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第十九話 「ミレスとティレアの会合(中編)」

 ミレスは悩んでいた。


 数日前、ティムちゃんのお姉さんから食事の招待状が届いた。またもや上質な紙に、きれいな封蝋が施されている。国家間の外交文書に用いられるような上質紙だ。


 内容は食事の招待である。


 ティムちゃんの友人である私への感謝の言葉が綴られていた。ティムちゃんのことで色々と話をしたい、お世話になっているので食事でもてなしたい、ぜひ来てほしい——そう書かれていた。


 文章はお世辞にも高尚とは言えない。文章構成や文節に不自然な箇所もある。難解な表現は一切用いられていない。


 しかし、書き手の心情は十分に伝わってくる。ティムちゃんを思いやる優しい姉の姿が、文面から浮かび上がってきた。


 小賢しい手紙より、私はこういう手紙の方が好きだ。


 うん、きっと良い人なのだろう。こういう人とは、ぜひお近づきになりたい。


 手紙からは、戦いよりも平和を望む姿勢が窺える。姉妹で仲良く喫茶店を切り盛りするような、ほほえましい未来が想像できるというのに……。


 現実は、どう考えてもその想像と一致しない。


 眼前には、ティムちゃんと敵対していた貴族が数人引き立てられ、全員が土下座していた。


 うぅ、殺伐とした棘だらけの世界(げんじつ)である。


 裏でティムちゃんを亡き者にしようと画策していた者たちを、アナスィー先輩が引っ捕らえてきたのだ。


 土下座している面々を見る。


 皆が皆、高位貴族として威張り散らしていた。弱い者いじめを好み、我が物顔で学園を闊歩していた輩である。


 今や憔悴し、見る影もない。


 聞くところによれば、自慢のボディガードはティムちゃんに叩き伏せられ、彼らの実家はアナスィー先輩に悪事の証拠を握られているという。


 すでに政治的にもアナスィー家に首根っこを押さえられている。いつ一家全員が投獄され、縛り首にされてもおかしくない状況だ。


 そして、ティムちゃんはそんなアナスィー家を手足のように扱っている。


 彼らも理解しているだろう。


 自分たちの命運が完全にティムちゃんに握られていることを。ティムちゃんの一言で家が潰されるのだ。


 だからこそ、彼らは涙を流し、鼻水を垂らしながら必死に懇願していた。


 ティムちゃんは、そんな彼らを興味なさげに眺めている。彼らの言葉を完全に無視していた。


 彼らは声が嗄れるほど泣き叫んでいる。全員の顔は、涙と涎でぐしゃぐしゃだ。


 自業自得とはいえ……。


 とにかく、このまま無視していても埒が明かない。


 許すか罰を与えるか、何かしら決着をつけるべきだ。


「カミーラ様、確かにこいつらは屑。だけど、こちらに被害もなかったし、一応話を聞いてあげたら?」

「ミレス君、こいつらはまだお言葉を賜る態度ではないよ。不遜極まりない。ゆえに、カミーラ様もお声をかけないのだ」


 アナスィー先輩が横から口を挟んできた。


 そして彼らを睨みつける。


 えっ!? すでに彼らは跪いて土下座しているのに……。


 不遜なの?


「そ、そんな我らはこんなにも頭を下げている。これ以上どうしろってんだ!」


 そうだよね。彼らの言い分も分かる。


 意味が分からず呆然としていると、


「ったく、物分かりが悪いクズ共め。いいか頭が高いんだよ。ほら、カミーラ様の御前だぞ!」


 アナスィー先輩は、土下座している彼らの頭をぐいぐいと押さえつけていった。


 ただでさえ土下座で頭が低い位置にあるというのに、アナスィー先輩に押されて、彼らの頭はどんどん低くなっていく。


 そして、とうとう地面に額がくっついてしまった。


「やっと、お言葉を賜る姿勢になったな」

「うむ、アナスィーご苦労」


 その姿勢を見てティムちゃんは満足げに頷く。


「え、えっとこれって……?」

「これは土下寝という」

「土下寝!?」

「ミレス君、土下座程度では頭が高すぎて不遜すぎる。恐れ多くもカミーラ様の御前だ。奴ら程度の蛆虫、地面と同じ位置が適当だろ」


 アナスィー先輩から説明を受ける。確かに頭の位置は、これ以上ないというほど低い。


 で、でも、これってただのうつ伏せじゃない?


