオロース、炒飯、パエリア、パスタ、ニース風スパゲッティ、だし巻き卵、ササキエビの天ぷら……。
和洋中揃ったラインナップ、色彩鮮やかで旬の食材を取り入れた料理だ。麻婆豆腐の真っ赤な色合いは食欲をそそり、チンジャオロースの緑のピーマンと茶色の牛肉のコントラストが美しい。炒飯は一粒一粒が立っていて、まるで黄金に輝く宝石のようだ。
……うん、やるな。
素人が作ったにしては上出来だ。いや、上出来なんてレベルではない。これは本格的な料理だ。
見た目は、立派そのもの。まるでプロの料理人が作ったみたいだよ。器の選び方から盛りつけ方まで、すべてが計算されている。
パエリアのサフランの黄色とエビの赤が絶妙に映え、パスタに振りかけられたパルメザンチーズの量も完璧だ。
ほぉ、ほぉ、驚きモモノキ、なかなかやりやがる。
季節感や風情をかたどった飾り包丁までしてあるよ、にくいねぇ~。だし巻き卵の表面には、桜の花びらを模した切り込みが入っている。こんな細かい技術は、相当な修練を積まなければできない。
本当に上手だ。
下手したら俺より上手かも……。
生意気にも料理人のプライドを刺激してくる。心の奥底で、何か嫌な予感がし始めた。これは本当に軍団員たちが作ったのだろうか?
ま、まぁ、形は真似できても味が大事だからね。見た目がどれだけ美しくても、味がともなわなければ意味がない。そこがプロとアマチュアの違いだ。
いただきまぁ~す!
手近にある麻婆豆腐をスプーンですくって食べる。
ん!?
これは……。
「もしかして、いや、確実に板前変えたでしょ」
「「はっ」」
「しかも、新しい軍団員はプロの料理人ね!」
「「御意にございます」」
見た目からすげーって思っていたけれど、一口食べて確信した。
絶対に素人さんが作った料理じゃない。この麻婆豆腐の味の深さ、豆腐の絹のような食感、そして香辛料の絶妙なバランス。これらすべてが、長年の経験と技術に裏打ちされたものだ。
プロの味は、真似できない。舌の肥えた俺が、一口食べただけでわかってしまうほど明確な差がある。
こ、こいつら……。
そうだよ。こいつらはニートだが、いいところのボンボンだった。オル父にハワイで弓の射ち方を習うぐらい裕福な家庭である。いざとなったら家の専属料理人を集めるぐらいわけないだろう。貴族のネットワークというやつは、思っている以上に広くて深いものだ。
「ティレア様、どうでしょうか?」
「うん、なかなかだね」
内心では驚愕していたが、表面上は冷静を装う。プロの料理人として、簡単に動揺するわけにはいかない。
「そうでございましょう。これでティレア様のお手を煩わせることはないかと」
「そうですな。これで我らも肩の荷が下りましたぞ」
軍団員たちが満足げに話をしている。まるで大きな仕事を成し遂げたかのような表情だ。
えっ!? こいつら本気で俺の賄いをやめさせようとしている?
プロの料理人なんか連れてきて、邪神軍での俺のポジション取らないでよ。料理は俺の生きがいなのに、それを奪われてしまったら、俺はここで何をすればいいというのだろう。
いやいや賄い作らせて!
ここで作らせてと頼めば、作らせてくれるだろう。皆、俺に甘いから。でも、それではプライドが許さない。
俺もプロの料理人だ。
情に訴えるよりも、味で勝負する。これが料理人の世界のルールだ。実力ですべてが決まる、厳しくも美しい世界。
邪神軍では、料理が一番できる人が軍団員たちの賄いをするのだ。
以前、素人の出る幕ではないとぴしゃりと言ったからね。いみじくも俺自身が言った言葉に責任を持つ。自分で決めたルールを、自分で破るわけにはいかない。
俺こそが邪神軍のコックさんだ。
他の料理人なんて認めない。認めないんだから、プンプン!
