第五話 「天才料理人シロ 料理を試される」
ベジタ村が降伏して三日が過ぎた。
朝靄が晴れ始めた広場に、僕は立っていた。
空気が重い。三日前の血の匂いが、まだかすかに残っている気がする。
村の中央広場には、かつて誇り高く掲げられていた狼族の旗が地面に踏みつけられ、泥にまみれている。代わりに血のように赤い「ジャシン軍」の旗が風にはためいていた。
皆、目は虚ろで生ける屍となっている。
以前なら威勢よく酒を飲み、大声で笑い合っていた戦士たちも、今では猫背で俯きながら歩いている。誰も口を開かない。聞こえるのは、鍬が土を掘る音だけだ。
これまで狼族は、戦に負けても全面降伏したことはなかった。局地戦で負けても、ここぞという勝負では負けなかったからだ。
今は違う。
オルティッシオの圧倒的暴力にひれ伏している。
あの日のことを思い出すと、今でも身体が震える。族長ベジタブル様をはじめ村の精鋭戦士数十名が束になって襲いかかった。だが、オルティッシオは笑いながら、まるで子供をあやすように彼らを蹴散らした。
皆、一様に不安が顔に滲み出ていた。オルティッシオは、村の皆を家畜と侮蔑し、戦士として扱わない。鍬を持って、ひたすら田畑を耕せと言う。
「戦士ではない。ただの家畜だ」
オルティッシオの言葉が脳裏に蘇る。かつて戦場で咆哮を上げていた戦士たちが、今では黙々と土を掘り返している。
まさに奴隷。
まあ、僕はもともと奴隷も同然の待遇だった。上で命令する者が代わろうと、それは変わらない。
オルティッシオたちの体力検査で弾かれた時は死を覚悟したが、ギルさんが助け船を出してくれた。おかげで今も、料理係として生き延びている。
僕は、いつものとおり皆の料理を作っていればいいのだ。
さて、まずは食材の調達だ。山菜を取りに行こう。
リュックを背負って、村の外れの山に入る。
この山道は僕にとって特別な場所だ。おばあちゃんと一緒に山菜を採りに来た思い出が詰まっている。「この葉っぱはスープに良い味を出すよ」「この根っこは薬にもなるから大切に取っておきなさい」。おばあちゃんの声が今も聞こえてくるようだ。
山に入ると、少しだけ心が軽くなる。鳥たちのさえずり、風に揺れる木々の音。自然は何も変わらず、僕を迎えてくれる。
ふと足を止め、山道の途中から村を見下ろした。
オルティッシオの姿が目に入った。
村の中央にある高台に陣取り、皆を監督している。あの高台は、かつて族長が演説をした場所だ。今は侵略者が君臨している。
厳しい目つきだ。まるで鷹が獲物を狙うような鋭さがある。
「働け、働け、家畜ども! 休みたいとかサボりたいとか抜かしてみろ。その時は死ね。腹をかっさばき、死んでティレア様にお詫びをするのだ」
オルティッシオが唾をまき散らしながら檄を飛ばしている。
すごい……。
今まで族長以下理不尽な命令をいくつも聞いてきたが、オルティッシオの命令ほどすさまじいものはない。族長の命令は理不尽でも、そこには一応の理屈があった。でも、オルティッシオの命令には理屈も情もない。ただの暴力と恐怖による支配だ。
彼らはかれこれもう十時間以上、鍬を振っているのだ。ご飯も食べず、少量の水を飲むことのみ許される。
いくら村の戦士たちが屈強とはいえ、限度があるだろうに。
見ていて痛々しい。
かつて僕を「出来損ない」と罵った戦士たちでさえ、今では同情してしまう。彼らの手は血だらけで、足元はふらついている。それでも鍬を振り続ける姿は、哀れというより他にない。
稲一粒でも多く収穫させる。鬼オルティッシオの言葉だ。
このオルティッシオを従えるティレアとは、いったいどんな化け物なのだ?
