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第六話 「天才料理人シロ ベジタ村の族長になる」

 ジャシン軍へ降伏してから一週間が過ぎた。


 村の広場には、かつての活気はもうない。家々の窓からは灯りが漏れているものの、その光はどこか弱々しく、まるで消えかけの蝋燭のようだった。獣人たちは皆、疲れきった顔をしているが、否が応でも明日はやってくる。


 朝靄の中、村の中央に建つ族長の屋敷では、重要な決定が下されようとしていた。

 いつまでも族長不在ではフェンリル族の士気に影響する。それは支配者であるジャシン軍にとっても都合が悪い。統治には現地の長が必要だからだ。

 そういう事情で、新しい族長が決まることになった。


 族長はギウだ。


 ギウは三十代半ばの獣人で、茶色い毛並みに鋭い黄色の瞳をしている。決して大柄ではないが、引き締まった筋肉と戦いで得た無数の傷跡が、彼の戦歴を物語っていた。

 本来なら、副族長のヤム様か、幹部戦士のストロング様が族長に就任するのが筋だった。しかし、村の屈強な戦士が軒並み戦死し、中堅に位置していたギウが就任するしかなくなったのだ。

 降伏の日、村の精鋭たちは最後まで抵抗し、ほぼ全員が戦死した。残ったのは老兵、中堅戦士、そして僕のような戦力外の者ばかりだった。


 ギウは村の総意を得るや、すぐにオルティッシオに族長決定を報告することになった。


 族長の屋敷は、村で最も立派な建物だった。石造りの頑丈な構造で、狼族の紋章が刻まれた重厚な扉が威厳を示している。普段なら、この扉をくぐれるのは【強戦士】以上の身分の者だけだった。


「ふん、族長だと? 家畜の分際で生意気だな」


 オルティッシオは、族長の席—— 彼が勝手に占拠した玉座に肩肘をついて、めんどくさそうに相手をしていた。彼の瞳は冷たい青色で、まるで氷の刃のような鋭さを持っている。口元には常に薄い笑みを浮かべているが、それは慈悲のない、捕食者の笑みだった。


「は、はい。ギウと申します。どうかオルティッシオ様に族長就任をお認めいただきたく、参上いたしました」


 ギウは、石の床に頭をこすりつけて土下座をする。誇り高い狼族の戦士が、人族の前で這いつくばっている。その光景は、村の敗北を象徴していた。


 族長以下、他の戦士たちも一斉に土下座をした。

 そして僕も、同じ位置で土下座をしている。

 本来、村のミソッカスである僕の身分では、ありえないことだった。


 ベジタ村の身分制度は厳格だった。

 【族長】を頂点として、【副族長】→【幹部戦士】→【強戦士】→【中戦士】→【(小)戦士】→【準戦士】→【見習い戦士】と続く。

 最初は【見習い戦士】から始まり、十五の試練をクリアしていくごとに身分が上がっていく仕組みだった。

 第一の試練は「岩石移動」。直径一メートルほどの巨石を、腕力だけで十メートル動かすというものだ。

 第二の試練は「疾走」。村の外周を一時間以内で駆け抜ける。

 第三の試練は「狩猟」。一人で森に入り、大型の獣を仕留めて帰る。

 そして第十五の最終試練は「死闘」。現族長との一対一の戦いで、相手を倒すか、戦闘不能にするまで戦い抜く。勝てば新族長だ。


 僕は、その第一の試練で挫折した。あの巨石は、どんなに力を込めても、びくともしなかった。十歳の子供でもクリアする者がいるというのに、僕は十五歳になっても動かせなかった。


 小さな子供と同じ【見習い戦士】の身分である。


 そして、その【見習い戦士】の中でも上・中・下と序列がある。僕はずっと一番下のままだった。

 【見習い戦士】は族長の屋敷に入ることが許されない。ほとんどの場所が土足厳禁で、裸足での参上が義務づけられている。さらに言えば、こういう族長就任の重要な集会には絶対に呼ばれない。


