第十八話 「ミレスとティレアの会合(前編)」
午前の授業が終わり、ミレスは学園の中庭へと移動する。
日課となったティムちゃんとの昼食だ。
日あたりの良いベストな場所……特別に作られたコテージに、上質のソファーが置いてある。最上級生の中でも高位の人達しか利用できない場所で昼食を取る。
なんて贅沢なひととき。
今までは、考えられなかった。ここは、学園の女王ことエリザベスの聖域であった。下級生は立ち寄ることすらできない。足を踏み入れれば、地獄の制裁が待っていた。
今では、ティムちゃん専用の特別席となっている。
次々と現れる刺客をばったばったとなぎ倒し、エリザベスを圧倒する強者。そんなティムちゃんに誰が逆らえようか?
以前は、ティムちゃんに抵抗しないまでも、遠巻きに睨んでいた上級生もいた。
今ではそんな者すらいない。アナスィー先輩が、ティムちゃんを害そうとする者達に、狂気に近い行動で脅しているからだ。
あの暴風雨のようなエリザベスもティムちゃんの前では沈黙している。それもあって学園でのティムちゃんの影響力は、日ごとに増しているのだ。
女王の失墜により、現在学園の勢力図は六つのグループに分類される。
エリザベスに組する者。
アナスィー先輩と同調してティムちゃんに組する者。
両者を天秤にかけ様子見で動かない者、または漁夫の利で天下を狙う者。
ただひたすら両方の脅威に怯え、恭順の意を表する者。
両者の横暴に憤慨し、生徒会のムヴォーデリ会長の隆盛を願う者。
ティムちゃんの活躍でエリザベス一強の体制は崩れた。
学園は、戦国時代に突入している。我こそはと野心をむき出しにした高位貴族が虎視眈々と学園の支配を狙っているのだ。少しでも自身の権威を高めようと、エリザベスやティムちゃんに接近してくる貴族は多い。
この学園戦国時代、対応を間違えれば一気に敵対勢力に天秤が傾く。今まで中立だった勢力が牙を剥くだろう。ティムちゃんはただでさえエリザベスと敵対している。これからの行動は、慎重に慎重を重ねたほうがよい。
こんな混沌とした状況でもティムちゃんは変わらない。
ティムちゃんは、悠然とソファーに座り、弁当箱をテーブルに置く。
う~ん、こうも毎日下級生が特等席を独占するのは、まずいよね。
上級生達も、ティムちゃんを恐れて何も言わないけど、内心不満がくすぶっているはずだ。いつかその不満が高まって爆発するかもしれない。
エリザベスだけでも強敵なのに、他の貴族とも敵対するのはまずい。ここは、少しでも味方を増やしてエリザベスに対抗するべきだ。これ以上、上級生の反感を買うのは得策でない。
「カミーラ様」
「なんだ?」
「私達、毎日この場所を独占しているよね?」
「それがどうした?」
「あ、あのね、さすがに毎日はまずいと思うの。週に一、二回は上級生に譲ってもいいと思うんだけど……」
「なぜ、我が愚物に遠慮して席を譲らねばならん」
ティムちゃんは、首をかしげ心外とばかりに不満を漏らす。
「で、でも、一応決まりというか、下級生は上級生を立てるのが学園の伝統でもあるし……」
「決まり? 伝統? くだらん! ミレス、あまり我を失望させるな」
「うぅ。で、でもね、このままだとカミーラ様のためによくないよ。ここは少しくらいは我慢を――いたぁ!」
ティムちゃんにでこピンをされた。
い、痛い。すごく痛いよ。
軽くされただけなのに視界が一瞬ゆらいだ。
ティムちゃんの指は、下手な貴族よりも綺麗で上品だ。それなのに、その指から放たれるパワーは剛力自慢の大男並みだよ。
痛い、痛い、額を押さえてうなっていると、
「ミレス、我はだれだ?」
ティムちゃんが私の顔を掴み、無理やり正面を向けさせ、そう問いかけてきた。
「え、え~とカミーラ様?」
「そう、我はカミーラだ。魔法にかけては、右に出る者はいない。最強の魔道士だ。我に命令できるのはお姉様ただお一人。文句がある奴は、全て叩き伏せる」
「カ、カミーラ様、そんな態度だと上級生全員を敵にまわしちゃうよ」
「それは重畳。十把一絡げであるが、多少は楽しめるか。では、なおさら煽って敵を増やさねばな」
あぁ、傲岸不遜……。
わかっていたのにまたやってしまった。
ティムちゃんが、上級生に気を遣うわけがない。敵対する者は容赦なく倒すを信条としているもんね。
まぁ、女王であるティムちゃんには、そんな態度が一番しっくりくるんだけど……。
「カミーラ様、味方を増やす意味でも――」
「ミレス、これから勿体無くもお姉様お手製のお弁当を食するのだ。あまりくだらんことばかり抜かすな」
「ご、ごめんね」
うん、あまり生々しい話をするのも無粋だ。せっかくの楽しい昼食である。ただでさえティムちゃんは、学園生活を楽しんでいない。学生らしい会話を心がけよう。
「カミーラ様、そういえばもうそろそろ期末試験だよ。準備はしてる?」
「準備? くだらん。あのような些事になぜ我が時間をさかねばならん」
試験が些細って……。
毎年、学園生徒の数パーセントが留年や退学の憂いにあう。学園の生徒達はすべからく優秀である。そんな中で凌ぎを削るのだ。並大抵のプレッシャーではない。
まぁ、ティムちゃんは筆記実技ともに優秀だから、そんな心配は皆無なんだろうけど。
本当にティムちゃんて超人だよね!
