第六十四話 「エディムとヒドラーとの会合」
大国の大使は、小国の王に頭を下げない。
邪神軍と魔王軍の戦力にそれほど差があるとは思えないが、それぐらいの気概でいるべきだ。あのバカの代わりに私が大使を務めるのだ。失敗は許されない。侮れないように、そしてこちらの要求を飲ませなければならない。
精神を奮い立たせ、ヒドラーがいる広間へと向かう。
広間に着くと、そこはさらに豪奢な造りをした魔殿があった。まるでお伽噺に出てくる神殿だな。
美しい。そしてなんて荘厳なのだ。
飾られている豊富な種類の調度品、天井は様々な彩りのガラス窓が敷き詰められ美しく調和している。この広間だけで国宝級の品がいくつも飾られているのだ。アルクダス王国の王宮とは天と地ほど違う。まさに邪神軍の財宝庫と双璧をなすといえるだろう。
もちろん、すごいのは部屋の荘厳さだけではない。
広間の両脇には一際戦闘力の高い魔人が整列している。下っ端ではない。一人一人が一線級の戦闘力を持った高位の魔人達だ。そんな高位魔人達の中でも上位に位置する存在。左の最前列に六魔将ポー、右の最前列には大剣を装備した刀傷の男がいた。おそらく剣技がずば抜けているという六魔将ザンザであろう。
そして広間の中央には……。
玉座に座り、全身を鎧で覆った化物。全身を覆う覇気が溢れんばかりに押し寄せてくる。ここにいるすべての者を軽く凌駕する覇気だ。
規格外の魔人共を従え、全てを睥睨する。
魔王ゾルグの懐刀。魔王不在の今、魔王軍で最強を誇る存在。
こ、これがヒドラー……。
圧倒される。魔王軍総督は伊達じゃない。バカティッシオを子供扱いした六魔将ポーですらこの男と比べると小さく思えてしまう。
「よく来たな。我が魔王軍総督ヒドラーだ」
「……」
「これ。ヒドラー総督のお言葉だぞ。返事をしろ!」
「す、すみません。わ、私は邪神軍外交大使アルハス・エディムと申します」
総督ヒドラーの傍らにいる小男から一喝され、慌てて返事を返す。この小男は多分、魔王軍の情報部を司るヨーゼかな。事前にニールゼン様から伺っていた情報と照らし合わせて、その容貌が一致するので間違いはないと思う。
「跪きたまえ」
「えっ!?」
「何を呆けておる。ヒドラー総督の御前である。不敬であろう」
どうする?
そこまで言いなりになれば邪神軍の面子が丸つぶれだ。この後の外交交渉でも手綱を握られっぱなしになるだろう。ここは、強気の姿勢を見せるべきだ。
お腹に力を入れ、きっとヒドラーを睨む。
「た、大国の大使は小――ひぃい!」
思わず頭を下げ、跪いてしまった。
小国と言いそうになった瞬間、ヒドラーが強烈な殺気を放ったからだ。ガクガクと身体が小刻みに震えてしまう。
だめ、これ以上、強気にはでれない。
「うむ、それでよい」
ヨーゼは満足げに頷く。
出鼻をくじかれてしまった。
と、とにかく親書を渡して相手の出方を見よう。
ヒドラ―から許可をもらい頭を上げ口上を述べる。
「ヒ、ヒドラー総督。今日は邪神軍大使として邪神ティレア様からの書状をお持ちしました」
「うむ。ちこう寄れ」
「は、はい」
ヒドラーの言葉を受けて立ち上がると、その玉座へと近づく。
針の山を歩くように足が竦むが、勇気を振り絞って進んだ。そして、玉座から数メートルの位置まで移動し、ヒドラーを見る。
間近で見るとより圧倒される。ゴクリと唾を飲み込む。ヒドラーの覇気が私の全身を焼き尽くしてしまいそうだ。
親書をヒドラーの傍らにいたヨーゼに渡す。ヨーゼは親書を受け取ると、そのままヒドラーの眼前に持っていき手渡した。
ヒドラーは黙って親書を読んでいる。
怒ったか?
ヒドラーの表情からは心中はのぞけそうにない。客観的に考えて、あまりに邪神軍に有利な内容だ。怒ったとしても不思議ではない。
怒った? 怒ってない?
