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第二十話 「ミレスとティレアの会合(後編)」

 宴が始まった。


 緊張を持続させたまま、テーブルに座る。


 しばらくすると、ティムちゃんが近づいてきた。


「あ、カミーラ様!」


 声をかけると、ティムちゃんは軽くうなずく。


 そして、私の肩に手を置くと、


「お姉様、こやつがミレスです。我が最近見つけたおもちゃにございます。我の人形として、学園での退屈凌ぎになってますよ」


 そう紹介してきたのだ。


 あいかわらず辛らつだな。


 没落したとはいえ、私の家はれっきとした爵位持ちの貴族なのに。こんな扱いをされたのは、生まれて初めてだ。


 庶民出身のティムちゃんが王族のように振る舞い、貴族出身である私が平民のように振る舞っている。


 まぁ、いいんだけどね。それがティムちゃんらしい。ティムちゃんは、有無を言わさないカリスマを持っている。


 なんか受け入れてしまう。


「ティム、そんな言い方したらだめでしょ!」

「そうでした。我の人形でなくお姉様の人形でした」

「ティームゥ!」


 ティムちゃんの物言いにティレアさんが怒ったようだ。ティレアさんは、おもむろにティムちゃんのほっぺをぎゅうっとつねりだした。


 ティムちゃんの柔らかそうなほっぺが、びよーっと伸びている。


 もちもちしてて――私もやってみたい……じゃない!


 いくら身内のお姉さんでも、ティムちゃんにそんな真似をしたら厳しい制裁が待っているはず。


 なのに――


 ティムちゃんは受け入れている!?


 信じられない。


 どれほど巨大な相手だろうと、逆らう者には躊躇なく三倍返ししているティムちゃんが!

 冷酷極まりない鬼騎士よりも怖い手段で報復するあのティムちゃんが!


 ……ティレアさんのされるがままなのだ。


 目の前の光景に唖然としていると、


「ほら、ミレスちゃんに謝りなさい」

「み、ひぇす、すまにゃんだ」


 謝った!?

 傲岸不遜の塊であるティムちゃんが!?

 九分九厘、いや十割こちらに非がある時でも謝らなかったティムちゃんが!?


 さらに唖然とすることとなった。


 頬を引っ張られながらも不器用に謝るティムちゃん。その姿があまりにも可愛い。


 お姉さんに叱られる妹という光景。そこに溢れる姉妹愛に、自然と頬が緩んでしまう。


 滅多に見れない光景。来てよかった。


 それから色々と話を聞く。


 昨日もティムちゃんとティレアさんの間でひと悶着あったらしい。ティムちゃんが給仕をためらい、「給仕なる俗なことは奴隷の私にさせたい」と言ったのだという。


 いつものティムちゃんだ。その可能性は十分に考えていた。食事のご招待を受けた側としてありえない発言だが、ティムちゃんなら言う。


 私も給仕ぐらいするつもりでいた。


 それがティレアさんのお説教を受けて、前言を翻したらしい。


 今の現状――


 ティムちゃんが、私のためにナイフとフォークをテーブルに置いてくれる。


 学園でティムちゃんの取り巻きが必死にドアを開けても「遅い」と一蹴していたティムちゃんが――


 テーブルに置かれるナイフとフォークを見つめる。


 銀製の上質なカトラリー。輝きが美しい。


 ティムちゃん自ら、丁寧に正確な位置へ配置していく。


 ナイフは右側、刃は内側に。フォークは左側、歯を上に。高級レストランでも見られる完璧な配膳だ。


 誰に教わったのだろう。姉のティレアさんかな。


 次に、ティムちゃんが私のためにポットでお茶を注いでくれる。


 ティーポットを両手で支え、カップに静かに注ぐ。湯気が立ち上り、芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。注ぐ角度も完璧で、一滴もこぼれない。


