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第十一話 「オルティッシオの奮闘(後編)」

 それからビィトと名乗った人間は、部下らしき男たちに指示を出した。


 しばらくして、その部下の一人から冒険者の証であるプレートを渡される。代わりに登録を済ませてきたということだ。


 私は晴れて冒険者となった。プレートは銅製であり、新人冒険者の象徴であるGが刻まれている。


 ランクは最底辺だが、まあいい。登録さえ済ませば、こちらのものだ。


 さらに組織の仕事を請けた方が、ランクの昇格が格段に早いらしい。

 正直、薬草採取なんてやってられない。渡りに船、組織の仕事とやらを受けようではないか。


 ビィトの紹介で無法集団に加わり、ある「小生意気な娘」を始末する依頼を受けることになった。人間共は大層な作戦会議を開いていたが、あまりの馬鹿馬鹿しさに「時間が来たら起こせ」と指示を出し、ソファーで休むことにした。


 たかが人間の小娘一人——私一人で十分だ。


 そして……この始末だ。


 奴らの導くまま行ってみれば、そこには——


「……カミーラ、様?」


 声にならない呟きが唇から漏れた。


 銀髪が陽光に輝く、絶世の美貌。氷のように冷たく、それでいて燃えるような瞳。


 そう、そこにおられたのは、我が敬愛する主であられるカミーラ様だった。不敵な笑みを浮かべ、獲物を狙う獰猛な目つきで——私を射殺そうとされている。


 つまり、奴らのターゲットは、偉大な主であられるカミーラ様だったのだ!


 瞬間、世界が止まった。


 血の気が一気に引き、足元がふらつく。心臓が激しく脈打ち、耳の奥で太鼓のような音が響く。


「あばばばばばばば——ばばばばばっ、ごほほっ、ごほっごほぉお!」


 興奮のあまり呼吸が乱れ、むせ返った。酸素が足りない。頭がぼうっとしてくる。


 はぁ、はぁ、はぁ——


 なんて、なんて失態だ!


 手のひらに脂汗がにじみ、シャツが背中に張り付く。こんなことならターゲットの詳細を聞いておくべきだった。完全に騙された。


 愚かな! 愚かすぎる!


 こいつら程度の敵なのだ。せいぜいそこそこ魔力の高い貴族娘、学園でちやほやされている小生意気な令嬢が標的だと思い込んでいた。


 まさか——まさかそこにカミーラ様が当てはまるなど、考えられようか?


 魔法に関して言えば、この世で右に出る者はいない。ティレア様を除けば、魔族最強に位置するお方だ。世界三指に入る実力の持ち主だぞ!


 そんなことも露知らず、無法集団の人間共はカミーラ様を挑発している。


「小娘呼ばわり」する者。

「殺す、殺す!」と喚く者。

 あろうことかカミーラ様をどこぞの娼婦と当てはめて罵倒する者までいやがった。


 ——っ、本当に屑共めが!


 最底種族の人間如きに言いたい放題罵倒されたのだ。カミーラ様の内心は、火山のマグマが破裂するが如く、怒りでお心が充満されていることであろう。


 そして——そのカミーラ様のお怒りが、すべて私に向かっている。


 なぜだ? なぜ私を見つめる?


 ——ああ、そうか。


 私がこの愚か者どもを引き連れてきたからか。はたからみれば、私がカミーラ様に刃を向けているように見える。


 誤解だ。大誤解である。


 潜入任務だから知らぬふりをする——そんな段階は既に過ぎ去った。

 と、とにかく最善策を考えろ。このままでは邪神軍最大の罪人として処刑されてしまう。


 カミーラ様は、一歩一歩こちらに向かってこられている。


 ど、ど、どうする? どうすればいい?


 冷や汗が止まらない。シャツがびっしょりと濡れている。


 ……もう四の五の言わず、逃走しようか?


 現在、カミーラ様は無法集団のメンバーを次から次に投げ飛ばしている。一歩一歩近づいてきたカミーラ様に無法集団のメンバーが手を出した結果だ。


 いい具合に人間共が、時間稼ぎしている。


 カミーラ様の足が止まっているのだ。


 逃走可能かも?