 恭順の態度としては斬新すぎる。説明されないと絶対に分からない。


 これでいいのか、いや、いいんだろう。


 ティムちゃんもアナスィー先輩も満足げだ。当人たちが納得しているなら、何も問題はない。


 改めて土下寝をしている面々を見る。


 彼らはうつ伏せの状態で、もごもごと何かを言っていた。ただ、地面と接吻している状態なので、何を言っているか分からない。


「面を上げよ」


 ティムちゃんの言葉を聞き、彼らはゆっくりと顔だけ正面を向ける。


 頭は高くできないので、不恰好なままだ。まるで亀である。彼らは亀のように必死に顔を上げて、また懇願を再開した。


 はぁ〜なんともまあ。


 つい少し前まで彼らは、権威を笠に着て我が世の春を謳歌していた。今や庶民であるティムちゃんに怯え、土下寝している。


 地面にうつ伏せなので、抵抗しようにもできない。


 口をパクパクさせ、許しを乞う。


 貴族にとってあまりに屈辱的な格好だ。こうしてみると、土下寝というのはこれ以上ないほど敗者の姿だよね。


「す、すごいね、土下寝」

「うむ。我もお姉様に伺った時は驚いた。目から鱗である。まさか土下座よりも低い姿勢があるとはな」

「はは……」

「ふふ、ミレスも驚いたか。さすがはお姉様である」


 さらに突っ込んだ話をティムちゃんに聞くと、究極的に頭を低くさせるイヌガミ家というものもあるらしい。


 そのやり方は……。


 うぅ、聞けば聞くほど寒気がする。恐ろしすぎる。


「「い、いやだああぁぁぁぁぁあああッ!!」」


 イヌガミ家の末路を聞き、土下寝をしていた全員が絶叫を上げた。


 泣き叫び、ティムちゃんに命乞いをする。その勢いは、さきほどまでとは比較にならない。


 気持ちは十分に分かる。そんな死に方は私も絶対にしたくない。


 なりふり構っていられなくなった彼らは、とうとう隠し財産を含む全ての家財産をティムちゃんに贈与すると言い出した。


 彼らは未来永劫、全ての利益をティムちゃんに捧げると誓ったのである。


 本当に心が折れたようだ。もう彼らはティムちゃんの言いなりだろう。


 ティムちゃんはティムちゃんで「家畜の一匹として飼ってやる」と言っていた。完全に奴隷と主人の関係である。


 もう、なんと言っていいか分からない。


 とにかく、こんな簡単に彼らが恭順の意を示したのも、イヌガミ家の話が決め手になったのは間違いない。


 土下寝にイヌガミ家……今まで聞いたことも見たこともない残虐な方法だ。

 それを編み出すティムちゃんのお姉さん。


 またしても、ティムちゃんのお姉さん像がぶれていく。


 本当に正体が分からない。


 ティムちゃんのお姉さんを想像し、悶々と過ごす日々……そして。




 ☆★




 食事会の日となった。


 地図で示された場所に向かう。


 場所は西通りの一角。商店や住宅街が混在している通りだ。貴族邸が集まる区画とは異なり、庶民の家々が軒を連ねている。


 道を歩きながら、私は周囲を観察した。


 八百屋には新鮮な野菜が並び、肉屋からは香ばしい匂いが漂ってくる。パン屋の前では、子供たちが焼きたてのパンを頬張っている。


 どこにでもある、ごく普通の庶民の暮らし。


 ただ、あのティムちゃんが住んでいる家だ。ひょっとすると、とんでもない豪邸が建っているのかもしれない。


 この平凡な通りの中に、突如として壮麗な邸宅が現れる——そんな光景を想像していた。


 期待と不安を膨らませて目的地へと到着する。


 ……うん、普通の家だ。


 正確には普通の料理店である。


 看板には【ベルム料理店】という文字。手書きの温かみのある文字で描かれている。決して洗練されているわけではないが、丁寧に書かれているのが分かる。


 立てかけてある掲示板には、その日の日替わりメニューが書かれていた。


「本日のおすすめ:ポークソテー 銅貨8枚」

「スープセット 銅貨3枚」

「デザート(季節のフルーツタルト) 銅貨5枚」


 庶民的な値段設定だ。


 店の外観を改めて見る。


 二階建ての建物で、一階が店舗、二階が住居スペースなのだろう。建物自体は古いが、手入れが行き届いている。壁の塗装は少し剥げているものの、窓ガラスは磨かれてピカピカだ。