 高位貴族であろうが「貴様ら下僕が我に給仕せよ」と豪語していたティムちゃんが――


 こんなに丁寧に、お茶を注いでくれている。


 カップがほぼ八分目まで満たされると、ティムちゃんはゆっくりとポットを立てる。最後の一滴もテーブルに落とさない見事な手際だ。


 そして、ティムちゃんが私のために料理を運んでくれる。厨房とテーブルを何度も往復するティムちゃん。メイド服の裾が揺れるたびに、小さな鈴のような音が聞こえる気がした。


 重そうな皿を両手で支え、慎重に運んでくる。姿勢はまっすぐでバランスを崩すことなく、優雅に歩を進める。


 料理を私の前に置く時も、音を立てないよう、そっとテーブルに下ろす。その所作は一流のメイドのそれだった。


 あのティムちゃんが。


 傲岸不遜でドアノブ一つ開けるのも自分で行わず、アナスィー先輩にさせていたティムちゃんが。


 王家、いや、誰であろうが、ティムちゃんに給仕をさせることなど夢のまた夢だったはず。


 それなのに今、ティムちゃんは不平一つ漏らさず甲斐甲斐しく働いている。


 時折、ティムちゃんが料理を運ぶ途中でティレアさんと目が合う。その度に、ティムちゃんの表情がほんの少しだけ和らぐ。まるで褒めてもらいたいと願う子供のように。


 そしてティレアさんは優しく微笑んで頷く。それだけで、ティムちゃんの背筋がピンと伸びる。


「ティム、お疲れ様。ちゃんとできているわよ」


 ティレアさんの一言に、ティムちゃんの表情がパッと明るくなった。


「はい、お姉様!」


 その返事には、学園では決して見せない純真な喜びが満ちていた。


 これを見たら、アナスィー先輩もクラスの皆も卒倒するかもしれない。


 「銀髪の悪魔」と恐れられているティムちゃんが、メイド服を着て、にこにこしながら給仕をして、お姉さんの言葉に素直に従っているのだ。


 ティムちゃん、本当にお姉さんに従順である。


 そんな甲斐甲斐しく働くティムちゃんの後ろ姿を、ティレアさんは慈愛に満ちた表情で見守っていた。


 その眼差しには、深い愛情と誇らしさ、そして少しだけ心配そうな色が混じっている。


 まるでようやく友達ができた我が子を見守る母親のような表情だった。


「ミレスちゃん、ティムがいつもお世話になってるね。ありがとう」

「そ、そんな私がカミーラ様にお世話になってます」

「ぐふっ、カミーラ様かぁ……」


 ティレアさんが変な顔をしている。


 ティレアさんは気のいいお姉さんに見えるし、普通にティムちゃんって呼んだ方が喜ぶのかな?