 この場から離脱すれば、カミーラ様も追ってまで処刑はされな——いや、違うな。逃げたら逃げただけ、カミーラ様のお怒りは増す。


 これは最善ではない。悪手だ。


 では、残された道は一つ。


 周囲を観察する。


 無法集団のメンバーは、カミーラ様の強さに驚愕していた。


 大馬鹿共め、やっとわかったようだな。お前達が誰を相手にしているのか。大いに恐れおののくがよい!


「へっへ、やるじゃないか! これは、久しぶりに本気を出さねばなるまい」


 隣にいるビィトが、かなりふざけたことをほざいている。どうやらカミーラ様を好敵手か何かと勘違いしているらしい。


 傲慢を通り越して、もはや溜息しか出てこない。


 ……やるか。


 不遜にもカミーラ様に攻撃を仕掛けようとしているビィトの肩を、ぎゅっと掴む。


「ん? オルティッシオ、なんだその手は? まさか『お前では無理だ。俺が代わる』とか言うんじゃないだろうな?」

「お前……」

「おいおい、それは余計なお世話だぜ。あんな活きのいい獲物は久しぶりだ。俺にやらせろよ」

「お前……は何をやっとんじゃああ!!」


 思い切りビィトの肩を引き裂いた。爪が肩から胸へと深々と切り込んでいく。


「ぎぃやぁあああ!!」


 絶叫が響く。革の防具が紙切れのように破れ、骨の砕ける鈍い音が手に伝わってきた。ビィトの目が見開かれ、口から血の泡が溢れ出る。


 温かい血が手を濡らし、ビィトの身体を赤く染めていく。足がもつれ、膝から崩れ落ちた。


 身体が痙攣している。呼吸が次第に弱くなっていく。

 やがてビィトは動かなくなった。その顔には最期まで困惑の色が浮かんでいた。


「て、てめぇ、裏切ったかぁあ!」

「無法集団の掟を破るたぁ、どういう了見だ!」

「だまれぇええ! この屑共がぁああ!!」


 ビィトの死で息巻く面々に向かって突進する。最初の男の顔面に拳を叩き込んだ。鼻が潰れ、歯が数本宙に舞った。


 そう、残された道は一つ。


 カミーラ様に不遜な態度を取った愚かな人間たちを駆除して許しを乞うのだ。


「われら無法集団を……はみ出し者たちを怒らせてただで済むと——ぐべえ!」


 喋っている途中の男の腹に爪を突き立てる。


「黙れ、黙れ、黙れぇええ! 何が無法集団だ。はみ出し者? おらおら、では、内臓をはみ出してやるわぁあああ!」


 爪をねじ込み、文字通り内臓を引きずり出す。


「ぐほっ!」


 男の顔が苦悶に歪み倒れた。


 さらに次の男が剣を抜こうとしたが、その首筋に手刀を叩き込んだ。頸椎が砕ける音がした。

 そうして幾人かの人間を駆除していると、


「あ、あなた何をやってますの! 気が狂いましたの! 私に逆らえば昇格はもちろん、冒険者自体やっていけません。いえ、このまま王都で生きていけると思ってんのかぁあああ!」


