第六十一話 「ミレスと高位人間(後編)」
地下の闘技場に着いてから……。
オルティッシオさんがおもむろにシャドーを始めた。
ウォーミングアップのようだ。
エディムも然り。
準備運動は大切だからね。
うん、それはいいよ。
ただね……。
かれこれもう一時間は経とうとしている。
シャドーだけではない。
腕立て、腹筋等の筋トレもこなして、パンプアップにも余念がない。
オルティッシオさんの全身から湯気が出ている。
何が軽く手合わせだよ。
完全にローからトップにギアを上げている。
どれだけ入念に身体を温めているの？
「あの、もう一時間経つんですが……」
「ん？ だからどうした？」
オルティッシオさんはそれがどうしたといわんばかりの態度だ。
「さすがに待ち飽きたといいますか、私も暇じゃないんです」
「せっかちな奴だな。待てといったら待て」
「そうよ。準備があるの。あんたは大人しく座ってなさい」
これだよ。
勝手に誘っておいて、この態度だからね。
しかも、私が身体を少し伸ばして屈伸運動をするだけで文句を言ってくる。
ただただ座っていろと。
本当は、二人の意向なんて無視して帰ってもいいんだけど……。
二人とも額に汗をかき、必死で身体を動かしている。
このまま帰るのは酷かな？
こんなに頑張る二人が可哀想だ。
好きなようにやらせてあげよう。
体操座りをして、二人のウォーミングアップを見学する。
せっかくの機会だ。
二人の練習から改善点を見つけてあげよう。
まず、オルティッシオさんだ。
彼はシャドーを続けながら、時折、食事を補給している。
食事の内容は、特大タッパに山盛りに入っている【おじや】だ。
部下のギルさんがおさんどさんよろしく、どんどんそれを運びこんでいる。
オルティッシオさんは、それを手づかみで豪快に食べているのだ。
さらに飲み物は【こ～ら】である。
炭酸を抜いているようだ。
喉が渇いているのか、ごくごく飲んでいる。
少し食べ過ぎ飲み過ぎな気もしないでもない。
まぁ、オルティッシオさんの運動量が半端ではないからつりあいは取れている。
【おじや】に【こ～ら】どれもエネルギー効率が極めて高い。
添え物の梅干しをすっぱそうに食べているのは意味不明だが、エネルギー補給としてはうってつけである。
また、シャドーはどうかというと。
シャドーとは、仮想の敵を想定しパンチを打つことだ。これはパンチに限らず、キック等のあらゆる攻撃手段も含む。
仮想の敵、ここでは私なのだろう。
私の攻撃を想像し、それを避けながらパンチやキックを繰り出している。
なかなかに筋がよい。
八十五点だ。
まず、パンチに腰が入っている。
あれを受けられる者はそうそういない。普通の強者が、あれをガードしてもガードごと崩されて終わるだろう。
防御もよい。
絶えず左拳を顎の横につけガードし、機を見てジャブも打っている。
急所の顎を防御しつつ、攻撃にも転じる。
まさに攻防一体のスタイルだ。
ただ欲を言えば、攻撃の際、腕を伸ばしきる寸前に拳をもう少し内側へ回転させたらベストかな。
威力も増すし、無駄な動きも減る。
他にも細々とした点で指摘はあるけど、それを言ったらきりがない。
大筋では、オルティッシオさんの武闘スタイルは完成している。
後は切磋琢磨、地道にトレーニングしていけば高みに登れるだろう。
本当に東方王国って優秀な武人を揃えているね。
次に、エディムだが……。
シャドーもそこそこに切り上げ、魔力を練り魔弾の練習をしている。
これも仮想の敵は私なのだろう。
私の魔法弾の攻撃を想像し、それを避けながら魔弾を発射していた。
これは全然だめ。
三十五点だ。
技術不足。何より気合が空回りしている。
私への憎しみが強いのか、入れ込みすぎって奴だ。
攻撃予測もイマイチなら、魔力の流動もお粗末である。
これではせっかく身体を暖めても、逆に動きが鈍くなっちゃうよ。
エディムはトレーニング方法から要検討だね。
アドバイスするにしても、指摘が多すぎる。
とりあえず有望株のオルティッシオさんが先だ。
「オルティッシオさん、拳を打つ時、わずかに肩が開いてます。腕を伸ばしきる寸前に拳をもう少し内側へ回転させてみてください」
見ていて気づいた点を意見してみた。
すると、オルティッシオさんは動きを止め、急に声をかけた私にキョトンとした顔を見せる。
「この女狐は状況を理解しているのか？ これから殺されるというのに、暢気にアドバイスしてきおったぞ」