 店構えも普通だ。大きさも手頃といった感じである。決して豪華ではない。むしろ質素と言ってもいい。


 しかし——


 料理店だけあって、周囲は清掃が行き届いていた。


 清潔に保たれた入口は好感が持てる。扉の前の石畳には、一粒の塵も落ちていない。毎朝丁寧に掃き掃除をしているのだろう。


 さらに傍には、色とりどりの花が植えてあった。


 赤、黄色、ピンク、白——様々な色の花が、小さな花壇に可憐に咲いている。花の世話は手間がかかる。毎日水をやり、枯れた葉を取り除き、時には肥料も与えなければならない。


 これほど美しく咲いているということは、相当な愛情を注いでいる証拠だ。


 見ているだけで朗らかな気持ちになる。何も知らなければ、素敵な店があると足繁く通っていただろう。


 家族経営の温かい料理店——そんな印象だ。


 ここで美味しい料理を食べて、優しい店主と談笑して、ほっこりした気持ちで帰る。


 そういう平和で穏やかな時間が流れている場所。


 だが、ここはティムちゃんの家である。緊張しないわけにはいかない。


 この平凡な外観の裏に、どんな恐ろしい世界が広がっているのか。


 土下寝やイヌガミ家を考案した人物が、こんな普通の店を営んでいる——そのギャップが、逆に恐怖を煽る。


 もちろん、ティムちゃんの家に初めて招かれるのは嬉しい。楽しみな部分もある。


 ただ、今からティムちゃんのお姉さんと会うと思うと、喉がカラカラで息が苦しくなる。緊張と不安が、心の大半を占めていた。


 ティムちゃんからお姉さんのいくつもの逸話を聞いている。話半分でも、とてつもなく凄い人なのだ。


 窓から店内を覗いてみる。


 木製のテーブルが四つ、椅子が整然と並んでいる。カウンター席も五つほど。壁には手書きのメニュー表が貼られている。


 どこか懐かしさを感じる、温かい雰囲気。


 しかし——ティムちゃんが育った場所。


 あの圧倒的な力を持つティムちゃんが、毎日ここで食事をして、笑って、過ごしていた場所。


 そう考えると、この平凡な光景がまったく違って見えてくる。


 ゴクリと唾を飲み込み、ドアノブに手をかける。


 緊張と不安で手が震える。ここから先に踏み込んだら、もう戻れないかもしれない……。


「ミレス、貴様店の入り口で何をもたもたしておるのだ」

「あ、カミーラ様」


 店の入り口で葛藤していると、ティムちゃんが現れた。


 私服姿のティムちゃん、かわいい!


 髪をツインテールにして、フリフリとした衣装を着ている。制服姿も似合っていたけれど、こちらも良い。普段の厳かな雰囲気とは打って変わって、年相応の少女らしさが溢れている。


「む!? ミレス!」

「えっ!? 何か問題?」

「その服はなんだ?」


 服!?


 そうなのだ。


 ティムちゃんのお姉さんからの招待状には、「ラフな格好で良い」と書かれていた。

 だが、土下寝を発案した恐ろしき人物からの招待だ。何より、あのティムちゃんのお姉さんである。


 女王の中の女王からの招待に、ラフな格好で来ることができなかった。高位貴族用の、王家のパーティーに着ていくドレスを選んできたのである。


「いや、ラフでないのは理由が――」

「ミレス、いくらラフな格好で良いといっても限度があるだろう。そんなボロを着てきたのか。偉大なお姉様からのご招待だぞ……まぁ、お姉様がラフな格好とご指定されたから、これでよいのか。だが、しかし……」