きっと力と破壊の権化のような怪物だろう。想像しただけで身震いしてくる。
まあ、僕には関係のない話か。
僕なんて、村の片隅でひっそりと料理を作っているだけの存在だ。そんな大それた人物と関わるなんて、天と地がひっくり返ってもありえない。
ああ、怖い怖い。
首を振ってその場を通り過ぎようとすると、
「やってられっかあ!」
ベジタ村の戦士アジャが鍬を地面に叩きつけて不満をぶつけた。
アジャは、牙を剥き出しにして憤慨している。
それもそうだろう。
アジャは村でも特に好戦的な戦士だった。農作業など、彼にとっては屈辱以外の何物でもない。
ここまで持ったのも、それだけオルティッシオが恐ろしかったからだ。だが、とうとう限界が来たらしい。
僕は思わず立ち止まった。
これは危険な状況だ。
アジャは怒声を上げて猛抗議する。
「俺は農夫じゃない、戦士だぞ。ふざけるな。略奪でもなんでもやってジャシン軍とやらに貢献してやるよ。なんならアンタのために今から女でも浚ってきて――ぐぎゃ!」
オルティッシオは、アジャの不平を最後まで言わせなかった。
神速で駆け寄り、アジャの顔面に拳を叩き込んだ。僕の目には、オルティッシオが瞬間移動したようにしか見えなかった。
アジャは、蛙の潰れた声を出し、ピクピクと痙攣をしている。
血の匂いが風に乗って僕のところまで届いた。アジャの鼻と口から大量の血が流れ出している。一撃で致命傷を負ったのは明らかだった。
「貴様、誰が休んでいいと言った! さっさと手を動かせ」
オルティッシオはアジャの胸倉を掴み、ゆさゆさと振り回す。
アジャ、既に死んでいるのに……。
皆もそう思っているが、口には出せない。
絶対的強者に抗える者などいないのだから。
「オルティッシオ様、そいつ既に死んでますよ」
代わりにエディムがオルティッシオに指摘した。
この少女がいなければ、オルティッシオは延々と死体を振り回し続けるのかもしれない。
「なに? 貴様、勝手に死ぬ奴があるかあ!」
オルティッシオが雄叫びを上げてアジャを投げ飛ばす。
アジャの死体ははるか彼方に吹っ飛び、そのままてんてんと転がっていく。そして、そのまま崖から落っこちてしまった。
ああ、村でも粗暴で嫌な奴だったけど、こうなると憐れだ。
命の儚さを感じずにはいられない。
オルティッシオは、ふんと鼻息を鳴らすとまた檄を飛ばす。
獣人の一匹や二匹、生きようが死のうがお構いなしという感じだ。
ここでは命が軽い。
オルティッシオの機嫌一つで死につながる。
誰も、アジャが落ちた崖の方を見なかった。
視線を向けることすら、許されないと分かっているのだ。
皆、アジャと多少なりとも同じ気持ちだったと思う。でも、不満を顔には出さない。
さっと持ち場に戻り、鍬を振るい始めた。さっきより少しだけ速く。
まあ、死にたくないもんね。
僕も早くここを離れよう。
広場の端を足早に通り過ぎ、山菜のある場所に向かおうとしていると、
「シロ、少し待て」
背後から声がかかった。
振り返ると、屈強な男が立っていた。鋼の肉体と知性を宿した目をしている。
あ、ギルさんだ。
慌てて平伏しようとするが、ギルさんは手でそれを制した。
僕の命を救ってくれた恩人である。
「シロ、一つ頼みがある」
「あ、はい、なんでしょう?」
「これで料理を作れ」
ギルさんは背中に背負った大袋から食材を取り出し、地面に置いた。
ばらばらと大量の芋や野菜などが転がる。
その瞬間、僕の目は釘付けになった。
なんだ、これは……。
艶やかな光沢を放つ黄金色の芋。深緑の葉野菜は、朝露を纏ったように瑞々しく輝いている。真紅の根菜からは、土の香りに混じって仄かな甘みが漂ってきた。
どれも、村では絶対に手に入らないものばかりだ。
