第十話 「オルティッシオの奮闘(中編)」
冒険者ギルド——人間どもの職業斡旋場。
オルティッシオは南通りの大建物を見上げながら、内心で吐き捨てた。王都潜伏時に収集した情報によれば、ここで雑魚どもが己の身の程を知らぬ「冒険」とやらに身を投じるのだという。
そんな冒険者ギルドへ駆け足で向かう途中、狭い路地の向こうから男たちの影が現れた。
三人組——無精ひげを生やし、よれた服を着た典型的な街のゴロツキどもだ。彼らは行く手を塞ぐように立ちはだかり、わざとらしく足を投げ出して通路を封鎖した。
「へっへ。兄ちゃん、ここは通行止めだ」
「そうそう、通りたきゃ通行税を払いな!」
見るからに脆弱な人間どもが、身の程知らずに牙を剥く。王都の路地裏にたむろする典型的なチンピラか。近年、治安の悪化に伴い、この手の不逞の輩が街の至る所で増殖している。
——煩わしい虫どもめ。
立ち止まり、冷ややかな視線を三人に向けた。
「お~なんだ? やる気か! 命知らずな青二才だ」
人間どもの手には、二メートル近い長剣が握られている。刀身には乾いた血痕がこびりつき、刃こぼれも目立つ粗悪な代物だった。その血糊の量から察するに、こいつらは確実に人を襲って生計を立てている。
一人が剣を振り回して見せつけてくる。ぶんぶんと重い音が響いた。
——なんという雑音だ。
ミュッヘンと同じ剣士だからよけいにイラつく。ただでさえ神経が昂っているというのに、この耳障りな音は癇に障った。血管に熱い何かが流れ込んでいくのを感じる。
人間ども——調子に乗るのも大概にしろ。
もともとはティレア様が、カミーラ様やニールゼン隊長にお教えしたという魔力調整。今や邪神軍のメンバー全員が習得している。
かくいう私もニールゼン隊長から地獄の特訓を受けてマスターした。魔力を人間並みに抑える——言葉にすると容易いが、それがいかに技術を要するか。
魔力が高ければ高くなるほど難易度は増す。だから平団員ほど比較的早くマスターした。幹部である私はひときわ魔力が高く苦労した。だが、苦労の甲斐はあった。
魔力調整をマスターしたおかげで、戦闘力は格段に向上したのである。さすがはティレア様だ。今まで上限いっぱいだと思っていた魔力がぐんぐん伸びていった。魔拳の技術も確実にランクアップしている。
また潜伏する上でもこの能力は欠かせない。誰も我々を魔族とは疑っていないのだ。
ただし、こういう弊害がある——魔力を抑えているので、威圧が効かない。つまりは、こういう馬鹿な人間から舐められるのである。
人並みの魔力に抑えて以来、馬鹿どもに絡まれる機会は多い。虫どもは、掃いても掃いても次から次へと湧いてくる。
まったく急いでいるというのに……。
虫けらに構っている暇はない。彼らを無視し、歩調を早めた。
「ちょっと待ちな! 通行税がいると——」
立ち止まることなく、通路を塞いでいる男の足首を踏みつけた。魔力を抑えていても、人間の骨など容易く砕ける。
「ぐぎゃああ!」
絶叫を上げ、骨の折れる音が石畳に響いた。男は足を押さえて転げ回る。当然の結果だ——通るのに邪魔な虫は、容赦なく踏み潰すのが道理というもの。
「な、な、なにをしやがる!!」
残った二人が慌てふためく。
「足を折って欲しいのではなかったのか?」
「ば、ばかやろう! んなわけあるかぁあ!」
「そうか。足を自慢げに見せつけていたから勘違いをした」
ぽき、ぽきと指の関節を鳴らしながら、歩を進める。
「どうやら足だけでなく、全身を骨折したいのだな」
その瞬間、二人の顔が青ざめた。容赦のない暴力を目の当たりにして、ようやく事態の深刻さを理解したのだろう。彼らは脱兎のごとく路地の奥へと逃げ去っていく。
残されたのは、足を折られて蹲る一人の男だけだった。
「はぁ、はぁ、痛ぇええよ! くそ、俺はザマ親分の部下だぞ」
男は脂汗を滴らせながら、それでも威勢を張ろうとする。
「ザマだと?」
「はぁ、はぁ、へっ。七星と讃えられたエビル地区を統括する大親分さ。お、お前、殺されるぞ!」
骨折の激痛に耐えながらも、男は必死に恫喝を続ける。エビル地区のザマ——確かに聞き覚えのある名前だ。
そうか、こいつはあのザマの部下か。エビル地区には確実に富が集中している。この男を利用すれば、組織の内部構造を——
——いや、待て。何を考えている!