 無法集団の主人が血相を変えて怒鳴ってきた。


 エリザベスと言ったか……。


 まったくキーキーうるさい人間だ。すぐに駆除せねばな。


「虫けら、黙れ! カミーラ様に楯突いた愚かな虫め。このまま縊り殺して駆除してやるから待ってろ」

「カミーラ様って……あ、あなた銀髪の小娘の仲間? くっ、次から次へと舐めた真似を……覚えてらっしゃい!」


 エリザベスは、捨て台詞を吐いて逃走を図る。


「あ、待ちやが——」

「さっきから何をしておる?」


 エリザベスを追おうとした瞬間、背後から氷のような声が響いた。その声は、まるで冬の北風のように私の背骨を凍らせる。


 振り返ると、カミーラ様が——いつもの冷静さを保ちながらも、明らかに苛立ちを込めて立っておられた。


 普段のカミーラ様なら、表情一つ変えずに敵を殲滅される。けれど今は眉が僅かに寄せられ、唇が薄く引き結ばれている。


 これは——お怒りのご様子だ。


「え、え~とカミーラ様?」


 声が上ずる。喉が乾いて、まともに言葉が出ない。


「オルティッシオ。貴様、何をしておると聞いておるのだ!」

「で、ですから、カミーラ様に盾突く愚かな人間共の駆除をしておりました」


 必死に弁明を試みる。きっとお怒りの理由は、私がもたもたしていたからだろう。さっさと敵を片付けなかったから——


「ふぅ~愚か、愚かと思っていたが、ここまで愚かだったか」


 カミーラ様の言葉が、氷の刃のように心を切り裂く。


 その瞬間、空気が張り詰めた。

 カミーラ様から放射される殺気が、周囲を包み込む。冷たく、それでいて威圧的な雰囲気。

 ——カミーラ様の不快感の表れだった。


「あ、あの私、何か粗相を……?」


 震え声でそう尋ねると、カミーラ様の瞳が更に冷たくなった。


「オルティッシオ、よく聞け。あいつらは、我が退屈で退屈で気が狂いそうな学園生活で見つけた遊びの駒だ」


 遊びの駒——


 その言葉の意味が理解できた瞬間、私の心臓が止まりそうになった。


「それをまさかお前に壊されるとはな」


 カミーラ様の楽しみを……私が奪ったのか?


 善意でやったつもりの行為が、実はカミーラ様にとって最悪の妨害行為だった。私はとんでもない過ちを犯してしまったのだ。


「そ、そうでしたか! それは申し訳ございませんでした」


 慌てて謝罪し、横に身を寄せる。今からでも遅くないはず。


「ど、どうぞどうぞ。さぁ、あの人間を追われてください。決してカミーラ様の狩りの邪魔はしません」


 しかし、カミーラ様は無言で私を睨みつけている。


 その視線の冷たさは、まるで私の魂を見透かしているようだった。逃れることも、隠れることも許されない、絶対的な視線。


「あ、大丈夫ですよ。周囲に人っ子一人いません。カミーラ様の潜入活動を妨げる要因はありませんので。転移でも魔弾でも十分にお力をお使いください」


 必死に取り繕おうとする。もしかすると、潜入がバレることを心配されているのかもしれない。


「オルティッシオ、そんなことは百も承知だ。貴様、我を舐めておるのか?」

「い、いえ、そのようなことは決して……」

「まぁ、いい」


 カミーラ様が一歩前に出る。その瞬間、空気中の魔力が震える。


「それよりかかってこい」


 その言葉と同時に、カミーラ様が臨戦態勢を取られた。


「えっ!? あの人間を追わないのですか?」


 混乱の中、必死に声を絞り出す。まだ理解できない。なぜカミーラ様は私と戦おうとされるのか。


「あいつは、我の学園生活に潤いを与えるおもちゃだ。すぐに壊すのはもったいない」


 カミーラ様の声には、ある種の愉悦が混じっている。エリザベスのことを、本当におもちゃとして楽しんでおられるのだ。


「それより今は貴様だ」


 そして——その視線が私に向けられる。


 もはや逃れようがない。カミーラ様の中で、私への処遇は既に決まっている。


 べ、弁解を——すぐに弁解をするのだ。今ならまだ間に合うかもしれない。


「あ、あの~私はティレア様のご指示で冒険者ギルドに潜入しているだけです。カミーラ様に反逆したわけではございません」

「知っておる。その潜入の過程で我と相対しておるのだろ!」

「ご存じでしたか。その通りでございます。これはやむをえずカミーラ様と相対したまでのこと。邪神軍の業務の一環ですよ」


 必死に正当性を主張する。けれども、カミーラ様の表情に変化はない。


「ふふ、オルティッシオ、小賢しいな。我は何もかも知っておるのだぞ」


 何もかも? 一体何を——


「貴様、こともあろうに直属護衛軍の地位をねだったそうだな」


 その言葉に、私の心臓が止まった。


 なっ!? なぜそれを!


 頭の中で、記憶が蘇る。


 ティレア様への嘆願、その場にはエディムがいた。


 ……そうか。


 あのチクリ野郎のせいだな。口の軽い半魔族め、許せん!


