第十二話 「暗殺者リュコーの受難(前編)」
漆黒殺戮団四天王の一人リュコー。命を狙うこともあれば狙われることもある。数多の戦いを潜り抜けたリュコーに死角はない。今度の相手は古武術の使い手だ。年は十四歳と十七歳、まだほんの小娘である。
とはいえ油断は禁物だ。魔力が弱くてもこの手の輩は手ごわい。現に、我ら漆黒殺戮団とは比べ物にならぬが、そこそこの使い手が集まった無頼集団を技一つで壊滅させたらしい。
ふふ、かつての宿敵コーエン・モトベェを思い出す。
実力は下だったが、ある特定のフィールドでは無類の強さを発揮し、てこずらせた。油断もあってか、格下に命を取られそうになったのである。
あの頃は俺も若かった。負けん気が強く、どうしても相手のフィールドで組み伏したかったのだ。古武術使いに接近戦は禁物。遠距離から狙撃しよう。
数日後……。
下調べを完了した俺は、金髪娘を観察する。金髪娘は一般的な成人女性だ。歩行もしぐさも素人そのもの。もう一人の銀髪娘は隙がなく、あやうく発見されそうになったので潜行を中止した。
さすがは古武術の使い手である。暗殺潜行では一日の長がある俺が、その場から逃げ出すだけでせいいっぱいだったのだ。冷や汗をかくのも久しぶりだったな。恐らく銀髪娘は、金髪娘より数段ランクが上なのだろう。まずは金髪娘なほうから始末する。
金髪娘は、のんきに一人で散歩をしている。
隙だらけだ。
特注のボウガンを取り出す。
一般のボウガンは、距離が離れるほど慣性がかかりにくく弾道が不安定になりやすい。またそれなりに腕の立つ者であれば、その空気を切り裂く音で感づかれる。
だが、俺のボウガンは違う。無音で飛ばせるように矢の形状を変えている。さらに、特殊弦を使用して強力な弾道で飛ばせるのだ。
回避不能の攻撃。
さらに鏃には特製の猛毒が塗ってある。ひとかすりでもすれば、たちまちお陀仏だ。攻撃されたと思ったときには手遅れである。
ふふ、俺は毒手使いのリュコーとしても有名だ。
普段は毒手として直に切り刻む。最近では、雇主のボディガードたちに使った。奴らも少しは名の通った戦士で、体力には自信があったのだろう。だが、我が自慢の毒にかかればあっけなく事切れた。どれだけ体力に自信があろうと無駄だ。
世界では、猛毒としてトリカブトン、ペネノ、イァートが挙げられる。それらを混ぜ、独自の配合で生み出した俺だけの毒だ。
俺はその毒を【クゥキー】と名づけた。【クゥキー】に解毒法はなし。既存の毒と違う。大僧正の最大治癒魔法を受けても助からない。世界最強の毒と言ってもよい。
俺は慎重に周囲の環境を確認する。
まず風向きだ。傍に生えている雑草を千切り、空中に飛ばす。
ひらひらと風に流される雑草の軌跡を目で追う。風は南東から北西へ、秒速約二メートル。完全に風上にいる。音も匂いも金髪娘には届かない。万に一つも狙撃がばれる可能性はない。
次に相手の警戒レベルを測定する必要がある。
俺は意識的に殺気を微量放出した。ほんの一瞬、針で刺すような敵意を向ける。熟練の戦士であれば必ず反応する。肩がわずかに強張る、視線が一瞬こちらを向く、足の位置を無意識に変える——何かしらの兆候が出るはずだ。
……なんの反応も返ってこない。
今度は殺気の量を倍に増やしてみる。普通の人間なら背筋に悪寒を感じる程度の殺意だ。
やはり無反応。
金髪娘は相変わらず能天気に散歩を続けている。まったく変化なし。
ここまで無警戒な強者がいるだろうか? いや、無い。これは確実に素人だ。武をかじってすらいない一般人。
並の殺し屋であればここで油断するだろう。
しかし俺はプロの上澄み。油断は禁物だ。一流の武人と思い仕留める。
俺は感情を殺し、淡々と作業を進めた。
特注ボウガンを構え、照準を合わせる。距離は約八十メートル。無風状態なら百発百中の間合いだ。
標的選定——鎖帷子の可能性を考慮し、防具で保護されていない部位を狙う。右足のふくらはぎが最適だ。太い血管があり、毒の回りが早い。
呼吸を整える。心拍数を下げる。引き金に指をかける。
死ね。
静かに引き金を引く。
矢は設計通り完全無音で飛翔し、計算された弾道を描いて標的へと向かう。飛行時間は約一、二秒。金髪娘は全く気づいていない。歩調も変わらず、視線も逸らさない。
完璧だ。
俺は既に次の行動を考え始めていた。矢が命中した瞬間、金髪娘は苦痛で声を上げるだろう。周囲に人がいないことは確認済みだが、念のため即座に現場を離脱する——
なっ!?