 通例では【強戦士】以上の身分の者が集まり協議するのが慣わしなのだ。

 なのになぜか呼ばれている。


 それもほぼ上座だ。僕の座る位置は、どう見ても【幹部戦士】の身分に相当する場所だった。

 周囲の戦士たちは、殺気を込めて僕を睨んでいる。その視線は針のように鋭く、肌に突き刺さるようだった。


 「なんでここにミソッカスがいるんだ」

 「族長就任という大切な儀式に、のこのこと現れやがって」

 「戦士を侮辱している」


 そんな怒りが、無言の圧力となって僕に降りかかっていた。

 僕だって理由がわからない。なぜかギルさんの同僚が僕を連れてきたのだ。理由を聞いても「ギル副長の命令」としか答えてくれない。


 文句があるなら、ギルさんに言ってほしいのに……。

 ただ、ギルさんの同僚—— 鋭い目つきをした痩身の戦士が、僕の隣にぴったりと張り付いてくれている。だから、にらんではきても、直接危害を加えることはなかった。


 はぁ〜、早く終わらないかなぁ。



 ★☆



 土下座の後、ギウがオルティッシオに向かって、いかに自分が優れた戦士かをアピールし始めた。


「私ギウは、数々の戦いで武功を重ねて参りました。グレイウルフとの戦いでは、単身でその巨体に立ち向かい——」


 ギウの声は緊張で少し震えていたが、必死に自分の価値を伝えようとしていた。彼が語る武勇伝は、確かに立派なものだった。森の魔獣退治、隣村との小競り合いでの活躍、狩猟での成果……。


 しかし、オルティッシオは、あくびをしながらそれをつまらなそうに聞いていた。時折、指で机をトントンと叩いて、明らかに退屈そうにしている。


「……そして昨年の大狩猟祭では、最大の獲物を——」

「はぁ〜もういい」


 オルティッシオが手をひらひらと振って、ギウの話を遮った。


「その程度の強さで戦士と抜かすか。族長など不要、貴様らは全員【家畜】でよい」


 その言葉に、会場の空気が一変した。獣人たちの表情が強張り、拳を握りしめる者もいた。


「お、お待ちください」


 ギウが慌てて手を上げる。


「古来よりフェンリル族を束ねるのは族長の役目です。族長不在が続けば、村民の士気にかかわります」

「くどい」


 オルティッシオが眉を吊り上げて威圧する。その瞳に宿る冷たい光に、ギウは思わず身を縮めた。


「それより今日の家畜業務はどうしている? 休憩時間はとっくに過ぎておろう」


 かれこれ十数時間も連続で働かせておいて、まだ働かせるらしい。

 村の獣人たちは、夜明け前から農作業、薪割り、建設作業、そして夕方からは料理の準備と、休む間もなく働かされていた。食事も一日に一回、それも薄い粥だけだった。


 ギウ以下、村の戦士たちもこれには閉口している。不満をぶちまけたいようだが、オルティッシオを恐れて言い出せない。


 それでもギウは、族長就任にこだわり続けた。


「オルティッシオ様、どうか村をまとめる者を——」

「ふ〜、もう一匹二匹間引いておくとしよう」

 