「あ、あのティム――ひっ!?」


 ティムちゃんにすごい顔で睨まれた。


 やっぱり禁句みたいだね。その眼光は鋭く、まるで刃物のように私を貫いた。メイド服を着て給仕をしていても、中身は傲岸不遜な女王様だ。


 カミーラ様にしとこう。


 ただ、学園でのティムちゃんと違って家では大人しい。さっきも睨むだけで、凄まじい罵声が飛んできてもおかしくなかったのに。


 やはりお姉さんであるティレアさんの存在が大きいのだろう。


 ティレアさんは朗らかで優しい、気のいいお姉さんだ。けど、あの女王なティムちゃんを律するような威厳は欠片もない。


 ティムちゃんは、なぜこれほどお姉さんに従順なのだろう? 「脆弱な姉め!」とか言いそうなのに。


「あのカミーラ様って、家ではいつもこんな感じなんですか?」


 ティムちゃんが、厨房に戻った隙にティレアさんに聞いてみた。


 学園のティムちゃんとあまりにギャップがありすぎる。猫を被るなどというレベルではない。もう別人だ。双子のもう一人だと言われても信じるぐらいだ。


「そうね~いつもよりテンション高いかも。きっと初めて友達を招待したから浮かれているのね」

「そうなんですか?」

「うん、そうだよ。ティムには同い年の友達がいなかったからね。ミレスちゃんみたいないい子と友達になれて、内心飛び跳ねて喜んでいるんだよ」


 本当にそうだったらとても嬉しい。だけどそれはティムちゃんのキャラと違う。ただたんにお姉さんと一緒に食事ができるから喜んでいるだけだと思う。


「カミーラ様は――」

「ねぇ、ミレスちゃん、さっきからつっこもうか迷ってたけど言うね。クラスメートにカミーラ様はないでしょ。普通にティムって呼んでよ」

「で、でも、カミーラ様がそう呼べと」

「なるほど……そうだよね。ティムならそう言う。そう言わないはずがない」


 ティレアさんは独り納得している。


 どうやらティレアさんがティムちゃんに強制させたわけではないらしい。


 では、なぜティムちゃんは皆にカミーラと呼ばせているのだろう?


 大好きなお姉ちゃんの命令でもない。自分を魔族の名で呼ばせるなんて、周囲と軋轢を生むだけなのに。


「素朴な疑問なんですけど、なぜカミーラ様は、皆にカミーラ様って呼ばせてるんですか?」

「あぁ、そう思うよね。うんうん、中二病はわかんないか――ミレスちゃんさ、小さいときってダークなヒーロに憧れたりしたかった?」

「英雄じゃなくてですか?」

「うん、そう。天下の大泥棒とか山賊王とか、なんでもいいんだけど。子供ってね、強くて悪い奴に憧れる時期があるのよ。今、ティムはそれなの。だから、自分をカミーラとか言ってニヒっちゃってるのよ」


 確かに昔、近所の悪ガキが歴史に残るような大山賊や大盗賊に成りきって遊んでいたことがあった。


 それとティムちゃんが同じ?

 本当にそうだろうか?


 ちょっと信じられない。


 ただ浮世離れしたティレアさんだけど、ティムちゃんの姉ではある。ティレアさんがそう言うなら、そうなのかもしれない。


「そう言えば、魔族カミーラは一部に熱狂的な人気があるんでした」

「どういうこと?」

「魔族のほうのカミーラなんですけど、彼女は魔法の第一人者で有名です。ですから魔法の深淵を極めたい人達が勝手に祀り上げているんですよ」

「へぇ~そんな奴らがいるんだ」

「はい、熱狂的な信者の中には、自身をカミーラの子孫と称し、カミーラ王を名乗っている王様もいます。魔族カミーラのような強い国家をめざし、国旗を魔族カミーラを象ったものにしたとか」

「そりゃまたなんとも言えないね。そんなにカミーラってすごいの?」

「はい、伝承によりますと、カミーラはとてつもなく膨大な魔力を持っていたそうです。それは現代の強者が簡単に弱者の位置に落ちるぐらいに。さらに卓越した魔法技術とそれに勝るとも劣らない頑強な肉体を備えていたとか。仮にカミーラの魔弾を掻い潜って接近できた者がいたとしても、その分厚い障壁と肉体の前に倒れることでしょう」