「オルティッシオ様、だめですよ。私達はあくまで手合わせ、試合をするだけなんですから」
「おぉ、そうだった。これはただの手合わせだったな。ただな～この手のやつは、不幸な事故がつきものだ」
「えぇ、試合に不幸な事故はつきものです」
オルティッシオさんとエディムがニヤリと笑みを浮かべてこちらを見ている。
はい、わかりましたよ。
あくまで試合なら襲ってはいない。
その内容がどうであれですね。
疑問には思っていた。
ティレアさんと誓詞を交わしたのに、どんな言い訳をしてくるのか？
これは、ティレアさんとの約束を反故にしたわけではないのかな？
う～ん、微妙な気がする。
「少し詭弁に思えます」
「ふん、何が詭弁だ。いいか！ これから貴様を殺――事故らせてやるからな」
オルティッシオさんが吠える。
エディムも腕を組み、うんうんと頷いている。
それって【殺す】を【事故す】に変えているだけだよね。
「まぁ、いいです。本当は誓詞に違反してますけど、ティレアさんには内緒にしてあげますよ」
「貴様ぁああ！ ティレア『さん』だと！ たかが人形の分際で、ティレア様をそのように馴れ馴れしく……ゆ、許せぬ！」
オルティッシオさんが激高して詰め寄ってきた。
しまった。
いつもは注意していたのに……。
オルティッシオさんって天然すぎて毒気を抜かれちゃう。
つい気が緩んじゃうんだよ。
今の私の発言は、東方王国のお姫様、王族のティレアさんに対し無礼千万だったと思う。
いくら私が貴族の出でも許されない。
そもそも東方王国での私の身分は、人形だもんね。
でも、友達付き合いするのが、ティレアさんの希望なのだ。
私は大事な親友の意志を尊重したい。
今まで波風を立てたくなかった。だから、家臣達がいる前では控えていた。
これはいい機会かな？
ここでティレアさんの本心を伝えるのもありかと思う。
「オルティッシオさん、聞いてください。これは不敬でも無礼を働いているわけでもありません。ティレアさん自身がフレンドリーに接することを望んでいるんです。私はティレアさんの意志を尊重しているにすぎないんですよ」
「くっ。確かにティレア様なら仰りそうだ。だが、家臣なら弁えるのが当然だろうが！ 貴様、ティレア様の温情につけこむ気か！」
……やはりこうなっちゃうか。
王族と臣下、その壁を取り壊すのは並大抵ではない。
国家建設数百年の重みがあるからね。
ここはあせらず、じっくりと。
皆の意識改革をしていこう。
「すみません。確かにオルティッシオさんの言うとおりでした。軽率でした」
「当然だ！ 本来なら即刻打ち首だぞ。ティレア様のご意志に免じて即殺すのは勘弁してやる。まぁ、事故しはするがな」
だから殺しと事故しを一緒にしてますよね？
オルティッシオさんは天然というか……少しティレアさんに似ているかも。
「ったく、女狐な上に不忠者とは……ますます事故す必要がでてきたな」
「まったくですよ。オルティッシオ様、歴史が証明しています。君主の寵愛をかさに権力を握る者は、即座に排除しないと国がつぶれてしまいます」
「なるほど。奸婦ここに極まれりという奴だな」
本当に無茶苦茶言ってくれる。
「……もうそれでいいですよ。で、ウォーミングアップは終わりですか？ 私の見たところオルティッシオさんはクールダウンに入られたほうがいいです。エディムは、即やめて。これ以上は、効率が悪すぎて見てられない」
「エディムよ。こやつはさっきからなんなのだ？ ちょくちょく小賢しいことを言ってくる。我らを見下しておるのか？」
「まったくですよ。ちょっとばかり強くなって調子に乗ってるんです。自分ができる女とアピールしているんですよ」
「なるほどな。意識高いけーって奴だな」
「え、えぇ、そうです。オルティッシオ様は本当にティレア様のお話をよく覚えてますね」
「当然だ。ティレア様のお言葉だぞ。一言一句、脳に刻んでおるわ！」
そうなんだ。
一言一句……頭を使うのは苦手そうなのに。
オルティッシオさんって本当にティレアさんが大好きなんですね。
それからエディムがオルティッシオさんのテンションに若干ひきつつも、二人の罵詈は止まらない。
「それで、他にも奸婦の悪行は色々ありそうだな」
「はい。ミレスは、昔からそうでした。学園にいた時も……」
そろそろ、エディムには切れてもいい頃だと思う。