ヒドラーの沈黙は続く。
うぅ、沈黙が怖い。
怒っているかどうなのか、はっきりしないとこの後の対応が決められない。
そして、しばらく無言で親書を読んでいたヒドラーだったが、
「くっくっく、はっはははは!」
おもむろに高らかと笑いだしたのである。
「総督どうされましたか?」
「ヨーゼ見るがよい」
ヒドラーは笑みを浮かべて親書をヨーゼへと手渡した。今度は、ヨーゼが食い入るようにその親書を読んでいる。
「なっ!? このような」
ヨーゼは絶句していた。ヒドラーのように気持ちを隠していない。こんな条文ありえないという表情をしていた。
予想通りの反応。
だが、どんなに理不尽な内容であろうともこのまま交渉を進めるしかない。それが邪神軍上層部のお考えなのだから。
「内容は理解していただけたでしょうか? こちらとしては速やかに調印してもらいたいのですが……」
「ふ、ふざけておるのか! こんな馬鹿げた内容でよくほざいたな」
ヨーゼは顔を真っ赤にして叫んだ。広間の両脇にいる魔人達もざわざわと騒ぎ始めている。条文を読んでいなくても二人の反応からおよその内容が察せられる。魔王軍に不利な条件を突きつけたと推測した魔人達からギロリと睨まれた。
ひるむな。どんなに周囲から刺すような殺気を受けようとも折れるわけにはいかない。
「ふざけてません。我が主君ティレア様はコウアンの所業に怒り心頭です。その怒りは、大地を割り、民を数千人殺しています。実際、いくつかの街がペンペン草も生えないほどに荒廃しました。現在も悔し紛れに街の一つや二つを破壊されておられるのです」
……多少、誇張しているが、ティレア様がコウアンの所業に怒りを覚えておられたのは事実だ。それにティレア様のお力なら造作もない話である。ここは嘘でもいいから強気で押す。
「ティレア様の八つ当たりでこの被害ですからね。当事者がいる魔王軍に対して、どれほどお怒りなのか。私は想像するだけで身も凍る思いです」
「貴様、我らを脅す気か!」
ヨーゼが血相を変えて叫ぶ。他の魔人達も動揺している。
「いえいえ、脅すなどめっそうもございません。私は事実を述べているだけです。実際、我が主君を宥めるのに部下数千人が犠牲となりました。そしてやっとのことで『この条件で許す』とのお言葉をいただいたのです。それなのに、条件を飲まないのでしたら、もうティレア様をお止めすることができませんよ」
「むむむ、それは……」
魔人達が苦渋の顔をしている!?
これは、ティレア様が魔邪三人衆を退けたことが大きく影響しているようだ。情報では魔邪三人衆のせいで魔王軍が壊滅の危機に陥ったらしい。そんな巨大な相手をくだしたティレア様に、魔人達はかなり脅威を抱いているみたいだ。
ここはダメ押しといこう。
「いいんですね? ティレア様は今もお怒りです。天空を飛ぶ翼竜から地を這う地龍まで全ての生きとし生ける者を根こそぎ、ちぎっては投げちぎっては投げしているティレア様です。このままお怒りが続けば、この世に生物はいなくなるでしょう」
本当はパンケーキをお作りで、小麦粉をちぎってはオーブンに投げ入れているだけだが、まぁ、いいだろう。ティレア様のお力ならドラゴンも小麦粉も一緒のようなものだ。
「ふむ。邪神の力は我がよく知っている。決して侮るべきではない。なればこの条約、前向きに考えるとしよう」
「総督、本気ですか!」
「無論、この条件を全て飲んでは魔王軍の沽券に関わる。そこは大使であるお前もわかっておるな?」
「い、いや、しかし……」
「さすがにこれを全て受け入れるのは無条件降伏に等しい。それは魔王ゾルグ様に申し訳がたたぬ」
「い、いいんですか? ティレア様が乗り込んできますよ」
「致し方がない。我らにも誇りがある。たとえ巨大な敵であろうともひくわけにいかぬ。魔王軍総員で一戦交えようではないか!」
くっ。さすがにこれ以上刺激するのはまずいか。
とにかくベストよりベターを目指す。できるだけ親書の要求に近い条件を飲んでもらうしかない。
「わかりました。こちらも大使としてこの外交を成功させる義務があります。できるだけ双方に不満のない内容にしましょう」
「良かろう。まずは第一条約の件だが……」
第一条約:戦犯コウアンの引渡し。
これは絶対に遵守してもらわないと困る。戦犯を野放しにしては話にならない。
「ここは譲歩する気はまったくありません。コウアンの引渡し、これは絶対に守ってもらいます」
「よかろう」
「えっ!?」
ヒドラーは、すんなりと承諾する。仲間を簡単に手放すとは思わなかった。少々面食らったが、頷いてくれるならそれでいい。
ヒドラーが命令を下す。
すると、檻車に乗せられたコウアンらしき人物が運ばれてきた。その男の髪はぼうぼう、髭も伸び放題で幽気のような顔をしていた。
私はコウアンの顔を知らない。傍らにいるキャスを見る。キャスはコウアンの顔を知っている。私の「コウアンか?」という視線に、キャスはコクりと頷く。どうやら本物らしい。
檻車で運ばれてくるコウアンは、やつれていた。
もしや、ずっと牢獄に繋がれていたのか?