「か、完全無欠だね。もしかしてだけど、この前の王都襲撃にそのカミーラって魔族がいたらどうなってたかな?」

「伝承通りの強さなら壊滅してますね。それは王都に留まらず世界の終焉となっていたでしょう。何せ魔族カミーラの魔弾は流星の如き強さだったとか」

「流星って――隕石並の強さだったの!」

「はい、一発で町を吹き飛ばすほどの威力の魔弾を、流星のように降らせることができたそうです」

「話半分でもすごいや。それだけの強さなら熱狂的な信者もできるわけね」

「はい」

「むむ、じゃあ、そのうちティムも信者になるかも?」

「う~ん、どうでしょうか。カミーラ様は、魔族カミーラを狂信しているというより魔族カミーラそのものですし」


 自分で言っておきながら、何かに気づいてしまった。


 まさか――まさか、ありえないと一笑に付していたことがある。


 心臓の鼓動が速くなる。


 いや、考えすぎだ。そんなはずがない。


 でも――もし――ティムちゃんの戦闘能力。あのエリザベスを一蹴した圧倒的な強さ。


 魔族カミーラそのもの、という私の言葉。


 ティムちゃんが「カミーラ」と名乗ることへの異様なこだわり。


 それにティムちゃんの古武術。あれは東方のものだと思っていたけれど、もしかしたら――魔族の格闘術?


 頭の中で、バラバラだった情報のピースが恐ろしい一枚の絵を形作り始める。


 ティレアさんの存在。土下寝やイヌガミ家という人間離れした発想。


 あのアナスィー先輩すら絶対服従する理由。

 貴族たちが恐怖で震え上がる理由。


 全てが一つの仮説に収束していく。


「あ、あの、テ、ティレアさん達って、ひょっとしてま、ま、まぞ――」


 声が震える。口が勝手に動いて、禁忌の言葉を紡ごうとしている。


 エリザベスは学園でも指折りの実力者だ。魔力も技術も一流である。そのエリザベスが、まるで子供のように一蹴された。


 魔法の第一人者なら魔力などどうにでもできるはずだ。人間の眼を欺く隠蔽魔法など軽くこなせるだろう。


 測定魔法で見える魔力など所詮は表面的なもの。本当の力を隠していたら?


 心臓がドクドクと嫌な音を立てている。


 手のひらに冷たい汗が滲む。


「どうしたの、ミレスちゃん?」


 ティレアさんの優しい声が、今は恐ろしく聞こえる。


「ひぃいい!!」


 その仮説を導き出した途端、怖くなった。


 思わず悲鳴を上げる。


 もし――もし本当にティムちゃんが魔族だったら?


 私は今、魔族の家で、魔族に給仕をされて、魔族の料理を食べようとしている?


 口封じされる?

 殺される?


 それとも――


「ど、どうしたの、本当に?」


 ティレアさんが心配そうに近づいてくる。


 その優しい表情が、逆に恐怖を煽る。


 これも演技? 人間を油断させるための?


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。私何もみてません。魔族には逆らいません」


 勝手に口が動いて、命乞いの言葉が溢れ出る。


 涙が溢れてくる。


 怖い。怖い。


「ち、ちょっとミレスちゃん、魔族ってどういうことよ」


 ティレアさんの声が、少し慌てている。


 演技? それとも本当に驚いている?


「えっ!? えっ!? だって」


 何を言えばいいのか分からない。


 頭が真っ白になる。


 ティムちゃんが厨房から出てきたらどうしよう。


 怒ったティムちゃんに、私は――


「もしかして、さっきの会話からティムが魔族と思ったの? ちよっとちょっとそれはあんまりよ」


 ティレアさんはやれやれといった表情を見せている。


 正体がばれて口封じ――そんな雰囲気ではない。


 本当に、心の底から呆れているような表情だ。


 演技には見えない。


 私の考えすぎ?


「……本当に魔族じゃないんですか?」


 恐る恐る確認する。


「あ、あのね。ティムが人間でなく魔族カミーラ? じゃあ私は何? 魔王とでも言うの?」


 ティレアさんが、少し困ったような笑顔で首を傾げる。


「い、いえ」


 ティレアさんが魔族なんて考えられない。こんな朗らかな人が魔族だったら、王都の住人全員が悪鬼羅刹の類になっちゃうよ。


 冷静になろう。深呼吸。


 そう、冷静に考えれば分かる。


 ……うん、そうだ。そうだよ。


 仮にティムちゃんが魔族として学園に通う理由はなに?

 魔族カミーラが授業を受ける理由は?

 人間達をスパイするため?


