第六十六話 「ミレスと財務大臣(前編)」
「さぁ、座りなさい」
ミレスは、初老の男の指示に従い椅子に座る。
魔法学園相談室……。
机と椅子、必要最低限の調度品が置かれた簡素な部屋だ。
ここは、心的障害を持った学生のための教室である。
初めて人を殺した。
戦友が間近で殺された。
魔法学園生徒は、戦いを生業とする。
子供の時分から血生臭い事を経験しなければならない。
当然、脱落者も出てくる。精神を病んでしまうのだ。
学園側は、学生の心のケアをするため、このようなシステムを作った。
ベテラン教師が生徒の悩みを聞き、アドバイスをする。
目の前にいる初老の男、ゴールド・ヘア先生もその一人だ。
時に厳しく、時に暖かく、生徒の心に寄り添い続けてきた熱血教師である。
私も初めて戦場に出た頃は、よくこの相談室を利用した。
賊とはいえ、人を初めて殺した時は吐いて眠れなかったのだ。
そんな新兵の私を励まして導いてくれたのが、その当時担任だったゴールド先生である。
「ビィンセント君、久しぶりだな」
「はい、先生もお変わりなく」
ゴールド先生は、にこやかな表情を見せた。
柔和で心根が善良な人物だ。
それでいて悪さをする生徒には、厳格なオーラを放ち鬼の形相で指導もできる。
生徒からも教師からも信頼が厚い一流の教師なのだ。
「まったく信じられんよ。エリザベスがあのような愚行を犯すとはな。非情な性格だが、もう少し分別を知っていると思っていた」
「……そうですね」
「君もエリザベスにずいぶん酷い目に遭わされたと聞く。私は情けない。教師として失格だ。後手後手に回り、君が辛いときに助けられなかった」
「気にしないで下さい。エリザベスは巧妙でした。証拠を残さず悪行をこなす。あれは、そういう方面で天才的な力を発揮してました」
「いや、それで済まされることではない。私は学園に生徒を迎え入れる時に、君達の親御さんに誓ったのだ。生徒は絶対に守ってみせるとね。それがこの有様だ。本当にすまなかった」
ゴールド先生が頭を深く下げる。
真摯な態度だ。
上っ面の言葉じゃない。誠意、そのものが滲み溢れていた。
好感が持てる。誠実で暖かだ。
合格!
こういう逸材は、女王たる私が保護しないとね――ってだめよ、だめ!
何を考えているの!
まただ、また変な思想が頭をよぎっちゃう。
これじゃあまるで人間の上位者だ。
高位人間になった弊害である。
頭をぶんぶん振ってその思考を振り払う。
「ん!? ビィンセント君、どうした? やはりエリザベスに怯えているんだな!」
「いえ、違います。気にしないで下さい」
「遠慮はするな。なんでも言ってくれ。ここにいるのは私一人だ。防音も完璧で秘密が漏れることはない。エリザベスの報復も心配しなくていい。口を閉ざす必要はないんだ。力になるぞ」
ゴールド先生は、身を乗り出して熱弁する。
エリザベスの西通り襲撃事件……。
英雄ガデリオの活躍でまたたくまに鎮圧された。
表向きの話だけどね。
ともかくエリザベスは敗北したのだ。
しかも、アナスィー先輩がエリザベス派の貴族達を完膚なきまでに叩き潰している。
エリザベスの学園統治はここに終わりを告げた。
その影響で、今まで陰で泣いていた多くの学生達がエリザベスの罪を証言した。
エリザベスの悪行が世に明るみに出たのである。
私が相談室に呼ばれたのも、そのせいだ。
エリザベスに相当酷い目に遭わされたと知られたから。
……正直、相談に乗ってもらわなくてもいい。
どうせその辺の記憶はあいまいだ。
拷問された記憶はあるが、おぼろげだ。
それにトラウマもなく克服している。
というか他の悩みが多くて昔の事なんてどうでもいいのだ。
私に構う時間を、他の生徒のために使って欲しい。
それが本音だ。
そういう次第で遠慮していたのに……。
そんな態度がいけなかった。
先生達の眼には、まだ私がエリザベスの影に怯えて口を噤んでいるように見えたのだ。
先生達から執拗に相談室に来るように言われる。
ゴールド先生他、熱意のある教師達の思いをむげにはできなかった。
しょうがない。
一回ぐらいはいいよね。
相談室に行くことを決めた。
ただ、あまり相談はしたくない。
私もね、高位人間になって色々悩んだ。
悩みを誰かに相談したい。
でも、誰に?
