第四話 「天才料理人シロ 降伏したベジタ村」
「お前達、これ以上抵抗すれば村が壊滅するぞ。このバ……男は手加減を知らんからな」
エディムが宣言する。その声には、普段の冷静さに加えて、わずかな焦燥が混じっていた。
確かにオルティッシオの力は凄まじい。僕は先ほどまでの戦闘を思い返し、身体が自然と震えるのを感じた。
ギガンド様を始め村の並みいる戦士達を軽々と倒したのだ。あのギガンド様が——鋼鉄の爪を持ち、一撃で巨大な岩を砕く力を誇るギガンド様が、まるで子供のようにあしらわれた。オルティッシオの拳がギガンド様の腹部に触れた瞬間、彼の巨体が宙を舞い、石造りの家屋の壁に激突して意識を失ったのだ。
オルティッシオは、獣人族最強である現族長のベジタブル様より力は上かもしれない。いや、間違いなく上だろう。ベジタブル様でさえ、一度に相手取れるのは精々十数人の戦士が限界だと聞いている。だがオルティッシオは、村の戦士全員を相手にして、汗一つかいていなかった。
オルティッシオに逆らえば、村は壊滅する。それは村の住人全てが痛感しているだろう。空気が重く、まるで嵐の前の静寂のようだった。子供たちは母親の後ろに隠れ、普段は勇猛で鳴らす戦士たちも、地面を見つめて身を縮こまらせている。
ただ、村人達は全員無言だ。
オルティッシオ達の問いに応えず、顔を俯かせじっとしている。その沈黙は、屈辱と怒りに満ちていた。拳を握り締め、歯を食いしばる者もいる。血管が浮き出るほど力を込めて、必死に感情を抑え込んでいるのが分かる。
当然だ。
強者こそ正義!
狼族の掟である。これは我々が生まれながらに叩き込まれる、絶対不変の真理だった。弱肉強食の理の中で、強者に従うことは生存の基本であり、同時に名誉でもある。
オルティッシオが人族であろうと、それは関係ない。種族の違いなど、圧倒的な力の前では些細な問題に過ぎない。通常の降伏勧告であれば、絶対的強者であるオルティッシオに従うことも厭わないのだ。
だが、オルティッシオの物言いがあまりに酷すぎる。
誇り高き戦士、狼族を家畜呼ばわりするのだ。
フェンリル族は、太古の昔から戦場を駆け抜け、名誉ある死を求めて戦い続けてきた誇り高き一族だ。月夜に遠吠えをあげ、戦神に勇猛さを誓った。その血筋を「家畜」と呼ぶなど——。
単に服従するだけであれば、まだ納得もできよう。オルティッシオの下であろうとも、戦いを満喫できればよい。真の戦士であれば、主君がいかなる者であろうと、己の武勇を示す機会さえ与えられれば満足なのだ。
家畜呼ばわりの奴隷扱い。戦士として扱われないのは、狼族の沽券にかかわるのだ。それは死よりも重い屈辱である。狼族にとって戦士の誇りとは、命よりも大切なものなのだから。
「返事はどうした?」
「……」
村人達は、答えない。
肩をプルプル震わせ怒りを表している者も多くいる。老戦士のガルガントは、白い髭を震わせ、その奥の牙がギリギリと音を立てている。若い戦士のフェンガルは、爪が肉に食い込むほど拳を握り締め、血が滴り落ちている。だが、行動に移せない。逆らえば殺されるとわかっているから必死に耐えている。
絶対的強者に刃向う気はない。でも、おいそれと家畜になる気もない。
中途半端な状態である。この膠着状態が、村全体を重苦しい空気で包んでいた。
「……応えんか。畏れ多くも邪神軍の配下として迎え入れてやると、貴様らのような屑どもに慈悲を与えたというのに」
オルティッシオが苛立ち、周囲を見渡す。その視線は氷のように冷たく、同時に炎のように激しかった。まるで獲物を品定めする猛禽類のような、捕食者の目だ。
皆、応えない。
下を向いてうつむいている。まるで嵐が過ぎ去るのを待つように、ひたすら耐え続けている。
「ふぅ~無礼千万だな。殺すか」
一呼吸をし、オルティッシオがギロリと睨む。その瞬間、空気が一変した。