自分の思考を遮った。もはや金集めなど二の次だ。目標はただ一つ——ティレア様の直属護衛軍となること。財務などクソ参謀かミュッヘンにでも任せておけばよい。
つまりこいつは用なしだ。
死ね。
手の中に魔力が集約され、暗い紫色の魔弾が形成される。
「お、おい、冗談だろ! はぁ、はぁ、やめろ、わかった、金をやる!」
男は慌てて懐を探る。
「本当だ! ちょうど商家を襲ったばかりで大金があ——うぎゃああ!」
魔弾が男の胸を貫いた。暗黒の魔力が男の身体を蝕み、瞬く間に灰へと変える。
まったく、何が通行税だ。ティレア様が全世界を支配しておられるというのに、人間の分際で勝手に税を徴収するなど——不遜にも程がある。
生かしておいていただいているだけでも、感謝すべきことを理解していない。
そして、人間を浄化後、冒険者ギルドに到着した。
ついにその時が来た。
南通りで一際大きな建物が目の前に立ちはだかっている。
三階建ての石造建築——人間の分際にしては随分と背伸びした建物ではないか。正面には石柱が並び、大理石の階段などという無駄な装飾まで施してある。建物の頂上部には赤い旗がはためき、剣と盾を交差させた紋章が刻まれていた。
人間どもも見栄を張るのは一人前だな。
【冒険者ギルド】の看板が、正面入り口の上部に黄金の文字で刻まれている。陽光を受けてきらめくその文字——まったく、金の無駄遣いもいいところだ。
——なるほど、外面だけは立派に取り繕っているではないか。
王都潜伏時には一通り物色したが、ここは調査していなかった。治安部隊のレミリアとマイラとかいうクソ冒険者が邪魔で立ち寄れなかったからだ。
今度も邪魔をしてくるか? いや、魔力調整を覚えたのだ。前回とは違う。完璧に潜入できる。仮に正体がばれたとしても問題なし。奴らは、パワーアップした私の敵ではない。
重厚な木製の扉を押し開けた。
瞬間、人間どもの騒がしい声が耳に飛び込んできる。
「おい、ゴブリンの群れが出たぞ! 誰かやらないか?」
「薬草採取なら俺に任せろ!」
「昨日の依頼の報酬はまだか?」
うるさい連中だ。天井は妙に高く、太い梁が何本も走っている。壁際には依頼書とやらが貼られた巨大な掲示板があり、その前で雑魚どもが熱心に食い入るように見つめていた。
哀れなものだな。薬草採取程度の仕事に群がる有様とは。
中央部には長いカウンターが設置され、そこで数人の人間の女が忙しそうに書類をいじくり回している。カウンターの向こうには事務室らしき部屋が見え、制服を着た職員たちが右往左往していた。
まるで蟻の巣だ。せわしなく動き回る小虫どもの集まり。
そして何より呆れるのは、そこに集う自称「冒険者」たちの貧相さだった。
革の鎧に身を包んだ戦士——その筋肉の付き方は魔王軍時代の新兵にも到底及ばない。ローブを纏った魔法使い風の男——魔力が微弱すぎて感知するのも困難だ。弓を背負った射手——あの矢筒、中身は半分も入っていないではないか。武器すらまともに揃えられない。
こんな有象無象どもが冒険者か。確かに数は多い。だが、その大半は魔力の欠片も感じられない凡人ばかりだ。
ふん、外観に騙されるところだった。所詮は人間の作った張りぼて、中身は予想通りの雑魚の集まりというわけだ。
これなら、Sランク到達も鼻歌交じりで達成できそうだ。