とまぁブリッコしていても始まらない。
ここからは本気だ。
プロの料理人相手なら、俺もプロ目線で厳しく評価するよ。甘い評価は一切なし。辛口で、容赦ない批評をしてやる。
先ほど食べた麻婆豆腐をもう一度スプーンですくって食べる。
麻婆の風味を鼻で嗅ぎ、舌で転がすようにして食感を確かめていく。豆腐の水分量、調味料の配合、火の通し方、すべてを分析する。これが料理人としての真剣勝負だ。
「まぁまぁね。でも、少し火の通りが荒いかな。豆腐が少し崩れている。それに香辛料も微妙ね。もっと柔らかいパナパの葉を入れていたら、味がマイルドになって、よかったね。うん、八十五点」
料理人として厳しく評価した。本当はもっと高い点数をつけたいところだったが、プライドが許さない。
同じようにチンジャオロース、パエリア、パスタを審査する。
スプーンですくい、まずは香りを楽しむ。チンジャオロースからは、ピーマンの青臭さと牛肉の旨味が絶妙に混ざり合った香りが立ち上る。
う~ん、ティスティー♪
それから一口、二口と口に入れ、食感を確かめる。
ざらつきもなく、なめらかだ。ただ、出汁が少々濁っている。これは火力の調整が甘かったか、それとも材料を入れるタイミングの問題だろうか。
うん、八十二点、八十八点、八十点だね。
どれも一級品だった。本音を言えば、どれも九十点以上の出来栄えだ。でも、ここで素直に認めてしまったら、俺の立場がなくなってしまう。
辛口で評価しても、八十点オーバーの高得点が続いていく。
いや、ロゼッタ・プラトリーヌことお嬢と料理特訓していなかったらやばかった。あの厳しい修行があったからこそ、この程度で動揺せずに済んでいる。
こいつら間違いない。全員B、いやA級の料理人だ。王都に来る前の俺ぐらいの実力を持っている。基本的な技術はもちろん、食材への理解も深く、何より料理への愛情が感じられる。
よくもまぁ、こんだけエース級を揃えてきたよ。
こいつら全員、有名料理店の看板料理人にちがいない。王都の一流レストランで腕を振るっていた料理人たちを、どうやって口説き落としたのだろう。
というか待てよ。
ふと疑問に思った。
これだけの料理人だ。自分の店を持っているだろう。いくつもの料理人を従えた総料理長をしていてもおかしくない。邪神軍のお遊びにいつまでも付き合えるはずがないよね。彼らにはそれぞれの人生があり、キャリアがあるはずだ。
一日署長ならず一日邪神軍ってやつだきっと。
「あなたたち、今回の料理人って今日だけ特別に呼んだのよね? それなら結局、今後も私が料理しなければならないじゃん」
「いえ、奴らは邪神軍の【軍曹】【伍長】の地位に就かせ、ティレア様に永久の忠誠を誓わせております。ティレア様のお眼鏡に叶えば、今後も継続して邪神軍の台所を預からせる予定でございます」
「さ、さいですか」
なるほど。軍団員たちの言葉を鵜呑みにすれば、彼らはこんなお遊び軍団に永久就職したらしい。
まじで?
それでもA級料理人かよ。
自分のお店 or 今まで勤めていたお店はどうするの?
長年築き上げてきた顧客との関係は? 料理人としてのキャリアは?
家の都合なのか、オル家の権力に屈したのか、はたまた大金に釣られたのかわからない。もしかしたら、何か深刻な事情があるのかもしれない。
でも、本物の料理人なら、こんなふざけた遊びの軍団で料理を続けるわけがない。料理人にとって一番大切なのは、お客様に美味しい料理を提供することだ。それがこんな軍団ごっこで叶うとは思えない。
だいたい軍曹? 伍長だぁ?
俺が前に雑談で言っていたやつじゃんか! 適当に軍隊の階級を真似して作っただけの、何の意味もない称号だ。
俺が適当に作ったその地位で彼らは納得しているのだろうか? 納得しているなら、それでよい。
ただ、そんな不真面目な料理人に負けてたまるか!
俺は、本気で料理に取り組んでいるのだ。毎日毎日、食材と向き合い、味を追求し、より美味しい料理を作ろうと努力している。その情熱だけは、誰にも負けない。
A級料理人の諸君、残念だったね!