 ティムちゃん、葛藤しているところ悪いんだけど……これ、一張羅なんです。


 なんというか、ティムちゃんとの認識のズレを感じる。


 うーん、やはりそうか。手紙を鵜呑みにしてはいけない。この分だと、無礼講で良いと書かれていても、かなりしっかりしたマナーが必要なのかもしれない。


「カミーラ様、一つ質問があるんだけど……」

「なんだ?」

「いやね。今日の食事会のマナーってどの程度でいいのかなって」

「うむ、お姉様からのお達しだ。無礼講でよい」

「いいの?」

「もちろんだ。お姉様からのご命令は、何より優先する」

「うん、でも、さすがに最低限のマナーは必要だよね?」

「そうだな。ほら、ちょうど前に礼儀作法の授業でやっただろう。あの程度のマナーでよいぞ」

「そ、その授業って……王様に謁見する際の最上級マナーなんですけど……」

「だから、王家程度でよい」


 だ、だめだ。


 お姉さん大好きのティムちゃんでは話にならない。こうなれば自分で判断するしかない。ティムちゃんのお姉さんの性格を分析しよう。


「あ、あのさ、カミーラ様のお姉様ってどんな人? 礼儀とかマナーとかには厳しい方なのかな?」

「ミレス、何度言わせる気だ。お姉様はそんな細かいことに目くじらを立てはしない。偉大で慈悲深いお方なのだ」

「そうだったね」

「うむ、お姉様からすれば、ミジンコに等しい貴様にも愛情を持って接してくれるだろう」

「な、なるほど……」

「ミレス、今日はきっちり奴隷としての在り方を教えてもらえ」


 うん、腹は決まった。


 最敬礼で挨拶をしよう。


 それからティムちゃんは、料理の準備を手伝わねばならないと言って、店内に先に入っていった。


 あのティムちゃんにそんな雑事を任せることができる。本当にお姉さんは凄い人なのだろう。


 ティムちゃんから、私がすでに来ていることはお姉さんに伝わっているはずだ。もうまごまごしていられない。


 覚悟を持って店内に入る。


「いらっしゃい」


 声が聞こえた。


 明るく、柔らかく、温かい声。


 その声の主が姿を現した。


 金髪碧眼の美人が、カウンターの向こうから笑顔でこちらを見ている。


 ——え?


 時が止まったように感じた。


 これが、ティムちゃんのお姉さん?


 にこやかな笑顔。穏やかな表情。

 どこにも威圧感がない。


 それに美人。百人に聞いて百人が答えるほどの美人だ。輝くような金髪。ティムちゃんのような銀髪ではない。陽光を浴びた小麦畑のような、温かみのある色だ。


 碧眼も優しい。ティムちゃんの瞳が鋭利な刃物のような冷たさを持っているのに対し、この人の瞳は春の空のように穏やかで深い。


 そして——触れるものを全て切り裂くナイフのような気配も感じない。

 周囲の空気が凍りつくような恐怖も、息を詰まらせるような威圧感も、まるでない。


 むしろ逆だ。


 この人の周りには、温かい春風が吹いているような心地よさがある。自然と肩の力が抜けそうになる。


 ティムちゃんとは系統が違う、正統派な美人だ。

 いや、美人というだけではない。この人からは……優しさが溢れている。


 店内を手入れしている様子から感じる生活感、エプロンの紐の結び方、少し小麦粉がついた頬——どれもこれも【普通の人】の証だ。


 これが本当にあの、恐怖の支配者、土下寝とイヌガミ家を考案した人物なのか?


 頭が混乱する。


 予想していた姿とあまりにも違いすぎる。


 私が想像していたのは——もっと厳かで、近寄りがたく、一瞥するだけで命の危険を感じるような、そんな存在だった。


 なのに、目の前にいるのは……。


「失礼ですが、ティレア様ですか?」


 思わず確認の言葉が口から漏れた。


 あまりにも想像と違いすぎて、別人ではないかと疑ってしまう。


「うん、そうだよ」


 屈託のない笑顔で答えるティレアさん。


 その笑顔は——本物だ。


 計算されたものでも、作られたものでもない。

 心の底から人を歓迎している、純粋な笑顔。


 ……この人がそうなんだ!


