第二十六話 「ニィガ、散る」
死屍累々と横たわる骸骸骸……。
まさに地獄絵図である。
突然、飛んできた血の刃によって無数に切り刻まれた傭兵達。
あの吸血娘が咆哮した瞬間、ゴードン様を部屋の外へと逃がし、最大級に障壁を張った。だが、その血の刃の威力は凄まじく、障壁を突破し体に無数の裂傷を作ったのだ。私の全身は血まみれ、満身創痍である。予想を上回るダメージにすぐには動けなかった。
今、追撃を受けたら確実に死が待っている。痛覚を遮断すると、そのまま死んだふりをしたのだ。
しばらくして吸血娘はふらふらと部屋を徘徊し、死体を漁り始めたのである。恐らくゴードン様の死体を探しているのだろう。だが、ゴードン様は緊急用の転移魔法で外へと転移させている。
危なかった。もう少し判断が遅ければ、ゴードン様は血の刃で命を落としていたにちがいない。吸血娘はゴードン様がいないのを知ると、悔しげに叫び、そのままバタリと気絶してまった。
吸血娘よ。その身体能力、魔力ともに驚異的でした。ただ戦闘にかんして経験不足だったのは否めません。あなたは私を死んだと思っているでしょうが、甘いです。人間はそう簡単に死にません。ここは確実にとどめをさしておくべきでした。ツメを誤るからこうやって反撃されるのです。
千切れそうになっている右足を引きずりながら、吸血娘に近づく。愛らしい顔に年相応な身体つきをしている。とてもこの惨劇を生んだ悪魔には思えない。
とどめをさします。復活されたら厄介ですからね。
魔力を高め魔法弾を生成し、吸血娘に手をかざす。
あなたの経験不足に救われました。まぁ、消耗しておらず、本来の力を発揮しておれば、また結果は別だったでしょう。だが、そんな状態で戦いを挑んだあなたが悪いのです。
ごめんとばかりに魔法弾を放とうとする……。
「やめておけ」
突然の静止の声に思わず背後を振り返る。
そこには銀髪紅眼の少女がいた。腕を組み、うっすらと笑みを浮かべている。
この吸血娘の仲間か?
恐らくこの吸血娘の魔力波動を頼りに転移してきたのだろう。
まったく気配が掴めなかった。いくら負傷しているからといって、この私がここまで接近を許すとは……。
魔力の淀みを一切出さずに転移してきた。高レベルの魔法技術である。この娘も魔族に違いあるまい。
まずいですね。今の私の有様では、とても戦闘などできません……。
いや、この少女の前では体調など関係がない。技量、風格、その全てが吸血娘など比べ物にならないぐらいの圧倒的存在感を示していた。
今ならわかる。先ほどの吸血娘は確かに強かったが、何か違和感があった。巨大な魔力を操るわりに、どうも乳臭さがとれない紛い物の魔族のような。だが、目の前にいるこの銀髪少女は違う。彼女こそ本物の魔族、破壊と殺戮の権化である。
「……お強いですな」
「くっく、貴様も人間にしてはなかなかだったぞ。脆弱とはいえ我のエディムを壊したのだから」
そう言い放つや、その銀髪少女は吸血娘の傍らに移動していく。その仕草はゆったりとしており、攻撃してとばかりである。ただ、その威厳、風格が無言の圧力を与える。
迂闊に動けない。
「この程度で壊れるとは……お姉様からの品でなければ、とうに捨てていた」
銀髪少女は、吸血少女に手をかざす。光り輝く魔法の結晶、吸血娘の傷がみるみる回復していく。
こ、これは回復魔法!? 魔族のくせに回復魔法まで使えるのか!