「ひ、ひぃ!」
思わず悲鳴が出てしまった。
お、恐ろしいほどの殺気……。
まるで巨大な肉食獣に睨まれたような、本能的な恐怖が全身を駆け抜ける。背筋に氷水を流し込まれたような寒気と、同時に全身から噴き出す冷や汗。心臓が異常なほど早く鼓動し、呼吸が浅く早くなる。
その眼光に村の屈強な戦士も含め、全員が恐怖に打ち震えていた。
このオルティッシオの覇気に比べれば、ギガント様の怒気など子供の癇癪程度に思えてしまう。ギガント様の怒りは嵐のように激しいが、どこか生き物らしい温かさがあった。だがオルティッシオのそれは違う。まるで死神そのもののような、生命を根こそぎ刈り取る絶対的な冷酷さがある。
僕は水分を摂取していなかったため難を逃れたが、中には失禁している者もいるに違いない。実際、どこからともなく異臭が漂い始めていた。
「オルティッシオ様、落ち着いてください」
エディムが怒れるオルティッシオの間に入ってきた。その動きには慣れた様子があり、こうした場面を何度も経験しているのだろうと推察された。
「エディム、なぜ止める!」
「オルティッシオ様、少しは学習してください。何度村を壊滅させたら気が済むんですか! あなたが暴れて、どれだけ収入が激減したと思っているんです」
エディムの声には、心底うんざりしたような響きがあった。まるで問題児の世話を焼く教師のような、疲れ切った表情を浮かべている。
「エディムよ、収入うんぬんの問題ではない」
「いや、収入の問題重要でしょうが! あなたが今月のノルマを果たせなかったら、私まで責任を取らされるんですよ。なぜか皆私とあなたがセットで考えられているんです。また、今月も未達なら処刑もありえるというのに……」
エディムの声が次第に震え始めた。彼もまた、上からの圧力に苦しんでいるのが分かる。ジャシン軍という組織の厳格さと冷酷さが垣間見える瞬間だった。
「エディム、貴様が処刑されようと知ったことではない」
「はぁ? あんたどれだけ私を――むぐっ!」
オルティッシオがエディムの口上の途中で口を鷲づかみにした。その手は鉄の万力のように強力で、エディムの顔が苦痛に歪む。エディムがもごもごと何か言いたげだが、オルティッシオがそれを許さない。
「いいか、恐れ多くもティレア様のご尊名をお出ししたのだぞ。本来、拒否など天変地異が起ころうとありえん。嬉々として頭を垂れるのが筋だ。それをこやつら屑虫は!」
ティレア様——その名前を聞いた瞬間、オルティッシオの表情が一変した。まるで聖なるものに触れたかのような、崇敬の念に満ちた表情になる。
オルティッシオが殺気を溢れさせ今にも飛び掛からんとしていた時、
「貴様らぁああ! やっと見つけたぞ。これ以上の狼藉は許さん」
村の入り口より怒声が響いた。その声は大地を震わせるほど力強く、まさに王の咆哮とでも呼ぶべき威厳に満ちていた。
あ、あれは……ベジタブル様!
僕も昔、遠目にお見かけした事がある。あの時の印象は今でも鮮明に覚えている。黄金色の毛並みを持つ巨大な体躯、鋭い眼光、そして何より、その場にいるだけで周囲を圧倒する威厳。まさに生ける伝説だった。
一人で数百の敵を打ち破り、数多の集落を傘下に組み入れた。狼族の歴史に燦然と輝く英雄的戦績の数々。先代、先先代の族長でも成し遂げられなかった獣人の統合という偉業を成し遂げた。
数々の伝説を持つ獣人族最強の戦士が現れたのである。
それにキロロ村のヤルアシ様、ヤリアワ郷のサイウィクゥウ様もいる。ヤルアシ様は風の魔法の使い手として名高く、その速度は雷光をも上回ると言われている。サイウィクゥウ様は岩石魔法の専門家で、その防御力は鉄壁と称される。それに反目していた狐族の頭目ファンファン様まで一緒だ。ファンファン様は幻術の達人で、これまで狼族とは犬猿の仲だったのに。
凄い。