 ティムちゃん曰く、偉大で厳かで深遠なる知識を有し、空前絶後の力を持つ支配者の中の支配者。


 見た目からはとてもそうは思えない。


 いや、待って。


 これこそが真の支配者の在り方なのかもしれない。


 恐怖で人を従わせるのではなく、その存在そのもので人を魅了する——そんな器の大きさを持った人物。


 確かに、ティムちゃんがあれほど慕うのも納得できる気がする。


 でも、土下寝とイヌガミ家は……うぅん、やっぱり分からない。


 この優しそうな人が、本当にあんな恐ろしいことを?


 はっ!? いけない。


 呆然と立ち尽くしていた。


 すぐさま片膝をつき、最敬礼を取る。


「た、大変失礼しました。私、宮中第三宮主馬令ビィンセント・クウザが一子ビィンセント・ミレスと申します。この度は、ティレア様の居城に招かれたこと、恐悦至極に存じます。映えある――」

「おぉ、な、なんかすごい口上だね。いやいやびっくり。やっぱりいいとこのお嬢さんは違うね」

「は、はい?」


 思わず聞き返してしまった。さらに許可も取らずに目線を上げてしまった。


 そこにはキョトンとしたティレアさんがいた。


 はっ!? いけない。


「た、大変失礼しました。この度――」

「あ~ストップ、ストップ! そんなに畏まらなくてもいいよ」

「で、ですが……」


 不興を買って、イヌガミ家と同じ末路は辿りたくない。


「もう、そんなに緊張しないでよ。私はただの庶民。そのなんとか主馬よりずっと下の身分よ」


 なんとか主馬って……。


 うん、お姉さんもティムちゃんと同じだ。言い方は違えど、王家の役職にこれっぽっちも敬意を払っていない。


 いや、この表現は違うか。ティレアさん、王家や貴族にまったく関心を持っていない。


 本当に庶民なら、萎縮するか媚びへつらうか、二つに一つの態度を示すものだ。ティレアさんには、その辺の気負いがまったく感じられない。


「……本当にただの庶民なんですか?」

「うん、正真正銘の庶民よ。由緒ある庶民ね」


 由緒ある庶民!? やっぱり!


「それは、皇族のご落胤とか」

「なわけないでしょ。私が言いたいのはそういうことじゃない。血筋とか家柄とか関係ないって言ってるの」

「家柄が関係ない……ですか」

「そうよ。今日はそういうのは抜きにして純粋にティムの友達を招待したの。あなたもその主馬なんちゃらの地位を自慢しに来たわけじゃないでしょ」

「もちろんです。そんなつもりは毛頭ございません」

「良かった。今日は楽しくなりそうね」

「ありがとうございます。私もお呼ばれされてすごく嬉しいです」


 ティムちゃんの友達と思われている。それだけで嬉しくなった。


 自然と頬が緩む。


「ふふ、でもそれだけじゃなかったかも。下心があるといえばあるかな」


 ニヤリと笑うティレアさん。


 ゾクリと震えが走った。


 学園を圧倒的なカリスマで支配しようとしているティムちゃんのお姉さんだ。ただ友達だから招待したわけではないのだろう。


 私を招待した目的は何なのか?


 不安が頭をよぎる。


「な、何が目的なのでしょうか?」


 やはりティムちゃんの言う通り、私を奴隷にするとか、人形にするとかの話なのだろうか。


 身体に力が入る。最悪の事態を覚悟して、ティレアさんの次の言葉を待つ。


「ふふ、下心はあるよ~お礼をするだけじゃ物足りない。欲を言えば、私とも友達になって欲しいなぁって」


 ——え?


「友達ですか?」


 予想外の言葉に、思わず聞き返してしまった。


 友達?


 私が、ティレアさんと?