 いやいや、それならもっと重要な施設はごまんとある。なんでわざわざ学園に潜入するのだ。なによりそんなスパイなどせずとも、魔族カミーラの力なら、世界は簡単に滅ぼせる。


 昨日など、魔族カミーラがスポーツテストを受けていたのだ。


 ありえない。


 伝説級の魔族が50メートル走で走る理由は?

 伝説級の魔族がお昼に校庭でランチを食べる理由は?

 伝説級の魔族が、「お姉様の弁当は最高です」と嬉しそうに言う理由は?


 馬鹿らしい。本当に馬鹿らしい。


 それならどこかの国の皇族か、名家の武門出身が政争で敗れて落ち延びている――その方がよほど納得できる。


 むしろその疑いこそ強まっているのだ。


「ティレアさん、本当にごめんなさい。なんか疲れてたみたいです」

「そうなの? 勉強も根つめないでね」

「はい」

「話を戻すよ。考えたんだけど、やっぱりティムのそれは一過性のものだね。ミレスちゃんには悪いけど、少しばかりつきあってあげて」

「わかりました」

「ごめんね。私が無理やりやめさせてもいいけど、あまり強制させてもヘソを曲げちゃうしね。ティムって呼ぶと怒るんでしょ」

「はい、それはすごい剣幕で」


 殺されるかと思うぐらいに怒る。ティムちゃんの怒りは凄まじい。あれを経験すれば、大抵のことが怖くなくなったからね。


「ミレスちゃんは大人だね。ティムが迷惑をかけるけど、見捨てないでやって」

「いえ、そんな……迷惑だなんて思ってません。それに見捨てるなんてとんでもないです。むしろ私が見捨てられないように、カミーラ様の友達になれるよう必死にがんばっているところです」

「そう、でも違うよ。ティムはとっくにあなたを友達と思ってる」

「えっ!? そうなんですか!」

「ティムは、あんな性格だから素直になれないけど、ミレスちゃんを気に入っているのは確かだよ」

「本当ですか?」

「うん、ティムはあれでわがままだからね。嫌いな人を傍にいさせない。ミレスちゃんを友達と思ってるからこそ、ずっと一緒にいるんだよ」


 本当かな。学園でずっと一緒にいるのは友達としてではなく、ただたんに私を人形とみなしているだけな気がするのだけれど……。


「なんか信じられません」

「ミレスちゃんみたいな才色兼備のお嬢さんが、なんでそんなに弱気なのかわからない。でもね、私はティムのお姉さんなんだよ。ティムのことは私が一番よく知っている」


 ティレアさんは確信を持った物言いでそう言ってくる。


 ティレアさんの勘違いだと思う。でもそう言ってくれるのはとても嬉しい。


「それじゃあ、私カミーラ様の友達と思ってていいんですか?」

「当たり前じゃない。むしろ友達じゃないなんて悲しいこと言わないでね。もうあなたはティムの親友、そして大事な妹と仲良くしてくれるミレスちゃんは、私にとっても親友だよ」


 うっ、ちょっと涙が出てきてしまった。


 ティレアさんは温かくて、とてもいい人だ。こぼれるような親しみを満面に浮かべるティレアさん――ティムちゃんがあれだけ懐くのも納得できる。


 それからしばし歓談して……


 ティムちゃんがテーブルの向いに座った。給仕をニールゼンという人と交代したらしい。


 従業員の人なのかな?