狼王にもっとも近いと言われたベジタブル様を筆頭に黄金世代と言われた獣人精鋭部隊、各村のスーパースターが勢ぞろいしたオールスターチームである。平時であれば絶対に一堂に会することのない面々が、共通の敵を前にして結束しているのだ。
オルティッシオに勝てるとしたらもうこの集団しかないだろう。希望の光が差し込んできた気がした。
ベジタブル様は、全身の毛を逆立てて激怒している。まさに烈火の如くだ。その怒りは正義の怒りであり、同胞を守らんとする族長の責任感に満ちていた。
どうやらベジタブル様は、オルティッシオ率いるジャシン軍が獣人の町で暴れ回っているのを知り、部隊を率いて追っていたようだ。おそらく他の村々からの救援要請を受けて、急遽編成された緊急部隊なのだろう。
「む、新手か。都合がよい。他村に行く手間が省けた。貴様らも家畜として飼ってやる」
オルティッシオはベジタブル様達の凄まじい怒気にも、まったく意に介さない。
たんたんとマイペースだ。まるで道端の小石を見るかのような、無関心な態度を崩さない。
逆にベジタブル様達を【家畜】と言って挑発している。その言葉には、獣人に対する根本的な軽蔑が込められていた。
「誇り高き戦闘集団、狼族を家畜呼ばわりとは、舐められたものだ」
ベジタブル様の怒気が強まる。その威圧感は凄まじく、周囲の草木までもがざわめき始めた。まさに自然界の王者の怒りであった。
「ふん、戦闘集団? 笑わすな。貴様らは家畜だ。それ以上でもそれ以下でもない」
オルティッシオは、やれやれと心底軽蔑したように言う。その表情には、虫けらを見るような嫌悪感が浮かんでいた。
「だまれぇええ! これ以上の侮辱は許さぬ」
「あぁ、狼族の平和を脅かしおって。貴様らによって滅ぼされた村々の恨み、ここで晴らす」
「いくぞ、狼族の誇りを見せてやるわ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたようだ。
屈辱に耐えていたベジタブル様達が怒りに任せて飛び出す。その動きは美しく、かつ恐ろしかった。長年の戦闘経験に裏打ちされた、洗練された戦術行動だった。
オルティッシオを囲む、四方八方からの攻撃だ。
ベジタブル様の雷撃魔法、ヤルアシ様の風刃、サイウィクゥウ様の岩石弾、ファンファン様の幻惑術——それぞれが得意とする魔法を同時に放つ。空間が歪むほどの魔力の奔流が、オルティッシオに向かって収束していく。
ベジタブル様達の強烈な魔法弾が地面に激突する。
瞬間——凄まじい爆音を上げ、砂埃が舞った。
うぁわあ!
とても目を開けてられない。爆風で飛ばされた砂や小石が顔に当たり、痛みで涙が出る。
絶え間なく降り注ぐエネルギーの嵐だ。魔法の光が次々と閃き、爆音が響き続ける。まるで天変地異が起こっているかのような壮絶な光景だった。
狼族の誇りを見せるといったベジタブル様の言葉は伊達じゃない。村全体に地震が起こり、雷が降り注いでいるかのようである。家屋の窓ガラスが割れ、木々が根元から揺さぶられている。
攻撃は一分以上続いた。その間、僕たちは必死に地面にかがみ、やり過ごす。耳をつんざくような爆音と、肌を刺すような魔力の余波に耐え続けた。
そして……。
はぁ、はぁと息を乱したベジタブル様が見守る中、
「どうした? そんなものか?」
煙の向こうから、オルティッシオの声が響いた。その声は先ほどと全く変わらず、むしろ退屈そうでさえあった。
煙が晴れると、オルティッシオは悠然と立っていた。
あの爆撃の中、ダメージがない!?
衣服に汚れ一つ付いていない。髪の毛一本乱れていない。まるで散歩でもしていたかのような余裕さえ感じられる。
全て命中していたにもかかわらず、オルティッシオは平然としていた。いや、命中していたのだろうか? もしかすると、あの攻撃を全て回避していたのか? それとも、単純に防御力が異常なほど高いのか?