冒険者についての知識は、王都潜伏時にある程度入手している。冒険者とは、要人の護衛をしたり魔獣を狩ったりするなんでも屋だ。まずは、受付で冒険者として登録をしなければならない。
受付はあそこか。
カウンターには「新規登録」「依頼受付」「報酬支払い」と書かれた札が掲げられている。几帳面なことだ。向かうべきは当然、新規登録の窓口だ。
そこに座っているのは、典型的な人間の女だった。
年の頃は二十代半ば、茶色の髪を後ろで束ね、紺色の制服に身を包んでいる。鼻の上には小さな眼鏡を掛けており、それが几帳面そうな印象を更に強調していた。
顔立ちは平凡——というより凡庸そのものだ。職業的な愛想の良さを身に着けた、見え透いた作り物の笑顔を浮かべている。
哀れなものだ。一生この狭い世界で書類をいじくり回して終わるのだろう。
女の前には几帳面に整理された書類の山があり、手元にはインク壺と羽根ペンが用意されている。まさに小役人の象徴のような光景だ。つまらん人生を送っているのが一目でわかる。
「登録に来た」
声をかけると、女は顔を上げて職業的な笑顔を見せた。まるで人形のような表情だ。
「冒険者登録でしょうか。初回の方は——」
「そうだ。手続きを急げ」
威圧的な態度にも動じることなく、女は事務的に答えた。慣れたものだな。毎日同じような雑魚の相手をしているのだろう。
「かしこまりました。一応、確認ですが、冒険者という職業は命の危険を伴います。本当によろしいですか?」
「いいに決まっている。覚悟などとうにできておるわ。最もぬるそうな手合の集まりで拍子抜けしているがな」
挑発的な言葉に、受付の女は眉をひそめた。図星を突かれて不快になったか。だが、すぐに表情を職業的な無表情に戻す。訓練された犬のようなものだ。
「……承知しました。それでは冒険者の心得について簡単なレクチャーを受けてもらいます」
「レクチャーだと?」
「はい。はじめて登録する方は、全員講習を受けてもらいます」
「レクチャーはいらん。さっさと登録しろ!」
受付の女は、それからくどくどと説教を始めた。いらいらする。その顔面を思い切り殴りたくなったが、我慢だ。登録できなくなっては元も子もない。
「わかった、わかった。説教はもう十分だ。そのレクチャーとやらを受ければいいんだろう?」
「……お願いします」
「気に食わないが、レクチャーを受けてやる。ありがたく思え。だからランクは飛び越してもらえるか?」
「それは無理です。まずはGランクからのスタートが決まりです」
「おい、そこら辺にいる有象無象どもと違い、私は規格外の力を持っている。チンタラ下から上がっていくつもりはない」
受付の女は呆れたような目に変わり、ハァとため息をつく。
生意気な女だ。殺してやりたいが、我慢だ。
「その辺もレクチャーでお話します。規則は遵守してもらわないと困りますよ」
「ふん、では原則で測れない人材が現れたらどうするんだ? 超優秀な人材だぞ」
「……登録やめますか? 規則を守れないのなら冒険者は遠慮していただきます」
受付の女は眼鏡をくいっと上げて、そう挑発してくる。
——イラッ!
瞬間、その女の顔面を殴りそうになった。なんとか理性を働かせ、腕を止める。登録するまで我慢だ。一つ深呼吸する。
「……わかった。Gランクからでいい。我慢してやる」
「それが規則ですので」
「で、GランクからSランクに上がるにはどうすれば手っ取り早い?」
受付の女はさらに呆れたような目をして、ハァと深くため息をつく。
——殺す!