今日のティレアちゃんは、一味違う。美味しいなんて一言も言ってあげないんだから。
それから残りの料理も審査していく。
「いや、なかなか上手いムニエルではあるよ。ただ、惜しい。もう少し味にアクセントが欲しいところね。魚の臭みを完全に消しきれていない。レモンの使い方も、もう少し工夫の余地がある。八十一点!」
シビアに粗探しをしている。
普段であれば、ブラボーブラボーって叫ぶくらい料理のレベルが高い。魚の身はふっくらと仕上がっているし、ソースの濃度も絶妙だ。でも、ここで素直に褒めるわけにはいかない。
俺は同情されて料理はしたくない。
邪神軍の料理番は、自力で勝ち取るのだ。実力で、堂々と。
ひととおり食べ、評価を繰り返す。
次に、黄金に輝いている炒飯を食べた。
「うっ!? 美味――な、なかなかの炒飯ね」
危なかった。
思わず美味いと言いそうになった。これはやばいくらい美味かったぞ。口の中で米粒がほろほろと崩れ、卵の甘味と醤油の香ばしさが絶妙に混ざり合う。
パラパラで、ふわっと口の中に濃厚な香りが広がっていく。まるで雲のような軽やかさと、しっかりとした旨味を併せ持つ。
炒飯のお米一粒一粒が均等に立っていて、見ていて気持ちがいいぐらいだ。これだけ完璧に仕上げるには、相当な技術が必要だ。
炒飯は、料理の基本が詰まっている。
【炒】【燻】【焼】【蒸】のサイクルをきっちり抑えていないと、上手くできないのだ。火力の調整、材料を入れるタイミング、混ぜ方、すべてが完璧でなければならない。
正直に言おう。
ここまで完璧な炒飯を作るのは、俺でも厳しいかもしれない。技術的には俺も作れるが、これほどまでに安定した品質で作るのは至難の業だ。
はっ!?
待てよ。この味、どこかで食べたな。
確かお嬢と一緒に、食べ歩きをしていて……。そうだ、あの時王都の中華街を練り歩いた時に食べた味だ。
そうだ!?
これって老舗【楽々汎】の炒飯だぞ。
【楽々汎】は、連日繁盛している王都でも超有名な中華飯店だ。総料理長がSランク料理人のモチキチで、王室御用達の料理をいくつも抱えている。予約を取るだけでも一苦労の、超人気店だ。
「あなたたち、Sランク料理人まで連れてきていたの? これを作ったのはモチキチよね?」
「はっ。ティレア様のご推察の通りにございます。きゃつは、このニールゼンが連れてきました」
変態が一歩前に出て、自信満々に発言した。まるで自分の手柄であるかのように胸を張っている。
「ニール、モチキチと知り合いだったの?」
「はっ。モチキチめは、脆弱な人間にしてはなかなか気骨がありましてな。何度か戦士の心構えをレクチャーした縁がございます」
「レ、レクチャーねぇ……」
変態がモチキチに戦士の心構えをレクチャー? 一体どんな状況だったのだろう。想像するだけで頭が痛くなる。
「御意。この度の料理人募集の機会に、ティレア様に推薦した次第でございます」
変態が俺の弟分を連れてきたぞ風に紹介してくる。
本当に怖いもの知らずだな。
Sランク料理人は、単純なお金では動かない。それこそ、その人のハートにがっつり響かないと絶対に料理なんて作ってくれないんだよ。プライドが高く、自分の信念を曲げることを嫌う。料理に対する哲学や美学を持っており、それに反することは決してしない。
あるS級料理人が王様の命令を無視して、料理を作らなかったなんてよく聞く話だ。王命に従わなければ普通に死罪もありえるのに、プライドの高いSランク料理人は、自分の矜持を決して曲げない。
例えば、味王モチキチの逸話に、食のマナーがなっていなかった高位貴族の跡取り息子を廃嫡に追い込んだなんて話もあるんだよ。食事中に大声で話し、料理を粗末に扱ったその息子を見かねたモチキチが、その場で料理を取り上げ「貴様に俺の料理を食べる資格はない」と一喝したのだ。
逆恨みしたバカ息子と護衛相手に大立ち回りしたっていうし。その時モチキチは、愛用の中華鍋一つで武装した十数人を相手にしたという。料理人でありながら、戦士としても一流の腕前を持つ。
モチキチは武闘派料理人なのだ。
本人の前で脆弱なんて言おうものなら、お鍋でペシャンコにされるだろう。S級料理人相手に下手な勧誘をすれば、抹殺されてもおかしくないのだ。特にモチキチは短気で有名だ。気に入らないことがあると、すぐに中華鍋を振り回す癖があるそうだ。
