第五十三話 「エディムと一騎討ち(後編)」★
エディムは思う。
私が戻ってきたことに、ティレア様が目を見開いて驚かれておられる。
確かに食料調達をして戻ってきたにしては、早い時間帯だ。
それを驚かれておられるのか?
早く戻ってきた理由……。
ティレア様のご命令を無視した眷族達の手伝いがあったから。
い、言えるわけがない。
カミーラ様の御前でそのような不敬な報告をしたなら、即、処刑されるだろう。
「あ、あの、早く戻ってこられたのは……な、なんと言いますか。手際よく食材を調達できたといいますか……」
「いや、そんなことどーでもいいから」
しどろもどろに言い訳をしていると、ティレア様はさもどうでもよさそうにご返答された。
どうやら食料調達が早かった件で驚かれたわけではなさそうだ。
う~ん、ならばなぜ?
相変わらずティレア様のお考えはよくわからない。
やめよう。
ティレア様のお言葉の意味を考え出したら、思考の袋小路に陥る。
私の悩みをよそに、ティレア様は黒兎馬から下馬された。
そして、ツカツカと私の傍まで歩み寄ってくる。
「エディム!」
「は、はい」
「体調はいいかな? 熱はない? 吐き気や気分が悪いとかないよね?」
ティレア様は、なぜか私の体調についてご質問をしてきた。
バカティッシオのせいで日増しにストレスは溜まっている。
だが、これといって体調が崩れているわけではない。仮に体調を崩していても、本当のことを言えるわけがない。
そんな弱音を吐いたとたんに、カミーラ様に戦力外通告されるだろう。
私は、ティレア様の問いにイエスで答えた。
「じゃあ、夜は眠れてる? 寝不足ってことないよね?」
ティレア様の続けざまのご質問……。
吸血鬼に睡眠は不要である。「眠ってない」が正解だ。
でも、ティレア様の問いに、その答えは不十分であろう。
なんとなくわかってきた。
「ティレア様。私は寝不足ではございません。気力、体力ともに充実しております」
「そう。じゃあこれが……吸血魔法少女アルハス・エディム、ベストコンデションの姿なんだね?」
「御意」
バカティッシオの使いパシリで多少、魔力を消費しているが、任務に支障が出るほどではない。
今の状態でも十分にフルパワーを出せる。
ティレア様は私の回答にふむふむと頷くと、私の肩にポンと手を置いた。
そして、
「出陣よ」
そう下知をされたのだ。
「え、えっと私が?」
「そうよ。あなたの出番よ、エディム」
ティレア様から突然のご指名だ。
まさか並み居る幹部の方々を差し置いて、私が一騎討ちの栄誉を拝命する!?
「はい、エディム」
方天画戟と黒兎馬の手綱を手渡された。
「あの、本当に私でよろしいのですか?」
「そうよ。あなたしかいないんだって。それとも、バッチョに勝てそうにない?」
「いえ、そんなことはございません。勝てます。バッチョなど所詮は人間、私の敵ではありません!」
少し、強気に答えた。
ただでさえ、悪鬼討伐で人間如きに不覚を取った汚点がある。
これ以上、人間相手に負ける雑魚だとレッテルを貼られたくない。
バッチョ程度、軽く倒せるとティレア様に豪語した。
実際は、冷静に評価すれば六~七割くらいの勝率と思う。
バッチョは、あれで霊長類最強の女だ。あの悪鬼と互角以上の戦力を有している。最強の吸血種といえど、油断したら負ける可能性も十分にあるだろう。
私の返答にご満足されたティレア様は、一騎討ちを完全に託すと宣言した。
反対しかけてた軍団員達もティレア様の強気な態度に頷くしかない。
う~ん、本当に受けていいのかな?
一騎討ちは、武門の誉れだ。敵が脆弱なボウフラとはいえ、勝てば栄誉なことには代わりがない。
何より自分の強さをティレア様、カミーラ様の御前でアピールするチャンスである。
敵が雑魚でも、それならそれで瞬殺すればいい話だ。どれだけ魅せる勝ち方をするか考えればよい。
こんな絶好の機会を軍団員達が、見逃すはずがない。
周囲を見渡す。
うっ、やはり幹部の方々の嫉妬の視線が辛い。
やりにくいなぁ。
確かバカティッシオの話では……ティレア様が一騎討ちをされると宣言する前、皆が一斉に一騎討ちに名乗りを挙げたのだったな。
邪神軍の軍団員は、全員が強者だ。我こそはとご志願された猛者達が沢山いただろう。
嫉妬、嫉妬の視線だ。
なぜお前がという顔をして、ぎりりと歯噛みをする者。
武名を上げる機会を失い気落ちする者。
あ、バカティッシオがハンカチを噛んで悔しがっている。
くっく、ざまぁっとからかいたいが……それは、他の方々への侮辱にも繋がる。
いや、ばれなければいいか。
こんな機会めったにない。日頃のストレスを解消してやる。他の軍団員達の死角から、ニヤリと笑みを浮かべてバカティッシオに見せつけてやった。
バカティッシオは、拳をプルプル震わせて怒りを抑えているようだ。
すばらしく気持ちいい。もっとやってやる。
さらに舌を出しながら、パントマイムも活用する。徹底的にバカティッシオを煽った。精神的にいたぶってやったぞ。
「ティレア様!」
いけない。やり過ぎたか?