離間の計を図り、邪神軍を混乱させた功があるというのに、功労者の扱いではない。
「な、なぜです? 私は、私は……なぜ、このような扱いを受けるのです!」
案の定、コウアンは不平不満をぶちまけていた。
「コウアン、貴様はゾルグ様を裏切った」
「も、申し訳ございません。それは一時の気の迷いでした。愚かでした。反省してます。二度と同じ過ちを繰り返しません」
「言いたいことはそれだけか?」
「そ、それに離間の計をはかり邪神軍に混乱を起こさせました。ど、どうかこの功をもってお許しを!」
「ならぬ。一度でもゾルグ様を裏切った罪は重い。貴様には相応の報いを与えねばならぬ」
「ま、待て。待ってく、ださい。も、もう一度チャンスを……」
「塵となるが良い」
ヒドラ―が手をかざし、空間が捩れる。コウアンの首周辺に魔力の渦が出現し、そのままコウアンを包み込んでいく。
そして……。
「ひっ! ぎゃあああ!!」
コウアンの悲鳴が部屋中に響いた。
な、なんという荒業……。
吸血鬼としての鋭敏な動体視力がそのさまを克明に捉えた。
ヒドラーが右手を振るうや、コウアンの首がねじ切られていき、最後は爆発したのだ。辺り一面に血のシャワーが降り注ぐ。
「これで良いか?」
「そ、その首から上が……」
「なんだ? 文句でもあるのか?」
「い、いえ。ありません」
「では第一条約は守られた」
コウアンの首から上がぐちゃぐちゃに破損して持ち帰れないが、しかたがない。コウアンは死んだ。それで幹部の方々には納得してもらおう。
け、決してヒドラーにビビって追求できないわけではない。
「次に第二条約の件だが……」
第二条約:賠償金一兆ゴールド。
小国の国家予算に匹敵する金額である。こちらに被害がない状況で、どこまでお金を引っ張れるか。
半分……無理だな。せめて三分の一でも賠償金として認めてほしいところだ。
「受け入れようではないか」
えっ!? 賠償金をすんなり受諾してくれるとは思わなかった。
「本当に一兆ゴールドも払ってくれるのですか?」
「何を言う。払っただろう? 先日お前達が我が軍の調度品を運んでいたのは報告に挙がっておる」
がはっ!
や、やはり気づいてた。
ここでそのカードを切ってくるとは……。
「な、なんのことやら……」
「とぼけても無駄だ。証拠を見せても良いが、そこまでの手間を我らに取らせる気か?」
ぐぅの音もでない。これはさっさと認めたほうが相手の心象を悪くしないで済みそうだ。
「……わかりました。それでは賠償金の一部とさせていただきます。ただ、素晴らしい調度品でしたが、それでも一兆ゴールドには届きません。残りの賠償金も払っていただけるのですよね?」
「我が兵士の殺害」
「うっ!?」
「魔王軍に弱兵はいらぬ。だから、お前達如きに殺された奴らの仇をとろうとは思わん。だが、奴らは魔王ゾルグ様の所有物だ。その所有物を壊した賠償金を払ってもらおう」
そ、そういうことか。
全てお見通しだったのだ。当然か。何せ魔王軍のど真ん中で騒ぎを起こしたのだ。魔王軍の情報部がそれを察知できないはずもない。
まずいぞ。この流れでは賠償金が一ゴールドも取れない気がする。
「そ、それでは調度品に兵士殺害の賠償金も含ませてもらいます。ただ、それでも一兆ゴールドには届きませんよね?」
「勝手に我が軍の所有物を窃盗した罪。兵士を殺した罪。ここで問うても良いのだぞ?」
「うっ……」
「第二条約についてはこれで終わりだ」
「は、はい……」
バカティッシオのせいでこれ以上粘れなかった。これでは実質賠償金を取れなかったに等しい。
「最後に第三条約の件だが……」
第三条約:魔王軍、邪神軍の国境確定。チシマ・カラブトの交換。
賠償金を取れなかったのだ。ここは是が非でも成功させなければならない。
「第三条約はさすがに全て受け入れるのは難しい。何せカラブトの半分は、既に基地を作っているからだ」
「わ、私も譲歩はできません」
「お前の立場ならそう言うだろう。それで提案だが、カラブトの南半分と交換ではどうだ? それでもチシマと比べるまでもなく広い。邪神軍に有利な条件だ」
確かにその通りだ。さすがに前提条件が無茶苦茶な上、バカティッシオのせいでだいぶ魔王軍に借りを作ってしまったのだ。ここまでかなり譲歩してもらったといっていいだろう。
これ以上ゴネても現状より悪化する可能性が高い。この辺で手を打つべきだ。何せ相手は魔王軍だ。どんな隠し玉を持っているか知れたものじゃない。逆転の一手を刻々と狙っているかも。
「わかりました。それで良いです」
「うむ。ただし、こちらからも一つ提案したい」
そらきた!