いや、我慢だ。ここでこいつを殺したらデメリットしかない。なんとしてもミュッヘンより先にSランクにならねばならんのだ。
「何事にも近道というものはありません。依頼をこなしていくとF、E、D、C、B、Aと上がっていきます。地道に努力を続けるのが正道ですよ」
「正道など知ったことか! それよりランクを上げるにはいったいどれだけ依頼をこなせばよいのだ? 魔獣を千匹ぐらい狩ればよいのか?」
「……Gランクでは魔獣討伐はできません。基本的に薬草採取が主な任務です。だいたい二十から三十の薬草採取に成功すればFランクに昇格です」
薬草採取だと?
冗談ではない。そんなみみっちい仕事などやってられるか!
「あまりにチマチマして聞いているだけでうんざりする。で、その後は魔獣を狩っていけばSランクになるのか?」
「そんなに簡単なものではありません。魔獣討伐だけでなく商隊の警護、筆記試験などあらゆる分野で実績を積まないと上位ランクには到達できないでしょう」
筆記試験だと? ふざけるな!
「はぁ~もう御託はうんざりだ。説明は十分。何が筆記試験だ。腕で認めさせる。さっさと登録だけ済ませろ!」
「……ではこちらに名前、年齢、出身をご記入ください。戸籍書もお願いします」
「戸籍書だと?」
なんだ? どういうことだ? そんなややこしい書類など持っていないぞ。
「はい。あなたが王都在住の市民なら持っているはずです。王都外の方は、出身地の村長もしくは町長から発行された身元証明書、または領主からの推薦状が必要です。まさか不法入国者じゃないでしょ」
「え、ええと、書類はあったのだが、どこかに……」
「失くされたのですか?」
「くっ。ないと登録できんのか?」
「いえ。魔族による王都襲撃もあってか、失くされた方も多々いらっしゃいます。そういう方には再発行をお願いしていますが……」
——再発行!?
「そんなめんどうなことをせねばならんのか?」
「いえ、今のあなたのようにめんどくさいとかお時間がないとかでごねられる方もいます。事実、遠方から王都に来られた方の身元証明書の再発行は、とてつもなく大変になるでしょう。その場合は、有力者の紹介状、またはそれに準ずる推薦があればけっこうです」
そんなものもっとないわ。
人間に知人がいるとでも——いや、待てよ。あいつがいるじゃないか。
「おい、その紹介は冒険者でもいいのか?」
「人によりますね。あまりに評判の悪い冒険者からの推薦では受け付けません」
「ミュッヘン・ボ・エレトならどうだ?」
受付の女の表情が一変する。
「ミュッヘン様ですか?」
「知っているのか。なら話は早い。そいつなら保証人になるのか?」
「ミュッヘン様は、新人とはいえ品行方正かつ飛び抜けた実力をお持ちです。今も冒険者ギルド数々の記録を更新中です。彼が保証人なら問題ありません」
「そうか。そいつが俺の保証人だ。さぁ登録しろ!」
「……確認しますので、少々お待ちください」
「なに? 私の言葉が信じられんのか!」
「規則ですので」
この女やっぱり殺す!
いや、だめだ。抑えろ。抑えるのだ。直属護衛軍への道を閉ざすわけにはいかぬ。
「ちっ。早くしろ! さっさとミュッヘンを呼べ!」
それから受付の女はしばし他の職員とやりとりをしている。奴らは、ヒソヒソと陰口を叩いている。小声で話そうとも無駄だ。魔人の聴力で寸分たがわず聞こえる。
本当にミュッヘンの知人か、ミュッヘンの知人にしては粗暴極まりないと……。
ふん、くだらぬ戯言をほざく。
「おい! ぐだぐだとつまらぬ口を開く暇があったら、さっさとミュッヘンのクソ野郎を呼べ!」
職員どもを怒鳴りつけた。すると、ギルド内の会話が、徐々にヒソヒソ声からあからさまに聞こえるように侮蔑な声に変わった。
——おのれ! たかが人間如きの分際で!