 オルティッシオが立ち上がった。その巨体が影を落とし、会場全体が暗くなったような錯覚を覚える。


「これほどの怠惰、ティレア様がお知りになればどんなにお嘆きになるか」


 オルティッシオは椅子から立ち上がり、ギウに向けて拳を放とうとする。その拳は、岩をも砕く威力を秘めていた。


「おやめください、オルティッシオ様」


 その時、エディムが横から割り込んで制止した。

 絶妙のタイミングだった。あと少し遅れていたら、ギウに拳が直撃していただろう。

 ギウは九死に一生を得て、ほっと胸を撫で下ろしていた。よほど死の恐怖を感じていたのか、その顔には脂汗が大量に出ていた。


「エディム、邪魔するな」


 オルティッシオの声には、明らかな苛立ちが含まれていた。


「オルティッシオ様、我々はいつまでもここに滞在できません。なんにしろ、ここをまとめる長は必要ですよ」


 エディムが的確な突っ込みを入れる。その声は冷静で、感情を排した事務的なトーンだった。


 うん、その通りだ。


 オルティッシオもこの村に長期滞在するわけがない。ジャシン軍には他にも征服すべき土地があり、より重要な任務が待っている。その間のまとめ役は絶対に必要なのだ。


「エディム、それとこれとは話が別だ。今はこやつの怠惰を懲らしめてやらねばならん」

「オルティッシオ様、これ以上村民を殺すのはやめてください。税収に影響します。というか、もう影響してます、というか、いい加減理解しろッ……ください」


 最後は、ほとんど叫びに近かった。それほど彼女も、オルティッシオの無計画な殺戮に困り果てていたのだろう。


 エディムが必死にオルティッシオを説得する。彼女のセリフの中に「ティレア様のために」とか「ティレア様は喜びます」という言葉が頻繁に出てくる。そのたびに、オルティッシオの表情が和らぐのが見てとれた。


 オルティッシオは、よほどティレアに忠誠を誓っているのだろう。その名前を出されると、素直に言うことを聞いてくれるようだ。


「わかった、わかった。確かにティレア様への食材調達まで滞ってはまずい。これ以上の殺戮はせん」


 三日前も同じことを言って村民を殺したくせに、とは誰も言わない。言えるはずがなかった。


 基本的にオルティッシオは気分屋だった。機嫌がいい時は比較的話が通じるが、一度機嫌を損ねると、理由もなく人を殺す。


「はぁ、はぁ、ようやくわかってくれましたか」


 エディムが肩で息をしながら、ギウを指さす。


「では、族長はもうこいつでいいでしょう」


 オルティッシオも鷹揚に頷いてくれた。ただし、その表情には「どうせ家畜だし、誰でも同じ」という侮蔑の色が浮かんでいた。


「ははっ、ありがとうございます」


 ギウが深々と頭を下げる。


「これより族長ギウ、偉大なティレア様に永遠の忠誠を誓います」

「うむ、良い心がけだ。これより貴様は家畜の長として、邪神税を滞りなく納めるのだ」


 ジャシン税?