「うん。どんな娘が来るだろうって思ってたけど、安心した。あなたならティムを任せられる」


 ティレアさんの瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。

 その瞳には——心配と、期待と、そして温かい信頼が込められていた。


「私がですか?」


 声が上ずる。

 まさか、こんな展開になるなんて。


「ティムの友達って言ったらすごく喜んでたでしょ。こういう笑顔ができる人とはティムの友達でいて欲しい。そして、私の友達にもなって欲しい」


 ティレアさんの言葉が、胸に染み入ってくる。


 嘘ではない。

 この人は本当に、心からそう思っている。

 ティムちゃんのことを心配して、ティムちゃんの友達を大切にしたいと思っている。


 そして——私とも友達になりたいと、本気で言っている。


「はは」


 思わず、緊張の糸が少しほぐれた。


 でも同時に、胸が熱くなる。

 こんな風に真っ直ぐ「友達になりたい」と言われたのは、いつぶりだろう。


 貴族社会では、友情にも計算がつきまとう。

 家格、財力、人脈——そういうものを天秤にかけて、人は人と付き合う。純粋に、ただ「友達になりたい」と言われることの、なんと貴重なことか。


 良い人だ。やっぱり手紙通りの人だ。ティムちゃんが心から慕う理由が、少し分かった気がする。


「まぁ、考えておいてよ。とりあえず今日は食事を楽しんでって」

「あ、あのティレア様は……」

「もう~さっきからティレア様、ティレア様って。『様』はいらないよ。ティレアでいいよ」

「いや、そんな恐れ多いことです」


 つい、貴族としての礼儀が口をつく。


 でも本心では——「ティレアさん」と呼びたい気持ちが芽生えている。


「緊張しないでいいって言ったのに。あ、そうか。あなた年上を呼び捨てにできないタイプね?」

「は、はい。じゃなくて――」

「じゃあ、しょうがないね。ティレアさんかティレアお姉さん、好きなほうで呼んでくれるかな」


 その提案に、胸が温かくなる。


 もともとこういう人は嫌いではない。むしろ好きだ。積極的に交流したい。

 ティムちゃんから恐ろしい逸話を聞いていなかったら、速攻で友達になっていただろう。


 この人は本当に、ティムちゃんが言うような恐ろしい人なのか。


 分からない。分からないけれど——今は、この温かさに身を任せたい。


「本当によろしいので?」

「いいよ、いいよ。なんならティレアっちでもいいから」


 ティレアっちはいささか……うん。


「じゃあ……ティレアさ、ん?」


 言葉が途中で詰まる。

 それでも、私は——言いたい。


「うんうん、緊張しないで。今日は楽しもう!」

「は、はい」

「う~ん、まだまだ緊張しているね。リラックス、リラックスよ」

「わかりました、ティレアさん」

「うん、それでよろしい。改めてティムの姉ティレアよ。ティムのお友達と会えて本当にうれしいわ」

「本当に?」

「もちろん。ハッピー嬉しーよろしくね!」


 緊張している私を和ませようとしているのだろう、ハイテンションな挨拶だ。


 さっきからティレアさん、ノリが良すぎる。


 本当にティムちゃんのお姉さんなの?


 ティムちゃんの話とあまりに食い違いすぎる。頭がショートしそうだ。


「はは、なんか滑っちゃったかな」


 私が無反応なので、そう言ってポリポリと頬をかくティレアさん。


 その仕草が——なんだかほっとする。


 ふふ、なんか自然と笑顔になる。


 ティレアさん、優しい。


 ちょっとお馬鹿なところも愛嬌があって親しみが持てる――ってなんて気安いことを考えていたのか!


 いけない。いつの間にか毒気を抜かれてしまっていた。


 相手はティムちゃんのお姉さん、クィーンオブクィーン、土下寝にイヌガミ家の人なのだ。


 頬を軽くパンパンと叩き、冷静さを取り戻す。


「ティレア様、改めてお招きにあずかりありがとうございます」

「うっ、またその口調……まぁ、いいや。立ち話もなんだしね。ミレスちゃん、座って、座って」


 近所のおばちゃんのように気さくに声をかけてくる。


 本当に分からない人だ。気を抜くと、私も親しみを込めて接してしまう、そんな魅力を持っている。


 とりあえず、粗相のないようにテーブルに座る。


 しばらくすると、メイド服に包まれたティムちゃんが料理を運んできた。宴は始まったばかりである。

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