「ニール、あなたモチキチをよく連れてこれたわね」
本当に心配になってくる。変態は一体どんな魔法を使ったのだろう。
「ティレア様のご懸念は、承知の上でございます。確かにきゃつの戦闘力は、我らと比べれば塵芥のようなもの。ただ、料理の腕前は確かでございます。邪神軍の台所を預けても問題ないかと。なぁに、仮に敵に襲撃されたとしても、私がフォローをしますので」
変態がどんと胸を叩き、どうか面倒を見てやってくれといった顔をしている。モチキチの戦闘力を塵芥呼ばわりするとは、本当に命知らずだ。
うん、もういいや。
相も変わらずの中二っぷりに、何を言っても無駄だとわかった。こいつらが何か失礼を働いていたら、俺が代わりに謝っておこう。
とにかくだ。
いくらあのモチキチとはいえ、そう簡単に邪神軍の台所を渡せない。
いい機会だ。
モチキチの料理は、いずれ越えようと思っていた。王都の料理人として、いつかは超えなければならない壁だった。
やってやるよ。モチキチ以上の料理を作ってやる。
手始めに、この炒飯を分析してやろう。
目を皿のようにして観察する。
今まで培ってきた料理スキルをフル動員して探った。米粒の大きさ、火の通り方、調味料の配合、すべてを記憶に刻み込む。
こ、これは……うん。
コホンと咳払いをする。
「さすがモチキチ。完成度の高い炒飯だった。でも、ほんの少しネギに熱が加わっていなかったね。炒飯は、具材に均等に熱を入れなきゃだめ。九十五点だね。いや、惜しかった。百点じゃないよ」
これだけ炒飯をパラパラにするには、強火で一気に水分を飛ばさないといけない。
タイミングが大事。一瞬でも気を抜けば、べちゃっとした炒飯になってしまう。
さすがは炎の料理人と言われた男だ。焼き加減も完璧、ほとんど粗がなかった。
ネギに火が通っていないって言ったけれど、本当は誤差の範囲である。むしろ、ネギのシャキシャキ感を残すための計算された加熱だったかもしれない。
こんなのを言っていたらきりがない。
いちゃもんに近いけれど、一応粗は粗だ。
俺が邪神軍の料理番となるため、なりふり構っていられなかった。
「それではこちらの料理はいかがでしょうか?」
モチキチの批評を終えると、ドリュアス君が新たな料理を薦めてきた。
ガラガラ鳥のソテーである。
胸肉を蒸してあり、その温かな湯気で食欲がそそられていく。皿の上で美しく盛りつけられた料理は、まるで芸術品のようだ。添えられた野菜の色合いも鮮やかで、全体のバランスが完璧に計算されている。
いいね。
俺も一目見て、気になっていたのだ。
一口食べてみる。
「美味い。美味いじゃない! あっ!」
つい言ってしまった。
ドリュアス君がにんまりと笑みを浮かべている。してやったりという表情だ。
これは、見た目以上に美味かった。そのおかげで言葉を抑えられなかったよ。口の中に広がる複雑で深い味わいは、一体どうやって作ったのだろう。
それにこの香り……完璧だ。
アンチョビとオリーブを足して、胸肉に圧を加えている。しかも【燻】と【焼】が絶妙なバランスで行われているおかげで歯ごたえも抜群だ。肉の繊維が崩れることなく、しっとりとした食感を保っている。
美しい。
この完成された料理をどう表現しようか?
そう、まるで大空を舞う不死鳥のような味だ。力強さと優雅さを併せ持ち、食べる者の心を鷲掴みにする。
料理の組み立て方もさることながら、切り方や添え方も洗練されている。ソースのかけ方一つとっても、計算され尽くされている。
見れば見るほどわかるよ。
これは粗がない。完璧という言葉がふさわしい料理だ。
味王モチキチを超えた料理と言って良い。技術的にも、創造性においても、明らかに一段上のレベルに達している。
うん、そうだね。プロの料理人は、素直に認めるべきものは認めるのだ。
俺の負けだ。
でも、すがすがしい負けだ。悔しさよりも、こんな素晴らしい料理に出会えた喜びの方が大きい。
世の中には、こんな凄い料理人がいるってわかっただけでドキドキしてきた。料理の世界は本当に奥が深い。まだまだ俺の知らない技術や発想があるのだろう。
「ドリュアス君、この料理を作った料理人について教えてくれる?」
「はっ。名はジャンと申します。人族の少女で、歳は十六です。彼女は肩書こそAランク料理人でございますが、実力はSランクと言ってよいでしょう」
十六歳の少女?