 聞き慣れない言葉だった。いつも人族は、獣頭税とか獣地税とか言っているのに。


「……邪神税ですか。承知しました。それで税率はいかほどに?」


 ギウが恐る恐る尋ねる。


「そうだな、収穫物の九割納めればよし」

「「なっ!?」」


 皆が衝撃で声を上げた。

 会場にいた全員が、まるで雷に打たれたような表情になった。

 老戦士のゲルクショカは、手にしていた杖を取り落とした。カラン、という音が静寂の中に響く。


「九割だと……そんな、そんなことでは……」


 彼の声は震え、顔面は青ざめていた。

 若い戦士のザッキウワは両手で頭を抱え、絶望的な表情を浮かべる。


「嫁も子供もいるんだ……一割じゃ、一割じゃあ……」


 女戦士のリタリタは拳を握りしめ、唇を噛みながら震え声で言った。


「畑を耕しても、狩りをしても、意味がない……」


 村の獣人たちがざわめき始める。ひそひそ話が会場全体に広がっていく。


「一割で一年を過ごせるわけがない」

「子供たちが餓死してしまう」

「これは税ではない、略奪だ」

「驚いたか。さもあろう」


 オルティッシオが、さも当然とばかりにうんうんと頷いている。


「一割も残してやるのだ。ティレア様のお恵みに感謝するのだぞ」


 その言葉に、獣人たちの顔がさらに歪んだ。一割残すことが「恵み」だと言うのか。

 村の獣人たちが騒ぎ出す。


 何せ、圧政と言われた前の支配者、アルクダス王国ですら六割だった。それでも生活は苦しかったのに、九割となれば完全に破綻する。


「オルティッシオ様、我らは降伏しました。ジャシン軍に忠誠を誓いましょう」


 ギウが真剣な表情でオルティッシオを諭す。


「ですが、税で九割も取られたら、我らは飢え死にする他ありません」

「貴様……舐めておるのか」


 オルティッシオがぎろりと睨む。

 先ほどまで機嫌がよかったのが一変、まるで秋の暴風のような凄まじい威圧感を放った。


「し、しかし、九割などあまりに無慈悲! 無茶です!」


 ギウが必死に訴える。


「一割も残してやるとの慈悲、それを無茶だと抜かすか?」


 オルティッシオが身を乗り出してくる。拳を握り、ギウに向けて殺気を放つ。


「わ、我らは骨身を惜しまず働きます。で、ですが、やはり暴利、無茶苦茶でございます!」

「無茶ではない。それは怠惰と言うのだぁあ!」

「うぎゃあああ!!」


 オルティッシオがギウの顔面に容赦なく拳を叩き込んだ。

 ドスン、という凄まじい衝撃音が響く。まるで大木が倒れるような音だった。

 ギウは、顔面に拳大の大穴を開けて血を噴き出した。白い歯が数本宙に舞い、赤い血が石の床に飛び散る。ピクピクと痙攣した後、そのまま息絶えた。


 会場が死の静寂に包まれる。


「改めて家畜の長を決めるか」


 オルティッシオはそう言って、血のついた拳を軍服で拭いた。まるで虫でも潰したかのような、無関心な態度だった。


 その場はお開きとなった。

 やっぱり殺すんだ。

 暴君オルティッシオ。皆も同じ思いだっただろう。



 ★☆



 数日後、再度族長会議が開かれた。


 ギウの血痕は既に清拭されていたが、誰もがその場所を避けるように座っていた。まるでそこに死神が立っているかのように。


 家畜の長という屈辱的な物言いはともかく、ベジタ村の族長となれるのは確かだった。しかも通常必要な十五の試練も無しに、である。


 ギウが殺されたとはいえ、喜び勇んで志願した連中は多数いた。族長の地位は、それほど魅力的だったのだ。


 だが、なんだかんだと難癖をつけられ、志願者たちは軒並みオルティッシオに潰された。


 最初に志願したのは、古参戦士のバルドだった。


「オルティッシオ様、本日はお疲れ様でした」