バカティッシオが、猛烈な勢いでティレア様の眼前に迫ってきた。
「オル、どうしたの?」
「はっ。恐れながらエディムでは一騎討ちをするには役不足かと。ぜひ私めを」
役不足の本来の意味もわからないバカが直訴しやがった。
これだからバカは始末が悪い。
ティレア様があれほど有無を言わさずご命令されたのだぞ。
煽った私もあれだが、バカティッシオめ、まだ反対するか!
若輩の私が選ばれて、だれもが不満に思っている。
でも、だれも反対しなかったろ!
ティレア様のご命令は、勅の発令に近かった。
これはもう決定なのだ。気づけ!
「オル、異論は許さない。いくら言おうとだめなものはだめ」
「し、しかし……あ、そういえばエディムは謀反の気配がします。そんな奴が一騎討ちを務めては邪神軍の沽券にかかわります」
て、てめぇ! また讒言する気か!
許せん。どうしてくれようか?
その間にもオルティッシオの口八丁、嘘八百は続く。
「――で、あるからしてエディムは大罪人です。一騎討ちにふさわしくありません。ここは私にお任せください。オルティッシオ、推して参る!」
あ、とうとう実力行使に出た。
バカティッシオはティレア様の許可を待たずに飛び出す。
功を持って、抜け駆けの罪を帳消しにする気だ。
まずい。私の手柄を横取りされる。
「ま、待て――」
「だから推してまいるんじゃねぇえ!」
「ぐはべぇえ!」
ティレア様の強烈な回し蹴りがバカティッシオを襲った。
バカティッシオは泡を吹いて地べたに倒れる。
よく泡を吹く奴だ。
よ、よかった。
バカティッシオを止めたということは、やはりティレア様は抜け駆けを禁止されておられる。
バカティッシオめ、反省しろ!
そして、このまま軍規違反で処刑されるがよい。
バカティッシオの暴走が止まりほっとしていると、
「エディム」
「は、はい」
突然、カミーラ様からお声をかけられた。
「何を呆けておる?」
「えっ!?」
カミーラ様は眉間に皺を寄せて、不機嫌そうだ。
「勿体無くもお姉様からのご指名だ。とくとやれ!」
「は、はっ!」
そうだった。バカティッシオに振り回されている暇はない。
もう失態を演じるわけにはいかないのだ。
ここで華々しくバッチョを倒し、ティレア様、カミーラ様に勝利を捧げるのだ。
早速、渡された手綱を引き寄せ、騎乗しようと黒兎馬に近づく。
うっ、な、なんて威圧……。
間近で見ると、黒兎馬の禍々しいオーラーが際立つ。
くっ、気押されるな。
私だって、カミーラ様の直属眷属だ。
たかが馬のくせに、舐めるんじゃない!
気合を入れて鐙に足を引っ掛けようとするが……。
黒兎馬は荒ぶる魔闘気を周囲に解き放ち、ヒヒンと牽制した。
この肌に刺すような魔闘気を前に全身の筋肉が強張る。
の、乗れない。
そうだよ。たかがではない。
こいつは、天下の名馬だ。何より魔法の大天才、カミーラ様が魔改造した馬なのだ。そんじょそこらの馬であるはずがなかろう。
ど、どうしよう?
近づけない。乗れない。
仮に騎乗できたとして……これ、騎乗したとたんに振り落とされる気がする。
確信を持って言えるよ。
黒兎馬の騎乗に躊躇していると、ティレア様が「意外と大人しいから大丈夫、大丈夫」と仰って私の背中を押してくださる。
そんなぐいぐい押されて仰られても……。
黒兎馬が大人しかったのは、ティレア様だからです。
私のカンでは、警報が鳴りっぱなしだ。
このままだと落馬の危機である。
なにか、なにか作戦を立てないと……。
はっ!?
