第三十四話 「エディムと受難の日」
某月某日、それはエディムにとって忘れがたい受難の日であった。
7:00 地下帝国に出勤。
学園寮から邪神軍地下帝国へと出勤する。地下帝国への入り口、料理屋ベルムに入り、ティレア様と出会う。早速、ご挨拶。
「おはようございます」
「お、おはよう」
うん!? どこかティレア様の顔がぎこちないような気がする。いつもは満面の笑顔で迎えてくださるのに……。
私、何かそそうをしでがしたのだろうか?
いや、何を考えている。主の気持ちを探るなど不敬だぞ!
違和感を振り払い、そのまま吸血部隊の駐屯部屋に入る。駐屯部屋に入ると、眷属達から執拗に挨拶される。毎度ながらうざい。
特に、ジェジェ!
会うなり「ご機嫌麗しゅう」だの「崇高で偉大なるエディム様」だのおべっかがうっとおしい。
はっ!? もしやティレア様も配下達の挨拶がうっとおしくなられたのでは?
だとすれば、毎日の挨拶は不要なのか……いや、だからといって配下が主に挨拶をしないなんてそんな恐れ多いことはできない。
7:30 吸血部隊報告会。
部屋の上座にあたる場所で眷属から報告を聞く。周辺に異変がないか、不穏な動きがないか逐一チェックする。前回の悪鬼騒動では、情報不足による手痛いしっぺ返しを受けた。屋敷の要塞度、悪鬼がゴードンでなくニィガだった事実。そして、ニィガの予想外な戦闘力だ。計画通り一次眷属数人で悪鬼討伐をしていたら失敗した可能性が高い。
今後、同じ失敗を重ねないため、情報の精密度を増すように話を進める。
「エディム様」
「なんだ?」
眷属のダルフが部屋の外を指す。
そこには……。
ん、ティレア様!?
なぜか部屋にお入りにならず、窓からこちらを窺うように隠れているティレア様のお姿があった。
……一体、何をされたいのだろう?
何かご用事があるのか声をかけようとすると、さっと顔を背けられる。
ん? ん? ん?
ティレア様の態度に困惑してしまう。
「エディム様、いかがいたしましょう?」
「そ、そうだな。 とりあえず会議を進めよう。ティレア様は、なぜか私と話がしたくないみたいだ」
「あやつは君主としての自覚があるのか! まったく愚かにもほどがある。エディム様、なんなら私が追い払ってきましょうか?」
「このぉ! 不敬者がぁっ!」
「ふぎゃあ!」
ジェジェに拳を叩き込む。あまりな発言に力が入りすぎた。ジェジェは、泡をぶくぶく吹いて床に倒れ込んだ。
頭蓋骨陥没したか? まぁ、死んでも構わん。
ったく何度言えばわかるのか。私は主でない。この地下帝国、ひいてはこの世界を束ねるお方はティレア様、カミーラ様だ!
ジェジェは、物覚えが悪すぎる。いや、頭が固いのか。君主とはどうあるべきか固定観念に縛られている。カミーラ様はともかく、ティレア様はその辺に無頓着なお方だからジェジェが暴走するのだ。
とにかくジェジェは後でこってり絞るとして。ティレア様の思惑が知りたい。私にご用事があるのならお声をかけるはず……。
うーん、わからない。ティレア様の意図がさっぱりだ。だが、主君が話されないのに、こちらから真意を問いただすなんてできない。
8:30 トレーニング開始。
重力室Dに入る。前回の悪鬼討伐では不覚にも気絶してしまい、あやうく命を落とすところであった。カミーラ様がいらっしゃらなければ、私の命は一巻の終わりだったのである。バカティッシオの横槍があったとはいえ、これは余りにも不甲斐ない出来事だ。
鍛えなければならない。
必殺技の調整を行う。まずは準備運動だ。腕立て、腹筋と黙々とこなす。
次に、カミーラ様に頂いた私専用の鉄アレイ、五百キログラムを持つ。ずしんと衝撃が伝わる。この重量を限界まで上下に振るうのだ。魔力で底上げせずに身体能力のみで動かす。
き、きつい……。
重力負荷がかかった状態での筋トレはさすがにこたえる。
鉄アレイを使った運動が終わり、人心地つく。それにしてもトレーニング室に配置されてある幹部特製の鉄アレイ……。
数トンの重さを常備してあるのだ。一度、手にとり持ってみたが、あやうく落としそうになった。幹部の方々の剛力具合がわかる。
特に、カミーラ様に至っては五トンの鉄アレイをお使いになっておられるのだ。
五トンって……。
吸血鬼の力など小粒の存在だと実感してしまう。私は邪神軍にとって掃いて捨てるほどの者、カミーラ様は雲の上の存在なのだ。
だが、だが、だ~が、しかし! そんな規格外の方々の中でなんといっても極めつけはティレア様である!
ティレア様は専用の二十トンの鉄アレイをお手玉した挙句「こんなもの水車のごとくよ」と、ぶんぶん振り回されるのだ。
また百倍の重力室にいるときも「なんか眠くなっちゃった。ここで仮眠を取るわね」と、あのとてつもない負荷の部屋で普通に横になられるのだ。もう、ティレア様の前では、世界の理など吹き飛んでしまう。
ティレア様、あなた様の深遠なるお力を――って、ここもですか!
見られている。すごく見られています。
重力室Dの扉からこちらを窺うティレア様。あえて拙い尾行術をお使いになっているのは何故なのでしょうか?