いろいろ調べた。
そして、その道のプロに相談したこともある。
戦場帰りで心が壊れた人達……。
そんな廃人達を幾人も救った権威のある人だ。
色々ぼかしながらも、話を聞いてくれたら心がすっきりするかなって。
でも、だめだった。
ま、まぁ、ゴールド先生は何十年も生徒の心を救ってくれたプロだ。
誠実でいて頭も切れる。
ゴールド先生なら、だ、大丈夫だよ。
ある種、予感がした。
今回もだめだろう。そんな気持ちを押し殺し、話を始めた。
……
…………
………………
数十分後……。
「わ、私は救えたのでしょうか? うぅ、私が無能なばかりに……」
「ゴールド先生、あなたはよくやってるわ」
「で、ですが、三年ビー組の……あの凄惨な事件。あぁ、あぁ、腐ったミカンなどいない。私は、私は全員を救ってやりたかった。なのに、なのに、うぅう」
「あなたはやれるだけのことをやった。全力で命を懸けて生徒を救ってきた。誰でもない私が知っている。私が保証する。あなたは立派にやり遂げたわ」
「うぉおおん、ミレス様ぁああ!」
二周りも三周りも年上の、初老の男の背中をよしよしと撫でてやった。
ふ~案の定だよ。
もうやだ。
なぜこうなっちゃうの?
そう、相談にきたのに、なぜか相談される側になっちゃうのだ。
相手がどんなに厳格で立派な人物でも一緒だ。
会話を進めれば進めるほど、こうなっちゃう。
自分の悩みを解消してもらうどころか、相手の悩みを解消してしまうのだ。
泣き崩れるゴールド先生に一言、二言声をかけて相談室を出た。
授業に出る気も起きない。
学園を出て、大通りを歩く。
住民達が自然と頭を下げてくる。
頭を下げる住民の中には、相談に行って相談された権威者もいる。
気軽に頭を下げるような人じゃない。
筋が違えば、王侯貴族だろうと頭を下げない硬骨漢だ。
そんな頑固一徹な人までもが、嬉々として頭を垂れてくるのだ。
この調子なら……老若男女、王侯貴族から貧民街の住人まで、身分性別関係なく私に従うようになるかもしれない。
いつからだろう?
頭を下げられるのが当然だと思う自分がいる。
いつからだろう?
差し出される崇拝の念に当然のように応える自分がいる。
そうじゃない、そうじゃないんだ!
私なんて大した人物じゃない!
魔法学園に入学できた、それぐらいが誇れるいたって平凡な少女だった。
あぁ、いつからこんな――って本当はわかってる。
あの時からだ。
西通りの広場で目を覚ました時からだよ。
一体私の身に何が起こったのだろう?
尋常じゃない。
もうやだ。
その場にしゃがみこみ、頭を抱える。
しばらくその姿勢で悩んでいると、金髪の少女を見かけた。
ぶつぶつと独り言を呟きながら歩いてくる。
ティレアさんだ。
腕を組み、何か考え事をしているようだ。
耳を澄ましてみる。
「誰にしよう? 誰がいいかな? よく考えたら外部から人を呼ぶって無茶だった。下手な人だと秘密が漏れるよ。口の堅い人でも経済感覚がないと税金が無駄になる。もう私がやる? いや、経済学なんて習ってない。私がやったら終りだ。あぁ、どうしよう、どうしよう? もう揺れる王都政、ティレア劇場の行方だよ」
相変わらず何を言っているかよくわからない。
「ティレアさん?」
「おぉ、ミレスちゃんじゃない!」
私に気づき、ティレアさんが笑顔を見せてきた。
「どうしたんですか? 何か悩んでいるみたいですけど」
「いやね、ほらオルがエリザベスから奪ったお金があるじゃない」
あぁ、あの件ね。
エリザベスの資金力を削ぐために潜入した。
オルティッシオさんがかなり無茶をやったみたいだけど……覚えていない。
あの日から数日記憶がないのだ。
まぁ、私の事はいいか。
ティレアさんは、窃盗の心配をしているんだね。
「ティレアさんが心配する必要はありません。法に触れたかもしれませんが、それがなんなんです? 正義の執行をしたと思ってください」
「そうだね。いろいろ考えて、それは私も同意よ。みんなが私達姉妹のために手を汚してまで頑張ってくれたんだもん。非難するつもりはない。自首もしない。今更、国にお金を返しても皆が不幸になるだけだし」
「それでいいと思います。ですので、お金については、どうぞティレアさんが好きに使ってください」
「う、うん、そう言われてもね。どう使おうか迷ってるのよ」
「ティレアさんには優秀な家臣がいっぱいいるじゃないですか。例えば、ドリュアスさんに相談したらどうですか?」
「ゆ、優秀って……まぁ、ある意味優秀だよ。信頼もできる。だけど、あいつら思考が偏りまくっているのよ。あいつらに任せるとね、下手したら王都のど真ん中に私の銅像とか建てちゃうよ」