俺より年下ですごい才能だ。この年齢でこれほどの料理を作れるなんて、天才という言葉以外に表現のしようがない。
父さんに匹敵する料理人を見つけたかもしれない。いや、もしかしたら父さんを超えているかもしれない。
ふっ、邪神軍で一番の料理人って、今後は言えなくなっちゃったね。
でも、いい。
この子となら料理を一緒にしても楽しいかも。お互いに技術を教え合い、新しい料理を開発できるかもしれない。
勝負で負けた。ならば情で訴えよう。
「さすがドリュアス君ね。この料理は【百点】よ。文句のつけようがないわ」
ついに百点を出してしまった。でも、これは本当に完璧な料理だった。
「恐縮にございます。彼女なら邪神軍の台所を預けるに相応しく、十二分に活躍できるかと」
「うんうん、そうだね。で、私からのお願い。最初の趣旨を曲げちゃうけれど、私も賄いをするね、というかしたいの!」
「ティレア様……」
「お願い。彼女と一緒なら高みに上れそう」
手を組みお願いをする。
ドリュアス君は一瞬目を丸くしたが、口角を上げて微笑む。きっと俺の熱意が伝わったのだろう。
そして、
「ティレア様がそれをお望みとあらば」
片手を前に振り、うやうやしくお辞儀をした。
軍団員たちも俺の熱意が伝わったのか、俺が賄いを続けることに納得してくれたみたいだ。みんな優しい笑顔を浮かべている。
「それにしても、このソースの味は脱帽よ。アンチョビとオリーブがうまく味を昇華させている。私ならシャマの葉かパララの実で代用していたところよ。うんうん、彼女は天才だ」
それからガラガラ鳥のソテーをパクパクと食べながら、べた褒めする。本当に美味しくて、止まらない。一口食べるたびに新たな発見があり、料理人として非常に勉強になる。
そして、この料理大会、ドリュアス君が連れてきた料理人ジャンの優勝で締めくくろうとしていると、
「ティレア様ぁああああ!」
オルが悲痛な叫びをあげた。まるで世界の終わりが来たかのような絶望的な表情だ。
「ど、どうしたの?」
「わが、わが――」
「わがの何?」
「我が第二師団代表の、空前絶後の料理はいかがでしたかぁああ!!」
空前絶後って……。
どこかの芸人かよ。まぁ、俺が前にちょくちょく使っていた言葉だけれど。最近の俺の口癖を真似したがるオルらしい反応だ。
まぁ、いいけれど。
ドリュアス君ばかり褒めると、オルがすぐにむくれるからね。第二師団の団長としてのプライドもあるだろうし。
オルの顔も立てないといけない。
えっと、えっと、オルが連れてきた料理人の料理はどれだっけ?
でも、もうあらかた食べたよね?ほとんどの料理を試食し終えている。
他に食べていない料理……。
「あ~もしかしてあれ?」
あえて食べずにいたアライのスープを指さす。
「はっ、さようにございます。参謀殿推薦の小物料理人とはわけが違います。我が第二師団が見つけた、はるかにすぐれた空前絶後の料理人でございます」
オルがドリュアス君を挑発するような発言をする。ドリュアス君は苦笑いを浮かべているが、特に反論はしない。
「はいはい、わかったわかった。空前絶後はもういいわ。でもね、残念だけれど、これは失敗ね」
「失敗ですとぉお!!」
オルの顔が真っ青になる。まるで雷に打たれたかのような表情だ。
「うん、食べなくてもわかる。アライを煮るのはご法度なのよ。この手の失敗は、プロになりたての頃によくやっちゃうのよね。でもね、プロ中のプロは見逃さない」
素晴らしい数々の料理の中で、これだけは失敗作だった。
一目見てわかったから、食べずに後回しにしていたんだよね。アライは特殊な食材で、煮ると独特の苦味と臭みが出てしまう。適切な下処理と調理法を知らなければ、とても食べられたものではない。
「そ、そ、そんな失敗作だったとは……」
オルががっくりと肩を落とす。
「いやいや、全部が全部完成された料理を持ってこられてもね。こういうのもないと面白くない」
オルを慰めるように言うが、効果は薄そうだ。
オルががくりとうなだれる中、