信じられない光景が目の前で展開された。
矢は確実に金髪娘の右足ふくらはぎを捉えるはずだった。だが、着弾寸前で軌道が逸れた。まるで見えない力に弾かれるように、矢は明後日の方向へと飛び去っていく。
金髪娘は何事もなかったかのように歩き続けている。足取りに乱れは一切ない。振り返ることもしない。
……完全に自然体だ。
まさに無の極意と言ってもよい。
おそらく金髪娘は、放たれた矢の気配をぎりぎりで察知し、紙一重で軌道をそらせたのだ。何かしらの魔法道具を使っている可能性もあるが、金髪娘の魔力は微弱である。そっちの線よりは、合気でいなしたと考えるのが自然だろう。
ふふ、なかなかやるではないか!
素人と思いきや、それは無の極意を成した賜物という奴だな。遠距離からの攻撃にも対策をしている。これだから古武術使いというのはやっかいなのだ。
金髪娘よ。まずは、完敗を認めよう。
そこまで古武術を極めているのなら、まともに戦えば俺の負けは必至だ。自慢の毒も当たらなければ、意味をなさない。
ここまでの使い手は、コーエン・モトベェ以来だ。
勝負は仕切り直しである。
接近戦は不利。遠距離からの狙撃も対策をされている。暗殺は難しいように思える。
ふふ、甘いな。戦いはすべてが正攻法ばかりではないのだよ。
数日後……。
「この前は、ありがとうございました!」
「いやいや、困ったときはお互い様だよ」
俺は、ヤナという偽名で金髪娘に近づいた。人の良い顔を見せて相手を油断させている。
下調べの結果、金髪娘の性格はある程度把握した。戦闘技術は一流だが、性格に甘さが見え隠れする。
古武術の技は確かに素晴らしい。武術大会に出場すれば、他を圧倒するだろう。ただ、悲しいかな命のやりとりをしてこなかったと見える。敵意に対する警戒心があまりに薄い。
武術師範にはなれても戦士にはなれないタイプだ。
だから、俺は仕込みとして道に迷ったふりをして金髪娘に近づいた。金髪娘は疑いもせずに道案内をしてご満悦の様子であった。
金髪娘は、俺を少しも疑っていない。
そう、毒使いである俺にはもう一つ特技がある。それは、魔力を極限まで抑えられることだ。魔力を抑え、人なつっこい笑みを浮かべれば大抵の者が警戒を解く。意図的に人のよい顔を見せることで警戒心を抱かせることなく、ターゲットに近づく。実際、毒使いとして大成する前は、こういう油断を誘って殺しを達成していた。
久しぶりだな。毒使いとしてレベルを上げてからは使っていなかった。使う必要もなかった。しかし今度の敵は違う。まともに戦っては不利だ。技術は俺の上をいっている。ここで力攻めはしない。
技術が上の者に技術で対抗するのは、バカのすることだ。
「ティレアさん、この前のお礼です」
丁寧に包装された小さな化粧箱を取り出した。中には手作りの饅頭が三つ、綺麗に並べて入っている。一見すると上品なヨモギ餅だが、生地には最強の毒を練り込んである。昨夜、宿で念入りに仕込んだ自信作だ。
最強の毒を混ぜた饅頭を差し出す。
「いやいや、お礼なんていいよ」
「そんなことを言わずにお礼をさせてください。特製の薬草を使ったヨモギ餅です。健康にもいいですよ」
「そぉ? 本当に悪いねぇ」
金髪娘は躊躇することなく饅頭を口に運び、一口で頬張った。もちもちとした食感を確かめるように、ゆっくりと咀嚼している。
よし、勝った!