 今は食前茶を三人で楽しんでいる。


 ティレアさんが淹れてくれた食前茶は、淡い琥珀色をしている。カップに鼻を近づけてみると、ほのかに花の香りがした。


「ディナーの前に食前茶を飲むことで胃の調子を整えるんだよ」


 ティレアさんがそう説明してくれる。


 へえ、知らなかった。


 一口飲むと、ほんのりとした甘みと爽やかな香りが口の中に広がる。緊張で固くなっていた胃が、少しだけ落ち着く気がした。


 ティムちゃんは古武術を使っている。ティレアさん達は東方の出身なのだろう。食前茶も東方の風習なのかもしれない。


 三人でテーブルを囲む。


 ティムちゃんは背筋を伸ばして、お茶を飲む所作も優雅だ。でも時折、ティレアさんをちらりと見る目には、甘えが滲んでいる。


 ティレアさんは相変わらず柔らかな笑顔で、私とティムちゃんを交互に見ている。


 不思議な空間だ。温かくて、穏やかで。


 こんな時間が、ずっと続けばいいのに。


「ところでミレスちゃん、ティムは学園でどんな感じ?」


 ティレアさんからの問いに思わず食前茶を吹き出しそうになった。


 血で血を争う鬼武者、破壊王、銀髪の悪魔、下克上の権化……。


 あのエリザベス軍団をまたたくまに制圧しているティムちゃんには、様々な二つ名が飛び交っている。


 正直に言っていいだろうか?


 ティレアさんと話をして、わかったことがある。


 ティレアさん、多分ティムちゃんの現状を知らない。恐らく学園で勉学を健全に頑張っていると思っている。


 札付きの悪を片っ端からのしているとは、露ほどにも思っていないよ。


 ティレアさんは頬杖をつき、にこにこと私からの返答を待っている。


 「札付きの悪党共を土下寝させてます」は、ティレアさんの期待する答えではないと思う。


「カ、カミーラ様は、学園生活を満喫されております」

「そっか、そっか。ミレスちゃんのようないい子が友達でいてくれるからだね。ありがとう」


 嘘は言っていないよね。うんうん。


「ティム、ミレスちゃんと友達になれてよかったね」

「はい、すべてはお姉様のおかげでございます」

「そこで、なんで私が出てくるかなぁ~私は関係ないよね?」

「そんなことはございません。我が受ける恩恵は、お姉様あってこそです。そして、これは何も我だけに言えることではなく、生きとし生ける者は、全てお姉様に頭を垂れるべきなのです」

「……まぁ、ティムは中二病だからしょうがないか」

「はい、我は中二病でございます」

「……よ、よし、じゃあ他の話題。クラスメートとはうまくやれている?」

「お姉様、ご安心ください。学園の支配は、着実に浸透しております」


 ティレアさんは、苦笑いをしている。


 ティムちゃんはにこにこと笑っていて、さも大好きなお姉さんの期待に添えているって思っているみたいだ。


 ティムちゃん、それティレアさんの望んでいる答えじゃないよ。


 なんかさっきから会話が微妙にずれている気がしてならない。


 謎だ。謎の姉妹だよ。


 ティムちゃん達って、ちゃんとお互いを理解していない気がする。


 どんな家庭で育ったらこんな突き抜けた姉妹になるのだろう。


 知りたい。


 そう言えば、ティムちゃん達のご両親はどんな感じなのかな?