「あ、あの一体……? これから僕、皆のご飯を作らないと」
「そんなのはどうでもいい」
どうでもいいって……。
朝から何も食べていない村人たちが、十時間以上も鍬を振っているのだ。飯がなければ、僕は八つ裂きにされる。
「で、でも、ご飯を作らないと……」
「ふっ、誰が誰を怒るのだ?」
ギルさんがあきれた顔で言う。
そうだった。今やベジタ村の住人は、ジャシン軍の奴隷である。ギルさんの命令を覆せる者なんていない。
「わかりました。この食材を使えばよろしいのですね?」
「ああ、そうだ」
改めて食材を手に取る。
黄金芋を掌に乗せた瞬間、その重みと温もりが伝わってきた。皮の表面はしっとりと滑らかで、爪で軽く押すと弾力のある手応えが返ってくる。
鼻を近づけると、蜂蜜のような甘い香りが立ち上った。
すごい……これがA級食材というものか。
一片だけでも、栄養価が十分に詰まっていた。普段は、食材を掛け合わせて栄養価を凝縮するが、その必要はない。この芋一個で、普段使う食材の十個分はありそうだ。
よし、力汁スープを作ろう。
広場の隅に移動し、いつも使っている野外の調理場に陣取る。手早く薪を組んで火を起こした。
リュックから大鍋を取り出し、料理台を設置する。そして、腰に下げていた包丁を手に取り、芋に刃を入れた。
すっ、と刃が吸い込まれていく。
切り口から黄金色の果肉が現れ、甘い香りが一気に広がった。普通の芋なら感じる繊維の抵抗がまるでない。まるで絹を切っているかのような滑らかさだ。
断面を見て息を呑む。
蜜が染み出している。芋から蜜が出るなんて、聞いたこともない。
「ここ数日お前を見ていた」
スープのだしを取っていたら、ギルさんが話しかけてきた。
岩石に腰をかけて、じっと僕を見つめている。
「お前は優れた料理人だ」
「あ、ありがとうございます」
「ただ、それを確信まで持っていきたい」
「確信ですか……」
「ああ、お前は村の奴らを基準に料理を作っているな?」
「基準?」
「つまりだ。料理をする際、配分を質より量としている」
ギルさん、鋭いな。
村の皆は、腹が空くと狂暴になりやすい。できるだけ腹が膨れるような料理を心がけていた。味は美味しく、ただし最低ラインの美味しさだ。村の乏しい食料事情では、味と量を両立させるのは至難の業だから。
「さすがです。村の人たちは、食欲旺盛でとにかく量が必要でした」
「やはりな。では、今回は美食をメインに作ってくれ」
美食?
つまり美味しく作ればいいだけか。
……いや、ジャシン軍の試験がこんなに簡単なわけがない。何か裏があるのかもしれない。
「緊張するな。気楽に考えていい」
「え、えっと……」
「ふふ、そう怖がるな。ただお前の料理の腕を知りたい。それだけだ」
「は、はい」
「ただし、手は抜くな。全力で作れ。お前の真の腕を見たいからな」
ギルさんが怖い顔で言う。
料理で手を抜く……ありえない。
料理は、僕が生き抜くための唯一の術だ。手を抜くことは死ぬことと同義である。
おばあちゃん、安心して。僕は死なないから。
心の中でおばあちゃんに語りかけながら、僕は集中力を高めていく。
――よし。
力汁スープではない。美食に比重を置いた料理を作ろう。
おばあちゃんから教わった究極の料理の一つ、フォーティャオチャンだ。「これを作れるようになったら、お前は一人前の料理人よ」そう言われた幻のスープ。
まず、黄金芋を薄く輪切りにしていく。
包丁が芋を通過するたびに、甘い香りが広がる。切り終えた輪切りを並べると、まるで黄金の硬貨が並んでいるようだ。
次に深緑の葉野菜。
茎を落とし、葉を一枚一枚丁寧に剥がしていく。葉脈に沿って水分が輝いている。この野菜は火を通しすぎると苦みが出る。さっと湯通しするだけで十分だ。