 あとで制裁をしてやる!


 しかし今は、そんなことを考えている場合ではない。カミーラ様は、私の野心を——ティレア様の寵愛を独占しようとする下心を、すべて見抜いておられる。


「オルティッシオ、貴様の強欲は気がしれん」

「はは、強欲なんてそんな気は……」

「まぁ、それも許せんが、あれだけお姉様の前でタンカを切ったのだ」


 タンカを切った——ティレア様の前で、ミュッヘンより先にSランクに到達すると宣言したあの時のことを言っておられるのだ。


「中途半端を我は許さん。ギルドの仕事に邁進するなら全力でこい」


 カミーラ様の真意が見えてきた。


 これは単なる怒りではない。これは——試練だ。

 私が本当にティレア様に相応しい実力を持っているのか、その覚悟があるのかを試そうとされているのだ。


 理解できた。しかし、その試練は——あまりにも過酷すぎる。


 カミーラ様からの重圧が更に増していく。もはや逃走も弁解も不可能だった。戦闘行為以外、認めてくれない。


 その瞬間、ティレア様の言葉が脳裏に蘇った。


「オル、あなた死にたいの?」


 ——ああ、そういうことだったのか。


 ティレア様はすべてをご存じだった。冒険者ギルドへの潜入が、いかに危険な任務であるかを。そして私が、その危険を理解していないことも。


 さすがでございます、ティレア様……。


 ご忠告の意味が、やっと理解できました。

 ギルド潜入がここまで凄まじく危険とは思いもしませんでした。命がけのレベルを、完全に舐めていました。


 どうやら玉砕する時が来たようです。


 涙で前が見えなくなりながら、最後の覚悟を決めた。


「カ、カミーラ様、胸を借ります……うぉおおおおおお!!」

「ふん!!」

「ふぎゃああああ!!」




 ★☆★☆★☆




 息を切らせながら、エリザベスは屋敷の門をくぐった。


 背後から追ってくる足音はない。それでも振り返ることができず、ただひたすら走り続けていた。心臓が破裂しそうなほど激しく鼓動している。


 あの化け物——オルティッシオの冷酷な瞳が、まだ脳裏に焼き付いている。


 仲間だと信じていた男が、一瞬で豹変して仲間を殺戮する姿。その圧倒的な力の前に、歴戦の勇士たちが虫けらのように蹂躙される光景。


「エリザベス様! どうされましたか!」


 使用人たちが駆け寄ってくるが、答えることができない。このみじめな姿を見られたくない。乱れた髪、泥だらけのドレス、恐怖に歪んだ顔——エリザベス家の令嬢としての威厳など、跡形もなく失われていた。


「下がりなさい。誰も私に近づくな!」


 金切り声で怒鳴り散らし、自室へと駆け込んだ。


 扉を乱暴に閉め、背中を扉に預ける。ようやく安全な場所に辿り着いた安堵感と、押し殺していた屈辱が一気に爆発した。


「くそっ、くそっ、くそぉおおお!」


 鏡台の前に立つと、そこには見るも無残な自分の姿があった。


 いつも完璧に整えられた金髪は汗と土埃で乱れ果て、高価なドレスは所々破れ、頬には涙の跡が筋となって残っている。


 こんな姿を——こんなみじめな姿を、あの銀髪の小娘に見せてしまったのか。


「許せない……許せないっ!」


 手当たり次第に化粧品を掴み、壁に叩きつけた。高価な口紅が砕け散り、真珠の粉が入った白粉が宙に舞う。次に香水の瓶を床に投げつけた。水晶のような美しい瓶が粉々に砕け、濃厚な薔薇の香りが部屋中に立ち込める。