「あの、いい加減にしないと帰りますよ。それと、二人にこれだけは言っておきます。この手合わせで最期にしてくださいね。これ以上、つきまとってきたらティレア様に言いつけます。なんならカミーラ様にもです」
「「なっ!?」」
二人が驚きの表情を見せる。
ティレアさんは優しいけど……ティムちゃんはね。
高位人間になった今でも怖い。
効果は覿面だった。
二人はガクガクと震え始めた。
「ミ、ミレス、やっていいことと悪いことがあるでしょ！」
エディムが焦って抗議してくる。
いや、あなたがそれを言う？
今まで私にやってきたことは？
「お、恐るべし奸婦だな。仕える君主すら恫喝の道具にするか！」
オルティッシオさんが私を見て「恐ろしい。恐ろしい」と繰り返す。
いやいや、昼夜構わず七度も襲ってきたあなたがそれを言う？
どっちが恐ろしい性格してるのやら。
色々文句を言う二人。
だが、結局二人は折れた。
ティムちゃんの名前を出した効果は絶大だね。
もう二度とすとーかー行為はしないだろう。
二人はこの手合わせが襲撃する最期の機会とわかり、決死の覚悟で挑んでくるはずだ。
そして……。
手合わせが始まった。
オルティッシオさん、エディムと対峙する。
「さぁ、いつでもいいぞ。かかってこい」
オルティッシオさんが右手を上に上げ、左手を下にした。
いわゆる竜虎の構えだ。
かかってこいって……。
私は、準備運動すらさせてもらえなかったのに。
何か他に言う事はないのかな？
まぁ、いいか。
「いえいえ、先手は譲りますよ。いつでもかかってきてください」
四本指をくいくいと曲げて二人を挑発した。
二人は、それを見てピクピクと青筋を立てる。
「「余裕こいてんじゃねぇええよ！」」
怒声とともにオルティッシオさんがつっこんできた。
遅れて、エディムも突進してくる。
オルティッシオさんは、戦闘のセンスがある。
なんだかんだで私の助言を聞き入れて、洗練された攻撃を繰り出してきたのだ。
天性なのかな？
無意識に私のアドバイスを理解して、それを自然に組み込んでいるみたいだ。
一方、エディムは……。
だめだめ。
身体の動きに無駄が多すぎだ。
吸血鬼のパワーを持て余している。
「エディム、もう少し次に繋げるのを意識して攻撃してみて」
「はっ！ アドバイスとは余裕だな！」
うん、悪いけど、余裕だ。
この二人、いや、仮に今、取り囲んでいるギャラリーが全員参戦してきても対処できる。
彼らも一流の武人だ。
一人一人が一国の大将軍に匹敵するだろう。
それでも、今の私の敵ではない。
私の身体能力は尋常ではないからだ。
彼らをまとめて一蹴できる。
「ん!?」
気配を感じ、左に避けた。
その横を魔弾が通過する。
壁に激突し、もうもうと煙が噴きあがった。
戦闘の途中で後ろから魔弾が放たれたのだ。
振り返ると、オルティッシオさんの部下の一人と目があった。
彼の仕業だとわかる。
彼は、私の視線を受けても知らぬ存ぜぬの顔をしていた。
「あの……」
「なんだ？」
「いえ、別に」
そういうことですか。
オルティッシオさんとエディムがニヤニヤと笑みを浮かべていた。
二人が妙に自信があった理由はこれね。
数で囲んで倒そうって腹だ。
はぁ～ごめんね。
二人をあしらった時、実力を隠していた。
だから見誤ったのだと思う。
全員でかかれば倒せるってね。
周囲を改めてみる。
闘技場にいるのはオルティッシオさんの部下達だけだ。彼らはじっとこちらを見て機を窺っている。
別にこそこそしなくても、堂々と全員でかかってきていいよ。
もうばれているんだから。
そして……。
しばらく静観を決め込んでいたギャラリーに焦りが見え始めた。
私が平然としているのに対し、オルティッシオさん、エディムは青色吐息だ。
肩でぜぇぜぇと息を切らし始めたからである。
このままでは危険と判断したのだろう。
副長のギルさんが指揮を執って、全員で襲い掛かってきた。
なりふり構っていられなくなったみたい。
もう殺気も隠そうとせず、魔弾や闘気が飛び交っていく。
まるで戦場だ。
「……これが軽い手合わせですか」
「はぁ、はぁ、じ、実戦では数で囲まれることもあろう？」
「そ、そうよ。はぁ、はぁ、実戦形式の手合わせってところね。何か文句ある？」
エディムとオルティッシオさんがふてぶてしくそう言い放ってきた。
「まぁ、それもそうですね」
何度も言うが、彼ら全員を相手しても問題ないのだ。
ティムちゃんとの実験のほうが恐ろしい。
何度命の危機に直面したことか。