ふと強烈な悪寒を感じた。
いけない。
カミーラ様の視線がどんどん険しく、ご機嫌が急降下されているよ!
私がもたもたしているからだ。
やるしかない。
鐙に足をかけ、一気に騎乗する。
瞬間――黒兎馬が大いに揺れた。
うわっ!? お、落ちる!?
予想どおり。
暴れる暴れる。
吸血鬼の豪力をもってしても振り落とされそうだ。
こ、この!
必死に手綱を引っ張るが、言う事を聞いてくれない。
あぁ、この感じ思い出す。
五歳の頃、初めて乗馬した。
あの時は、調子に乗って気性の荒い馬に乗って落馬したのである。乗っているというより、乗らされる感覚で、まるでコントロールできなかった。
結局、振り落とされて骨折した痛い思い出だ。
さすがにこの状況で落馬したくはない。
ティレア様から名指しで一騎討ちにご指名されたのだ。とても名誉な事である。そんな名誉を受けた者が敵と一合もせず、いきなり落馬したら目も当てられない。
ご指名したティレア様のお顔を潰すことに繋がる。
死んでも手綱を放せない!
爪がくい込み血が滲むのも覚悟の上、手綱をぎりぎりと握り締める。
それでも黒兎馬は暴れるのをやめない。
右に左に首を振ったり、上下に身体を揺らしたりする。
ま、まずい。手がしびれてきた。
手綱を握っている手の感覚がやばい。徐々に手綱がずり落ちていく。
あ、あぁ……も、もうだめ。
右手の感覚がなくなり、今にも手綱を手放そうとした瞬間。
「よもや落馬などするまいな?」
カミーラ様が、不愉快極まる顔でそうお声をかけてきた。
「カ、カミーラ様……」
「もったいなくもお姉様直々のご使命を受けて、そんな間抜けを演じてみろ。貴様は、切り刻んで馬のエサにしてやる」
「ひ、ひぃ!」
「ひぃではない。やれるな?」
「も、もちろんでございます。この駻馬を制してみせます!」
「御託はいい。やれ!」
「は、はい」
カミーラ様直々のお言葉だ。
もう落馬をするという選択肢はなくなった。この黒兎馬を刺し殺しても、御してみせる。
覚悟を決め、魔力を高める。
「うぁああ! いい加減にしやがれぇえ!」
思いっきり、黒兎馬の尻を叩く。
鞭代わりに、自分の手でやった。吸血種最強を自負する私の本気の力で叩いた、いや、殴った。
普通の馬なら、胴体ごと粉々に破壊されてもいいぐらいの威力だ。
いくら魔改造された黒兎馬といえども多少、ダメージを食らっただろう。
はぁ、はぁ、どうだ?
少しは私の力を思い知ったか?
黒兎馬を見る。
黒兎馬はニヤリと笑ったように見えた。そして、思い切り上体を浮かしてくる。
どうやら喧嘩は買ったということらしい。
上等!
とことん付き合ってやるよ。
私とお前、どちらが倒れるか――勝負!
「やめろ」
カミーラ様の静かな声が響いた。
やや低音な響きのせいで、ご機嫌がすこぶる悪いことがわかってしまう。
「あ、あのカミーラ様?」
「お前達、いつまでじゃれ合いを見せる気だ?」
「そ、それは……」
「もうよい」
カミーラ様はおもむろに黒兎馬に近づく。そして、黒兎馬の鬣を無造作に掴んだ。
「馬、わかるな。貴様には我が力とある程度の知能も与えてやった。お姉様のご希望は何だ?」
「ヒ、ヒヒン?」
黒兎馬が怯えていた。
あれほど禍々しいオーラを放っていたはずなのに、今は小兎のように弱々しい。
カミーラ様の問いに、ヒヒンと蚊の泣くような声で嘶いている。
「わかったなら、さっさとそこの吸血鬼を乗せて行け! それができないなら、この場で馬刺しにしてやるぞ!」
黒兎馬は、ぶんぶん首を縦にうなずいている。
よほどカミーラ様の恐ろしさが染み付いているに違いない。
よし、今の黒兎馬なら御せるはずだ。
私達は一蓮托生だぞ。失態はできないのだからな。
再び手綱を引っ張る。
今度は借りてきた猫のようにおとなしくなった。
これならいける!
馬への騎乗が完了すると、ティレア様が方天画戟をお渡しになった。
それを恭しく受け取る。
お、おぉおぉおぉ!!
な、なんという武器なの!