「ティレア様、お待ちください。オルティッシオ隊長の言葉に偽りなし。これは優れたスープでございます」
むっつりすけべのギル君が反論をしてきた。いつもは控えめな彼が、珍しく強い口調で異議を申し立てる。
「いやね、あなたがオルに入れ込むのもわかる。でも、これは失敗よ。プロだからわかるの」
ギル君とオルの友情は美しいが、料理の評価に俺情を挟むわけにはいかない。
「ティレア様、申し訳ございません。一口だけでもご賞味いただけないでしょうか?」
失敗だって言っているのに、ギル君がすごい真面目な顔で食い下がってくる。その目には、真剣な光が宿っている。
「ギルよ。お姉様が失敗とおっしゃっているのだ。それ以上は、お姉様を侮る不敬とみなす」
ティムが厳しい口調でギル君を制止する。妹ながら、俺を全開で擁護してくれる。
「そこを曲げてお願いします。どうか一口、一口だけでも」
おいおいギル君がしつこく食い下がってくるぞ。いつもはオルとは違い控えめなのに、珍しい。今日のギル君は何かが違う。
あ、ティムの瞼がぴくぴくと痙攣を始めた。
これは怒っているな。ティムが本気で怒ると、結構怖い。
「ギルバート・ボ・バッハ! 貴様がそこまで愚かで不忠だったとはな。失望したぞ」
ティムがギル君をフルネーム呼びで怒鳴る。この呼び方をされる時は、相当怒っている証拠だ。
「ギルよ。貴様はオルティッシオとは違う。有能な戦士と思えばこそ、少将の中でトップに位置する【上級少将】の地位につけたのだ。頭を冷やせ。ティレア様、カミーラ様の顔に泥を塗るではない」
変態も会社の上司の如く叱咤した。普段は中二病な彼も、今回ばかりは真剣だ。
それでもギル君の態度は変わらない。
断固とした決意で訴えてくる。その目には、何か特別な想いが込められているようだ。
「カミーラ様、ニールゼン様、不敬は承知で申し上げます。どうか一口ご賞味ください。口に合わないようでしたら、腹を切り自害します」
ギル君が切腹まで持ち出してきた。そこまで言うとは、一体どういうことだろう。
「ふふ、我の言葉に従わぬか……よかろう。切腹するに及ばず。我自らお前のそっ首を狩り取ってやる」
ティムが席を立ちあがり、その手にオーラを集め始めた。本気で怒っている。これは危険な状況だ。
ギル君は、そんなティム相手に一歩も引かない。
ひたすらご賞味くだされと頭を下げ続けている。その姿勢には、何か覚悟のようなものが感じられる。
オルは、そんなティムとギル君の顔を交互に見比べながら震えていた。
ティムの怒りの形相を見てはびびり、ギル君の顔を見ては「大丈夫なのか?」と不安そうに問う。
ギル君は、そんなオルに「大丈夫ですから」と母親の如き慈愛の眼差しを見せていた。その表情には、オルを守りたいという強い意志が表れている。
うん、これは収拾がつきそうにない。俺が仲裁するしかないだろう。
「あ~もうわかった、わかった。君たちケンカはしないの。食べればいいんでしょ。食べれば」
「お姉様、よろしいのですか?」
「いいよ、いいよ。確かにギル君の言う通りよ。せっかく私のために作ってくれたのに、口をつけないのは失礼だからね」
あ~思い出す。
俺も昔同じ失敗をしたよ。料理人になりたての頃、アライという食材の扱い方がわからず、普通に煮込んでしまった。結果は散々で、苦くて臭い汁物ができあがった。
アライを煮ると、独特の苦い匂いがするんだ。あの時の失敗は、今でも鮮明に覚えている。
先達者としてきっちり批評して、これを作った料理人にアドバイスをしてあげよう。失敗から学ぶことは多い。正しい調理法を教えてあげれば、きっと次は美味しく作れるはずだ。
アライのスープを手に取り、口元に近づける。
スープの香りがスゥーッと鼻孔をくすぐった。
ん!? 変だな。苦い匂いがしない。
それどころかこの香り、心地よい風が吹いているかのようだ。まるで森の奥深くで感じるような、清涼感のある香りが漂っている。
あれ、あれ?
このスープ、香りだけではない。見た目も凄く整っていないか?