大貴族のエリザベスに睨まれても超然としている。
王都が誇る試験も些事の一言で終わる。
ティムちゃんが、動揺するシーンをとても想像できない。
そんな思いでティムちゃんを見ていると、
「なっ!?」
ティムちゃんが絶句していた。
口をぽかんと開けて金縛りにあったかのように固まっていたのである。
うそ! ティムちゃんが唖然としている!?
何が起きたの?
原因は……よく観察すると、ティムちゃんは開けた弁当箱の中身を見て固まっていた。
あぁ、からっぽの弁当箱を見て驚いたのか。
いつも弁当箱一杯に色とりどりの食材が詰め込まれているのに、今日は中ががらんとしていた。
ティムちゃんのお姉さんが入れ忘れたのかな?
ティムちゃんらしくない動揺だったけど、お昼をいつも楽しみにしていたから衝撃が大きかったのだろう。
ふふ、やっとティムちゃんの年相応な反応がみれたよ。ティムちゃん、本当に同い年かわかんないぐらい大人びていたから少し安心した。
「な、なんてことだ。わ、我はとうとうお姉様から見捨てられたのか!」
ティムちゃんが悲痛な思いで叫んだ。
固まっていたティムちゃんは意識を取り戻すと、見てて可哀想なぐらい狼狽え始めたのである。慌てふためき、そわそわ落ち着かない。
札付きの不良共に囲まれても平然としていたティムちゃんが、涙目になってだらだら汗を流しているのだ。
「カ、カミーラ様、落ち着いて。きっと何か手違いがあったんだよ」
「き、貴様に何がわかる!」
「ひぃい!」
ティムちゃんの鬼気迫る態度に思わず椅子から転げ落ちてしまった。
「この空っぽの弁当箱……お姉様は、我に餓死しろとのお達しなのだ」
「えぇえ!? そうなの?」
「そうだ。お姉様は、いつまでも空を切れない我にあきれられた」
い、いや、空を切るって……わけがわからないよ。
「……そ、それとも一度お姉様に反旗を翻したから? あるいは、ふがいない部下を持った監督責任の問題か? いやいや……」
ティムちゃんは、ぶつぶつと独り言を言っては、肩を落とし落ち込んでいる。
なんて絶望に瀕した顔なのだろう。あれほど自信に溢れたティムちゃんが小鳥のように弱弱しくなっている。
なんとか元気づけてあげたい。
「あ、あの、とりあえず私のお弁当をわけてあげるから」
「うぬぅ! 貴様は我にお姉様のお言いつけを破らせる気か! 我は、このまま餓死する」
そう言って瞠目するティムちゃん。
本気でこのまま何も食べない気なの?
ティムちゃんの顔色を窺う。
ティムちゃんは箸を置くと、目を瞑り居住まいを正した。
そのままテコでも動かない気らしい。食事を一切口にせず、そのまま即身仏となるような覚悟が伝わってくる。
ほ、本気っぽい。
そうだよね。ティムちゃんは、なんだかんだであまり嘘はつかない。特に、ティムちゃんのお姉さんがかかわってくる話になるとなおさらだ。
どうしよう?
お姉さんに連絡しようか?
私が悲嘆にくれていると、
「カミ~ラ様ぁ!」
ティムちゃんを呼ぶ声が聞こえてきた。
声がする方向を見てみる。
エディム!?
うそ、なんで?
エディムは、何やら包みを持って私とティムちゃんの前まで走ってきたのだ。目の前にいるのは本物のエディムだ。
心臓が跳ね上がる。
いったいどれだけ心配したと思ってるの!