 彼はこれまでの慣例に従い、丁寧に挨拶をしただけだった。


「この程度で疲れるかぁあ!」


 オルティッシオは容赦なく拳を振り下ろした。バルドの頭部が吹き飛び、首から上が跡形もなく消失した。


 次に志願したのは、中堅戦士のドラクショウクァだった。


「私は村一番の頑健さを誇ります。どんな重労働でも——」

「じゃあ試してやる!」


 オルティッシオの拳がドラクショウクァの胸部を貫通した。心臓が握り潰され、ドラクは即死した。

 その後も志願者が続いたが、結果は同じだった。


 ある者は挨拶の仕方が気に入らないと殺され、ある者は声が小さいと殺され、ある者は逆に声が大きすぎると殺された。


 理由など、どうでもよかった。オルティッシオの気分次第で、命が決まるのだ。

 皆、顔を見合わせている。恐怖と諦めが入り混じった表情だった。


「どうした? 他にいないのか? 家畜の長になるだけだぞ」


 オルティッシオの大声が会場に響く。

 オルティッシオの前には、獣人たちの屍が多数横たわっている。その数は既に七体を数えていた。床には血だまりができ、鉄の匂いが会場に立ち込めている。


 あれが未来の自分の姿になると思うと、誰も手を挙げる気になれなかった。

 族長にはなりたい。しかし、命は惜しい。そんな複雑な心境だった。


「ふー、しかたがない。こちらから指名するか」


 オルティッシオが大きなため息をつく。


「そうですね、オルティッシオ様。やる気のない奴らに何を言っても無駄です」


 エディムが冷たく言い放つ。


 オルティッシオとエディムが、値踏みをするように獣人たちを観察する。

 皆、怯えながらも期待に満ちた表情をしていた。志願ではなく指名であれば、必死にアピールをする必要もない。オルティッシオの逆鱗に触れる可能性は低いだろう。


「むうぅ、ひととおり見渡してみたが、どいつもこいつも脆弱な有象無象ばかりだ。指名する気がおきん」


 オルティッシオが顎に手を当てて考え込む。


「エディム、貴様の意見は?」

「こればかりはオルティッシオ様に同意です。どれも代わり映えしない汚い連中です」


 ひどい言われようである。


 誇りあるフェンリル族に向かって言いたい放題だ。

 この物言いに、フェンリル族の戦士たちのこめかみに青筋が浮かぶ。皆、怒っている。拳を握りしめ、歯を食いしばっている者もいた。


 オルティッシオはともかく、エディムには強い敵意が向けられていた。


 エディム、いいのかな?


 今はオルティッシオの手前、何もされていない。だけど、独りでいたら絶対に襲われると思う。

 こんな華奢な身体では、村の戦士たちにはかなわない。顔は整っていて美人だが、それが逆に危険を招く可能性もある。村の戦士たちの餌食になるのは明白だ。さすがにそれは忍びない。


 そんな感じでエディムを見ていたら……。

 あ、エディムと目が合ってしまった。


 すぐに顔を伏せる。


 経験上、権力者に目をつけられたら、ろくな目にあわない。


「オルティッシオ様、あいつにしましょう」


 エディムが僕を指さして言う。


 ぼ、僕じゃないよね?


 指差した方向は確かに僕がいる場所だが、他の人だよ、きっと。

 背後を振り向く。


 誰もいない。


 嘘だろう!


 誰よりも弱そうな僕が選ばれるわけがない。選ばれちゃいけない。


「ふむ、あいつか。弱そうだな」


 オルティッシオが僕を見つめる。その視線は、まるで品物を査定するように冷たい。


「はい、弱いでしょう。ですが、小奇麗な顔をしております。どうせこいつらは脆弱です。汚らしい者よりはましかと」

「まぁ、そうだな。こいつらに戦闘力を期待するのも愚かだ」


 えっ、えっ、えっ?

 そんな理由で族長が決まるの?