ティレア様はまるで村娘が浮気を疑って恋人を尾行するかの如く、あからさまな監視をされておられるのだ。私がティレア様の方角を振り向くと、顔を背けられ、口笛を吹きながら知らん顔をされる。
……もうお声をかけたほうがいいのだろうか?
「ティレア様、何か御用でしたら――」
「アーイッケナイ! オ鍋ノ蓋ガ開ケッ放シダッタ」
そうおっしゃられて踵をかえすティレア様。
……わかりました。ティレア様はいらっしゃらないものと思って行動すれば宜しいのですね。
11:30 邪神軍会議。
第二十五回邪神軍定例会議。いつも会議を欠席されるティレア様が今回は出席される。しかも「自分はいないものと思って始めてくれ」とおっしゃられた。そうは言っても久方ぶりにティレア様がご出席になるのだ。皆の緊張が違う。
幹部の方々もいいとこ見せようと、はりきって意見を述べている。バカティッシオに至っては、明らかに手柄を水増しして報告しているよ。どうして三日前できないといってた案件が、既に終えているのだ? おかしいだろう!
バカティッシオは、発言の度にちらちらティレア様を見ている。きっとアピールしているんだろうな。でも、無駄無駄。ドリュアス様には通じない。
ほら、懇々と矛盾を追及されているよ。くっく、まったく馬鹿すぎる。
「オルティッシオ。貴様、子供でもわかる戯言をほざきおって。それは捏造だ」
「い、いえ、本当に……その資金を調達できたんです!」
「では、その入手経路を正確に報告しろ!」
「だ、だから……そう。あれから遠征を二百回成功させておりまする。その際に調達した次第であります」
だ、だめだ、こいつ……。
お前の理屈だと一日、十回以上遠征していないと無理だぞ。どう考えても計算合わないだろうが!
結局、バカティッシオはカミーラ様に「いい加減にしろ!」と一喝され、すごすごと引き下がった。
この失態では、さすがのティレア様もあきれてはてているだろう。何気なしにティレア様を拝見する。なぜかバカティッシオでなく、私のほうをじっとお見つめになっていた。
な、なぜ……?
そして、なんでこうなったのか……私が会議での消極さを皆から糾弾される羽目になったのである。
うぅ、私如きが意見なんて……。
ドリュアス様のご指示が完璧な分、自分は担当部分さえ報告すればいいと思っていたのだ。
幹部の方々からの罵倒の嵐。冷ややかなカミーラ様の眼差しが辛すぎる。
「エディム、貴様の態度は許しがたし!」
「黙して語らず。発言無きお前の態度がティレア様のお心に背いているのだ!」
「右に同じ。私ばかり責められてずる――ごほん、エディムのような無駄飯ぐらいは、邪神軍にとって害悪にほかならない!」
くそ、バカティッシオめ! これ幸いと便乗して批判してくる。
まずい。このポジションはバカティッシオの役目だ。断じて私の役割ではない。
必死に抗弁するが、ティレア様が「責めているわけじゃないんだけどね」とおっしゃりながらお責めになる。
ティレア様、後生です。ご理解ください。あなた様の発言は、幹部の方々を大いに刺激するんです。
幹部の方々の追及。そして、フォローしているようで私を追い込んでいくティレア様の発言……。
進退窮まった私は膝まづき、土下座して許しを乞う。
「エディム、我に恥をかかせおって。この屑眷属がぁ!」
とうとうカミーラ様からお叱りのお言葉を頂いた。
あぅうう、足蹴にされる……。
久しぶりに受けるカミーラ様のおみ足に興奮してしまう。お叱りを受け悲しい反面、足蹴にされて満足する自分がいる。
「ティム、やめなさい!」
カミーラ様の責めに悶えていると、なぜかティレア様が駆け寄りカミーラ様をお止めしたのだ。
「ですがお姉様、この愚かな眷属に罰を与えねばなりません」
「いいからやめなさい!」
「は、はい」
「ティム、それじゃあエディムに謝るのよ」
「お、お姉様、なぜ……?」
「なぜもヘチマもない。ほら、蹴ってごめんなさいって言うの」
「うぅ」
あわわわ、なんて恐ろしい。
カミーラ様の苦渋の態度、恨みのこもった目……。
うぅ、私は何もしていません。あぁ、絶対に誤解されておられる。私がティレア様に何か言ったんじゃないかと。
「ほら、ティム、お姉ちゃんを困らせないで」
「わ、わかりました。エディム、蹴ってすまなんだ」
「い、い、いえいえいえ。そ、そんな、めっそうもございません。むしろ蹴られて本望でした」
必死に弁解するが、カミーラ様の感情を理解できる。今、カミーラ様は屈辱にまみれている。それはそうだ。自分の眷属に頭を下げる主がどこにいようか……。
一体今日のティレア様はどうされたのか? 少し非難めいた目でティレア様を見つめる。
「ひぃいい。今、エディムが睨んだ。本性を出したわね! やばい、やばいよ。お、犯される~眷属にされる~」
「え? え? え? べ、別にそんな!」
「貴様! お姉様に殺気を向けるとはどういうつもりだ!」
「エディム、まさかお前がそのような愚かな態度を取るとはな」
「ティレア様、ご安心ください。不肖オルティッシオ、逆賊エディムに天誅を与えてご覧に入れまする」
得意げに拳を握るバカティッシオ。その顔は、愉悦に満ちている。
こ、殺す! お前、絶対に殺してやるから。
だが、今はバカに構っている場合ではない。この絶対絶命のピンチを乗り越えるのが先なのだ。