学園をさぼり、音信不通だった親友が突然現れたのだ。
動揺を隠しきれない。
そんな私の態度に気づきもしないで、エディムはティムちゃんに持ってきた包みを渡している。
エディムが来たことでティムちゃんは断食を中断し、渡された包みを開けていた。中身は弁当箱である。
「エ、エディム……これは我の? お姉様が?」
項垂れていたティムちゃんが縋るように顔を上げた。
「はい。ティレア様が、今朝間違えて空の弁当箱をお渡しになったそうです。私は、ティレア様の命でお弁当を届けに参りました」
「そ、そうか。そうよの。うん、お姉様が我をお見捨てになるわけがない。偉大でどこまでもお優しいお方なのだ」
お姉さんからの弁当を受け取り、ティムちゃんは見る見る元気を取り戻した。
うんうん良かった、良かったね――じゃなぁああい!
どういうことよ!
どうやらエディムとティムちゃんは知り合いらしい。話している雰囲気からも私よりもずっと仲が良さそうだ……って、ちょっと違うか。
なんかエディムがアナスィー先輩みたいになっている。
エディムはティムちゃんをまるで神のように崇めていた。心酔している様子がありありと見て取れる。
エディム、そんなキャラだっけ?
周囲に同調してカミーラ様とか言うような性格ではなかった。言ったとしても、親しみを込めたフレンドリーな感じなはず。
あれは親しみというより崇拝に近い。
最後にエディムと会った時は、性格が冷たくなったと思って悲しかった。また会わないうちにエディムは、もっと変になっている。
一体、どういう経緯でそうなっちゃったの?
アナスィー先輩のようにティムちゃんの武勇伝を見て影響されたとか?
それに、なぜ学園に来ないの?
今、何をしているの?
エディムに対する疑問が次々と湧いてくる。
そして、それより何よりすごく心配していたのだ。一言ぐらい説明があってもいいんじゃないか。
「エディム!」
耐えきれなくなってエディムとティムちゃんの会話に割り込んだ。
「ミレス? あんた、こんなところで何をしている?」
「それはこっちのセリフよ。エディム、今までいったいどこで何をしてたのよ!」
叫び声に近い声でエディムを詰問した。興奮した私と反対に、エディムは冷静そのものだ。こちらはこんなに心配していたのに、エディムはなんとも思っていないようである。
「カミーラ様、こいつは?」
「ミレスは、我の新しいおもちゃだ」
「……そうですか」
エディムは、ティムちゃんの答えを聞いて納得したようだ。
そして、なぜか先ほど虫でも見るかのような態度だったのに、一変させたのである。まるで私という存在を初めて認識したかのような振る舞いだ。
エディムが、私の眼をしっかりと見据えてきている。
「ミレス、あんたは幸運だ。しっかりその栄誉をかみ締めておけ」
「はぁ? エディム何を言って――」
「あんたは昔から要領がよかった。本当に運がいい。見事といってもよいな。今度その処世術を教えて欲しいぐらいだ」
な、な、なにそれ! すごくひっかかる言い方だ。
要領がいいって……しかも処世術? 人をバカにしているの?
「それでは任務に戻ります」
「うむ」
私の怒りをよそに、エディムはまたどこかに出かけようとしている。
「あ、ち、ちょっと待った」
エディムの背中にまったをかけようと手を伸ばす。
「ミレス、エディムの邪魔をするでない」
ティムちゃんに止められた。
その間にエディムはスタスタとその場を離れて行く。
さっきのエディムの物言いに腹がたったけど、やっぱり心配でたまらない。
エディムは、独りで何を抱えているの?
親友なのに何もしてやれない。支えになってあげられないのだ。
エディムが何も言ってくれないのは寂しい。
ただ、あの感じだと、ティムちゃんには心を開いているみたいだ。ティムちゃんはエディムの現状を把握しているようだし、ティムちゃんに実情を聞いてみよう。
「エディムっていったい何をしているの?」
「貴様は知らなくてもよい」
「で、でも、心配だよ。何か厄介ごとに巻き込まれているのかも」
「違う。あやつは忙しいだけだ。ほおっておけ。妙な詮索はするな」
「ほおっておけないよ。私は親友だもの。ねぇ、カミーラ様、何か知っているなら教えて?」
「ミレス、二度は言わん。詮索するでない」
「は、はい……」
すごい迫力……。
こうなったときのティムちゃんには逆らえない。
「それじゃあ、一つだけ」
「なんだ?」
「エディムは大丈夫なの? 元気に戻ってこれる?」
「問題ない。そのうち学園にも顔をだす」
そう……それならいいか。
ティムちゃんが太鼓判を押したのだ。他の誰でもないティムちゃんの言葉だから信用できる。
エディムは大丈夫だ。
それにしても、エディムとティムちゃんっていつ知り合ったんだろう?