「ば、ばかな」
全ての獣人達が驚愕の声を漏らしている。
怪物だ。
オルティッシオは正真正銘の大怪物だ。獣人族最強の精鋭部隊の全力攻撃を、まるで意に介さない。そんな存在が、この世に実在するなど——。
さすがのベジタブル様もわなわなと震えている。その震えは怒りではなく、恐怖だった。絶対的な力の差を見せつけられた時の、生き物としての本能的な恐怖。
力の差をまじまじと見せつけられたベジタブル様は、
「ひ、ひけぇ――ぐふっ!」
退却を指示した瞬間、オルティッシオの手刀がベジタブル様の胸部を貫いていた。いつ動いたのか、僕の目には全く映らなかった。一瞬前までオルティッシオは数メートル離れた場所にいたはずなのに。
血が噴き出し、ベジタブル様の瞳から光が失われていく。獣人族最強の戦士の最期だった。
「ま、待て、待ってくれ。降伏す――ぐはっ!」
ベジタブル様が殺され怯んだヤルアシ様に対し、オルティッシオは強烈な回し蹴りを放った。
蹴りを受けたヤルアシ様は、まるで大砲で撃ち出されたかのように宙を舞い、十数メートル離れた大木のところまで吹っ飛ぶ。激突の音が響き、大木の幹にひび割れが走った。ヤルアシ様は、あばら骨が皮膚を突き破って突き出て、白目を剥いて絶命していた。
それからは一方的であった。
ファンファン様が幻術を試みるが、オルティッシオには全く通じない。サイウィクゥウ様の岩石の盾も、オルティッシオの拳の前では紙切れ同然だった。
村の頭目達が次々とオルティッシオに仕留められていく。それぞれが一撃必殺、容赦のない攻撃だった。
……終わった。
ドスンと大音量が響く。
最後に残ったサイウィクゥウ様が地面に倒れ伏したのだ。その巨体が地面を揺らし、最後の希望が潰えた音のように聞こえた。
これで獣人最強の精鋭部隊は、全滅である。
ベジタブル様達、オールスター集団でも倒せなかった。我々に残された希望は、もはや皆無だった。
「くっくっ、誇りを見せるまでもなかったな」
オルティッシオが自身の指についた血を舐めとりながら嘲笑する。その仕草は優雅で品格さえ感じさせた。それがより一層、恐ろしさを際立たせる。
村の獣人達は、あまりのショックで呆然としていた。現実を受け入れることができずにいる。
「ん!? そうか。こやつらは砂埃を上げて埃を見せたかったんだな。くっくっ、あっははははは!」
オルティッシオは、獣人達の屍の前で高らかに笑う。その笑い声は悪魔的だった。
そこには死んだ戦士に対する尊厳は微塵もなかった。誇り高き獣人には耐えがたい光景である。屍には獣人族最強の戦士ベジタブル様も含まれているが、誰も文句を言い出せない。言えば、次は自分が殺される。
「いやいや、オルティッシオ様、面白くありませんよ」
そんな中、エディムが首を振りながら否定する。
「なんだ、エディム? さっきからいやにつっかかってくるな。私に不満でもあるのか?」
「……今更それを問いますか。あるに決まっているでしょ」
「なんだ。何が不満なのだ?」
「わかりませんか!」
「わからんから聞いているのだ。貴様はバカか?」
「くっ! ではいいます。私、すごくすごく忙しいんです。それなのに、なぜ、毎回毎回、あなたの手伝いをしなきゃいけないんですか? まじでティレア様に訴えますよ!」
エディムの声には、長年の不満が爆発したような激しさがあった。
「忙しい? 貴様は何も理解しておらん。この討伐は、邪神軍の、ひいてはティレア様の天下統一の一助となるのだ。それを忙しいなどと軟弱な言い訳をするな!」
「そ、それはそうですけど……」
「それより、エディム、こやつら歯ごたえがなさすぎる。これでは、私が出張るまでもなかったな」
「だから、言ったじゃないですか! ここは私一人で十分だって! この忙しい中、わざわざ手伝ってあげてるんですよ。少しは信頼してください」
「ふん、貴様のような半端者では、不覚を取る恐れがあるからな。これ以上、私の足を引っ張られては困る」
「うぅ、こ、殺す。絶対殺す」
エディムは、肩を上下させて怒りを露にしている。その怒りは本物で、殺意すら感じられた。
あのオルティッシオに反抗できるエディムは凄い。やっぱり人族のえらい貴族って人なのかもしれない。そうでなければ、あんな化け物に対してここまで堂々と意見できるはずがない。
それからエディムとオルティッシオの問答も終わり、
「それで返答を聞いていなかったな。お前達、家畜になる決心はついたか?」
オルティッシオが改めてベジタ村の住人に問う。その問いかけは、まるで屠殺人が家畜に向かって語りかけるような、冷酷な響きを持っていた。
凄まじいほどの闘気の塊をぶつけられ、吹き荒れる暴力の嵐も見ている。
何より獣人最強と唄われるベジタブル様が殺されるところを真近で見たのだ。あの偉大な戦士が、まるで虫けらのように踏み潰された。
選択肢は一つしか残されていない。
これ以上、返答を引き延ばせば、村ごとオルティッシオに滅ぼされるだろう。彼にとって村人の命など、本当に虫けら同然なのだ。
強者に従うという獣人の本能が叫ぶ。生き延びろと、プライドを捨ててでも生き延びろと。
「「こ、降伏致します。どうか命ばかりはお助けを!」
皆が皆、地面に頭を擦り付けて土下座した。その光景は、誇り高き戦士族の末路としてはあまりにも哀れだった。だが、生きるためには仕方がなかった。
こうして、ベジタ村は邪神軍の支配下に入ったのである。