 しかし、それでも怒りは収まらない。


 宝石箱をひっくり返し、中身を床にぶちまけた。高級な真珠のネックレス、一等品のダイヤモンドの指輪——それらすべてが冷たい床に散らばる。


「まただ……また負けたわ!」


 あの銀髪の小娘には、もう何度屈辱を味わわされたことか。それでも今度こそは——今度こそはオルティッシオという切り札で勝てると信じていた。


 それがまたしても打ち砕かれ、しかも頼みの綱だったオルティッシオまで敵に回った。


 鏡の中の自分を見つめる。悔しさを滲ませたその顔は、まさに般若と呼ぶに相応しい歪み方だった。


 唇を噛みしめ、じっと自分を見据える。このみじめな姿を二度と晒すものか——そんな決意が瞳に宿る。


 無法集団(アウトレイジン)の主力は全滅した。オルティッシオの裏切りによって、ビィトをはじめとする歴戦の勇士たちが一瞬で屠られた。


 オルティッシオの実力は本物だった。あの瞬間の速さ、容赦のない殺戮——彼が本気を出せば、自分の配下など虫けら同然だということが分かった。


「くそ、くそ、くそ!」


 もう一度叫び、壁を拳で殴った。白い拳に血が滲む。


 けれど、その痛みが逆に頭を冷やしてくれた。


 ——落ち着け。落ち着くのよ、エリザベス。


 深く息を吸い、ゆっくりと吐く。


 確かに状況は最悪だ。しかし、諦めるわけにはいかない。


 エリザベス家の名誉がかかっている。何より、あの生意気な銀髪の小娘に屈辱を受けた恨み——これだけは絶対に晴らさなければならない。


 主力の壊滅を知った残りのメンバーたちは、今頃憤慨し、すぐにリベンジしようと息巻いているだろう。けれども、それでは二の舞だ。


 ワタクシは、こいつらのように単細胞ではない。


 鏡の中の自分を見つめる。乱れた髪を直し、服装を整える。


 冷静に敵を分析しなければならない。


 敵の戦力は確実に増強された。オルティッシオが加わった今、有象無象をぶつけるだけでは無意味だ。


 最高の戦力を投入しなければならない。エリザベス家の財力と人脈を使えば、王国最高峰の戦士を雇うことも可能だ。けれど、それだけでは足りない。


 相手は只者ではない。普通の戦士では歯が立たない。


 ——そうだ。


 ワタクシには、切り札がある。


 数ヶ月前から接触を図っていた、あの組織。世界最高の殺し屋集団——漆黒殺戮団。


「エリザベス様。件の方、到着されました」


 家宰が待ち人の来訪を伝えてくる。


 やっと来ましたわね。


 漆黒殺戮団。世界一の殺し屋集団。裏世界のトップに君臨する。


 ちょうどいいタイミングだ。


「通しなさい」

「はっ」


 命令を下すと、家宰が一人の男を部屋に連れてきた。


 エリザベスは思わず眉をひそめた。


 見かけは中肉中背、どこにでもいそうな平凡な顔立ち。年の頃は三十代半ばといったところか。質素な茶色の外套を羽織り、腰には何の変哲もない剣を下げている。魔力もせいぜい人並み程度しか感じられない。


