第七十九話 「カーチェイスの弟子入り騒動(中編)」
翌日……。
邪神軍地下帝国のトレーニング室に入る。トレーニング室には【てつあれい】という筋力を高める道具が置いてあった。【てつあれい】は軽いものでも一トンはある。重いものは、二十トンを超えるとか。
すごい。今の私の筋力では、一トンの【てつあれい】を持ちあげるのも難しい。
邪神軍の軍団員は、そんな数トンもある【てつあれい】を軽々と上下に動かし、トレーニングをしている。
いつか、この人達と肩を並べてみせる。いや、追い越すのだ。メラメラと闘志を燃やして、部屋の中央に移動する。
中央では、ニールゼン様が腕を組み仁王立ちして待ち構えておられた。さすがは邪神軍の総司令だ。その佇まいにも隙がない。強者の匂いをぷんぷんさせている。
「お待たせしました」
「来たか……」
「はっ。ご指導よろしくお願いします」
「うむ。まずは貴様の実力が知りたい。全力で打ってみろ!」
ニールゼン様はどんと胸を叩き、構えもしないでボディをがら空きにしてきた。
全力……それは、魔瞬拳を使わない私本来の力を言っているのだろう。
ただ、今の通常の魔力ではニールゼン様を満足させる攻撃はできない。足りない魔力は、技術でカバーする。
私は、掌底の構えをとった。
「それでは、いきます。たぁあ!」
体重を乗せながら、全力でニールゼン様の腹にパンチする。内部破壊が目的の爆裂掌底だ。当たれば、確実に内臓を破壊させられる。
そんな技だが……。
バンと景気の良い音が出たが、それまでであった。
なんと鍛え上げられた腹筋なのだ。まるで分厚い丸太を叩いた気分である。内部に衝撃を与えたつもりが、浸透していない。ごく表層までしか圧力を与えられなかった。
手ごたえでわかる。
ニールゼン様は、ほとんどダメージを受けていない。
「舐めておるのか?」
「えっ!?」
「カーチェイス、貴様は曲がりなりにもオルティッシオを倒し、不意打ちとはいえ私に一発拳を入れたのだぞ。それが、この程度のパンチか? 真面目にやらぬなら殺すぞ!」
ニールゼン様が怒気を放つ。
くっ!? ビリビリと殺気が伝わってくる。
これだ。このプレッシャーは人間には出せない。今まで世界最強と言われた猛者達と戦ってきたが、邪神軍の方々の前では子供同然だ。
魔族の凄さを実感する。
この殺気を前に、下手な言い訳はできない。正直に答えよう。
「ニールゼン様、あの時は魔瞬拳という外法を使用していました。魔瞬拳は制限付きですが、本来の魔力を倍増させます。それは呪印による反則技です。今の私だと一瞬ですが、魔力を三倍まで引き出せますので、ニールゼン様の防御力を突き破ってしまうかと」
暗に怪我をさせてしまうと気遣ったのだが、ニールゼン様は心外とばかりに眉をよせる。
「カーチェイス、御託はいい。私は、全力を出せと命じたのだ。二度も言わせるな」
「……よろしいのですか? 大怪我、いえ死ぬこともありえますよ」
「ふっ。貴様のような小童に負けるようでは邪神軍総司令は勤まらん」
さすがにカチンときた。
これでも私は世界を震撼させた縛不出来者達のトップだ。
いいでしょう。死んでも知りません。いや、私如きに殺されるようでは、ティレア様の部下に相応しくないですね。
遠慮なく、魔瞬拳を発動させる。
呪印によって強制的に魔力を高め、拳に力を集めていく。瞬間的にだが、魔力は九万近くまで上昇したと思う。
「それでは参ります。魔瞬拳、三倍だぁあ!」
体重を乗せてニールゼン様の腹に拳を入れる。
手ごたえあり!
ズシンと重い衝撃が伝わ――ぐはぁああ!
拳を押さえて、その場に蹲る。
「未熟だぞ、カーチェイス」
うぅ、拳が砕けた。確実に指三本の中手骨が折れている。中指にいたっては、粉々になっているだろう。
ど、どうして……?
「はぁ、はぁ。に、ニールゼン様、い、いったい……」
「魔瞬拳と言ったか? 一度、喰らったのだ。技の特性は、理解している。貴様の拳に合わせて、私も魔力を一時的に増幅させたのだ。一瞬ではあるが、私の腹筋は、オリハルコン並に固くなっていたであろう」
「そ、そんなことが……」
魔族とは、これほどポテンシャルが高いのか。
魔瞬拳の要領で、まさか防御に応用されるとは思ってもみなかった。
「カーチェイス、何を突っ立っておる。次だ。次を打ってみろ!」
「も、申し訳ございません。はぁ、はぁ、今ので拳が砕けました。それに、魔瞬拳の副作用で……はぁ、はぁ、い、意識がもうろうとして……」
「カーチェイス、敵の前で泣き言は通用せんぞ。魔力が尽き、身体がぼろぼろな状態で、どれだけ身体を動かせるかが重要だ」
た、確かに……。
トレーニングが過酷なのは理解していたつもりだが、どこか甘えがあったのかもしれない。
そうだ。トレーニングと思うな。
ここは戦場と思え!