離れていても凄い武器だとは理解していた。だが、それはほんの一部だけだったらしい。
触ってみてわかるものがある。
これは別格だ。
あぁ、この感じ思い出す。
六歳の頃、初めて真剣を扱った。調子に乗ってぶんぶん振り回し、誤って自分の指を切ってしまったのだ。
あの時は、痛みと恐怖で泣いたっけ?
子供用だったけど、切れ味は十分。武器の怖さを知った初めての経験であった。
その時と同じだよ。
怖い。この武器怖すぎる!
触れる者全て切り裂く感じだ。できるだけこの武器を身体から遠くに離しておきたい。近づけた箇所が、バラバラに切り裂かれるようだ。
背中から冷や汗が流れる。
大量だ。
べったりと背中に張り付いたシャツが濡れているのがわかる。
まるで初めて真剣を装備した少年兵のよう。
落ち着け。
大丈夫だ。
まだミュッヘン様が装備している邪神剣ほどではない。一度、抜き身のところを見せてもらったことがある。
対峙しただけで失神してしまいそうだった。
武器の【原典】とも呼ぶべき、あの魔剣と比べたらね。
う、うん、あれほどじゃない、ない。
どうにか自分を言い聞かせて、落ち着かせるのだ。
すぅ~はぁ~深呼吸を何度もしていると、
「エディム、じゃあ頼んだよ」
ティレア様からお言葉を賜った。
「は、はい。ぜ、絶対に、バ、バ、バッチョを……」
まずい。テンパリ過ぎて言葉にならない。
身の丈にあっていない馬と武器のせいで、平静が保てない。
呼吸が辛い。
心臓がバクバクする。
「はぁ~ほれ、情けない奴め!」
「あ!」
カミーラ様から魔法をかけられた。
カミーラ様の手に光の粒子が集まり、私に振り注ぐ。
見る見る精神が落ち着くのがわかる。
あぁ、すごい。なんてすごいんだ!
明鏡止水の極意だ。
さざ波一つない平穏な心。それでいて、これ以上はないと言うぐらい高い集中力を保っている。
あぁ、ティレア様、これが最高にハイって奴なんですね?
「未熟な貴様に、補助魔法をかけた。これ以上手間をかけさせるのなら、わかっておるな? 貴様は、馬刺しの添え物だぞ」
カミーラ様の最終通告だ。
大丈夫。もう無様な真似はしない。
究極の馬と武器、最高の精神状態。
これで負けるはずがない。
鐙にかけた足をトントンと黒兎馬に当てた。
黒兎馬が振り返る。
「黒兎馬、絶影。行くよ!」
「ヒヒィィィンン!」
黒兎馬は大きく嘶くと、影を留めないほどの速さで櫓を飛び出した。
まさに稲妻の如き速さだ。
あっという間にバッチョ特戦隊が陣取る場所へ移動する。
眼前には、バッチョが馬上で腕を組んで待ち構えていた。
「やっときたか。最初は小娘か――ってなんだ? そりゃぁああ!!」
バッチョが絶叫している。
当然だ。
この黒兎馬、尋常じゃない速さだ。馬の常識を覆している。普通の名馬三倍以上の早さだ。これでは、たとえどんな駿馬を用意しようと無駄である。
案の定、バッチョの馬は反応できていない。
それでもさすが霊長類最強は伊達ではなかった。常識外の馬の出現に戸惑いながらも、バッチョはすぐさま臨戦態勢を取っている。
まぁ、遅いんだがな。
すぐさま方天画戟を振るう。
「お、おい、待て。待てって! あ、ありえんだろ――」
方天画戟が狼狽えるバッチョの首を切り落とした。
改めてバッチョが、人類最強だと実感する。
あの混乱の中、しっかり首を防御していたのだ。闘気を首に集中させて、しかも方天画戟の軌道を予測し、当たる部位に集中して闘気を注ぎ込んでいた。
普通の業物ならこれで刃が折れる。
国宝と呼ばれる名品でも刃が欠けるだろう。仮にその闘気を超えた一撃を加えたとしても、バッチョの規格外の筋肉で止まる。
くっく、普通の名品だったらな。
方天画戟は、天下の名戟である。それをカミーラ様御自ら、硬化魔法で魔改造されたのだ。この武器を前にして、どんな防御も不可能だ。
当てさせてはだめなのだ。
バッチョ、避けるべきだったな。
まぁ、それも私がさせなかったが……。
バッチョの首が地面に転がり、躯は地面に崩れ落ちた。
人類史上、最強と言われた女のあっけない幕切れである。
今回、挿絵第十四弾を入れてみました。イメージどおりで素晴らしかったです。イラストレーターの山田様に感謝です。