いやいや、そんなまさかと言えない。
あの人達のティレアさんへの忠誠度は半端ではない。
銅像を二桁単位で作りそうだ。
いや、銅像じゃなかった。
黄金像だね、きっと。
「確かにそれは困りますね」
「でしょ。いわばこれは王都市民から集めた税金みたいなものじゃない。市民の役に立つものを作りたいのよ。だから、あいつらには任せられない。かといって素人の私では無理。誰か他の有識者に頼むのがいいよね? 誰がいいかな?」
ふふ、ティレアさんらしい。
私欲に惑わされず、人のために思える。
そんなあなただからこそ、あなたが使うに相応しい。
そんなあなただからこそ、本来国を治めるべきなのです。
まぁ、ティレアさんはそんな王とか支配とかに興味はないんでしょうけどね。
ティレアさんは、今もうんうん悩んでいる。
証拠もない。
自分の懐に入れてもばれやしないのに。
自分のものにするという発想自体ないらしい。
「ティレアさん、僭越ながら私がお手伝いしましょうか?」
「えっ!? いいの! でも、学園の勉強もあるのに、悪いよ。それに犯罪の片棒を担ぐ事になっちゃう」
「そんなの気にしないで下さい。悪いようには絶対にしません」
「そっか、そうだよね。ミレスちゃんは、事情を知っているのに今更だよね。じゃあ、お願いしちゃおうかな」
「はい」
「これで安心だね。あいつらさ、一言目には『ティレア様の御為に』しか考えないから、困ってたのよ」
「私もそうですよ。ティレアさんのために使います」
「えっ!? いや、それは――」
「王都市民が笑顔になるような施政をする。それがティレアさんのためになる使い方だと思います。違いますか?」
「ミレースちゃ――ん!! あなた最高よ!」
ティレアさんが抱きついてきた。
はは、熱烈な抱擁だ。
前の騒ぎがやっと治まったのに……嬉しいけどね。
「テ、ティレアさん、わかりました。わかりましたから」
ティレアさんからの抱擁を逃れ、距離を取る。
「ミレスちゃん、本当にありがとう。これで揺れる王都政は解決ね。ミレス劇場、期待しているから」
別に揺れているわけじゃないと思うけど。
それにミレス劇場って……そんな辣腕を振るって大丈夫かな?
そうだ。よく考えたら私がアドバイスしても皆さん、きちんと私の言う事を聞いてくれないかも。
今の私って邪神軍の人達に嫉妬されている。
特に、オルティッシオさんとかエディムとかオルティッシオさんとか。
「あの、一つ気になることが」
「何? なんでも言って?」
「私が口出ししても大丈夫ですか? 恐らく皆さんから不平が出ますよ」
「大丈夫、大丈夫。確かにオルとかブータレる可能性はあるけど、私が【勅】を出せば無問題よ」
勅!?
王族の特権を、そんな簡単に発動してもいいの?
「いいんですか?」
「いいの、いいの。便利な言葉はこういう時に使うのよ。今日からミレスちゃんは邪神軍の財務大臣だから」
財務大臣!
ちょっとしたアドバイザーぐらいのつもりだったのに。
ドリュアスさん達が暴走しないように、それとなく注意をする。
そんな感じのポジションを想像していた。
さすがはティレアさん、斜め上の行動だ。
……いいのかな?
財務を取り扱うって、国家の機密情報をばんばん見れちゃうよ。
東方王国から落ち延びてきたとはいえ、その資金力、豊富な人材。
邪神軍って、相当力のある組織だ。
戦力だけでいえば、大国にも引けを取らない、いや、軽く凌駕している。
領土がないだけで、もはや国と言ってもよい。そんな邪神軍の上位ポストに部外者の私を抜擢して、不満が出ないはずがない。
だいたい私って、ティムちゃんの人形ってポジションだし。
「ティレアさん、それってかなり上のポストですよ。私みたいな部外者を話し合いもせずに決めてもいいんですか?」
「何言っているの! ミレスちゃんは部外者じゃない。信頼できる人よ」
「そう言っていただけるのは嬉しいです。でも、絶対に一悶着ありますって」
「大丈夫、大丈夫。大体、【勅】って言っておけば、あいつら大人しいものよ。それでもなんか文句言ってくる奴がいたら、私に言って。ゲンコツ食らわしてやるんだから」
拳骨を作ってはぁはぁと息をかけるティレアさん。
そんな子供のイタズラレベルの話みたいに。
ティレアさんが、邪神軍のトップなのは知っている。
そんなティレアさんのお墨付きがあれば大丈夫とは思う。
う~ん、一応ティムちゃんの支持も得ておこうかな?
実質、邪神軍を統括しているのはティムちゃんだ。ティムちゃんの支持も得れば、確実にプロジェクトを遂行できると思う。
ぐふっ、嫌だなぁ。
あまりティムちゃんに借りを作りたくない。
またあの地獄のような実験に付き合わされそうだ。