 まるで家畜を選ぶような会話だった。実際、彼らにとって獣人はそれ以上でも以下でもないのだろう。


「あ〜お待ちください」


 オルティッシオたちが、適当な理由で僕を族長にしようとする。その時、ガウが横槍を入れてきた。

 ガウは【幹部戦士昇格寸前】の戦士で体格は村一番だった。身長は二メートル近くあり、筋骨隆々とした体躯は圧倒的な存在感を放っている。その顔は嫉妬と悪意に満ちていた。


「そいつは村のミソッカスです。仮にも村を束ねる地位には不適かと」

「ミソッカスだと!?」


 オルティッシオが眉をひそめる。


「はい、村の第一の試練さえ突破できない軟弱ぶりです」


 それからガウは、僕がどれだけグズで弱虫なのかを、エピソードを交えて話し始めた。


「こいつは十五歳になっても、子供でもクリアする岩石移動ができませんでした」

「戦闘訓練では、女子供にすら負ける始末です」

「狩りに出ても、ウサギ一匹仕留められません」

「いつも村の隅で震えて、皆の食事の支度をしているだけの腰抜けです」


 他の村民たちもガウに賛同して、やいのやいの悪口を言ってくる。


「そうです、そうです!」

「あいつに頭を下げるなんて屈辱です!」

「戦士の誇りが許しません!」


 くやしい。

 でも、事実だから何も言い返せない。

 僕は確かに弱い。戦えない。みんなの足手まといだ。それは間違いのない事実だった。


「なるほど。そこまで脆弱な家畜では、たかが家畜の長もこなせんかもしれんな」


 オルティッシオが顎を撫でながら考える。


「まぁ、確かに。弱すぎるのも問題ですよね」


 エディムも同調する。


「へっへ、そうでしょう」


 ガウがしめたとばかりに笑みを浮かべた。


「でしたら、他に腕っ節の強い者を選んだらどうです?」


 さりげなくガウが自分をアピールしている。ギウ亡き今、力量ある者はガウしかいない。それを見越して言っているのだ。


「そうだな。それならば、お前が——」

「オルティッシオ隊長、お待ちください」


 オルティッシオがガウを族長にしようとした矢先、会場の扉が開いた。そこから現れたのはギルさんだった。


 ギルさんは、ジャシン軍第二師団の副長だった。

 彼はオルティッシオとは対照的に冷静沈着な性格をしている。身長は平均的だが、その身体からは鍛え抜かれた戦士の気配が漂っていた。

 黒髪を短く刈り上げ、鋭い灰色の瞳をしている。その判断力と実行力は、オルティッシオからも信頼されていた。


「おぉ、ギルか。緊急で地下帝国に行くと言っていたが、用事は済んだのか?」


 オルティッシオの声のトーンが変わった。頼りにしている。そんな雰囲気を醸し出していた。

 オルティッシオは、副長のギルさんをよほど信頼しているのだろう。


「はっ。少々手続きに時間がかかりましたが、完了しました」


 ギルさんが敬礼する。その動作に一切の無駄がない。


「そうか、そうか。で、お前が戻ったのなら都合がよい。ギル、お前の意見も聞こう」


 オルティッシオが身を乗り出す。


 今までの状況をつぶさに説明していく。

 ギウの殺害、その後の志願者たちの惨殺、そして現在の膠着状態まで。


「隊長、状況は理解しました」


 ギルさんが冷静に頷く。


「であるならば、族長はそこにいるシロです。それ以外考えられません」

「「「「なにぃいい!!」」」


 村の皆が絶叫した。

 僕も意味がわからず絶句している。

 嘘だ。何かの間違いだ。


 しかし、ギルさんは僕をビッと指さし、確信に満ちた目で見ていた。その瞳には、迷いの色が一切なかった。


 会場が水を打ったように静まり返った。


 最初に動いたのは、古参戦士のレムスだった。


「ば、馬鹿な……シロが、あのシロが族長だと?」


 彼の声は掠れ、目を見開いたまま硬直していた。