 この親にしてこの子ありと考えるなら、ご両親もとんでもなく変わっているに違いない。


「あの、ティレアさん?」

「な~に?」

「唐突なんですけど、ご両親の話を聞かせてもらってもいいですか?」

「いいよ。父さんは、腕利きの料理人なんだ。ベルガで料理屋をやっていて母さんもその手伝いをしているよ。二人とも優しいし、頼りになる。自慢の両親だね」


 ティレアさんは、誇らしげに胸を張る。


 へぇ~料理人なんだ。まぁ、ここは料理店だ。ご両親が料理人でも、なんら不思議はない。


 ないんだけど……。


「不躾で申し訳ないんですが、お父様の武勇伝を伺いたいです。もちろんただの料理人ではないですよね?」

「うん、ただの料理人じゃないよ」


 やはり! ティレアさんから肯定の返事がきた。


 あれだけの武勇を誇るティムちゃんが、ただの庶民なわけがない。さぞかし名のある武門の家柄なんだろう。


「父さんは、超一流の料理人だよ。遠方から足を運んでくるお客さんも数知れず。Sランク料理人の認定も受けているんだから」


 料理の話ではないんだけど……。


 それから当たり障りのない事からそれなりに突っ込んだ話も聞いてみた。


 ……訊く限り普通の家庭だ。


 むしろ家族団欒で理想の家庭ともいえる。ティムちゃんもティレアさんに同意しているし、本当に優しいご両親なのだろう。


 会ってみたかったけど、今はお二人とも王都から離れたベルガという街にいて無理だ。


 ティムちゃん達のご両親に会えば、ティムちゃん達の謎も少しは解明できたのに。


「さぁ、話はこれくらいにして。そろそろ料理を食べよう。冷めないうちにね」


 ティレアさんからの提案。


 話に夢中になってて忘れていた。


 そうなのだ。ティレアさんの料理はすごく美味である。ティムちゃんからおすそ分けされた弁当のおかずを食べてから、ずっと楽しみにしていた。


 テーブル一杯に敷き詰められた料理を見る。


 前菜からメインデッシュまで既に運ばれていた。


 全ての料理のお皿の上には、銀製の蓋がのっていて中は見えない。蓋は自分の顔が映るくらいにまばゆく輝いていて、一級の代物であることがわかる。貴族御用達の高級料理店のそれと比較してもなんら遜色がない。


 すごい。


 よく見ると、蓋だけでなくお皿や椅子、フォークにナイフといった細かな調度品まで一級品が使われている。


 ティレアさんは庶民派のお店と言ったけれど、どう考えてもそれはないよ。


 調度品は一級品。料理もそれに見合ったものであることは間違いない。ティレアさんの料理の腕は知っている。


 期待が高まり、ごくりと唾を飲む。


 心臓の鼓動が早くなる。まるで、宝箱を開ける前の冒険者のような気分だ。


 さぁ、いざ!


 銀の蓋を取り外す。


 カチャリ、という軽やかな音。


 真っ白な湯気がふわりと立ち上る。

   

「うぁあ! いい匂い!」


 鼻腔をくすぐる濃厚な食材のハーモニーに、声が出てしまった。


 これだけで、もう食欲が爆発しそうだ。


「ふふ、じゃあ今日のディナー【春の友情きらめきコース】の説明をするね。前菜は、赤椎茸のメルボニー、シーザーサラダ―、ミル貝とグルの詰め合わせ。主菜は、ベルム風豚王族(オークキング)の胡椒掛けと怪鳥と白レバーの煮込み。デザートには、抹茶入りアイスクリームとフルーツパイナップルを用意しているから」


 ティレアさんから料理について説明を受ける。

   

 前菜の赤椎茸のメルボニー……。

   

 見た目は、クリーム色の汁と人参、ジャガイモ、赤椎茸が四つ切にして入ってあるただのシチューに見える。


 でも、その匂い——


 濃厚なバターの香り。ほんのりと甘い野菜の香り。そして、赤椎茸特有の、森を思わせる深い香り。


 それらが絶妙に混ざり合って、鼻から直接脳に訴えかけてくる。その匂いがたまらない。マナーも忘れてがぶ飲みしそうになっちゃう。


 スプーンを手に取る。手が少し震えている。


 一口、慎重に掬って口に運ぶ。


 ――おいしい!


 クリームの濃厚さと、野菜の優しい甘み。そして赤椎茸の、独特の食感と風味。


 口の中で、全てが完璧に調和している。


 主菜のベルム風豚王族(オークキング)……。


 でんと置かれた肉の威圧感が凄い。豚王族(オークキング)の肩肉なのか。たっぷりと肉がつき、はたから見てもその肉汁が溢れだしているのがわかる。


 表面は、こんがりと焼き色がついている。カリッとした皮と、その下の柔らかそうな肉。


 ナイフを入れると——


 ジュワッ!