 これが世界最強の殺し屋? 冗談ではない。

 むしろ街角でパンを売っている商人と言われた方が納得できる。


 男は部屋の中を軽く見回すと、エリザベスの前で形式的に膝をついた。


「依頼主殿、お初にお目にかかる」


 ごく普通の声だった。特に印象に残るような特徴もない。


「漆黒殺戮団四天王の一人、リュコーだ」


 リュコー——名前だけは聞いたことがあったが、目の前の男はあまりにも平凡すぎた。本当に普通の男だ。むしろ貧弱と言ってもいいかもしれない。


「なんだ、なんだ? こいつが天下の暗殺集団の一人? ありえないだろ!」

「エリザベス様、もしや漆黒殺戮団の名を騙った詐欺なのでは?」


 外野が騒ぎ始めた。


 無理もない。こいつの外見はどう見てもただの一般人だ。オルティッシオの例がなければ、ワタクシも有無を言わさず叩き出していただろう。


「少し黙りなさい!」

「で、ですが……」

「黙りなさい!」

「は、はっ」


 騒いでいる外野を黙らせ、リュコーに問う。


「あなた、本当に漆黒殺戮団ですの?」

「いかにも」


 外野からの疑いの眼差しにも飄々として応えてくる。少なくとも重圧を跳ね返す胆力は持っているということだ。


 ただし、それだけでは実力のほどはわからない。こいつが本物かどうかは、標的にぶつけてみればよい。


「……いいですわ。それでは標的を教えます」


 銀髪の小娘、金髪の馬鹿娘の情報をリュコーに伝える。


 古武術の使い手。無法集団を次々と倒せるほどの実力を持つ。敵を褒めているようで忌々しいが、正確な情報を伝える。油断して負けるようでは目も当てられない。


「だいたいわかった」

「見かけに騙されないことです。奴らはただの小娘ではありません」

「古武術の使い手はだいたいそうだ。見かけはただの小人でも、その実力は大男を軽く凌駕する」

「わかっているようですね」

「あぁ、漆黒殺戮団を舐めてもらっては困る」

「頼もしい」

「では、報酬契約に移ろう」

「わかってます。成功の暁には、褒美は思いのままですわ」

「では、一人殺るごとに一億ゴールドだ。さらに前金で二千万ゴールドいただく。その他諸経費も都度申請する」

「はぁ? それはあまりに暴利ですわ。あなた、たかが小娘二人をやるだけで二億ゴールドも毟り取る気ですの!」

「ふん、さっきは小娘と侮るなと言ってたはずだがな」

「そ、それは……ですが、二億ゴールドは高すぎです」


 想定していた額と桁が違う。


 これまでにかかった費用も馬鹿にならない。別に出せない額ではないが、実力も不明で得体の知れない者にそこまで出しても良いだろうか……。


「エリザベス様、こいつやっぱり詐欺師ですぜ」

「そうだ。前金をもらったら、そのままトンずらするんだろう」


 外野が再び騒ぎ出す。


 自分たちより弱そうな男が、自分たちよりはるかに高い報酬を要求しているのだ。不満が噴出するのも必然である。


 今にも暴動が起きそうな雰囲気の中、


「ふ~しかたがない。これはサービスだぞ」


 リュコーが立ち上がった。


 ワタクシは目を疑った。さっきまでの人の良い顔が消え、代わりに冷酷な殺意が浮かんでいる。


 野次を飛ばしていた連中が一斉に口をつぐんだ。


 やはり三味線を弾いてましたか——そう思った次の瞬間。


 リュコーが動く。


 最初の男に近づく——いや、瞬間移動したかのように、既に男の隣に立っていた。男が振り向こうとした時には、リュコーの手が男の首筋に触れている。


「え?」


 男が困惑の声を上げた次の瞬間、ばったりと倒れた。息をしていない。


 二人目。剣を抜こうと腰に手を伸ばした男の動きが、途中で止まる。リュコーが軽く肩に触れただけ。それだけで男の身体が石のように硬直し、そのまま床に崩れ落ちた。


 三人目、四人目——。


 リュコーはまるで庭を散歩するかのようにゆっくりと歩き、軽く触れるだけで次々と人を倒していく。剣を振るうでもなく、魔法を使うでもなく。ただ触れるだけで。


「な、何ですの……」


 震え声で呟いた。


 屈強を誇った部下たちが、まるで眠るように次々と倒れていく。抵抗する間もなく、悲鳴を上げる暇もなく。自分が死んだことさえ理解できずに。


 なんて圧倒的……。


 これが天下の漆黒殺戮団なんですの!


 そして……。


 無法集団(アウトレイジン)、エリザベス家直属のボディガード、この部屋にいるワタクシ以外のすべての者が死に絶えた。


 リュコーは汗一つかかずにワタクシに近づいてくる。


「これで実力はわかったかな?」

「え、えぇ、噂に違わぬ実力ね。いいですわ。一殺一億ゴールド払います」

「契約成立だな」

「……それにしてもあなた一体何をしましたの? 屈強を誇ったワタクシの部下たちが何もできず死にました」

「依頼主殿、この世界で最も強力な毒はなんだと思う?」


 リュコーはワタクシの質問に答えず、ただそう質問で返してきた。そして、ニヤリと笑うとそのまま静かに部屋を出て行ったのだ。


 ふふ、勝てる。勝てますわ!


 この化け物なら奴らを完膚なきまでに粉砕してくれるでしょう!

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