それも、ただの知り合いじゃないよね。かなり親密になっている。主にエディムがだけど。
「カミーラ様ってエディムといつ知り合ったの?」
「我が王都に来たときだ」
「そうなんだ」
「うむ。あやつも我の所有物だ」
ティムちゃんお決まりの台詞。
エディムも言われたんだろうけど、よく切れなかったな。まぁ、私と同じでティムちゃんの凄オーラのせいで何も言えなかったのかもしれない。
「カミーラ様、他にもカミーラ様の友達――じゃなくて人形はいるの?」
「あとはジェシカだ」
「ジェシカを知っているの!」
「あぁ、あやつも我の所有物だからな」
エディムがティムちゃんを知っているのだ。ジェシカがティムちゃんを知っててもおかしくはない。学園にあまりこない二人のほうがティムちゃんを知っている。
仲良し三人組だと思ってたのに……。
なんか疎外感。ティムちゃんって意外にたくさん友達がいるんだ。
「他に人形はいないの?」
「今のところ、お前達だけだ」
「えへへ、そうなんだ」
そうだよね。ティムちゃんのマイウェイさにそうそう人はついていけっこない。
ひどい言われようだけど、ティムちゃんの特別になれたのは嬉しい。
「まぁ、我のものはお姉様のものだ。正確に言えば、お前達はお姉様のものだがな」
「あはは……そ、そうなんだ」
「そう、この世の全てのものは、お姉様のもの」
「はは、カミーラ様のお姉様ってすごいんだね」
「当り前だ。そんな常識……ミレス、人形としての自覚が足らんぞ!」
今更ながらにティムちゃんのお姉さんに対する心酔がすさまじい。よっぽどお姉さんが好きなんだね。
う~ん、改めて考える。
ティムちゃんも謎だけど、ティムちゃんのお姉さんはもっと謎だ。
以前、ティムちゃんのお姉さんに手紙をもらったことがある。内容から、すごい親しみがもてるいい人って感じに思えた。
いつもいつもこうやってティムちゃんからお姉さんの話を聞くと、とても同じ人物とは思えない。あの手紙は何かの間違いかもと思ってしまう。
ティムちゃんより数段凄いカリスマの塊のような人物。そんな人だとしたら、ティムちゃん以上に苛烈な人なのかもしれない。
「そんなにすごいお姉様なら、お怒りを買ったらすごいことになるんだろうね」
「そうだな。普段は、お優しいお姉様だ。だが、ひとたびお怒りになれば、大地が割れる」
「だ、大地が!?」
「そうだ」
「そ、それって強力な土魔法で大穴を開けるみたいな感じなのかな?」
強力な土魔法を使えば、地面に大穴を開けることができる。その比喩表現だと思う。
いくらなんでも大地って……。
「ミレス、あんまり愚かなことを抜かすな。お姉様のお怒りが、そんなしょぼい結果なわけなかろう。大地が割れるとは、文字通り大地が真っ二つに割れる。ミレス、貴様は地面に立っていられなくなるぞ」
話半分、いや、四分の一でもすごい。常識ではありえない話だ。だけど、ティムちゃんが言うと、なんか真実な気がしてならない。
変だよね。絶対にありえないことなのに……。
「……す、すごいね。それじゃあ、大陸に住んでいる人達みんな死んじゃうね」
「そのとおりだ。大地が割れ、二つの大陸ができる。その過程で割れ目に陥没して多くが死ぬな。さらにお怒りが続けば、大陸は四つ、八つとどんどん分割されて、最後は細切れになるだろう」
「……」
さすがにそれは盛り過ぎだ……いや、それだけティムちゃんのお姉様が凄いって話なのだろう。
「どうした? 言葉も無いか。ふふ、わかったであろう。我らは、お姉様に生かされているのだ。お姉様の手のひらの上で日々の営みをしているにすぎん」
傲岸不遜なティムちゃんがここまでいうお姉さん……やっぱり気になる。
ただ、ティムちゃんの話すとおりの人なら、会ったら絶対に緊張しすぎておかしくなるよ。そして粗相をしちゃって、どんな目に遭うかわかんないもん。怖いね。
興味はあるけど、会うのは怖い。遠慮したい。それがティムちゃんのお姉さんに対する偽らざる気持ちだった。今後もその方針を続けようと思っていたのに。
それから数日後……。
私は、ティムちゃんのお姉さんから食事のご招待を受けたのである。