それにしても、ミュッヘンはここでも高評価を得ている。職員の誰もがミュッヘンを称えているのだ。受付の女などミュッヘンを思ってか、頬を赤らめて絶賛している。
武人のくせに上におもねることばかり長じおって!
「おい、まだか! さっさとしろ。あの取り入るのがうまいゴマスリ髭野郎を呼べ!」
「おい、大概にしろよ。ルーキーがあまりはしゃぐんじゃないぞ」
1人の冒険者が肩を掴み、止めにかかる。冒険者は、銀のプレートを掲げていた。であれば、仕入れた情報から考えるに、こいつはB〜Dランクの冒険者ということになる。
ちょうどいい。腕前を見せるチャンスだ。
そのまますかさず裏拳をかます。短い断末魔と同時に冒険者の身体は、そのまま勢いよく後方に弾け飛んだ。冒険者は、白目を剥いて気絶した。
「「やろぉおおおお!!」」
さらにその冒険者の仲間なのだろう。その場にいた五、六人がみるみる怒りを露にして襲い掛かってきた。もちろん、追加でパンチをお見舞いし、返り討ちにする。
一瞬にして辺りは静まり返った。
驚愕する周囲の人間達。ギルドの職員も呆気にとられた顔をしている。
まったく、どこまで私を過小評価していたのだ。やっと実力の一端がわかったか。
ドヤといった顔で辺りを見回す。
あれほど陰口を言っていた人間達が愕然としていた。プルプル震えている職員もいる。
「くっく、さて実力はわかったな?」
「は、はい」
さきほど失礼な態度をした女の職員が震えながら答える。
「では、さっさと登録しろ。実力がわかったのならSランクでいいぞ」
「そ、それは規則で無理……ひぃ!」
「で、その規則とやらのせいで貴様は死ぬわけだが……代わりの受付を用意しておくんだな」
「ま、まって……あ♪」
受付の女が私の背後を見て嬌声を上げた。
誰だ?
振り返ってみると、いきなり首を絞められた。「ちょーくすりーぱー」という技である。
——く、苦しい。油断した。
ミュッヘンの野郎だったとは!
ミュッヘンの【ちょーくすりーぱー】は完全に極まっている。魔力を抑えたこの状態では外すことは難しい。
「すいやせん。知人が迷惑をかけたようで」
「ミュッヘン様! 良かった。この人がわけわからないことを言って暴れて大変だったんです」
「ご迷惑おかけしました。こいつはきっちり絞めておきやす。安心して仕事に戻ってください」
「ありがとうございます。で、でも、その人、なんなんですか? ミュッヘン様のお知り合いみたいですけど、あまりに粗暴極まりないというか……」
「はっは、こいつは同郷の者です。ただ、ちょいと頭のほうがねぇ~。村の鼻つまみ者なんですよ」
「そうでしたか。ミュッヘン様も大変でしたね」
酸欠状態に陥りながらも、ミュッヘンと受付の女の会話が聞こえる。
——な、舐めるな。
こうなれば魔力を全開放して外す。魔族の力を思い知れ。ここを焦土と化してやるわ!