いいでしょう。
あなた達は全力で殺しにかかってくればいい。
あくまで私は手合せだ。
優しく、丁寧に落としてあげよう。
トントンと軽くステップを踏む。
ボクサースタイルで一人一人、顎に拳を打ち込み、昏倒させていく。
そして、一分も経たないうちにエディムとオルティッシオさん以外を闘技場の地面に沈めた。
その光景に唖然とする二人。
そして、オルティッシオさんがいち早く復帰し、わなわなと肩を震わせた。
「ええい、こうなれば！ 私が女狐を止める。エディム、貴様は私もろともでかまわん。一発でかいのをくらわしてやれ！」
オルティッシオさんが吠える。
決死の覚悟で接近戦を挑むようだ。
エディムは後方に下がり、魔力を練っている。
最後に一発逆転を狙っているみたいだね。
近接戦闘が得意なオルティッシオさんが本気の本気で猛進してきたのだ。
さらに私がアドバイスして、ずいぶん技が練れてきた。
上手くなったね。
これは片手間では怪我をするかもしれない。
少しだけ本気を出そう。
スピードとパワーを割増し、オルティッシオさんの攻撃をあしらっていく。
「くっ、こ、この！」
オルティッシオさんが悔しそうに歯噛みをしていた。
事、戦闘において、私はオルティッシオさんよりかなり先を進んでいる。
そう、悔しがらないでください。
「最初よりずいぶんよくなりましたよ」
「お、おのれぇえ！ 減らず口を叩きおって！」
オルティッシオさんはさらにラッシュをかけてきた。
流れるような連続攻撃だ。
当初より無駄な動きが減っているので、一流のダンスを見ているようで心地よい。
いい、いいよ。
採点八十八点に変更しよう。
オルティッシオさん、センスがあるから鍛えがいがある。
うん、これなら一段階レベルを上げてもいいかな。
じょじょにスピードを上げていく。
「お、おい、エディムまだか！ 早くしろ！ も、もたんぞ」
いや、持ちますよ。
稽古なので、ギリギリの線で攻撃してます。
ご安心ください。
「おい、のろま！ は、早くしろ！ こ、殺される」
だから殺しませんって！
まぁ、それに近いぐらいの攻撃はしてますけど……。
実践形式のほうが上達するので、そこはごめんなさい。
「は、早く。も、もう意識が……」
大丈夫です。
気つけの一発を食らわせますから。
「えい！」
「ほぎゃあ！」
オルティッシオさんの顔面に、そこそこの威力のパンチを食らわした。
「はぁ、はぁ、はぁ。エ、エディム、貴様は何をトロトロしとるんだぁああ！ だから貴様はダメなんだ。半魔族が！ 使えぬにもほどがあるわ！ まったくどれだけ私の足を引っ張れば気が済む。さっさとしろ。私が目をかけた恩をいつもいつも仇で返しおって。道端に捨ててある鼻紙のほうがまだ役に立つぞ。このノロマ、亀、愚図、半チク！」
すごい罵声だ。
私への悪口もまだまだ序の口だったようだ。
それからオルティッシオさんはありとあらゆる罵詈雑言を、今度はエディムにぶつけていく。
エディムはというと、なかなかの魔力を練り上げていた。
そうだよね。
私の実力を把握したのなら、生半可な魔弾では役に立たない。
時間がかかるのも当然だ。
エディム、頑張ったよ。
自身が持つ最高の魔弾を作り上げたと思う。
うん、努力賞。
ここまで頑張ったんだから、私が褒めてあげる。
少しやられた振りをしてもいいかも。
そんな思いに浸っていると、
エディムは練り上げた魔弾を空中に停止させ、そのまま勢いよく放った。
飛来した魔弾は大きく収束し、
「ぐぎゃあああ！！」
オルティッシオさんの背中に激突したのだ。
あれは痛いぞ。
「お、お、お前……」
オルティッシオさん、息が苦しそうだ。
もろ背中だからね。
「失礼。衝突ました」
エディムはしれっとした態度で言い訳する。
それから二人は、私そっちのけでバトルを始めた。
本来であれば、二人の戦力差から言ってオルティッシオさんの圧勝なのだろうが……。
エディムが練り上げた特大魔弾をくらったダメージ、そして、私との近接戦闘の疲れが響いたようだ。
いい感じに互角の戦いを繰り返している。
……平常通りなのかな？
そのまま二人は仲良く喧嘩をしている。
ティレアさんの言うとおりだ。
本当に似た者同士だよ。
さぁ、もういいよね。帰ろう。
パンパンと制服についた汚れを払い、そのまま闘技場を後にした。
明日はティムちゃんとの地獄の鬼ごっこが始まる。
私にとって、これからが本番なのだ。