真紅の根菜は、皮を剥いた瞬間、鮮烈な香りが鼻腔を突いた。土の香りと、どこか果実を思わせる甘酸っぱさが混じり合っている。これは薄くスライスして、スープの仕上げに散らそう。
大鍋に水を張り、火にかける。
おばあちゃん直伝の出汁を取る。乾燥させた山菜と、リュックに入れておいたキノコの軸を布袋に入れ、弱火でじっくりと煮出していく。
ふつふつと小さな泡が立ち始めた。
琥珀色の液体が、次第に黄金色へと変わっていく。出汁の香りが立ち上り、周囲の空気を温かく包み込んだ。
ここだ。
火加減を見極め、黄金芋を投入する。
強すぎると芋が崩れる。弱すぎると火が通らない。おばあちゃんは「芋と会話しなさい」と言っていた。芋の表面に浮かぶ細かな泡を見ながら、火加減を微調整していく。
芋が透き通ってきた。
中心まで火が通った証拠だ。
次に葉野菜を加える。鮮やかな緑色が、黄金色のスープに映える。
十秒。それ以上は火を通さない。
最後に真紅の根菜を散らす。
赤、緑、黄金。三色が調和し、まるで宝石箱のような美しさだ。
仕上げに、秘伝の香草を一つまみ。
スープの表面に、野菜から出た天然の油が虹色に輝いている。
数十分後……スープが完成した。
鍋から立ち上る湯気が、まるで黄金の糸のように輝いている。芋の甘み、葉野菜の青み、根菜の酸味が絶妙にバランスを取り、深みのある味わいを演出している。
あまりの美味しそうな香りに修行好きの戦士ですら、修行をほったらかしてやってくると言われた民族料理。
一口飲めば、身体の芯から温まる。そんなスープができあがった。
「あ、あの、どうでしょうか?」
ギルさんは、何も言わない。
僕が差し出した椀を受け取ると、まずはその香りを確かめるように鼻を近づけた。
その瞬間、ギルさんの眉がわずかに動いた。
そして、ゆっくりと一口含む。
ギルさんの動きが止まった。
匙を持つ手が、空中で静止している。
……え?
まずかった? 何か間違えた?
心臓が嫌な音を立てる。頭の中で、自分の調理工程を必死に振り返った。火加減は完璧だったはず。塩加減も、香草の量も――
ギルさんが、二口目をすすった。
三口目。四口目。
匙を動かす速度が、少しずつ上がっていく。
あれ?
ギルさんの目が、椀の中身に釘付けになっている。まるで、そこに何か信じられないものを見つけたかのように。
そして――椀を傾け、最後の一滴まで飲み干した。
「……………」
ギルさんは椀をゆっくりと置いた。
僕は固唾を飲んで見守る。
ギルさんは立ち上がると、僕の肩に手を置いた。
その手が、わずかに震えているように感じたのは気のせいだろうか。
「よくやった」
低く、噛みしめるような声だった。
その一言で、僕の緊張は一気に解けた。
多分、合格点はもらえたのかな?
そのあと、ギルさんはどこかに出かけていった。
ギルさんの後ろ姿を見送りながら、僕は安堵のため息をついた。とりあえず、今日は生き延びることができた。
数日後……。
いつものように調理場で朝食の仕込みをしていると、ふと気づいた。
僕は、なぜか村の皆にいじめられなくなっていた。
ギルさんの同僚が交代で常に張り付いてくるからだ。まるで人族が言っている護衛みたい。
以前なら、料理の準備をしていても村人たちから心ない言葉を浴びせられることが日常だった。「出来損ない」「半端者」「役立たず」。そんな罵声が飛び交う中で、僕はいつも小さくなって作業をしていた。
でも今は違う。ジャシン軍の兵士が常に僕の傍にいるため、村人たちは僕に近づくことすらできない。
なぜ僕に?
その理由がまったくわからなかった。僕はただの料理係に過ぎない。護衛が必要なほど重要な人物ではないはずだ。
その答えがわかった時は……仰天した。
僕の身にとんでもないことが起こったのである。