 続いて若戦士のザッキウワが立ち上がった。


「冗談じゃない! 俺たちが命がけで戦ってきたのに、試練も受けていないヤツが!」


 彼の顔は怒りで真っ赤に染まり、握りしめた拳が震えていた。


 女戦士のリタリタは呆然としたまま呟いた。


「【見習い戦士】が……それも最下級の……」


 会場のあちこちから声が上がり始める。


「認められるか、そんなもの!」

「戦士の誇りはどうなる!」

「俺たちの今までの努力は何だったんだ!」

「あいつに頭を下げろというのか!」


 老戦士のゲルクは杖を床に叩きつけた。


「わしは五十年この村で戦士をやってきた。その間、何度死にそうになったか分からん。それなのに……それなのに、料理番風情が!」


 若い戦士の一人が叫んだ。


「シロに従うくらいなら死んだ方がマシだ!」


 別の戦士が続いた。


「実力もない弱虫に狼族が従えるか!」


 女性陣からも怒りの声が上がる。


「子供たちに何て説明すればいいの?」

「努力なんて無意味だって教えるの?」


 会場は怒号と罵声で満ちていく。


「ふざけるな!」

「絶対に認めない!」

「こんな屈辱があるか!」


 しかし、オルティッシオの鋭い視線が会場を睨み回すと、声は次第に小さくなっていく。それでも、獣人たちの目には明らかな敵意と憎悪が宿っていた。


 特に僕に向けられる視線は、まるで毒矢のように鋭く、殺意すら感じられた。


「し、しかし、ギルよ。その家畜は家畜の中でも特に脆弱だと聞くぞ」


 オルティッシオが眉を下げて困ったように言う。


「そんな奴を長にして、ティレア様のご不興を買うわけにはいかぬ」

「そうですぜ!」


 ガウが唾をまき散らしながら訴える。


「そいつは戦士でもない。戦えもしない臆病者。ただただ皆の飯を作ってきた弱虫の雑用ですぜぇええ!」


 族長就任のチャンスをミソッカスの僕に奪われるのは、よほど頭に来たのだろう。オルティッシオの前だというのに、わめき散らす寸前の勢いだった。


「少し黙れ」


 ギルさんがガウに命令する。その表情はどこまでも冷たく、氷のように澄んでいた。


「し、しかし、こんなミソッカスを——」

「今は大事な話をしている」

「それならなおさらですぜ。こんなカスが族長では皆の士気が駄々下がりだ」

「いいから黙れ。二度も言わすな」


 ギルさんの声に、殺気が混じり始めた。


「ち、ちょっと待ってください。俺の話を——」

「邪魔をするな!」

「ふべぇええ!!」


 ガウはギルさんに裏拳を入れられ、吹っ飛んだ。

 まるで紙屑のように簡単に飛ばされた。あれほど巨体のガウが、まるで子供のように宙を舞った。

 ガウは死んではいないが、白目をむいて気絶している。その口から血が流れ、鼻は明らかに骨折していた。


「オルティッシオ隊長、シロは優れた料理人です」


 ギルさんが振り返ると、先ほどまでの冷たい表情が一変していた。まるで宝物を見つけたような、満足そうな表情になっている。


「近いうちに地下帝国に連れて行こうと思っています」

「なんだと!?」


 オルティッシオが身を乗り出した。


「ではティレア様の——」

「はい、シロは筆頭候補です」


 筆頭候補? 何の?


 僕は話についていけずに、きょろきょろと周囲を見回した。


「間違いないか? ティレア様は、ご趣味の料理に大変熱を入れられておられる」


 オルティッシオの声に、明らかな緊張が混じっていた。


「半端者を連れて行けば、ご気分を害するだろう」

「問題ありません」


 ギルさんが胸を張って断言する。


「シロを連れて行くこと、それが今回の遠征中、最大の功績になるやもしれません」

「ほぉ、お前がそこまで言うか!」


 オルティッシオの表情が一変した。困惑から興奮へと変わっている。


 えっ!? えっ!? どういうこと?