 肉汁が溢れ出した。透明な、それでいて濃厚な香りを放つ肉汁が、皿の上に広がる。


 その光景だけで、もう食欲が止まらない。


 さらに、柔らかそうなパンが何種類も置いてあり、それを飾るバター、マーガリン、ジャムも添えてある。


 パンは焼きたてなのか、まだほんのりと温かい。外はカリッと、中はふわふわ。


 これを肉汁に浸して食べたら——想像するだけでよだれが出そうだ。


 どの料理も、胃袋に直接働きかけるような強烈な食欲が沸き起こされた。


 おかしい。


 緊張と不安であまり食欲が無かったはずなのに……。


 それだけ目の前の料理が規格外なんだろう。若干震える手を誤魔化しながら、ナイフとフォークを手に取り食べることにする。


 まずは一口……。


「お、美味しい! すごく美味しいです!」


 あまりの美味しさに、感嘆の声を上げた。


 あぁ、表情が綻ぶ。


 記憶に残る数少ない高級料理店の料理も比較にならないよ。


 ミル貝のコリコリとした食感。グルの繊細な旨味。

 それが口の中で混ざり合って、至福の味わいを生み出している。


 あぁ、ミル貝とグルの心地よい食感が、口の中で弾けていく。噛むたびに、新しい味が発見される。最初は塩味、次に甘み、そして最後に少しだけスパイスの刺激。


 完璧だ。完璧すぎる。


「お口に合ってよかった。一杯食べてね」

「うむ。お姉様からお許しが出たのだ。堪能するがよい」

「はい!」


 ティレアさんとティムちゃんが目を細めてそう言ってくれる。


 うんうん、きてよかった、よかったよ。


 こんなに美味しい料理初めて食べる。


 すごい、すごすぎる。


 次は主菜のお肉だ。


 ナイフとフォークで、一口サイズに切り分ける。


 肉の断面から、さらに肉汁が滲み出る。美しいピンク色。完璧な火の通り具合だ。


 フォークに刺して、口に運ぶ。


「おいしい……」


 口の中に広がるたっぷりとした肉汁。


 噛むと、肉の繊維がほろほろと崩れていく。柔らかい。信じられないほど柔らかい。


 そして、胡椒がピリリと効いて絶妙な加減の肉味になっている。


 肉の質はもちろん、胡椒一つとっても飛び抜けているよ。今まで使っていた香辛料が偽物と思うぐらいに。


 高級な胡椒だ。粒が大きく、香りが強い。そして、辛さの中にも深みがある。


 こんな胡椒、王宮でしか使われない代物じゃないの?


 あぁ、夢のようだ。


 これも美味しい。あれも美味しい。


 どの皿に載せてある料理も美味しいのだ。フォークが止まらないよ。


 シーザーサラダは、新鮮な野菜がシャキシャキで、ドレッシングが絶妙。


 怪鳥と白レバーの煮込みは、深いコクがあって、口の中でとろける。


 パンを肉汁に浸して食べると——もう、言葉にならない美味しさ。


 そして……。


 さすがに食べ過ぎたかな。太ることも気にせずに思いっきり食べたのは久しぶりである。


 ただ私の健闘もなんのその、皿の上にはまだまだ料理が山のように重ねられていた。


 いくら美味しくても、こんなに一杯食べられない。


 お腹がパンパンだ。苦しい。

 でもまだこんなに残っている。


 ティムちゃんに目を向ける。


「残したら死刑ってことないよね?」

「もちろん、死刑にきまっておる。勿体なくもお姉様が御作りした料理だぞ。残すなど言語道断。腹がパンクしても構わん。死んでも残すな」


 軽く聞いただけなのに、ティムちゃんから痛烈な批判を受けた。


 その目は本気だ。冗談じゃない。


 私、大丈夫かな? ちゃんと生き残れるんだろうか?


 滅多にないご馳走を前にして浮かれてたけど、また胃痛が激しさを増してきた。

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