本来、魔族は闇魔法が専売特許で回復魔法は苦手なはずなのに。
苦手な属性にもかかわらず、使いこなす技量、吸血娘を完全回復させるほどの桁外れの魔力量、下手な神官が百人かかっても太刀打ちできないレベルだ。
この銀髪少女の凄まじさに圧倒されていると、吸血娘への治療が終わったらしい。銀髪少女は私に向き直り、不敵に笑みを浮かべる。
「どうした? 攻撃してきてもよかったのだぞ」
「ふっ、無駄はしない主義です。私がふいをつこうが、まともにやろうが結果は同じ。なれば正々堂々勝負を挑み、散るのが本望というものです」
「あっはっはは、お前いいぞ。どこか我が右腕ニールゼンに通じるものがある」
「過分な評価ですな」
「そんなことはない。その技量に精神の気高さ、人間とはいえこのまま殺すのは惜しい。どうだ、我が部下とならんか?」
「せっかくのお誘いですが、遠慮します。我が主はゴードン様、ただお一人です」
「ふむ、わからんな。途中から見ておったが、あの男、お前が仕えるほどの者とはとうてい思えんぞ。何故そこまで忠誠を尽くすのだ?」
「私はサム家に拾われた身、そしてどのような主君であろうとも忠誠を尽くすのが武人というものです」
「くっく、まさに武辺者だ。ますます欲しくなったぞ。ニィガと言ったな。例え恩があろうとこれまで十分に尽くしたはずだ。そろそろ見切りをつけたらどうだ?」
「ゴードン様を見捨てられません」
「あのような屑を見捨てても貴様の誇りは守られる」
「……ゴードン様の振る舞いに一度、お暇しようとした時がありました。だが、ゴードン様は私が去ると言ったとたんに『お前が去るのなら自害する!』と騒ぎたてましてな。現在、サム家の跡取りはゴードン様ただお一人です。サム家の血筋を絶やすわけにはいきませぬ!」
「ふっ、我の経験から言うとな『死ぬ、死ぬ』わめく奴に限って意地汚く、生きあがくものだ」
「ふふ、そうかもしれませんな。だが、私の信念は変わりません」
私は拳を握ると、話は終わりとばかりに銀髪少女に闘気をぶつける。銀髪少女はその様子に何がおかしかったのか高笑いを始めた。そして、吸血娘にしたように手をかざしてくる。
ぬぉぉ!? こ、これは……回復魔法だと……?
降り注ぐ回復魔法。開いていた傷が一瞬にして元通りに修復していく。なんという効き目、ほぼフルパワーに近いぐらいまで回復できた。
「敵に塩を送りますか。最強魔族の方は、存外にお優しいのですな」
「何も我は慈善で回復をかけたのではない。貴様が全快であろうとこの戦いが一瞬で終わることには変わりがない。な~に貴様の本気の一撃を見てみたい。これは我の興味本位だ」
銀髪少女は不敵に挑発する。
面白い。どうせ終わった命だ。ゴードン様を逃がし、最後のご奉公はしたつもりだ。人生の終焉ぐらい一武芸者として思いっきり戦ってみようではないか!
「うぉおおお!」
全魔力を拳に集中させていく。
防御はいらぬ! この先、生きる力すら放棄し、最後の生命力までつぎ込む。この一撃に全力を尽くす!
「秘技、幽波魔拳!」
私が生涯をかけて築いた魔法拳技だ。全生命力をかけた一撃が、銀髪少女にぶち当たる。スタートから力みもなく、最高のタイミングで拳を打ち出せた。もう一度同じ事をやれと言われてもできないだろう。生涯最高の秘技を放てたのだ。
だが……。
私の拳は銀髪少女が敷いている魔法障壁によって阻まれた。
な、なんという分厚い魔力の壁……はてしなく高密度で底がない。これを突破して攻撃できる者などこの世に存在しないだろう。
私の拳は障壁にぶつかった衝撃で粉々に砕け散り、その余波は全身に達した。筋肉は断裂し、骨は粉砕され、もはやズタボロといったところだ。
「ニィガ、見事だ。心技体すべてそろった一撃であったぞ。それゆえに惜しい。実に惜しい。貴様は……生まれてくる種族を間違えた」
銀髪少女はそう褒め称えると、魔弾を私に向けて解き放つ。これまた障壁と比べ物にならないぐらい高密度の闇魔法の塊である。あれを喰らえば、私は塵となって消えるだろう。
ふっ、なんともすばらしい。そしてなんと美しいのだ。闇魔法の完成形と言っても過言でないそれは私を魅了してやまない。
あぁ、破壊と殺戮の塊……。
暴力的で禍々しいそれがぶつかってくる。
私はなんと幸運なのだ。最後の最後で最強といえる者と手合わせをし、そして、その者の手で殺されようとしている。もはや武人として心残りはない。
ゴードン様、最後まで付き従えず、申し訳ございません。ニィガは先に地獄で待っております。地獄でもご奉公しますので、どうかご容赦のほどを……。