獰猛な魔王軍がこんな温い交渉をするはずがない。
「提案とはなんでしょうか?」
「それはだな。ひとまず我ら魔王軍と邪神軍は休戦といかないか?」
「それは同盟という意味ですか? さすがにそれは私の一存では決められません」
「いや。ともに天下を目指しているのだ。同盟などという馴れ合いはせぬ。だが、お互いまずは地盤固めを優先しようではないか。まぁ、いわゆる中立宣言だ」
邪神軍と魔王軍の休戦協定ということか。
邪魔中立宣言……。
一見、公平だが、違う。時間をかければかけるほど邪神軍は不利になる。おそらく魔王復活の時間稼ぎをしたいのだろう。
ヒドラーめ、これが本来の目的だったんだな。
「中立宣言でも同じです。そんな大事を私が勝手に決められるわけがないです」
「お前、ここまで譲歩したヒドラー総督の面目を潰す気か! なんなら交渉決裂で八つ裂きにしても良いのだぞ!」
両脇にいる魔人達が騒ぎ出す。両脇からの凄まじい殺気に冷や汗が止まらない。だが、勝手に条約を結んで帰ったら、私が邪神軍の幹部達に殺されてしまう。
「なんと言われようとも私が勝手に休戦を決めるわけにはいきません」
「邪神軍大使よ。そこはお前の腕の見せどころだ。帰って邪神を必死に説得するが良い。我らもできればことを起こしたくはないのだ」
「で、でもさすがに……」
「貴様は子供の使いか! 手始めに貴様を釜茹での刑に処してもよいのだぞ!」
「そうだ。グダグダ抜かすなら、この場で喰ってやるからな!」
煮え切らぬ私の態度に、両脇に控える魔人達から恐ろしい罵声を浴びせられた。私の戦闘力が低いせいか、舐められているみたいだ。
しょうがない。ここはまたティレア様のご威光を頼みにするしかないようだ。
「私を殺したらティレア様が黙っておりません。必ずやあなた達を根絶やしにするでしょう」
「そ、それは……」
ティレア様のお名前を出したら効果覿面であった。シュンと大人しくなる魔人達。これはチャンスだ。このままティレア様のご威光をお借りして交渉を有利に進めよう。
「私はティレア様の名代です。それをお忘れなきようにお願いします」
「く、くそ。ゾルグ様さえいらっしゃれば……」
「魔王が復活したとしても無駄です。ティレア様の前では赤子同然ですよ」
「口が過ぎたな」
「えっ!?」
「何をわめこうが構わんが、ゾルグ様への不敬だけはこの我が許しはせんッッ!」
「ひぃい!」
ヒドラーの強烈な殺気に後ずさりする。
し、しまった。調子に乗りすぎた。
主君をバカにされたヒドラーが凄まじい覇気を放ってくる。
こ、殺される。
ヒドラーは玉座から立ち上がると、一歩一歩こちらに近づいてくる。
キャスはその強烈な覇気を受けて気絶した。私も気を抜けば気絶しそうだ。
「あ、あ、あ……」
体中の血液が逆流するほどの恐怖……。
歯がカチカチと鳴り、足は震えっぱなしであった。
怖い、怖い、怖いィ!
ヒドラーがその豪腕を振り上げる。まだ触れてもいないのにナイフで胸元を抉られたかのような戦慄が走った。
ヒィイ!
恐怖のあまりジョロジョロと小便を漏らしてしまった。黄金水が広間の絨毯に染み渡っていく。
「くっく、ヒドラー様。どうやらこやつ小便を漏らしたようですぞ」
「なるほど。本当に子供の使いのようだ。子供にムキになっては魔王軍の沽券に関わる」
ヒドラーは振り上げた拳を下ろし、また玉座に腰を下ろした。
「小便大使よ。条件は先ほど言った通りだ。我らの返事を持って帰れ。良いな」
「は、はひ」
なんとか返事をし、へなへなとその場に座り込んでしまった。