魔力を開放しようとした瞬間、ミュッヘンが耳元に近づき小声で「ティレア様にご迷惑をかける気か?」と話してきた。
そうまで言われたら暴れるわけにはいかない。ティレア様は絶対のお方だ。
邪魔されてむかっ腹がたったが、ミュッヘンと一緒に外へと出る。
そして、周囲に人がいないことを確認したミュッヘンが、呆れたような顔で振り返った。
「何をしに来た?」
その声には怒りというより、面倒な問題を押し付けられた時の疲労感が混じっていた。
「冒険者ギルドはあっしの管轄だ。勝手に踏み荒らして、軍規違反もいいところだぞ」
「軍規違反ではない! ティレア様のご許可済だ。お前より先にランクを上げに来たのだ」
「ティレア様がご許可を? ......まあ、それならそれで構わん。だがな」
ミュッヘンが淡々と、まるで業務報告をするかのような口調で言った。
「オルティッシオ、お前は冒険者になれんぞ」
しばらくその意味がわからず、ポカンとしていた。
しばらく経つと言葉の意味が理解できる。みるみる怒りが湧いてきた。
「どういう意味だ、ミュッヘン! ティレア様のご許可をもらったと言っただろ。邪魔をするならこの場で勝負するか!」
「落ち着け、オルティッシオ。冒険者登録には身元が必要だ。それくらい知っているだろ?」
「あぁ、たしかに人間の戸籍がない。だが、お前が推薦してくれればよいではないか!」
「オルティッシオ、お前は治安部隊に指名手配されている。犯罪者は冒険者になれん。登録した瞬間に治安部隊が飛んでくるぞ」
その瞬間、世界が崩れ落ちた。
治安部隊の指名手配——レミリア。あの女の名前を聞いただけで、胸の奥で怒りが蠢く。王都潜伏時から幾度となく邪魔をされ続け、今度は冒険者への道まで閉ざそうというのか。
拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込み、血が滲む。その痛みすら怒りの炎に呑み込まれていく。
「あの女......あの女がぁああ!」
絶叫に、ミュッヘンは眉一つ動かさない。
「現実を受け入れろ、オルティッシオ。お前に冒険者は無理だ」
その冷たい現実宣告が、心を更に深く抉った。
——なんてことだ。またもやレミリアに行く手を邪魔されるのか。
レミリアを殺すか? いや、だめだ。レミリアは現在、ティレア様がなんらかの作戦のために必要な素材である。手を出すわけにはいかん。
治安部隊に狙われている以上、冒険者になれない。つまりは、ティレア様の直属護衛軍の道は絶たれたということだ。
そうだ、全てがわかった。最初から不可能だったのだ。ミュッヘンはそれを淡々と告げただけ。同情も慰めもない、ただの事実として。
「もういいだろ、オルティッシオ。諦めて財政の仕事に戻れ」
ミュッヘンがぶっきらぼうに言い放った。まるで仕事の割り振りを変更するかのような、事務的な口調だった。
もう何も言えなかった。ただ、足が勝手に動き出す。どこに向かうでもなく、ふらふらと歩き始めた。
「おい、オルティッシオ」
ミュッヘンが後ろから声をかけてくる。振り返ると、彼は困ったような顔をしていた。
「変なことは考えるなよ。ティレア様に迷惑をかけるような真似は——」
「うるさい」
それだけ呟いて、再び歩き出した。
絶望に支配され、足の向くまま王都の街を彷徨った。
石畳を踏む音だけが、虚しく夕闇に響く。どの道を通り、どの角を曲がったのか——もはや記憶にない。ただ、人々の視線を避けるように、自然と人通りの途絶えた路地へと足が向かっていた。
やがて、陽光の届かない薄暗い一本道に辿り着く。
両側に立ち並ぶ古い建物が、まるで墓標のように見下ろしてくる。壁面には黒ずんだシミが浮き、空気には湿気と腐臭が混じり合った不快な臭いが漂っている。足元の石畳は苔むしており、歩くたびにぬめりとした感触が靴底に伝わってきた。
——ここはエビル地区に通じる道か。
まさに心境を映し出したかのような、陰鬱で絶望的な場所だった。
座り込みたくなった。このまま地面にへたり込んで、全てを諦めてしまいたい。ミュッヘンが正しかったのだ。最初から勝ち目などなかった。
「へっへ、ここから先は通行止めだ」
「ここは地獄の一丁目。青二才、運が悪かったな」
影の奥から、下卑た笑い声と共に人影が現れる。
また虫けらどもか。三人の男——いずれも薄汚れた衣服に身を包み、顔には欲望と暴力の色を浮かべている。王都の闇に巣食う、典型的な人間の屑どもだ。
この街は一体どこまで害虫が繁殖しているのだ。まるで腐肉に群がる蛆のように、至る所から湧いて出てくる。いずれ大規模な駆除作戦を実行する必要があるな。
ただ——今は、むしろ好都合だった。
この憤懣、この絶望、このやり場のない怒り——全てをこいつらにぶつけてやろう。
「オルティッシオ、ひゃあくれぇ——っつけぇええん!!」
ティレア様直伝の奥義が炸裂する。
あたたたたたたたた、あたぁああああ!