天下の邪神軍での修行だ。死ぬことも十分に考えられる。
「二、ニールゼン様、私が間違っておりました。右の拳が砕けたのなら、左の拳を使います。両手が砕けたら足を動かします」
「その意気だ。さらに言うなら、両手両足が使い物にならなくなったら舌を使え」
舌!? そうか!
「そうでした。ティレア様からの教育で学ぶべきでした」
「うむ。ティレア様はそういう気概を我らに教えてくださったのだ。貴様も拳が砕けたと泣き言を言う暇があれば、左の拳で殴り、両足で蹴り、さらには舌でこめかみを突き刺し、脳漿を飛び散らせるぐらいの覚悟を見せてみろ!」
「はっ。それでは参ります!」
「かかってこい!」
ニールゼン様の合図とともに、痛覚遮断、強制覚醒を使用した。
よし、動く!
魔瞬拳の副作用をはねのけた私は、ニールゼン様に向けて左の拳を使って殴る。
ニールゼン様は、鉄壁の防御でそれを返してきた。
破壊される左の拳。
もちろん、もう怖気づいたりしない。
左の拳が砕けたので、右足を使って蹴りを放った。
「脇が甘い!」
「ぐはっ! はぁ、はぁ、ま、まだまだ」
長年の暗殺技術で培った戦闘術がまるで通用しない。
もっとだ。もっと集中しろ。気配を遮断し、周囲に溶け込むのだ。
「ほぉ。多少、動きはよくなったか。だが、甘い!」
「ぐはっ!」
気配を殺し、フェイントを幾つも混ぜ攻撃した。
ここ一番で集中したベストな攻撃であったのに……。
はぁ、はぁ、はぁ、強い、強すぎる。
さすがは鉄壁のニールゼン。近接戦闘では最強と讃えられるだけはある。全ての攻撃を見切り、躱し、いなされ、反撃を受けた。
これが、邪神軍総司令の実力……。
ティレア様、カミーラ様が信頼されているのも頷ける。
もう、両手両足ともに一ミリも動かせそうにない。怪我と疲労困憊のため、意識が混濁し、視界の景色がぐるぐる回る。
も、もう立ってられない。思わずその場に座り込む。
「どうした? 立て。立つんだ。カーチェイス!」
「はぁ、はぁ、はぁ、す、すいません。も、もう……」
「カーチェイスよ。時間がもったいない。準備運動は終わりだ。本番行くぞ」
なっ!? 今までの組み手が準備運動!?
冷や汗が止まらない。
修行でここまで背筋が凍ったのは、生まれて数ヶ月で親から谷底に突き落とされたとき以来か?
これほど過酷なトレーニングは久しぶりだ。久しく忘れていた。
この後の修行はどれほど過酷か想像もつかない……って、待て、待て!
いくらなんでもオーバーワークだ。これ以上の修行はデメリットしかない。ニールゼン様は私を殺す気か!
「あ、あの、もう身体がもちません」
「なんだと! 貴様はその程度の覚悟でティレア様の弟子を希望したのか!」
「で、ですが、これ以上はオーバーワーク……」
「カーチェイス、二度は言わん。次に弱音を吐けば殺す」
な、なんという殺気……こ、殺される。ニールゼン様は本気だ。私が変わらなければ、言葉通りに殺されてしまう。
弱気な心を殺せ。私は殺人マシーン、過酷を極めた邪神軍団の一員になるのだ。
「うぅ、申し訳ございません。私が間違っておりました」
渾身の力を込めて立ち上がろうとするが、肉体がついていかない。
うぅ、だめだ。動かない。完全に魔力切れだ。生命力も枯渇しているような気がする。
「まったく軟弱な奴め。しかたがない。今日は初日だ。甘めにしてやる。カミーラ様、お願いします」
えっ!? カミーラ様がいらっしゃるのか?
修行に集中していて気付かなかった。
魔法体系の祖、この途方も無い軍団を背負うナンバー二の存在。そんな偉大なお方が私に手をかざしてくる。
そして……。
なんとカミーラ様が御自ら回復魔法をかけてくださった。
相変わらずなんて回復力だ。元来、魔族は回復魔法は苦手なはずなのに。
ほぼ全快した。
「カーチェイスよ。我とニールゼンが指導してやるのだ。成長なきときは死ね」
「はっ。ご期待に添えるように身命をかけて努めさせていただきます」
「カーチェイス、ひとます総評だ。貴様は殺し屋をしていただけあって、技術はまぁまぁだ。魔力の使い方、動き、戦闘スタイルは及第点を与えてもいい。私のフェイントにもすぐに反応し、対応策を考える知恵もある。飲み込みも速いほうなのだろう。だが、身体能力が低い、低すぎる。人種のせいもあるが、鍛えろ。せめて魔瞬拳五倍は耐えられる肉体を作って見せろ」
「ははっ」
ニールゼン様の総評を聞き、トレーニングの初日が終わった。
今日は初日というだけあって軽めに終わったとのこと。
こ、これが軽め!? じゃあこの後はどうなるのか?
想像するだけで寒気がしてくる。だが、逃げはしない。止まれない。己がどこまで上り詰められるか。そして、このトレーニングの先には、ティレア様の弟子へと通じる道があるのだから。