口に入れてしまえばこっちのもの。
しかし次の瞬間——
「ヤナさん、これはだめだ」
金髪娘の表情が変わった。眉をひそめると、口に含んでいた饅頭を慌てたように箱へと戻す。白い手のひらに、噛み砕かれた饅頭の欠片がぽろぽろとこぼれ落ちた。
ばれたのか?
無味無臭とまではいかないが、毒草独特の匂いは他の薬味で消している。それがわかったとでもいうのか?
金髪娘は料理人でもある。毒入り饅頭とはいえ、普通の饅頭と味は変わらない。下手な料理人ではわからないほどの差異だぞ。金髪娘は、一流の舌と鼻を持っているようだ。
ふっ、まぁ、わかってももう手遅れだ。貴様は、世界一の毒に触れたのだ。残念だったな。察知するのならば、口に入れる前にすべきだった。
貴様はもう死……んでいない!?
えっ!? えっ!? なんで死んでないの?
ペロッしているよね? ペロッって?
金髪娘は毒入り饅頭をペロッ、ペロッしながら「うむ、間違いない。このアーモンド臭と口ざわり」と言っている。
したり顔で何度も饅頭を舐めているのだ。
「え、え~と……」
「ヤナさん、本当にやばかったよ。この饅頭食べられない。毒草が入っている。恐らくトリカブトン草ね」
正確にいえば、トリカブトン、ペネノ、イァートを主軸に独自の製法でブレンドした毒だ。
ま、まぁ、主はトリカブトンで合っている。
うん、せ、正解。そのとおりだ――って、いや、おかしいだろ! 猛毒だぞ。特製の毒だ。一mg入るだけで大型魔獣が泡を吹いて絶命するんだぞ!
ふざけんなぁあ!
なんなんだてめぇえ! なんでそんなにペロペロして生きてんだぁあ!!
荒れ狂う怒りと困惑を必死に押し殺す。人の良い青年ヤナを演じ続けなければならない。表情筋を意識的にコントロールするが、口元が小刻みに震えているのを感じる。笑顔はひくついているかもしれない。
冷静になれ。感情に流されるな。プロとして状況を分析するのだ。
深呼吸を一つ。脳内の知識を総動員する。
確か東方医学の古い文献で読んだことがある。『毒学大全』第十二巻、毒耐性に関する章だったか——「この世には稀に、生まれつき毒が効かない特異体質の者が存在する。その発現率は約十万人に一人。体内に特殊な酵素を持ち、毒素を分解してしまう」
十万人に一人。伝説の宝を発見するより低い確率だ。
そんな奇跡的確率だが、目の前の現実がそれを証明している。金髪娘は間違いなく、その体質の持ち主のようだ。
「ヤナさん、本当に注意してよね。素人が野草を使うとこんな事故が起きちゃうのよ。手軽に料理しちゃだめ。料理人か先達者に聞かないと」
「も、申し訳ございません」
「本当に知らなかったじゃ済まされないよ。ヤナさん、世界で一番の毒って何か知ってる?」
「く、クゥキー……」
「クゥキー? そんな草はないよ。いい、それはトリカブトン草。知っておいてよね。ヨモギと間違えやすいから本当に危ないの」
それから金髪娘は、毒草のウンチクを語りだした。
くっ、世界一の毒使いリュコー様を素人扱いするとは!
「……それからね、トリカブトン草は、茎にギザギザと……匂いと味に特徴があって……」
金髪娘の声がふと途切れた。眉間に小さな皺を寄せ、首を軽く傾げる。
「あれれ? おかしいぞ」
そう呟くと、説明を中断して再び饅頭に視線を落とした。そして今度は慎重に、舌先で表面を舐め始める。一度、二度、まるで職人が素材を吟味するかのように。
この金髪娘は何がしたいのだ? そこまで自分の毒耐性を自慢したいのか?
「あ、あの?」
俺の声に、金髪娘は顔を上げることなく答えた。
「なんかおかしいぞ。トリカブトン草にしちゃ、ざらつきが……」
舌先を軽く唇に当てながら、困惑したような表情を見せる。料理人の本能が何かを察知しているようだ。
「あれ、この苦味……ペネノ? それに奥にある金属っぽい味は……イァート? いや、でも……」
金髪娘は首を振った。まるで複雑な調味料の配合を解読しようとする料理人のように、味覚に全神経を集中させている。
なっ!? 自慢の毒薬配合がばれかけている!?
こいつは油断ができん。
俺はひったくるように饅頭を奪うと、謝罪の言葉を放ちそのまま逃げ出した。