神速の連打が空気を裂き、三人の身体を貫いていく。魔力を抑えた状態でも、人間程度であればこの威力で十分だ。彼らの身体に無数の風穴が開き、内臓が飛び散る。
「お前はもう死んでいる」
宣告と同時に、三人の身体が崩れ落ちた。
「ひゃははははは、そんだけ腹に大穴開けてんだ。こいつら全員死んでるに決まってるだろ!」
「誰だ?」
背後から近付いてきた長身の男が笑いながら近づいてくる。人間の仲間か? 駆除しようと右腕を振り上げる。
「おっと待った。俺の名はビィト。あんたに吉報を届けにきたんだ」
「吉報だと?」
「あぁ、すまんが、あんたの行動は観察していた。ゴロツキを一掃するところから冒険者ギルドでの騒動……見事なもんだ。オルティッシオ、あんた上位冒険者になりたいんだな。でも、登録自体できなかった」
「それがなんだ? 貴様ならなんとかなるとでも言いたいのか!」
「できる」
「なんだと!」
「ふっ、大方犯罪歴があって登録できなかったんだろ? 安心しな。なんにでも抜け道がある。俺に任せてくれば、あんたをすぐにでも冒険者にしてやれるぞ」
「そうなのか。ではやってもらおう」
「あぁ。ただし、あんたにはある組織に入ってもらう」
——組織に入れだぁ?
小虫の分際で片腹痛いわ。邪神軍の大幹部に向かってなんと不遜——まぁ、どうでもいいか。冒険者登録できさえすればいい。
「世の中、ギブアンドテイクさ。頼みを聞いてやるんだ。あんたも奉仕してもらう。でも、安心しな。いい組織だぜ。好きなだけ殺しを楽しめる」
「よかろう。入ってやる」
私の即答にビィトの目が光った。
「よい決断をしたな。うちのボスは気前がいい。いい働きをしたら褒美は思いのままだぞ」
褒美——金か? 今欲しいのは金ではない。
「それは、冒険者ギルドでの昇進も思いのままか?」
これが核心だ。金も地位も、全ては手段に過ぎない。求めているのは、ティレア様に認められること。そのためには、何が何でもミュッヘンより先にSランクに到達しなければならない。
「もちろんだ。ボスは各方面に強力なコネを持っている。ランク昇進も簡単だ」
「気に入った」
「では、改めて名乗ろう。俺の名はビィト。無法集団の長をやっている。メンバーのとりまとめ、たまにこうして有望な人材のスカウトをしているのだ」
「どうでもいい話だ」
「ふふ、どこまでも傲慢だな。一応、聞いておく。仕事の内容によっては相当えぐいこともしなきゃならない。大丈夫か?」
「だからどうでもいいと言っただろ。何がなんでも昇進しなければならん。邪魔をする奴はかたっぱしから殺す。ただそれだけだ」
「くっく、いい答えだ。気負いもしてない。仮にあんたの野望を邪魔しようものなら、王族であっても、あんたは言葉通り実行するだろう」
「当然だ」
「ふふ、ようこそ、オルティッシオ。組織はあんたのような【悪】を待っていた」
ビィトと名乗った小僧は、優雅に応える。
本当にどうでもいい。さっさと依頼をこなして上に上がりたいのに。本当に気障ったらしい野郎だ。こいつはどこかクソ参謀ドリュアスに似ているな。
——うん、用が済めばこいつも殺すとしよう。