具材が調和しているというか、うまくできている。スープの表面には美しい油の膜が張り、具材の色合いも鮮やかだ。
うん、うまくできているよな?
なんか綺麗だ。これは本当に失敗作なのだろうか?
あれ、なんでそう思う?
失敗作だよね、これ?
まぁいい。
食べてみればわかる。
スプーンでスープをすくい口に入れた。
「うっ!?」
あまりの衝撃で言葉につまった。
電流がビリビリと頭の先からつま先まで走ったかの如くだ。
この味は一体何なんだ?
これまで体験したことのない、圧倒的な美味しさが口の中に広がる。
「う、う、う……」
「ティレア様、どうされましたか?」
「お、お姉様?」
「う、うめぇええええええ!! めちゃくちゃうまいじゃないのぉおおお! なにこれなにこれ! 信じられない。信じられない」
このスープ、料理の常識を覆す一品だ。
この世には、ここまで美味で至高なスープが存在したのか!アライの苦味は完全に消え去り、代わりに深く複雑な旨味が口の中に広がる。
革命だ。産業革命ならず料理革命きたよぉ!!
もう一口、二口すする。
うまい、うますぎる!
一口ごとに濃厚な旨味と香ばしさが加わり、極上の味を醸し出している。これは単なるスープではない。料理の芸術品だ。
「ティレア様、我が第二師団で用意した料理はいかがでしたか? 空前絶後だったでしょうか?」
「いや、空前絶後すぎるわぁあああ! なんじゃこりゃあああ! あなたは、本当に私を驚かせてばかりだよねぇえ!」
オルの問いに鋭い突っ込みを入れた。
このハイスペックな料理……。
俺は料理を口にしたら、だいたいの食材や組み立て方がわかる。それが料理人としての経験だ。
これはほとんど料理の構成がわからない。使われている食材、調理法、すべてが謎に包まれている。
ただ、確実に言えることがある。この料理は、父さんの料理を越えている。
正直、俺はこの世に父さん以上の料理人なんていないと思っていた。父は俺にとって料理の神様のような存在だった。
モチキチはいい線言っていたけれど、まだ背中が見えている。ジャンの料理も素晴らしかったが、まだ父と比較できるレベルだった。
なんだよ、なんだよ。
王都に来て料理力は上がった。お嬢というライバルと呼ぶべき存在とも出会えた。
お互いが刺激し合い、切磋琢磨してきた。毎日のように料理の研究を重ね、新しい技術を身につけてきた。
味王モチキチのようなSランク料理人を越え、いつか父さんのような料理人になるって、料理の高みを目指してきたのに。
いきなり冷や水をぶちかけられた気分だ。
この衝撃、どう例えたらいい?
自分が富士山になってイキっていたら、エベレスト山が「よぉ!」って現れた感じ?
あるいは、自分が超野菜人に目覚め宇宙一だってイキっていたら、「オッス!」って破壊神が現れた感じ?
自信を失い、ふらふらと立ち眩みを起こしながらも、聞かずにはおれない。
「これを作った料理人は誰よ!」
蓬莱山から味仙人、いや天界から料理神を連れてきたって言っても信じられるぞ。
オルに鼻息荒く問い質してみる。
「はっ。これは家畜の中でも特に料理に秀でた家畜でございます。この家畜を見出した我が第二師団の功績を――」
「えっ? 家畜? 意味がわからない。ふざけないでちゃんと説明して」
家畜が料理? 何を言っているのだろう。
「御意。では順に説明いたします。わが第二師団は、ご存じの通り獣人の集落周辺を制圧しておりました。今回の料理人を見つけてきた背景は、黄金世代と抜かす脆弱な獣人共を蹴散らしたところから始まります。獣人共め、私の戦闘力に恐怖を抱いたようで、情けなくも次から次に降伏を――」
話にならん。
オルに聞くより、直接厨房に乗り込んで聞いた方が早い。
オルの口上途中だが、無視して席を立つ。この謎を解くには、直接その料理人に会うしかない。
片手にアライのスープを持ち、いざ出陣だ。
ダイニングを出て、厨房に小走りで向かう。
オルが「ティレア様、ティレア様、どうなされましたか?」と言いながら追いかけてくるが、無視だ。今は一刻も早く、この料理の秘密を知りたい。
厨房に入り、声を上げる。
「このアライのスープを作ったのは、誰よぉお!!」