 何か知らないうちに、とんでもないことが起きようとしている。


「それでは家畜の長は貴様だ」


 オルティッシオが僕を指さし、宣言する。


 いや、そんなの無理無理、絶対に無理だ。

 皆も最初は動転していたが、事態がわかるにつれて、みるみる困惑と怒りに満ちていくのがわかる。

 ここで僕が族長就任を了承しようものなら、殺されるのは確実だ。村民たちの視線が、僕を八つ裂きにしそうな勢いだった。


「オルティッシオ様、申し訳ございません」


 僕は慌てて立ち上がった。


「僕に族長は無理です。どうかどうか、栄えある族長の地位は他の者を」


 頭を下げて土下座をした。冷たい石の床に額をこすりつける。


「却下だ」


 オルティッシオが即座に言い放った。


「貴様をティレア様のおわす居城、地下帝国に連れて行き、名誉ある仕事を与える予定だ。家畜の村とはいえ、長の肩書ぐらいつけておかねば話にならん」

「オルティッシオ隊長の仰る通りです」


 ギルさんが頷く。


「シロ、お前は族長となり、これから王都に来てもらう。私はその手続きをするために村を離れていたのだ」

「で、でも……」


 僕が抗議しようとすると、ギルさんが僕の肩にポンと手を置いた。


「安心しろ。お前に手を出す輩は容赦せん」


 その声は意外にも優しかった。


「村の経営も心配するな。他に代行者を選任する。肩書さえもらっておけばいい」


 ギルさんが僕の肩にポンと手を置いて、気軽に受けろと言ってくる。

 ギルさん、獣人の掟をまるでわかっていないよ。

 【見習い戦士】が族長となる。今までのフェンリル族の歴史を紐解いても前代未聞の話だ。絶対に暴動が起きる。


「しかし、ギル様、このシロとかいう獣人、やたらと他の獣人から馬鹿にされております」


 エディムが口を挟んだ。


「肩書とはいえ、こいつが族長では統治にいささか問題が生じるのではありませんか?」


 エディムがまたもや的確なツッコミを入れてきた。

 そうだよ、その通り。やっぱりエディムはツッコミに定評がある。

 僕みたいな弱虫では、皆を統率なんてできやしない。


「エディム、問題ない」


 ギルさんが断言する。


「反乱が起きたら起きたで潰すだけだ」

「よ、よろしいのですか? ギル様らしくないと言いますか、それではノルマを達成できません」

「どちらにしろ、もうノルマ達成は絶望だ」


 ギルさんが肩をすくめる。


「だが、我らはシロという【奇貨】を手に入れたのだ。必ずティレア様の覚えはよくなる」


 奇貨? 僕が?


「ギル様がそこまで——はっ!?」


 エディムの目が見開かれた。


「では、本当にこいつは?」

「うむ、シロならやれる」


 ギルさんが確信に満ちた表情で頷く。


「ドリュアスも他の師団長たちの候補にも引けをとらない、いや必ずや圧倒するであろう」


「おぉ、そうかぁあ!!」


 オルティッシオが声を高らかに上げた。


「こやつならクソ参謀を出し抜けるか!」

「はっ、間違いございません」


 ギルさんが太鼓判を押すと、オルティッシオがさらに興奮した。その顔はとてもうれしそうである。

 僕は一体何をさせられるの?


 それに、クソ参謀? 誰? ドリュアス?


「よし、では貴様の身分はこれより邪神軍第二師団所属、台所組預かりの【軍曹】だ」


 オルティッシオから何らかの身分をもらった。

 怒涛の展開についていけない。

 ただ、これだけは言える。


 これだけのテンションのオルティッシオ相手に断ることは不可能だ。強硬に拒否すれば、これまで横たわってきた獣人の死体に僕が加わるだけだろう。

 了承するしかない。


 それにしても軍曹?


 聞いたことがない身分だ。


「あんた、光栄に思いなさい」


 エディムが説明してくれる。


「家畜のこいつらは【三等兵】。あんたは【軍曹】で、その五個上の身分、いわゆる下士官よ」

「下士官ですか」


 僕が首をひねっていると、エディムがさらに説明を続けた。


「そう、気張りなさい。ちなみに私はさらに九個上の【大佐】だから」


 エディムの顔は自慢げである。【大佐】はよほど地位が上なのだろう。


「半端者はそれが限界だな」


 オルティッシオがさらに補足を入れてくれた。


「私は第二師団師団長にして、【中将】の位だ。上から数えて三番目だ。覚えておけ」


 その顔は誇らしげである。【中将】って上から三番目なんだ。まぁ、オルティッシオの圧倒的強さを評価したら妥当だろう。というか二番目ではないんだ。ティレアの次に偉いと思ってた。


「……下級中将のくせに」


 エディムがぼそりとつぶやいた。


「エディム、何か言ったか?」

「いえ、別に」


 下級? エディムがぼそりとつぶやいたが、位は複雑のようだ。


 ただ、【軍曹】もそこそこ上の地位らしい。


 いや、村の戦士たちが【三等兵】で、僕はその五個も上なんだ。相当上の地位なんだろう。

 しかも、十五の試練を乗り越えたエリート中のエリートしかなれない戦闘民族の誇り、ベジタ村の【族長】に僕が就任してしまったのだ。


 うそぉお!!

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― 新着の感想 ―
[一言] 有能なギルさんがなぜオルティッシオにここまで忠誠を尽くすのか不思議だ…。
[一言] 更新おつかれ様です! さすがギルさん目の付け所が優秀ですね。 これからシロはどんどん出世していくんだろうなぁ···
[良い点] ギルさんの着眼点さすがだ! 破壊神クラスの料理人の階級がトントン拍子に上がってく未来しかみえない ティレア様でてきてないのに ティレア様と他キャラでの会話が安易に想像できるのが最高ですね…
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